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高尾山はなぜ日本一の遭難山なのか――標高599mの人気ハイキング山が抱える矛盾

ケーブルカーで上がれる山の、もうひとつの顔

東京都八王子市の高尾山は、標高599メートル。ケーブルカーもリフトもあって、年におよそ250万から300万人が押し寄せる、日本でいちばん気軽に登れる山のひとつだ。

ところが警察庁の山岳遭難の統計や各種の報道を追うと、この散歩気分で登れる低山が、富士山や北アルプスの山々より多くの遭難者を出し続けている。

設備の整った観光地が、どうして「日本一遭難者が多い山」なんて呼ばれるようになったのか。数字と地形を順に見ていくと、幽霊より先に人間のほうが怖くなってくる。

富士山より多い、という統計

警察庁が毎年出している山岳遭難の発生状況を見ると、東京都の件数は全国でも上のほうにいる。その多くが高尾山とその周りで起きている、と報道は伝えてきた。

プレジデントオンラインや東洋経済オンライン、ダイヤモンドオンラインといった経済メディアも、そろってこの山を取り上げている。地元の山岳救助隊の出動は年に100件前後で、原因は道迷いと滑落、それに転倒が中心だった。

遭難する人の顔ぶれは、子ども連れの家族から高齢者、軽装の訪日客までばらばら。

高尾山は2007年、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで三つ星をもらった。そこから外国人観光客も含めて、訪れる人がぐんと増えたらしい。世界に知られた名前と、手軽に登れるという油断。この落差が遭難を増やした一因だと、あちこちで言われてきた。

1号路の分岐を、まっすぐ行ってしまう

高尾山には、舗装された1号路から沢沿いを登るちょっと手ごわい6号路まで、難しさの違う登山道が何本も入り組んでいる。

登山ガイドやアウトドア系メディアの解説では、1号路からほかの道が分かれる地点で標識が少ないという。そのまま直進してトラバース道を外れ、谷側へ落ちてしまう例もけっこうあるらしい。

紅葉の混雑時や夕方の薄暗い時間は、景色に気を取られて分岐を見落としやすい。

もうひとつは気の緩み。ケーブルカーがあって山頂に茶店も並ぶ、公園みたいな山というイメージが、山に慣れない人に「景色を楽しむ散歩道」だと思い込ませてしまう。

実際は4号路など一部で、傾斜20度から30度ほどの急な斜面が続く。落ち葉や雨上がりの泥で、足元はひどく滑る。

サンダルやヒールで入ってくる人も珍しくないし、冬には凍った路面が待っている。

救助隊が出た事例には、日が暮れた山道でヘッドライトを持っていない人がパニックになり、道を見失ったケースがいくつもあった。夜の山に街灯はない。昼の感覚で登り始めて下山が日没に間に合わない、というごく単純な計画ミスもよくある。

「道が消えた」という投稿

SNSや動画サイトでは、「道が消えた」「霧の中で叫び声を聞いた」なんて体験談がよく拡散される。こういう心霊っぽい話には、遭難しかけた本物の怖さがそのまま映り込んでいると見るのが自然だ。

心理学では、道に迷ったパニックや疲れが、ふだんは起きない一瞬の錯覚を呼ぶことが分かっている。物音を人の声と聞き違えたり、既視感がおかしくなったり。

山の中で帰り道が分からないという不安は、すぐ心霊の話に化ける。高尾山には、そうなりやすい地形と心理がきっちり揃っていた。

怖いのは、道を見失った原因を全部お化けのせいにしてしまうことだ。そうすると、地図やヘッドライトを持つ、登山届を出す、日が暮れる前に下りる、ひとりで歩かない、といった当たり前の備えが素通りされてしまう。

低山ブームが全国に広がった今、高尾山は「入りやすさ」と「安全」が別物だという見本として、登山の安全講習でもよく名前が出てくる。

登山口で配られる呼びかけ

八王子消防署は定期的に訓練を重ね、登山口で安全の呼びかけもしている。登山アプリを使おう、登山届を出そうと呼びかける地元メディアの報道も続いた。

古くから修験道の霊場だった山には、登山ガイドの不足という悩みもある。初心者に分かりやすい標識への付け替えなど、実務の面の手当ても少しずつ進んでいるところだ。

高尾山の遭難の多さは、幽霊みたいな謎とは違う。駅から近い便利さと、山そのものの厳しさ。そのすき間に人が落ちていく。

数字の出どころ

ここまでの数字は、警察庁が年ごとにまとめる「山岳遭難の発生状況」と、八王子消防署の山岳救助隊をめぐる各種の報道が元になっている。ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンの星の話も、当時の報道から拾った。

「高尾山なら大丈夫だと思っていた」

救助された人の口から一番よく出るのが、この台詞らしい。登ってみたら思ったよりきつかった、下りの途中で膝が笑って足が一歩も出なくなった。みんな同じ調子で、ちょっと恥ずかしそうに話すんだそうだ。

経済誌や旅行メディアの取材記事をいくつか読むと、この手の証言が本当にやたらと並んでいて、読んでいるうちに笑えなくなってくる。怖い体験というより、拍子抜けした体験。本人も最初は、自分が遭難しているなんて思ってもいなかった。

数字も見ておく。警察庁の集計で、2023年の山岳遭難は東京都が214件だった。長野県の302件に次ぐ全国2位で、北アルプスも大雪山も抱える北海道の212件より、わずかに多い。

東京の中身を開けてみると、高尾署の管内が頭ひとつ抜けている。奥多摩を受け持つ青梅署と五日市署を二つ足して、やっと並ぶくらいの人数。

山ひとつで数えた遭難者は、2023年の高尾山が133人。富士山が97人、穂高連峰が80人だった。翌2024年も高尾山は131人で、富士山の83人と穂高の66人をまとめて抜き、また全国のてっぺんに立った。

2025年は106人まで減っている。それでも山単体では最多のままだ。年間の入山者は260万とも300万とも言われていて、母数が桁違いなのは間違いない。

三度目の高尾山で、舗装の階段を選ばなかった

登山記録サイトのヤマレコに、ある初心者の日記が載っている。タイトルは「『遭難』の文字が頭に浮かんだ…」。三度目の高尾山での話だった。

その日の予定は、山頂の先にある一丁平まで歩いて、同じ道を戻ってくるだけ。二回登って少し慣れてきた頃合いで、ちょっと足を延ばしたくなったらしい。気づけば、奥高尾の縦走路へ入っていた。

やがて分かれ道。片方は舗装された階段で、もう片方は落ち葉の積もった土の山道だった。書き手は山道を選んだ。そっちのほうが、いかにも山を歩いている感じがしたからだ。

そこから先、景色がどんどん同じに見えてくる。すれ違う人の気配が薄れ、道標に書かれた地名にまるで覚えがなくなっていく。戻るか進むか迷ううち、時計の針だけが進んだ。

結局は人のいる道へ出て、無事に帰っている。ただ、その間ずっと頭の中で「遭難」の二文字が点滅していたんだとか。読んでいて、こっちの背中が冷えた。他人事じゃない。

似た話はほかにも山ほどある。知恵袋には「高尾山は意外と遭難が多いらしいが、6号路なんかで迷うと思うか」という質問が立っていた。回答はきれいに割れた。

普通に歩けば迷うはずがない、という声。分岐でうっかり脇の尾根道へ入ると一気に人の姿が消える、という声。どっちも本当なんだろう。迷うのは地図の上より、気の抜けた一瞬のほうだ。

吊り橋の先で、足元が消える

4号路は、途中にみやま橋という吊り橋が架かっていて、北側の斜面をなぞるように巻いていく道だ。木の根と落ち葉で足元がごちゃごちゃしていて、谷側はけっこうな急斜面になっている。

山の案内サイトを見ると、この4号路ではたびたび滑落事故が起きていて、亡くなった人もいると書かれていた。観光客が「1号路の帰りにちょっと寄り道」くらいの気持ちで入ってくるのが、よりによってこの道なのだ。

雨の翌日は最悪。ぬかるんだ赤土の上に濡れた葉が張りついて、スニーカーの底がつるっと持っていかれる。

秋の午後三時を過ぎると、北向きの斜面から先に暗くなる。山頂の広場ではまだ夕焼けを眺めている人がいるのに、4号路の中はもう足元の石の輪郭すら分からない、なんて逆転がふつうに起きた。

車とは反対側の麓に下りてきた父

noteには、家族の話として書かれた一篇がある。書き手の父親は、高尾山に何度も登っている人だった。その日もいつもの山、いつもの下山路のつもりで歩き出している。

ところが途中で道を外れた。気づいたときには、見覚えのない斜面をひとりで下っていたという。それでも自力で里まで出られたのは、運がよかったとしか言いようがない。

出た先は、車を置いた駐車場とはまるで違う方角。仕方なくタクシーを呼んで、山裾をぐるっと大回りしてもらい、元の場所まで戻ったそうだ。笑い話で済んだのは紙一重。本人はしばらく黙っていたらしい。

高尾山は、尾根を一本まちがえると麓の出口ががらっと変わる。表の高尾山口駅へ下りるつもりが、裏高尾の小仏側や日影沢の林道にぽんと出てしまう。地図だと近いのに、歩くと別の町だ。

この記事には、山岳救助隊の言葉も引かれていた。せめて高尾山に行くと家族に伝えておいてほしい、帰らなかったときに探せるから。登山届どころか、行き先の一言すら置いていかない人が多いって話だ。

夜明け前の滝で聞いた「こんにちは」

ここからは少し毛色が違う。山と溪谷オンラインが2024年6月に、山での心霊や不思議体験のアンケートを募った。集まった回答は100件を超えた。

その中から、登山と心霊の取り合わせを追っているライターの成瀬魚交が、一篇を実話怪談の形に書き起こしている。語り手は、東京に住む50代の女性Mさん。

Mさんが高尾山で妙なものに出くわしたのは、もう35年ほど前になる。夜明け前に入山し、まだ真っ暗な山道をライトの明かりだけで歩いていた。

途中で、行場のような場所と、水の落ちる滝の気配に行き当たったらしい。水垢離をする場所に見えたという。そこで記事の題にもなった、あの挨拶が聞こえてくる。

「こんにちは」。夜明け前なのに、こんにちは。しかもそれが、一度きりでは終わらなかった。ぞっとする。

Mさん自身、あれが天狗だったのか、ただの修験の行者だったのか、今もはっきりしないと話している。天狗の山で、行者の山。どっちに転んでも筋が通ってしまうのが、高尾山のいちばん嫌なところだ。

陣馬から歩いてきた人が出くわしたもの

陣馬山から景信山、小仏城山を経て高尾山へ抜ける縦走路は、奥高尾の定番コースだ。全長は15キロ前後。途中に下山路がいくつもあって、初心者同士でも歩ける道として紹介されることが多い。

2020年11月のヤマレコに、この縦走の記録がある。一年以上のブランク明けで、なまった足を慣らそうと歩いた人の記録だった。その題に「高尾山で遭難者と遭遇」とあった。

長い縦走のいちばん最後、ゴールのはずの人だらけの高尾山で、道を失った人に出会ってしまう。奥の山じゃなく、観光地の目と鼻の先で。この順番が、いかにも高尾山らしい。皮肉な話だ。

縦走してきた側は、ヘッドライトも地図も予備の水もちゃんと持っている。麓からふらっと来た人は、秋の日の落ちる早さを知らない。同じ時刻の同じ山に、装備の差がとんでもなく開いた人たちが混ざり合っていく。

「富士山より多い」が一気に広まった夏

高尾山が日本一遭難の多い山だという話は、昔から山好きのあいだではちらほら出ていた。それが一般のニュースに躍り出たのは、警察庁が山ごとの遭難者数を並べて見せるようになってからだ。

2023年の数字が出た2024年の夏、経済誌のサイトが立て続けに記事を出した。「遭難者数日本一の山」「富士山ではなく高尾山」。どれも、見出しだけで思わずクリックしてしまう出来だった。

翌年には全国紙も、秋の行楽を前に「富士山の1.6倍」という書き方で報じている。2024年の131人を富士山の83人で割ると、ちょうどそのくらいの数字になる。

SNSの反応は、だいたい三つに分かれた。え、あの高尾山が?という素直な驚き。人がめちゃくちゃ多いんだから当たり前だろ、という冷めた声。

三つ目がいちばん現場っぽい。ケーブルカーで楽に上がって、帰りに調子に乗って歩いて下りるやつが一番危ない、という登山経験者の書き込みだ。実際、遭難の多くは下山中に起きている。

「魔の山」という呼び名もこの頃から目立ってきた。谷川岳の専売特許みたいな言葉が、標高599メートルの山にくっついたわけで、その落差がまた話を広めた。

蛇滝と琵琶滝は、もともと水行の場だった

心霊スポットの噂でよく名前が挙がるのが、蛇滝と琵琶滝だ。ネットの心霊サイトには、夕方以降に誰もいないのに背後で足音がする、耳元で何かがささやく、と並ぶ。

でもこの二つの滝は、薬王院の水行道場。今も一般の信徒に開かれていて、申し込めば滝に打たれる修行ができる。夜明け前や夕暮れに白装束の人が立っていても、何もおかしくない場所なのだ。

琵琶滝は6号路の途中、登り始めて三分の一ほどの所にある。6号路は全長3.3キロ、標高差がおよそ399メートルの「水のコース」で、沢沿いに岩屋大師や大山橋の飛び石が続く。涼しくて、人気の道。

蛇滝のほうは裏高尾側で、表の賑わいから一本外れる。旧甲州街道の小仏あたりから入る道で、同じ高尾山とは思えないくらい人の数ががくんと減った。噂が育つのは、たいていこっち側だ。薄暗い杉林の奥から水音だけが響いてきて、ついさっきまでの参道の喧騒がまるで別の山の出来事みたいに思えてくる。そりゃ何か聞こえた気にもなる。

混む季節には、6号路が登りの一方通行になった年もある。稲荷山コースが崩落で長いこと通行止めになったこともあった。道の事情がその年ごとにころころ変わるのも、迷いやすさに一枚噛んでいる。

天狗が根をどけたという杉

薬王院の話もしておく。寺の伝えでは、天平16年、744年に聖武天皇の勅命を受けて、行基が東国を守る祈願寺として開いた。本尊に薬師如来を置いたから薬王院、という名前になった。

南北朝の永和年間に、京都の醍醐寺から俊源という僧が入ってくる。八千枚の護摩を焚いたのち、山岳信仰に根ざした飯縄権現を守り神としてまつったという。ここから修験の道場として大きくなっていった。

天狗はこの飯縄大権現の眷属、つまりお供の役回りだ。だから高尾山の天狗は人を食う化け物じゃなく、災いを払って運を開く側の存在として、ずっと拝まれてきた。

参道には、天狗にまつわる杉が二本立っている。たこ杉は、天狗たちが参道の道普請をしていた時、自分が邪魔だと聞いて根っこを自分でどけたという。その根の形がタコみたいだった。だから、たこ杉。

もう一本が天狗の腰掛杉。樹高45メートル、幹回り6メートル、樹齢700年を超える大木だ。天狗がこの枝に腰掛けて、参拝に来る人を上から見守っているんだとか。

戦国の頃には、八王子城を築いた北条氏照がこの山をずいぶん手厚く守った。寺領を寄進し、戦で荒らすなという制札まで立てている。2020年には、この山と八王子の祈りの歴史が日本遺産「霊気満山」に選ばれた。

裏高尾の旧道と、八王子城の影

高尾山の心霊話は、山頂よりむしろ麓の周りにぼんやり広がっている。代表格が裏高尾の旧甲州街道と、そのすぐ北の八王子城跡。

八王子城は天正18年、1590年に豊臣方の攻撃を受け、たった一日で落ちた。落城の日、城下の御主殿の滝が三日三晩赤く染まったという伝承まで地元にはある。この話が、高尾山の一帯をどこか「重い土地」に見せる下地になった。城跡から裏高尾までは尾根続きで、地元の人にとっても、山の北側はどこか陰気な場所として受け取られてきたそうだ。

旧道沿いのトンネルにも噂は多い。旧吹上トンネルでは白装束の女が追いかけてくる、というのが定番。入り口で空気が変わった、すすり泣きを聞いた、という投稿がまとめサイトにずらっと並んでいる。

それから、動物霊の話。狐や犬の霊が人を山で迷わせる、という噂が高尾山には根強い。狐に化かされて同じ所をぐるぐる回る昔話と、今の道迷いの体験談とが、びっくりするくらいきれいに重なっている。

救助隊ができたのは2007年だった

警視庁の高尾警察署に山岳救助隊が置かれたのは、2007年のこと。警備課長を隊長に据え、隊員18名と支援班4名、あわせて22名の体制で始まった。

同じ2007年、高尾山はミシュランのグリーンガイドで三つ星を取っている。偶然にしては出来すぎた重なりだ。世界に名前が知れ渡った年に、この山専門の救助部隊も産声を上げた。

気象情報会社の記事によると、高尾山系の救助隊出動は年に100件を超える。原因は滑落、転倒、道迷い、疲労、急な病気とばらばらだ。ほとんどは無事に救い出されているが、亡くなった人もいる。

世代別に見ると、遭難者の中心は中高年だった。サンダル履きの若者より、自分の体力を若い頃の感覚で読み違えた人のほうがずっと多いってわけだ。高尾署はそれでも、サンダルやヒールで山道を歩くなと繰り返し呼びかけている。

林野庁の研修レポートに書かれていたこと

林野庁の職員研修の報告に、高尾山を例にした遭難対策の考察が一本ある。書いたのは西梅慶臣という人だ。

中身は意外なくらい地味だった。新しい施設を増やして事故を減らすのではなく、今ある道のままで事故を防ぐ方法を考える、という立ち位置で書かれている。

レポートは、全国の山岳遭難の統計と高尾山の事故の記録を突き合わせ、「安全・快適な高尾山」を掲げた森林利用の協働モデル事業のアンケートも引いている。そのうえで、どれだけ設備を整えても、歩く本人に山にいるという意識がなければ事故は減らない、と結んでいた。

標識を増やせば済む話なら、とっくに片付いている。そう言われているようで、ちょっと耳が痛い。まったくその通りだ。

日本一の急勾配が運ぶもの

ケーブルカーの開業は1927年1月21日。麓の清滝駅から高尾山駅までを結んだ。山頂側の駅の手前には、31度18分という、ケーブルカーとしては日本一の急勾配が待っている。

開業までは難産だった。山が官有林で伐採や用地の手続きが面倒だったうえに、工事の準備中に関東大震災の被害まで食らっている。着工は1925年、そこから2年かけてようやく動き出した。

このケーブルカーのおかげで、誰でも標高472メートルの中腹まで6分ほどで上がれる。便利さは本物だ。問題はその先。ただ、歩かずに稼いだ高さは、帰りに自分の足で返さなきゃいけない。

最終便が出てしまった後の山道には、街灯が一つもない。昼間の賑わいが嘘みたいに、杉の森が真っ暗になった。ヘッドライトのない人が、スマホの小さな明かりを頼りに一歩ずつ下りていく。

長野県の山岳遭難防止アドバイザーでもある羽根田治は、2026年に『低山遭難』を出した。低い山で死にかけて生還した人たちに、一人ずつ会って話を聞いて回った本だ。東洋経済の紹介記事は、その筆頭に高尾山の名前を掲げていた。

素足で渡る、三月の燠火

三月の第二日曜、高尾山口駅から少し歩いた自動車祈祷殿の広場に、朝から人垣ができる。昼の一時を回ったころ、ほら貝の音と一緒に山伏の一団が入ってきた。薬王院の火渡り祭だ。柴燈護摩と呼ばれる屋外の護摩で、世界平和や息災延命から交通安全まで、祈る中身はずいぶん幅広い。

広場の真ん中には、護摩木という木札がうずたかく積まれている。そこへ火が入ると、白い煙がもうもうと上がって、あっという間に前の列の人の顔が見えなくなった。熱い。護摩木には参拝者が願い事を書いて納めたものも混じっていて、それが炎の中で一枚ずつ黒く反り返っていく。

この行事は、薬王院の山伏が積む荒行のうち「火の行」を、そのまま人前に開いたものらしい。もう片方の「水の行」が、蛇滝と琵琶滝での滝行にあたる。つまり夜明けの滝で白装束の人を見かけたという噂と、この日の広場は、同じ修行の裏表なのだ。

炎が落ち着いて燠になると、まず修験者たちが素足で渡っていく。災いを払い、運を開くための火だと寺は説明している。天狗が守る山の祈りが、目に見える形になる瞬間。

面白いのはその先だ。修験者のあとに、一般の参拝者も列をつくって同じ火の上を渡れる。子ども連れの家族も、登山帰りの人も、靴と靴下を脱いで順番を待っていた。

足の裏が熱いかどうかは、渡った人によって話がばらばらだった。拍子抜けするほど何ともなかったという人もいれば、途中で思わず小走りになったという人もいる。それでいい。

山で道に迷う人の話ばかり追っていると、高尾山がどこか不穏な場所に見えてくる。でもこの広場では、同じ山に入る人たちが、それぞれの無事をまとめて火にくべていた。煙はそのまま、山頂のほうへ流れていった。

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