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学校のエレベーターに乗ってはいけない――生徒が使えない箱が、四階と屋上のあいだで止まる理由

四階建ての校舎の、いちばん端っこ。廊下の突き当たりに、そこだけ妙に新しい銀色の扉がある。まわりのコンクリートは雨だれの筋で黒く汚れているのに、その扉だけはやけにつるつるしていて、横に小さな上下の矢印ボタンがついている。ボタンにはたいてい、色の褪せたガムテープか、透明のアクリル板でできたカバーがかぶせてある。そして貼り紙。「このエレベーターは職員および許可された者以外使用禁止」。

中学校でも高校でも、あの貼り紙の文言はだいたい同じだ。日焼けして端がめくれていて、いつ貼られたのか誰も知らない。

おれたちは六年なり三年なりをその校舎で過ごして、体育館の裏も、屋上に上がる階段の踊り場も、飼育小屋の裏の砂の色も全部知っているのに、あの箱の中身だけは知らないまま卒業する。乗ったことがないんだよな。一度も。それなのに、放課後遅くまで残っていると、たまに動く音がする。ワイヤーが鳴って、どこかで扉が開いて、閉まる。翌日、誰に聞いても「昨日エレベーター使った?」に手を挙げるやつがいない。

そういう学校の、そういう箱にまつわる話だ。四階と屋上のあいだで止まる、という話。

銀色の扉は、学校の中でいちばん「学校らしくない」場所だ

学校という空間の面白いところは、基本的にほとんどすべてが子どもに向けて開かれている、という点にある。理科室も音楽室も家庭科室も、鍵はかかっているが、時間が来れば先生が開けてくれるし、その中で何をするかもだいたい知っている。体育倉庫の跳び箱の並び順まで覚えているやつがいる。用務員室の前を通れば中の様子が見える。校長室ですら、係の仕事で入る機会がある。

学校は、子どもにとって「見たことのない場所」がびっくりするほど少ない建物なんだ。

そこに一箇所だけ、決定的に開かれていない設備がある。それがエレベーターだ。あれは教職員と、車椅子や松葉杖を使う生徒と、あとは業者と、給食のコンテナのためのものであって、健康な生徒がふつうに乗る対象として設計されていない。運用でそう決められている。だから校舎の中で唯一、「毎日目にしているのに内部を知らない箱」として残り続ける。

物語というのは、こういう空白にすごい勢いで吸い込まれていく。理科室の人体模型が動く話も、音楽室のベートーベンの目が動く話も、要するに「見慣れているのに正体がよく分からないもの」に貼りついている。人体模型はいちおう授業で使うから、まだ手が届く。エレベーターは手が届かない。ボタンにガムテープが貼ってある。つまり、学校の怪談が生まれる条件としては、ほとんど理想的な物件なんだよな。

さらに事情をややこしくしているのが、そもそも学校にエレベーターがある確率がそんなに高くない、という現実だ。文部科学省が公表している学校施設のバリアフリー化の統計だと、公立の小中学校でエレベーターが設置されている施設は、二〇二四年の時点でだいたい三割ちょっと。校舎の出入口の段差解消は八割を超えているのに、エレベーターだけは三割台にとどまっている。

国の整備目標でも、令和十四年度末で四十三パーセントを目指す、という水準だ。つまり多数派の学校には、そもそも無い。

これが効いてくる。無い学校の子どもにとって、「エレベーターのある学校」というのは、それだけで少し異界めいて聞こえる。転校生が「前の学校にはエレベーターがあった」と言うと、教室がざわつく。逆に、ある学校の子どもにとっては「毎日見ているのに乗れない箱」だ。どっちの側からも、あの銀色の扉は日常からわずかにずれている。噂が育つには十分すぎる土壌だ。

語られている話の完全再話――北校舎、四階とRのあいだ

いちばんまとまった形で語られているバージョンを、細部まで再現しておく。地域や語り手によって細かい違いはあるが、骨格はだいたいこれだ。

舞台は四階建ての中学校の北校舎。本校舎と渡り廊下でつながっている増築棟で、竣工は平成に入ってから。一階が事務室と保健室と会議室、二階から四階が特別教室と、少人数指導用の部屋。この北校舎の階段の脇に、エレベーターがついている。表示は下から順に、1、2、3、4、そして R。Rはルーフ、つまり屋上だ。ところが屋上は、転落防止のために普段は施錠されていて、鍵は事務室の壁のキーボックスの中にある。

文化祭の準備で天体観測の機材を運ぶときと、業者が受水槽の点検に上がるときくらいしか開かない。

話が起きるのはたいてい十月の後半、放課後だ。日が短くなって、四時半には廊下がオレンジ色になり、五時にはもう青くなる。文化祭が終わったあとの、あの妙にがらんとした時期。二人の生徒が、教室に忘れ物を取りに戻ったか、あるいは掃除当番のバケツを片づけに行ったかで、北校舎の四階にいる。窓の外はもう暗くて、ガラスに自分たちの顔が映っている。校内放送の下校を促すチャイムが鳴った直後、という設定が多い。

時刻は五時四十分とか、そのあたり。

片方が言うんだ。「なあ、これ押したらどうなんの」。エレベーターの下向きボタンのことだ。もう一人が「怒られるって」と言いながら、でも止めない。ここが大事で、この話は最初から最後まで、誰も本気で止めない。それが後味の悪さになっている。

ボタンを押す。ガムテープの上から押しても押せる、という細かい描写がついていることが多い。押した瞬間、何も起きない。ランプもつかない。二人は「やっぱ電源切ってあるんだ」と笑って、階段の方へ歩き出す。三歩か四歩。そこで背後から、ゴウン、という重い音がする。ワイヤーが動く音だ。振り返ると、扉の上の階数表示がついている。数字は 1。それがゆっくり 2 になり、3 になる。

二人は動けない。上がってくる。4 になる。ここで扉が開くはずなんだ。開かない。表示が消える。いや、消えたんじゃなくて、4 と R の両方がうっすら光っている、という語りがある。あるいは、七セグメントの表示が数字にならない形で光っている、という語り方もある。とにかく、四階でも屋上でもない位置に、箱がある。

そして、扉の向こうで音がする。ゴトン。何かを置いた音。ゴトン。もう一度。上の方から聞こえる。四階の床より少し高いところ。だから二人は天井を見上げる格好になる。ゴトン、ゴトン、ゴトン。だんだん速くなる。片方が「行こう」と言って、もう片方の袖を引く。そのとき、扉が開く。

箱の中は明るい。蛍光灯がついている。誰も乗っていない。ただ、床が濡れている。奥の壁ぎわに、水たまりが弧を描いていて、それがゆっくり手前に広がってくる。二人が見上げると、天井の点検口の蓋が、片側だけずれて開いている。その黒い隙間から、水が一滴ずつ落ちている。ポタ、ポタ、ポタ。ゴトンの音は止んでいる。

扉が閉まりかける。片方の生徒が、なぜかそこで手を出して、閉まりかけた扉を押さえた、という細部がついているバージョンがある。押さえた手のひらに水がついた。冷たくなくて、生ぬるかった。それで初めて悲鳴が出て、二人は階段を駆け下りた。

翌朝、用務員さんに聞くと、こう言われる。「昨日は業者が来る前に、主電源落としてたよ」。エレベーターは動いていないはずだった。そして、その日の一時間目に、屋上の受水槽から水が漏れているのが見つかって、午前中いっぱい断水になる。話はそこで終わる。何が乗っていたのかは、最後まで説明されない。

この、「説明されない」という終わり方が、この怪談の一番よくできているところだと思う。幽霊が出てくるわけじゃない。顔も、声も、名前もない。ただ、動かないはずの箱が動いて、四階と屋上のあいだで止まって、水を垂らして、また閉じただけ。それだけなのに妙に後を引くんだよな。

発祥はどこか――たどれるところまでたどってみた

正直に書くと、この話には「これが初出だ」と指させる一本の投稿が無い。いろいろ探したが、無い。無いことが分かった、というのが取材の結論だ。ただ、無いなりに輪郭は見えてくる。

まず、日本の学校怪談というジャンルそのものの整理をしたのは、民俗学者の常光徹だ。一九九〇年から講談社KK文庫で出た児童向けの『学校の怪談』シリーズと、口承文芸の研究として書かれた学術側の仕事。児童書のシリーズは二〇一四年の時点で累計二百九十万部を超えたと出版社側が公表していて、これが一九九五年からの映画『学校の怪談』シリーズ、テレビの実写ドラマ、無数のアニメ企画へと波及していった。

つまり、いま我々が「学校の怪談」と呼んでいるものの多くは、口伝えの層と、この出版・映像の層が何度も往復した結果できあがっている。トイレの花子さんが「三階の女子トイレの三番目」というフォーマットで全国に定着したのも、この往復の産物だとされている。

じゃあエレベーター怪談はどうか。実は、エレベーターにまつわる怪談は、学校よりずっと先に、病院と団地と雑居ビルとオフィスで語られてきた。誰も乗っていないのに最上階から降りてくる、というやつだ。夜勤明けの看護師、深夜のオフィスで残業していた社員、深夜に帰宅した団地の住人。こっちの型は昭和の実話怪談の投稿誌の時代から数えきれないほど採録されている。

要するに、エレベーターという装置は、学校に導入されるずっと前から怪談の器としてできあがっていた。

そこにネット期の決定打が入る。二〇〇〇年代の2ちゃんねるオカルト板で広まった、いわゆる「異世界エレベーター」あるいは「エレベーターで異世界に行く方法」だ。十階建て以上の建物のエレベーターに一人で乗り、四階、二階、六階、二階、十階の順に押す。途中で他の誰かが乗ってきたら失敗。十階に着いたら五階を押す。五階で若い女が乗ってくるが、絶対に話しかけてはいけない。

そこから一階を押すと、箱は下降せず十階へ向かう。あの手順だ。この話は韓国発祥説も含めていろいろな出自が語られてきたが、日本語圏での爆発的な普及は2ちゃんねるオカルト板のコピペ流通によるもので、二〇一〇年代にはピクシブ百科事典やニコニコ大百科に独立項目ができ、二〇二三年には同名モチーフの映画まで作られている。三階建てでもできるという簡略版、帰り方の手順つきのバージョンなど、派生も大量にある。

この異世界エレベーターの決定的な発明は、「押す階の順番」という手続きを持ち込んだことだ。それまでのエレベーター怪談は、遭遇するだけの話だった。異世界エレベーターは、参加できる話にした。花子さんのノックと同じで、子どもが自分で試せる。ここが強い。

で、学校版のエレベーター怪談というのは、この二つの流れ、つまり昔からある遭遇型のエレベーター怪談と、ネット発の手順型の異世界エレベーターが、二〇〇〇年代後半から二〇一〇年代にかけて学校バリアフリー化で校舎にエレベーターが増えていった現実と合流したところに立ち上がっている。

おれが確認できた範囲では、体験談投稿サイトのエレベーター関連のタグ、note に上がっている都市伝説の解説記事や体験談、個人ブログの学校怪談まとめ、YouTube の怪談朗読チャンネルに、それぞれ別々に、しかしよく似た形で散らばっている。特定の固有名を持つコピペ、たとえば「きさらぎ駅」のような固有名のついた作品として流通しているわけではない。

名前がついていないのに形がそろっている、というのは、むしろ口承として自然発生した証拠に近い。

掲示板の過去ログについても一応触れておくと、五ちゃんねるのオカルト板は板の移転とスレッドの立て直しを何度も経ていて、まとめサイト側の転載では投稿日時やレス番が省かれていることが多い。だから「何年何月何日の何番のレスが初出」という形で確定できるケースは、実はネット怪談全体でもかなり少数派なんだよな。学校エレベーター怪談についても、レス番まで押さえられる初出は見つからなかった。

これは書いておくべきだと思う。

派生バージョンを、ひとつずつ

五階のない校舎、五階のあるパネル

いちばん流通している変異型がこれだ。校舎は四階建てなのに、エレベーターの操作盤には5のボタンがある。あるいは、Rの上にもうひとつ、無印のボタンがある。押すと、箱は四階を通り過ぎてさらに上がり、そこで止まる。扉が開くと、そこは今の校舎じゃない。木の床、木枠の窓、油引きの匂い。つまり建て替え前の旧校舎だ、というオチがつく。

この型は、増築で新しくなった校舎に対して「前の校舎はどこへ行ったのか」という素朴な感覚が土台になっている。実際、校舎の建て替えは在校生にとってかなり強烈な体験で、自分の記憶にある教室がある日更地になる。あの喪失感が、パネルの余った一段に流し込まれているんだと思う。

教員用エレベーターに乗った転校生

新学期に来た転校生が、勝手にエレベーターに乗る。クラスの誰も止めない、あるいは面白半分にけしかける。転校生はそのまま降りてこない。担任に聞くと「そんな生徒はいない」と言われる。名簿にも載っていない。教室の後ろのロッカーに、名前の書かれていない上履き袋だけが残っている。この型は、学校怪談の中でも「排除の記憶」を扱う系統に属する。

実際のところ、転校生が孤立するというのはどの学校でも起きる普遍的な出来事で、その罪悪感が、乗ってはいけない箱と結びついている。語り手が卒業後に思い出して語る、という後日談の形をとることが多いのも特徴だ。

異世界エレベーターの学校翻案

手順型の直系。学校のエレベーターは四階建てが多いから、十階建てが条件の本家の手順はそのまま使えない。そこで「四、二、三、一、四の順に押す」「四階でドアが開いても降りず、閉ボタンを押し続ける」といった、校舎の階数に合わせたローカル手順が生まれている。共通するのは、途中で誰かが乗ってきたら中止しなければならない、という規則と、最後に本来行かない階に連れて行かれる、という結末。

ここで面白いのは、学校版だと「異世界」ではなく「屋上」に着く、という着地が多いことだ。屋上は施錠されていて、生徒が入れない。つまり学校において屋上は、異世界の役割をすでに担っている。わざわざ別の世界を用意しなくても、学校には行けない場所があるんだよな。

車椅子の生徒と、止まったままの箱

しんみりする型もある。かつてその学校に、階段を使えない生徒がいた。エレベーターはその生徒のためにつけられた。生徒が卒業したあと、エレベーターは使われなくなり、電源も落とされた。それでも夜になると動く。誰かが四階まで上がって、廊下を見て、また降りていく。

この型は、恐怖よりも切なさで語られることが多くて、YouTube の朗読チャンネルや個人ブログの体験談では「怖くなかった」「むしろ泣きそうになった」という感想がつく。学校のエレベーターというのが本来なんのために存在するのかを、いちばん正確に踏まえた変異型だと思う。書き手が意識的に作ったというより、あの設備の由来を知っている人が語ると自然にこの形になる、という感じがある。

点検口の上の鏡

エレベーターの箱には、たいてい天井に点検口がある。整備のときに作業員が上に出るための蓋だ。この型では、箱の中で上を見上げると、点検口の隙間から誰かがこっちを覗いている。あるいは、箱の壁に鏡が張ってある学校の場合、鏡に映る自分の背後に人がいる。

エレベーターの鏡というのは、実は車椅子の利用者が背中側の状況を確認して安全に方向転換するための、まっとうなバリアフリー装備なんだが、それがそのまま怪談の道具として使い回されている。設備の善意が、まるまる恐怖の装置に転用されているという意味で、なかなか皮肉な型だ。

給食のリフトと混ざる型

これは押さえておきたい派生。実は、多くの学校で生徒が日常的に目にしている「上下する箱」は人が乗るエレベーターではなく、給食のコンテナを各階に上げるための小荷物専用昇降機、いわゆる配膳リフトだ。人が乗れるサイズではない。だから「乗ってはいけない」という禁止が、本物のエレベーターより一段強く効いている。

この配膳リフトを舞台にした怪談では、給食の食缶を回収したら、中に入っているはずのない物が入っていた、リフトの扉を開けたら食缶の代わりに小さな上履きが揃えて置いてあった、といった描写になる。箱が小さいぶん、想像される中身も小さくなる。ここは語りの生理としてよくできている。

工事中の仮設エレベーター

改修工事のあいだ、校舎の外壁に足場が組まれて、その足場に工事用の仮設リフトがつく。この期間限定の設備を舞台にした型もある。工事期間中だけ現れて、工事が終わると消える箱、というのがまず不気味だ。休日に学校の前を通ったら、誰も乗っていない仮設リフトが四階まで上がっていって止まった、という目撃談の形をとる。この型は、証拠が残らないという性質を持っている。

翌年には足場ごと無くなっているから、確かめようがない。確かめようがない話は、長く生き残る。

体験談を四つ、読み物として

最初のは、二〇一〇年代半ばに個人ブログに書かれていた、地方の県立高校の話。書き手は当時三年生で、進学クラスの補習で夜まで残っていた。校舎は五階建てで、エレベーターは職員用。生徒は使用禁止だが、教員がよく大量の答案を運ぶのに使っていたから、動いている姿は日常的に見ていた。その日は十二月で、外は雪。補習が終わって、廊下に出たのが七時過ぎ。廊下の電気は半分落とされていて、非常灯の緑だけがついていた。

友人と二人で階段を降りようとしたら、エレベーターの表示が動いていた。5、4、3。二人は「先生誰か残ってんだな」と話しながら、三階で扉が開くのを待った。開いた。誰も乗っていなかった。それだけなら電源の入切かボタンの押し間違いで済む。問題はその次で、扉が開いたまま二十秒くらい閉まらなかったらしい。エレベーターというのは、扉が開いたら数秒で自動で閉まる。

閉まらないということは、何かがセンサーを遮っている。二人は箱の中を覗き込んだが、床には何も落ちていなかった。友人がふざけて手を伸ばして、床のあたりを撫でるように動かした。その瞬間に扉が閉まって、表示が R に上がっていった。屋上は、雪で立入禁止になっていた。

書き手はこの出来事を「たぶん光電センサーの誤作動だと今でも思っている」と締めたうえで、それでも卒業まであの階の廊下を一人で歩けなかった、と書いていた。この、合理的説明を自分で用意しているのに恐怖だけ残っている、という書き方がすごくリアルなんだよな。

二つ目は、体験談投稿サイトに上がっていた、私立中高一貫校の警備をしていた人の話。夜間の巡回で、決められた順路を回ってチェックポイントの機器にタッチしていく仕事。校舎は三棟あって、いちばん古い棟にエレベーターが一基。この棟のエレベーターは、日付が変わったあとに一階へ自動で戻る設定になっている。ある夜、巡回中に、その一階待機のはずの箱が四階にあった。呼び出したら降りてきた。

中に、給食で使うようなステンレスの深いバットが一枚、床に置いてあった。中身は水。表面が揺れていた。持ち上げると、けっこうな重さだったという。翌朝、給食室の職員に確認したが、誰もそんなものを置いた覚えがないし、そもそもその棟に給食室はない。バットは結局、事務室で預かって、何日か置いておいたが誰も取りに来なかったので処分したそうだ。この話が怖いのは、幽霊が出てこないのに物証だけがある、というところ。

触れるものが残ると、話の質量が一気に増す。

三つ目は、note に投稿されていた、小学校の教員の話。特別支援学級の担任をしていて、車椅子の児童が在籍していた年に、その子と一緒に毎日エレベーターに乗っていた。三年生から六年生まで、四年間。卒業式の日にも一緒に乗った。児童が中学に進んで、翌年度、そのエレベーターは通常運用に戻った。つまり、ほとんど使われなくなった。その年の秋、放課後に職員室で仕事をしていたら、廊下のエレベーターが動く音がした。

誰かが残っているのかと思って見に行くと、扉が開いていて、中は空。ただ、鏡の下のあたりに、車椅子のフットレストがぶつかってできる特有の傷が、新しくついていた。前は無かった、と断言できるのは、四年間毎日その位置を見ていたからだ、と書き手は書いていた。彼女はこれを怖い話としてではなく、「あの子が元気にしているといいなと思った日のこと」として書いていて、コメント欄にも同じ空気の反応が並んでいた。

学校の怪談というジャンルの、いちばん柔らかい部分がここにあると思う。

四つ目も短く足しておく。おーぷん系の掲示板の学校怪談スレに書き込まれていた、卒業生の書き込み。文化祭の準備で夜まで残っていたときに、エレベーターの扉の隙間から光が漏れていた。箱が来ていないのに、昇降路の中が明るかった、という話。覗こうとしたら顧問に怒鳴られて、それきり。

書き込みには「あれ、たぶん保守用の照明が点いてただけだと思う」という自己ツッコミがついていて、下のレスで「昇降路の照明ってそもそも中からしか点けられないぞ」と返されていた。この短いやりとりが妙に不気味で、印象に残った。

掲示板とSNSの反応、そして反証の側

この手の話が投稿されると、必ず技術寄りの人が湧いてくる。それがまた面白いんだ。

よく出てくる反証はいくつかある。まず、エレベーターは扉が閉まって施錠されないと動かないインターロックがあるから、階と階のあいだで扉が開くことは原理的にない、という指摘。これは正しい。ただし、これは正常時の話で、地震時管制運転や停電時自動着床装置が働くと、箱は最寄りの階まで低速で移動して、そこで扉を開けて待機する。

つまり「誰も呼んでいないのに動いて、開いて、止まる」という現象そのものは、ごく普通に起きうる。むしろ、そういう挙動をするように作ってあるんだよな。

次によく出るのが、油圧式エレベーターのドリフトの話。油圧式は油の温度で微妙に高さが変わるので、長時間止まっていると数センチ沈むことがある。そこから再着床動作、いわゆるレベリングで、静かにモーターが回って高さを直す。これが夜中の無人の校舎で起きると、誰も乗っていないのに動く音がする。

四階と屋上のあいだで止まっているように見える表示の異常も、旧型の階床表示器の接点不良や、七セグメントLEDの一部欠けで説明がつく場合がある。この手の説明は、否定しているようでいて、話をむしろ豊かにしていると思う。「機械の側にもちゃんと理由がある。それでも怖い」という形になるから。

肯定側というか、体験を語る側の反応で多いのは、「合理的説明があるのは分かってる、でもあの一瞬の感覚は説明できない」という言い方だ。これは怪談の受容としてはかなり成熟している。SNSでこの手の話が伸びるとき、伸び方は二種類あって、ひとつは「うちの学校にもあった」という共鳴型のリプライが連なるパターン。もうひとつは「これ異世界エレベーターの派生でしょ」という系譜の指摘が上位に来るパターン。

前者だと話は無限に増殖して、後者だと話は整理されて縮む。同じ投稿でも、最初についたリプライがどっちだったかで、その後の伸び方がまるで変わる。ネット怪談の生態としてけっこう面白い現象だ。

考察界隈で繰り返し出る論点をもうひとつ挙げると、「なぜ四階と屋上のあいだなのか」という問いがある。三階と四階のあいだじゃ駄目なのか。ここには複数の説明が提示されていて、ひとつは単純に、四階建ての校舎が圧倒的に多いから最上階が四階になる、という現実的な理由。もうひとつは、四という数字の忌避。三つ目が、屋上という場所の特殊性だ。この三つが重なる点が、ちょうど四階と屋上のあいだになる。

よくできた話というのは、だいたい複数の理由が同じ座標を指している。

実在の背景――学校にエレベーターがつくまでの、けっこう長い話

ここは現実の制度の話。怪談から離れるようで、実は全然離れていない。

日本の学校施設にエレベーターが本格的に入り始めたのは、そんなに昔のことじゃない。バリアフリー法、正式には高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律が、二〇二〇年に改正された。この改正で、公立の小中学校が「特別特定建築物」に位置づけられ、一定規模以上の新築や増改築の際にバリアフリー基準への適合が義務づけられた。

それまで学校は、不特定多数が使う施設ではないという整理で、義務の外に置かれていたんだ。

同じ時期に、既存の学校施設をバリアフリー化する工事への国庫補助率が、三分の一から二分の一へ引き上げられた。文部科学省は学校バリアフリープラットフォームという情報提供の枠組みを作って、各自治体の整備状況や事例を共有する仕組みも整えた。それでも数字は、さっき書いたとおりだ。エレベーターの設置率は三割程度。段差解消は八割超、多目的トイレは七割超なのに、エレベーターだけが伸びない。

理由は単純で、後付けが猛烈に難しいからだ。既存の校舎にエレベーターを入れるには、昇降路という縦の穴を確保しなければならない。校舎の中に穴を開けるなら構造計算をやり直す必要があるし、外に増築する形でつけるなら建築確認申請が要るし、耐震補強との兼ね合いも出てくる。屋上に機械室を置くタイプなら、その荷重を屋根が支えられるかを確かめないといけない。工期は長く、費用は大きい。

しかも、その学校に車椅子の児童生徒が現在いるかどうかで優先順位が決まりがちで、いなければ後回しになる。地方議会の一般質問で「車椅子の子どもが階段の移動に四十分かかっている」という指摘が出るのは、この構造のせいだ。

そして運用の話。せっかくついたエレベーターも、生徒が自由に使えるようにはならないことがほとんどだ。事故防止、いたずら防止、閉じ込め対応の人員確保、そういう管理上の理由で、鍵つきの操作盤にしたり、教職員が同乗する運用にしたり、そもそも普段は電源を落としておいたりする。だから、多くの学校でエレベーターは「あるけど使わない設備」として存在する。

ここまで書けば分かると思うが、この怪談の背景にあるのは、超自然でも何でもなくて、日本の学校建築のかなり具体的な事情なんだ。使われない設備が校舎の端に立っていて、たまに保守や訓練で動く。その音を、生徒が夜に聞く。誰も乗っていない箱が動く、というのは物理的な事実として起きている。あとは、その事実に子どもがどんな物語を与えるか、という話でしかない。だからこそ、この怪談は妙に手触りがある。

四階と屋上のあいだには、実際に何があるのか

建築の側からも見ておく。エレベーターの通り道は昇降路と呼ばれる縦の空間で、最上階の停止位置の上には、必ず余分な高さが取ってある。オーバーヘッドという。箱が最上階に着いたあと、それ以上進みすぎたときの逃げしろだ。逆に最下階の下にはピットという穴があって、こっちにも緩衝器が置いてある。つまり、エレベーターというのは、最上階と最下階の外側に、人が絶対に行かない余白を持っている乗り物なんだ。

屋上に出る階段は、塔屋という小さな建物になって屋根の上に飛び出している。エレベーターの機械室も、多くの場合この塔屋のあたりに置かれる。ロープ式なら巻上機とそらせ車、制御盤がそこにある。だから物理的にも、四階の天井と屋上の床のあいだには、機械の詰まった層が一枚挟まっている。生徒が絶対に立ち入らない層だ。

この、「建物の中に、人が行かない一層がある」という事実を、子どもは案外正確に感じ取っている。天井を見上げたときの、あの妙に高い位置。上の階から聞こえてくるはずのない音。学校で四階の教室にいると、上から足音がすることがある。それは屋上を業者が歩いているのか、機械室の中で何かが動いているのか、あるいは配管の中を水が流れているだけなのか、誰にも分からない。

怪談が四階と屋上のあいだを名指しするのは、そこが実際に、誰にも説明できない層だからだ。

もうひとつ付け加えると、屋上には受水槽や高置水槽が置かれていることが多い。学校の屋上にある、あの銀色や白の大きな箱だ。エレベーターの機械室と水のタンクが、同じ層に同居している。再話の中で箱の天井から水が垂れてくる、という描写が出てくるのは、この配置を無意識に踏まえているんじゃないかと思う。作った本人が意識していなくても、校舎の構造が語りに滲み出てくる。そういうことは、怪談ではよく起きる。

「四」という数字のこと

四が忌まれるのは、死と音が同じだから。これは中国語圏や韓国も共有する感覚で、ホテルの客室番号から四号室を抜く、病院で四のつく病室を避ける、マンションで四階の人気が低い、といった形で現実に反映されている。エレベーターの階床ボタンから四を抜いた建物も、数は多くないが存在する。海外だと十三階を抜くのと同じ発想だ。

ただし、日本の学校で四階が特別扱いされるのは、忌み数の問題だけじゃない。四階建てというのが、日本の校舎のいちばん標準的な高さだからだ。避難のしやすさ、構造の経済性、日照と敷地の関係、そういう実務的な理由で、公立の校舎はだいたい三階か四階に落ち着く。だから多くの子どもにとって、四階は「校舎のいちばん上」を意味する。上に行けば行くほど人が減り、静かになり、教室の使用頻度が下がる。

四階の端の教室は物置になっていたりする。

この「四階=いちばん上=人がいない」という経験に、四=死という音の連想が乗っかる。さらにその上には、鍵のかかった屋上がある。屋上は、学校の中で唯一「空に接している」場所で、しかも入れない。行けない場所の、その下。怪談がこの座標を選ぶのは、ほとんど必然なんだよな。

なぜ怖いのか

エレベーターの本質は、自分では制御できない密室だ、というところにある。乗った瞬間、扉は閉まり、行き先はボタンで指定するが、実際にどう動くかは機械が決める。歩いて階段を降りるのとは、そこが決定的に違う。階段なら途中で引き返せる。エレベーターは引き返せない。箱の中では、人間は完全に受け身になる。

しかも学校のエレベーターの場合、そこに「乗ってはいけない」という禁止が乗る。禁止は、恐怖の増幅装置として非常によく働く。押してはいけないボタンを押す、という行為は、子どもにとってはささやかな越境で、そこに罰が返ってくるという物語構造は、要するに昔話の禁忌譚とまったく同じだ。見るなと言われた部屋を見る。開けるなと言われた箱を開ける。

学校のエレベーターは、現代の校舎の中に置かれた、開けるなと言われた箱そのものなんだ。

そして、四階と屋上のあいだで止まる、という設定が刺さるのは、あれが「どこでもない場所」だからだと思う。一階でも四階でも、そこには床があり、教室があり、名前がある。あいだには何もない。名前のない場所に、名前のない何かが乗っている。この、二重の匿名性が、この怪談の核心にある。顔の見える幽霊は、実は怖さの上限が低い。顔がないほうが怖い。

最後に、音の問題。この怪談では、視覚的な情報がほとんど出てこない。出てくるのは、ゴウンというワイヤーの音、ゴトンという何かを置く音、ポタポタという水の音。全部、扉の向こう側から聞こえる音だ。人間は、見えないものより聞こえるものに恐怖を感じる生き物で、しかも音は方向と距離を伴うから、想像の中で対象がどんどん近づいてくる。よくできた怪談は、たいてい音の設計がうまい。この話も、そこがしっかりしている。

なぜ広まったのか

広まった理由は三つある、と考えている。

ひとつは、再現性がゼロなこと。これは逆説的に聞こえるかもしれないが、大事なんだ。花子さんはトイレに行けば試せる。異世界エレベーターは十階建てのビルがあれば試せる。学校のエレベーターは、試せない。乗ってはいけないから。試せない話は、否定されない。誰も検証できないから、噂は永遠に生き残る。乗ったやつがいない、というのが最強の護符になっている。

二つめは、現実の側が話を補強し続けていること。学校のエレベーターは実際に、誰も乗っていないのに動く。保守点検で動くし、管制運転の試験で動くし、油圧式なら勝手にレベリングもする。生徒が夜に音を聞く機会は、この十数年で確実に増えている。バリアフリー化が進めば進むほど、この怪談の舞台装置は全国に増えていく。制度が怪談を養っているという、なかなか珍しい構図だ。

三つめは、この話が誰も傷つけないこと。学校怪談の中には、実在の事故や事件を連想させて後味が悪くなるものがある。エレベーターの話は、そこがきれいだ。犯人がいない。被害者もはっきりしない。ただ、動かないはずの箱が動いた、という現象だけがある。だから安心して語れるし、安心して伝えられる。語りやすい話が生き残るというのは、口承文芸のいちばん基本的な法則で、この話はその条件を全部満たしている。

そういうわけで、今日もどこかの校舎の端で、ガムテープの貼られたボタンの奥で、ワイヤーが少しだけ鳴っている。誰も乗っていない。乗っていないはずだ。

この話の主題は、箱の中身ではなく「乗るな」のほうだ

ここまで書いてきて、この怪談のいちばん本質的な部分は、実は「乗ってはいけない」という禁止のほうにあるんじゃないかと思うようになった。箱の中の怪異ではなく、箱の外に立たされ続ける四年間、六年間のほうが、この話の主題なんじゃないか、ということだ。

考えてみてほしい。学校のエレベーターというのは、その学校のなかで最も個別的な設備なんだ。校舎のほかの部分は、全員が同じように使うことを前提に作られている。同じ幅の階段、同じ高さの手洗い場、同じ規格の机。学校建築というのは、徹底して均質さの上に立っている。そこにたった一つ、「特定の誰かのため」の装置が組み込まれている。その誰かがいないとき、装置は使われないまま残る。

使わない設備を毎日見て育つ、という経験が、この怪談の下敷きになっている。

乗ってはいけない、と言われている生徒たちは、じゃあ誰なら乗っていいのかを、当然知っている。先生と、階段を使えない誰かだ。ここに、学校という空間に固有のねじれがある。健康であることが、その設備から排除される理由になる。ふつう、排除は不利益として経験されるが、この場合の排除は正当で、しかも子ども自身がその正当さを理解している。理解しているけれど、あの箱の中がどうなっているかは知りたい。

この、正しさと好奇心のあいだの居心地の悪さこそが、怪談の温床なんだと思う。四階と屋上のあいだで止まる何か、というのは、その居心地の悪さに与えられた形なんじゃないか。

体験談を集めていて印象的だったのは、三つ目に紹介した教員の話のように、怖さではなく寂しさで語られるバージョンがはっきり一定数あることだった。あれは怪談としては失格に見えるかもしれないが、おれはむしろ、あの型がこの話の原型に近いんじゃないかと思っている。使われなくなった箱が動く。誰かの不在を、機械が繰り返している。恐怖の話に翻訳する前の素材は、たぶんこの形をしていた。

そこから、子どもの語りのなかで、水が垂れたり、点検口が開いたり、天井裏に何かがいたりする細部が足されていった。怪談の成長というのは、だいたいこういう順序をたどる。

これは減るどころか、たぶん増える怪談だ

もうひとつ、取材していて考えたのは、この怪談が「制度の進行に合わせて増殖している」という点の異様さだ。ふつう、学校怪談は古い設備に貼りつく。旧校舎、木造の渡り廊下、二宮金次郎像、焼却炉、古い理科準備室。要するに、時代遅れになりつつあるものが怪談化する。ところがエレベーターは逆で、新しく増えている設備だ。バリアフリー化の政策が進めば進むほど、舞台は増える。

しかもその設備は、増えたそばから「生徒は使えない」という運用に置かれる。つまりこの怪談は、これから減るどころか、たぶん増える。二〇三〇年代に入って設置率が四割を超えた頃には、いま以上に多くの子どもが、あの銀色の扉を毎日見て過ごすことになる。学校怪談のレパートリーの中では、かなり珍しい「成長株」なんだよな。

技術的な側から一度整理し直しておくと、この話に登場する現象は、ほぼ全部が正常な機械の挙動で説明できてしまう。誰も呼んでいないのに動くのは、管制運転の復帰動作か、遠隔監視システムからの試験運転か、油圧式のレベリングか、時間帯設定による自動帰着。扉が閉まらないのは、光電センサーかセーフティシューの検知。階数表示が不安定なのは、表示器の接点や素子の不良。

天井から水が落ちるのは、屋上の水槽や配管の結露と漏水。実はこの最後のやつが一番ありそうで、屋上に高置水槽を置いている校舎では、水槽まわりの配管から漏れた水が塔屋の床を伝って、昇降路に入り込むことは十分にありうる。だから再話に出てくる「箱の中の水たまり」は、怪異というより、むしろ相当リアルな学校あるあるだったりする。この、リアルすぎる細部が混ざっているせいで、話全体の説得力が跳ね上がっている。

作り話にありがちな「盛りすぎ」の匂いがしないんだ。

そのうえで、じゃあ全部説明がつくから怖くないのかというと、そうはならない。ここが怪談という表現の面白いところで、説明のついた現象と、その現象を経験したときの身体の反応は、別々に存在する。夜の校舎で、誰もいないはずのエレベーターが動く音を聞いたとき、心拍数は上がる。説明を知っていても上がる。理屈は恐怖を消さない。

むしろ、理屈を知っている人ほど、「これは説明がつく、これも説明がつく、じゃああの一瞬だけ説明がつかなかったのは何だ」という形で、恐怖を一点に集中させてしまう。さっき紹介した高校生の体験談が、まさにそういう構造をしていた。センサーの誤作動だと思っている、と書きながら、卒業まであの廊下を歩けなかった、と続ける。あれが人間の正直な反応だと思う。

最後に、この話をどう扱うべきかについて。学校のエレベーターは、遊びで乗っていい設備じゃない。閉じ込められたら、それは実際の事故になる。深夜の校舎に忍び込むのは単なる不法侵入だ。この怪談を面白がるのはいいが、確かめに行く必要はまったくない。むしろこの話の一番いいところは、確かめられないところにある。乗らないまま卒業して、何年か経ってから、あの銀色の扉のことをふと思い出す。あのとき音がしたな、と思う。

そのときに初めて、この怪談は完成する。中身を知ってしまったら、それはもうただのエレベーターだ。知らないままにしておくことで守られる物語というのが、確かにあるんだよな。

四階と屋上のあいだには、機械室と、水のタンクと、誰も行かない余白がある。そこで箱が止まる。止まったまま、たぶんこれからもずっと、誰にも開けられないでいる。

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