- 四月の教室で、まだ誰も使っていないはずの端末が「おかえり」と言った
- 二〇一九年十二月、国が「一人一台」を国家意思にした日
- コロナで五年分が一年に圧縮された、あの異常な調達
- クロームブック、ウィンドウズ機、アイパッド――同じ制度なのに中身が違う三つの島
- 卒業したら端末は返す。ここから怪談が始まる
- 「初期化しました」が何を指すのか、実は誰も同じ意味で言っていない
- クラウドの側には、端末を消しても消えないものが残る
- 実際に起きた事故のほうが、たいてい噂より嫌な感じがする
- パスワードが全員同じだった学校で、何が起きて、何が分からなくなったのか
- 噂の型その一 共有フォルダに、誰も入れた覚えのないファイルがある
- 噂の型その二 前の持ち主のブックマークだけが、なぜか残っている
- 噂の型その三 誰も使っていないはずのアカウントが、同時編集に入ってくる
- 噂の型その四 回答一覧に、クラスの人数より多い回答が並んでいる
- 噂の型その五 自動保存の履歴に、自分が打っていない文字列がある
- 噂の型その六 写真フォルダに、撮った覚えのない写真が入っている
- 体験談その一 年度更新の夜、返却された端末が一台だけ余った
- 体験談その二 三年前の名前が、共有ノートの右上に出ていた
- 体験談その三 台帳とシリアル番号が、一台だけずっと合わない
- 掲示板と交流サイトは、この噂をどう転がしたか
- 合理的な説明を、ひとつずつ潰していく
- 九百五十万台が同時に「前の持ち主」を持つ、という異常事態
- 花子さんは場所に憑いた。この怪異は持ち物とアカウントに憑いている
- 鏡、写真、電話――「うつす装置」の怪談史に、この端末を並べてみる
- それでも、この話が消えない理由
四月の教室で、まだ誰も使っていないはずの端末が「おかえり」と言った
その話を最初に聞いたのは、たしか五月の連休明けだった。
新一年生に配られたばかりの端末を開いたら、ログイン画面の下のところに、知らない名前が薄く残っていた、という。担任が確認したときにはもう消えていた。生徒は「たしかに見た」と言い張り、担任は「見間違いだろう」と言い、それで終わった。終わったはずだったのだ。
一週間後、同じクラスの別の生徒が、写真フォルダに知らない写真が一枚あると言い出す。撮った覚えのない、教室の窓際を斜めから撮った写真、日付は三年前になっていた。
こういう話が、いま全国の小中学校でぽつぽつ生えている。しかも、どの学校でも似た形をしている。トイレの花子さんみたいに全国一律の名前がついているわけじゃない。名前がないまま、型だけが同じなんだよな。それが逆に気味悪い。
この記事で扱うのは、その一群の噂だ。GIGAスクール構想で配られた一人一台端末をめぐる、令和の学校怪談。「その端末、本当に初期化されていますか」「前の持ち主が残したもの」という、ごく短い問いかけから始まる話。
先に立場をはっきりさせておく。俺はこの怪談をわりと本気で面白がっている。というのも、この噂の芯にある事実関係が、調べれば調べるほど「怪談として妥当」だからだ。学校の端末は本当に使い回される。初期化は本当に自治体ごとにバラバラで、本当に不完全なことがある。
クラウドの側には本当に痕跡が残る。全部、制度としてそうなっている。
つまりこの怪談は、嘘の上に立っていない。制度の上に立っている。だから消えない。
二〇一九年十二月、国が「一人一台」を国家意思にした日
まず土台を押さえておきたい。この端末はどこから来たのか。
流れ自体は二〇一〇年代からずっとあった。内閣の下に置かれた各種の会議体は、二〇一〇年代のうちから「一人一台」を掲げていた。だが文部科学省の方針はもっと控えめで、二〇一八年の時点でも目標は「三クラスに一クラス分」だったのだ。つまり国の中でも言っていることが揃っていなかった。
風向きが変わったのは二〇一九年だ。同年六月に閣議決定された経済財政運営の基本方針に、学校の情報通信技術環境整備の自治体間格差を国として是正する、という文言が初めて入った。それまで端末整備は設置者である自治体の責任、という枠組みだったのが、ここで揺らぐ。研究者はこの一文を「国の責任が初めて明記された」と評価している。
そして十一月十三日、経済財政諮問会議で当時の総理が「一人当たり一台となることが当然だということを、国家意思として明確に示すことが重要」と発言した。国家意思、ずいぶん大きな言葉が出てきたものだ。
十二月五日、「安心と成長の未来を拓く総合経済対策」が閣議決定される。義務教育段階で令和五年度までに全学年の児童生徒がそれぞれ端末を持つ環境を実現する、と明記された。十二月十三日、令和元年度補正予算案が臨時閣議で決定。ここに二千三百十八億円が計上された。内訳は公立で二千百七十三億円、私立で百十九億円、国立で二十六億円。
十二月十九日、文部科学大臣を本部長とする推進本部が設置され、同じ日に大臣メッセージが出た。あの有名な一文が入っているやつだ。一人一台端末環境は、もはや令和の時代における学校のスタンダードであり、特別なことではありません。端末は鉛筆やノートと並ぶマストアイテムである、とも言っている。
この段階では、まだ令和五年度までの五か年計画だった。急いではいたが、まだ人間的な速度だった。
コロナで五年分が一年に圧縮された、あの異常な調達
二〇二〇年二月二十七日、全国一斉臨時休業の要請が出る。
ここから先の展開を、当時教育委員会にいた人たちは今でも語りたがらない。遠隔教育をやるには端末がいる。端末がないと学びが止まる。令和五年度までのスケジュールは、一気に令和二年度中へと圧縮された。
四月七日、緊急経済対策が閣議決定され、同日の令和二年度補正予算案に総額約二千二百九十二億円が積まれた。うち「一人一台端末の早期実現」に千九百五十一億円。令和元年度の補正で小学五、六年と中学一年分は措置済みだった。だから、残りの中二、中三、小一から小四までを全部やる、という中身だ。
ほかに、家庭にワイファイ環境がない世帯へのモバイルルーター整備に百四十七億円、障害のある児童生徒のための入出力支援装置に十一億円。
結果はどうなったか。二〇二一年度の三月期時点で、全自治体等のうち千七百四十二自治体、率にして九十六パーセントあまりが整備済みとなった。小中学生の一人一台は、事実上、一年で片がついた。
冷静に考えると、これはかなりの荒業だ。全国の千七百を超える自治体が、それぞれの判断で、それぞれの業者と、それぞれの仕様で、数百万台の端末を同時に買った。しかも締め切りは同じ。当然、質の差が出る。
ここが後々効いてくるので覚えておいてほしい。この国の一人一台端末は、統一規格の製品ではない。自治体の数だけ違う運用がある寄せ集めなんだよな。怪談が生まれる余白は、だいたいこういう継ぎ目にある。
クロームブック、ウィンドウズ機、アイパッド――同じ制度なのに中身が違う三つの島
配られた端末は大きく三種類だ。グーグルのクロームブック、ウィンドウズ機、アップルのアイパッド。第一期ではこの三つがほぼ均衡していて、クロームブックがやや多い、くらいの状態だった。
この三つは、外から見ると「学校のタブレット」でひとくくりだが、中身の思想がまるで違う。
クロームブックは、データを端末に置かない前提でできている。ほとんどがクラウド側にある。ユーザーデータは工場出荷時から暗号化されていて、初期化に相当する操作は「パワーウォッシュ」と呼ばれる。これは暗号鍵を捨てる方式なので、原理的にはローカルのユーザーデータは読めなくなる。
アイパッドは端末側にもそこそこデータが残る。写真、ファイルアプリの中身、各アプリのデータ、クラウドのキャッシュ、システムデータ。管理システムに「サービスに戻す」機能があるものなら、遠隔で消して初期キッティング済みの状態まで戻せる。ない場合は、管理コンソールから遠隔ワイプするか、端末側で「すべてのコンテンツと設定を消去」を押す。
ウィンドウズ機はいちばんパソコンらしい。つまりいちばんデータが残る。廃棄や返却のときは、専用ソフトウェアによる上書き消去が求められる区分に入りやすい。
そして第二期、いわゆるネクストギガでこの三つの勢力図が動いた。二〇二五年夏の民間調査によれば、ウィンドウズが大きくシェアを落とし、その分がほぼクロームブックに流れた。アイパッドはほぼ横ばい。原因ははっきりしていて、補助基準額が一台あたり五万五千円だからだ。この金額でウィンドウズ機を新品調達しようとすると、仕様をかなり我慢することになる。
実際、ある県の教育委員会が調達した約一万五千台のウィンドウズタブレットのうち三千五百台以上が故障で使えなくなった。授業に支障が出た、という話も残っている。
同じ制度、同じ補助単価、同じ「一人一台」。なのに、隣の市に行くと端末も運用もアカウントの作り方も違う。この不揃いさが、怪談の温床としてはとても優秀だ。
卒業したら端末は返す。ここから怪談が始まる
さて、本題の芯に入る。
一人一台端末は、児童生徒に「貸与」されている。買い与えられているんじゃない。ある市のガイドラインを見ると、貸与期間は小学校の児童なら小学校に在学する期間、中学校の生徒なら中学校に在学する期間、と明記されている。
別の市では、小学一、二年はアイパッド、小学三年から六年と中学生はクロームブック、と学年で機種を分けた。そのうえで、入学時から二年生終了まで、三年生から卒業まで、というふうに区間を切って同一端末を貸している。
つまり、卒業したら返す。転出しても返す。そして返された端末は、次の子に渡る。
ある市が作った年度末の作業マニュアルには、こう書いてある。来年度、小学六年生の端末は小学一年生が、中学三年生の端末は中学一年生が使用する。そのため、これらの端末はリフレッシュする必要があります。作業期間は二月十日から三月二十四日まで。
作業の内容は、インターネット検索履歴の削除、不要なアイコンの削除、端末上に保存されているデータの移動、学習動画サイトの履歴削除、授業支援アプリのクラスの削除と登録解除。そして端末からのアカウントの削除。
これ、読んでいるだけで少し寒くなる。何が寒いって、作業者の欄に「教員または児童生徒」と書いてあるところだ。六年生が、自分の端末を自分で消して、一年生に渡す。消し忘れたら、それがそのまま残る。
別の市のガイドラインは、もっとはっきりしている。貸与終了時、クロームブックは児童生徒が自分自身で初期化を行った上で回収する。アイパッドは回収して業者が初期化する。ある県のサポートサイトには、卒業生から新入生へ端末を引き継ぐ手順が載っている。まず端末の中に保存されたアカウントとデータを削除する、と書かれている。
ログイン画面でプロフィールを選び、横の下矢印から「このユーザーを削除」を押す。それだけだ。
そのあと、長期保管に備えてバッテリーカットオフモードにする。更新キーと電源キーを同時に押しながら電源ケーブルを抜く。うまくいくと、電源ボタンを押しても入らなくなる。つまり卒業生の端末は、次の子が来るまでの数か月、電気的にも死んだ状態で棚に並ぶ。
この光景、けっこう怪談向きだと思わないか。使っていた人間が全員いなくなった機械が、電源を抜かれて、暗い棚に何百台も並んでいる。四月になると、それに一斉に電気が通る。
「初期化しました」が何を指すのか、実は誰も同じ意味で言っていない
ここが今回いちばん重要なところだ。
「初期化」という言葉は、現場でものすごく雑に使われている。そして、その雑さの幅が、そのまま怪談の余白になっている。
まずクロームブックの場合。ログイン画面でユーザーを削除するのは、あくまで端末上のそのプロフィールを消す操作だ。アカウントそのものは消えない。他のパソコンからそのアカウントでログインすれば、中身は全部ある。パワーウォッシュはもう一段深くて、ローカルのユーザーデータと組織のデータを暗号化消去する。
ただしオペレーティングシステムの起動イメージや、バッテリーの消耗情報のような端末の健全性に関する情報は残る。
管理コンソール側からもできる。管理者は遠隔で「初期状態にリセット」を実行できるし、「ユーザープロファイルをクリア」を選べば、端末の管理情報とワイファイなどのポリシーを残したまま、ユーザーのデータだけを消せる。卒業生から新入生へ渡すときはこれが推奨される。さらに「デプロビジョニング」という操作もあって、これは端末を組織の管理下から完全に外す。破棄するときや修理に出すときに使うやつだ。
そして、ここに面白い設定がある。「自動的に再登録」だ。既定では、ワイプされた端末は自動的にその組織のアカウントに再登録される。ユーザー名もパスワードも入力せずに、だ。転売対策としては優秀な仕組みで、初期化しても端末は管理者の管理下に戻ってくる。
もう一度言う。初期化しても、端末は管理者の管理下に戻ってくる。
この一文を怪談として読むと、なかなかのものだ。消しても戻ってくる。何度消しても、その学校のものとして戻ってくる。噂の中で「初期化しても消えないものがある」と語られるとき、語り手が正確に何を指しているかはたいてい曖昧だが、指し示している方向自体は間違っていない。
アイパッド側にも似た罠がある。ある府の卒業処理マニュアルには、初期化後の再設定の際に「バックアップからデバイスを復元」は行わないでください、と太字で警告が書いてある。理由は、過去の設定も全て復元されてしまい、端末が管理されている状態に戻り、再度初期化の必要が生じるから。
復元すると、管理された状態に戻ってしまう。これも、言い方を変えれば「元に戻ろうとする端末」の話だ。
クラウドの側には、端末を消しても消えないものが残る
端末をどれだけ綺麗にしても、話はそこで終わらない。
一人一台端末というのは、実は一人一アカウントの仕組みでもある。二〇一九年の時点で、この分野を追っていた研究者が「一人一台の整備は、一人一アカウントの整備が同時に進行することが重要だ」と繰り返し書いていた。実際そうなった。児童生徒は入学時にアカウントを配られ、卒業時にそれを失う。
失う、と言ったが、そのプロセスがまた綺麗じゃない。
ある市のガイドラインでは、転出時は転出者情報を報告する。転出後に個々でデータを取り出す期間を一か月程度設けて、その後に教育委員会が削除する、となっている。卒業時は、市内の中学校へ進むなら所属校の変更だけで、アカウントは生きたまま持ち上がる。市外へ進学する場合だけ、一か月のデータ持ち出し期間を経て削除される。
アップル系のアカウント基盤について文部科学省が出した年度更新の説明資料には、もっと直接的に書いてある。卒業や転出した利用者のアカウントは、管理側で削除しない限り保持されます。卒業生等のデータ処理が完了した後、任意のタイミングで削除します。
任意のタイミング、ここだ。
現場は忙しい。三月末は死ぬほど忙しい。四月頭も死ぬほど忙しい。だから「任意のタイミング」は、しばしば「そのうち」になる。そのうちは、しばしば「来年度の担当者が気づいたとき」になる。
同じ資料には、新規アカウントを作るときの注意として、卒業生のアカウントは再利用せず、新規にユニークなアカウントを割り当ててください、とも書いてある。わざわざ書いてあるということは、再利用しようとした人がいた、ということだ。
出席番号や入学年度から機械的にアカウント名を作っている自治体は少なくない。ある市の事例として紹介されているのは、学校コードと入学年度と出席番号を組み合わせる命名規則だ。効率はいい。管理もしやすい。ただし、規則的ということは、六年経てば同じ番号が回ってくる可能性がある、ということでもある。
こうして、端末の側にもアカウントの側にも、前の代の痕跡が残りうる構造ができあがる。怪談は、その構造の隙間にすっと入り込む。
実際に起きた事故のほうが、たいてい噂より嫌な感じがする
ここまでは制度の話だ。ここからは、実際に起きたことの話をする。
まず、更新期の端末処分にまつわる問題。児童生徒のデータプライバシー協会という団体が二〇二五年四月から五月にかけて全国千七百八十七の教育委員会にアンケートを依頼する。百四教委から回答を得た調査がある。その結果が、なかなかのものだった。
最も安全とされる専用ソフトウェアによるデータ消去を採用していたのは十二・五パーセント。一方で、初期化やリセット、磁気消去といった、データが復元される可能性の残る方法を取っていたのは二十三パーセント。四分の一近くだ。
第二回の調査ではソフトウェア消去が二十三・九パーセントまで増えたが、それでも四分の一に届かない。データ消去を外部委託するための予算を確保できている教育委員会は三十四・八パーセントにとどまった。
なぜ予算の話が出るかというと、ちゃんとした消去は金がかかるからだ。一台あたり数時間かかる作業で、極端に安い提案は必要な作業が省略されている恐れがある、と協会は警告している。
そして問題は台数だ。二〇二五年度から二〇二七年度にかけて、およそ九百五十万台が更新時期を迎える。国内の新品パソコンの年間出荷台数に匹敵する規模の機械が、一斉に「前の持ち主のデータを持ったまま」学校の外へ出ていく。
磁気破壊はハードディスク時代の手法で、いまの端末が積んでいるエスエスディーやフラッシュメモリにはほぼ効かない。物理破壊にしても、国際的な基準では記憶チップを二ミリ以下に粉砕することが求められるのに、現場では基板の一部を割っただけで「破壊済み」と判断されてしまうことがある。
ある自治体の売払仕様書には、エスエスディーや内蔵フラッシュメモリを使用している端末は二ミリを目安に粉砕処理すること、とわざわざ書いてある。書かなければならないということは、書かないとそうならない、ということだ。
実例も報告されている。ある自治体では、過去に端末を使用していた児童の写真データが、更新後の他の端末で閲覧できる状態になっていた。
もう一度読んでほしい。過去に端末を使用していた児童の写真データが、更新後の他の端末で閲覧できる状態になっていた。
これは怪談ではない。行政の話だ。だがこの一文を教室で口伝えにしたら、そのまま怪談になる。「前の持ち主の写真が、次の端末に出てくることがあるらしいよ」。伝言ゲームを一往復させただけで、もう完成している。
パスワードが全員同じだった学校で、何が起きて、何が分からなくなったのか
端末をめぐる事故のなかで、いちばん重い話をする。書き方には気をつける。実在の個人を特定する気はないし、誰かを犯人として名指しするつもりも一切ない。ここで見るべきは制度の欠陥だ。
二〇二〇年十一月、東京都町田市の市立小学校に通っていた六年生の女子児童が亡くなった。遺書にはいじめを受けたという訴えが残されていた。この学校は、GIGAスクール構想に先立って二〇一八年度から端末配備を進めていた、いわゆる情報通信技術の推進校だったのである。
問題は、その端末のアカウント管理だ。文部科学省が事実関係を確認した。すると、個人のアイディーは入学年度と出席番号を並べた数列で、在校生なら誰でも他の児童のアイディーを推測できた。ログイン時のパスワードは全員共通で、初期設定の数字の並びの末尾に一桁足しただけのものだったのだ。文部科学省はこれを「個人情報を管理するうえで不適切だった」と評価している。
市の教育委員会は前年五月に、パスワードを推定されにくいものにするよう市内の公立学校に通知していた。だが、この学校で対策が取られたのは児童が亡くなった後の十二月だった。
この構造が何を意味するか。誰でも他人になりすませる、ということだ。他人のアカウントでチャットを見ることができ、書き込むことができ、消すこともできる。
実際、児童を中傷していたとされるメッセージは、学校が確認しようとした時点ですでに削除されていた。システム上、削除されたメッセージの復元自体は可能だった。だが、パスワードが共有されていたために、そもそも誰が書き、誰が消したのかが分からない。市の教育委員会はそう説明している。
俺がこの話でいちばん背筋が寒くなるのは、そこなんだよな。悪意の所在が分からないんじゃない。行為の主体が技術的に確定できないんだ。ログはある。書き込みはある。
削除もある。だが、そこに「誰」がいない。
主体のない行為が記録として残る。これ、構造としては完全に怪異だ。誰も打っていない文字列が残る、という怪談の型は、この事案がなくても生まれただろう。だが、この事案があることで、その型は「ありえない話」ではなくなった。
読売新聞が二〇二二年に主要百九自治体を調べた結果では、学習用端末を使ったいじめが少なくとも二十五自治体で四十七件確認された。他人のアイディーやパスワードを勝手に使う不正アクセスは二十三自治体で三十六件に上ったのだ。関西の中学校では、生徒が文書共有ソフトを担任に見られない設定にして別の生徒の悪口を書き込んでいた。
東京都内の小学校では、児童が友人のアイディーとパスワードを盗み見てなりすまし、授業用のワークシートに落書きをした事例があった。
なりすましたアカウントが、共有された課題に何かを書き残す。これも、少し角度を変えれば、そのまま怪談の骨格だ。
噂の型その一 共有フォルダに、誰も入れた覚えのないファイルがある
ここからは、実際に生徒たちのあいだで語られている噂を、型ごとにひとつずつ見ていく。どれも大した話じゃない。大した話じゃないところが、この怪談群の特徴だ。
いちばん多いのがこれだ。クラスの共有フォルダ、あるいは共有ドライブの中に、誰も入れた覚えのないファイルがある。
型としてはこうなる。ファイル名は無題のままか、意味の取れない英数字の羅列。開くと真っ白か、数行だけ何か書いてある。更新日時は、たいてい深夜。所有者の欄が空欄になっているか、見たことのない名前になっている。
次の日に見にいくと、なくなっている。
語られ方にはいくつかバリエーションがある。ひとつは「開いてはいけない」型。開いた子のところに翌日別のファイルが増える、というオチがつく。もうひとつは「名前を見てしまうと呼ばれる」型で、所有者欄の名前を声に出して読んだ子が、その夜に何かに呼ばれる。学校怪談の古典が持っていた「名前を答えるな」の作法が、そのままクラウドの権限管理の画面に移植されている。
俺が面白いと思うのは、この噂に「場所」が一切出てこないことだ。何階のどのトイレ、みたいな限定が存在しない。代わりに限定されているのは、フォルダの名前と、更新日時と、権限だ。怪異の出現条件が、建築から情報構造に移っている。
噂の型その二 前の持ち主のブックマークだけが、なぜか残っている
二つ目、ブラウザのブックマークバーに、自分が登録した覚えのないものが並んでいる。
これはかなり具体的に語られることが多い。地方の小さな図書館のページ。ある年の卒業式の日付が入ったカレンダー、中学の部活の連絡ページだ。全部、自分と関係のないもの。
しかも、いま在籍している学校の三年前の何かに関係している。
削除しても、次の日に戻っている、という続きがつくことが多い。ここが怪談の勘所で、単に「残っている」だけなら不気味さは弱い。「消しても戻る」に一段上がると、機械の側に意志があることになる。
型のなかには、ブックマークの一つがクリックできない、というものもある。押しても何も起きない。押し続けると、画面が一瞬だけ真っ暗になる。この「一瞬だけ暗転する」という描写は、旧来の怪談で言えば鏡や窓ガラスに一瞬だけ何かが映る、というモチーフの直系だ。うつす面が液晶になっただけで、やっていることは変わらない。
噂の型その三 誰も使っていないはずのアカウントが、同時編集に入ってくる
三つ目、これがいちばん怖い、という子が多い。
授業中、班でひとつの資料を共同編集している。画面の右上には、いま同じ資料を開いている人のアイコンが並ぶ。班は四人、なのにアイコンが五つある。五つ目は灰色で、名前が出ない。
あるいは、名前は出るが誰も知らない名前が出る。
先生に言うと、先生の画面には四つしか出ていない。もう一度自分の画面を見ると、四つに戻っている。
同時編集というのは、いまの学校では本当に日常的な機能だ。ある授業支援アプリの共有ノートは、複数の生徒が一つの画面を同時に編集できる。誰がどのカードを編集しているのかが画面上に表示される仕組みで、いたずら防止のための編集履歴と復元機能まで備えている。別の会社のクラウド文書サービスでも、同じことができる。
つまり「いま誰がここにいるか」が可視化されている。可視化されているからこそ、そこに一つ多く出たときの衝撃が大きい。
これは学校怪談の古典的な型のど真ん中でもある。人数が一人多い。避難訓練の点呼が合わない。集合写真に一人多い。この国の学校怪談は、昔から数を数えることに執着してきた。
同時編集のアイコン列は、その執着が住み着くのにぴったりの場所だった。
噂の型その四 回答一覧に、クラスの人数より多い回答が並んでいる
四つ目は、三つ目の変奏だ。
授業支援アプリには、児童生徒一人ひとりの回答を一覧で表示して、クラス全体で共有する機能がある。匿名表示に切り替えることもできる。先生が「じゃあみんなの答えを出すよ」と言って画面に映すと、カードがずらっと並ぶ。
その枚数が、出席者の数より一枚多い。
匿名表示にしていると、どれが余分なのか分からない。名前表示に切り替えると、余分な一枚が消えている。あるいは、切り替えた瞬間に一枚だけ名前の欄が空白になっている。
この型のいいところは、教室の全員が同時に見ている、という点だ。従来の学校怪談は、たいてい一人か二人が見たものを後から共有する形だった。トイレの奥から声がした、と誰かが言う。それを他の子が信じるかどうかで話が続く。だがプロジェクターに映された回答一覧は、その場の全員が同じものを見ている。
目撃者が三十人いる怪談は、それだけで格が違う。
余分な一枚に何が書かれていたか、という部分にはバリエーションがある。空白、というのがいちばん多い。次に多いのが、その日の授業とまったく関係のない一文。「まだいるよ」とか「まだ返してない」とか。返す、という語彙が出てくるのが、いかにも貸与制の端末らしくていい。
噂の型その五 自動保存の履歴に、自分が打っていない文字列がある
五つ目、これは高学年や中学生のあいだで語られることが多い。
クラウド上の文書には、変更履歴が残る。いつ、誰が、どこを直したかが見られる。この履歴を遡っていくと、自分が編集していないはずの時刻に、自分の名前で編集が入っている。
内容はたいてい大したものじゃない。句読点が一つ増えている。改行が一つ入っている。半角と全角が入れ替わっている。それだけ。
だが、時刻は深夜二時とか三時になっている。
「大したものじゃない」のが効いている。もし履歴の中に長い呪詛の文章が出てきたら、それは誰かのいたずらだと分かる。句読点が一つ増えているだけだから、いたずらとしては割に合わない。誰も得をしない改変というのは、それだけで説明がつきにくい。
この型には、続きがある。履歴を遡りすぎると、自分がその文書を作る前の日付の版が出てくる、というやつだ。テンプレートを複製して作った文書なら、それは普通に起こりうる。だが起こりうるからこそ、噂として広まる。誰かが一度でも本当に見ているからだ。
噂の型その六 写真フォルダに、撮った覚えのない写真が入っている
六つ目、冒頭で書いたやつだ。
端末にはカメラがついている。授業でもよく使う。理科の観察記録、体育のフォーム確認、校外学習の記録。だから写真フォルダには大量の画像がたまる。
そのなかに、撮った覚えのない一枚が混じっている。
構図に共通点があるのが、この型の面白いところだ。多いのは、教室を斜め下から撮ったもの。机の脚と床が写っていて、遠くに窓が見える。誰かが端末を膝に置いたまま、うっかりシャッターを押したときの構図に近い。次に多いのが、真っ暗で何も写っていない一枚。
それから、廊下を撮ったもの。
日付が自分の入学前になっている、という細部が加わると、噂としての完成度が一段上がる。
この型は、前に挙げた「過去に端末を使用していた児童の写真データが更新後の他の端末で閲覧できる状態になっていた」という実例と、ほぼ地続きだ。噂のほうが先に生まれたのか、事故のほうが先だったのかは分からない。だがどちらが先でも構わない。噂と事実が互いを補強しあう構造ができてしまえば、あとは勝手に育つ。
体験談その一 年度更新の夜、返却された端末が一台だけ余った
ここからは、聞き集めた体験談を三つ並べる。教員側、生徒側、そして情報通信技術支援員側。同じ現象を、立場の違う三人が別々の角度から語ると、この怪談の輪郭がはっきりする。
一つ目は、関東の公立小学校で情報担当をしていた三十代の男性教員の話。
三月の下旬、卒業式が終わって数日後の夜だった。彼は職員室に残って、六年生から回収した端末の台帳をつけていた。返却された端末は全部で百二台、うち百一台は六年生の人数と一致する。予備機が一台混ざっている、と最初は思った。
台帳を見ると、予備機はすでに別の棚に全部そろっていた。数が合わない。
余った一台のシリアル番号を照合すると、台帳には載っていた。載ってはいたが、貸与先の欄が空欄だった。誰にも貸されていないことになっている端末が、六年生の教室から回収されてきたのだ。
彼は電源を入れた。バッテリーカットオフモードになっていなかったので、そのまま起動した。ログイン画面に、削除されていないプロフィールが一つ残っていたのだ。名前は、彼が三年前に担任していた学年にいた子のものだった。その子は五年生の途中で転校していた。
「転校のときに返却してもらったはずなんです。書類も残ってる。回収済みで、初期化済みで、廃棄予定の箱に入れたはずのやつ。それがなぜ今年の六年生の教室から出てくるのか、いまだに分かってません」
彼はプロフィールを削除して、パワーウォッシュをかけた。翌朝もう一度起動したら、管理コンソールに自動で再登録されていて、その学校の端末として綺麗に立ち上がった。
「あれが一番、なんというか、いやでしたね。消したのに、こっち側に戻ってくる。仕様なんですよ。仕様なんですけど」
彼は今もその端末を使っていない。予備機の棚のいちばん端に置いてある。誰にも貸していない。
体験談その二 三年前の名前が、共有ノートの右上に出ていた
二つ目は、西日本の公立中学校に通っていた生徒の話。話を聞いたのは、その子が高校に上がったあとだ。
中学二年の秋、社会科の授業で班ごとに調べ学習をしていた。四人班で、共有ノートを一つ開いて、それぞれ担当のところを書き込んでいく。よくある授業だ。
「画面の上のほうに、いま開いてる人のアイコンが出るんです。うちの班は四人だから四つ。でもその日は五つあって」
五つ目のアイコンには名前が表示されていた。彼女はその名前を、なんとなく知っていた。三年生の先輩でも、同学年でもない。部活の記録ノートの、いちばん古いページに書いてあった名前だった。三年前にその部活にいた人。
「先生に言ったんですけど、先生の画面には四人しか出てなくて。私がもう一回見たときも、四人でした。班の子で、見えたのは私ともう一人だけ」
その日の帰り、彼女は部活の記録ノートを開いて確認した。名前は合っていた。
「怖いっていうより、なんか、申し訳ない感じでしたのだ。まだ入ってきてるんだ、って。卒業してるのに、まだ入ってきてるんだ、って」
彼女は誰にも言わずに、その班のノートを最後まで書き終えた。学年末に共有ノートは削除された。削除するときに、権限のあるメンバー一覧を見たのだ。四人だった。
体験談その三 台帳とシリアル番号が、一台だけずっと合わない
三つ目は、複数の自治体で情報通信技術支援員をしている四十代の女性の話。この仕事は、いま全国で約二千五百人が就いていると言われている。文部科学省が掲げる四校に一人という目標にはまだ届いていない。つまり、一人でかなりの数の学校を回っている。
「端末管理台帳の作成と更新、台数確認。これ、仕様書にちゃんと業務として書かれてるんです。書かれてるってことは、放っておくと合わなくなるってことなんですよ」
彼女が担当していたある市では、六万五千台規模の端末を扱っていた。年度更新の時期になると、卒業生の分の回収、新入生への配布、転入転出のアカウント処理、教職員の異動に伴う引き継ぎ、予備機の在庫確認と故障機の入れ替えが、二月から四月にかけて一気に来る。
「毎年、必ず数が合わない学校が出ます。だいたいは単純なミスです。故障で修理に出したまま台帳を直してないとか、転入生に予備機を渡したのを報告してないとか。九割九分はそれ」
残りの一分は、と聞いたら、彼女は少し黙った。
「一台だけ、三年くらいずっと合わない端末がありました。シリアル番号は台帳にある。管理コンソールにも出てくる。最終ログイン日時も更新されてる。でも、現物がどこにあるか分からない」
その端末は、彼女の記録では二年前に廃棄委託業者へ引き渡されている。消去証明書も出ている。証明書に書かれた個体番号も合っている。
「なのに、管理コンソールには生きた端末として出てくるんです。最後にログインしたのが、いつも年度末の三月の、夜中の時間帯で」
彼女は業者にも確認した。処分済みという回答だった。管理コンソール側でデプロビジョニングして、一覧から消したのだ。翌月、別の学校の台帳を見ていたら、同じシリアル番号が予備機として登録されていた。
「入力ミスだと思います。たぶん。誰かが手で打ち直したときに、桁を間違えたんだと思います」
たぶん、と彼女は二回言った。
掲示板と交流サイトは、この噂をどう転がしたか
この手の噂がどこで生まれたのかを一点に特定するのは、たぶん無理だ。トイレの花子さんのように児童書と映画が話型を全国に配った時代と違って、いまの学校怪談はネットと口伝えの両方を同時に走る。
ただ、拡散のされ方には特徴がある。
まず、短い動画の投稿サイトで「学校のタブレットで起きた怖いこと」というくくりの投稿が伸びる。撮影された画面のスクリーンショットが添えられるので、証拠があるように見える。コメント欄には必ず「うちの学校でも見た」「別のフォルダでも起きた」という書き込みが並ぶ。この「うちでも」の連鎖が、ローカルな噂を全国区の型に押し上げる。
次に、匿名掲示板とチャットアプリのオープンな部屋で、技術寄りの人たちが検証を始める。これがけっこう質が高い。同期のタイミング、権限の継承、テンプレートの共有設定といった具体的な仕組みの話が出てきて、大半の事例には合理的な説明がつく。
そして最後に、その合理的な説明が、逆に怪談を強くする。ここが面白いところだ。「同期の遅延で説明できる」と誰かが書くと、「じゃあ同期の遅延が起きない条件で見た人はどう説明するの」という返しが来る。説明が一つ潰れるたびに、残った事例の格が上がる。心霊写真が二重露光で説明されるようになったあとも、心霊写真という文化が滅びなかったのと同じ構造だ。
あと、これは怪談界隈というより教育界隈の反応だが、教員のアカウントからの投稿が一定数ある。トーンは冷ややかだ。「怪談より年度更新のほうが怖い」「端末が余る話は毎年ある」「合わない台帳のほうが心霊現象」。この、現場の疲れた諦めが混じったコメント群が、噂の周りにいい感じの湿り気を与えている。
合理的な説明を、ひとつずつ潰していく
さて、反証をやる。この作業をきちんとやらないと、怪談を書いたことにならないと思っている。
まず同期の遅延。クラウド前提の端末は、書き込みをローカルで受けてから順次サーバへ送る。回線が細い学校では、この送信が数分から数十分遅れることがある。だから、自分が編集を終えて閉じたあとに、別の端末から見ると更新時刻が後になっていることがある。ネットワークアセスメントという名前で、国が校内の通信帯域を測る事業に補助を出しているくらいには、この問題は全国的だ。
「自分が打っていない時刻の編集履歴」の相当部分は、これで説明がつく。
次にキャッシュ。端末に残った表示用の一時データが、実体が消えたあとも画面に出続けることがある。削除したはずのファイルがサムネイルだけ残る、ブックマークを消したのに次に開いたら戻っている、あたりはこれで説明できる。同期が完了する前に電源を切れば、削除操作そのものが取り消される。「消しても戻ってくるブックマーク」は、たいていこれだ。
アカウントの引き継ぎミス、これがいちばん多いと思う。年度更新では、卒業生のアカウントを止め、進級者のクラスを組み替え、転入生に新しいアカウントを発行する作業が並行して走る。命名規則が機械的なら、六年前の卒業生と同じ文字列が新入生に割り当てられることが理論上ありうる。
実務のマニュアルが「卒業生のアカウントは再利用せず、新規にユニークなアカウントを割り当ててください」とわざわざ注意しているのは、そういうことだ。共有ドライブの権限も、クラスや学年の単位で設定されているから、卒業生を外し忘れれば、卒業生のアカウントは翌年度もそのフォルダを見られる。同時編集の画面に出てくる知らない名前の相当部分は、これで片がつく。
同姓同名。これは笑い事じゃなくて、学年が変わればクラスに同じ名字の子が三人いることもある。表示名を名字だけにしている自治体では、誰が編集しているのか本当に分からない。「知らない人が班に入ってきた」の一部は、単に隣の班の同名の子だ。
テンプレートの共有設定。先生が去年の授業で作ったファイルを複製して今年の教材にする、というのはごく普通の運用だ。複製元の履歴や、複製元に付いていた共有設定が引き継がれると、今年のクラスに関係のない誰かがそのファイルを開ける状態になる。回答一覧の枚数が人数より多い、という現象は、去年の回答が同じ課題枠に残っていた、というだけで説明がつく場合がある。
端末の自動再登録、初期化しても管理下に戻る、という挙動は、既定でそう設定されている。転売や紛失への対策として合理的な設計だ。「消したのに戻ってくる」は仕様である。
最後に、いちばん散文的な説明、誰かのいたずら。パスワードが推測できる環境なら、なりすましは技術的に難しくない。実際に自治体調査でなりすましが確認されている。深夜の編集履歴も、家に持ち帰った端末で誰かが起きていただけかもしれない。
ここまで潰して、残るものがある。
残るのは「更新後の他の端末で前の児童の写真が閲覧できる状態になっていた」というタイプの、実際に起きた事故だ。これは同期でもキャッシュでもいたずらでもない。運用の失敗として実際に起きている。そして、この一件が存在する限り、噂は完全には否定できない。
怪談としては、これで十分すぎる。全部が嘘だと証明できないなら、話は生き延びる。
九百五十万台が同時に「前の持ち主」を持つ、という異常事態
いま起きていることを、もう一度整理しておく。
二〇二三年十一月に閣議決定された経済対策で、国はGIGAスクール構想の第二期を見据えた端末更新を打ち出した。同年度の補正予算で二千六百六十一億円が計上され、各都道府県に五年間の基金が造成された。補助基準額は一台あたり五万五千円、予備機は十五パーセント以内、補助率は三分の二。第一期と違うのは、原則として都道府県を中心とした共同調達で買う、という点だ。
調査によれば、九十一パーセントの市区町村が共同調達に参加する意向を示した。そして更新の六十八パーセント、約四百四十三万台が二〇二五年度に集中する見込みだった。
更新は、旧端末の退場とセットで来る。二〇二五年度から二〇二七年度にかけて、およそ九百五十万台。国内の新品パソコンの年間出荷台数に匹敵する数の機械が、一斉に学校を出ていく。
その端末の一台一台に、四年か五年ぶんの誰かの学校生活が入っている。成績データ、出席記録、提出課題、学習履歴、写真、相談記録、健康情報、家庭の連絡先。学校が扱うあらゆる個人情報が、そこにある。
出口は主に三つだ。ひとつは地域内での再使用。校長や教頭の端末に回す、支援員の業務用にする、図書館の館内端末にする、公民館の学習用にする。実際、ある県では二年で十五万台の更新を予定し、使用済み端末を市町村の窓口や図書館の自習スペースに置くことを検討している。ある県は、生活保護受給世帯などの県立高校生に貸していた端末を、希望した卒業生五十六人にそのまま無償譲渡した。
ふたつめは再資源化。小型家電リサイクル法や資源有効利用促進法に基づく認定事業者に委託して、解体し、金属を取り出す。ある市の事例では、回収とデータ消去を専門業者に委託する。手解体作業を障害者雇用の特例子会社に依頼して、解体部品の再資源化と、解体標本の学校への提供までをセットにした協定を結んでいる。
みっつめは売却だ。リース満了後に事業者へ返す場合もあれば、市区町村へ無償譲渡される契約もある。減価償却期間を過ぎた端末は有償売却が可能な場合もあり、実際に一つの市から約八千七百台がリユース市場へ流れた事例がある。
この三つの出口のどれを通っても、端末は「前の持ち主がいる機械」として次の場所へ行く。公民館の自習席にあるパソコンが、去年まで誰かの中学生活を全部記録していた機械かもしれない。中古市場に並んでいる小さなノートパソコンが、そうかもしれない。
怪談としては、ここから先はもう自動的に育つ。前の持ち主がいる機械、前の持ち主が誰か分からない機械。前の持ち主が何を残したか誰も検証していない機械だ。
花子さんは場所に憑いた。この怪異は持ち物とアカウントに憑いている
ここから分析に入る。なぜこの型の怪談が令和になって生まれたのか。
日本の学校怪談が研究の対象として整理されたのは、だいたい一九九〇年前後だ。中学校の教員だった民俗学者が、放課後に生徒から噂話を聞き取り、それを一九九〇年に児童書としてまとめたのが決定的な起点になった。翌年には別の出版社も同じ路線のシリーズを出し、児童文学の新ジャンルとして定着する。一九九五年には映画になり、テレビにもなり、話型は全国で平準化した。
その学校怪談の骨格は、徹底して場所だった。
ある研究者が五百四十一件の語りを集計した調査によると、妖怪の出現場所はトイレが二十八・三パーセントで圧倒的に多く、次いで特別教室が十五・七パーセント、教室が八・九パーセント、通路が八・五パーセントと続く。しかも特別教室の内訳を細かく見ると、音楽室が七・二パーセント、理科室が三・三パーセントで、個別に見ればどれも普通教室より少ない。
そしてもっと効いているのは、出現場所が細かく限定されていることだ。トイレを舞台とした百五十三件のうち、場所が限定されているのは百六件、実に六十九・三パーセント。二階の男子トイレのいちばん奥、北校舎の男子トイレだ。新館のトイレ。
体育館裏の便所、三年二組だ。二階から三階にある階段の四段目。
なぜここまで限定するのか。研究者の指摘はシンプルで、避けられるようにするためだ。あの個室に入らなければ安全。あの階段を数えなければ大丈夫、名前を呼ばなければ来ない。
怪異に条件をつけることは、恐怖を遊びとして制御することでもある。
さて、この構造をGIGA端末の怪談に当てはめてみる。
出現場所は、どこか。ない。というか、学校のどこにいても同じだ。教室でも、体育館でも、家でも、端末を開けば同じ画面が出る。この怪異には「あそこに行かなければ大丈夫」という逃げ道がない。
代わりに何が限定されているか。持ち物とアカウントだ。あなたに割り当てられたその一台。あなたに発行されたそのアカウント、そこにしか出ない。
そして、そこからは逃げられない。
古典的な学校怪談は、共同体の空間に憑いていた。だから怖いけれど、みんなで怖がれた。同じトイレを避ければ、クラス全員が同じように安全だったのだ。恐怖が共有されていた。
GIGA端末の怪異は、個人の持ち物に憑く。あなたの端末に出たものは、隣の子の端末には出ない。だから、共有できない。担任に言っても「先生の画面には出てないよ」で終わる。目撃者が一人しかいない怪異は、証明もできないし、共有もできない。
この孤立が、たぶんこの怪談群のいちばんの新しさだ。学校怪談が持っていた「みんなで怖がる遊び」の機能が、ここでは壊れている。
もうひとつ。かつての学校怪談の怪異は、たいてい死んだ子どもだった。事故で亡くなった子、いじめられて死んだ子。だがGIGA端末の怪異は、死んでいる必要がない。前の持ち主は、ただ卒業しただけかもしれない。
転校しただけかもしれない。生きて、元気に、どこかの高校に通っているかもしれない。
生きている人間の痕跡が、機械の中に残って、自分の生活に干渉してくる。この設定、たぶん令和になって初めて成立した。
鏡、写真、電話――「うつす装置」の怪談史に、この端末を並べてみる
最後に、少し視野を広げる。
新しい技術が生まれるたびに、それに対応する怪異が生まれてきた。これは怪談史の常識みたいなものだ。ある論考は、鍛冶の火から一つ目の妖怪が生まれ、治水の技術から河童が生まれ、汽車が走り出すと狐が汽車に化けるようになった、と整理している。長野に伝わる化け狐は、江戸時代には大名行列に化けていたのに、明治になると汽車に化けるようになった。技術受容の歴史は、そのまま妖怪の歴史でもある。
そのなかで、特に濃い系譜がある。「うつす装置」の系譜だ。
鏡がその始まりだ。自分の姿がそこにある、という異常な体験。合わせ鏡、四時四十四分の鏡、鏡の中の別の顔。鏡は、自分をうつすと同時に、自分でないものをうつす可能性を常に持っている。
次に写真が来る。世界で最初の心霊写真は一八六〇年代に撮影されたとされ、日本でも一八七九年に横浜で撮られた写真が現存最古とされている。研究者が指摘しているのは、当時の心霊写真が単独では機能していなかったということだ。降霊会という場があり、霊媒がいて、参加者が手をつなぎ、そのうえで写真機が「霊媒に代わるメディウム」として記録を担った。
メディウムという語が「媒体」と「霊媒」の両方を意味することは、偶然じゃない。
さらに面白いのは、同じ一枚の写真に付けられる話が時代とともに変わることだ。ある研究によれば、現存最古とされる心霊写真は、大正時代までは病床の妻が住職を呪って死んだために写ったという話が定説だった。それが昭和になると、元武士の住職が誤って殺した女性が写ったという話に変わる。写真は同じ。話だけが入れ替わる。
つまり心霊写真という文化は、画像と物語の結びつきでできていて、その結びつきは驚くほど恣意的だ。写真そのものはなくなって、その写真をめぐる体験を語る言葉だけが残ることもある。口承文芸の研究者はそう指摘している。
そして電話が来る。メリーさんの電話がその代表だ。捨てられた人形が電話をかけてくる。今ゴミ捨て場にいるの、今タバコ屋さんの前にいるの、と、だんだん近づいてくる。この怪談が成立するには、遠く離れた相手と即座につながる装置が日常になっていなければならない。
不幸の手紙も同じで、郵便制度が整備されて初めて「不幸が手紙とともに届く」という発想が現実味を持った。
それが電子メールの時代にはチェーンメールに姿を変えた。
録音技術にも同じ系譜がある。写真の心霊写真に相当するものが録音の世界に現れるのは一九五〇年代で、写真より八十年ほど遅れている。理由は単純で、それまで一般家庭に録音機がなかったからだ。装置が普及して初めて、その装置に応じた怪異が発生する。
ここに、学習用端末を置いてみる。
この機械は、うつす装置としては歴代最強だ。カメラがついていてこちらを撮る。マイクがついていてこちらの声を拾う。画面はこちらの顔を反射する。打った文字はすべて履歴として記録される。
開いたページは閲覧履歴として保存される。どのアプリを何分使ったかも記録される。しかも記録の宛先は端末の中ではなく、どこか遠くのサーバだ。
管理者は、ブラウザの履歴を必ず保存する設定にできる。ユーザーによる履歴の削除を許可しない設定にもできる。シークレットモードの利用を禁止する設定にもできる。これは不当なことじゃなくて、子どもを守るための機能だ。だが機能として見れば、こういうことになる。
あなたが見たものは、あなたには消せない。
鏡は姿をうつすだけだった。写真は一瞬を留めるだけだった。電話は声を運ぶだけだったのだ。この端末は、そのすべてを同時にやったうえで、消せない記録として遠くに保存する。
こんな装置が全国の子ども一人ひとりの手元に配られて、怪談が生まれないほうがおかしい。
それでも、この話が消えない理由
まとめの代わりに、この怪談がなぜ消えないのかを書いて終わりにする。
理由は三つある。
ひとつめ。制度が続いているからだ。端末は貸与され、返却され、初期化され、次の子に渡る。この循環は制度として組み込まれていて、当面変わる見込みがない。第二期の更新が終われば第三期が来る。
そのたびに「前の持ち主」が生産される。噂の燃料は、行政の予算措置というかたちで、五年ごとに補充され続ける。
ふたつめ。技術的な説明が、恐怖を減らさないからだ。同期の遅延で説明できる、キャッシュで説明できる、引き継ぎミスで説明できる。全部そのとおりだ。だが、そう説明されたとき、こちらが受け取るのは安心じゃない。
「自分の使っているものの仕組みを、自分は理解していない」という事実の再確認だ。ブラックボックスの中身を専門家が説明すればするほど、ブラックボックスの厚みが分かる。
井上円了が明治に妖怪を科学で説明しようとしたときも、結果として起きたのは似たようなことだった。説明は怪異を殺さない。移動させるだけだ。
みっつめ。これがいちばん大きいと思う。この怪談が語っているのは、幽霊のことじゃないからだ。
前の持ち主が残したもの。初期化されなかったもの。消したはずなのに戻ってくるもの。誰が書いたか分からないまま残る記録、人数より一つ多いアイコン。
これは全部、いまの学校に本当にある問題だ。データがどこに残っているのか誰も完全には把握していない。アカウントの棚卸しが追いつかない。消去の予算がつかない。台帳が合わない。
責任の所在が曖昧なまま更新期を迎えている。教育委員会の中でさえ、誰が最終責任を負うのかがはっきりしていない自治体がある、と指摘されている。
子どもたちはその状況を、たぶん理屈では理解していない。だが、体感としては正確に掴んでいる。自分の使っているこの機械は、自分のものではない。自分が消したものが本当に消えたかどうか、自分には確かめられない。自分が残したものが誰の手に渡るか、自分には決められない。
その居心地の悪さに、いちばんしっくりくる形を与えたのが、この怪談だった。前の持ち主、まだ返してない誰か。まだ入ってきている誰か。
学校怪談というのは昔からそういうものだった。トイレの花子さんが語っていたのは便所の恐怖じゃなくて、子どもが一人になる時間の恐怖だった。音楽室のベートーヴェンが語っていたのは肖像画の恐怖じゃなくて、見られていることの恐怖だったのだ。怪談はいつも、名前のついていない不安に仮の名前をつける仕事をしてきた。
いま子どもたちが端末に見ているものも、たぶんそれだ。名前はまだついていない。花子さんのような固有名詞は、この怪異にはまだ与えられていない。
だから、これから来ると思う。あと数年もすれば、この型に名前がつく。誰かが名前をつけて、それがネットで広まって、全国の子どもが同じ名前で呼ぶようになる。その名前がつく前の、まだ形が定まっていないいまのうちに、この怪談を記録しておきたかった。
最後にひとつだけ。
もしあなたの子どもが、あるいはあなた自身が、学校から配られた端末を使っている。写真フォルダに知らない写真を見つけたとする。日付が自分の入学前になっていたとする。
そのとき、怖がる前にやることがある。学校に報告することだ。それは怪異ではなく、たぶん初期化漏れだ。そして初期化漏れは、誰かの個人情報がそこに残っているということでもある。あなたが見ている一枚の写真は、どこかの誰かの、消されるはずだった学校生活の断片だ。
前の持ち主は、まだそこにいる。それは怪談としても正しいし、事実としても正しい。この二つが同じ文で成り立ってしまうところが、この話のいちばん厄介なところなんだよな。
