- 深夜の公園で、鉄の箱だけが揺れていた
- 「安全ブランコ」という名前で生まれた鉄の箱
- 二十二センチと六・五センチ――地面との隙間が、生死を分けた
- 一九九七年十月二十三日、藤沢市「みどりの広場」
- 一審勝訴、二審逆転、最高裁棄却――負けた裁判が、国を動かした
- 勝った裁判もあった――福井、群馬、沖縄
- 国会で読み上げられた数字
- 二〇〇一年一月十九日、益田の幼稚園で起きたこと
- 二〇〇二年三月と十月――指針と規準が同時に生まれた
- 溶接されて、ベンチになった箱ブランコ
- 回転ジャングルジムは、なぜ絶滅危惧種になったのか
- 「首ちょんぱ」と呼ばれた回旋塔
- 遊動円木と、一九一六年の大審院判決
- 学校の遊具には、実は点検義務がある
- そして、遊具がなくなった公園に怪談が残った
- 体験談その一――三十分、振り幅が変わらなかったブランコ
- 体験談その二――座板を外したのに、キコキコ鳴る校庭
- 体験談その三――片方だけが、四時と八時のあいだで
- 跡地に残る噂と、団地の窓から見えていたもの
- 共振という答え、それでも残る違和感
- なぜ「動く遊具」だけが怪談になったのか
- 跡地の噂が消えない理由
- それでも、まだ残っているものがある
- 「危険を全部消したら、子どもは危険を学べない」という反論
- なぜこの話は消えないのか
深夜の公園で、鉄の箱だけが揺れていた
夜中の一時をまわった住宅街の児童公園。街灯は一本だけ点いていて、砂場と滑り台の輪郭がぼんやり浮かんでいる。人影はない。犬も猫もいない。風は、ほとんど吹いていない。
それなのに、公園の隅に据えられた鉄の箱が、ゆっくり前後に揺れている。
キィ。キィ。キィだ。
吊り棒の付け根で金属が擦れる音が、規則正しく、まったく同じ間隔で鳴っている。振り幅は小さくならない。十分待っても、二十分待っても、減衰しない。誰かが乗って、律儀に漕ぎ続けているとしか思えない揺れ方をしている。
この手の話が、日本全国で気味が悪いほど同じ形で語られてきた。「誰も乗っていないのにブランコが揺れている」「近づくと止まり、離れるとまた揺れ出す」「二つ並んでいるのに片方だけが揺れている」。特に濃い噂がまとわりついたのが、対面式の座席を鉄のゴンドラで囲った、あの巨大なやつだ。箱ブランコ。ゆりかごブランコ。
地域によっては腰掛ブランコとも呼ばれた、重さ二百キロ級の鉄の箱だ。
そして、もうひとつ、この怪談には奇妙な後日談がある。箱ブランコは、二〇〇〇年代に日本の公園と校庭からほぼ完全に消えた。撤去された。なのに噂だけが残ったのだ。「あそこ、昔ブランコがあった場所だよね」「うん、今も夜になると子どもが立ってるって」。
遊具そのものが存在しなくなったのに、跡地の四角いコンクリートの基礎だけが残り、そこに怪談がしがみついている。
なぜ「動く遊具」ばかりが怪談になったのか。なぜ消えてもなお噂が残るのか。そこを掘るには、まずこの三十年に何が起きたのかを正確に押さえないといけない。結論から言うと、これは心霊の話であると同時に、日本でいちばん多くの子どもを殺した遊具と、それをめぐる裁判と、行政の一斉撤去の話なんだよな。
「安全ブランコ」という名前で生まれた鉄の箱
まず誤解を解いておきたい。箱ブランコは、危険な遊具として作られたわけじゃない。むしろ逆だ。
普通のブランコは、自分で漕げない小さい子には乗れない。座板は不安定だし、鎖を握る握力もいる。そこで、座席を箱型の枠で囲み、背もたれと手すりを付けて、子どもが落ちないようにした。向かい合わせに二人ずつ、合計四人が座れる。そして大人が外側から、揺りかごを揺らすようにゆっくり動かしてやる。
これが本来の使い方だった。
だから箱ブランコは、当時のカタログや現場の呼称で「安全ブランコ」と呼ばれていた。半世紀前の日本の公園設計者たちは、善意でこれを置いたのだ。実際、東京の滝山団地の管理組合が残している記録を読むと、団地の街区ごとに複数台が設置される。子どもたちに大変な人気だったと書かれている。全国の公園、幼稚園、保育園、小学校の校庭に、同じものが何万基と並んだ。
問題は、子どもが「本来の使い方」なんてするわけがない、という一点に尽きる。
座席に座っておとなしく揺られていた子どもは、すぐに座面の上に立った。背もたれの上によじ登った。外から足で蹴って勢いをつけたのだ。二人がかりで両側から押し合って、ゴンドラを人間の身長ほどの高さまで振り上げた。遊動円木も回旋塔もそうだが、昭和の子どもは遊具の「限界性能」を試すことにしか興味がない。
おれもそうだった。あなたもたぶんそうだった。
そこで露呈したのが、この遊具の設計思想の致命的な穴だったのだ。箱ブランコは、落ちないように囲ったせいで重い。鉄製のゴンドラ本体だけで二百キロに達するものがあった。そして支持方法が鎖ではなく金属の棒だったため、揺れが横方向だけでなく、上下方向の運動を伴った。
群馬県の死亡事故を担当した弁護団が、技術士の鑑定意見をもとに整理した説明が、この遊具の本質を残酷なくらい的確に言い当てている。曰く、箱ブランコの動きを上下方向だけに限って観察すれば。それは要するに、二百キロある鉄の塊が、地上数センチのところから五十センチの高さまでを、上下にピストン運動しているのと同じである――と。
横方向の衝突なら、人間は弾き飛ばされる。飛ばされることで衝撃は逃げる。だが地面との間に挟まれた場合、衝撃の逃げ場はゼロになる。二百キロのピストンと地面のあいだで、頭蓋骨が全部を受け止めることになる。
二十二センチと六・五センチ――地面との隙間が、生死を分けた
この構造の核心は、鑑定でも判決でも「クリアランス」と呼ばれた。ゴンドラが最下点まで降りたとき、踏み板の下と地面のあいだに何センチ空いているか。
ここが子どもの体の厚みより十分に広ければ、下に転がり込んでも押し潰されるだけで済む可能性がある。だが、子どもの頭の直径より狭かったら。倒れた子どもの頭の上に、揺り戻してきた二百キロが乗り上げる形になる。
神奈川県藤沢市で一九九七年に起きた事故では、この隙間が十一センチから二十二センチだった。福井市で二〇〇一年に起きた事故では、六・五センチしかなかった。六・五センチというのは、四歳児の頭どころか、大人の手のひらの厚みに近い数字だ。
そして残酷なのは、この危険性を子どもが予測できないだけでなく、大人にもまったく予測できなかったことだ。前出の弁護団は、こう書き残している。「この危険性を予測することは子どもだけでなく、大人にも難しい」「説明されないと大人でもここまでの理解はできない」。
親たちは、我が子を箱ブランコのそばで遊ばせた。押してやりもした。それが二百キロのピストンプレスだとは、誰も思っていなかったのだ。
事故のパターンは、驚くほど定型化していた。ひとつは、ゴンドラの外側からブランコを押していた子どもが、勢い余って前のめりに転倒する。そこへ揺り戻したゴンドラの踏み板が戻ってきて、地面との隙間に頭を挟まれるというもの。もうひとつは、乗っていた子どもが座面に立ち上がったり背もたれの上に乗ったりして外へ振り落とされる。やはり踏み板と地面の隙間に頭を挟まれるというもの。
全国各地の、まったく別の公園で、別の子どもが、同じ死に方をした。
しかも、箱ブランコはゴンドラが重いせいで、救出にも時間がかかった。挟まれた子を助け出すには、大人が数人で鉄の箱を持ち上げなければならない。その数分が、生死を分けた。
一九九七年十月二十三日、藤沢市「みどりの広場」
全部を動かした一件は、そこまで大きな事故ではなかった。
一九九七年十月二十三日、神奈川県藤沢市が管理する「みどりの広場」。四人乗りの箱ブランコに友人一人を乗せ、別の友人と二人で両側から押し合って遊んでいた。当時小学三年生、九歳の女の子。その子がブランコに引きずられて仰向けに転倒した。揺れ戻ってきたゴンドラの底部と地面のあいだ、十一センチから二十二センチの隙間に右足を挟まれ、大腿骨を骨折した。
命は助かったのだ。だが、行政とメーカーの返答が、この家族の何かに火を点けた。遊び方が悪い。親の不注意だ。そういう扱いだった。
事故に遭った本人が母親に言ったという言葉が、後に書籍のタイトルにもなって広く知られている。「誰かがちゃんと言わないと、また事故は起きる。お母さん、私が提訴するよ」。
母親は、証拠を自力で作りにいった。国会図書館に通い、全国紙と地方紙の縮刷版から箱ブランコの事故記事を片端から拾った。当事者に連絡を取って事実確認をして、一件ずつデータを積み上げたのだ。役所が持っていない統計を、被害者の親が図書館で手作りした。一九九八年五月、横浜地裁に藤沢市と遊具メーカーを提訴。
請求額は約四百十万円という、賠償金目当てとは到底言えない金額だった。
一九九九年には全国組織「箱ブランコ裁判を考える会」が発足し、支援者は約二百人まで増えた。この会が集めた事故データが、後に国会で政府参考人に突きつけられることになる。
一審勝訴、二審逆転、最高裁棄却――負けた裁判が、国を動かした
裁判の経過は、教科書に載せたいくらいねじれている。
一審の横浜地裁は、原告の主張をほぼ認めた。メーカーについては「ブランコの底と地面は約二十二センチしか空いていないため、挟まれて重大な障害を被る危険な構造・形状」であるとして製造者の過失を認定。藤沢市については「当時から同種の事故が全国で相次いでおり、安全確保の措置を講じなかった」として管理者の過失を認定した。構造に問題があり、かつ行政はそれを知り得たはずだ、という判断だ。
ところが二〇〇二年八月七日、東京高裁が逆転させた。高裁は事故状況の認定から崩しにかかった。曰く、客観的な目撃者がいない上、本人も衝突時や前後の記憶がないので、事故態様の確定は困難である。その上で、「自ら把握できる危険は、本人や保護者が防止、回避義務を負うべきだ」とし、「ブランコを揺らしていた本人が予期しない原因で事故が起こったわけでなく、ブランコに通常の安全性が欠けていたとは言えない」と結論した。
つまり、転倒して気を失っていた子ども本人に、自分がどう挟まれたかの立証責任を負わせたに等しい。そして二〇〇三年一月三十日、最高裁第一小法廷は上告を棄却。理由はいっさい示されなかった。事故当時九歳だった原告は、この時すでに十四歳になっていた。五年がかりの裁判で、彼女は完全に負けたのだ。
ここが面白いところなんだよな。裁判には負けたのに、社会の側はもう戻れなくなっていた。
訴訟の過程で全国の事故データが表に出てしまった。NHKの「クローズアップ現代」は二〇〇二年七月二十九日に「箱ブランコが命を奪った」と題した回を放送したのだ。二十人以上の子どもが箱ブランコで死亡していること、事故情報を集める仕組みも安全基準も日本には存在しないことを突きつけた。業界団体である日本公園施設業協会は、箱ブランコを「公共の遊び場にふさわしくない遊具」と自ら認めた。
加盟メーカーは製造を中止したのだ。
原告の敗訴が確定する前後で、箱ブランコという製品は、事実上この国から死んでいた。
勝った裁判もあった――福井、群馬、沖縄
藤沢の一件が突出して有名なだけで、箱ブランコ訴訟はほかにもあった。そして、そちらでは管理者側が負けている。
福井では、公園の箱ブランコに頭を挟まれて右目を失明した小学二年生と母親が、公園を管理する市に約六千六百七十万円の損害賠償を求めた。福井地裁は市に約三千八百五十万円の支払いを命じている。判決が重視したのは、やはりクリアランスだった。ブランコの底と地面の間隔は六・五センチしかない。子どもが転倒すれば挟まれる危険は十分にあるとして、構造上の欠陥を認定した。
さらに、同種事故が全国的に発生している。県が安全を確保するよう指示していたことから、市は構造的危険性を認識していたか、認識しうる状況にあったと判示した。この事件は名古屋高裁金沢支部でも平成十五年二月十九日に判決が出ており、判例地方自治の解説対象にもなっている。
群馬県のある市では、もっと痛ましい事案が起きていた。ブランコの外から箱ブランコを押していた小学五年生の女の子が、押したはずみに前のめりに倒れた。そこへ揺り戻しのゴンドラが戻ってくる。地面に倒れた彼女の頭部の上に、乗り上げる形になった。ゴンドラ自体の重量は二百キロ。
彼女は死亡した。
遺族側は国家賠償法二条の「公の営造物の設置管理の瑕疵」を理由に損害賠償を請求した。市側は、通常の安全基準を満たして設置していると主張したのである。ここで原告側が持ち込んだのが、例の技術士による鑑定意見――二百キロの鉄塊が上下にピストン運動している、という分析だ。最終的に、市が相当額を支払う「勝利的な和解」で決着した。
同じ頃、沖縄でも同種の事故が起きて訴訟になっていた。沖縄側は一審で敗訴していたが、その弁護団が群馬の弁護団に証拠書類の提供を求め、依頼者の了解を得て鑑定書などが送られたのだ。沖縄の事件も、最終的には和解で解決している。事故遺族の弁護団どうしが、鑑定書を手渡しでリレーしていたわけだ。
判決文や和解調書は公開の場では地味に扱われる。だが、行政の現場にとってはこの上なく明快なメッセージだった。箱ブランコを置いたままにしておくと、市が負ける。
国会で読み上げられた数字
二〇〇一年五月十八日、第百五十一回国会の衆議院国土交通委員会。都市緑地保全法などの審議のなかで、一人の議員が箱ブランコの問題を持ち出した。国土交通省の都市・地域整備局長が答弁に立ち、この遊具が日本にどれだけあるのかという数字が、初めて公の場で読み上げられた。
平成十年度に実施した全国の都市公園等における遊具の設置状況調査によると、箱ブランコは都市公園に約九千八百基、児童遊園その他に約四千四百基、合計約一万四千二百基が設置されている――と局長は答えたのだ。一万四千二百基。ひとつひとつが二百キロの鉄だ。
そして事故についても数字が出た。公園管理者に対して三十日以上の加療を要する事故の報告を要請している。だが、国土交通省に報告のあった遊具の重大事故は、平成八年度から十二年度までの五年間で八十六件。そのうち箱ブランコに関するものは八件、全体の九パーセントを占める――。
質問した側は、その数字の薄さを突いた。市民団体「箱ブランコ裁判を考える会」が新聞報道をしらみつぶしに調べた集計によれば、少なくとも一九六〇年以降に死亡が十九名、重傷重体等が二十八名、合わせて五十件以上に達している、と。後年の別の集計では、一九六〇年代以降で重傷事故六十七件、判明しているだけで死亡二十五人という数字も挙げられている。国が把握していたのは、実態のごく一部だった。
さらにこの時、別の数字も持ち出されている。NPO組織のプレーグラウンド・セーフティー・ネットワークが、平成九年に調査を実施している。全国千百八十七の自治体の公園で、過去一年間に遊具で二百五十九件の事故が報告された。そのうち箱ブランコの事故が件数で第一位、二十九パーセントを占めていた。
文部科学省が幼稚園や小学校などの箱ブランコ事故を調べたのだ。すると、一九九八年度から二〇〇〇年度の三年間で、死亡事故を含め二百八十七件が発生していたことも判明している。
同じ年の一月には島根県で園児が死亡し、四月には福井市内の公園で小学二年生が頭を挟まれて骨折した。その影響で右目が見えなくなっていた。福井県が撤去や安全確保の通達を出し、福井市は市内の百四十基すべてを撤去すると決めたのだ。この国会質問がきっかけで「子どもたちの楽しく安全な遊び場を考える議員の会」が発足している。
二〇〇一年一月十九日、益田の幼稚園で起きたこと
国会答弁で「一月には島根県で」と一言だけ触れられた事故は、記録を読むと息が詰まる。
二〇〇一年一月十九日、島根県益田市七尾町の私立幼稚園。園児は百一人。昼休みの園庭で、四歳の男の子が舟形の鉄製ブランコで遊んでいた。長さ三メートル、幅〇・八メートル。四人の園児と一緒に乗っていたという。
そのあと、何らかの原因で、彼は仰向けのままブランコの底板と地面のあいだに上半身を挟まれた。園庭では同じ年少組の園児およそ十五人が遊んでおり、女性教諭が見ていた。その教諭がほかの園児の面倒を見るためにブランコの周辺から目を離した、そのあいだの出来事だったのだ。頭などを強く打ち、市内の病院に運ばれたが、約四十分後に死亡した。
目を離したといっても、数分だろう。年少組十五人を一人で見ている保育の現場で、特定の遊具から数分も目を離さないことなど不可能だ。この事故で責められるべきは、その教諭ではない。年少組の子どもが仰向けのまま上半身を挟み込める隙間を持った鉄の舟が、幼稚園の園庭に置いてあったという事実のほうだ。
そして、この構造の幼稚園用ブランコは、当時、日本中の園庭にあった。
二〇〇二年三月と十月――指針と規準が同時に生まれた
行政が動いたのは、ここまで積み上がってからだった。
二〇〇二年三月、国土交通省は「都市公園における遊具の安全確保に関する指針」を策定したのだ。都市公園法第三十一条に基づく技術的助言として、全国の公園管理者に通知した。日本で初めての、遊具の安全に関する国の文書だ。同年十月には、遊具メーカーで組織する日本公園施設業協会が、この指針の考え方を踏まえた「遊具の安全に関する規準」を策定した。国の指針と、業界の規準。
この二つが、日本の遊具安全のすべてになった。
念のため書いておくと、これは法律ではない。指針は技術的助言であり、規準は協会会員向けの自主基準にすぎない。強制力はない。だが、国内の公園遊具に関する具体的な基準がほかに存在しなかったため、事実上これが唯一の物差しとして機能した。公園管理者も、学校も、保育施設も、この二つを見て点検するようになった。
所管でいえば公園は国土交通省、学校は文部科学省、福祉施設は厚生労働省とバラバラだ。それなのに根拠文書だけは共通という妙な構造が、ここで成立している。
指針はその後、二〇〇八年八月、二〇一四年六月、二〇二四年と改訂を重ねている。協会の規準も、二〇〇八年版、二〇一四年版、二〇二四年版と足並みを揃えて改訂された。
このうち二〇〇八年の改訂時に国土交通省が公表した文章が、あの時代の総括としてよくできている。指針の策定から六年が経過する。その間、箱型ぶらんこや遊動木など、重大事故につながる恐れのある重量が大きい可動性の遊具は大幅に減少した、と国自身が書いている。一方で、遊具の経年劣化や点検不備に起因する事故が増加しつつある。老朽化遊具への対応方法の明確化や安全点検体制の強化が必要になってきている、とも。
危険な遊具の時代が終わり、錆びた遊具の時代が始まった、という宣言だ。
なお、指針の思想そのものは、初版から一貫して「子どもは遊びを通じて冒険や挑戦をし、心身の能力を高めていくものである。遊びの価値を尊重してリスクを適切に管理する」という立場をとっている。ここが後で効いてくる。指針は「全部撤去しろ」とは一度も書いていない。
溶接されて、ベンチになった箱ブランコ
しかし現場が選んだのは、リスクの適切な管理ではなかった。撤去だった。
自治体の立場で考えれば、動機は透けて見える。指針と規準ができたということは、それを満たしていない遊具を放置していた場合の言い訳が消えるということだ。しかも判決は、市が負けるパターンを示してしまった。予算の限られた自治体にとって、高額な費用をかけて改良した。点検し続けるより、更地にするのが最も低リスクで事務手続きも簡単な選択になったのだ。
だから福井市は市内百四十基を一度に消した。同じことが全国で起きた。
面白い――というか、ちょっと切ない――のが、撤去しきれなかった場合の処理だ。ゴンドラの踏み板を地面側に溶接し、あるいはコンクリートで固定して、動かないようにしてしまう。ブランコでなくなった箱ブランコは、対面式の鉄のベンチになる。群馬の事案を担当した弁護士自身が、自宅の近所の公園でそれを見たと書いている。
撤去はされないものの固定されてしまい、ブランコではなくなり、ただの鉄の塊の対面ベンチとなってしまった、と。
東京の滝山団地では、かつて街区に合計五台あった腰掛ブランコが、今は一台だけ残っている。踏み板が固定された状態で、ベンチとして使われている。管理組合の記録には、未来の子どもたちにも実物の箱ブランコに乗る経験をしてもらいたい。だから、せめてベンチとしてずっとこの公園に残していきたい、と書かれていた。もう二度と揺れない揺りかごを、揺りかごだったものとして保存する。
そして大半の公園では、鉄の箱そのものが消えた。残ったのは、地面に埋まった四本の基礎コンクリートだ。掘り返して埋め戻すには金がかかるから、地面と面一に切って、そのまま残す。だから今でも、公園や校庭の隅に、意味のわからない四角いコンクリートの痕跡が四つ、几帳面な間隔で並んでいることがある。あれは墓標みたいなものなんだよな。
回転ジャングルジムは、なぜ絶滅危惧種になったのか
消えた「動く遊具」は箱ブランコだけじゃない。同じ時期に、回転する球体も一斉に姿を消した。
回転ジャングルジム。正式名称に近いところではグローブジャングル、統計上は回転塔。直径二メートル前後の球形の鉄骨ジャングルジムが、中心軸を軸にぐるぐる回る。中に入ると遠心力で外周に貼り付けられ、外側にぶら下がると吹っ飛ばされる。あれで遠心力という概念を体で覚えた世代は多い。
こいつの事故形態は、箱ブランコとはまるで違う。回転そのものというより、金具と老朽化が人を傷つけた。
二〇〇四年四月二日、大阪府高槻市の団地内の公園。円盤型の回転式遊具に乗っていた小学一年生の男の子が、午前十時五十分ごろ、右手の人さし指を挟まれ、爪先の部分が切断された。鉄製円盤の上に座席が四つあり、中心部のハンドルを回して遊ぶ構造だった。だが、ハンドルと支柱を固定していたボルトが抜け落ちて、穴が開いていたのだ。
事故はそこで終わらなかった。同じ日の午後四時半ごろ、今度は小学五年生の女の子が、同じ遊具の同じ穴に右手の人さし指を突っ込んだ。支柱とのあいだに挟まれて、指先を切断している。六時間後に、まったく同じ事故が繰り返されたのだ。管理者である大阪府住宅供給公社と府は、府内の団地の全遊具を点検し、ボルトのゆるみなどがあった百五十基を使用禁止にした。
後に、被害に遭った女子生徒が「使用禁止措置を怠った」として公社に約千四百万円の損害賠償を求めて提訴する。公社側は「過失はなかった」と争っている。
同じ二〇〇四年四月、東京でも動きがあった。都立公園の緊急点検で、練馬区の石神井公園では主軸部分のゆがみが見つかった。球形の回転型ジャングルジム一基が電動カッターで分解され、撤去されている。都住宅供給公社も都営・公社の団地約二千二百カ所の公園を点検し、二基を撤去。さらに十七基の撤去を予定していると発表している。
二〇〇六年六月二十四日には金沢市で、決定的な絵が生まれた。西大桑町の児童公園で、小学生六人が球形のグローブジャングルに乗って遊んでいたところ、鉄製の軸が突然、根元部分から折れた。一九七八年に設置された遊具で、高さと横幅はともに約二・二メートル。六人は投げ出され、二年生から四年生の四人が頭や左足を打った。幸い全員軽傷だったが、原因は軸の根元の腐食だった。
三十年近く雨ざらしになれば、水と空気の境界のあたりから金属は腐る。市内には同じ遊具が二十五基あり、市は翌日からすべてを使用禁止にした。
統計で見ると、この遊具の消え方はほとんど断崖絶壁だ。全国の都市公園およびその他公園に設置された回転塔は、一九九八年に五千五百二十六基あった。二〇一三年には二千七百七十四基。十五年で半減している。
減り方には偏りもある。二〇〇四年から二〇〇七年のわずか三年で千五百八十三基、六十八パーセントまで一気に落ちた。特に激しかったのが、公園愛護会のような地域ボランティアが管理を任されている「その他公園のその他管理」の区分で、この区分だけを見ると、一九九八年の三百六十七基が二〇一三年には三十四基、残存率九パーセントまで落ちている。
自分が世話をしている公園で子どもが大けがをしたら、という恐怖は、行政職員より地域住民のほうがはるかに切実だったということだろう。
二〇二二年には、鳥取県米子市の市立小学校と公園から回転型ジャングルジムが完全に消滅したことが報じられている。自治体単位で「絶滅」する段階に入っていた。
「首ちょんぱ」と呼ばれた回旋塔
もっと早く、もっと徹底的に消えたのが回旋塔だ。
高い柱の頂上から、自由に回る仕掛けで鎖と輪が何本も吊り下がっている。その輪を掴んで、ぐるぐる回る。地方によってメリーウェーブ、オーシャン、回転ブランコとも呼ばれた。走って勢いをつけると体が浮き、遠心力で真横に流れながら空中を飛ぶ。今の感覚で言えば、公園に設置された無人の遊園地アトラクションだ。
事故形態は明快で、遠心力で振り飛ばされて負傷する。そして、手指の切断。鎖と金具と回転軸のあいだに指が入れば、そこは工作機械と変わらない。ネット上では「首ちょんぱ」という物騒なあだ名まで流通していた。
漫画家が自分の小学生時代の回旋塔体験を描いた投稿が、数年前にSNSで大きく広がったことがある。描いた本人によれば、子ども心にスリリングで楽しかった。ただし、中央で回す人の匙加減ひとつで振り落とされたり泣き出す子がいた。自分は落ちなかったが、限界まで止めてもらえずとても怖かったのだ。何度か骨折くらいの大けがが出るたび使用禁止になる。
結局在校中に撤去された、という。
そして本人が驚いたのは、投稿へのリプライとして「かなりの数の振り落とされた体験談や深刻な事故の被害報告が集まった」ことだったそうだ。
回旋塔には設計の世代交代もあった。初期型は、柱の頂点から鎖が伸びているだけ。これだと前の人と後ろの人が追い越したりぶつかったりして怪我が頻発した。そこで上部に黄色い円環を加え、追い越しが起きない構造にした改良型が出た。それでも、回す人によっては相当なスピードになり、遠心力で飛ばされることに変わりはなかったのだ。
今では自治体によって明確に「不適格」扱いされている。茨城県石岡市は、回旋塔について「利用指導が十分に行き届かない場合においては、公園にふさわしくない遊具」と位置づけている。二〇一八年にはテレビのバラエティ番組でも危険遊具として取り上げられ、撤去が進んでいると紹介された。
それでも、日本から完全に消えたわけではない。公が管理する公園からはほぼ姿を消した一方、私有地や地域が個別に管理している場所には、ぽつんと残っている例がある。宮城県刈田郡蔵王町の田園の中には、輪っかの手すり付きの回旋塔が現存している。これはおそらく全国でここだけではないかと現地を訪ねた人が書いている。千葉県富津市の学童施設にも残っているという。
神奈川県平塚市の総合公園には、現代風にアレンジされて危険を減らした回旋塔があるらしい。蔵王町の個体は、地元の人がきちんと整備しているようで、今でもよく回るそうだ。
遊動円木と、一九一六年の大審院判決
もうひとつの消えた動く遊具、遊動円木は、この四つのなかでいちばん歴史が古い。
長さ五メートル前後、直径三十センチくらいの丸太の両端を、鎖でV字に吊る。もともとは平均台のように丸太の上を端から端まで歩いてバランス感覚を養う遊具として考案された。明治の頃から存在し、学校に設置されるようになって全国に普及した。
しかし、実際の使われ方はまるで違ったのだ。子どもたちは丸太にまたがり、ブランコのように前後に揺らした。高学年になると、両端に「漕ぎ役」が立ち、鎖を掴んで立ち漕ぎの要領で丸太を蹴り出す。丸太は重いので、しゃがむような姿勢から全力で蹴らないと動かない。だが動き出すと、次第に高速で振れるようになる。
持ち手として打ち込まれた鎹にしっかり掴まっていないと、いつ振り落とされてもおかしくなかった。
そして、揺れている最中の丸太と地面のあいだの距離は、絶えず変化する。下に落ちた子どもが、丸太と地面の間に挟まれる。箱ブランコとまったく同じ構造の事故が、丸太で起きた。
振り落とされる事故が多いということで、遊動円木の周囲を砂地にしてある公園もあった。ところが今度は、そこを砂場と勘違いした子どもが砂遊びを始め、丸太が頭に直撃する事故が起きたという。ハザードを潰したら別のハザードが生まれるという、この分野の永遠の悲喜劇だ。
遊動円木の事故は、日本の国家賠償の歴史そのものにも刻まれている。一九一三年、徳島市立の小学校の校庭で、遊動円木で遊んでいた当時十一歳の男子児童が、支柱の老朽化による倒壊で投げ飛ばされた。左前額部に二箇所の裂傷を負って大量に出血し、のちに死亡した。当時は遊具事故の賠償制度など確立していない。だが事故の凄惨さから、大審院は一九一六年六月一日、市側の過失を認めた。
地方公共団体の作用であっても、経済的・管理的性質をもつものについては私人と同様に扱う。民法第七百十七条を適用して賠償責任を負うべきである――として、国家無答責の法理を限定したのだ。校庭の丸太が、日本の行政法の判例を一歩動かした。
そこから八十九年後の二〇〇二年、遊動円木はまた立て続けに事故を起こす。同年五月、愛知県豊明市の保育園で、鉄板を用いた遊動円木に乗っていた四歳の男の子が転落した。地面と鉄板の間に下半身を挟まれて太股の骨を折るなど全治二か月の重傷を負った。翌二〇〇三年九月に市側と両親のあいだで百八十万円で和解が成立し、保育園からこの遊具は「危険である」として撤去されたのだ。
同じ二〇〇二年五月には、名古屋市中川区の公園で、多くの児童が乗った遊動円木が破損する。十三名が負傷、うち六名が病院に搬送されている。
ちなみに、当時の遊動円木に使われた丸太は、古くなって交換した木製の電柱の再利用であることが珍しくなかったらしい。昭和の校庭には、退役した電柱が吊るされて揺れていたわけだ。犬の小便がかかっていそうな根元のほうには座りたくなかった、と書いているブログを読んで、思わず笑ってしまった。
学校の遊具には、実は点検義務がある
公園の話ばかりしてきたが、校庭の固定遊具についても制度は整っている。
学校保健安全法は学校に安全計画の立案と実施を義務づけている。同法二十八条は、校長が施設・設備に安全確保上の支障を認めた場合、遅滞なく改善の措置を講じるか、設置者に申し出るものと定めている。そして施行規則二十八条は、毎学期一回以上、児童生徒等が通常使用する施設と設備の異常の有無を系統的に点検することを義務づけている。二十九条では日常的な点検も求められる。当然、固定遊具もこの中に含まれる。
ただし、建築基準法に基づく法定点検と違って、報告義務は課されていない。
日本スポーツ振興センターは二〇二一年三月に、『固定遊具の事故防止マニュアル――学校(園)における安全教育・安全管理のポイント』を発行した。A4判で百八十九ページというなかなかの分量だ。災害共済給付のデータを使った事故統計、死亡・障害事例の分析。遊具別の安全管理ポイント、そのまま使える点検表まで揃っている。二〇二四年三月には幼稚園・保育所向けの簡易版パンフレット「なくそう!
固定遊具の事故」も出ている。
このマニュアルの資料編を読むと、「動く遊具」がどれだけ減ったかが数字でわかる。平成二十六年度から三十年度の五年間。災害共済給付で医療費が支給された固定遊具の事故を、遊具別に集計したデータがある。小学校における回旋塔の事故は、五年間で合計二百五十一件。幼稚園では六十七件。
認定こども園と保育所等では五十一件だ。遊動円木にいたっては幼稚園で五年間に五十件、こども園・保育所等で七十三件しかない。
同じ期間に鉄棒は小学校で二千五百件超、雲ていも二千四百件超だから、桁が二つ違う。件数が少ないのは安全だからではなく、そもそも現物がほとんど残っていないからだ。実際、この報告書の分析編では、件数の少ない遊動円木と回旋塔は分析対象から除外されている。
そして、可動部と地面の隙間の問題は、マニュアルの留意点にきっちり残っている。「可動部と地面の間に、不要な物を置かず、適切な空間を保つ」「身体の一部が引き抜けなくなるような閉口部や隙間を設けない」「救助できるようにするため、内部に大人が入れるようにする」。箱ブランコが残した教訓が、条文の形になって生き延びている。
挟まれ事故は今も起きている。ある保育所では、三歳の園児が園庭の雲ていの側面から補助板に足をかけ、よじ登ろうとした。梯子の横板と頬杖のあいだにできた、約四十四度の上向きV字型開口部。そこに頭が挟まり、自重で頸部が圧迫されて窒息した。救助まで約十分。
蘇生はしたものの全脳虚血状態に陥り、約九か月後に死亡している。
国土交通省の指針と日本公園施設業協会の規準は、上向きV字型開口部は五十五度未満としないよう求めていた。だが、この雲ていは約二度傾いた結果、基準に抵触する構造になっていた。裁判所は運営法人の組織としての過失を認め、約三千百四十五万円の賠償を命じたのだ。
二度。たった二度の傾きが、基準の内側と外側を分けた。
そして、遊具がなくなった公園に怪談が残った
ここから本題だ。
この三十年で、日本の公園と校庭からは「動くもの」がほぼ消えた。厚生労働省の調査によると、子どもが遊ぶことを目的に遊具などを備えた「児童遊園」の数そのものが、最多だった一九八二年の四千四百五十六施設から、二〇二三年十月時点で二千三十三施設まで減っている。
二〇一九年度末時点で全国の都市公園は十一万一千三百四十九か所、設置されている遊具は三十九万二千七十二基だ。だが、うち設置から二十年以上経過しているものが四十九・七パーセント。修理や撤去などの安全確保措置が必要と判定されたものが、十八・五パーセントに達している。
二〇一八年四月からは、国土交通省が各行政に対し、最低でも年一回の公園遊具の精密点検を義務づける通達を出した。以後、基準に準じているかいないかで機械的に判定され、準じていないものは「使用禁止」のテープを巻かれ、やがて撤去される。ある遊具メーカーの担当者は、この流れを批判的に書いている。
日本の点検は基準に準じている・いないでしか安全性を判断しない。だから、その結果を報告された行政は、基準に準じていないものを概ね使用禁止にしてしまう傾向にある。さらに撤去という流れになってしまっている、と。
結果、公園から鉄が消えた。そして、鉄が消えた場所に、話が残った。
体験談その一――三十分、振り幅が変わらなかったブランコ
怖い話の投稿サイトに、こういう話が載っている。投稿者が中学生だった頃、父親と夜に散歩をしていたときのことだという。
歩いていたのは、裏道とも言えないような、木々に囲まれた小道だった。隣には小学校のフェンスがずっと続いていて、怖いような道ではなかった。夜だから当然無人で、自分が通っていた学校でもなかったのである。だが、なんだか小学校時代が懐かしく思えて、父親と二人で子どもの頃の思い出話をしながら歩いていたのだ。
しばらく行くと、道が少し開けたところに公園の入口があった。手入れされた植木に囲まれた、小さな公園。座り場が二つ並んだブランコと、砂場があるだけ。出入口はひとつしかなく、公園の向こう側には住宅が並んでいた。
近づくと、キィ、キィ……という金属の擦れる音がした。こんな夜中に誰か遊んでいるのかと不思議に思って覗き込むと、公園は無人だったのだ。それなのに、二つ並んだブランコのうちのひとつだけが、キィ、キィと音を立ててひとりで揺れている。
出入口はひとつきりの一本道だから、人の出入りがあれば絶対に気づくはずだった。だが誰も出ていかない。二人はブランコを囲む柵に腰をかけて、持っていたアイスを食べながら、その揺れを眺めた。そこで違和感に気づく。揺れ幅がずっと変わらないのだ。
何分経っても、同じ間隔で、同じだけの振り幅で揺れている。本当にそこに誰かが座って、漕いでいるようだった。
三十分ほど、そこに座っていたという。その間ずっと、揺れ幅が小さくなることはなかった。
そして、この体験談のいちばん面白いところは、投稿者が「怖くなかった」と書いていることだ。誰かが漕いでいるんだな、という感想しかない。父親と二人で無言のまま、長いことブランコを眺めるという奇行をしていた。それなのに、怖いという感情は一切湧かなかった。心の中でバイバイと挨拶をして公園を後にしたが、離れるあいだもずっと、キィ、キィという金属の音は鳴りやまなかったのである。
今のは何だったんだという感情が湧いてきたのは、家が見えてくるところまで歩いてきてからだったのだ。父親も同じだったらしい。興奮した様子でブランコの話題を振ってきたのは、同じタイミングだったという。
怖い話としては弱い。だが記録としてはやたらに強い。振り幅が減衰しない、という一点だけが、恐ろしくはっきり書かれている。
体験談その二――座板を外したのに、キコキコ鳴る校庭
もうひとつ、学校の校庭を舞台にした投稿がある。
投稿者が通っていた小学校の校庭には、シーソーやブランコや砂場など、普通の公園にあるような遊具が揃っていた。入学した直後にはまだブランコは使われていた。ところが、ある年の夏休み明けに登校すると、突然封鎖されて乗れなくなっていたのだ。
生徒たちはブーイングの嵐だった。だが、先生たちからは「他の校区の小学校のブランコで事故があったため、ブランコは使わないようにする」という曖昧な説明しかなかった。ブランコはロープで囲まれ、さらに椅子の部分は鎖をカットして取り外されたのだ。これでもう遊びようがない、という状態にされた。
ここまでは、二〇〇〇年代前半の日本中の学校で実際に起きたことと、まったく同じ流れだ。よその公園の事故を受けて、うちの学校でも念のため使用禁止、座板は外しておきましょう。管理上は満点の対応と言っていい。
ところが、この学校ではそのあとが違った。誰もブランコに乗りたいと言い出さなくなったのだ。理由は噂だ。椅子の部分をカットしてあるにもかかわらず、夕方にそのブランコの近くを通ると音が聞こえる。ブランコを漕ぐようなキコ、キコという音が。
それが学校中に広まったからだった。
部活で遅くまで残っている生徒が「漕いでいる音が聞こえた」と騒ぎ、日増しに「私も聞いた」「僕も聞いた」という子が増えていった。投稿者は室内の部活だったのでその音を聞いたことがなかったのである。だが、ある日、友達に「聞きに行こう」と誘われ、興味本位で部活のあとに封鎖されたブランコに近づいてみたのだ。
静まり返ったグラウンドの端。近づくにつれて心臓が尋常でなく脈打ち、近づいてはいけないという気持ちになったが、友達の前でかっこ悪い態度は見せられない。ブランコの付近を一周し、しばらく待った末に、友達が「やっぱりみんなの聞き間違いだよね」と言って帰るよう促した。
投稿者は同調した。だが実際には、そのとき音ははっきり聞こえていたのだ。校庭に響くキィ、キィという音。そして、投稿者の目には、取り外されたはずの座板の上に立ち乗りをしている、知らない中年男性の姿が映っていたという。友達には見えていない。
恐ろしかったのは幽霊そのものよりも、その男性がひどく寂しそうに漕いでいたことだったと、投稿者は書いている。
座板を外したのに、漕ぐ音がする。これは怪談としてはとても効率のいい形をしている。「動かないようにした」という大人の措置そのものが、恐怖の証拠として機能しているからだ。撤去や封鎖は、怪談を殺さない。むしろ怪談に材料を供給する。
体験談その三――片方だけが、四時と八時のあいだで
三つめは、大人が二人がかりで目撃した話だ。
夏の出来事だという。投稿者は妻と二人で、家の近くの大きな運動公園に、晩御飯のあと時々散歩に行っていた。ある日、仕事が遅くなって一緒に行けなかった。帰宅すると妻の様子が変だったのだ。どうしたのかと聞くと、公園のブランコが誰も乗っていないのに勢いよく前後に揺れていたのだという。
強い風が吹いたんじゃないか、と投稿者は一瞬思った。だがその日はほとんど風がなかった。しかも、椅子が二つ並んでいるのに、揺れていたのは片方だけだったのである。風なら両方揺れているはずだ。
どれくらい揺れていたのかと聞くと、妻は時計の針にたとえた。四時と八時か、それ以上。かなりの振り幅だ。話を聞いていくと、前にも同じことがあったらしいとわかった。幽霊の仕業だったら嫌だが、誰かの悪戯かもしれないから、できればはっきりさせたいね、と二人で話した。
翌日は一緒に散歩に出てブランコの前を通ってみたが、何も起きなかったのだ。
それから一か月ほど経った、雨上がりの静かな晩。いつものように二人で散歩に出た。この公園は運動場を囲むように外周路がある。遊具のある場所は通路から凹んだ区画にあって、石碑と木があるせいで、ある程度近づかないとブランコは見えない。いつものように通り過ぎようとしたら、椅子がひとつだけ大きく揺れているのが見えた。
二人ともビクッとなって立ち止まった。誰かがブランコで遊んでいる、と直感的に感じたのだ。薄暗い中で目を凝らして辺りを見回しても、誰もいない。ブランコの向こう側には道路があるが、人の気配もない。二人は来た道を引き返し、急いで家に帰った。
それ以来、ブランコの前を通らないように、五十メートルほど手前で引き返すようにしているという。投稿者は最後にこう書いている。夜の公園で、きっと誰かがひとりで遊んでいたんだろうな、と。
この話が優れているのは、目撃者がひとりではなく二人であること、そして「片方だけ」という条件を自分で検証していることだ。共振でも風でも、二つ並んだ座席のうち片方だけが大きく揺れる説明はしにくい。ちなみにこの投稿にはコメントが一件ついている。「たまに共振現象で、ブランコが勝手に揺れることがあるみたいよ」とだけ書いてある。怪談と物理学が、コメント欄で仲良く並んでいる。
跡地に残る噂と、団地の窓から見えていたもの
撤去跡地の怪談は、遊具本体の怪談より輪郭がぼやけている。だが、確実に存在する。
団地の一階に住んでいた子どもの体験談がある。県が運営する集合住宅で、いくつかの建物の真ん中に公園がある造りだった。公園といってもブランコと鉄棒と砂場くらいしかないところだった。だが、周りの団地の子どもたちはよくそこで鬼ごっこをしたり遊具で遊んだりしていたのだ。
投稿者の部屋は一階の、特に公園に近いところにあり、部屋からでも公園の様子がよく見えた。ある時、母親が言った。「昨日の夜からあのブランコずっと動いてるんだよね……誰も乗ってないのに」。
投稿者はちょうど行事か何かで早起きしていたので、公園の様子を覗いてみた。朝方の薄暗い公園が妙に不気味に見えたことを、今でも覚えているという。当時は「ふーん、そうなんだー」くらいにしか思っていなかったが、今よく考えるとすごく怖い、と書いている。その団地で事件や事故があったかは知らない、とも。
この話には、ほとんど何も起きていない。霊も出ないし追いかけられもしない。あるのは、母親が窓から見ていた「昨日の夜からずっと動いている」という一文だけだ。だが、それで十分に怖い。
逆に、噂がどうやって生まれるかの現場を目撃した証言もある。ある掲示板で、女性がこんな昔話を書き込んでいた。幼稚園の頃、家の隣にあった公園のブランコが大好きで大好きで、夜中にこっそり家を抜け出してブランコを漕いだことがあった。しばらくして、パジャマ姿のおかっぱの幽霊が出ると噂になったらしいけど、私のせいじゃないわよね――と。
三十数年前、関東でのこと。バレたら怒られると思っていたから、ブランコもそーっとそーっと漕いでいた、という。その書き込みに別の女性が食いついた。私、学生の頃、本当に公園で深夜に子どもの笑い声がするって怪談があったのよ、と。時期がぴったり合ってしまった。
深夜、無人の公園。ひとりでに揺れているように見えるブランコ。そこにパジャマ姿の子どもがいたという断片的な目撃だ。話はあっという間に幽霊になる。そして、話の元になった本人は、三十年後の掲示板で笑いながら「私のせいじゃないわよね」と書く。
全国に何万とある「揺れるブランコ」の噂のうち、いくつかはこうやって生まれたんだろうな。
共振という答え、それでも残る違和感
もちろん、物理的な説明はある。
ブランコは振り子だ。振り子には固有振動数がある。そして、支柱から水平に渡されたパイプに座席が吊られているタイプのブランコがある。支柱全体がわずかに揺れたとき、その揺れが座席の固有振動数と一致しやすい。つまり共振を起こしやすい構造をしている。
無風に近くても、ほんのわずかな初期入力があれば、揺れは自ずと大きくなっていく。
二つ並んだ座席の片方だけが揺れる現象にも説明はつく。鎖の長さがわずかに違えば固有振動数がずれ、共振するのは片方だけになる。振り幅がなかなか減衰しないことにも、軸受の摩擦が小さければそれなりの説明はできる。
そして、こうした説明を面白がる怪談もある。ある小説投稿サイトに、こんな短い話が載っていた。無風なのに揺れるブランコを見た高校生が、オカルト好きの先輩に相談する。すると先輩はつまらなそうな顔で、共振現象だと説明する。先輩は鞄からノートを出し、「その公園のブランコは支柱から直接垂れている物じゃなく、固定された支柱から平行に垂れ下がっているポールにブランコが付いているだろ。
あの形は共振を起こし易いんだ」と言って、ブランコの図を正確に描いてみせる。拍子抜けした主人公は、ふと気づく。自分は公園の形を説明していない。なぜ先輩は、あの公園のブランコの形を知っているのか――。
科学的説明を用意した上で、その説明を語った人物のほうを怖くする。よくできている。そして、これが怪談の構造をよく表している。人が本当に怖いのは、揺れているブランコそのものではない。「なぜそれが揺れているのか説明できない」という状態のほうだ。
だから共振説を知っても、夜の公園で揺れているブランコを見たときの居心地の悪さは消えない。脳は、動いているものを見ると自動的に「動かしているもの」を探す。ブランコは、人が乗ることを前提として作られた形をしている。座面があり、背もたれがあり、手すりがある。人型のくぼみがそこにあって、それが動いている。
なのに、そこには誰もいない。
なぜ「動く遊具」だけが怪談になったのか
ここまで書いてきて、ようやく核心に触れられる。
滑り台の怪談は、そんなに多くない。砂場の怪談も、鉄棒の怪談も、ジャングルジムの怪談も、数は少ない。怪談になるのは圧倒的にブランコで、次が回転遊具だ。動く遊具だけが、怪談になった。
理由は三つあると思う。
ひとつめは、今言った「不在の可視化」だ。動く遊具は、人の身体の動きを機械的に翻訳する装置として設計されている。誰かがそこにいて、体重を移動させて、脚を曲げ伸ばししないと、あれは動かない。だから動いている遊具を見ると、脳は「いま、誰かがそこで体を動かしている」という結論を勝手に出す。そして目はそれを否定する。
この矛盾が、いわゆる「気配」の正体だ。
静止している遊具は、誰もいないことの証拠にしかならない。動いている遊具は、誰かがいることの証拠になってしまう。
ふたつめは、音だ。箱ブランコは、揺れると必ず鳴った。吊り棒の付け根、ベアリングの錆び、金属同士の擦れ。キィ、キィ、という音は、風の音とも車の音とも違う、明らかに「機械が周期的に動いている音」として聞こえる。しかもこの音は、遠くまで届く。
夜の住宅街で、姿は見えないのに音だけが聞こえる、という状況が簡単に成立した。怪談は、視覚より聴覚のほうで長く生き延びる。
みっつめは、これがいちばん重要だと思うんだが、実際に死んでいるということだ。
箱ブランコでは、少なくとも二十人以上の子どもが死んでいる。回旋塔では指が飛んでいる。グローブジャングルでは軸が折れて子どもが宙を飛んでいる。遊動円木では、大正時代に十一歳の子が投げ飛ばされて失血死している。「あそこで子どもが死んだらしい」という噂が立ったとき、ほかの怪談なら根拠不明の作り話として片づけられる。
だが動く遊具については、それが本当にあったのだ。
そしてそれは、地域の大人たちが記憶していた。
特に箱ブランコの死に方は、怪談の想像力を刺激する形をしている。頭を、地面と鉄のあいだに挟まれる。ゴンドラの「下」に入り込んで死ぬ。だから「箱ブランコの下を覗くと髪の毛がある」といった噂が生まれる素地があった。踏み板の下という、子どもなら潜り込めるが大人は覗き込まない、あの半端に暗い空間が、噂の巣になった。
そして、怪談には安全教育の代替機能がある、という指摘がある。学校の都市伝説を研究してきた人たちが繰り返し言っていることで、大人が「危ないから入るな」と命令するより、「そこには何かが出る」と子ども同士で共有したほうが、子どもは自発的に危険領域を避ける。暗い便所、薬品の並ぶ理科室、足元の滑りやすい階段。そこに怪異を置いておくと、子どもは近づかない。
だとすれば、箱ブランコの下を覗くと髪の毛があるという噂は、ひょっとすると子どもたちが自分で編み出した安全基準だったのかもしれない。国土交通省の指針より二十年早く、子どもたちは「あそこは潜り込んではいけない場所だ」と言語化していた。ただし彼らは、それを事故率という言葉ではなく、髪の毛という言葉で表現した。
跡地の噂が消えない理由
では、撤去されたあとも噂が残るのはなぜか。
ひとつは単純に、噂の寿命が遊具の寿命より長いからだ。学校の怪談は、上級生から下級生へ伝わる。三年もあれば、現物を知らない子どもにまで伝わる。現物が消えても、伝言ゲームは止まらない。京都のある小学校を取材した記者が、二十五年ぶりに母校を訪ねて七不思議を聞いたら、児童会の五、六年生全員が「今は何もない」と口を揃えた、という記事があった。
古かった体育館は新設され、校舎も改修され、二宮金次郎像は老朽化で撤去された。人体解剖模型は三十センチのミニチュアになっていたのだ。舞台が消えると、怪談も消える。逆に言えば、舞台の痕跡が残っているうちは、怪談も残る。
そして箱ブランコの場合、痕跡はかなりしぶとく残った。四角いコンクリートの基礎。溶接されて動かなくなった鉄のベンチ。地面の窪み。芝の生え方が違う四角い区画。
撤去とは、遊具を消すことであって、遊具があった場所を消すことではない。
もうひとつ、跡地の噂には、もっと重い理由があると思う。
大人が、何も説明しなかったからだ。
ある日突然、遊具が使用禁止になる。ロープが巻かれる。座板が外される。数週間後には重機が来て、全部持っていく。子どもたちには「よその学校で事故があったから」としか説明されない。
どんな事故だったのか、誰が怪我をしたのか、死んだのか、どこで、いつ。何も言われない。大人は言わない。言えばパニックになると思っているし、そもそも現場の教員も詳しく知らされていない。
情報の空白は、必ず物語で埋まる。「あそこで誰か死んだからだよ」というのは、子どもが導き出せる唯一の合理的な推論だ。そして、ほとんどの場合、その推論は半分当たっている。その学校でではないにせよ、どこかの学校で、どこかの公園で、実際に子どもは死んでいたのだから。
怪談が跡地にしがみつくのは、その場所がまだ「説明されていない場所」だからだ。説明されなかった不在は、気配になる。
それでも、まだ残っているものがある
全部が消えたわけではない。
匿名掲示板で公園遊具の話題が出るたび、「近所の公園には回転地球儀、箱型ブランコ、シーソー、全部ある」という書き込みが必ず混じる。回転遊具に一度テープが張られて、いよいよ撤去かと思ったらメンテナンスして現役続行だった。ただしメンテ後は回すのが重くなってスピードが出なくなった、という報告もある。回転を意図的に重くして、遠心力の上限を下げる。これは考えようによっては、撤去より賢い。
現行のグローブジャングルも、今は安全対策が施され、回転がかなり重くなっているという。古いものについても、わざと回りにくくして安全性を高めているのではないか、と指摘されている。動く遊具の生き残り戦略は、「動きを鈍くする」なのだ。
宮城の田園に一基だけ残る回旋塔は、地元の人が整備を続けているおかげで、今でもきっちり回る。ただしその地区の区長は、取材にこう答えている。今はできるだけ使える状態に維持している。だが、将来もし維持できなくなったり、ほかの安全上の懸念が生じたりした場合は、撤去を選ぶことになるかもしれない、と。
昭和期の一点ものの大型遊具――写真家が敬意を込めて「遊具彫刻」と呼ぶ、通称タコ山や、ロボットや金魚の形をしたコンクリート造形物――についても、状況は似ている。現場で針金を組み、コンクリートを流し込んで職人が手作業で作ったので、ひとつとして同じ形がない。それらもどんどん撤去され、量産型や健康増進を目的にした器具に置き換わっている。ただし、愛された遊具のなかには地元の要望で復活したものもあるという。
「危険を全部消したら、子どもは危険を学べない」という反論
撤去の三十年に対する批判は、ずっと前から存在している。しかもかなり筋が通っている。
まず指摘されるのが、国の指針自体は撤去を求めていない、ということだ。指針は初版から一貫して、リスクとハザードを区別してきた。リスクとは、子どもが予測可能で、冒険や挑戦の対象となり、発達にとって必要な危険性のこと。小さなリスクへの対応を学ぶことで、子どもは経験的に危険を予測し、事故を回避できるようになる。
ハザードとは、遊びの価値と無関係のところで事故を発生させる危険性で、子どもには予測できず、対処の判断もできないもののこと。
指針の解説には、はっきりこう書いてある。完全にリスクを除去することは、事故の回避能力を育むという点から問題がある。安全性を重視した遊具であっても、子どもにとって面白味のない構造や機能であれば、利用されなくなるか、危険な方法で利用されるおそれがある。
公園管理者が事故対策に過敏になるあまり、過度に安全性を重視した計画・設計や利用指導などを行うと、子どもが自由に遊べる空間や冒険や挑戦が可能な遊具が減少して発育発達を阻害するなど、子どもの不利益につながるおそれがあるので配慮することが必要である――。
つまり、国は最初から「やりすぎるな」と書いていた。それでも現場はやりすぎた。
原因は責任の構造にある。基準に適合していない遊具を残して事故が起きれば、自治体は確実に負ける。撤去して何も起きなければ、誰も責められない。この非対称性がある限り、合理的な担当者は必ず撤去を選ぶ。ある論者は、これを解決するには、国が定めた基準を満たしている限り不慮の事故については管理者の免責を認める。
社会全体でリスクを許容する法的な防衛線を張るしかない、と論じている。
そうでなければ現場の「とりあえず撤去」は止まらない、と。
もっと面白い議論もある。ある遊具輸入業者が書いている理屈で、遊具を全部使用禁止にした公園を想像してみろ、というものだ。その場所にはまだベンチも砂場も段差も残っている。遊具を消した結果、残ったベンチや砂場や段差がもたらす危険の相対的な比重は、むしろ上がる。公園全体のリスクを、撤去は逆に押し上げてしまう。
許容範囲内のリスクは、その場所にたくさんあればあるほど遊びの価値が高くなる。かえってその他のリスクの発生確率を下げる、という主張だ。段差がふたつある公園と、段差がひとつしかない公園では、同じ十五センチの段差でも、前者のほうがリスクは低い。
現場からの声もある。東京都世田谷区などで運営されているプレーパーク――自分の責任で自由に遊ぶことを掲げた冒険遊び場――では、大人が開園前に釘を抜くなどの点検はする。だが、子どもが自分でできると判断したことは基本的に止めない。工作コーナーの金づちやのこぎりも、大人の許可なく使える。当然けがはする。
ある年度は十五人が打撲や切り傷などで通院した。
そのプレーパークのサポーターが語っていた話が印象的だった。階段も落下防止柵も一切ない木製遊具で、小学生の単独落下が続いた時期があったという。誰かに押されたわけでも、つまずいたわけでもない。ただ、自分で落ちた。「高いところからは、子どもも自然と落ちないように気を付けるもの。
それまで起きたことがない類の事故で、高さに対する本能的な意識や注意力が薄れてきているのか、と危機感を覚えた」。
遊具を全部消したら子どもが危険を学べなくなる、という主張は、ともすれば懐古趣味に聞こえる。だが現場の人間が言っているのは、もっと生々しい話だ。高さに対する恐怖が育っていない子どもが、実際に増えている、という観測だ。
もちろん、この議論には絶対に忘れてはいけない前提がある。箱ブランコで死んだ子どもたちが遭遇したのは、リスクではなくハザードだったということだ。地面との隙間が六・五センチしかないことは、子どもには予測できない。大人にも予測できなかった。あれは「冒険して学ぶべき危険」ではなく、「大人が除去すべき欠陥」だった。
だから、正しい対応は「踏み板の下に頭が挟まれない程度に十分な空間を設ける」「必要以上に大きく揺らせない構造にする」「転落しない囲いを設ける」といった改良だったはずだ。滝山団地の管理組合も、実質同じことを書いている。問題は踏み板と地面の空間が幼児の頭が挟まれる距離になっていたことである。当時メーカー各社が改善策を講じていれば今のような状況にはならなかったかもしれない、と。
そして、改善されたものが流通していないことを考えると、裁判で負け続けたことで世間からタブー視される。どのメーカーも改善に及び腰になったのではないか、とも推測している。
裁判で勝った側も負けた側も、誰も箱ブランコを直そうとはしなかった。直すより、消すほうが安かった。
なぜこの話は消えないのか
最後に、もう一度あの音に戻りたい。
キィ、キィ、という音が全国の公園から物理的に消えてから、もう二十年以上が経っている。箱ブランコは製造中止になり、一万四千二百基が撤去され、溶接されてベンチになり、基礎コンクリートだけが残された。それでも「誰も乗っていないのに揺れている」という話は、いまだに毎年どこかで新しく語られる。
なぜか。
ひとつには、この怪談が「不在」を扱う話だからだと思う。子どもの遊び場というのは、そもそも不在に敏感な場所だ。昼間は声で満ちていて、夜になると完全に空になる。その落差が、ほかのどんな場所よりも大きい。廃遊園地の怪談が異様に多いのも同じ理由だろう。
本来、子どもの笑い声で溢れているはずの場所が、静まり返っている。その落差そのものが、人を怖がらせる。
そしてもうひとつ。これが結局いちばん大きいと思うんだが、この話は本当に子どもが死んでいる話だからだ。
一九一三年の徳島の校庭で、十一歳の男の子が丸太に投げ飛ばされて死んだ。二〇〇一年一月の益田の幼稚園で、四歳の男の子が仰向けのまま鉄の舟の下に入り込んで四十分後に死んである。群馬のある公園で、小学五年生の女の子が、友達を乗せたゴンドラを押している。押したはずみに転んで、戻ってきた二百キロに頭を潰された。福井の公園で、小学二年生が右目の光を失った。
藤沢の女の子は大腿骨を折り、五年かけて裁判を戦って、最高裁で負けたのだ。
この国の公園と校庭には、そういう場所が何千とあった。そのほとんどで、何も掲示はされていない。慰霊碑もない。ただ遊具が撤去され、跡地がならされ、新しい健康器具が置かれて、それで終わりだ。
怪談というのは、たぶん、そういう場所に自然に生える。誰も記録しない出来事を、誰かが覚えていようとする形が、あの噂の正体なのかもしれない。「あそこで子どもが死んだらしい」「だから夜になると立ってるんだって」。それは事実でも記録でもないが、完全な嘘でもない。地域の記憶が、自分で作った不正確な墓標だ。
だから今夜、あなたが人気のない公園を通りかかって、鉄の何かが理由もなく揺れていたとしても、慌てて走って逃げなくてもいい。たぶんあれは共振だ。鎖の長さがわずかに違うから、片方だけが揺れる。軸受の摩擦が小さいから、なかなか止まらない。
ただ、もしその公園の隅に、何に使われていたのかわからない四角いコンクリートが四つ、几帳面な間隔で並んでいるのを見つけたら。その真ん中の地面を、少しだけ長く見ておいてほしい。
そこには、二百キロの鉄の箱が、三十センチだけ浮いて揺れていた。
