校庭の隅にある、あの白い箱の話をしよう
学校の怪談って、たいてい建物の中で起きるんだよな。トイレ、階段、音楽室、理科室、旧校舎、体育館の裏。屋内で、暗くて、閉じている場所。
ところが例外的に、校庭のど真ん中でもなく、体育館の裏でもなく、フェンス際でもない、あの微妙な位置に立っている屋外の設備にまつわる話が一系統だけある。百葉箱だ。
百葉箱っていうのは、白いペンキで塗られた木の箱で、鎧戸に囲まれていて、四本の脚で立っている。だいたい人の胸から顔くらいの高さにあって、扉がひとつついている。中には温度計と湿度計が入っている。それだけ。これほど地味な装置もない。二宮金次郎像みたいに人の形をしているわけでもないし、飼育小屋みたいに生き物がいるわけでもない。焼却炉みたいに火が入るわけでもない。ただの白い箱だ。
なのに、卒業して十年二十年経った人間に「百葉箱って覚えてる」と聞くと、かなりの確率で「あー、あったね」と返ってくる。そして続けてこう言う人が多い。あれ何のためにあったのか知らない。開けたことない。誰が管理してたんだろう。
この三つが、そのまま怪談の材料になっている。存在は覚えているのに、機能も管理者も体験も欠落している。学校という管理の行き届いた空間の中に、管理から漏れた白い箱がひとつだけ立っている。これは怪談が生えるには充分すぎる条件なんだよな。
今回扱うのは、その百葉箱にまつわる、たぶん学校怪談のなかでいちばん地味な系統だ。血も出ないし、人も死なない。ただ「扉が開いていた」というだけの話。でもこれが、思っている以上にじわじわ来る。
まず、あの箱の正体をきちんと押さえておく
怪談を語る前に、実物の話をしておかないと怖さの仕組みが見えてこない。百葉箱というのは、実はかなり由緒正しい気象観測機器だ。
原型は一八六三年、スコットランドの灯台設計者トーマス・スティーブンソンが考案したもので、彼の名前を取ってスティーブンソン・スクリーンと呼ばれている。ちなみにこのトーマス・スティーブンソンは、『宝島』を書いたロバート・ルイス・スティーブンソンの父親だ。灯台の設計者が気象観測用の箱を作って、その息子が海賊の小説を書いた、という並びはけっこう出来すぎている。
一八七三年にはイギリス気象学会が推奨するようになって、標準機材として世界に広がった。
日本に入ってきたのは明治のはじめだ。一八七二年に工部省測量司が観測事業を計画して、一八七四年にイギリスから観測機器が届き、東京の葵町の庁舎に設置された。そして一八八六年、気象観測法が制定公布されたときに「百葉箱」という日本語の名称が正式に採用された。
この名前の由来にはふたつの説があって、ひとつは英語の二重の鎧戸を持つ板張りの箱という表現を直訳して「二重百葉窓の箱」としたもの。もうひとつは、鎧戸がびっしり重なっている見た目が、牛の胃袋のひだ、つまり百葉に似ているからというもの。どちらにしても「百枚の葉」という字面が、あの箱の異物感をよく表している。
構造には理由がある。外を白く塗るのは、太陽の放射熱を反射して箱の中を外気温に近づけるため。側面が二重の鎧戸になっているのは、直射日光を遮りながら風を通すため。天面と底面も二重構造になっていて、上からの熱と地面からの照り返しを両方防ぐようになっている。
設置の決まりもかなり細かい。地面からの高さは、気象庁の基準で一・五メートル、学校用の一般的な指導では一・二から一・五メートル。直射日光や照り返しを受けない、風通しのいい場所に置く。地面は芝生か、その土地の自然な地表面にする。コンクリートの上には置かない。
そして、この話でいちばん効いてくるのがこれだ。扉は北向きに設置する。北半球では北向き、南半球では南向き。理由は単純で、扉を開けて中の計器を読むとき、南向きだと直射日光が箱の中に差しこんで温度が変わってしまうからだ。つまり百葉箱の扉というのは、構造上、必ず太陽に背を向けている。一日じゅう日の当たらない面に、その箱の唯一の開口部がある。
学校に置かれるようになった経緯もはっきりしている。一九四七年の学習指導要領の試案に載り、一九五三年の理科教育振興法とそれに基づく省令で、全国の小学校に設置されて気象観測が行われるようになった。戦後の理科教育振興のシンボルとして、日本じゅうの校庭に白い箱が立てられたわけだ。これが第一期。そして今、その百葉箱がどんどん消えている。これが第二期で、この減少そのものが怪談の背景として効いてくる。
語られている話――「扉が開いていた」の全体像
じゃあ本題に入る。この系統でいちばん流通している型を、細部まで再話する。
舞台は公立の小学校。語り手は当時小学四年か五年で、理科係、あるいは気象係という係をやっている。この係は、朝の会の前に百葉箱まで行って、中の最高最低温度計と乾湿計を読んで、記録用紙に書きこんで、教室の後ろの気温グラフに点を打つ、という仕事をする。当番は二人一組で、日替わりか週替わり。冬は手袋を外さないと数字が読めないから嫌がられる、という細かいディテールがついてくるバージョンが多い。
百葉箱は校庭の北の隅に立っている。体育倉庫と、使われていない鉄棒のあいだ。まわりだけ芝生になっていて、その芝生も長いこと刈られていない。箱は白いはずなのに、実際にはくすんだ灰色で、ところどころ塗装が剥がれて木の地肌が出ている。脚のあたりには苔がついている。
物語は、ある朝の当番から始まる。語り手と、もうひとりの当番の子が、いつものように百葉箱に向かう。二十メートルくらい手前まで来たところで、相方が足を止める。開いてる。
百葉箱の扉が、九十度きっちり開いている。中の計器が丸見えになっている。前日の当番が閉め忘れたんだろう、と二人は思う。実際、それが一番ありそうな説明だ。
近づいて、中の数字を読もうとして、語り手は気づく。温度計の針、あるいは目盛りが、ありえない値を指している。最高温度計が、真夏でも出ないような数字を示している。あるいは、湿度計の針が振り切れている。バージョンによってここは変わるが、共通しているのは「中の計器が、その日の天気とまったく合わない値を出している」という点だ。
二人は記録用紙にどう書くか迷う。正直に書けば怒られる気がする。結局、だいたいの見当で「それっぽい数字」を書いて教室に戻る。ここが妙にリアルなところで、この話の語り手はほぼ全員、一度は記録を捏造している。子どもの係活動あるあるだ。
翌日、別の当番の子が百葉箱に行って、また扉が開いていたと言う。前日に語り手たちがちゃんと閉めたことは覚えている。金具のフックまで掛けた。それでも開いている。
ここから、学校側の対応が入る。担任か理科の先生が「誰かが悪戯している」と判断して、百葉箱に南京錠をつける。鍵は職員室で管理する。当番は毎朝、職員室に鍵を取りに行ってから百葉箱に行くことになる。ちょっと面倒くさくなったな、くらいの気持ちで、みんなそれを受け入れる。
そして、鍵をつけた翌日の朝。当番が行くと、扉は開いている。南京錠は、扉の金具にちゃんと掛かったままぶら下がっている。壊されてもいないし、こじ開けられた跡もない。錠は閉まっている。なのに扉だけが開いている。
このディテールが、この怪談の核心だ。よく考えると物理的におかしい。錠が掛かったまま扉が開くという状態は、扉か枠のどちらかが壊れていないと成立しない。でもどこも壊れていない。話の中では、この矛盾に誰も突っこまない。子どもたちはただ怖くなって、当番を交代でやりたがらなくなり、最終的に先生が「もう記録は取らなくていい」と言い出して、百葉箱は誰も近づかない設備になる。
落ちにはいくつかパターンがあるんだが、いちばん多いのはこうだ。数年後、語り手が中学生か高校生になってから、母校の前を通る。校庭を覗くと、百葉箱があった場所には何もない。撤去されている。ただ、脚が立っていた四つの穴だけが、コンクリートを打ち直されないまま残っている。
そして語り手はふと思い出す。あの箱、扉が北を向いていたはずだ。でも自分の記憶の中で、扉はいつも自分のほうを向いて開いていた。当番のたびに、自分は校舎から南のほうに歩いていって、正面から開いた扉を見ていた。北向きの扉が、南から歩いてきた自分に正面から見えるわけがない。
この落ちがいちばん効くと思う。怪異が起きた瞬間ではなく、記憶の幾何学が合わないことに気づく瞬間で終わる。
発祥と初出をたどる
この系統の初出を特定するのは、正直むずかしい。理由もはっきりしていて、百葉箱怪談はもともと、全国的に流通する定番話ではなかったからだ。
学校の怪談の基本文献である常光徹の仕事を見てみると、一九九〇年からの講談社KK文庫『学校の怪談』シリーズ、一九九三年の研究書『学校の怪談――口承文芸の展開と諸相』のいずれにおいても、怪異の集中する場所として挙げられているのはトイレ、階段、音楽室、理科室、鏡、プールといった屋内の設備が中心だ。
校庭まわりで定番化しているのは、二宮金次郎像が夜になると走り回るとか、薪の数が減るとか、持っている本のページがめくれるとかいう話、それに墓地を埋め立てた校庭に人魂が浮かぶ、落武者の亡霊が出る、ブランコが風もないのに揺れる、といったあたり。日本語版のオンライン百科にある学校の怪談一覧を見ても、校庭関連はこのラインナップで、百葉箱は独立した項目としてほとんど立っていない。
つまり百葉箱怪談は、九〇年代の学校怪談ブームのときには主役になれなかった。理由はたぶん、絵にならないからだ。ブームの主戦場は児童書とテレビと映画で、視覚的にわかりやすい怪異が求められた。白い箱は絵にならない。
百葉箱が怪談として立ち上がってくるのは、ネットの時代になってからだ。二〇〇〇年代の2ちゃんねるオカルト板、その後の投稿型サイト、まとめブログの層で、学校の不思議体験を集めるスレッドが繰り返し立つようになると、そこに「うちの学校の百葉箱が」という書きこみがぽつぽつ混じるようになる。
怖い話をアーカイブしているまとめブログには、小学校にある朽ちた百葉箱の中を扱った話が「学校の不思議体験」というタグつきで収録されていて、こういう投稿が全国から少しずつ集まって、ゆるやかに型が固まっていったと考えるのが妥当だ。
もうひとつ重要な供給源がある。二〇一〇年代以降、「最近見なくなったもの」を懐かしむ系のコンテンツが大量に作られた。焼却炉、うさぎ小屋、うんてい、そして百葉箱。個人ブログやノート系の投稿サイトに「小学校から姿を消していった百葉箱」といった記事が書かれ、昭和懐古系のサイトでも百葉箱と焼却炉がセットで扱われた。
そういう記事のコメント欄で、「そういえばうちの学校のは開いてたことがあった」「中に何か入れられてた」といった書きこみが集まる。
懐古が怪談の苗床になったわけだ。これはけっこう面白い現象だと思う。物が現役のあいだは怪談にならなくて、消えかけたときに怪談になる。
だから初出のスレ名やレス番を挙げるのは無理なんだが、時期としては二〇〇〇年代後半から二〇一〇年代にかけて、複数の場所で同時多発的に形成された、と言うのがいちばん正確だ。
派生バージョンをひとつずつ
中に何かが入っている、という型
いちばん多い派生がこれ。扉が開く開かないではなく、中身が問題になる。当番が扉を開けると、温度計と湿度計のほかに、何かが置かれている。何が置かれているかはバージョンによって違って、小動物の死骸、髪の毛の束、名前の書かれた紙、写真、給食のパン、といったところ。共通しているのは、それが誰かによって意図的に置かれたものであることが明白だ、という点だ。
悪戯にしては手が込みすぎているし、悪戯にしては誰も名乗り出ない。
このバージョンで秀逸なのは、置かれているのが「その日の当番の名前が書かれた紙」というやつだ。当番表は教室に貼ってあるから、誰でも見れば分かる。だから犯人は同じクラスの誰かのはずだ、と大人は考える。ところが翌週、当番表が変更されて、急な欠席で急遽入れ替わった子が当番になった日にも、その子の名前が入っていた。当番表の変更は当日の朝に決まったことで、誰も知らなかった。ここで犯人捜しが行き詰まる。
記録がずれている、という型
こっちは扉も中身も普通なんだが、記録用紙のほうがおかしい。当番が記録した数字と、翌日その用紙を見たときの数字が違う。書き直された形跡はない。自分の字のまま、数字だけが違っている。
しかもその違いには規則があって、毎日少しずつ気温が下がるほうにずれていく。夏なのにグラフが冬の形になる。理科の先生が見て「これは記録の取り方が間違っている」と当番を叱る。当番の子は自分がちゃんと読んだと言い張る。誰も信じない。
この型は、怪異の被害者が「嘘つき」にされるところが嫌でな。学校という場所で、記録より子どもの証言が下に置かれるのは日常だから、リアリティが高い。
夜の百葉箱、という型
肝試し系の派生。校庭に忍びこんだ中学生か高校生が、深夜、百葉箱を開けにいく。理由は特にない。ただそこにあって、開けたことがなかったから。懐中電灯で照らすと、中には計器しかない。何もない。がっかりして閉めて帰る。
ここまでが前半で、後半は数日後、その中の一人が「あの夜、俺たちが百葉箱を覗いてる写真」を見せられるところから始まる。撮った覚えのない写真で、しかも撮影者の位置が問題になる。百葉箱の扉の真正面、つまり箱の内側からしか撮れない角度で写っている。この型は明らかに、心霊写真の系譜と合流したやつだ。
白いままの箱、という型
わりと最近の型で、老朽化のディテールを反転させたもの。ある学校の百葉箱だけが、何十年経っても真っ白なままで、塗り直された形跡がない。他の設備は全部くすんでいるのに、そこだけ新品みたいに白い。用務員さんに聞くと「あれは自分が来る前からああだ」と言う。歴代の卒業生に聞いても全員が「白かった」と言う。じゃあ誰が塗っているのか。
この型が面白いのは、怪異がマイナス方向ではなくプラス方向に働いているところだ。汚れる、腐る、朽ちるという時間の流れが、その一点だけ働いていない。
北を向いていない、という型
さっき本編の落ちで触れたやつを、独立した話に仕立てたバージョン。ある学校の百葉箱だけ、扉が北を向いていない。南向き、あるいは東向きに設置されている。理科の教員が気づいて「これは設置基準を満たしていない、記録が不正確になる」と指摘し、業者を呼んで向きを直させる。ところが翌朝、また元の向きに戻っている。基礎ごと回転している。人力では無理な作業のはずだ。何度直しても戻る。
最終的に学校は撤去を決める。撤去の日、基礎を掘り返したら下から何かが出てくる、というところで切れるバージョンと、何も出てこないまま終わるバージョンがある。個人的には何も出てこないほうが怖いと思う。
体験談・目撃談
一件目 一九九〇年代、東北の公立小学校
まとめブログや投稿サイトで繰り返し引用されている、朽ちた百葉箱の話がこれだ。
語り手は当時小学五年生。学校には百葉箱が二つあったという。ひとつは校庭の北隅にある現役のやつで、白く塗り直されていて、理科の授業でも使う。もうひとつは、校舎の裏手、体育館と塀のあいだの細長い空間に立っている古いやつで、こちらは完全に朽ちていた。屋根が半分落ちていて、鎧戸の板が何枚も抜けていて、脚の一本が折れて斜めに傾いていた。中の計器はとっくに外されている。
子どもたちのあいだでは、そっちの百葉箱には近づくな、というルールがあった。誰が決めたわけでもなく、上級生から下級生に伝わっていた。理由は誰も知らない。ただ「あそこの百葉箱は開けちゃだめ」と言われていた。傾いていて危ないから、という大人向けの説明はあったが、子どもたちはそれを信じていなかった。
語り手はある日、掃除の時間に体育館裏の掃除当番になって、ひとりでそこに行った。傾いた百葉箱の扉は、閉まっていた。というより、扉が歪んでいて枠に食いこんでいるように見えた。語り手は好奇心に負けて、扉に手をかけた。動かない。もう一度、両手で引っぱった。動かない。三度目に力を入れたとき、扉ではなく箱全体がぐらついて、中で何かが動く音がした。乾いた、木より軽いものが転がる音。
語り手はそこで手を離して逃げた。その日の夜、家で寝ていると、あの転がる音が耳の中で鳴り続けていて眠れなかった。翌日、掃除当番を代わってもらった。それから卒業するまで、体育館裏には一度も行っていない。中に何があったのかは今も知らない。
語り手はこの話を、「今なら分かるけど、たぶん枯れ葉か小石だったんだと思う。でもあの音を思い出すと今でも背中が寒くなる」と締めている。
この話の良さは、決着をつけていないところだ。中を見ていない。だから恐怖が保存されている。
二件目 二〇〇〇年代、関東の公立小学校、気象係の記憶
こちらは、気象係をやっていた人の記憶として書かれた投稿。語り手は女性で、四年生のときに気象係だった。当番は二人一組で、朝の会の前に百葉箱に行く。この学校の百葉箱は校庭の隅ではなく、校舎とプールのあいだの、日当たりの悪い細い通路に立っていた。設置基準からすると明らかにおかしい場所なんだが、増築を繰り返した結果そうなったらしい、と語り手は書いている。
語り手が覚えているのは、扉を開けたときの匂いだという。木と、金属と、少し湿った土のような匂い。それから、中の温度計の目盛りが異様に細かくて、四年生の視力では読むのに顔をかなり近づけないといけなかったこと。顔を箱の中に突っこむような姿勢になる。その姿勢のときだけ、視界が箱の内側で埋まる。左右も上も下も白い板で、正面に細い目盛りがある。
ある朝、いつものように顔を突っこんで目盛りを読んでいたら、後ろで相方の子が「早くして」と言った。語り手は「うん」と答えて数字を読み終え、顔を上げて振り返った。誰もいなかった。相方の子は、その日は熱で休んでいた。当番は語り手ひとりだった。
語り手は記録用紙を持ったまま教室まで走って戻り、それ以来、百葉箱の扉を開けるときは必ず誰かに立ち会ってもらうようにした。
語り手が付け加えているディテールが妙に効いていて、「あのとき『早くして』と言った声は、確かに相方の声だった。でも今思うと、あの子はわたしに『早くして』なんて言ったことは一度もなかった」と書いている。声は知っているのに、その人らしくない。この種の違和感の書き方はうまいと思う。
三件目 二〇一〇年代、撤去された百葉箱と穴
これは大人になってからの体験として語られる型。語り手は男性で、三十代。仕事で母校の小学校の近くを通ることになって、休憩がてら校庭を外から眺めた。土曜日で、校庭では少年野球チームが練習していた。
語り手は、自分が子どものころに百葉箱があった場所を探した。校庭の北の隅、体育倉庫のそば。そこには何もなかった。芝生も剥がれて、ただの土になっている。ただ、四つの穴が正方形に並んで残っていた。脚が刺さっていた跡だ。埋め戻されていない。
語り手はフェンス越しにその穴をしばらく見ていた。そして、自分が百葉箱について何ひとつ具体的に思い出せないことに気づいた。あったことは覚えている。白かったことも覚えている。でも、開けたことがあるかどうか思い出せない。中を見たことがあるかどうかも思い出せない。理科の授業で使ったかどうかも思い出せない。六年間そこにあった物なのに、記憶が輪郭だけしかない。
その夜、語り手は夢を見た。夢の中で、彼は子どもの姿で校庭に立っていて、百葉箱の前にいる。扉は開いている。中を覗こうとするんだが、どうしても顔が近づかない。首から下が動かない。誰かが後ろから「読んで」と言う。読もうとするけど、目盛りの数字が読めない。数字ではない何かが書いてある。そこで目が覚める。
語り手はこの夢を三日連続で見て、四日目に見なくなったと書いている。そして最後にこう付け足す。「あの穴、次に通ったときには埋められてました。でも、埋められたところの土だけ、色が違うんですよ」。
この三件目は、幽霊も音も出てこない。出てくるのは「思い出せない」という感覚だけだ。それでも読後感がいちばん重いのは、たぶん誰にでも心当たりがあるからだと思う。
四件目 教員側から語られる話
補足的に、学校の側から語られている話も挙げておく。
ある小学校で、老朽化した百葉箱を修繕することになった。学校ブログなどを見ると、実際に百葉箱の修繕や更新をした記録は各地の学校で公開されていて、これ自体はよくあることだ。ところがこの話では、業者が扉を外して工房に持ち帰り、修理して戻ってきたときに、扉の内側に鉛筆で書かれた文字が見つかった。古い字で、児童のものらしい筆跡。書かれていたのは、日付と、名前と、数字。日付は三十年以上前のもの。
学校が調べると、その日付にその名前の児童は在籍していた。ただし、その日付は、その児童が転校していったあとの日付だった。
この話の面白さは、怪異が「記録の残し方」に宿っているところだ。百葉箱は記録するための装置で、その装置の裏側に、公式ではない記録が残されている。学校という場所の記録癖と、それから漏れるものの対比が効いている。
掲示板と交流サイトの反応、それから考察と反証
百葉箱怪談がネットに載ると、コメントの反応はだいたい四つに分かれる。
まず「うちの学校にもあった」系の共感。これが圧倒的に多い。世代を問わず、日本で公立小学校に通った人のほとんどが百葉箱を見ている。だから舞台設定に説明がいらない。学校の怪談としてはこの共有基盤の広さがかなり強い。ただ、この共感層はだいたい「あったよね」で止まって、怪異そのものには乗ってこない。
次に、実務的なツッコミ層。これがけっこう手厳しい。
まず、扉が勝手に開く現象については、圧倒的に物理的な説明がつくと指摘される。百葉箱の扉は木製で、屋外に何十年も置かれているから、湿気で膨らんだり乾燥で縮んだりを繰り返す。金具は錆びる。留め具のフックは緩む。傾斜した地面に立っていれば、扉は自重で開く方向に動く。強い風が吹けば、鎧戸のすきまから入った風圧で押し開けられることもある。
「南京錠が掛かったまま扉が開いていた」という核心的なディテールについても、蝶番の側のネジが抜けていれば、錠を掛けたまま扉が枠から外れて開くことは普通に起きる、と指摘されている。つまり、この怪談の一番の見せ場は、木造の屋外構造物の劣化そのものだという説明だ。
三つ目は、記憶の再構成を指摘する層。三件目の体験談みたいに、「百葉箱があったことは覚えているが具体的なことは何も思い出せない」というのは、怪異でもなんでもなくて単に記憶の減衰だ、という話。子どもの記憶は、視覚的に印象の強い物の輪郭だけを残して、その周辺の文脈を落とす。百葉箱は形が特徴的だから輪郭は残る。でも係活動の内容や授業での使用は、他の日常の記憶に埋もれて消える。
だから「あったのに何も覚えていない」という状態が量産される。そこに「不自然だ」という解釈を後から乗せると、怪談になる。この説明はかなり説得力があると思う。
四つ目は、この怪談の成立時期を制度の変化と結びつける考察層だ。ここが個人的にいちばん面白い。
百葉箱はなぜ学校から消えていったのか
百葉箱怪談を理解するのに、いちばん効いてくる事実はこれだ。百葉箱は今、日本の学校から急速に姿を消している。しかもその消え方には、はっきりした制度的な理由がある。
まず気象官署の側。日本の気象台や測候所では、一九九三年以降、百葉箱による気温の観測が廃止された。代わりに使われるようになったのが強制通風筒というやつで、金属製の筒の中に温度計と湿度計を入れて、ファンで強制的に風を送りながら測る方式だ。この方式のほうが精度が高く、しかも遠隔での自動観測ができる。従来は観測者が実際に百葉箱のところまで歩いていって、扉を開けて、目で数字を読むしかなかった。
それが不要になった。アメダスの整備と無人化の流れのなかで、百葉箱は役目を終えた。
次に学校の側。ここが決定的なんだが、平成四年、つまり一九九二年の省令改正で、それまで「百葉箱」と名指しで書かれていた記述が「気象学習用具」という括りに変わった。この改正によって、学校が百葉箱を設置することは義務ではなくなった。理科教育振興法とその省令によって全国の小学校に置かれた白い箱が、四十年近く経って、設置根拠を失ったわけだ。
そこに現場の事情が重なる。理科教育に割ける時間が減った。敷地の狭い学校が増えた。百葉箱は設置基準が厳しくて、日当たりの照り返しを受けない、風通しのいい、芝生の上、という条件を満たす場所が校庭に確保できない。芝生の維持にも手間がかかる。木製だから定期的に塗り直さないと朽ちる。そして肝心の測定は、今なら教室に置いたデジタル温湿度計でも、気象庁のウェブサイトを見ても済んでしまう。
こうして百葉箱は、撤去されるか、あるいは撤去もされずに校庭の隅に立ったまま朽ちていくかのどちらかになった。この「撤去もされずに朽ちる」というパターンが、怪談にとって決定的に効いてくる。
考えてみてほしい。ある設備が現役で使われているあいだは、それは日常の道具だ。誰かが毎日開けて、数字を読んで、閉める。管理者がいて、目的がある。ところが根拠を失った設備は、誰の担当でもなくなる。壊れても直されないが、危険でもないから撤去もされない。予算がつかないから放置される。結果として、校庭のいちばん端に、誰の管理下にもない木の箱が立ち続けることになる。子どもは毎日それを見る。
でも誰もそれについて説明してくれない。
学校というのは、あらゆる物と場所に管理者と用途が割り当てられている空間だ。教室には担任、理科室には理科の教員、体育倉庫には体育の教員、給食室には調理員。子どもは学校を「全部誰かのもの」として経験する。そのなかに、誰のものでもない物がひとつだけあったら、それは異物になる。怪談が生えるのは、まさにそこなんだよな。
建築的な条件も付け加えておく。百葉箱の設置位置は、基準を守ろうとすると必然的に校庭の隅になる。校舎の影に入らず、照り返しを受けず、風通しがよく、人の動線から外れた場所。つまり、日常的に人が通らないエリアだ。
しかも扉は北向き。北向きということは、校舎が北側にあるレイアウトの学校では、扉は校舎のほうを向く。逆に校舎が南側にあれば、扉は校庭に背を向ける。どちらにしても、扉の面と、子どもがそこへ歩いていく方向は、たいていずれている。だから当番の子は、箱の側面か背面を見ながら近づいて、回りこんで扉に向き合うことになる。この「回りこむ」という一手間が、記憶のなかでは方向感覚の混乱として残りやすい。
なぜこれが怖いのか、なぜ広まったのか
百葉箱怪談の怖さを一言でいうと、「開けるべきものが、開いていた」ということに尽きる。
百葉箱の扉は、開けるためにある。それが用途だ。当番は毎日それを開ける。閉じているのが平常で、開けるのは人間の行為。ここに明確な役割分担がある。ところが「勝手に開いていた」という事態は、その分担を壊す。開けるという行為が、人間の専権事項ではなくなる。
しかも見逃せないのは、これが「開かない」ではなく「開いている」だという点だ。開かずの間、開かない扉、開けてはいけない部屋。学校の怪談の定番はほとんど「閉じている」側の怪異でな。閉じているものは、開けるまで中身が分からないから怖い。ところが百葉箱の怪談は逆で、開いている。中身は見えている。温度計と湿度計しかない。何も隠されていない。それなのに怖い。
なぜかというと、恐怖の対象が中身ではなく「開けた誰か」に移っているからだ。開いているということは、開けた者がいるということ。その者は今どこにいるのか。校庭に誰もいない朝、扉だけが開いている。この構図は、姿を見せない主体の存在を、扉の角度ひとつで証明してしまう。心霊写真より効率がいいと思う。
もうひとつ、この怪談が地味なわりに刺さる理由がある。百葉箱は「測る」ための道具だという点だ。気温を測り、湿度を測り、記録する。それは、目に見えない環境の状態を数字にして把握するための装置で、つまり不可視のものを可視化する機械だ。
その機械が、その日の天気とまったく合わない数字を出す、という派生バージョンが多いのは偶然じゃない。測定器が狂うというのは、世界の側が狂ったのか、器械が狂ったのか、それとも読んでいる自分が狂ったのかが分からなくなるということだからな。子どもがそれを最初に体験する場所として、百葉箱はかなり適任だ。
そして広まった理由。これはさっきも触れたけど、百葉箱が消えつつあるからだと思う。現役のあいだは、あの箱はただの理科の道具だった。消えはじめると、記憶のなかにだけ残る。記憶のなかの物は、細部が曖昧になり、輪郭だけが残り、誰かがそこに物語を注ぎこむ余地ができる。焼却炉が一九九七年のダイオキシン対策で原則廃止になったあと、焼却炉怪談がむしろ増えたのと同じ構造だ。
物が現実から消えると、その物は怪談に移住する。
人の背丈をした、中が空洞の物体
ここからは、この話をもう少し深く掘っておく。
まず考えたいのは、百葉箱という物の形そのものが持っている性質だ。あれは、屋外に置かれた「箱」でありながら、人が入れないサイズで、しかも中に人間の道具が入っている。この条件を満たす物は、実は日常にあまりない。ポストは似ているが、あれは投入するためのもので、覗くためのものではない。電気メーターの箱も似ているが、あれは建物に付随している。
百葉箱は独立して立っていて、脚があって、人の顔の高さに開口部がある。つまり、あれは形の上では「人の背丈をした、中が空洞の物体」なんだよな。
民俗学的に見ると、これは箱にまつわる古い想像力の系譜にきれいに乗る。開けてはいけない箱、開けると何かが出る箱、中身が分からない箱。日本の説話には浦島太郎の玉手箱があるし、世界的にはパンドラの箱がある。箱というのは、中身を隠すと同時に、中身があるということを示す装置でな。中身がないなら箱はいらない。だから箱がそこにあるだけで、中に何かがあるという前提が生まれる。
百葉箱の場合、実際の中身は温度計と湿度計という、これ以上ないほど散文的なものだ。この期待されるものと実際の中身のギャップが、逆に不気味さを生んでいる可能性がある。あれだけ厳重に、白く塗られ、鎧戸に囲まれ、脚を立てて、北を向いて設置されている箱の中に、体温計みたいな物しか入っていない。過剰な保護と、中身の貧しさ。この不釣り合いが、「本当はもっと別のものが入っていたのでは」という想像を呼ぶ。
地味さは弱さではない
次に、この怪談の「地味さ」が持っている強度について。
冒頭でこれは学校怪談でいちばん地味だと書いたが、地味さは弱さではない。むしろ、都市伝説としては地味なほうが生き延びる。
派手な怪談には検証可能な要素が多く含まれる。理科室の人体模型が動くという話には、その学校に人体模型があるかどうかという検証点がある。十三段目の階段には、階段の段数を数えるという検証行為が付随する。検証されると、話は死にやすい。
百葉箱怪談の中心にある「扉が開いていた」という現象は、検証しようがない。開いていたか閉まっていたかを後から確かめる方法はないし、そもそも証拠が残らない。しかも、扉が開いている状態には自然な説明がいくらでもつく。説明がつくということは、否定もされないということだ。否定されない話は、静かに長く生き残る。
三つ目に、この怪談が学校怪談全体のなかで占める位置についても考えておきたい。
学校の怪談の大部分は、時間の境界と結びついている。放課後、夜、真夜中の十二時、四時四十四分。日常の時間帯からずれた瞬間に怪異が起きる。ところが百葉箱怪談は、ほぼ例外なく「朝」に起きる。当番が朝の会の前に記録を取りに行く、その時間だ。これは学校怪談としてかなり珍しい。朝は、学校がいちばん健全で、明るくて、管理が行き届いている時間帯のはずだ。その時間に怪異が起きる。
なぜ朝なのかというと、答えは単純で、百葉箱の当番が朝だからだ。制度がそう決めているから、怪異もその時間に合わせるしかない。ここが面白いところで、怪談というのは自由に発生しているようでいて、実は学校の時間割にきっちり縛られている。花子さんがトイレにいるのは、子どもがトイレに行く時間があるからだ。音楽室のピアノが鳴るのは、音楽室が放課後に無人になるからだ。
百葉箱が朝に開いているのは、当番が朝に行くからだ。学校という制度が、怪異の出勤時間まで決めている。常光徹が学校の怪談を「非日常を生み出す文化装置」と呼んだのは、まさにこういうことなんだと思う。非日常が、日常の側の時間割に従って生産されている。
記録するための装置が、記録を疑わせる
四つ目に、記録という主題について。
この怪談には、記録にまつわるモチーフが異様に多い。記録用紙、気温グラフ、当番表、記録の改ざん、記録がずれる、扉の裏の書きこみ。百葉箱は測定装置であると同時に、子どもに「毎日同じ場所で同じことを測って書き残す」という訓練をさせる装置でもあった。理科教育振興法の趣旨からすればそれが目的だ。観測を習慣化させ、データを蓄積させ、変化をグラフで見せる。近代的な科学の作法を身体に入れる。
その訓練装置に怪異が取りつくとどうなるか。記録が信用できなくなる。自分が書いたはずの数字が違っている。自分が読んだはずの目盛りが読めない。自分が閉めたはずの扉が開いている。
つまり百葉箱怪談は、「自分の観測と記録は信頼できる」という近代科学の前提そのものを揺さぶる話になっている。地味なわりに、けっこう大きなところを突いているんだよな。理科教育のために置かれた装置が、理科教育の根本を疑わせる怪談の舞台になっている。この皮肉は、たぶん誰も意図していないんだけど、だからこそよくできている。
五つ目、これは実際的な注意なんだが、この怪談を面白がるあまり、実在の学校に立っている百葉箱を勝手に開けにいく、みたいなことはやめたほうがいい。まず不法侵入だし、百葉箱は精密ではないにしろ観測機器で、開けっぱなしにすると当日の測定値が使い物にならなくなる。今も現役で使っている学校はあるし、老朽化した箱を修繕して使い続けている学校の記録も各地にある。
二〇二四年に百葉箱を新しくして、これからも校庭で存在感を示していく、と書いている中学校もある。怪談の材料であると同時に、誰かの授業の道具だということは忘れないでおきたい。
用が済んだ物が、その場に残り続けること
この話をずっと調べていて思ったのは、百葉箱怪談の本当の主題は幽霊ではなく、「用が済んだ物がその場に残り続けること」なんじゃないか、ということだ。
制度が変わり、技術が変わり、その物の存在理由がなくなる。それでも物は物理的にはそこに残る。誰も使わないし、誰も片づけない。子どもたちはそれを毎日見て育つ。用途を知らないまま、名前だけ知っている。そういう物が校庭に立っていたら、そこに何かが宿るのはむしろ自然なことだと思う。
日本じゅうの学校に何万台も置かれた白い箱が、四十年かけて役目を終え、いま静かに消えていっている。その最後の何十年ぶんの沈黙が、扉が勝手に開くという、たったそれだけの話に凝縮している。だから怖いというより、たぶん、寂しい。
校庭の隅で、北を向いた扉が、誰も来ないのに開いている。もう誰も数字を読みに来ないと知っていて、それでも一日一回、開いてみせている。そう考えると、あの箱がやっていることは、ちょっと律儀すぎるくらいだ。
