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健康診断・身体測定の怪――受けていないはずの生徒のデータが残る理由

この怪談の核心は、幽霊でも祟りでもない。「数えられているはずのものが、正しく数えられていないかもしれない」という不安だ。

学校というのは、出席番号、学籍簿、健康診断票と、あらゆる形で生徒の存在を数値と記録で管理しようとする組織である。その網の目は完璧だという前提があるから、そこにわずかなほころびが見えたときの恐怖が際立つ。雑巾がけ競争の怪談で語られる「頭数が合わない」も、校歌三番の怪談に出てくる「名簿にない転校生」も、同じ系譜にいる。人数と記録の不整合への恐怖は、学校怪談というジャンル全体を貫く太い一本だ。

なかでも健康診断の怪談は、紙からデジタルへという学校現場の変化を敏感に吸い込んで、「消せないレコード」という新しい怖さを生み続けている。今も進化中の、生きた怪談なんだよな。受けていないはずの生徒のデータがなぜ残るのか。答えは誰にもわからないまま、今日もどこかの学校の保健室の書庫か、サーバーの片隅で、その記録は静かに眠り続けている。

身体測定は、健康のためじゃなく体操の成績を測るために始まった

まず前提をひっくり返しておきたい。学校で身体を測るという行事は、子どもの健康を守るために始まったわけじゃない。文部科学省が公開している学校健康診断の変遷資料によれば、出発点は明治十一年、東京の神田一ツ橋にあった体操伝習所だ。そこで「活力検査」というものが始まった。持ち込んだのはアメリカから招かれたジョージ・A・リーランド。

狙いは、体操という新しい教科に本当に効果があるのかを数字で確かめることだった。

検査の項目がまた独特だ。体長、体重、臀囲、胸囲、指極、力量、握力、肺量の八つ。臀囲は尻まわり、指極は両手を横いっぱいに広げたときの指先から指先までの長さである。今の身体測定とはずいぶん顔つきが違う。子どもの身体を数値にするという発想が、最初は教育効果の測定装置として輸入された。ここがこの行事の血筋になっている。

制度化は驚くほど早い。明治二十一年に活力検査の訓令が出て直轄学校へ広がり、明治三十年には学生生徒身体検査規程が訓令として出る。明治三十三年にはそれが省令に格上げされ、全国の市町村立学校に義務づけられた。大正九年の文部省令では「体格」という項目が消え、代わりに「発育概評」と「栄養」が入る。子どもの身体をどう言葉にするかが、時代ごとに書き換えられてきたわけだ。

目的欄に「体位ノ向上」と書き込まれた年

昭和十二年一月、学校身体検査規程が文部省令として出される。ここで目的規定に「体位ノ向上ト健康ノ増進」という文言がはっきり書き込まれた。教育の話に見えて、背景にいるのは軍だ。

その前年の昭和十一年五月、陸軍省医務局長の小泉親彦が全国学校衛生技師会議で講演している。内容は、壮丁徴兵検査の成績が落ちているという統計的な指摘だった。大原社会問題研究所の雑誌に載った研究がこの流れを丁寧に追っていて、講演をきっかけに「国民体位の低下」が教育政策の課題として立ち上がっていく様子が書かれている。翌年の省令に「体位ノ向上」が入ったのは、その延長線上にある。

さらに昭和十五年、国民体力法が成立する。二十歳未満を体力検査の対象にして、受けた本人か保護者に「体力手帳」を交付し、保管と提示を義務づけた。子どもの身体の数値が、国家の台帳に載る。怪談が「記録だけが残り続ける」ことを怖がるより先に、現実のほうが記録で人間を管理する仕組みを作っていた。

戦後、昭和三十三年の学校保健法で用語が「身体検査」から「健康診断」へ変わる。平成二十年に学校保健安全法へ改称されて今に至る。名前がやわらかくなっても、毎年全員の数値を集めて保存するという骨格は、明治から一度も切れていない。

座高が消えた理由は、拍子抜けするほど事務的だった

この怪談を語るときに必ず出てくるのが座高だ。座高測定は昭和十二年の学校身体検査規程で入り、長らく必須項目として続いた。それが廃止される。文部科学省令の改正によって、平成二十八年度から必須項目ではなくなった。

廃止を検討したのは「今後の健康診断の在り方等に関する検討会」という会議で、平成二十四年五月に設置され、平成二十五年十二月までに九回開かれた。その資料が面白い。座高測定を省略したいと答えた学校の割合が、幼稚園で十八パーセント台、高校では三十六パーセント台に達していた。理由として並んでいるのが「測定した結果を活用することがない」「検査の必要性がない」。要するに、測っても誰も使っていなかった。

通知では、座高の代わりに身長曲線や体重曲線を活用することが大切だ、と説明されている。当時の新聞も「ほとんど活用されず」という見出しで報じた。何十年も全国の子どもを座らせて測り続けてきた数値が、実は使い道のないまま蓄積されていた。怪談よりこっちのほうが薄ら寒い。

「徴兵に有利だから座高を測った」という話、裏が取れない

座高の話には有名な尾ひれがある。胴が長いほど徴兵検査で有利とされたから座高を測っていた、というやつだ。ネットではほぼ定説みたいに流通している。

だが、これを裏づける記録は見つからない。徴兵令の合否基準として明記されているのは身長などで、明治六年の徴兵令では五尺一寸以上という基準が置かれていた。座高を選抜の基準にしたという法令や軍令の記録には行き当たらなかった。しかも座高が学校の必須項目になったのは昭和十二年で、徴兵制度が始まってから六十年以上あとの話だ。時系列としても素直につながらない。

もう少しましな説として、座高は上半身の長さから内臓の発育状態を推測するために測られた、という説明がある。教育や医療の解説記事ではよく見かける。ただしこれも、昭和十二年の規程そのものにその目的説明は見当たらず、当時の逐条解説にあたる一次資料までは確認できなかった。よく語られる、けれど出所は霞んでいる。その程度の確度だと思って読むのがいい。

同じ年に廃止されたのが寄生虫卵検査、つまりぎょう虫検査だ。こちらも検討会の資料では「発見されることが少ない」「負担が大きい割にメリットが少ない」という現場の声が並ぶ。検出率が一パーセントを切っていたという数字が広く紹介されているが、その数値がどの調査から来たのかまでは特定できなかった。

ちなみに通知は全面廃止を命じたわけではなく、陽性者が一定数いる地域では引き続き取り組む必要がある、と書き添えている。

色覚検査はもう少し早く、平成十五年四月から必須項目を外れた。ただ話はそこで終わらない。自分の色覚特性を知らないまま進学や就職で不利益を受ける例が報告された。そこで平成二十六年の通知が、保健調査に色覚の項目を加えること、希望者には検査できる体制を整えることを留意事項として書き込んだ。消したはずの検査が、形を変えて戻ってきている。

記録は五年で捨てられる。だから怪談は成立しないはずだった

ここが一番この怪談に効いてくる事実だ。児童生徒等の健康診断票の保存年限は、学校保健安全法施行規則で五年と決まっている。永久保存ではない。五年経ったら処分できる。

一方で指導要録は二段構えになっていて、学籍に関する記録は二十年、指導に関する記録は五年。この二分割は平成四年四月から施行された仕組みだ。それ以前は昭和二十二年に学籍簿十五年以上、昭和二十五年に指導要録十年以上、昭和三十一年に二十年間、と何度も入れ替わっている。学校がどれくらい過去を抱え込むべきか、国自身がずっと迷ってきたのがわかる。

つまり制度どおりに運用されていれば、何年も何十年も同じ名前の測定記録が棚に残り続ける、という怪談の前提はそもそも成り立たない。五年で消えるはずなのだ。にもかかわらずこの手の話が全国で語られるのは、現場の書庫が制度どおりになっていないことを、みんなうっすら知っているからだろう。捨てそびれた紙束は、どこの学校にもある。

全国の身長データは、実は全員分じゃない

もうひとつ、意外と知られていない事実がある。毎年ニュースになる「今年の中学二年生の平均身長」は、全国の子ども全員を集計した数字じゃない。

学校保健統計調査は明治三十三年に「生徒児童身体検査統計」として始まり、昭和二十三年に学校衛生統計、昭和三十五年に現在の名称になった。統計法にもとづく基幹統計調査で、実施主体は文部科学大臣。そしてこれが標本調査だ。層化二段無作為抽出法などを使って、抜き取った学校のデータから全国値を推計している。

全員を測っているのに、国が持っているのは抜き取り。この構造は怪談と相性が良すぎる。全員分の数値はどこにも集約されず、各学校の書類の中で五年待って消える。誰も全体を見ていない。記録の一枚くらい紛れ込んでいても、気づく仕組みが最初から存在しないわけだ。

保健室に医者を置けと決めたのは、明治三十一年の勅令だった

保健室が怪談の舞台になりやすいのは、あそこだけ学校の中で毛色が違うからだ。授業の論理ではなく、医療の論理で動いている部屋。その来歴も、実はかなり古い。

明治三十一年、公立学校に学校医を置くという勅令が出ている。校舎の中に医者を常駐させる、あるいは定期的に呼ぶという発想が、明治のうちに制度として据えられた。以来、学校は教える場所であると同時に、身体を検査して記録する場所になった。二つの機能が同じ建物に同居している。この二重性が、保健室という部屋に独特の静けさを与えている。

授業中の廊下は静かだ。だが保健室の静けさはそれとは質が違う。そこには順番待ちの列があり、名前を呼ばれるまで黙って座る時間があり、呼ばれたら服を脱いで数値になる手続きがある。子どもにとっては、学校という場所が自分を人間ではなく数値として扱う瞬間を、はっきり体感する数少ない機会でもある。

だから怪談のモチーフが「人数のずれ」に集中するのは筋が通っている。数値になった瞬間、人は入れ替え可能になる。列に一人多くても、記録が一枚多くても、数値の世界では矛盾にならない。矛盾になるのは、誰かがそれを人間の名前に戻そうとしたときだけだ。あの話が怖いのは、幽霊が出てくるからじゃない。書類のほうが人間より辻褄を優先する現場を見せられるからだと思う。

マイナポータルに校医の所見が並ぶ時代の怪談

そして今、この怪談の舞台は紙からデータへ移りつつある。令和五年六月の閣議決定を根拠に、学校健康診断情報を本人のヘルスレコードへつなぐ事業が動き出した。校務支援システムで電子化した健診結果を民間の送達サービス経由で配信し、マイナポータルで確認できるようにする、という仕組みだ。令和六年三月には電子的様式の標準も公表されている。

紙の診断票は五年で捨てられる。では、いったん本人のポータルに流れ込んだ数値はどうなるのか。標準化されて機械で読める形になったデータは、紙よりはるかに長く、はるかに広く残る。削除しようとするとエラーが出て消えないレコード、という怪談の結末が、いまや技術的にありえない話ではなくなってきた。

この話の面白いところは、怪異のほうが制度の変化に合わせて律儀に引っ越してくる点にある。舞台が保健室の書庫からサーバーへ移り、達筆な万年筆の字は正体不明の生徒IDに変わった。中身は同じだ。数えられているはずの人数が、どこかで一人ずれている。その気配だけが、書式を替えながら学校に住み着いている。

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