校庭に出て、いちばん低いところを探してみてほしい。たいていの学校で、それは砂場だ。
校舎があって、朝礼台があって、鉄棒があって、ジャングルジムがあり、どれも地面から上に伸びている。砂場だけが逆で、地面を掘って枠を置いて、そこに砂を入れてあり、周りより数十センチ低い。雨が降れば水が溜まる。
風が吹けば砂が飛んで、砂場の外にうっすら砂が広がる。校庭でいちばん低くて、いちばん柔らかくて、いちばん形が残る場所。それが砂場だ。
だから怪談が集まる。低いところには水と土と、それから話が溜まるのだ。
学校の怪談といえば、まず思い浮かぶのはトイレの花子さんで、次が音楽室のベートーベン、階段の十三段目、理科室の人体模型あたりだろう。この並びに砂場は入ってこない。入ってこないくせに、砂場の怖い話は妙にたくさんあり、しかもどれも似ている。全国のどこの学校でも、砂場については同じような話が語られてきた。
掘ると何かに当たり、朝になると誰も作っていない山ができており、砂が減る。人の形が残る。
この記事では、その砂場という設備そのものを主役にする。砂場がどこから来た設備なのか、誰がどう管理しているのか、どんな話が語られてきたのか、なぜそれが怖いのか。全部まとめて書くので、長くなる。覚悟してほしい。
砂場という設備は、実は輸入品である
まず知っておいてほしいのは、砂場は日本古来のものではないということだ。あれは十九世紀のヨーロッパから来た、わりと新しい発明品である。
ベルリンの公園に積まれた、ただの砂の山
出発点は十九世紀のドイツであり、フリードリヒ・フレーベルという教育者がいる。幼稚園という制度そのものを作った人物で、恩物と呼ばれる教育玩具の考案者としても知られている。一八五〇年前後、フレーベルの幼稚園思想の流れのなかで、子どもが自由に触れられる素材として砂が注目された。ベルリンの公園に、子どもが遊ぶための砂の山が積まれた。
囲いもない、枠もない、ただ砂を盛っただけのものだったという。
これが砂場の原型とされており、遊具ではない。砂の山であり、滑り台やブランコと違って、砂の山には決まった遊び方がない。積む、掘る、崩す、埋める。
何をしてもいいし、何もしなくてもいい。フレーベルの思想からすれば、まさにそこがよかったわけだ。恩物は形が決まっていて、決められた手順で扱うものだった。砂は真逆で、形が決まっていない。子どもが手を入れた分だけ形が変わっていく。
そしてこの「手を入れた分だけ形が変わる」という性質こそが、のちに怪談の温床になる。誰かが手を入れたら、その痕跡が残るということだからだ。
ボストンで始まった、サンドガーデン運動
砂の山をアメリカに持ち込んだのが、マリー・エリザベス・ザクルゼフスカという医師だった。ポーランド出身でドイツで医学を学び、アメリカに渡って女性のための病院を開いた人物である。彼女はドイツの砂の山を見て、これはアメリカの都市にこそ必要だと考えた。
一八八〇年代、ボストンに最初の砂の山が置かれた。場所は移民が密集するスラム街の空き地である。当時の都市の子どもには遊び場がなく、路地と道路しかなくて、そこは危険だった。空き地に砂を入れて、そこで遊ばせる。
この試みは効いた。子どもたちは砂に夢中になり、大人が驚くほど長時間そこにいた。
この動きはサンドガーデン運動と呼ばれ、ニューヨークにもシカゴにも広がったのだ。やがてジョセフ・リーらによる遊び場運動へと発展していく。ここが重要なところで、砂場はもともと「遊具」として発明されたのではなく「都市の子どもを路上から引き上げるための社会事業」として広まった。福祉施設に近い出自を持っている。
砂場が学校や公園という公共の場所に置かれているのは偶然ではない。最初から公共のものとして設計された装置なのであり、誰でも入れて、誰でも触れる。管理者はいるが、鍵はかからないし、夜も開いている。
この「夜も開いている」が、また怪談の下地になる。
日本に入ってきたのは明治の終わり
日本への移入は明治三十年代の末、おおよそ一九〇〇年前後とされている。幼稚園教育の輸入と一緒に入ってきた。当時の日本の幼児教育はフレーベルの恩物を使ったもので、これがかなり堅苦しかった。決まった積み木を決まった順序で扱い、子どもは座って手を動かす。
そういう教育だった。
そこに砂場が来た。屋外で、汚れて、自由に形を変えられるのだから、反動として爆発的に受け入れられたのは想像がつく。大正時代に入ると全国に一気に広まった。都市部の幼稚園から始まり、小学校の校庭にも置かれるようになった。
制度として決定的だったのが大正十五年、一九二六年の幼稚園令である。この勅令と、それに伴う幼稚園令施行規則によって、幼稚園に備えるべき設備が具体的に列挙された。遊嬉具、絵画、楽器、黒板、机、椅子、そして砂場、砂場が法令に名指しで書き込まれたわけだ。ここで砂場は「あってもいい設備」から「なければならない設備」に変わった。
小学校のほうは幼稚園ほど直接的な規定ではないが、体育の授業で走り幅跳びをやるとなると着地用の砂場が必要になる。低学年の遊び場としての砂場と、体育用の跳躍砂場、この二つが校庭に置かれ、学校によっては兼用された。ここも後で効いてくるポイントで、砂場が二つあったり、遊び用と幅跳び用の性格が混ざったりする学校では、怪談の型も混ざる。
戦後の学校建築の標準化のなかで、砂場は校庭の当たり前の構成要素として定着した。昭和三十年代には文部省が砂の質についての基準的な資料も出していて、子どもの砂遊びには川砂が適しているとされていた。粒が大きめで、乾けばさらさらになる砂だ。
公園の砂場と校庭の砂場は、実は別物
同じ砂場でも、公園にあるものと校庭にあるものでは性格が違う。
公園の砂場は都市公園法や自治体の公園条例の管轄で、児童遊園の標準的な設備として、ブランコ、滑り台、砂場、ジャングルジムといった組み合わせが長く定番だった。管理するのは公園部局で、点検も清掃も公園の巡回のなかでやる。誰でも二十四時間入れる。
校庭の砂場は学校施設で、管理者は学校長であり、予算は学校の営繕費や教育委員会の施設費から出る。砂の補充も、学校の事務職員が申請を上げて教育委員会が配当するという事務手続きを通る。ある政令指定都市の例では、体育用の砂場の砂は三立方メートル単位で配当され、それがちょうど四トントラック一台分になる。つまり砂の補充は「トラックが校庭に入る日」なのである。
この違いは怪談の質にも出る。公園の砂場の怖い話は、不特定の他人が入ってくる話になりやすい。夜中に誰かが来た、知らない人がいた、という型だ。校庭の砂場の怖い話は逆で、「誰も入れないはずなのに」という前提から始まる。門が閉まっている。
フェンスがあり、それでも朝になると砂場に何かがあり、閉じられた場所だからこそ、痕跡が異物になる。
砂場は、思っている以上に手のかかる設備だ
怪談の前に、現実の砂場の管理について書いておきたい。ここを知っておくと、話の解像度がまるで変わる。
砂は減る。これは怪談ではなく物理である
まず大前提として、砂場の砂は必ず減る。これは怖い話ではなくて、ただの当たり前の物理現象である。
子どもの靴と靴下と服とポケットに入って持ち出される。風で飛び、雨で流れる。砂場の枠の外に蹴り出され、掃除のときに掃き集められて捨てられる。
一年も放っておけば目に見えて減るので、だから定期的に補充する。学校によっては数年に一度、公園なら自治体の計画に沿って、砂を足したり全面的に入れ替えたりする。
つまり「砂場の砂が減っていく」という怪談は、現実の観察から始まっている。減るのは本当であり、おかしいのは減り方であって、減ること自体ではない。ここが砂場怪談の巧妙なところで、誰でも知っている事実の上に、ほんの少しだけ異常を足している。
同時に砂は硬くなる。長年使うと締まって、表面が板みたいになってくる。走り幅跳び用の砂場を放置すると、着地したときに危ない硬さになる。だから定期的に耕して、スコップで掘り返して空気を入れる。
この「耕す」作業が、また掘る話の土台になる。学校で大人が砂場を掘り返しているのを、子どもは見ている。大人が掘っている、ということは、掘るものが下にあるのかもしれない、と子どもは考える。
猫と、細菌と、消毒の話
砂場の管理でいちばん厄介なのは衛生だ。
猫は柔らかい砂に排泄する。習性としてそうなっており、砂場は猫にとって理想的なトイレで、放置すればすぐに使われる。犬も同じであり、結果として砂場からは大腸菌群がよく検出される。
中央大学の調査では九割以上の公園の砂場で大腸菌群が出たという報告があり、トキソプラズマなどの寄生虫リスク、クロストリディオイデス・ディフィシルの検出といった話も出てくる。
対策はいくつかある。夜間に砂場をネットで覆う、抗菌処理をした砂を使う、石灰を撒く。月に一回か二回、砂を攪拌して天日干しにする。
掘り返して日光と空気に当てるのが基本で、要するに耕すのと消毒がセットになっている。フェンスで囲って猫の侵入を防ぐ学校もある。
ここで想像してほしい。夜、砂場にネットがかかっており、朝、先生がネットを外す。その下の砂に、何かの跡があり、猫の足跡ならわかる。
わからないものだったら。
砂場の衛生管理という地味きわまりない実務が、そのまま怪談の舞台装置になっている。ネットをかけるという行為は「昨夜、誰も触っていないはずだ」という証明を毎日作っているのと同じだからだ。密室を毎晩こしらえているようなものである。
砂場が消えていく
そしていま、砂場は減っている。
理由は複合的だ。衛生管理のコストがかかり、砂の補充と入れ替えに予算がいる。猫対策のネットも消耗品である。遊具の安全基準が厳しくなり、更新のたびに安全領域を確保できずに撤去される遊具が増えている。
都市部の公園では七年で四百カ所以上の遊具が減ったという報道もある。
学校施設は老朽化していて、公立小中学校の施設のおよそ六割が築四十年を超え、その七割超が改修を必要としているという状況で、優先順位の低い砂場から手が引かれていく。
だから砂場を潰して花壇にした学校があり、潰して駐車場にした学校があり、潰して防災倉庫を置いた学校がある。何もせずに枠だけ残して、砂を抜いて空にしたままの学校もある。
砂場が消えるとき、そこにあった砂はどこへ行くのか。だいたいは処分され、土砂として運び出される。四トントラックで入れた砂は、そのまま四トントラックで出ていくことになる。
この「砂場が潰された」という事実が、また新しい型の怪談を生んでいる。砂場をなくした年から、その場所で何かが起きるようになった、という話であり、設備が消えても場所は残る。むしろ設備が消えたほうが、場所の記憶は際立つ。
完全再話「三つ目の山」
ここからは、砂場の怪談としてもっともよく知られた形を、細部まで書き起こす。地域も学校も特定せず、複数の採録に共通する骨格を一本の話にまとめてある。
その小学校の砂場は、校庭の北の端にあった。校舎の陰になる場所で、午前中はほとんど日が当たらない。木の枠で四角く囲われていて、片側だけ枠が腐って少し欠けている。三年生の教室からは、窓際の席に座れば真上から見下ろせた。
九月の初め、まだ暑い時期だった。三年二組のミナと、同じクラスのユウジと、一つ下の学年のケイの三人が、放課後の砂場で遊んでいたのである。掃除が終わってから下校時刻まで、三十分ほどの空白の時間だ。三人はよくそこで山を作った。作るのは決まって三つである。
ミナが一つ、ユウジが一つ、ケイが一つ。並べて、てっぺんに枝を刺して、それから名前を決める。
その日は三つの山が横一列に並んだ。左からミナ、ユウジ、ケイ、ミナの山がいちばん大きくて、ケイの山がいちばん小さかった。ケイはまだ二年生で、砂を運ぶのが下手だった。
「明日も残ってる?」とケイが聞いたのだ。
「残ってないよ。誰かが崩す」とユウジが言った。
「崩さないでって書いとけば?」
ミナが指で砂に文字を書いた。くずさないで、とひらがなで。書き終わって三人で笑い、下校のチャイムが鳴って、三人は帰った。
翌朝、ミナは早く登校して、教室に鞄を置いて、窓から砂場を見た。
山は三つ、残っていたのだ。
崩れていない。それどころか形が昨日よりくっきりしており、夜のうちに雨は降っていない。風も強くなかった。ミナは階段を駆け下りて砂場まで走った。
近くで見ると、山の表面が昨日と違う。昨日はざらざらしていたのに、今朝はなめらかで、手のひらで押さえたように締まっていた。てっぺんの枝も、三本ともまっすぐ立っている。
そして、山は四つあった。
いや、四つに増えていたのではない。三つ並んでいて、左からミナ、ユウジ、ケイ。それは間違いない。ただ、ケイの山の右側に、もう一つ、同じくらいの大きさの山があった。
てっぺんに枝が刺さっており、同じ形の、同じ高さの、四つ目の山。
砂に書いた「くずさないで」の文字は、消えていた。消えたというより、上から新しい砂をかけて埋めたような消え方だった。
ミナはユウジを呼んだ。ユウジが来て、二人で四つ目の山を見た。ユウジが枝を抜くと、抜いた穴から砂がさらさらと落ちていった。
「誰かが作ったんだよ」とユウジが言ったのだ。
「誰が?」
「夜の人」
ユウジがそう言ったとき、二人とも笑わなかった。
その日の昼休み、三人は砂場に戻った。四つ目の山はまだそこにある。ケイが「これ、ぼくの山より上手」と言い、実際そうだった。四つ目の山は、子どもが作ったにしては均整が取れすぎていたのだ。
手のひらではなく、道具で成形したような滑らかさがあった。
三人は四つ目の山を掘ることにした。理由はうまく言葉にできなかったが、掘らないといけない気がしたのだ。ユウジがスコップを持ってきて、山の頂上から真下に掘った。十センチ、二十センチ、砂の色が変わった。
表面の乾いた白っぽい砂から、湿った灰色の砂に。
三十センチほど掘ったところで、スコップの先が何かに当たった。
こつん、と音がした。石とは違う、もっと乾いた、軽い音だったのだ。
ユウジが手で砂をどけた。灰色の砂のなかに、白いものが見えた。長さは十センチくらいで、細くて、片方の端が少しふくらんでいる。ケイが「ほね」と言った。
三人は動けなかった。ミナは、それが誰かの指ではないかと思ったのだ。指にしては長すぎることも、同時にわかっていた。
そのとき、校舎のほうから先生の声がした。予鈴だ。ユウジが慌てて砂をかぶせ、三人は走って教室に戻った。
放課後、三人は砂場に戻った。四つ目の山はなくなっていて、掘った跡もなかったのである。砂場はきれいにならされていて、表面に熊手のような筋が何本も残っていたのだ。
用務員さんが砂場を耕したのだ、と後で先生が言った。虫が湧くから月に一度は掘り返すのだと。
「じゃあ、骨は?」とミナが聞いた。
「骨なんか出とらんよ、出たら大騒ぎになる」と先生は言った。
その言い方が、ミナにはひっかかったのだ。出たら大騒ぎになる。つまり、出ていないことにしたのではないか。
翌朝、砂場に山はなかった。次の朝も、その次の朝もなかった。四つ目の山は二度と現れなかったのだ。
卒業する年の冬、ミナは砂場が潰されると聞いた。花壇にするのだという。工事の日、ミナは窓から見ていた。ショベルカーが枠を壊し、砂をすくって、トラックに積んだ。砂を全部出したあと、下から出てきたのは黒い土だった。
土のなかに、白いものが混じっているのが遠目にもわかった。
作業員が二人、しゃがみこんで何かを見ていたのだ。しばらくして、そのうちの一人が携帯電話を出してどこかに連絡していた。
工事はその日、途中で止まった。再開したのは三週間後だったのだ。何が出たのかは、生徒には最後まで説明されなかった。
砂場怪談には型がある。全部並べる
砂場の話は、地域が違っても驚くほど型が揃っており、ここでは代表的な八つの型を、それぞれ独立に扱う。
掘っていくと硬いものに当たる型
もっとも多いのがこれであり、砂場を掘っていくと、ある深さでスコップが何かに当たる。手で砂をどけると、コンクリートの板だったり、木の蓋だったり、石の平らな面だったりする。何かの上に砂場が作られている、という話に発展する。
先ほど再話した骨のバージョンもここに含まれる。別のバージョンでは、当たったのが金属の輪で、引っ張ったら蓋が持ち上がりそうになったので怖くなってやめた、という形になる。当たったのが墓石で、文字が彫ってあったというバージョンもある。この墓石バージョンは、校庭を掘ったら墓石や卒塔婆が出たという古典的な学校怪談の系統と合流している。
型としての完成度が高い理由ははっきりしている。砂場は掘るための場所であり、しかも子どもの腕力で掘れる深さには限度がある。三十センチから五十センチ、これが子どもが一人で掘れる限界だ。その限界の少し先に「何かがある」と設定すると、話は永遠に検証されない。掘れば確かめられるのに、掘りきれない。
この宙吊りが型を長生きさせる。
なお現実の砂場は、水はけのために底にコンクリートや透水シートを敷いていることがある。掘ると硬いものに当たるのは、多くの場合これであり、しかしそれを知っている小学生はほとんどいない。
朝になると誰かが作った山が増えている型
再話で扱った型である。夕方に作った砂の山や城が、翌朝そのまま残っているどころか、増えている、あるいは完成度が上がっている。
この型のポイントは「壊されている」ではなく「作られている」ことであり、壊されていたなら、誰かのいたずらで説明がつく。作られているのは説明がつかない。しかも夜中に学校に忍び込んで、砂の山を丁寧に作って帰るというのは、動機として意味不明すぎる。悪意より不気味なのは、無意味な丁寧さである。
派生として、朝になると砂で作られたものが日ごとに大きくなり、最終的に人の背丈ほどの塔になった、という話がある。別の派生では、作られていたのが山ではなく、砂で作った階段だった。上に向かって作られた階段が、何もない空間に向かって伸びていた、という形だ。
砂が減っていく型
砂場の砂が異常な速さで減る。補充しても減る。減った分の砂がどこにも見当たらない。周囲に飛び散った形跡もない。
現実の砂は当然減るので、この型は日常の観察をそのまま怪談に転化している。話の焦点は「減る」ではなく「行き先がない」ことに置かれる。砂は必ずどこかに行くはずなのに、行き先がない。だから下に落ちているのではないか、砂場の底に穴があるのではないか、という推論に進む。
有名な派生が、砂場を深く掘ると別の場所につながっていて、入ると戻ってこられないという話だ。七不思議の一つとして語られてきた形で、砂が減るのは下の穴に吸い込まれているからだと説明される。減った砂の行き先が、そのまま入ってはいけない場所の入り口になる。
もう一つの派生では、減った砂と同じ量の砂が、校舎の別の場所に現れる。廊下の隅、階段の踊り場、教室のロッカーの上、少しずつ砂が溜まっていて、掃除しても翌日また溜まっている。
砂の上に人の形の跡が残る型
朝、砂場に人が寝そべった跡があり、仰向けに寝た形で、頭、肩、背中、腰、足の輪郭がくっきり残っている。
この型はいちばん映像的で、いちばん嫌な感じがする。跡というのは、そこに重さがあったという証拠だからであり、砂は正直で、乗ったものの重さの分だけへこむ。人の形にへこんでいるということは、人の重さのものが乗っていたということになる。
派生として、跡が濡れているというバージョンがあり、周りの砂は乾いているのに、人型の部分だけ湿っている。別の派生では、跡が一つではなく複数あって、日ごとに増えていく。さらに別の派生では、人型の跡の指の部分だけが異様に長い。
もっとも語り継がれているのは、人型の跡に自分が寝てみたら、サイズがぴったり合ってしまったという結末だ。合ってしまう、という言い方に、話し手の気持ちがよく出ている。
砂に埋めた物が、翌日別の場所から出る型
砂場に物を埋める遊びは普遍的であり、ビー玉、おはじき、消しゴム、手紙、埋めて、目印を置いて、次の日に掘り出す。タイムカプセルの縮小版みたいなものだ。
この型では、埋めた物が翌日、埋めた場所とは違う場所から出てくる。砂場の反対側の角から出る。砂場の外の花壇から出る。教室の自分の机の中から出る。埋めたはずの物が、埋めていない場所にある。
派生として、出てきた物が微妙に変わっているというバージョンがあり、埋めたビー玉と色が違う。埋めた消しゴムに名前が書いてあり、書いた覚えのない名前で、しかも自分の字である。
もう一つの派生では、埋めた物は出てこず、代わりに知らない物が出てくる。古い硬貨、錆びた鍵、名前の書かれた名札、名札の名前が、その学校の名簿にない名前だった、という締め方が多い。
砂遊びの最中に、一人多い型
数人で砂場で遊んでいて、あとから数えると人数が一人多い。写真を撮ったら一人多い。声を数えたら一人多い。
学校怪談全般に共通する型ではあるが、砂場版には固有の味があり、砂場遊びは全員が下を向いている遊びだからだ。座って、しゃがんで、手元の砂を見ており、顔を上げない。だから隣に誰がいるか、案外わからない。
誰かの手が視界の端で砂を掘っており、それを自分の友達だと思っている。
派生として、増えていた一人の手が、砂の中から出ていただけだったというバージョンがある。砂場の縁で座っていた子が、実は上半身だけだった、という形だ。
もう一つの派生は逆で、遊んでいる最中は人数が合っているのに、砂場に残った手の跡や膝の跡を数えると、人数より一組多い。跡だけが多い。
雨上がりに何かが浮き上がる型
雨のあと、砂場の砂が締まって沈み、下にあったものが相対的に浮き上がってくる。
これは現実の物理として実際に起きる。砂の粒が水で移動して、密度の低いものや形の大きいものが表面に近づく。地面から石が出てくるのと同じ理屈であり、怪談はここに乗る。雨上がりの砂場に、前日までなかったものが出ている。
骨、金属片、木片、髪の毛。
派生として、雨上がりの砂場に細い枝のようなものが何本も立っていて、近づいたら指だったという形がある。別の派生では、浮き上がってきたのがビニールに包まれた何かで、教師が慌てて回収し、その日のうちに砂場が立入禁止になった、という結末になる。
現実にも、雨で地面が緩んで埋設物が露出するのはよくあることで、工事現場では警戒される事象だ。怪談はいつもこういう本当の現象を土台にする。
砂場に入ってはいけない日がある型
特定の日、砂場に入ってはいけないという禁忌の型であり、決まった日付、決まった曜日、あるいは条件によって定義される。
もっとも多いのは、砂場を耕した日の夜という条件、掘り返した日は下のものが上に来ているから危ないという理屈になる。次に多いのが、新しい砂を入れた日だ。前の砂と新しい砂が混ざるまでは、砂場は不安定なのだという。
日付で語られるバージョンもあり、八月の特定の日、学校が創立された日、あるいは過去に何かがあったとされる日。ただしこの手の話は、実在の事故や事件と結びつけて語られることがあるので注意がいる。断定的な起源として語られている話のほとんどは、後から取ってつけられたものだ。
条件型でおもしろいのは、砂場の砂が濡れている日は入ってはいけない、という形。濡れた砂は形が残るからであり、乾いていれば足跡は消える。濡れていれば残る。残ってしまうと、記録されてしまう。
記録されると、何かに見つかる。
この理屈は子どもが考えたにしては筋が通りすぎていて、逆に不気味だ。
語られてきた体験談
以下は、複数の証言を再構成して読み物にしたものであり、人物も学校も地域もすべて匿名化してある。
用務員の証言、砂を運んだ日のこと
定年まで小学校の用務員をしていた男性の話、彼が勤めた学校では、砂場の砂を三年に一度入れ替えていた。四トントラックが校庭の隅まで入ってきて、荷台を傾けて砂を落とす。あとは一輪車とスコップで、彼が一人で砂場に移す。半日仕事だった。
ある年の入れ替えのとき、古い砂を掻き出す段になって、彼はスコップの先が固いものに当たるのに気づいた。砂場の底には水はけのための砕石を敷いてあるはずで、当たること自体は珍しくない。ただその日は、当たり方が違った。砕石は当たると細かく散る。その日のものは、当たっても動かなかった。
掘り出してみると、コンクリートの平板だった。厚さは十センチほど。四十センチ四方くらいの正方形で、表面に何か彫ってあった痕跡がある。彼は雑巾で泥を拭いた。文字は読めなかった。
摩耗していたのか、そもそも文字ではなかったのかもわからない。ただ、線が規則的だったのは覚えているという。
彼は教頭に報告した。教頭は見に来て、少し考えてから、そのまま埋めておいてくれと言った。彼はそうしたのだ。新しい砂を上に入れて、その日の仕事を終えた。
以来、彼はその砂場の砂を掻き出すたび、平板の位置を避けて掘るようになった。何が怖いというわけでもない。ただ、あれの上に子どもが座って遊んでいるのだと思うと、なんとなく落ち着かなかったという。
彼が退職する年、砂場は撤去されて花壇になった。工事を彼は見ていない。有給を消化していた時期だった。あとで聞くと、工事は一日で終わったという。平板がどうなったかは、誰も知らない。
教師の証言、朝の砂場に残っていた跡
小学校で二十年教えていた女性の話、彼女は朝いちばんに登校して校庭を一周するのが習慣だった。ゴミが落ちていないか、遊具が壊れていないかを見る。日課であって、特に意味はなかった。
十一月の朝、彼女は砂場に人型の跡があるのを見つけた。仰向けに寝た跡だったのであり、頭部の丸み、両肩の張り、腰のくぼみ。足は少し開いていた。跡は深く、砂が押しつぶされたようにしっかり締まっていた。
不審者が入り込んで寝ていた可能性を考え、彼女はすぐ教頭に報告したのだ。教頭が来て見た。二人で足跡を探したが、砂場の外にも中にも、その人型に近づいた足跡がなかった。砂場の周囲は乾いた土で、そもそも足跡が残りにくい場所ではある。ただ、砂場のなかには跡があるはずだった。
人が入って寝たなら、入るときの足跡と、寝る前にしゃがんだ跡と、起き上がったときに手をついた跡が残る。
残っていたのは、寝た跡だけだった。
その日、彼女は児童に砂場を使わせなかった。放課後に自分で砂場をならしたのだ。ならしながら、跡の大きさを測っていたことを思い出した。身長にすると百六十センチくらい。子どもではない。
大人にしては小柄、彼女自身の身長と、ほぼ同じだった。
その後、同じ跡は二度と現れなかった。彼女は誰にも詳しくは話していない。同僚に話したときは、不審者の話として話したという。
卒業生の証言、埋めた手紙が返ってきた話
三十代の男性の話、小学四年のとき、彼は友達と砂場に手紙を埋めた。二十歳になったら掘り出そうという約束で、ビニール袋に入れて、砂場の南西の角に埋めた。書いた内容は将来の夢と、当時好きだった子の名前だったという。
二年後、彼は転校した。手紙のことは忘れた。
二十六歳のとき、実家に帰った彼は、母親から封筒を渡されたのだ。差出人のない封筒で、実家のポストに入っていたという。中身は、彼が四年生のときに書いた手紙だった。砂で汚れていて、紙は変色していたが、字は自分の字だった。好きだった子の名前も書いてあったのだ。
彼はまず、一緒に埋めた友達が掘り出して送ってくれたのだと思った。連絡を取った。その友達も同じ年に別の街へ引っ越していて、手紙のことは覚えていたが、掘り出してはいないと言ったのだ。
彼はその足で母校に行った。砂場はなくなっていて、そこは駐車場になっていた。アスファルトで舗装されていたのだ。舗装されたのは十年以上前だと、校門で会った職員が言った。
十年以上前に舗装された場所から、彼の手紙が出てきたことになる。誰が掘り出したのか、どうやって彼の実家の住所を知ったのか。彼は今も答えを持っていない。手紙は捨てていない。封筒だけは捨てたそうだ。
理由を聞くと、消印がなかったからだと言った。切手も貼っていなかった。ポストに直接入れられたということになる。
掲示板とSNSで、砂場はどう語られてきたか
砂場の怖い話は、ネット怪談の世界では地味な位置におり、花子さんやきさらぎ駅のような看板スターではない。それでも一定量、ずっと語られ続けている。
匿名掲示板の怖い話系スレッドでは、砂場は「子ども時代の記憶」枠で出てくることが多い。実話系のスレッドに、幼稚園や小学校の頃の話として投稿される。断片的で、オチがなくて、投稿者自身が「これが怖い話なのかもわからない」と前置きする。その曖昧さが逆に評価される。完成した怪談より、覚えている限りを書いただけの投稿のほうが不気味に読める。
百物語系の企画スレッドには、砂が人の形に積もって襲ってくるという趣旨の投稿がある。寝ているときに風が吹いて、重いものが体に乗り、砂が人型に積もって首を絞めてくる。金縛りのなかで首を絞められ、別室の家族が声をかけた瞬間に風に散るように消えた、という筋だ。砂が形を持つという発想はここでも共通していて、砂場という場所を離れても「砂は人の形になる」というイメージは生きている。
意味が分かると怖い話の系統にも砂場ものがあり、砂場で遊んでいた子どもが目に砂が入ったと訴える。その言い方をもう一度読み返すと、目のほうが砂場に埋まっているのだと気づく。短い話だが、砂場という場所の本質を突いており、砂場は、体の一部を埋めても違和感がない唯一の遊具だからだ。
動画配信の朗読系でも砂場ものはたまに扱われる。ただし尺が持ちにくい。砂場の話はどれも短くて、映像的な見せ場が「跡がある」「山がある」という静止画だから、十分二十分の朗読には向いていない。結果として、砂場の話は他の学校怪談とまとめて紹介される脇役になりやすい。
考察界隈での扱いも似たようなもので、単独で追及されることは少ない。ただし校庭の埋蔵物系の話題になると必ず引き合いに出される。学校の下に何が埋まっているか、という文脈で砂場が出てくる。掘れる場所が砂場しかないからであり、校庭のほかの部分は締まった土で、子どもの力では掘れない。
主要な考察と、その現実的な反証
砂場怪談について語られてきた説明を、いくつか並べておく。あわせて、現実的にはこう説明できるという話も書く。
もっともよく言われるのが、学校の敷地の来歴説だ。学校は広い土地を必要とするので、寺社の跡地、火葬場の跡、埋め立て地、旧軍施設の跡といった場所に建てられることが多い。だから下に何かあり、この説は部分的に正しい。実際に学校の下から遺構が出ることはあるし、そういう記録もある。
ただしこれは「学校の下」の話であって、砂場に限った話ではない。砂場から出るのは、砂場が掘れる場所だからにすぎない。
次に多いのが、砂場そのものが結界だという説であり、地面を掘って区切って、そこに別の土地から運んできた砂を入れる。これは土地の入れ替えであり、境界の作成であり、だから何かが集まる。神事に砂を用いる例と結びつける議論もあって、奈良の広瀬神社には砂かけ祭という雨乞いの神事が伝わっている。
砂かけ婆という妖怪も、姿を見た者がおらず、砂の降る音と感触だけで表現される存在として記録されている。
砂は昔から、姿のないものの表現に使われてきた。この説は魅力的だが、証拠になる採録はない。後付けの解釈として楽しむのが正しい。
現実的な反証は、あっけないくらい単純だ。
砂の山が増えているのは、たいていは他の児童か、夜に敷地へ入った近所の子どもの仕業であり、学校は完全な密室ではない。フェンスは越えられるし、門の脇に隙間がある学校も多い。ただし、夜間に学校の敷地へ立ち入る行為は建造物侵入にあたる。犯罪である。
この記事は当然それを勧めない。絶対にやってはいけない。
人型の跡は、多くの場合、動物か、寝転がった誰かか、あるいは砂の乾き方の差でそう見えているだけだ。砂は水分の抜け方で色が変わる。人の形に見えるのは、人の形を探してしまう人間の側の性質でもある。
砂が減るのは前に書いたとおり、持ち出しと風と雨で説明がつく。掘って硬いものに当たるのは、水はけ用の砕石か、コンクリート基礎か、以前の設備の残骸だ。校庭は何度も改修されており、前の遊具の基礎が地中に残っていることは珍しくない。
埋めた物が別の場所から出るのは、耕したときに移動したと考えれば足りる。砂場は月に一回程度、攪拌される。三十センチ埋めた物が、攪拌で場所を変えるのは普通のことだ。
そして雨上がりに何かが浮くのは、本当に浮くからであり、ここは怪談と現実がいちばん近い。
幅跳びの砂場は、別のジャンルである
遊び用の砂場と、走り幅跳び用の砂場は、置かれている位置も文化も違う。
幅跳びの砂場は細長い。助走路があって、踏切板があって、その先に着地用の砂があり、高学年と中学生が使う設備で、低学年は近づかない。柔らかい砂が必要なので定期的に耕され、雨よけのカバーがかけられることもある。
この設備には、遊び用の砂場とは別系統の怪談がついている。
代表的なのが、放課後の幅跳び砂場に助走の足音だけが響くという話であり、誰もいない。踏切板を踏む音がして、砂に着地する音がする。そして砂に着地の跡ができる。跡は両足で、かかとから深く入っている。
着地の跡としては正しすぎるほど正しい。
もう一つは、跳んだ距離の話であり、体育の授業で、記録がありえない数字になる。計測する側が何度測ってもその数字になる。あるいは、砂に残った着地跡が、跳んだ本人の靴のサイズと合わない。
三つ目は、踏切板の下の話、踏切板は木や樹脂の板で、砂場の手前の地面に埋め込んで固定されている。この板を外すと下に何かがあるという型で、掘ると硬いものに当たる型の変奏だ。踏切板は実際に交換や補修で外されることがあるので、外した現場を見た子どもが話の起点になりやすい。
幅跳びの砂場が怖いのは、そこが「跳ぶための場所」だからでもある。人が空中を移動して、地面に落ちてくる場所、落ちた瞬間の姿勢が砂に刻まれる。誰も跳んでいないのに跡があるということは、何かが空から落ちてきたということになる。
砂という素材そのものが、なぜ怖いのか
ここは分析として書きたい部分だ。
第一に、砂は形を記録する。これに尽きる。土は硬すぎて跡が残らない。芝生は跡が消える。アスファルトは何も残らない。
砂だけが、触れたものの形をそのまま保存する。だから砂場は校庭で唯一の記録装置になる。何かが通れば残る。残るということは、見つけられるということであり、怪談における証拠とは、たいてい跡である。
第二に、砂は埋めることができる。校庭で唯一、物を隠せる場所が砂場であり、しかも隠すのに道具がいらない。手で掘って、手で埋める。子どもが「隠す」を実行できる唯一の場所であり、同時に「隠されている」を想像できる唯一の場所でもある。
第三に、砂には境界がない。砂場には枠があるが、砂そのものには面がない。表面はあいまいで、どこまでが上でどこからが下なのかがはっきりしない。押せば沈む。掬えば減る。
だから深さの感覚がつかめない。三十センチ掘っただけで、底なしのような気がする。
第四に、砂は足を取る。走れない。踏ん張れない。逃げようとすると、いつもより遅く走ることになる。この身体感覚は、追われる夢の感覚に直結している。
砂場に入ったとたん、人は逃げ足を失う。
第五に、砂は音を消す。砂の上を歩く音は小さい。走っても足音がしない。だから背後に誰かが来ても気づけない。砂場は視覚の記録装置であると同時に、聴覚の遮断装置でもある。
この組み合わせが怖い。跡は残るのに、音は残らない。
そして最後に、砂は個体ではない。ひとつの砂場は無数の粒でできていて、どの粒も交換可能であり、去年の砂と今年の砂は混ざっている。他所から運ばれてきた川砂と、もとからここにあった砂が混ざっており、砂場は、由来のわからないものの集合体である。
だから何が混ざっていてもおかしくない、という感覚が成立する。骨の粉が混ざっていても、見た目には何も変わらない。
海外に、砂場の怪談はあるのか
結論から言うと、砂場単体の怪談は海外でも目立たない。ただし遊び場全体の怪談は豊富にある。
アメリカのアラバマ州ハンツビルには、デッドチルドレンズプレイグラウンドと呼ばれる遊び場がある。墓地の隣にあり、一九一八年のインフルエンザ大流行で亡くなった子どもたちが眠る場所のそばだという由来が語られる。誰もいないのにブランコが揺れる、子どもの笑い声が聞こえる、といった報告がある。深夜十時から午前三時が活発だという定型まで付いている。
カナダのカルガリー近郊には、デビルズプレイグラウンドと呼ばれる場所の伝説がある。焼け落ちた校舎と、そこで亡くなった人々の霊という筋で、これは日本の学校怪談と発想が近い。
こうして並べると、海外の遊び場怪談の主役はブランコである。理由は明快で、ブランコは動くからであり、誰も乗っていないのに揺れる、という現象は絵として強い。砂場は動かない。跡が残るだけだ。
だから映像的な文化のなかでは弱い。
言い換えると、砂場の怪談は「動き」ではなく「痕跡」の怪談であり、これは日本の怪談の得意分野なのだ。日本の怪談は、目の前で何かが起こることより、起こったあとに残るものを恐れる傾向が強い。濡れた足跡、置かれた履物、増えた茶碗、砂場の人型はその系譜にきれいに収まる。
海外の学校フォークロアの研究でも、屋外の遊び場は幽霊譚と警告譚の舞台としてよく登場する。ただしそこで語られるのは、たいてい「入ってはいけない場所」と「消えた子ども」の話だ。砂という素材そのものに焦点が当たる例は少ない。日本で砂場の話がこれだけ細分化したのは、砂場が学校の標準設備として全国に均一に存在したからだと考えていい。同じ設備が全国にあるから、同じ型の話が全国で成立する。
なぜ砂場の怪談は、他ほど有名にならなかったのか
ここが最後の分析になる。
理由の一つ目は、砂場が低学年の場所だからであり、学校の怪談の主要な語り手と受け手は、高学年から中学生である。彼らにとって砂場は「卒業した場所」であり、怖がるのは幼稚だという感覚があり、トイレや音楽室や階段は全学年が使う。砂場だけが年齢で分離されている。
だから語り継ぐ層が薄い。
二つ目は、時間帯の問題であり、学校の怪談の多くは、放課後か夜が舞台になる。校舎の中は暗くなる。廊下は長く、教室は静かになる。ところが砂場は屋外にあって、夜になっても屋内ほど閉塞しない。
空が見える。街灯の光も届く。屋外は怖さの演出がしにくい。
三つ目は、映像化しにくいことだ。九十年代の学校の怪談ブームは、映画やテレビドラマや児童書が牽引した。トイレの花子さんは扉を開ければ絵になる。人体模型は動けば絵になる。砂場の人型の跡は、映像にすると数秒で終わる。
しかもカメラの位置が難しい。真上から撮らないと形がわからないが、真上からのカットは物語の視点にならない。
四つ目は、決定的なキャラクターがいないことだ。花子さんには名前があり、テケテケにも名前があり、砂場にいる何かには名前がない。名前がないものは、口伝えでは広がりにくい。
「砂場の話」としか呼べない話は、検索もされないし、話題にもしにくい。
五つ目は、砂場自体が減っていることであり、設備がなくなれば、話も更新されない。いま砂場のない学校で育った子どもは、砂場の怪談を実感として受け取れない。話は場所とセットでなければ生き残らない。
そして六つ目、これがいちばん大きいと考えているのだが、砂場の怪談は結末がないのであり、掘っても最後まで掘れない。跡が残っても正体はわからない。山が増えても誰が作ったかわからない。怪談として完成していない。
だから記憶には残るが、語りとしては伝わらない。
逆に言えば、だからこそ本物の匂いがする。作り込まれた怪談は、どこかで作り話だとわかる。砂場の話にはオチがない。オチがないから、それは誰かが本当に見たものの報告に見える。
この記事を読んだあとで、絶対にやってはいけないこと
念のため、はっきり書いておく。
夜間に学校の敷地に入ることは建造物侵入であり、犯罪であり、柵を越えても、門が開いていても、犯罪は成立する。肝試しは理由にならない。学校は現在も使われている施設であり、そこには不審者対策の体制があり、試そうと思わないでほしい。
絶対にやめること。
砂場の枠を壊したり、遊具を傷つけたり、砂場に物を投げ込んだりするのは器物損壊である。これも犯罪であり、もちろん禁止である。
そして無断で地面を掘ることもやってはいけない。学校の敷地でも、公園でも、他人の土地でも同じであり、管理者の許可なく掘削するのは違法な行為になりうる。
もし本当に何かが出てきたら、勝手に持ち帰ってはいけない。日本には埋蔵文化財の制度があり、周知の埋蔵文化財包蔵地で工事をするときは、文化財保護法にもとづいて事前に届け出をする決まりがある。工事中に遺構や遺物が見つかれば、いったん作業を止めて、教育委員会の立ち会いのもとで記録を取る。全国におよそ四十六万カ所の周知の埋蔵文化財包蔵地があるとされていて、学校の敷地がそこに含まれていることも珍しくない。
不発弾が出る可能性もあり、自衛隊が処理した不発弾は年間で千数百件あり、その多くは建設現場から見つかっている。学校の増築工事の掘削中に爆弾が出た事例も複数報道されている。もし工事現場でそれらしいものを見たら、触らず、近づかず、通報する。これが唯一の正解だ。
骨のようなものが出た場合も同じで、まず警察に連絡する。動物の骨か人骨かは素人には判別できない。判別しようとしてもいけない。
要するに、砂場の下に何があるかを確かめる正しい方法は一つしかなくて、それは「掘らないこと」である。掘るのは、資格と手続きを持った人の仕事だ。
ここまで書いてきて、砂場という設備の奇妙さがだんだんはっきりしてきた。最後にもう一段、掘り下げておきたい。
まず整理すると、砂場は学校のなかで唯一「中身を入れ替えられる設備」であり、滑り台は交換するが、入れ替えはしない。鉄棒も同じであり、壊れたら丸ごと取り替える。ところが砂場だけは、枠はそのままで中身だけが入れ替わる。
三年に一度、四トントラックが来て、古い砂が出ていき、新しい砂が入る。枠は同じ。位置も同じ。中身だけが別のものになる。
これは、ものすごく怪談的な構造であり、同じ名前で呼ばれ続けているのに、実体は入れ替わっている。十年前の砂場と今日の砂場は、名前も場所も同じで、中身は一粒も共通していないかもしれない。それでも子どもたちは「うちの学校の砂場」と呼ぶ。同一性が場所にしかない設備、と言い換えてもいい。
そうなると、砂場に何かが宿っているとしたら、それは砂ではなく穴のほうだということになる。砂場の本体は砂ではない。地面に掘られた四角い凹みが本体で、砂は詰め物にすぎない。撤去された砂場の跡地で何かが起きるという話が生まれるのは、この構造から自然に導かれる。砂を抜いて土で埋めても、穴を掘ったという事実は消えない。
花壇にしても、駐車場にしても、そこには一度掘られた四角がある。
ここで、砂場が学校でいちばん低い場所だという最初の話に戻ってくる。低いところには水が溜まる。校庭の水はけを設計するとき、砂場は排水を考慮して作られるが、それでも大雨が降れば水が溜まる。砂場が池になる。数時間から半日、砂場は水面になる。
この状態の砂場を見たことがある人は少なくないはずであり、そして、これがかなり怖い。ふだん形を記録している場所が、水を張ることで何も記録しなくなる。水面はのっぺりしていて、下に何があるかまったく見えない。深さも読めない。
子どもの記憶のなかで、水の張った砂場は妙に印象に残る。あそこは深いかもしれない、と思わせる時間帯があるのだ。
古井戸や防空壕の話が校庭の怪談として強いのは、それが「深さ」の話だからだと思う。ただ、そういう明確な構造物の話は、実はそれほど怖くない。井戸は井戸で、蓋を開ければ底があり、深さが定義されており、砂場の怖さはそこと逆で、深さが定義されていないことにある。
掘れば掘るだけ砂が出てくる。三十センチ掘っても、まだ砂であり、五十センチでもまだ砂かもしれない。
底に当たったとしても、それが砂場の底なのか、別の何かの上面なのかは、子どもには判断がつかない。
もう一つ、砂場を潰す文脈について踏み込んでおきたい。
砂場の撤去は、単に予算の問題ではない。管理責任の問題であり、砂場は事故と衛生のリスクを常時抱えている。猫の糞尿、細菌、ガラス片や釘の混入、埋められた危険物、学校としては、点検と清掃の手間を毎日負い続けなければならない。
しかも子どもは砂を口に入れる。低学年ならなおさらであり、リスクを引き受けて維持するか、なくして楽になるか。人手が減って予算も減っている学校で、どちらが選ばれるかは考えるまでもない。
つまり砂場の消滅は、管理不能な場所を学校が手放していく過程である。校庭のなかで唯一、毎日形が変わり、毎日中身が動き、毎日誰かの痕跡が刻まれる場所。それを維持するのは、実は相当な負荷なのだ。
そう考えると、砂場の怪談が「管理されていないこと」を主題にしているのがよくわかる。夜のあいだ誰も見ていない。朝までのあいだに何が起きても記録されない。だから朝、跡だけが残る。この構造は、まさに砂場という設備の管理上の弱点そのものである。
怪談は設備の欠陥を正確に射抜いている。
そして、砂場が消えた学校で、この怪談はどこへ行くのか。
答えは、たぶん場所を変えるのだと思う。学校の怪談は場所に依存するが、場所は入れ替わる。焼却炉がなくなれば焼却炉の怪談は消え、代わりに別の場所が主役になる。砂場が花壇になれば、次は花壇の土が主役になるだろう。花壇の土に人の形の跡があった、花壇を掘ったら何かが出た、花壇の花が一晩で咲いた。
すでにそういう話は少しずつ出てきている。
ただ、砂場ほど都合のいい舞台は当分現れないと思う。掘れて、埋められて、跡が残って、しかも子どもが自由に触っていい場所。そんな設備はほかにない。砂場は、学校のなかで子どもに与えられた唯一の「作用できる地面」だった。地面に対して何かを実行できる場所。
だから、地面のほうから返事が来るという想像が育った。
最後に、これは筆者の実感として書いておきたいのだが、砂場の怪談がいちばん怖いのは、話の途中ではなく、話が終わったあとである。
四つ目の山を作ったのは誰か。人型の跡の主は誰か。手紙を送ったのは誰か。どれも答えが出ない。答えが出ないまま日常に戻る。
そして翌日、また砂場を見に行く。何もない。何日も何もない。忘れかける。忘れかけたころに、また何かがある。
このリズムこそが砂場の怪談の本体であり、事件が起こる怪談ではない。ときどき何かが残る、というだけの怪談、だから語りにくいし、映像にもならないし、有名にもならない。それでも数十年、全国のどこでも似た形で語られ続けている。
いま、あなたの母校の砂場はまだあるだろうか。あるなら、今度前を通ったときに、少し立ち止まって見てみてほしい。表面に何か跡があるかもしれない。たぶん猫の足跡であり、たぶん、子どもの膝の跡だ。
たぶん、風で偶然できた模様である。
たぶん、で済ませられるうちは平気である。済ませられなくなったとき、あなたはもう砂場の話をする側になっている。掘るのはやめておくこと。それだけは守ってほしい。
