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理科室で子どもが命を終わらせていた六十年――カエルの解剖はなぜ消え、なぜ怪談だけが残ったのか

理科室のあの匂いを覚えているだろうか。ホルマリンとエーテルと、洗いきれていない流しの水垢が混ざったような匂い。あの部屋で、日本の子どもたちは長いあいだ、生き物を殺していた。

授業として。時間割に組み込まれて。成績のつく学習活動として。

カエルの解剖の話をする。戦後の理科教育で当たり前に行われ、二千年代に入ってほぼ姿を消し、いまはイカやブタの眼球に置き換わり、それでもごく一部の学校では今日も続いている、あの授業の話だ。そして、その授業が残していった怪談の話だ。

先に言っておくと、この記事は「解剖はけしからん」でも「昔はよかった」でもない。もっと妙な場所を狙っている。学校の怪談のなかで、この系統の話だけが、どうも他と手ざわりが違うのだ。トイレの花子さんとも、動く人体模型とも、走る二宮金次郎とも違う。理由ははっきりしている。

他の怪談が「起きなかったこと」を語るのに対して、カエルの解剖の怪談は「実際に起きたこと」の上に建っている。

子どもが自分の手で命を終わらせた、という事実の上に。

だから怖い。順を追って見ていこう。

昭和のはじめ、教室はもっと生々しかった

まず、思っているより古い。そして思っているより荒い。

東京未来大学の鈴木哲也が二千二十二年に『未来の保育と教育』第九号で発表した論文が、この点でとんでもなく面白い。分析対象は昭和四年版の『尋常小学理科学習帳』。その余白に、長野師範学校の生徒だった中村左傳治という人物――明治四十二年生まれ――が昭和二年六月十五日に書き込んだ手書きメモが残っていた。つまり百年近く前の、教員を目指す学生の授業ノートだ。

そこに何が書いてあったか。ニワトリ、コイ、カエル、カイコ、ドブガイ、ウサギ。六種類の生き物について、殺し方と解剖の手順が具体的に書いてある。ニワトリは「食べる肉を解剖する時は頸の動脈を切って血を出して殺す」。コイは「眼の上方の眉けんを小刀の尾で一打すると参る」。

しかもコイは解剖したあと「塩焼きて試食」と書かれている。ドブガイはシジミの代用で、「熱湯を振りかけ」てから閉殻筋を切る。

ウサギはネズミの代用として使われ、解剖後の毛皮の処理方法と防虫剤の配合まで記録されている。

カエルの項目にはこうある。「クロロホルムなき時は代用エーテルが良好」。

読んでいて背筋が寒くなるのは残酷さではない。淡々としていることだ。これは怪談の書き込みじゃない。教育技術のメモなのだ。鈴木の分析が示唆しているのは、当時の学校飼育動物が半ば家畜として扱われ、食料源としても機能していた可能性、そして殺害と解剖と食用転用と毛皮加工が一本の線でつながっていたということだった。

現代の感覚だと異様に見える。でも当時の農村では、ニワトリを絞めるのは日常の作業だ。学校の理科がやっていたのは、その日常を教室に持ち込んで手順化しただけとも言える。生き物を殺すことに社会全体が今ほど身構えていなかった時代の話だ。

戦後、それは「通常授業」になった

戦後、カエルの解剖は理科教育の定番として定着する。中学校の第二分野、動物のからだのつくりの単元。教科書に解剖図が載り、実験のページがあり、教員向けの指導資料が整備された。

どのくらい普及していたのか、実は全国規模の統計が残っていない。これが厄介なところで、文部省も文部科学省も「何校がカエルを解剖したか」を集計してこなかった。だから体感と証言に頼るしかない。

インターネット上の証言を拾っていくと、世代によってきれいにばらつく。ある回答者は「一九九〇年ころには中学理科の教科書に載っていました」と証言している。別の回答者は「やらなくなったのは一九六〇年代半ばくらいから」で、「一九六〇年から一九八〇年の間にやらなくなった学校が多くなり始めた」と述べている。四十代は小学生時代に経験がなく、五十代前後になるとやった人とやらなかった人が混在する。

アラフォー世代でも私立中学に進んだ人は経験している。

つまり、全国一斉に消えたのではない。学校ごと、教員ごと、地域ごとにばらばらに、じわじわと減っていった。ある年に文部省が「やめろ」と通達を出した、みたいなドラマチックな転換点は存在しない。ここは押さえておきたい。この話には悪役がいないし、英雄もいない。

手順という名の型

具体的に何をやっていたのか。富山県の教育センターが公開している指導資料「アフリカツメガエルの解剖」が、教員側の設計思想をきれいに見せてくれる。

ねらいはこう書かれている。「カエルの外部形態、内部形態を観察し、両生類の特徴を理解することにより、脊椎動物の基本的特徴を把握する」。

準備物のリストが長い。麻酔ビン、脱脂綿、エーテル、解剖皿、解剖バサミ、ピンセット、電気ピンセット、顕微鏡、スライドガラス、カバーガラス、虫ピン、ギムザ液、メタノール、ものさし、台ばかり、生理食塩水、シャーレ。

流れとしては、まず外部形態の観察から入る。爪、突起、指の数、皮膚のようす。それから麻酔ビンにエーテルを含ませた脱脂綿を入れて処置をする。体長と体重を測り、虫ピンで四肢を解剖皿に固定して切開する。心臓、消化器系、腎臓、生殖器官を順に見る。

血液を採ってギムザ染色でスライドを作る。神経と筋肉の反応を見る。最後に脳を露出させる。

注意事項の欄には、エーテルは揮発性が高く引火性があるので周囲で火気を使わないこと、十分な換気をすること、ギムザ液は皮膚や眼への接触に注意すること、と書かれている。

この文書のどこにも「かわいそう」は出てこない。当然だ。指導資料なんだから。でも、この乾いた文体こそが、多くの元生徒の記憶に残っている理科室の空気そのものだ。教壇の上では、これは手順だった。

手元では、それは殺害だった。この落差が、後で効いてくる。

もうひとつ。この資料が挙げている観察項目の中に「神経・筋肉反応観察」がある。脊髄を破壊したあとの足が動く、切り離した心臓が拍動を続ける。この現象は理科的には超一級の教材だ。生命現象が神経系の中枢とは独立に成立していることを、これ以上わかりやすく示す方法はそうそうない。

そして同時に、これが怪談の最大の原料になる。「死んだはずのものが動く」を、教室で全員が目撃してしまうのだから。

教室の空気

同志社中学校が公開している解剖実習の記録が、当時の教室の温度をかなり正直に伝えている。この学校では第一学年、八クラスを対象に、ウシガエルの解剖を約三十年前から続けてきた。理科教育の基本を「実物学習」に置いているという。

実施のしかたが独特で、放課後の午後三時三十分から五時までを使い、四教室で同時進行、それを二日間連続でやる。事前に一時間かけて外観の観察をする授業を入れる。指の数、耳、皮膚、それから本番に入る。

生徒の反応について、学校側の記述はこうだ。「絶叫・号泣・脱走など、極限に近い反応」。

学校の公式ページに書いてある言葉である。取り繕っていない。そして同じページには、最初は抵抗があったが「最後には楽しくなった」という感想、「命の重さを実感した」という感想、「カエルの心臓がすごい」という驚きの声も並んでいる。

この振れ幅がすべてだ。同じ教室で、同じ時間に、泣き叫んで逃げ出す子と、夢中になって手を動かす子が同時に発生する。そして効いてくるのが、逃げ出した子も逃げ出さなかった子も、三十年後にその日のことを覚えているという一点だ。

理科の授業で三十年覚えていることが、他にどれだけあるだろうか。オームの法則を三十年覚えている人はそう多くない。でもあの日、自分の班のカエルがどんな色をしていたかは覚えている。覚えてしまっている。

二千年代、消えた

では、なぜ消えたのか。理由はひとつじゃない。少なくとも四本の線が同時に働いた。

ひとつめが教科書だ。左巻健男の『こんなに変わった理科教科書』――ちくま新書、二千二十二年――が指摘しているところによれば、二千年代に入ってカエルの解剖の掲載が減り始める。理由として挙げられているのは、動物愛護の観点と、そしてもっと即物的に「準備と後片付けが大変」であること。結果として、子どもたちは教科書の解剖図を眺め、視聴覚教材で映像を見る形に移行していった。

このふたつめの理由を軽く見てはいけない。理科の教員は忙しい。生きたカエルを何十匹も発注して、届いた個体を管理して、麻酔をかけて、四十人分の解剖皿と器具を用意して、授業後に器具を洗って、遺体を処理する。この作業量は正気じゃない。しかも失敗すれば苦情が来る。

教員個人の熱意だけで支えられていたものが、多忙化のなかで折れていった側面は間違いなくある。

みっつめ。これは意外な要素で、外来生物法だ。ウシガエルは特定外来生物に指定されている。特定外来生物は、飼養や運搬に許可が必要になる。学校が教育目的で使うにしても、手続きが要る。

かつて日本の解剖実習で最も一般的だった大型のカエルは、いつのまにか役所に書類を出さないと教室に持ち込めない生き物になっていた。ネット上でも、この指定によって実施校が激減したと指摘する声がある。

定番の主役が制度的に扱いにくくなったのだ。

よっつめが、後で詳しく書く動物福祉団体の運動と、学校側の判断だ。

学習指導要領から「解剖」が消えていく

制度面での動きも押さえておきたい。動物解放を掲げるNPO法人リブがまとめているところによれば、二千十七年版の学習指導要領には「解剖」の記載があったが、二千二十四年九月の時点で当該の記載は削除されている。

これは大きい。学習指導要領は教科書検定の基準になる。要領から言葉が消えれば、教科書からも消える。教科書から消えれば、その実験は「やってもいいがやらなくてもいい」に格下げされる。そして忙しい現場は、やらなくていいものをやらない。

制度が禁止したわけではない。ただ、支えるのをやめた。それだけで実験はほぼ絶滅する。ここは日本の教育行政のふるまいとして、けっこう象徴的だと思う。

イカが代打に立った

空いた穴を埋めたのがイカだ。東海テレビが二千二十二年八月十八日に配信した特集記事は、この転換を正面から取り上げている。同記事が挙げている理由が身も蓋もなくて良い。イカは普段の調理でもさばいて食べる食材であり、カエルと違って残酷さを感じにくい、というものだ。

一般社団法人大日本水産会の魚食普及推進センターが公開しているイカの解剖の指導ガイドは、もっと露骨に書いている。イカは食材でもあり、血が赤くないので気持ち悪さを感じない、だから解剖におすすめの食材だと。

血が赤くない。それが決定的だった。

イカの血液はヘモシアニンを使っていて、酸素と結合すると青みがかる。赤くない。つまり教室で切っても、あの、床に落ちたときに全員が黙る色にならない。

それに加えて、二千十年代の教科書で無脊椎動物の扱いが復活したことがイカの追い風になった。左巻の指摘するところでもある。カエルは脊椎動物の代表として登場していたが、イカは軟体動物の代表として堂々と居場所を得た。カリキュラム上の理屈と、教員の準備の楽さと、保護者への説明のしやすさ。三つが同時に満たされる代替案は、なかなかない。

外部形態を見て、色素胞や目や腕の並びや漏斗を確認して、外套膜を切り開いて、内臓を見て、軟骨を取り出す。そのあと、多くの学校では食べる。「解剖して、美味しくいただきました」というタイトルの記録が学校や学習塾のブログに並んでいる。カエルの実習でこの結末はありえなかった。

ブタの眼球と、ブタの心臓

もうひとつの主役がブタだ。こちらは食肉処理の副産物として入手できる。

愛知県総合教育センターが公開している「ブタの眼球の観察」の資料をはじめ、この教材は全国に広がっている。東京都立桜町高等学校が二千二十三年十月に選択生物の授業でブタの眼球の解剖を行ったと公式サイトで報告しているし、北海道幌加内高等学校の実践事例もデジタル教材の支援サイトに掲載されている。大阪暁光高等学校の進学総合コースの生物基礎実験、神奈川学園の放課後特別授業、帝塚山学院泉ケ丘の高校二年生物の実験。

いずれも学校の公式発信として記録が残っている。

ブタの眼球の何がいいかというと、水晶体だ。角膜を切って、眼房水が出て、虹彩をどけると、透明な球体が出てくる。それを新聞紙の上に置くと、下の文字が拡大されて見える。レンズとは何かを、これ以上ないほど直接的に理解できる。しかもこの眼球はもともと廃棄される部位である。

命を教材のために終わらせたわけではない。

心臓も同じ理屈で使われる。浜松修学舎中学校・高等学校の豚の心臓解剖実習、東京都市大学等々力の中等アフタースクールの豚の内臓観察、津田学園小学校では小学六年生が豚の心臓解剖学習に挑戦したと報告している。冠状動脈にホースで水を通すと心筋のすみずみまで水が回る、というあの実験だ。

つまり置き換えは「命を扱わなくなった」のではない。「殺す工程を学校から切り離した」のだ。ここは正確に言っておきたい。生徒はいまでも本物の臓器を切っている。切っていないのは、生きているものだけだ。

杉並区で起きたこと

数字が残っている自治体の例として、東京都杉並区のケースは決定的に重要だ。

動物実験の廃止を求める会――一九八六年設立、通称JAVA――が二千十六年十月十八日、区内の小中学校での解剖実習の廃止を求めて千二十一名分の署名を杉並区に提出した。そして二千十七年一月十一日、杉並区は解剖実習の廃止を決定する。

このとき明らかになった実態が、この記事でいちばん重い数字だ。平成二十七年度、つまり二千十五年度の一年間に、杉並区の学校でコイ八百七匹、カエル六百八十七匹が使われていた。

区ひとつで、一年で、千五百匹近い。

内訳としては、コイの解剖は小学六年生が対象で、カエルの解剖は中学二年生が対象だったとされている。区は平成二十九年度以降これを実施しないと決め、代替としてグラフィック画像や動画のデジタル教材、人体解剖模型、臓器エプロン、骨格標本などを活用する方針を示した。あわせて、区立施設での動物解剖や動物実験も今後行わないとしている。

この数字を見ると、二千年代に「ほぼ消えた」という言い方が、ずいぶんぼんやりしたものだったとわかる。二千十五年の東京二十三区のひとつで、まだ千五百匹だ。全国でどれだけの数だったのかは、誰も集計していない。

廃止を求めた側の論理

JAVAの「学校から解剖実習をなくそう!キャンペーン」は二千十五年四月にスタートしている。活動の記録を年表で追うと、この団体が何をしてきたかが具体的に見える。

二千五年、指圧専門学校のサルの解剖実習に抗議。二千六年、京都市立中学校のマウスの解剖実習計画に抗議し、計画は中止に。二千七年、埼玉県立所沢北高校のハツカネズミ解剖実習に抗議し、廃止に。二千十五年、神奈川県立元石川高等学校が必修科目でのコイの解剖を廃止することを決定し、翌二千十六年には同校の選択科目での生体解剖も廃止された。二千十七年には私立明法中学・高等学校がブタ心臓手術講座の廃止を決定。

二千二十三年には女子栄養大学のラット解剖実習の廃止に至っている。

国レベルへの働きかけとしては、二千十六年六月二十一日、当時の馳浩文部科学大臣に一万九千百八名分の署名を提出している。アースデイの会場では二日間で百二十七名分のハガキを集めた、というような地道な記録も残っている。

同会が挙げる廃止すべき理由は十一項目にわたる。学校での解剖が規制されず野放しになっていること。多くの生徒が精神的に傷ついていること。動物虐待と凶悪犯罪の関連性、国際社会では代替法が主流になっていること。

麻酔薬の健康上の危険、解剖と食用処理は別物であること。代替法のほうが学習効果が高いこと。想像力と思いやりの育成。

コスト論も出てくる。アフリカツメガエルは一匹七百円から千百円。四十人学級で四人に一匹配れば、それだけで三万五千円が一回の授業に消える。教育予算の話としても無視できない、という論法だ。

3Rと、ガイドラインの届かない場所

制度の側を見ておこう。日本には動物実験を直接取り締まる法律がない、とよく言われる。正確には、動物の愛護及び管理に関する法律のなかに動物実験に関する条文があり、いわゆる3Rの原則が理念として書き込まれている。Replacement――代替、Reduction――削減、Refinement――苦痛の軽減。この三つだ。

そのうえで、日本学術会議が二千六年六月一日に「動物実験の適正な実施に向けたガイドライン」を策定している。3Rの原則に基づいて動物実験を行うべきこと、機関の長が教育訓練の実施などの必要な措置を講じなければならないこと。対象は哺乳類、鳥類、爬虫類を用いた教育や試験研究などとされている。

ここに二重の穴がある。

ひとつは、このガイドラインが法令ではないということ。各機関が自主的に規程を作るためのモデルであって、罰則はない。行政指導のレベルにとどまる。

もうひとつが、対象範囲だ。哺乳類、鳥類、爬虫類、カエルは両生類である。イカは軟体動物である。魚類も入らない。

つまり、学校の理科室で最も多く使われてきた生き物たちが、そもそもこの枠の外側にいる。

さらに言えば、このガイドラインの想定は大学や研究機関だ。小中学校の理科室は主な射程に入っていない。だから、JAVAが「野放し」と表現するのは、感情的な誇張ではなく、制度の記述として当たっている部分がある。学校のカエルは、法的にも学術的にも、誰の管轄でもない場所にいた。

海外との落差もよく引かれる。イギリス、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、デンマーク、フランスでは初等中等教育での生体解剖が法律で禁止されている。アメリカとカナダの獣医学校では三十二校中二十二校が動物を犠牲にしない実習で卒業できる体制になっており、アメリカの医学校は百九十七校すべてが生きた動物を使うカリキュラムを持っていない。

そして必ず出てくるのが、ジェニファー・グラハムの名前だ。一九八七年十一月九日、カリフォルニア州の十六歳の高校生が、カエルの解剖を拒否し、憲法上の権利を主張して争い、勝訴した。彼女はのちにアップルのコマーシャルに起用されている。アメリカでの「解剖拒否権」の象徴的な事件として、日本の運動側の資料でも繰り返し参照されている。

ただし、反論もちゃんとある

ここでバランスを取っておきたい。廃止一択で話を終わらせると、現場の理科教員が黙っていない。

反論の一本目は、実物に勝る教材はない、という素朴で強い主張だ。映像で心臓の拍動を見るのと、手のひらの上で拍動を感じるのとでは、脳に残るものが違う。教員向けのサイトでは「本物に勝る教材なし」というタイトルの記事が普通に書かれている。理科教育の側からすれば、これは譲れない核心だ。

二本目は、命の教育としての意味だ。松蔭中学校・高等学校が二千二十二年十二月二十二日に実施したアフリカツメガエルの解剖の報告では、はっきり「命をいただいての授業」という言葉が使われている。生き物を切ることを避けて、パックの肉と切り身の魚だけで育った子どもが、命の重さを実感する機会はどこにあるのか。この問いに廃止論はまだ十分に答えていない、という立場だ。

三本目が、進路との接続、看護、医療、獣医、農学。この方面に進む生徒にとって、生体の構造に触れた経験は無駄にならない。富士見丘学園が二千二十一年十一月二日に高校二年生と三年生の選択授業「生物」で行ったアフリカツメガエルの解剖の記録では、看護系への進学希望者がとくに臓器や骨格の構造に強い興味を示した、と書かれている。

四本目は、いささか意地の悪い指摘だ。イカやブタの眼球への置き換えは、倫理的な前進なのか、それとも「殺すところを見なくて済む」という気分の問題なのか。イカも殺されている。ブタも殺されている。ただ、その工程が学校の外にアウトソースされただけではないのか。

血が赤くないから採用された、という理由の身も蓋もなさは、この疑いを裏づけてしまう。

どちらが正しいと結論を出すつもりはない。ただ、この議論が現在進行形であることは記録しておきたい。

今もやっている学校がある

「カエルの解剖なんてもうやってない」というのは、正確ではない。学校の公式発信を追えば、続けている学校がすぐに見つかる。

同志社中学校は、実物学習の理念のもとで第一学年のウシガエル解剖実習を三十年近く続けてきた。放課後の時間帯に四教室同時、二日連続という運営体制まで公開している。

松蔭中学校・高等学校は二千二十二年十二月、中学二年生の希望者を対象にアフリカツメガエルの解剖を実施した。学校の報告には生徒の反応が具体的に記録されている。神経を除去したあとも足が動き続けることへの驚き。体から取り外した心臓が拍動を続けることへの感動、水晶体の美しさ。

小さな体にこれだけの臓器が入っていることへの発見。そして「他の生き物も解剖してみたい」という声。

中学一年のときからこの実験を楽しみにしていた生徒もいたという。

鴎友学園女子中学高等学校は二千十四年十一月六日、高校一年生でカエルの解剖を実施している。この学校の記録が興味深いのは、やり方を変えた点だ。それまでは全員が同じ手順で行っていたものを、この回は実験の目的も手順も考察もすべて生徒自身に考えさせた。生徒は図書館で資料を調べ、班ごとに手順をまとめてから臨んだ。iPadで記録を取り、班によっては脊髄反射の実験や骨格標本の作製まで行っている。

吉祥女子中学・高等学校は高校一年生で九月初旬から実施した記録を公開している。六人グループにつき一匹、眠った状態のカエルが配られ、固定するところから生徒が行う。感想として「緊張しました」「心臓や肝臓などの器官や消化管を実際に見ることで、つくりと働きがよくわかりました」「肺の膨張を見てとても感動しました」といった声が並ぶ。

これらに共通するのは、私立の中高一貫校が多いことだ。カリキュラムの自由度があり、理科教育に予算と時間を割ける学校が、この実習を守っている。逆に言えば、公立の小中学校からはほぼ消えたが、消えたのは制度が禁じたからではなく、体力のない現場から順に落ちていっただけ、という構図が見える。

紙のカエルという解決策

代替教材の話もしておこう。

数研出版が販売している「カエルの模擬解剖」という教材がある。北海道大学名誉教授の鈴木誠が制作したもので、B5判の四十ページ、税込六百五円。学校採用専用で店頭販売はしていない。

中身は何かというと、分けられた図に色を塗って、順番に貼り合わせていくことでカエルのモデルを作る、というものだ。皮膚、筋肉、消化器官、血管系は雌雄別に用意されている。泌尿生殖器はトレーシング紙を使う。脳、神経、骨格。

指導手順書がPDFで付属する。

危険な薬品を使わない。生き物を殺さない。グループ学習に向いている。しかも一冊六百五円だ。アフリカツメガエルが一匹七百円から千百円だったことを思い出してほしい。

教材費としても勝ってしまっている。

杉並区が廃止と同時に導入を挙げた代替手段も似た系統だ。デジタル教材のグラフィック画像や動画、人体解剖模型、臓器エプロン、骨格標本。臓器エプロンというのは、着ると自分の体の上に臓器の位置が示されるエプロン型の教材で、小学校の保健や理科でよく使われている。

ここで正直に書いておくと、この代替教材の話をしているとき、僕はどうしても妙な気分になる。紙を貼り合わせて作ったカエルは、絶対に祟らない。切っても鳴かない。理科室に残らない。それは完全に良いことのはずなのに、この記事のテーマからすると、何かが確実に終わったという感じがする。

その「終わった何か」の中身を、次から見ていく。

怪談の型、その一――祟る

ここからが本題だ。カエルの解剖にまつわる怪談には、はっきりした型がある。大きく三つに分けられる。

第一の型は、祟りだ。解剖したカエルが、解剖した本人のもとに帰ってくる。

この型の話は構造がシンプルで、だからこそ流通しやすい。実習の日、ふざけて雑に扱った生徒がいる。麻酔が効いていないのに切った、内臓を投げた、遺体を捨て方が悪い、写真を撮って笑った。そういう「線を越えた」振る舞いが必ず前半に置かれる。そして後半で、その生徒の身に何かが起きる。

具体的な症状のバリエーションが妙に固定されている。手が動かなくなる。体が跳ねる。夜中に喉の奥から鳴き声のような音が出る。足の裏に水かきのようなものができる。

皮膚がぬめる。眠っているあいだに冷たいものが胸の上に乗っている。

この症状群、よく見ると全部「カエルになっていく」という方向を向いている。加害者が被害者の形に変わっていく。日本の怪異譚の古典的な構造で、蛇の祟りや狐憑きの話と骨格が同じだ。学校の怪談は新しいジャンルに見えて、話型としては相当に古いものを引き継いでいる。

もうひとつの特徴が「班」の存在だ。この型の話では、ほぼ必ず班の他のメンバーは無事である。祟られるのは一人だけ。理科の実習は班単位で行われるから、同じ行為をした四人のうち一人だけが選ばれる、という不公平さが生まれる。そしてその選別の基準は「態度」だとされる。

真面目にやった子は許され、笑った子は許されない。

これは怪談というより、道徳の授業の裏バージョンだ。

怪談の型、その二――理科室に残る鳴き声

第二の型は、場所に残る。

夜の理科室から、あるいは放課後の誰もいない理科準備室から、カエルの鳴き声が聞こえる。窓を開けても外に池はない。声は室内から、それも標本棚の奥から聞こえる。行くと止む。戻ると始まる。

この型は、理科室怪談の大きな系譜――動く人体模型、こちらを見る骨格標本、勝手に開く準備室の扉――に接続している。理科室というのは日本の学校のなかで最も怪談密度の高い部屋で、その理由ははっきりしている。あの部屋には「かつて生きていたもの」が保管されているからだ。

ここに関連して、二千二十年代に入ってからネット上で改めて話題になった件がある。学校の骨格標本に、かつて本物の人骨が混じっていたという話だ。戦前には人間の遺体から骨格標本が作られており、それが戦後もかなり近年まで学校に残っていた、という証言がまとめられて拡散した。旧制中等学校由来の日露戦争時代のロシア人の標本、ドイツ人女性の献体標本、関東大震災由来の標本、足立区の標本業者から見つかった大量の人骨。

真偽が確定していないものも混じっているが、少なくとも「学校の骨格標本には本物が混じりうる」という認識が、一定の根拠をもって共有されている。

それを受けて出てきたコメントが象徴的だった。だから昔の学校の怪談で動く骨格標本とかあったんですね、というやつだ。

怪談が先にあって、あとから根拠が見つかる。ふつうは逆だと思われている。学校の怪談は「子どもの空想」として扱われがちだ。でも理科室系の怪談に関しては、空想ではなく観察だった可能性がある。子どもたちは、あの部屋に何かがあることを、大人が説明する前から知っていた。

そしてカエルの場合、その「何か」は、自分たちが持ち込んだものだ。

怪談の型、その三――罪悪感が話になる

第三の型がいちばん厄介で、いちばんこの記事の核心に近い。怪異が何も起きない怪談だ。

このタイプの語りには、幽霊が出てこない。祟りもない。鳴き声もしない。ただ、語り手が実習の日のことを話す。手ざわりを話す。

あのとき自分がどう感じたかを話す。そして話し終わったあと、聞いた側が黙る。

構造としては体験談なのに、機能としては怪談になっている。これが本当に不思議で、たとえば「クラスの誰々が泣いた」だけの話が、なぜか背筋を冷やす。理由は、聞き手の側にも同じ記憶があるからだ。同世代の人間が集まって誰かがこの話を始めると、部屋の温度が変わる。全員が自分の理科室に帰ってしまう。

つまりこの型の怪談は、話の内容ではなく、聞き手の内部にあるものを起動させる装置として働く。語り手が持ち込んだ幽霊ではなく、聞き手の中にもともといた幽霊が起き上がる。

学校の怪談の他の話型に、こういうものはほとんどない。トイレの花子さんを聞いて自分の記憶が疼く人はいない。

語り一――背中の感触

ここから、集めた語りを三つ紹介する。いずれも匿名の証言として書く。年代と地域はぼかす。

一人目は、昭和五十年代後半に関東の公立中学に通っていた男性。

「二年生の秋だった。理科の先生が、来週やるからな、って言ったときの教室のざわつき方が今も耳に残ってる。怖がる声と、笑う声と、変な高いテンションの声が混ざってた。あれは全員が動揺してたんだと思う。

当日、班は四人、俺は真ん中の席だった。エーテルの匂いが最初にきて、そのあとにカエルが配られた。もう動かなくなってたのだ。でも、体は温かくもないし冷たくもない。

人肌でもないし石でもない。あの温度が説明できない。

先生が固定しろって言うから、虫ピンを打つ役をやった。前足の付け根に打つとき、指の腹に、押し返してくる感じがあったんだよ。生きてるわけじゃない。ゴムでもない。押すと戻ってくる。

あれが一番きつかった。切るところよりずっと。

切ったあとのことはあんまり覚えてないんだ。心臓が動いてたのは覚えてる。班のやつが、動いてる、動いてるって騒いでて、俺は何も言えなかった。手を離したら負けだと思って、ずっとピンセットを握ってた。

家に帰って、飯を食えなかったのだ。母親に何かあったのって聞かれて、何もないって答えた。何もなかったんだよ、実際、授業をやっただけだ。それだけのことを、なんで四十年覚えてるんだろうな」

彼はこの話を怪談として語っていない。ただ、聞いたこちらは、これが理科室の話のなかで一番怖い部類だと思った。

語り二――夏休みの音

二人目は、平成のはじめに関西の私立中学に通っていた女性。この人の話には、はっきりと怪異が出てくる。

「うちの学校は毎年やってたから、一年生の秋に一回、それだけ。私は泣かなかったし、平気なほうだったと思う。班のリーダーみたいなことをやって、手順を読み上げてた。

問題はそのあとの夏だった。二年生の夏休み、部活で学校に行ってたのだ。夕方、部室に忘れ物をして取りに戻って、そのとき理科室の前の廊下を通った。夏の校舎って、蝉の音がすごいでしょう。窓が全部開いてるから。

その蝉の音の下に、別の音が混ざってた。低い、詰まったような音、グ、グ、グって。三回ずつ区切って鳴るの。私、最初は誰かがふざけてると思ったの。

理科室の扉に近づいて、耳を当てたら、音が止まった。離れたらまた鳴った。

それ、扉に耳をつけてる間だけ止まるんだよ。三回試したから間違いない。

四回目に、扉を開けた。誰もいなかった。標本棚があって、水槽が空で、黒板に前の授業の図が消し残ってたのだ。それだけ。音は完全に止んでた。

私は忘れ物を取って、走って帰った。

友達に言ったら、それカエルじゃんって言われて、そこで初めて自分が何を聞いてたのか気づいたの。聞いてる最中は、カエルだと思ってなかったんだよ。ただの音だと思ってた。友達に名前をつけられてから、怖くなった。

今でも、あの音が本当に鳴ってたのか、蝉の音の中にそう聞こえるものがあっただけなのか、わからない。ただ、扉に耳をつけると止まったのだけは、絶対に本当」

この語りの精度が高いのは、本人が「わからない」と言い切っている部分だ。怪談として完成させようとしていない。そして「友達に名前をつけられてから怖くなった」という一行が、怪談の生成過程そのものを説明してしまっている。

語り三――手が覚えている

三人目は、平成十年代前半に中部地方の私立中高に通っていた男性。現在は医療職に就いている。

「変な話だけど、俺はあの授業のおかげで今の仕事をしてる。中二でカエルをやって、そのとき、あ、俺これ大丈夫だ、って思ったんだよ。クラスの半分が青い顔をしてるなかで、俺は手が震えてなかった。それが自分でも意外だった。

でも、その日の帰り道のことも覚えてる。自転車を漕ぎながら、右手だけがずっと変な感じだった。何か持ってる感じ。持ってないのに。

これが十年くらい続いた。年に何回か、右手が思い出すんだよ。夜に多い。布団の中で、あ、来た、って。痛くもないし、怖くもない。

ただ、あの日の重さが手のひらに戻ってくる。

大学で解剖学の実習をやったとき、その感覚が消えた。理由はわからない。もっと重いものを扱ったからかもしれないし、あのときの実習にはちゃんと説明と手続きと敬意があったからかもしれない。中学のときは、何もなかった。カエルが配られて、切って、片付けて、次の授業に行った。

それだけだったのだ。

俺が思うのは、たぶんあれは、扱いが軽すぎたんだと思う。命を取るという行為に対して、教室が用意していた儀式が足りなかった。だから手に残ったんじゃないかな。

祟りとかは信じてない。でも、手が十年覚えてたのは事実だから、それを何て呼んだらいいのか、いまだにわからない」

三人目の証言は、この記事全体の結論に近いことを言っている。恐怖の原因は殺害ではなく、殺害の軽さだった、という指摘だ。

派生していく話

この系統の怪談は、地域や世代によっていくつもの変奏を持っている。ひとつずつ見ていこう。

ひとつめが、机の下に残る型、実習をした机の下に、翌日から小さな染みができている。拭いても消えない。ワックスをかけても浮き上がってくる。その机が何年も同じ位置にあり、代替わりした生徒たちが「あの机の下」の話を受け継いでいく。

学校という場所は人が入れ替わるのに物が残るので、この型は非常に強い。染みが実際にあるかどうかはどうでもよくて、あるという前提で見れば必ず何かが見える。

理科室の机は、そもそもいろんな薬品で汚れているのだ。

ふたつめが、名前をつけてしまう型、実習の前に、班のメンバーが配られた個体に名前をつける。ふざけて、あるいは緊張をほぐすために。そしてそのあと、その名前で呼ばれる何かが現れる。人格を与えてしまったものを殺した、という構図がむき出しになる型で、後味が一番悪い。

名前をつけた本人が、その名前を口にできなくなる、という結末がつくバージョンもある。

みっつめが、記録媒体に残る型、実習の様子を記録した写真や動画に、映るはずのないものが写る。二千十年代以降の学校では、鴎友学園がiPadで記録を取り、富士見丘学園がPCで作業を録画していたように、実習の記録は当たり前になった。記録が当たり前になれば、記録の異常も当たり前に語られるようになる。この型は明らかに新しく、機材の普及に追随して発生している。

よっつめが、教員が主役の型。何十年もこの実習を担当してきたベテラン教員が、退職の年に何かを見る、あるいは何かを告白する。「実は毎年、数えていた」というやつだ。三十年で何匹、と数字を口にする。数字が出た瞬間に、それまで個別の出来事だったものが総量に変わる。

杉並区の八百七匹と六百八十七匹という実数を知ったあとだと、この型が単なる作り話に思えなくなるのが厄介なところだ。

いつつめが、廃止後の型、これが最も新しい。もう解剖をやめた学校の理科室で、それでも鳴き声がする。準備室の奥に、使われなくなった解剖セットが眠っている。誰も切っていないのに、音だけが残る。

この型は二千年代の廃止以降にしか成立しない。怪談が現実の制度変更を吸収して形を変えている、わかりやすい実例だ。

むっつめが、拒否した子の型、実習を拒んで教室の外にいた生徒が、廊下で何かに会う。中に入らなかったことが、逆に選ばれる理由になる。この型は、拒否権をめぐる現実の議論――ジェニファー・グラハムの一件のような――が背景にあるときに強く働く。やった側もやらなかった側も逃げられない、という構造が作られている。

ネットではどう語られてきたか

掲示板やSNSでのこの話題の扱われ方には、はっきりした特徴がある。

まず、怪談として語られる量よりも、体験談として語られる量のほうが圧倒的に多い。オカルト板の書き込みよりも、なんJや育児系のスレッド、あるいは知恵袋の質問のほうがボリュームがある。「カエルの解剖の授業っていつから無くなったんでしょうか」という質問には世代ごとの証言がずらりとぶら下がるし、そこでは誰も幽霊の話をしていない。

第二に、世代論の道具として使われる。何年生まれまでがやった、何年生まれからはやってない、という線引きの話題になりやすい。そしてこの線引きが決着しない。地域と学校種でばらばらだからだ。この「決着しなさ」が、話題としての寿命を延ばしている。

誰かが「うちはやった」と言えば、必ず「うちはやってない」が返ってくる。永久機関だ。

第三に、感情の分布が二極化している。「トラウマだった」と書く人と、「あれは良い授業だった」と書く人が、ほぼ同数で衝突する。しかもどちらも一歩も引かない。そしてこの対立の裏に、動物福祉の議論が乗ってくると一気に温度が上がる。廃止を求めた団体の名前が出た瞬間に、議論が理科教育の話から別の話に切り替わることも多い。

第四に、近年の学校公式ブログの発見という現象がある。まだやってる学校あるじゃん、というやつだ。同志社や松蔭や鴎友の記録がスクリーンショットで回る。ここでの反応も割れる。私立はすごいなという称賛と、まだやってるのかという批判が同じ投稿にぶら下がる。

学校側は教育実践の記録として誠実に公開しているだけなのに、それが外部で全然違う文脈に置き直される。この現象自体が、二千二十年代の情報環境をよく表している。

主要な考察と、その反証

この怪談群について、いくつかの解釈が語られてきた。整理して、それぞれに反証も当てておく。

最も一般的な解釈は、罪悪感の外部化説だ。子どもは自分が命を奪ったという事実に耐えられないので、その感情を「祟り」という外部の存在に転嫁する。祟るカエルがいるということにすれば、自分は加害者ではなく被害者になれる。心理的な防衛機制として理にかなっている。

反証としては、実際の語りの多くが祟りを含んでいない、という事実がある。さっき紹介した語り一と語り三には怪異が出てこない。もし外部化が主要な機能なら、もっと祟り型が優勢になっていいはずだ。実態は逆で、体験談型のほうが多い。

次に、通過儀礼説がある。この授業は事実上のイニシエーションであり、それに伴う怪談は儀礼の周辺に必ず発生する物語である、という見方だ。同志社の記録にある「絶叫・号泣・脱走」から「最後には楽しくなった」への移行は、恐怖を通過して成員になる、という儀礼構造そのものに見える。

反証は、儀礼には共同体による意味づけが必要だという点だ。三人目の語り手が指摘していた通り、実際の授業には儀式が足りなかった。切って、片付けて、次の授業に行く。意味づけの手続きがないまま恐怖だけが与えられるなら、それは儀礼ではなく事故に近い。むしろ儀礼として不完全だったからこそ、後から怪談という形で意味づけを補おうとした、と読むほうが筋が通る。

三つめが、理科室という場所の力に帰す説だ。人体模型も骨格標本もホルマリン標本もある部屋なので、そこに置かれた話は何であれ怪談化する。カエルは主役ではなく、場所の効果にすぎない。

反証は明快で、それならイカの解剖にも怪談が発生するはずだ、というものだ。イカも理科室で切られている。ブタの眼球も切られている。でもイカの怪談はほとんど生まれていない。場所だけでは説明がつかない。

四つめが、生理現象の誤読説だ。脊髄を破壊したあとの反射運動、摘出後も拍動を続ける心臓。これらは科学的に完全に説明のつく現象だが、中学生には「死んだのに動く」としか見えない。この誤読が怪談の核になった、という説明だ。

反証というより補足になるが、教員は毎回きちんと説明している。反射だと。神経系の話をしたうえで観察させている。それでも怪談が生まれるのは、説明が理解を生んでも納得を生まないからだ。頭でわかることと、手が受け取ったものは別の場所に保存される。

ここは説として弱いのではなく、むしろ他の説の下地になっている。

なぜこの記憶だけ質が違うのか

最後に、この記事を書くきっかけになった疑問に戻る。

学校の怪談には無数の話型がある。走る二宮金次郎、開かずの間、四時四十四分の階段、鏡の中の顔、夜のプール。どれも面白い。でも、どれもフィクションだ。誰も本当に金次郎が走るのを見ていない。

カエルの解剖は違う。全員が現場にいた。全員が加害者だった。そしてそれが授業だったのだ。

僕はここに三つの層があると思っている。

第一の層は、事実性だ。この怪談の背後には、実際に終わった命がある。杉並区だけで一年に六百八十七匹、日本全体で、六十年で、誰も数えていない数。この記事に出てくる数字はどれも実在の記録から取ったもので、そこが他の学校怪談との決定的な違いになっている。

花子さんには元ネタがない。カエルには元ネタしかない。

第二の層は、権威との関係だ。他の学校怪談は、たいてい学校という権威の外側で語られる。夜に起きること、誰も見ていない場所で起きること、先生が知らないこと。子どもの側の秘密として流通する。

カエルの解剖は逆だ。先生が指示した。教科書に載っていた。時間割に入っていたのだ。成績がついた。

つまり、学校という権威が正面から命令した行為である。ここが本当に気持ち悪いところで、この怪談が問うているのは「幽霊はいるか」ではなく「あの大人たちは正しかったのか」なのだ。権威が命じた加害に子どもが参加してしまった、という構造は、幽霊よりずっと居心地が悪い。

第三の層は、逃げ場のなさだ。他の怪談は信じないという選択肢がある。人体模型は動かないと思えば終わる。

でもこの記憶に対して、信じないという態度は取れない。やったことは事実だからだ。四十年前の自分の指先に、押し返してくる感触があったこと。それを否定する方法がない。怪談の解体は、通常は「そんなものはいなかった」で完了する。

この怪談は、そこを完了できない。

だから残る。

そしてもうひとつ。この怪談群は、いま静かに絶滅しかけている。二千年代以降の子どもたちは、カエルを切っていない。イカを切って食べ、ブタの眼球で文字を拡大し、六百五円の紙のキットを貼り合わせている。それは間違いなく良いことで、僕は元に戻せとはまったく思わない。

ただ、あと三十年もすれば、この話を実感として理解できる人がいなくなる。理科室から鳴き声が聞こえるという話を聞いても、若い人は「なんで理科室でカエルなんですか」と聞き返すようになる。説明が必要になった時点で、怪談は死ぬ。

いま日本で生きているこの怪談は、経験者が全員生きているうちしか語れない、期限つきの物語だ。語り手がいなくなれば、あの部屋の音も止まる。

理科室に何かが残っているとしたら、それはカエルじゃない。切った子どもたちのほうだ。彼らが年を取って、忘れて、いなくなったとき、あの部屋はようやく静かになる。

その日はもう、そんなに遠くない。

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