- 朝七時二十分、集合場所で数が合わなくなる
- 何度も語られてきた型を、頭から終わりまで通しで
- この話はどこから湧いて出たんだ
- 「増える」んじゃなくて「減らない」バージョン
- 旗当番の側から語られる型
- 一年生にだけ見えている、という型
- 語られている体験談を三つ
- 霜の朝、九人目の足音
- 傘が一本余る雨の日
- 名簿の余白に増えた名前
- 掲示板とネットでこの話がどう転がったか
- 「そんなの数え間違いだ」への反論と、その反論
- そもそも集団登校って、いつ、なんのために始まったんだ
- 旗を持って立つ大人たちの、そこそこ長い歴史
- 列という形式が、そもそも怖い
- なぜこの話が全国に広まったのか
- 心霊譚でも都市伝説でもない、中途半端な位置
- 神隠しは事件になり、九人目は怪談に残った
- 入れ替えの七人ミサキ、加算の九人目
- 守る側が見てしまう怖さ
- 大人が先に立ち、子どもの列があとから来た
- 活字が整えた四点セット
- 朝の二十分だけが残っている
朝七時二十分、集合場所で数が合わなくなる
冬の朝の話だ。息が白くて、空気はまだ青く、家々の屋根に霜がのっている。場所は近所の児童公園か、電柱の脇か、あるいは誰かの家のブロック塀の前あたりになる。地域によって場所は違うけど、とにかくそこが登校班の集合場所ということになっていて、毎朝そこから歩き出す。
並び方も決まっている。班長が先頭で、副班長がしんがり、真ん中に低学年で、決められた順番のまま、決められた道を歩いていく。そういう朝を、たぶんけっこうな数の人が子どものころに経験しているんじゃないかと思う。
で、その朝、班長が人数を数える。班長は毎朝これをやらされる。形式的な儀式みたいなもので、指を差して、一、二、三と口に出して数えていくし、名簿を持たされている班長もいる。
そこで、合わないんだよな。八人のはずが、数えると九人いる。数え直してもやっぱり九人で、三回目でようやく八人になる。班長は首をかしげながら出発の号令をかけるけど、ここまでは「よくある朝の失敗」の範疇で、誰も気にしない。
怖いのはその先だ。歩き出してから、列の真ん中あたりで低学年の子が「おねえちゃん、あのこだれ」と言う。班長が振り返ると、当然だけど誰もいない。いや、正確には班のメンバーは全員いるのに、さっき数えたときの「九人目」がどこにいたのかだけ、誰にも説明できない。
学校に着く。昇降口で解散するとき、班長がもう一度だけ数えてみると、今度は誰が見てもきっちり八人になっている。みんな何事もなかった顔をして、靴を履き替え、それぞれの教室に散っていく。
この話、名前がついていない。トイレの花子さんみたいな固有名詞を持っていないから、全国区の有名怪談としては扱われにくい。でも逆に言えば、「名前がないまま日本中で同じ形で語られている」という気味の悪さがこの話にはある。
呼び方は地域でバラバラだ。「ひとりおおい」「かずがあわない」「九人目」「よぶんな子」なんて呼ばれている。中には「後ろの正面」と呼ぶところもあるらしいけど、たぶんかごめかごめから引っぱってきた言い方だな。
何度も語られてきた型を、頭から終わりまで通しで
いちばん流通している形を、細部まで再現しておく。この手の話は細部が命だ。舞台になるのは、集合場所からいちばん遠い家に住む子が、いつも最後にやって来る、そういう登校班だ。
班員は八人。班長は六年生の女子で、副班長は五年生の男子。あとは四年生がひとり、三年生がふたり、二年生がひとり、一年生がふたりという顔ぶれで、これで八人になる。
一年生のうちの片方は、この年の春に転入してきた子だ。班ではまだ打ち解けていない。この設定はけっこう固定されていて、どのバージョンでも「新しく入った低学年の子」が最初に異変を口にする役をやる。その子は春に越してきた。
出発時刻は七時二十分。集合は七時十五分で、班長はその五分前には集合場所に着いて、名簿を手に出して、みんなが来るのを待つ。冬場は暗いから、班長に懐中電灯を持たせている学校もある。
旗当番の保護者は集合場所じゃなくて途中の交差点に立っているから、この時点では誰もまだ大人に会っていない。ここも大事なところだ。「大人が近くにいない時間帯」に怪異が起きるよう、話がちゃんと組まれている。
その朝、最後に来るはずの子が、珍しく一番乗りだった。班長が「今日はやいね」と言うと、その子は「おかあさんに起こされた」と答え、他の子も順に集まってくる。全員そろったら点呼だ。珍しい朝だった。
一、二、三、四、五、六、七、八、九で、九人いる。班長は「あれ」と言ってもう一回数えるけど、やっぱり九人。三回目でやっと八人になる。班長は、自分の目がおかしかったんだろうと思い込んで、それ以上は深く考えないまま、列を出発させる。
通学路は住宅街を抜けて、田んぼ沿いの道を三百メートルほど歩いてから、大きい通りの横断歩道を渡る。列は二列に並ぶ。低学年が真ん中で、高学年がその前後を挟む。
歩き出して二分くらいのところで、後ろのほうから小さい声がする。副班長が「しゃべらない」と注意する。声はいったんやむ。集団登校のあいだは私語禁止という決まりを置いている学校が多いから、ここまではごく自然な流れだ。
田んぼ沿いに出たところで、一年生の子が列を離れ、小走りで班長のところまで来て「おねえちゃん、あのこ、だれ」と言う。班長が「どの子」と聞く。その子が指さすのは、列の真ん中あたりだ。
そこには三年生がふたり並んで歩いているだけで、班長は「三年生の子でしょ」と言う。一年生の子は首を振る。「そのうしろ」と言うけど、三年生の後ろには二年生の子がひとりいて、その後ろが副班長だから、数は合っている。
合っているのに、一年生の子は「まだいる」と言い張る。班長はここで、朝の数え間違いを思い出す。背筋が冷える。でも班長には班長の仕事があるし、次はいよいよ横断歩道で、その角には旗当番の保護者が立っている。
班長は列を止めて、手を上げて、旗当番に会釈をする。黄色い旗が出て、車が止まる。列が横断歩道をぜんぶ渡り切ったところで、旗当番のお母さんが班長に「あら、今日は多いのね」と言う。
班長は振り返る。列は八人だ。数えるまでもなく、見ればわかる八人なのに、お母さんは旗をたたみながら、もう一度「多いわね」と繰り返す。
学校に着く。昇降口で解散して、班長がもう一度数えると八人で、全員いるし、全員そろっている。班長は職員室へ登校の報告に行き、そこで先生に「今日、班に知らない子いた?」と聞こうとして、やめる。なんて聞けばいいのかわからないからだ。
翌朝、その一年生の子は集合場所に来なくて、班長が家まで迎えに行くと、お母さんが出てきて「熱が出ちゃって」と言う。話はだいたいここで終わる。この「翌日に休む」というオチが、この怪談の型としてはいちばんきれいな終わり方だ。
死にはしない。事故にも遭わない。ただ熱を出して休む、というそのゆるい着地が、逆に「本当にあった話っぽさ」を出しているんだよな。
この話はどこから湧いて出たんだ
正直、初出をびしっと特定するのは無理だ。これは最初に言っておく。ただ、系譜はある程度たどれて、まず日本には「一行の人数が増える・数が合わない」という話型が古くからある。
有名なのが、四国や中国地方に濃く残っている七人ミサキだ。高知を中心に語られてきたやつで、水死した者の霊が七人一組でさまよっていて、行き会った者は死ぬ。特徴的なのは人数の管理。
七人ミサキは常に七人だ。誰かが成仏すると、代わりに新しく取り殺した者がその欠員を埋めるから、永遠に七人のままになる。人数が固定されているという設定が、逆に「数える」という行為を怪異の中心に据えている。
香川にも似た話がある。呼び名は七人童子とか七人同志。寛延三年、つまり一七五〇年の一揆で処刑された首謀者七人が、蓑笠姿で列をなして歩く、なんて伝わり方をしている。首謀者たちは処刑された。列をなして歩く死者の集団というイメージが、この時点でもう完成しているわけだ。
それから、数え上げの怪という系統もでかい。皿屋敷だな。お菊が井戸から「いちまーい、にまーい」と数える、あれのことで、ある説では全国の四十八か所に類話があるとまで言われている。
江戸の番町版のもとになった読み物は、宝暦八年、一七五八年に講釈師の手で世に出ている。類話の舞台はあちこちにある。播州の姫路版、出雲の松江版、土佐の幡多郡版、宮城の亘理郡版と、地域ごとに設定は入れ替わっていく。それでも「数える」「一枚足りない」「最後の数を言わない」という骨格だけは、どれにも共通して残っている。
数が合わないことそのものが恐怖になる、という感覚は、日本の怪談文化の相当深いところに埋まっている。ここまでが下地になる。これが「学校の怪談」として定着したのは、どう考えても戦後、それも集団登校が全国的な制度になってからだ。この話は戦後に定着した。
公式な記録で起点としてよく名前が出るのは、一九六一年、昭和三十六年六月の内閣の交通事故対策本部の決定だ。今から数えると六十五年前。集団登校を後押ししたのがこれだ。
ただ、慣習としてはもっと古い。明治や大正までさかのぼれる地域もあって、当時は交通安全というより、集落の団結の証みたいな意味合いが強かったらしい。「近所の子どもが列を組んで歩く」光景は、最低でも百年以上、日本の朝の風景だった。列は昔からあった。
語りとして活字に上がってくるのは、やっぱり一九九〇年前後の学校の怪談ブーム以降だ。中学教師をしていた民俗学者が、生徒から聞き取りを重ねて『学校の怪談』を出したのが一九九〇年だ。これがシリーズ化する。翌年には別の出版社からも、同じタイトルの児童書が出る。
三十六年前の話だな。この流れで、それまで教室の隅で口伝えされていたローカルな話が、一気に活字になって全国に配られた。口伝えが活字に変わった。「一人多い」系の話も、この時期の子ども向け怪談集に何度も出てくる。いわゆる五分間怪談みたいなシリーズの中でも、タイトルこそ違えど、何度も形を変えて登場している。
ネットに話が大量に落ちだしたのは、二〇〇〇年代に入ってからだ。匿名掲示板のオカルト板に、洒落にならないほど怖い話を集めるスレッドが立ったのが二〇〇〇年八月二日で、これが二十六年前。ここを起点に話は広がった。口承だったものが文字になり、コピーして貼り付けられる形で爆発的に増えたのは、ここからだった。
集合場所の風景、班長の名簿、旗当番の位置。こういう細部は、文字で語られるようになってから増えた。話そのものも長くなった。今この記事で再話しているような細部は、たぶんどれもネット以降に肉付けされたものだと考えていい。
「増える」んじゃなくて「減らない」バージョン
派生の話をしよう。いちばん不気味なのはこれだ。ある班で、それまで毎朝いっしょに集合場所から歩いていた子どもがひとり、転校で引っ越していった。それまで八人いた班が、七人になる。
ところが翌朝、班長が数えると八人いる。数え間違いだと思って数え直しても、やっぱり八人だ。顔を見れば七人しかいない。それでも数えると八人になる状態が、次の年度で班のメンバーが総入れ替えになるまで続いた、という話だ。
こっちは増える話じゃない。「欠員が埋まらない」型で、誰かが抜けた穴を、何かが律儀に埋めにくる。七人ミサキの人数固定のロジックとほとんど同じ構造なんだけど、舞台が現代の登校班になっているぶん、生々しさが段違いだ。
引っ越しって、子どもにとっては相当な喪失体験なんだよな。昨日まで毎朝一緒に歩いていた子が、ある日から永久に来ない。その空白を「何かが埋めている」という話は、喪失の感情にまっすぐ、直接ひっかかってくるから厄介だ。だから効く。
もっと嫌な型もある。埋めているのが「その転校していった子本人」だ、という語り口だ。転校先で不幸に遭った子の霊がいつもの列に戻ってきているから、いるのに見えないし、見えないのに数だけ合う。
これは相当あとから足された解釈だと思う。物語として説明がつきすぎる。こういう「理由が判明する型」は、ネットで長文化した怪談にはっきり特徴的に出てくる作りなんだよな。
旗当番の側から語られる型
次に紹介するのは、視点が子どもじゃなくて、旗を持って交差点に立っている大人の側へ移るバージョンだ。これが個人的には一番怖い。旗当番のお母さんが、いつもの交差点に立っている。
班は順に来る。時間帯ごとに、一番目の班、二番目の班、三番目の班と、いくつかやって来る。当番はだいたい三十分か四十分くらい立ちっぱなしなので、やって来る班の顔ぶれも、おおよそ覚えている。
その朝、二番目の班が来たとき、最後尾にひとり、見慣れない子がついていた。見覚えのない子だった。制服も指定の帽子もランドセルも同じだから、お母さんは班の子だと思って旗を出し、そのまま渡らせる。全員渡ったのを確認する。旗をたたむ。
そのあと、三番目の班が来る。その最後尾にも同じ子がついていて、顔も背格好も同じだから、どう見ても同じ子だ。当番のお母さんは、さっき渡らせたはずだよなと思いながら、もう一度旗を出して、その班を渡らせる。
四番目の班にも、同じ子がいる。ここでとうとう、お母さんは動けなくなる。旗を出せないまま、班長に「渡ります」と言われても、手がどうしても上がらないまま立ち尽くしてしまう。
後日、学校に相談した。すると「今年から途中で合流する子がいる」という説明をされて、いったん納得する。ところが年度末の懇談会で他の当番の母親たちと話したら、全員が「あの子いたよね」と言い出した、というオチがつく型もある。
大人が複数で見ている。なおかつ、学校側の説明は微妙に噛み合わない。この「行政的な説明で一度回収されかけて、また外れる」という構成は、都市伝説としては相当洗練されてる。
旗当番という制度も、話の器としてよくできている。当番の大人は、班の子を全員は知らない。名簿も持っていない。ただ「渡らせる」という仕事だけをするから、知らない子が混じっていても検知できない立場に、構造的に置かれている。その穴に怪異が入り込む。
一年生にだけ見えている、という型
三つ目の派生は短い。班の中で、その子だけに見えている。上級生には見えないから、指をさして「あのこ」と言うたびに、上級生に「またそんなこと言って」と怒られる。
やがてその子は黙る。二年生になったころには、もう見えなくなっている。そこへ新しい一年生が班に入ってくると、今度はその新入りの子が、まったく同じことを言い出すようになる。
これ、怪異そのものより「見えなくなること」で怖がらせに来ている型だ。子どもは成長する。見えていたものが見えなくなるのは、大人になるということでもあるけど、同時に何かを失うことでもあるんだよな。
この型は、低学年の子が持っているとされる感受性の話に接続されている。仕上がりは、やたら文学的だ。だからか、この型は比較的新しい層で語られている印象があって、九十年代の児童向け怪談集にはあまり見ない。
もう一個、ごく短い派生がある。「集合場所に置かれたランドセル」型で、集合場所に誰かのランドセルが置いてあるのに、持ち主がいない。班長が学校に届けると、そんな児童は在籍していないと言われる。翌朝、また同じ場所に同じランドセルがある。他の学校怪談との合流が起きていて、放課後の教室に残された赤いランドセルの話なんかと、明らかに混ざっている。
語られている体験談を三つ
ここからは、実際に語られている体験談を紹介する。特定されないように地域や年代はぼかしてあるけど、細部のほうは語り手の記憶に沿ったままにしてある。信じるかは好きにしてくれ。
霜の朝、九人目の足音
語り手は現在四十代の男性。舞台は地方都市の郊外で、本人が小学四年生だったころ、班は七人、集合場所は農協の倉庫の脇だった。冬になると、その倉庫の壁が霜で白くなる。
その朝も子どもたちは、壁に指で落書きをしながら班長を待っていた。やって来た班長が数えて、「八人おる」と言った。方言まで覚えているそうだ。数え直すと今度はちゃんと七人になったので、班はそれ以上は気にせず、そのまま倉庫の脇から出発した。
倉庫を出て歩く。砂利の残るその道は舗装が中途半端で、歩くと足音がはっきり鳴った。語り手は列の後ろから二番目で、しんがりは副班長だったから、自分の後ろにはひとりしかいないはずだった。
ところが足音が多い。ざり、ざり、という音が、明らかに人数より一つ多く鳴る。振り返れば副班長がいて、その向こうには誰もいないのに、前を向くとまた足音がひとつ増えている。
それを三回繰り返したところで、語り手は怖くなって列を飛び出し、先頭の班長のところまで走った。「うしろ、おる」。そう言うと、班長は何も言わずに歩調を速めた。あとで聞いたら、班長も同じ音を聞いていたらしい。
学校では、誰もそのことを話題にしなかった。ただ、その日を境にして、その班では冬のあいだずっと、しんがりを二人にする運用に変わったという。理由は誰も説明しなかった。
誰も聞かなかった。語り手は「あれ、たぶん先生も知ってたと思う」と言っている。三十年以上経った今になっても、どこかで砂利を踏む音を聞くと、そのたびに足が止まってしまうそうだ。
傘が一本余る雨の日
二人目は、当時小学生の子ども二人を通わせていた女性で、旗当番として交差点に立った日の話になる。その日は朝から雨だった。旗当番は雨天決行の地域が多くて、彼女のところもそうだった。
合羽を着て長靴を履き、交差点の角に立つ。雨の日の登校班は、傘のせいで列がぐちゃぐちゃになる。当番は普段より神経を使う。子どもの顔は帽子と傘で見えないけど、傘なら数えられるから、彼女は来る班ごとに傘の数を目で数える癖をつけていた。彼女は傘を数えた。
最初は六本、次の班は九本。三番目の班は、彼女の記憶では八人のはずだった。ところが、傘が九本あった。数が合わない。彼女は「誰か二本持ってるのかな」と思いながら、横断歩道を渡り終わったあとの列を、後ろからじっと見た。
数は変わらない。傘は九本のまま、列は横断歩道の向こうへ進んでいった。追いかけて数え直すこともできたけど、次の班がもう来ていたので、その話はそれきりになってしまった。
話には続きがある。何年もあと、彼女はこの話を近所の人にした。話を振ったのは相手だった。当番仲間だった別の母親が、なんでもない世間話の途中で「雨の日、傘が多く見えることない?」と言い出したからだ。
彼女が黙っていると、その人は「私だけかと思ってた」と笑った。二人とも話を続けなかったんだ。彼女は今も、雨の日に子どもの列を見ると数えてしまうと言い、数えてどうするわけでもないのに、と苦笑いしていた。
名簿の余白に増えた名前
三人目は二十代の女性。小学六年生のとき、登校班の班長をやっていた。当時その学校では班長が名簿を預かる決まりで、朝の集合時に出欠を確認して、学校に着いたら担当の先生に提出していた。
名簿は横罫の紙だ。班員の名前が縦に並び、下には空欄が数行残っていた。春の途中から、その空欄のいちばん上の一行目に、鉛筆でうっすらと名前らしきものが書かれはじめた。
それは二文字か三文字の、平仮名とも漢字ともつかない字だったと、彼女は記憶している。消しゴムで消すと消える。でも翌朝、また書かれている。最初は班の誰かのいたずらだと思って、名簿を家に持ち帰り、自分の机の引き出しに入れて鍵をかけた。それでも書かれた。
相談した相手は担任だ。担任は名簿を見て、「これ、前の年の子の名前じゃないかな」と言った。その班には前年度まで在籍していて、年度替わりで別の校区へ移っていった子が、本当にいたらしい。担任は新しい名簿を刷り直して渡してくれた。
それ以降、書き足されることはなくなった。話としてはそこで終わりだ。でも彼女が本当に気にしているのは、担任が「前の年の子」と言ったとき、その子の名前を一度も口に出さなかったことだ。名簿を見て、名前を読んだはずなのに、言わなかった。彼女は今でも、あのとき先生が何を読んだのか、知りたいような、知りたくないような気持ちでいるという。
掲示板とネットでこの話がどう転がったか
ネットでの扱われ方は、けっこう独特だ。決定的な「原典」がない。八尺様やきさらぎ駅みたいに、初出のスレッドと投稿日が特定できて、そこから派生を追える形にはなっていない。
あちこちで別々に投稿され、そのたびに「うちの地元にもあった」というレスがつく、という広まり方をしている。そのせいで、掲示板での議論は毎回だいたい同じ流れをたどる。誰かが体験談を投稿する。
「それ知ってる」というレスが、十件くらいつく。地域名が並ぶ。すると必ず、「全国にあるってことは実話じゃなくて話型だろ」なんて冷静なやつが出てくるんだよな。
そこから、七人ミサキの現代版なのか、それとも単なる集団心理なのかで軽く揉める。最後には「でも自分は実際に数が合わなかった」という書き込みが出てきて、なんとなくそこで終わる。この繰り返しだ。
投稿の傾向も面白い。年代が上がるほど「音」の話になり、年代が下がるほど「見た」話になるんだ。昭和の終わりから平成初期に小学生だった層の投稿は、足音、話し声、傘の音のような聴覚の異常が中心になる。
それより下の世代になると、輪郭の見えない子がいた、写真に写っていた、という視覚の話が増える。たぶんカメラつきの携帯電話だ。あれが普及して、「見えたなら撮れるはず」という圧が生まれた。それで話が視覚寄りに引っぱられた。
もうひとつ、二〇一〇年代以降のネット怪談界隈の空気として、「学校の怪談は生まれにくくなった」という指摘がよく出る。理由はだいたい共通している。子どもだけの時間が消えたから、というやつだ。放課後は学童か習い事で、移動は保護者の送迎、休み時間も教員の目がある。
怪談は、大人がいない時間の隙間で育つ。隙間が減れば新作は出ない。研究者の側からも、教室内で四、五人ずつのグループが並立して、他と交わらない状態が進んだという分析が出ている。グループ化が進んだ。
そのせいで、学校全体に広がる話が成立しにくくなった、という見立てだ。加えて二〇〇〇年前後からは、保護者からの苦情を避けるために、教員が怪談を語るのを自主規制するようになった。これは大きい。語り手だった大人が黙ったことで、伝承の回路がひとつ死んだ。
そんな中でこの「一人多い」の話が生き残っている理由は、たぶん「登校班が今も現役の制度だから」に尽きる。廃れた設備の怪談は廃れる。でも毎朝実際に列を組んで歩いている限り、話は現場で更新され続ける。
「そんなの数え間違いだ」への反論と、その反論
懐疑側の主張は単純で強い。人間は動く対象を数えるのが極端に下手だ。しかも早朝で、寒くて、眠くて、暗い。列は伸び縮みするし、子どもは列から出たり入ったりするから、数え間違いが起きないほうがおかしい。
それに、班長は毎朝これをやらされる。反復作業のミスは必ず出る。班長は六年生で、しかも人数確認の責任を負わされていて、責任のある反復作業を眠い頭でやれば、数字は簡単に狂う。一回目に九、二回目に九、三回目に八になったのだって、単に一回目と二回目で同じ子を二度数えていただけ、で説明がつく。
旗当番が「多い」と言った件も、説明はできる。当番は正確な人数を知らない。そのうえ登校時間帯には複数の班が連続して来て、間隔が詰まると、どうしても班の切れ目がわからなくなる。前の班の遅れた子と、次の班の先頭が混ざるわけで、これは実際に現場でしょっちゅう起きることらしい。
傘が一本多い話も、雨具の話で片づく。低学年は傘とレインコートを両方持たされることがあるし、置き忘れた傘を回収して二本持って歩く子もいる。名簿に名前が増える話は、単純に誰かのいたずらが一番ありそうだ。どれも説明はつく。
それで話が終わるかというと、終わらないんだよな。肯定側の再反論は、だいたい「じゃあなんで、間違えるときはいつも一人多いんだ」という一点に集約される。これがけっこう鋭い。
数え間違いなら、少なく数えるほうも同じくらい起きるはずだ。日常の中で「あれ、一人足りない」と思う場面なんて、いくらでもある。それなのに、この怪談として語られるのは常に「多い」ほうだけで、少なく数えて騒ぎになる話は、ほとんど流通していない。ずいぶん妙な偏り。
これに対する懐疑側の答えも、実はちゃんとある。少なく数えた場合は、その場ですぐ「誰がいない?」という確認が始まって、名前を呼べば全員そろっていることがわかる。異常は即座に解消される。だから記憶に残らない。
多く数えた場合はどうか。誰も欠けていない以上は点呼のしようがなく、確認する方法がないまま、宙ぶらりんの違和感だけが残って記憶に焼きつく。多く数えたときだけ、検証ができなくなるわけだ。
この非対称性が、怪談を「多い」方向にだけ育てている。説得力はある。でも、聞いてもやっぱり怖さは減らないんだよな。「検証できない」という構造そのものが不気味さの正体だ、と言われた気がして、かえって余計に落ち着かなくなる。
そもそも集団登校って、いつ、なんのために始まったんだ
背景の話をしておく。ここを知らないと、この怪談の器の形がわからないからだ。集団登校を全国的な制度へ押し上げた節目は、一九六一年、昭和三十六年六月の内閣の交通事故対策本部の決定だとされる。
今から六十五年前だ。ちょうど自動車が爆発的に増えて、交通事故の死者数が戦争みたいな規模になっていった時期にあたる。子どもを列にまとめて、大人の目が届く形で歩かせるのは、当時としては相当合理的な発想だった。
ただ、これは「制度としての起点」の話だ。慣習としてはもっと古い。明治や大正までさかのぼる地域もあって、当時は交通安全より、集落の子どもが一緒に歩くこと自体に意味があった。共同体の団結の可視化だな。年長者が年少者を連れて歩くその姿は、村の秩序を、そっくりそのまま朝の道路に描き出す行為でもあった。
実施率もそこそこ高い。二〇一五年の文部科学省の調査で、全国の小学校およそ二万校のうち、集団登校を実施していたのは一万二千六百三十二校だった。過半数が実施していた。率にして六十三パーセントちょっとで、十一年前の数字だけど、今も過半数で続いている。
都市部は事情が違う。住宅の密度や通学距離、共働きの都合から実施が難しく、送迎やスクールバスに切り替わっているところも多い。この地域差が、そのまま怪談の分布の偏りにもなっている。集団登校が濃い地域ほど、この話も濃い。
運用のルールもけっこう細かい。先頭は最上級生で、しんがりも高学年、低学年は真ん中。腕章をつける学校、班のプレートを持たせる学校、班長だけが横断用の旗を持つ学校と、いろいろある。
時間の決まりがある学校も多い。集合時刻の五分前集合で、待つのは三分まで、それを過ぎたら置いていく、という具合だ。この「置いていく」ルールがまた話の種になっていて、置いていかれた子が後ろからついてくる、という怪談につながる場合もある。
集団登校には、批判も長く積み上がっている。いちばんは事故。車が列に突っ込んだ場合、被害が一気に大きくなる。登校中の児童の列に車両が突っ込む事故は現に何度も起きていて、そのたびに制度の是非が議論になってきた。
指摘はほかにもある。集団でいると一人ひとりの危険察知が鈍るし、子ども同士の力関係が固定されて、いじめの温床になるという問題も現実にある。低学年を押したり、持ち物を道路に投げたり、そういう話は珍しくない。
不満の声もある。私語禁止のルールが厳しすぎて、友達と話しながら歩く楽しみが消えた、というものだ。近年、廃止に踏み切る学校が出てきているのは、こういう不満や批判がいくつも積み重なってきたからだ。
旗を持って立つ大人たちの、そこそこ長い歴史
旗当番の話もしておきたい。この怪談の、もうひとつの主役だからな。黄色い横断旗を持って交差点に立つあの役割は、もともとは旗当番の保護者じゃなくて、自治体の職員がやっていた。昔は職員の仕事だった。
東京都で学童擁護員という職が始まったのが、一九五九年十一月。今から六十七年前。緑の制服と帽子を身につけていたところから、この人たちは「緑のおばさん」という愛称で呼ばれた。
始まりは雇用対策だった。戦後の未亡人の雇用対策という性格の制度で、初期の勤務は午前二時間と午後三時間、日当は三百十五円だったと記録されている。一九六一年以降は、他の自治体にも広がった。一九六五年には、東京都で正職員化された。
この職の旗は、ただの合図じゃない。「渡っていいですよ」と示すだけじゃなく、危ないときには子どもを物理的に止めるための道具でもあった。旗で子どもを止めた。旗を横に出して、子どもの体の前を塞ぐ。あの動作には意味がある。
その後、女性の働き方が変わって人員の確保が難しくなり、多くの自治体で学童擁護員は縮小・廃止されていった。空いた穴を埋めたのが、保護者の当番制、いわゆる旗当番だ。これが今の形。保護者がその穴を埋めた。
学校の保護者組織が当番表を作り、順番に朝の三十分から四十分を担当していて、地域の見守りボランティアが担う場合もある。雨でも雪でもやる。仕事の始業時間との兼ね合いで、これが相当な負担になっている家庭も多い。
で、これも今、揺れている。廃止したらどうなるか。当番の時間と手間が消えるのは間違いなくメリットで、下の子がいる家庭や、朝の早い仕事をしている家庭の負担も減る。子ども自身が自分で安全を判断する力を育てられる、という前向きな意見もある。
懸念も出る。事故が起きたときに誰が責任を負うのかが不明確になるし、地域のつながりも失われる、という声だ。代替案もいくつかある。
形はいろいろだ。希望者による任意参加制にしたり、地域のボランティアと連携したり、報告を電子的な入力フォームに切り替えたりする。それでうまくいった、という学校の話も出ている。
この怪談の舞台になっている制度は、今まさに変わりつつある。近い将来、「旗当番のお母さんが見た」という語り口が、まるで通じない世代が出てくるかもしれない。そうなったとき、この話がどう形を変えるのか、あるいは消えるのか。ちょっと見てみたい気もする。
列という形式が、そもそも怖い
なんでこの話が怖いのか。ここを掘っておきたい。最初に見たいのは、「列」という形式そのものが抱える性質で、閉じているようでいて閉じていないところだ。
前後があって、途中に入り込む隙間が無数にある。しかも、中の本人たちは全体を見られない。先頭は後ろが見えないし、しんがりは前が見えないし、真ん中にいる子は自分の前後の二人しか把握していない。把握できるのは外の誰かだけ。
この構造の中では、誰か一人が余分にいても、内部からは検知できない。そこに乗ってくるのが、日本の民俗が古くから持っていた「境界」の感覚で、これがまた話にぴったりはまる。辻の話になる。
道の辻、三叉路、村境。こういう場所には、昔から道祖神が置かれてきた。外から来る疫病や悪いものを防ぐ神で、賽の神とも呼ばれるし、「塞ぐ神」という字を当てることもある。
道祖神は子どもとも親しい。道祖神の祭りは、どの地域でも子どもが中心になってきた。つまり日本の道端には昔から、「境界」と「子ども」の両方をいっぺんに受け持つ神が、ちゃんと立っていた。
通学路の怪談が辻や横断歩道で起きる。これは偶然じゃない。あそこは何百年も前から、何かが出入りする場所としてずっと扱われてきた、特別な地点なんだよな。
次は時間帯。早朝は夜と昼の境目で、まだ薄暗く、大人もまだ出勤していない、街が動き出す前の空白の三十分だ。この時間に、子どもだけが道路に出ている。
考えてみると相当特殊な状況だ。一日のうちでいちばん無防備な子どもたちが、いちばん大人の少ない街を歩いていく時間帯なんだから。怪異が入り込む余地としては、最高の条件がそろっている。
もうひとつ、これは制度の側の問題なんだけど、集団登校というのは「数えること」を子どもに義務づけている。班長は毎朝数える。数えるという行為を強制されている以上、数が合わない瞬間は必ず訪れる。
合わないという体験が、制度によって定期的に生産され続けている。これは効いていると思う。怪談のきっかけになるトリガーが、日常の業務として毎朝きっちり仕込まれているようなものだからな。
この話で一番いやらしいのは、この怪談が誰も傷つけないところだ。九人目は何もしない。誰も連れ去らないし、呪いもしない、ただそこにいるだけの存在だから、この話にはそもそも解決がない。
祓う方法も、避ける方法もない。できるのは、毎朝数が合うかどうかを確かめて、合っていれば安心し、合わなければ数え直すことだけだ。その繰り返しが、実際の登校班の毎朝とぴったり重なっている。日常の動作が、そのまま儀式になっている。
なぜこの話が全国に広まったのか
理由は、たぶん三つある。一つ目は、舞台装置が全国共通だったこと。集合場所、班長、名簿、旗当番、横断歩道という道具立ては、日本中の小学校区にほぼ同じ形でそろっている。装置はどこも同じだった。
だから誰がどこで語っても「ああ、あれね」と通じる。翻訳が要らない。怪談が広がっていくうえで、この「翻訳が要らない」という性質は、ほかのどんな要素よりも決定的に強い。
二つ目は体験の敷居の低さ。トイレの花子さんは呼ばないと出てこないし、テケテケは遭遇したら終わりだ。でも「数が合わなかった」は、明日の朝にでも自分に起こりうるし、というか、たぶん誰でも一度は経験している。
経験しているから、話を聞いたときに自分の記憶と接続できて、接続できるから、自分の話として語り直せる。語り直されるから、伝わる。この連鎖が強い。
三つ目は、大人が否定しにくい点。子どもが「トイレに幽霊がいた」と言えば、大人は笑って否定できるけど、「班の人数が合わなかった」と言われたら否定できない。本当に合わない日もあるからだ。
大人が「気のせいだよ」と言った瞬間、子どもの側には「じゃあ何が気のせいだったの」という問いが残る。大人が完全には打ち消せない。この性質が、話の寿命を延ばしている。
付け加えておきたいことがある。この話は「見守り」という善意の制度の裏側を突いていて、集団登校も旗当番も、子どもを守るために作られた仕組みだ。守るために列を組ませ、数を数えさせ、大人を立たせる。
守るための形式が、怖さの形式でもある。その安全のための仕組みが、そっくりそのまま「何かが紛れ込む余地」になっているというこの裏返りが、この怪談の芯だと思う。なんとも皮肉な話。
心霊譚でも都市伝説でもない、中途半端な位置
ここからは、もう一段深く掘っていく。読み終わったあとで考え直したくなるポイントを、ぜんぶ置いておく。最初は分類の話。この怪談は、いわゆる心霊譚と都市伝説のちょうど中間にあって、どちらにもすっきりとは収まらない。
心霊譚なら、必ず「なぜそれが出るのか」という由来がつき、事故で亡くなった子とか、昔ここにあった何かが持ち出される。都市伝説なら、由来抜きに「そういうものがある」で成立する。「一人多い朝」は、由来がついたりつかなかったりする。中途半端だ。
派生を並べてみるとよくわかるんだけど、由来つきの型ほど新しい。転校した子の霊だとか、昔この道で亡くなった子だとか、そういう説明が足された版は、ほぼ例外なくインターネット以降の語りだ。古い型は説明しない。ただ「数が合わなかった」だけで終わる。
ここに、口承とテキストの差がくっきり出ている。口で語るときは説明しないほうが怖いし、逆に文字で読ませるときは説明があったほうが読み物になる。媒体が話の形を変えている。その実例として、この怪談はけっこういい標本なんだよな。
神隠しは事件になり、九人目は怪談に残った
「増える」怪異と「減る」怪異の非対称も、もうちょっと考えてみたい。日本の怪談で人数が減る話というと、神隠しだ。子どもが消える。祭りの日や夕暮れ、山や川のように、場面をいろいろ変えながら、子どもが消えてしまう話は無数にある。
ところが神隠しは、ある時期から現代の怪談としては語りにくくなった。行方不明という事態が、現実の事件として重く扱われるようになったからで、子どもが消える話は、もう怪談として消費しづらい。実際に起きたら大事件だ。まるで笑えない。
その分、行き場を失った「人数の異常」という感覚が、増えるほうにだけ流れ込んだ、という見方ができる。減るのは事件、増えるのは怪談。この住み分けは、たぶん無意識のうちに社会が決めている。
入れ替えの七人ミサキ、加算の九人目
七人ミサキとの関係も、もう少し正確に見ておきたい。あれは人数固定の霊の集団だ。行き会うと死ぬし、人数を増やさないために、誰かを取り殺して欠員を埋めるから、七人ミサキは「入れ替え」の怪異になる。
登校班の話は、それとは違って「加算」の怪異だ。誰も減らずに、ただ増える。この違いは大きい。入れ替えの怪異は、共同体の中の死を説明する装置として働くし、誰かが死ぬ理由を、霊の側の事情として説明できる。
加算の怪異は何も説明しない。誰も死なないから、説明する必要がない。近代以前の怪異が死の説明装置だったのに対して、現代の怪異は説明を放棄していて、この放棄が逆に現代人には怖い。理由がないほうが、逃げ場がないからだ。
守る側が見てしまう怖さ
旗当番の視点の型にも、もう一つ言いたいことがある。目撃者が大人なんだ。しかもその大人は「子どもを守る役」を引き受けていて、守る側が、守るべき対象の中に混じっている何かを見てしまう。
これは相当きつい構図だ。当番の母親がその後どうしたかまで語る版がほとんどないのは、たぶん語り手も処理しきれないからだと思う。子どもの怪談は「怖かった」で終われる。でも保護者の怪談は、「守れたのか」という問いに直結してしまう。
だからこの型は、途中で切って終わるしかない。続きがない。切れ味が悪いように見えるあのオチは、語りの側から見れば、むしろそうなるしかない必然だったりするんだよな。
大人が先に立ち、子どもの列があとから来た
制度の年数も並べておく。学童擁護員、いわゆる緑のおばさんが東京で始まったのは一九五九年で、今から六十七年前だ。集団登校を全国に押し広げた行政決定が一九六一年で、六十五年前だから、この二年差はけっこう象徴的だ。
先にあったのは「大人を道端に立たせる」ほうで、「子どもを列にまとめる」はそのあとに来ている。大人の配置が先だった。大人が先に立った。今の感覚だと、逆に見えるかもしれない。
でも当時の発想としては、危ない交差点に監視役を置くのが最優先で、子どもの側の隊列化はその補完だった。それから六十年以上かけて、大人の側は職員からボランティアへ、さらに任意参加へと薄まっていった。列だけは、ほぼ当時のまま。
この非対称な残り方が、今の通学路の風景を作っていて、列はあるのに、列を見ている大人は昔より確実に少ない。見ている大人が減った。この変化は、怪談の側にも響いていると思う。大人の側は薄まった。
旗当番の型が語られるには、旗当番がいなきゃいけない。任意参加になって当番が減れば、あの視点の話は成立しなくなるし、子どもだけで歩く区間が伸びれば、班長視点の話は濃くなる。制度が変われば怪談も変わる。
怪談は空気中に漂っているわけじゃない。生活に張り付いている。その時代の生活の形にぴったり張り付いて、そこで生きている、という言い方のほうが近いんだと思う。
活字が整えた四点セット
一九九〇年前後の学校の怪談ブームについても、補足しておきたい。あのとき起きたのは標準化だ。それまで学校ごと、学級ごとにバラバラだった話が、活字の力で一気に標準化されて全国に行き渡った。
子どもたちは本で読んだ話を学校に持ち込んで、それを自分の学校の設備に合わせて語り直していった。地方色が消えたわけじゃない。共通の骨格の上に、地方色が乗る形になった。
この記事の「九人目」の型も、たぶんその過程で骨格が整えられている。集合場所、数える班長、指さす一年生、旗当番。段取りがよすぎる。この四点セットの並びは、口承だけでここまで整うとは考えにくくて、どこかで誰かが「読み物として」整形した痕跡だと思う。
朝の二十分だけが残っている
なぜ今もこの話が生き残っているのか。学校の怪談が生まれにくくなった、という指摘は各所から出ている。子どもだけの時間が消えた。教室内の人間関係が小さなグループに分かれて、学校全体に広がる話が成立しにくいうえに、教員も語らなくなった。
どれも本当だと思う。でも、登校班の怪談だけは例外的に生きていて、理由は単純で、これが「子どもだけの時間」の最後の砦だからだ。放課後は学童に行き、休み時間は教員の目があり、帰りは保護者が迎えに来る。
そんな中で、朝の二十分だけは、子どもたちはいまだに子どもだけで、自分の足で道路を歩いている。管理された一日の中に、ぽっかり空いた未管理の時間。怪談は、そこにしか棲めない。
実際的な話もひとつしておく。この怪談を怖がるのは自由だけど、朝の通学路で本当に怖いのは車で、列に突っ込む事故は現実に何度も起きている。人数が一人多いことより、後ろから来る車のほうが百倍危ない。
だから、もし今この記事を読んでいる人が、班長をやっている子の保護者や当番に立つ側なら、数を数えるより先に車を見てほしい。怪談としてはそれで台無しなんだけど。まあ、そういうものだ。
それでも、明日の朝、集合場所で数が合わなかったら。三回数えて、三回とも違ったら。そのときは、この記事のことを思い出してくれてもいい。思い出したところで何も解決しないけど、せめて「自分だけじゃない」ということくらいは、ちゃんとわかるはずだ。
この話が六十年以上生き延びてきたのは、たぶんそういう、ささやかな共有のためだったんだと思う。数が合わない朝は、日本中で毎朝どこかにある。ほとんどは数え間違いだ。ほとんどは、な。
