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逆上がりさんと、髪が絡みつく鉄棒:校庭の隅に並ぶ鉄の棒が、学校に来るまでの道のり

校庭の隅に、鉄の棒が並んでいる

校庭の隅に、鉄の棒が並んでいる。体育器具メーカーのカタログによれば、低鉄棒の高さは0.8メートルから1.3メートル、中鉄棒は1.3メートルから1.8メートルだ。握る棒の太さは、直径28ミリ。1つの欄の幅は1.8メートルで、3つ並べれば5.4メートルになる。高鉄棒はもっと高い。

ある市の遊具の標準図には、3間の高鉄棒の高さとして、1.8メートル、2.0メートル、2.2メートルが並んでいた。子供の頭の上に、鉄の棒が横に渡っている。

この棒は、ほとんどの小学校にある。令和2年の9月から10月にかけて、日本スポーツ振興センターが固定遊具の設置状況を調べた。有効回答のあった小学校は、8,094校。そのうち7,831校に、鉄棒があった。割合にすると96.8パーセントだ。

ブランコは76.1パーセント、すべり台は67.6パーセントだったから、調べた遊具のなかで鉄棒がいちばん高い。足もとの衝撃を和らげる対策をしていた学校は、3,987校。していない学校は、3,844校だった。ほぼ半々の数字だ。

夕方4時44分に、奥から4番目の鉄棒で

怖い話を集めた投稿サイトに、「逆上がりさん」という題の話が載っている。投稿者は、小学3年生のころ、学校の七不思議が知る限り50個はあったと書く。7つをとっくに超えていた。そのひとつが、クラスで大流行した「逆上がりさん」だった。

決まりは、こうだ。夕方4時44分に、奥から4番目の鉄棒で逆上がりをする。すると、逆上がりさんが話しかけてくる。頼みごとは、逆上がりをもう1度してほしい、というもの。必ず成功させなければならない。

失敗しても、逃げても、逆上がりさんに鉄棒にされてしまう。一生、学校から出られなくなるという話だった。投稿者は逆上がりが時々しかできず、放課後に学校へ残るのが怖かったという。

その投稿者に、図書委員の集まりで5時まで居残る日が回ってきた。休みたいと親に言うと、怖い話に詳しい母親は、こう返したそうだ。「話の主人公が鉄棒になったら、どうしてその噂ができたのよ」。投稿者は、それもそうかと思い、集まりに出ることにしたという。

帰り道、鉄棒の前を通ると、一番新しく設置された鉄棒の手すりの部分が、少しトゲトゲして見えた。小さな手が沢山生えているような、不気味な形。友達に伝えようと目を離した隙に、鉄棒は元の綺麗な姿に戻っていた。投稿者は、怖いと思っていた脳が創り出した幻覚だったのか、と書き添える。

「奥から4番目」という指定は、少なくとも4本の鉄棒が横に並ぶ校庭を前提にしている。4時44分という時刻は、ウィキペディアの学校の怪談一覧にも出てくる。大鏡の前に4時44分に立つと、鏡の中に引き込まれるという噂だ。アナログ時計の7時16分は、鏡に映すと4時44分に見えるから大丈夫、と油断した生徒が引き込まれる版もある。

髪だけでぶら下がる子の話

東映ビデオから、『学校の幽霊』というシリーズが出ている。第1巻の発売は1995年。小中学生に人気の占い雑誌『マイバースデイ』に寄せられた、読者の体験談をもとに、アニメと実写の短い話にした作品だ。ディスク版の紹介文には、収録話のあらすじが並ぶ。

そのひとつが「鉄棒に絡みつく髪」。紹介文によれば、語り手の友達が校庭の鉄棒で回転していると、髪がぐるぐると鉄棒に絡み出す。それでも回転は止まらない。髪だけでぶら下がった状態で、動かなくなる。

語り手は、以前その鉄棒から落ちて亡くなった子がいたと語る。きっとその子の霊が、と。紹介文の末尾には、断り書きがある。収録話は読者の恐怖体験談をもとに映像化したもので、すべておはらい済みだという。

同じ紹介文の収録話を見渡すと、似た筋がいくつも並ぶ。階段を駆け上がろうとして落ち、頭が割れて亡くなった子が、目の前に現れる。そろばんの練習をしていた女子生徒は、検定を前に事故死し、そのあと用務員が恐ろしい体験をする。サッカーの試合中に首の骨を折った少年は、グラウンドに出てくる。

事故で亡くなった子が、その場所に残る。鉄棒の話は、この筋に、回る動きと髪の毛を足している。

定番の一覧に、鉄棒は載っていない

ウィキペディアの学校の怪談一覧には、「夜の校庭」という項目がある。並ぶのは、戦国時代の落武者の亡霊、自分の首でリフティングをする子供の霊、夜に動く二宮金次郎像、風もないのに揺れるブランコ。鉄棒の名前は、1度も出てこない。

体育館には「異境の体育館」という項目がある。バスケットゴールの下で転ぶと消えてしまう、という噂だ。真夜中に5対5で練習試合をすると、いつの間にか1人いなくなっているという。

この一覧が参考文献に挙げるのは、常光徹の『学校の怪談』、講談社の1冊だ。出版は1990年。翌年にはポプラ社からも『学校の怪談』が出て、大きなブームになった。ブームを伝える毎日新聞の記事には、1902年ごろの熊本県の学校で、トイレから手が出ておしりをなでる話が残る、とある。

常光さんは、中学校の教員だったころ、放課後に生徒から話を聞いた。1週間で、100あまりの話が集まったという。日本放送協会の番組紹介には、学校の怪談は全国各地に似た話が広く分布する、とある。トイレの話が多いのはなぜか、という問いも立ててある。

毎日新聞の記事で、常光さんはブームの理由を振り返っている。学校という身近な生活空間が舞台だったことが、子どもたちの共感を得たのではないか。教科書で習う話でも、有名な作家の名作でもない。誰が言ったか分からないけれど、日常につながる話だから、ひきつけられたのだろうという。

それまでは、七不思議や学校の怖い話と呼ばれていた。学校の怪談という呼び名は、常光さんの本で定着したと記事は伝える。

ミネルヴァ書房から出た常光さんの『学校の怪談』は、副題に口承文芸の展開と諸相を掲げる。目次には、トイレと怪異、特別教室と移動教室、学校周辺の異界的空間といった章が並ぶ。章の題に、鉄棒の名前は見えない。

鉄棒の噂が一覧にないのは、数が少ないからか。拾われなかっただけか。そこは分からない。投稿サイトの片隅にも、ビデオの1話にも、確かに話は転がっている。

鉄の棒という名前をつけたのは、日本だけかもしれない

英語では水平な棒、フランス語では固定した横木、中国語では「単杠」と書いて1本の棒。どれも、形を指す名前だ。材質を前に出した名前は日本だけと言えるかもしれない、と玉川大学の紀要は書く。

日本に器械体操が入ったのは、江戸の終わりだ。紀要は、天保元年、1830年ごろに高島秋帆が新兵の訓練に使ったと書く。オランダ式の軍隊体操と一緒に紹介されたもので、ヨーロッパで鋼鉄の技術が伸びた時期にあたる。だから日本へ来たときの素材は、すでに鉄だった可能性が高いという。

退役した下士官が、器械の使い方を学校へ持ち込んだ

器械体操の芽は、幕末にある。1867年、フランス政府が幕府へ陸軍歩兵少佐シャノアンらを送り、横浜の太田屯所で三兵伝習が行われた。そこで体術の指導もあっただろう、と明治大学の紀要は推す。1869年の高知藩では士官に綱引きや操練、器械体操の訓練が施され、翌年には兵隊の訓練に器械体操が使われたようすを、谷干城が書き残した。

明治4年、徳島藩の訓練を見た干城は、器械体操を前にして、自藩の及ばざるを嘆いている。1874年のことだ。フランス陸軍の軍曹が、陸軍戸山学校で、体操とフェンシングの指導を始めた。名前はデュクロ。体操が本格的に紹介されたのは、この指導からだと紀要はみる。

戸山学校では、初期の器械体操を器械体術と呼んだ。軍事教練として始まった運動を、スポーツのように熱心に練習して上達した者も、少なくなかったのではないか、と紀要は想像する。1876年、陸軍は、体操器械を営所ごとに必ず置くよう指令を出した。同じ年の6月に仙台歩兵営所に置かれたのを皮切りに、熊本、小倉、広島と続く。

器械は、各地へ広がった。翌1877年には、福岡と新発田にも置かれた。満期で退役した下士官たちは、やがて学校の生徒に兵式体操を教えるようになる。器械の使い方は、軍から学校へ、人の手で運ばれた。

文部省は、1878年に体操伝習所をつくった。主任教員は、米国人のリーランド。設立の趣旨を、文部省の年報はこう説明する。それまでの学校の体操は軍式が多く、体力を養って心を盛んにし、学業の進歩に役立てるには、功が十分でない。

体育の教員を育てる国の機関で、教えたのは木唖鈴や球竿、棍棒といった軽い手具を使う体操だった。器械とは、縁遠い。1886年の小学校令で、体操科は必修になった。

公園の鉄棒は「公園流」と呼ばれた

1891年に日本体育会ができ、東京の神田錦町に体育場を置いた。この頃は、表向きに体育の大切さが説かれる一方、実際には軽んじられていた時代だと、紀要は書く。会をつくった日高藤吉郎は、陸軍を満期で退役した人だ。国民皆兵による近代陸軍の完成が本来の目的だったといわれる。徴兵される青年の体を、鍛えておくための場所だった。

練習場の設備は、鉄棒、棚、木馬、手摺、跳び台、梁木、回転鐙、遊動円木。跳び台には「12階段」と添えられている。1893年には、体操の教員を育てる体操練習所を、飯田町に置いた。ここで試験に受かった者は、得業生と呼ばれた。陸軍の軍旗祭で模範演技をすると、軍関係者や見物人から絶賛されたと記録にある。

1902年、日本体育会は、上野、浅草、芝、坂本、深川の5か所の公園に、双輪、回転鐙、固定円木、鉄棒などの運動器械を置いた。若者が暇を見つけては集まり、体操をしたようだ。なかでも鉄棒は人気があった。学校で習ったのではない自己流のやり方が、「公園流」と呼ばれたほどだ。

日比谷公園に器械が置かれたのは、1903年。翌年の春には、そこを会場にして第3回の体操学校運動会が開かれ、プログラムに器械体操が入ったのは、この回からだ。ただし演じたのは、生徒による模範演技だったらしい。

「失敗したら背摺で上れ」と、明治の本は書いた

鉄棒の技が本の形で出回り始めたのは、明治の20年代だ。1892年に出た渋江保の『簡易体操法』は、英国の体操書を参考にしている。水平桿体操、つまり鉄棒の章には、脚懸上、脚懸回転、後方浮腰回転などが並ぶ。急昇法には「エビ」、いまの蹴上がりが当たる。後方浮腰回転の欄には、失敗したら背摺で上れ、と注意がある。

1899年のストール著『器械体操』には、鉄棒の技として、蹴上がり、背摺り上がり、足懸け上がり、車輪が出てくる。棒の上から膝をかけて後ろへ回る「蝸牛」という技もあった。論文は、いよいよ競技体操らしくなってきた、と評する。

1903年の陸軍省『体操教範』は、器械体操を3つの教に分けた。鉄棒の第1教は、懸垂、肘屈、転回、横行、脚挙、降下。第2教には、脚懸上、肘懸上、尻上、後下などが入る。最後の第3教に、「逆上」の名前が見える。

ただ、当時の「逆上」が、いまの逆上がりと同じ動きだったのかは、資料から分からない。字面が近いだけかもしれない。

1902年には、日本で最初の器械体操部が慶応義塾にできた。創設の中心にいた篠田信二の回想が、30年史に載っている。部が生まれるときは、非常な難産だったという。篠田は日本体育会で教わり、助手もつとめ、陸軍の戸山学校にも呼ばれた。

戸山学校では、机の上で組み立てた技を、そのまま兵に教えるわけにいかない。骨の固い兵では、試せないからだ。そこで外から若者が行き、言われたとおりに演じて、試験台になったという。1904年に慶応義塾で初めて紅白試合が開かれると、成城中学、早稲田中学、郁文館中学、日本体育会、青山師範の選手が集まった。明治30年代には、器械体操がかなり広い範囲に広まっていた、と論文は推察する。

要目に鉄棒が加わったのは、大正の終わりだった

1894年、文部大臣の井上毅が訓令を出し、高等小学校の男子には、随意科として簡易な器械体操を授けるよう示した。位置づけは、あくまで随意科。兵式体操は、やがて教練と呼ばれ、柔軟体操と器械体操がその中に入っていた。師範学校では、体操の教科書に陸軍省の『体操教範』を指定している。器械体操を扱う教科書は、これだけだった。

1913年に公布された学校体操教授要目の中心は、スウェーデン体操だ。慶応義塾の器械体操部30年史は、こう書く。器械体操は、軍隊と学校の努力で相当に広まり、明治30年代には非常な隆盛を見たと思われる。それが明治の末、スウェーデン体操の輸入で、軍隊と学校がドイツ体操の指導を放棄した。器械体操の社会的普及は、止まったという。

明治の末には、「鉄棒体操」という名の体操も加わっていた。ぶら下がる運動ではない。鉄の棒を手に持って、胸を張り、姿勢を整える体操だ。1907年に改められた教授要目に載り、1910年に東京高等師範学校の附属中学校が採用した。筋力を鍛える効果は棍棒の体操に及ばなかったと、この体操を調べた論文は評する。

風向きが変わったのは、大正15年だ。改正された学校体操教授要目に、鉄棒や横木の運動、跳躍運動、倒立や転回の運動が加わった。昭和に入ると、高さの低い鉄棒が小学校の体育用に採り入れられ、指導要目との関わりで、簡易なものが全国の学校に置かれ始めた、と玉川大学の紀要は書く。昭和5年には、全日本体操連盟ができる。2年後のオリンピックへ日本選手を送ることが、目標だった。

足が宙に浮く、あの怖さ

文部科学省の学習指導要領解説は、低学年の領域を「器械・器具を使っての運動遊び」と呼ぶ。鉄棒では、跳び上がりや跳び下り、ぶら下がり、易しい回転をして遊ぶ。ぶら下がりの例には、腹をかけてのぶら下がりが出てくる。「ふとんほし」と呼ばれる姿勢だ。

手引きには、腹を鉄棒に掛けると腹式呼吸が難しくなって苦しいので、「おへその下を掛ける」と伝えるほうが適当だ、とある。児童には、そう言い換えるのだという。

3年生からは、器械運動として鉄棒運動が示される。解説書によれば、以前は原則4年生で指導するとしていた内容を、発達の段階を考えて3年生から示すことにした。上がり技の基本は、膝掛け振り上がりと、補助逆上がり。補助具を使って易しい条件で試し、逆上がりへ進む。

同じ逆上がりでも、鉄棒の高さで難しさが変わる。低い鉄棒では、後方支持回転に近い動きで済む。高い鉄棒では、腕で体を引き上げて逆さになる動きが要る。地面を蹴る力と、後ろへ回る感覚だけでは足りない。

手引きは、鉄棒が足の浮く運動で、逆さや回転に慣れていない子は恐怖心を抱きやすい、と認めている。だから、いきなり技には入らない。マット運動のゆりかごや後転で後ろへ回る感覚を作り、足抜き回りやふとんほしで逆さを経験させておく。「こうもり振り下り」は、落下でけがをしやすいと思われがちな技だ。手順を踏めば安全に取り組める、と手引きは書く。

鉄棒が好きな子は、15パーセントだった

埼玉県宮代町の小学校で、5年1組の32人を対象にした授業研究の報告書がある。授業の前に尋ねた、知っている鉄棒の技。逆上がりは100パーセント、こうもりは84パーセントだった。ブタの丸焼きは74パーセント、空中逆上がりは46パーセント、足掛け回りは26パーセントにとどまる。

鉄棒運動が好きな子は15パーセント。恐怖心がある子は、80パーセントにのぼった。約半数は、鉄棒運動が苦手だと答えている。理由は、「痛い」「技がわからない」「逆上がりができないから」というもの。

授業では、鉄棒に緩衝材を巻き、地面にマットを敷いた。7割を超える子が、安心・安全だと感じたという。報告書は、恐怖心を取り除く効果が大きかったと書く。

運動学の学会誌には、逆上がりの練習法を調べた研究が載っている。補助に使ったのは、柔道帯だ。鉄棒にぶら下げて輪に結び、そこに片足をかけて、ブランコのようにこぐ。練習の前の課題には、首倒立、とびあがり正面支持、布団干し、ダンゴ虫5秒、足抜き回りなどが並ぶ。

踏み切り逆上がりができるようになった子は、5人。できなかった4人に共通していたのは、「ダンゴ虫」が2秒以上できないことだった。肘を曲げて体を引き寄せる感覚が不足していたと、論文は推察する。

逆上がりは、跳び上がりでは届かない高さにも上がれる技だ。ある実践研究は、高い場所で身を守る手段としても教える価値がある、と書く。

低鉄棒の前回りで、手が離れた

日本スポーツ振興センターの集計では、小学校の鉄棒で医療費の給付が出た件数は、平成26年度が7,602件。27年度は7,185件、28年度は6,727件だった。29年度は6,969件、30年度は6,549件。

5年間の合計は、35,032件。同じ5年間で、雲ていは13,895件、ブランコは12,079件、ジャングルジムは10,409件、すべり台は10,206件だった。鉄棒は、雲ていの2倍半ほどになる。

平成30年度の事故率は、32.8パーセント。事故率とは、設置している学校の数に対する1年間の給付件数の割合で、32.8パーセントなら、3校に1件ほどの計算になる。ブランコは14.1パーセント、すべり台は13.3パーセントだった。平成28年度分の概況にも、小学校の体育用具・遊具別では鉄棒が最も多い、とある。

この件数には、ひとつ条件がつく。給付の対象は、初診から治るまでの医療費の総額が、5,000円以上の負傷だ。それに届かない手当ては、数字に入らない。

障害見舞金の対象になった鉄棒の事故は、同じ5年間で15件ある。内訳は、小学校が13件、保育所等が2件。経緯は、短い文で記録されている。休み時間に友達と低鉄棒で前回りをしていて、勢いをつけて回ったところ、誤って手を離し、顔面から落ちて右目のあたりを打った。

体育の授業の終わりぎわ、自由な種目の練習で「こうもり」を試した子は、足が滑って落ち、右ひじを強く打った。手が滑って落ちた例ばかりではない。走って鉄棒の下をくぐろうとして、くぐりきれずに額を打った子がいる。グラウンドに落ちたテニスボールを拾おうとして、頭の上の鉄棒に頭をぶつけた子もいる。

逆上がりの補助用具を引き寄せようとして、反対側から押された用具が倒れかかり、指を挟んだ例が載っている。遠足の昼食後、鬼ごっこで振り返ったとき、鉄棒に顎を打った例もある。幼児向けのカードには、鉄棒の下に置いた高さ調節用の小さな丸太に、手が滑って額をぶつけた事例が出てくる。

同じ5年間の死亡見舞金は、固定遊具全体で1件。保育所等の雲ていでの事故だ。鉄棒ではない。この集計は、平成26年度から30年度に、学校や園の管理下で給付があった事例に限られる。範囲の外までは映らない。

手引きの遊具の指導項目には、遊具が濡れているときは遊ばない、とある。荷物を持ったり、引っかかるものを身につけたりしたまま遊ばない、という項目も並ぶ。鉄棒の上に立たない、という注意書きのカードもある。

分析を担当した大学の教授は、足もとに砂やゴムを採り入れること、休み時間の鉄棒まわりの人の流れを整えることが考えられる、と書く。落下の速度が大きい技をやってよい鉄棒を、決めておく案も出している。

鉄棒を握った手の、あのにおい

鉄棒を握ったあとの手には、独特のにおいが残る。金属のにおいだと、誰もが思う。2006年に化学の専門誌へ載った論文は、手に残るにおいの正体が、鉄そのもののにおいではないと報告した。元になるのは、汗と脂だ。

実験では、人工の汗で湿らせた鉄の板を、7人の被験者の手のひらに当てた。汗で鉄が錆びると、二価の鉄イオンができる。それが皮膚の脂の過酸化物を分解して、アルデヒドやケトンのにおい成分を生む。キノコに似た金属臭の成分は、においの全体の約3分の1を占めた。

反応は速い。だから、触った直後には、金属そのものが匂うように感じる。論文は、それを感覚の錯覚だと説明する。血を皮膚にこすりつけても、同じ成分が出たという。

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