- 鴨居に釘あとが二つ
- 家の神は棚に乗る前から散らばっていた
- 伊勢の御師が棚ごと持ち込んだ
- 明治五年、札の配り方が国の仕事になった
- 宮形の形は土地で変わる
- 台所の荒神、勝手口の恵比寿
- 昭和の家から棚が消えていく
- 据える場所を決めるところから
- 天井へ「雲」の字を貼る
- 図に起こすと並びが早く飲み込める
- 御札は中央から決めていく
- 神具の名前を覚えると迷わなくなる
- 米と塩と水をどこへ置くか
- 酒と榊は一日と十五日
- しめ縄は太いほうを右に
- 紙垂は半紙一枚から作れる
- 手を洗ってから棚の前へ
- 二拝二拍手一拝の数え方
- 祓詞を声に出す
- 略拝詞は十数文字で終わる
- 神棚拝詞を通して唱える
- 身内に不幸があったら半紙で覆う
- 引っ越しと新築のときの段取り
- まつり続けられなくなったとき
- 棚板が作れない部屋での置き方
鴨居に釘あとが二つ
去年の暮れ、友達の実家の片付けを手伝った。仏間へ入ったら、鴨居の上に小さな釘あとが二つ並んでいる。棚を外した跡だった。壁紙の色がそこだけ四角く白く抜けており、外した棚の幅と奥行きがそのまま形になって壁へ残っていた。
祖父が亡くなった年に神棚を下ろして、そのあと誰も据え直さなかったらしい。札はどうしたの、と聞いてみた。神社へ持っていった気はする、という曖昧な返事が返ってくる。捨てたのか社へ納めたのかも分からないまま十年以上が過ぎていた、という話はこの世代ではそう珍しくもない。
こういう家、けっこう見かける。祀り方が分からないというより、畳み方のほうを誰も教わっていない。据えるところから畳むところまで、順番に書く。下ろしたあとの札をどこへ返すのか、宮形をどう扱うのかまで揃えて教わった人は、同じ世代でもそう多くない。
神棚の話をすると、決まりが多くて面倒そうだという顔をされる。ところが決まりの大半は、掃除のしやすさと手の届きやすさから逆算して組まれてきた。形から入るより、続けられる置き方を先に決めたほうが早い。作法の字面だけ追うと窮屈に見えるのに、実際に手を動かしてみると理屈の通った順番で組まれているのが分かる。
家の神は棚に乗る前から散らばっていた
棚へ札を並べる形は、思っているより新しい。その前は家のあちこちに神がいて、手を合わせる場所が散らばっていた。竈の神、門の神、井戸の神、厠の神。火を使う場所、水を汲む場所、人が出入りする場所と、危ないところほど神の名前が細かく割り振られていた。
平安の中ごろには、病も災いも神の祟りという受け取り方が広まる。だから家の要所ごとに神を置いて、機嫌を損ねないよう扱った。柱の前で拝み、竈の上に何かを載せる。そのくらいの素朴な形だった。家の造りが土間と板の間でできていた時代だから、神の居場所も家の構造にそのまま貼り付いていた。
竈の火を粗末にすれば火事になり、井戸を汚せば水が濁るという、暮らしの中の因果がそのまま神の機嫌という言い方へ置き換えられていた面もある。
屋敷の隅には屋敷神の祠が立ち、村には氏神の社がある。家の祭祀は、外側の大きな神と、家の中の小さな神を両方抱えていた。札を集めて一か所へ、という発想はまだ薄い。屋敷神は家を建てた一族の祖先と結び付けて語られる例が多く、村の氏神よりも狭い範囲を受け持つ。
『古事記』には天照大神が御頸珠を棚へ奉った一節があって、神棚の古い根拠としてよく引かれる。ただし、いまの宮形とは形が繋がらない。引き合いに出される言葉、くらいの距離感で読んでおきたい。棚という言葉が出てくるからといって、そこに今の宮形のような木の社が載っていたと読むのは筋が違う。
家の中に神の居場所を作るという発想そのものは、確かに古い層まで遡れる。ただ、棚という家具の形で固定されたのは、もっと後の時代になってからだった。この二つを混ぜて語ると、由来の筋がぼやける。札を一枚受け取ったところから逆算して家具が生まれた、という順番で見ておくと話の筋が追いやすくなる。
伊勢の御師が棚ごと持ち込んだ
流れを変えたのが伊勢の御師だった。平安の後期から、御祓大麻という札を全国へ配って歩いた人たち。参宮の宿を世話し、初穂を集め、暦を配り、土産話まで運ぶ。旅と信心の世話役が一人に乗っていた。伊勢の周辺に住んで参宮の世話を専門にした人たちで、最盛期の外宮と内宮を合わせて数百軒が軒を並べていた。
配られた札は、置き場所に困る。柱へ挟むのも据わりが悪い。そこで御師の側が、札を納めるための棚を考えて一緒に持ち込んだ。
これが大神宮棚と呼ばれるもので、いまの神棚の直接の親にあたる。箱の中へ札を立て、前に神鏡を置き、榊を挿す。この三点だけの素っ気ない構えが、いちばん古い形にあたる。
参宮の案内から宿の手配、初穂の取りまとめ、暦や土産の配布まで一人で背負っていたので、御師の家は旅行業と神職と問屋を兼ねたような構えになっていた。
御師は各地の家を檀家のように抱えていて、毎年きまった家へ札と暦を届けに回っていた。配る側が納め方まで指定したので、棚の様式が全国で揃っていったという経緯がある。届ける先の帳面には家の名前と初穂の額まで書き込まれていて、地域ごとの担当が細かく割り振られていた。
江戸の中ごろから、伊勢参りが庶民の観光旅行として爆発的に広がる。抜け参りだの、おかげ参りだの、村ごと抜け出すような騒ぎも起きた。棚の需要もそれに乗って増えていく。伊勢まで歩けば片道で半月近くかかるため、一生に一度の大旅行として村ぐるみで送り出す形が定着していった。
道中の宿も案内も御師が手配したため、費用を積み立てて順番に参宮へ出す伊勢講という仕組みが各地に生まれた。村ごと講を組んで代表者を送り出すやり方が、札の流通量をさらに押し上げている。講の金で代表が参宮へ出ると、留守番の家々へも土産として札が配られるため、一度の旅で何十枚も動いた。
江戸の後期には、全国の世帯のおよそ九割が御祓大麻を受けていたという見方がある。数字の取り方は資料によって揺れる。ただ、札がそれだけ広く回っていたのは確からしい。御師の帳面に載った檀家の数から逆算した推計で、地域によって受け取り方にかなりの差もあったらしい。
最初の大神宮棚は素っ気ない箱だった。装飾が増え、屋根が付き、社の形へ寄っていく。今日見かける宮形の姿へ育つまでに、だいたい二百年かかっている。扉の数が増え、屋根に千木と鰹木が乗り、前面へ彫刻が入る。座敷の格式に合わせて姿が整えられていった。
棚を据える位置も、この期間に少しずつ定まっていった。座敷の鴨居の上という定位置が固まるのは、町家の間取りが規格へ寄っていく時期と重なる。鴨居の上という位置は、目線より高く、なおかつ手が届くという条件を同時に満たす数少ない場所になる。
明治五年、札の配り方が国の仕事になった
維新で御師の制度が解体される。札を配る人がいなくなった時期が、短いあいだ生まれた。御師が抱えていた檀家の帳面も散逸し、誰がどの家へ札を届けるのかが分からなくなった土地も出ている。
明治五年、明治天皇の思召しという形で、神宮から直接全国へ頒布する仕組みが立ち上がる。御師の手から国の枠組みへ、配り手が移った瞬間だった。名前もこのとき神宮大麻に定まる。名称が変わったことで、札は御師個人から受ける物ではなく、神宮そのものから戴く物へ位置付けが移った。
明治四年の太政官布告では、全国の戸長へ身分証を兼ねた守札が配られた。札を納める場所が、家ごとに要る。棚の普及は、この事情からもう一段押し上げられた。身分を示す紙と信心の札が同じ一枚に乗っていた時期で、棚は役所の書類入れに近い役目まで兼ねる。戸籍の整備と信心の札が同じ時期に同じ紙で動いていたため、棚の普及も純粋な信心だけでなく、行政の都合に後押しされた部分が確かにあった。
配り方の骨組みは、いまも動いている。神宮から神社本庁へ、各県の神社庁へ、氏神の社へ。年の暮れに氏子総代が一軒ずつ回る土地が、まだ残る。氏子総代が持ち回りで頒布を受け持ち、年末の数日で町内を一巡してしまう手際の良さに驚いた覚えがある。
頒布の数は各県の神社庁が毎年まとめていて、前年を割らないことを目標に掲げる県も多い。数字を追う仕組みが百五十年続いたおかげで、札の流れだけは途切れずに保たれた。頒布の実務を担うのは各地の神社で、氏子の数が減った土地ほど数字の維持に苦労している話をよく聞く。
宮形の形は土地で変わる
札を納める木の社を宮形と呼ぶ。伊勢の正殿を写した神明型が広く出回っているけれど、形は一つではない。屋根に千木と鰹木を乗せ、柱を掘立に見せる神明型は、伊勢の正殿の意匠をそのまま縮めた形になっている。
扉が一つなら一社造、三つ並べば三社造、五つなら五社造。真ん中の屋根が高く張り出すものを屋根違い、平らに通したものを通し屋根と呼び分ける。部屋の格や棚の幅で選び分けてきた。扉の数を増やせば納められる札も増えるので、家の付き合いが広い商家ほど三社造や五社造を選んできた。
扉が一つでも三つでも納める札の順番の考え方は同じで、いちばん上位の神宮大麻をどこへ置くかを最初に決めてしまえば、残りは自然と位置が定まっていく。
ガラス戸の箱へ社を納めた箱宮という形もある。北陸から北海道にかけてよく使われてきた形で、埃を防ぎやすく掃除が楽。棚板を組まずに壁へ直接掛けられるのも、雪国の家には都合がよかった。ガラス戸が付いているぶん榊の葉も乾きにくく、暖房で空気が乾く冬場の部屋では扱いやすい面もあった。
同じ日本でも、家の作りと気候で神棚の姿が変わる。畳の広間に棚板を渡す地域と、壁へ箱を掛ける地域。どちらが正しいという話ではなかった。嫁いだ先で棚の形が違って戸惑った、という話を北陸の出身者から聞いたことがある。
宮形の材は檜が主流で、木曽檜を使った高価なものから輸入材の量産品まで値段の幅が広い。値段の差が祀り方の優劣へ直結するわけでもないので、棚板の幅に収まる寸法から選んでいけばいい。棚板と雲板と宮形を一式で組んだ商品も売られていて、寸法の合わせ方が分からない人には手っ取り早い。
台所の荒神、勝手口の恵比寿
家の神棚は一つとは限らない。台所には荒神棚があった。竈の奥、火を使う場所の真上あたりへ小さな棚を作り、火の神を祀る。火を粗末にすると祟る、という言い伝えが土地ごとに残っていて、竈の掃除と結び付けて語られてきた。
勝手の隅には恵比寿と大黒。商家ではこの二柱の棚を別に設けて、破魔矢や熊手やだるまを並べ、縁起棚と呼んだ。年ごとに方位を変える歳徳神のために、恵方棚を期間限定で掛ける家もあった。歳徳神の方位は年ごとに動くので、恵方棚を掛ける壁も年が改まるたびに移し替える手間がかかる。
つまり、神棚という一語の下に、性格の違う棚がいくつも並んでいた。伊勢の札を納める棚は、そのうちの一つ。火の神も商売の神も、それぞれの持ち場に別々の棚を持っていた。家の神を一枚の棚へ集約する考え方は、住まいが小さくなってから後付けで広まったものに近い。
昭和に入って竈が消え、台所が板張りのキッチンへ変わる。荒神棚の置き場所も一緒に消えた。札だけを伊勢の棚へ合わせて祀る家が増えたのは、この変化のあとだった。竈の跡地に当たる場所へ荒神の札だけ貼る、という折衷の形で残している家を西日本では今でも見かける。
西日本にはいまでも荒神の札を台所へ別に祀る家があって、三宝荒神を祀る寺社の札を毎年受けに行く習慣も続く。関東では同じ札を神棚の端へ並べて済ませる例が目立った。火の神を祀る作法は寺の側にも残っていて、三宝荒神として仏教の枠組みで扱われてきた歴史も長かった。
昭和の家から棚が消えていく
戦後、学校の神棚が一斉に外される。昭和二十一年の一月十二日、連合国軍総司令部の指示で撤廃が命じられた。道場や講堂の神棚が、まとめて下ろされた年になる。武道場の正面へ神棚を設ける形自体、明治以降の国家神道の下で整えられた比較的新しい習わしだった。
住宅のほうの事情も重なった。高度成長期に団地が大量に建ち、和室の少ない間取りが標準になる。鴨居も長押も無い部屋では、棚板を渡す場所が最初から用意されていない。天井高も低く抑えられていたため、目線より上へ棚を通すと照明器具とぶつかる部屋も出てきている。
畳と鴨居と長押という和室の三点が揃っていた家では棚板を渡す場所に困らなかったのに、洋室主体の間取りになった途端、据える場所を探すところから始まってしまう。
核家族化も効いた。祀り方を口伝えする祖父母が同じ家にいない。棚を下ろしたら、据え直す手順を知っている人が家の中からいなくなる。米と塩の器をどちらへ置くかという程度の話でも、教わる相手がいなければ調べる取っ掛かりすら掴めない。
札のほうは配り続けられている。集合住宅を回って頒布する活動が各地で組まれ、無償で小さな棚を配った神社の例も報告された。愛媛のある社では、十数年かけて頒布数が三百七十体から千百体台まで伸びている。棚を無償で配った社の記録も残っていて、平成の二十年代に三十棟を作って配ったという報告も出ている。
棚の無い部屋に住む人が増えた。それでも札を受ける家は残った。この二つのずれが、いまの略式の祀り方を押し出している。棚を据えたいけれど部屋の構造が許さない、という相談が神具店にも社務所にも持ち込まれ続けている。
棚板を組まずに壁へ掛けるだけの小さな宮形や、札を立てるだけの木の台が、二十年ほど前から市場に増えた。住まいの形が変われば祀り方の器も変わる、という繰り返しが江戸から続く。祀りたい気持ちと部屋の造りが噛み合わないとき、どこまで崩していいのかを決める基準が要るようになった。
据える場所を決めるところから
ここから手順に入る。最初に決めるのは場所で、これを間違えると後の作法が全部やりにくくなる。据えてから位置を変えると、壁に穴が残るうえ清祓を頼み直す手間も出るので、最初の見極めに時間をかけたい。
明るくて風の通る部屋を選ぶ。まあ、そこが基本になる。家族が自然と集まる場所がよく、居間が無難だった。台所は油煙が回るので、火の神の札を納める場合にだけ考える。どうしても台所へ置くなら、換気扇の風が当たらない位置を選び、拭き掃除の回数を増やして油の膜を残さない。
廊下や階段のような、人の往来が絶えない場所も本来は向かない。ただ、間取りの都合でそこしか空いていない家もあるので、絶対に駄目という言い方はされてこなかった。玄関の真上も本来は外す位置で、人が土足で出入りする場所の上へ据えるのを嫌う考え方から来ている。
向きは南か東。社の正殿がそちらを向く作りに倣ったもので、太陽の通り道に正面を合わせる考え方から来ている。南向きが取れなければ東向き、どちらも無理なら拝みやすい向きで構わない。社殿の多くが南か東を向いて建てられているのは、日の出と正午の光を正面で受ける配置に倣ったためになる。
北向きと西向きを嫌うのは、日の差さない方角を下位として扱う古い方位観の名残になる。家の構造でどうにもならない場合は、向きよりも清潔さと高さを先に取った。方位を厳密に守れる家のほうがむしろ少ないので、拝みやすさと掃除のしやすさで決めてしまって構わない。
高さは、立ったときの目線より上。見下ろす位置に置かない、という一点だけ守れば十分。ただし手が届かない高さにすると、水を替えるのが面倒になって続かない。背の高い家具の上へ据える場合は、踏み台を一つ近くに置いておくと毎朝の上げ下ろしがだいぶ楽になった。
毎朝の器の上げ下ろしを考えると、椅子に乗らずに手の届く高さが結局いちばん長持ちする。床から百八十センチ前後を目安にしている家が多かった。高すぎる位置に据えたせいで一年で拝まなくなった、という話は神具店の人からもよく聞かされてきた。背伸びしないと届かない高さへ据えてしまうと、水を替えるのが億劫になって数か月で手が止まり、埃をかぶった棚だけが壁に残るという結末を迎えやすい。
避ける場所もはっきりしている。戸口の真上は人が出入りするたび下を潜ることになるので外す。トイレと壁一枚で背中合わせになる位置も外す。ゴミ箱の真上も同じ理由で避けた。人が下を頻繁に潜る場所は、落ち着いて拝む姿勢が取りにくいという実用の理由からも外されてきた。
冷暖房の吹き出し口の正面も外しておきたい。風が直接当たると榊が早く傷むうえ、供えた水も一日でずいぶん減ってしまう。加湿器の蒸気が直に当たる位置も避けたい。木の宮形は湿気を吸って反るので、扉の開きが悪くなる。
仏壇との関係は向かい合わせを嫌う。片方を拝むとき、もう片方へ背を向けてしまうから。同じ部屋に置くなら、直角の壁に分けて据えるか、上下が重ならないように離す。どちらも一つの部屋にしか置けないなら、神棚を東か南の壁へ、仏壇を西向きにして角度をずらす手がある。
神棚を仏壇の真上へ据える形も、上下で踏みつけるような配置になるため嫌われてきた。部屋を分けられるなら、そのほうが迷いが少ない。同じ壁の上下で神棚と仏壇が重なると、どちらかを踏む形に見えてしまうため、左右へずらして納める。
寝室は避けるのが無難とされてきた。どうしても寝室しか空いていない家もある。その場合は、寝たときの足先が棚へ向かないよう、頭の側の壁へ回す。寝室へ据えた家では、朝起きてすぐ水を替えられるので続けやすかった、という声も聞いたことがある。
天井へ「雲」の字を貼る
神棚の上を人が歩く。二階建ての一階に据えると、必ずこの問題が出る。人が上を歩く気配のする場所へ神を据えるのは落ち着かない、という感覚が作法の側に形を与えてきた。
上には空しかない、という形を作るために、天井へ雲の字を貼る。木を雲の形に彫った雲板を棚の上へ付ける方法と、紙や木の板に字を書いて貼る雲字の方法がある。集合住宅なら後者が現実的。印刷された雲字の紙を売っている神具店もあるし、自分で書いて済ませる家も昔から普通にあった。
雲板を取り付ける余裕が無い部屋でも、半紙へ一字書いて天井へ貼るだけなら費用もかからず、退去のときに剥がせば跡も残らないので賃貸との相性がよかった。
分譲の集合住宅でも、上の階に住戸がある限り同じ考え方を当てはめる。最上階なら屋根の上が空なので、雲の字を貼らない家も珍しくなかった。屋上に設備置き場がある建物だと、人の出入りがあるので雲の字を貼っておく、という判断をする人もいた。
字は雲のほかに天や空も使う。どれを選んでも構わないけれど、家の中で混ぜずに一種類へ揃える。書くなら半紙か白い和紙へ、墨で一字だけ大きく書く。字が上手いかどうかは問われない。墨をすって半紙へ書く、その手順を踏むことのほうが重く扱われてきた。
向きは、字の天地を部屋の正面に合わせて読める向きに貼る。位置は神棚の真上の天井。棚の中心から真っすぐ上げた点に来るよう、床から見上げて測った。棚の中心から下げ振りを垂らして位置を出す人もいて、そこまでやると天井の貼り位置がぴたりと決まる。
貼り方は壁紙を傷めない素材で。賃貸なら両面テープか養生テープを使い、直接糊で留めない。紙は焼けて色が変わるので、年に一度、札を替える時期に一緒に替える。貼り替えるときは古い紙を丸めて可燃物として出すか、札と一緒に納札所へ持っていく家もあった。
そもそも雲は必須ではない。丁寧にやるならこうする、という程度の作法。省いたから祀り方が崩れる、という性質のものでもなかった。貼らないと祟る、という筋の話ではない。上を空にしておきたいという気持ちを形にした作法にあたる。
木彫りの雲板を棚板の上へ取り付ける形なら、天井へ何も貼らずに済ませられる。賃貸で天井材を傷めたくない場合は、この方法のほうが後始末も楽だった。雲板は宮形の背丈より少し広い幅のものを選ぶと、正面から見上げたときに棚全体の輪郭がすっきり整う。
図に起こすと並びが早く飲み込める
配置を文字だけで追うと、どうしても頭の中で崩れる。正直、図を見たほうが早い。そこで御札と神具の並びを一枚の図にした。記事の中へ差し込んであるので、手を動かす前に一度見てほしい。配置の考え方は宮形の大きさが変わっても同じなので、手元の棚に合わせて幅だけ読み替えてほしい。
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図の見方を書いておく。ラテン文字のラベルは日本語の神具名に対応している。シンキョウが神鏡、サカキタテが榊立て、ヘイシが瓶子。
ミズタマが水玉、ヒラカが平瓮の皿、ヒタテが灯明の火立にあたる。図の左右は、棚の前に立った人から見た向きで描いてある。神の側から見た左右と入れ替わる点に注意したい。
上段の三つの箱はお札の位置。中央がジングウタイマで神宮大麻、向かって右のウブスナが氏神の札、向かって左のスウケイが崇敬する社の札を指す。扉が一つの宮形を使っている家は、この三枚を重ねて一つの扉の中へ納める形へ読み替えて見てもらいたい。
下段が神具の並び。中央にシンキョウを置き、その手前へコメとシオとミズの器が来る。両端がサカキタテ、その内側にヒタテ、中央寄りにヘイシの一対。左右の対になっている神具は、高さと形を揃えて置くと正面から見たときの座りがはっきり良くなる。
シメナワが上を横切る帯で、右端が太い側。帯の太さが左右で違って描いてあるのは、張る向きを一目で分かるようにするための描き分けになる。そこから垂れている四つの小さな紙がシデ、つまり紙垂にあたる。紙垂は縄の長さを四等分した位置に垂らす形で描いたので、縄が短い家では二枚へ減らして読み替えてほしい。
図では前後の重なりが読み取りにくいので、器の位置だけ言葉で補っておく。米と塩と水の器は、宮形の扉よりも必ず手前へ出して置く。
御札は中央から決めていく
三社造の場合、中央の扉へ神宮大麻を納める。向かって右へ氏神の札、向かって左へ崇敬する社の札。右が上位という古い序列に従った並びになる。向かって右が上位という数え方は、社殿に向かって立つ人の側から見て決める。神の側から見た左右ではない。
扉が三つあっても札が一枚しか無い家は、中央だけへ納めて両脇を空けておけばいい。後から氏神の札を受けたときに、向かって右の扉へ足していく形になる。宮形の扉は普段開けておく家と閉めておく家の両方があって、社によって指導の仕方も割れている。
氏神が分からないときは、住んでいる地域の神社庁へ問い合わせると教えてもらえる。町内で古くから祀られている社が、たいていそれにあたった。引っ越しても氏神は新しい土地の社へ移る。神社庁の窓口では住所を伝えるだけで氏神を教えてくれるので、電話一本で済んでしまう場合も多かった。
引っ越しの前に新しい土地の氏神を調べておくと、転居してすぐ挨拶へ行けるうえ、札を受ける時期や初穂料の目安も同時に聞けるので二度手間にならない。
崇敬社の札は、旅先で受けたものや厄除けで受けたものを指す。枚数が増えて左の扉に収まらなくなったら、重ねて納めるか、別の札立てを横へ並べた。札の大きさは社ごとに違うため、宮形を買う前に手元の札の寸法を測っておくと入らない事故を防げた。
一社造は重ねて納める。手前から神宮大麻、その後ろに氏神、いちばん奥へ崇敬社。前に来るほど上位という数え方で、三社造の左右とは順番の考え方が違う。重ねる厚みが出て扉が閉まらなくなったら、いちばん奥の札を横へ寝かせず、宮形を一回り大きい物へ替える。
社によっては別の並べ方を教えるところもある。春日大社のように独自の指導をする例が知られていて、その場合は受けた社の指示を優先した。全国一律ではない。四拍手の社や、独自の並びを守る社は全国に点在している。迷ったときは受けた社の授与所で聞くのが早い。
札を受ける時期は年の暮れ。新年を新しい札で迎えるための入れ替えで、十二月に入ってから求めるのが通例になっている。地域によっては氏子総代が持って回ってくる。暮れに受けそびれたら年が明けてからでも構わない。松の内のうちに納めれば、間に合わなかった扱いにはならない。
受けるときに納める金は初穂料と呼び、社務所に金額が掲示されている場合も多い。掲示が無ければ、いくら納めればよいか素直に聞いてしまったほうが早かった。初穂料という呼び方は、その年に採れた最初の稲を供えた古い習わしから来ていて、値段とは性格が違う。
古い札は氏神の社へ返す。納札所という箱が置かれているので、そこへ入れて初穂料を添える。年明けのどんど焼きで一緒に焚いてもらう地域も多かった。どんど焼きは左義長とも呼ばれ、小正月の前後に行う土地が多い。正月飾りと一緒に焚き上げてもらえる。
受けた社と返す社が違っても構わない。旅先で受けた札を近所の氏神へ返すのは、全国どこでも普通に行われてきた。返す時期も暮れに限らない。家を畳むときや引っ越しのときに、まとめて納めに行く家も普通にあった。
ここで一つ注意。喪中に新しい札を受けるのは、忌が明けてからにする。年内に忌が明けないときは、明けた時点で受け直せばいい。
喪中と忌中は長さが違う。念のため、ここは分けて覚えたい。札を控えるのは忌中のあいだで、そこを過ぎれば受けても差し支えないとされてきた。
神具の名前を覚えると迷わなくなる
宮形の前へ並べる道具を神具と呼ぶ。名前を知らないまま買い揃えると、どれをどこへ置くのか毎回迷った。神具は素焼きと白磁が基本で、色の付いた器や柄の入った皿は使わない。白で揃えると並べたときの収まりもいい。
中央に据えるのが神鏡。丸い鏡を木の台へ立てたもので、神の依り代として宮形の正面に置く。扉の前を塞がない位置まで、少し前へ出して据える。
鏡を置かない家もある。宮形の中へ札を納めてあれば依り代は足りるので、無いから欠けるという話でもない。神鏡は神の姿を映す道具というより、拝む人が自分の姿を映して襟を正すための物だと説く神職もいて、置く理由の説明の仕方は社によってかなり幅がある。
鏡は曇りやすいので、月に一度は乾いた柔らかい布で拭いておきたい。指の脂が付くと跡が残るため、鏡面を直接触らずに枠を持って動かした。鏡の面を布で強く擦ると細かい傷が入るので、埃を払う程度の力で撫でるように拭いておくほうがいい。
左右の端に一対で立てるのが榊立て。素焼きか白磁の背の高い筒で、榊の枝をそこへ挿す。左右で高さと形を揃えるのが決まりだった。枝を挿す前に切り口を水の中で斜めに切り直すと、吸い上げが良くなって葉の持ちが目に見えて変わった。
榊立ての水は、枝を替えない日でも三日に一度は入れ替える。水が濁ると葉の傷みが一気に早まるので、器の内側まで洗ってから注ぎ直した。榊立てはガラス製の筒を使う家もあるけれど、正面から水の濁りが見えてしまうので白磁を選ぶ人が多い。
酒を入れるのが瓶子。徳利の形をした蓋つきの器で、これも一対で使う。八分目まで注ぎ、供えるあいだは蓋を取っておく。蓋を取ったままにしておくのは、供えた物を神が受け取っている状態を形で示すためだと教わった。
水を入れるのが水玉。背が低くて丸い、雫のような形の器。蓋が付いていて、供えるときだけ外す。水玉の蓋も同じように、供えているあいだは外しておく。夜に下げるときへ合わせて蓋を戻していく。
米と塩を盛るのが平瓮と呼ばれる平たい皿。洗米皿という名前でも売られている。塩は小さく円錐に盛るときれいにまとまった。皿は米用と塩用の二枚を使い、同じ皿へ二つを盛り分けない。器を分けるところまでが作法に含まれる。
盛るときは山の形を整える小さな型を使ってもいい。粗塩なら指で軽く押し固めるだけで形が付くので、道具を増やさずに済んだ。米は炊く前の洗米を使うのが本来で、炊いた飯を供えるなら別の器へ盛り、正月や祝い事のときに限る。
灯明を立てるのが火立。蝋燭を挿す小さな燭台で、毎日灯す必要はない。朔日や祝い事のときだけ火を入れる家が多い。火を使う以上、離れるときは必ず消す。電池式の灯りを使う家も増えていて、それで構わないという社も多い。
供物を載せる台が三方と折敷。三方は折敷に胴が付いた台で、胴の穴が無い面と折敷の継ぎ目が無い面を神の側へ向けて置く。向きを逆にしやすいので、買ったときに一度だけ確かめておく。三方の高さが足りないと器が宮形の扉へ当たるため、棚板と宮形の隙間を測ってから寸法を決めておく。
米と塩と水をどこへ置くか
日々の供え物は米と塩と水の三つ。ここからが毎朝の話になる。日供と呼ぶ。この三品を毎日替えるのが、家の神棚の基本の形だった。日供という言い方には、毎日欠かさず供えるという意味が最初から畳み込まれている。
並べ方は前後二列と横一列の二通りある。前後で組むなら、後列の中央へ米、その左右に酒の瓶子を一対。前列の向かって右へ塩、左へ水を置く。後列を高く前列を低くすると、正面から見たときに全部の器が見えて、上げ下ろしの手順も追いやすくなる。前後二列で組むと奥の器が手前の器に隠れてしまうため、棚板の奥行きが浅い家では横一列に並べたほうが、上げ下ろしの動きも器の見え方も無理がない。
横一列で組むなら、中央に米、向かって右に塩、左に水。酒を加えるなら米のすぐ右へ。米をいちばん大事なものとして中央に据える、という考え方は共通している。器の数が増えるほど毎朝の手間も増えるので、続けられる範囲まで減らして構わないという言い方をする社もある。
供えるのは朝。顔を洗って身を清めてから、炊く前の洗米と塩と、その日いちばんに汲んだ水を上げる。水道の水で構わない。浄水器を通した水でも、汲み置きでない限り差し支えない。汲んだらすぐ上げる、という一点だけ守る。
器へ注いだら蓋を外し、正面を自分の側ではなく宮形の側へ向けて置く。外した蓋は棚の隅へ伏せておき、下げるときに元へ戻した。水を替えるとき、器の内側へ指を入れずに縁だけ持つ。細かい所作だけれど、続けると手が自然に覚えた。
下げるのは夕方か夜。丸一日置きっぱなしにしない。下げた米と塩と水は下がりとして家で使い、米は炊き、塩は料理や玄関の清めに回した。下げた水は植木へやってしまう家も多く、捨て方に細かい決まりは置かれてこなかった。
毎日は無理、という人もいる。その場合は傷みやすい水だけでも替えるとよい、という言い方をされてきた。全部やめてしまうよりは、水一つでも続けるほうが形が保たれる。朝に時間が取れないなら夜へ回してもいい。時刻より、毎日同じ時間に手を動かすほうが形として続きやすい。
朝に米と塩と水を上げて夕方に下げる、この往復を一日の区切りとして使っている人もいて、供えるという動作が生活の時計の役目まで引き受けていた。
旅行で何日か家を空けるときは、出かける前に供物を下げてしまう。傷んだ物を置いたまま留守にするより、空にしておくほうが行儀がいいという言い方をされる。下げ忘れて翌朝まで置いてしまったら、その分は食べずに植木の土へ返し、新しい水と米を上げ直す。
肉と乳製品は避ける。葱や韮のような臭いの強い野菜も控えるのが通例だった。初物の野菜や果物、菓子は上げてよく、祝い事のときには尾頭付きを三方へ載せる。神饌の格には生のまま供える物と調理して供える物の区別があって、家の棚では生のままが基本になる。
酒と榊は一日と十五日
酒と榊は毎日は替えない。月に二度、一日と十五日に新しくする。月の始まりと真ん中を節目として扱う、古い月の数え方から来た区切りになる。朔日と十五日は月の満ち欠けの節目にあたり、社の月次祭もこの日に合わせて行われてきた土地が多い。
一日の朝は少し丁寧にやる。酒を新しく注ぎ、榊を替え、火立に灯を入れ、そのうえで拝む。家によっては赤飯や尾頭付きを添えた。十五日のほうは酒と榊だけ替えて、赤飯までは炊かない家が多かった。朔日を重く見る家が大半になる。
酒は料理酒を使わず清酒にする。封を切った酒をそのまま瓶子へ注ぎ、下げたあとは料理へ回すか、玄関や敷地の四隅へ撒いてしまう。瓶子は一対で使うので、片方だけ注いで片方を空にしない。左右の量を同じに揃えるところまで気を配る。瓶子の口を開けたまま一日置くと埃が入るので、外した蓋は棚の端へ伏せておき、夕方に下げるときへ合わせて元の口へ戻してから片付ける段取りになる。
榊が手に入らない土地もある。関東より北では自生しないので、代わりに姫榊を使う地域が昔からあった。杉や樫の枝を立てる家もあって、その土地で常緑の木を使えば形は成り立つ。榊という名前自体、境を示す木という語から来たという見方があって、常緑の枝なら代わりが利く理屈になる。
枝の向きにも決まりがあって、葉の表が正面を向くように挿す。左右の枝が外へ開きすぎないよう、切り口を斜めに落としてから立てた。枝の長さは左右で揃え、宮形の屋根より高く出しすぎない。伸びた枝は切り戻して高さを合わせておく。
榊は水に挿していても二週間はもたない。葉が茶色くなったら、十五日を待たずに替える。枯れた枝をそのまま立て続けるほうが、作法としては具合が悪い。葉が落ちて茎だけになった枝を長く立てておくくらいなら、造花の榊へ替えてしまう家も近ごろは増えた。
下げた榊は庭の隅へ置くか、紙に包んで可燃物として出す。塩を一つまみ振ってから包む家もあった。神社の納札所へ持ち込む必要はない。社によっては下げた榊を受け付けてくれるところもあるので、量が多いときは聞いてみるといい。
水を替えるとき、器を洗う布は神具専用にしておく。台所の布巾と混ぜない。細かい話に見えて、道具を分けておくと手が自然に丁寧になる。布を分けておくと、油分の付いた布で神鏡を拭いてしまう失敗も自然に防げる。道具の棲み分けが効いてくる。
しめ縄は太いほうを右に
宮形の上へ横向きに張る縄がしめ縄。棚板の前縁や、宮形の屋根の少し上に渡す。中と外を分ける境の印として掛ける。社の鳥居や拝殿に張ってあるものと役目は同じで、縄から内側を清らかな場所として区切る印になる。
向きに決まりがある。向かって右へ太いほうが来るように張る。左へ太いほうを向ける地域もあるので、迷ったら氏神の社の拝殿を見て、そこに合わせた。神社本庁の系統では太いほうを向かって右に置く形が一般的で、出雲系の社では逆に張る例も見られる。拝殿の縄の向きを一度見ておけば、家の棚で迷ったときの基準ができるので、初詣のついでに写真を一枚撮っておくと後で役に立つという話を聞いたことがある。
縄の材料は稲藁が本来で、実を付ける前に刈った青い藁を使ったものが上等とされてきた。近ごろは化学繊維の製品も出回っていて、埃を払えば何年か持つ。藁の縄は年を越すと色が抜けて灰色になるので、見た目でも取り替えの時期が分かりやすい利点があった。
形は大根注連と牛蒡注連が一般的。大根注連は中央が太く両端が細る形、牛蒡注連は片側だけ太く反対へ細る形になる。棚の幅の八割ほどの長さを選ぶと収まりがいい。長すぎると両端が垂れて見苦しくなるので、買う前に棚板の幅を測って持っていくと失敗が少なかった。
替えるのは年に一度、年末。十二月十三日の煤払いのあと、二十八日までに掛けるのが通例で、二十九日と三十一日は避ける。九が苦に通じ、三十一日は一夜飾りになるから、という理由だった。煤払いの日取りも地域で動くけれど、年内に棚をきれいにしてから縄を掛けるという順番だけは共通している。
年末に間に合わなかった家は、松の内が明けてから掛け直す形でも構わない。日取りを外したから祀り直せない、という決まりは無かった。正月の飾りと神棚の縄を同じ日に掛け替える家が多く、煤払いから年末までの数日に作業が集まってくる。
外した縄は札と一緒に納札所へ持っていく。どんど焼きで焚いてもらってもいい。切って燃えるゴミに出す場合は、塩を振って白紙に包んだ。外した縄を燃やすときは、金具や飾りの類を先に外しておく。化学繊維の縄は焚き上げに回さず分けて捨てる。
紙垂は半紙一枚から作れる
しめ縄から垂らす白い紙が紙垂。買ってもいいけれど、半紙一枚あれば自分で切れる。作り方を書いておく。買えば数百円で揃うけれど、自分で切ったほうが寸法を縄に合わせられるので、収まりは良くなった。
半紙を縦長に置いて、二つ折りにする。折り目を左に来るよう向ける。この折り目の側が、あとで切り離れない背骨になる。折り目を右へ向けて切ると、折り返す向きが左右逆になって形が崩れる。この最初の向きだけは間違えない。
折った紙を横に四等分し、その仕切り線に沿って切り込みを三本入れる。切り込みの長さは紙の高さの三分の二まで。全部切り落とさず、残り三分の一を繋げておく。切り込みの深さが浅いと折り返したときに段が開かず、深すぎると途中で切れてしまう。三分の二が目安になる。
切り込みを入れる前に鉛筆で薄く線を引いておくと、四等分の幅が狂わずに揃うので、初めて作る人はその一手間をかけたほうが仕上がりがはっきり良くなる。
切り終えたら、左端を押さえたまま、残り三つの区画を手前へ順に折り返す。段違いの階段のような形になれば正しい。折り目はしっかり爪で押さえた。折り返した段が同じ幅で三つ並べば形が出ている。並びが不揃いなら、切り込みの間隔を測り直して切り直す。
紙は半紙のほか、奉書紙や美濃紙を使う家もある。厚みがあるほど形が崩れにくいので、風の通る場所へ掛けるなら少し厚い紙を選んだ。折り目を付けたあとに霧吹きで軽く湿らせて乾かすと、段の形が締まって垂らしたときの落ち方が整う。
寸法の目安を一つ。太さ三センチ、長さ七十五センチほどのしめ縄なら、折った状態で高さ十二センチ、幅八センチ前後の紙垂が釣り合う。紙垂を大きくしすぎると縄より目立ってしまうので、縄の長さの六分の一あたりを上限に考えておく。
付け方は縄の撚りを利用する。平たいヘラを差し込んで撚りを軽く戻し、できた隙間へ紙垂の背を挿す。ヘラを抜けば縄が締まって挟み込まれた。挟んだあとで紙垂を軽く引いてみて、抜けてこなければ締まりが足りている。抜けるならもう一度挿し直す。
紙垂に穴を開け、精麻で縄へ結び付ける方法もある。枚数は四枚を等間隔に垂らすのが一般的。二枚重ねで四つ垂らす形も普通に使われてきた。四枚を等間隔に垂らすのは、縄の長さを四つに割って端から順に挟んでいくと自然に揃った。
紙垂の折り方には流儀がある。吉田流、白川流、伊勢流と名前が付いていて、切り込みの数や折り返す向きが少しずつ違う。氏神の社の形を真似るのが、いちばん穏当な決め方だった。流儀の違いを気にしすぎる必要もない。社で頒布している紙垂を買ってきて写すのが、いちばん確実だった。
手を洗ってから棚の前へ
拝む前に手を清める。社の手水舎でやることを、家の水道で縮めてやる。社と同じ手順を家で全部やる必要はない。手を洗って口を濯ぐ、この二つが残っていれば形として足りる。
柄杓があれば、右手で持って左手を濯ぎ、持ち替えて右手を濯ぐ。もう一度右手に持ち、左の掌へ水を受けて口を濯ぐ。最後に柄杓を立てて柄へ水を流した。柄杓一杯の水だけで最初から最後までやりきるのが本来の形で、途中で汲み足さないのが決まりになっている。柄杓を使わない家庭では、洗面所で左手と右手を順に洗い、掌へ受けた水で口を濯ぎ、最後に手を拭くところまでを一続きの動作として通してしまえば形が保たれる。
家では洗面所で構わない。左手、右手の順に洗い、口を軽く濯ぐ。それだけでも手順の骨は残る。手を拭く布は使い回さず、拝礼のときだけ使う手拭いを一本決めておくと迷いがなくなった。
服装は普段着でいい。ただし寝間着のままは避ける、という言い方をする人が多かった。帽子を取り、上着の前を整えるくらいの気は遣う。冬場に厚手の上着を着たまま拝むのを嫌う人もいる。脱げる場所なら脱いでから棚の前へ立つ。
棚の正面へ立つ。真下に立つと見上げる形になって拝みにくいので、一歩下がった位置に足を置く。ここから拝礼に入る。棚の真下は見上げる角度が急になりすぎるので、一歩か二歩下がると拝みやすい位置に自然と収まった。
口を濯いだ水は飲み込まずに吐く。柄杓の柄へ水を流すのは、次に使う人のために手の触れた部分を清めておく手順から来ている。手水の作法は社ごとに掲示の文言が少しずつ違うので、参拝先で見かけた形を覚えて帰るのも手になる。
二拝二拍手一拝の数え方
まず深いお辞儀を二回。落ち着いてやればいい。腰を九十度近くまで折り、背中を伸ばしたまま倒す。一回目を戻したら、間を置かず二回目へ入る。拝の深さに厳密な角度の決まりは無いけれど、背中を丸めず腰から折ると形がきれいに出る。
そのあと拍手を二回。胸の高さで両掌を合わせ、右手を第一関節ぶん手前へ下げてからずらして打つ。音を出したら、下げていた右手を戻して指先を揃える。
拍手の音は大きさを競うものではない。手を合わせる位置と戻す動きのほうへ気を向けたほうがいい。右手を下げてから打ち、音を出したあとで指先を揃えて戻すという一連の動きは、神と人がまだ一つになっていない状態から合わさる形までを写したものだと教わった。
掌を合わせたまま、ここで唱え言葉を入れる。言い終わったら手を下ろす。唱え言葉を入れず、心の中で用件を伝えるだけでも構わない。声に出すかどうかまでは決まっていない。
終わりに深いお辞儀を一回。これで二拝二拍手一拝がひと揃い。社の拝殿でやる作法と同じ形になる。家によっては一拝を省いて二拝二拍手で終える形もあるけれど、社の形へ合わせておくほうが無難になる。
拍手で右手をずらすのは、神と人がまだ合わさっていない状態を表す所作だと教わった。ずらした右手を戻して指先を揃えるところまでが、一続きの動作になる。拍手の数え方を口の中で数えると動きが固くなるので、二回打つという形だけ体へ入れてしまうほうが早い。
拍手を四回打つ土地もある。出雲や宇佐で知られる形で、家の神棚にそれを持ち込む家もあった。氏神の社がどちらの形かを見ておくと迷わない。四拍手は伊勢の神宮の祭でも用いられる形で、家の棚へそのまま持ち込む必要はないと言う神職もいた。
朝に拝んで、夜にもう一度短く拝む。夜のほうは供物を下げるついでに一拝だけ、という簡略で構わない。毎日続けられる形へ落とすのが先だった。朝だけ、あるいは夜だけと決めてしまってもいい。日に二度と決めて三日で途切れるよりは形が保たれる。
祓詞を声に出す
唱え言葉は三つ覚えておくと足りる。祓詞、略拝詞、神棚拝詞。長さも場面も違うので、順に全文を書く。どれも神社本庁がまとめた神拝詞の中に収められている文句で、社の授与所でも小冊子の形で手に入った。
祓詞は身を清めるための言葉。伊邪那岐大神が禊をした場面から、祓戸の神々を呼び出す構えになっている。拝礼の前に唱えることが多い。祓戸の神は瀬織津比売、速開都比売、気吹戸主、速佐須良比売の四柱を指す、という数え方が広く使われてきた。伊邪那岐大神が黄泉の国から戻って禊をした場面から神々が生まれるという筋立てが下敷きにあるので、祓詞は神話の一場面をそのまま呼び出す構えになっている。
原文はこうなる。「掛けまくも畏き伊邪那岐大神。筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に、禊ぎ祓へ給ひし時に生りませる祓戸の大神等。
諸々の禍事罪穢有らむをば、祓へ給ひ清め給へと白すことを聞こし召せと。恐み恐みも白す。」
読みを仮名で置く。「かけまくもかしこき、いざなぎのおおかみ。つくしのひむかのたちばなのおどのあわぎはらに、みそぎはらへたまひしときに、なりませるはらへどのおおかみたち。」
続きの読み。「もろもろのまがごとつみけがれ、あらむをば、はらへたまひきよめたまへと、まをすことをきこしめせと。かしこみかしこみもまをす。」
現代語に直すと、口に出すのも畏れ多い伊邪那岐大神が、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊をされた。そのときに生まれた祓戸の神々よ、という呼びかけになる。訳文の調子は社や本によって差があるので、意味の骨だけ掴んで、あとは原文の響きで唱えて構わない。
後半はこう続く。もろもろの災いと罪と穢れがあるならば、祓い清めてくださいと申し上げる言葉を、どうか聞き届けてください。畏れながら申し上げます。
「掛けまく」は口に掛けて言うこと。「畏き」は恐れ多いという意味。神名を口にすること自体を憚る構えが、最初の一句に畳み込まれている。祝詞の言葉遣いが古いままで残っているのは、意味を伝えるだけでなく、音の連なりそのものを崩さずに受け渡していくことが作法の一部として扱われてきたからになる。
この文句は大祓詞を短く縮めたものというより、祓戸の神を呼ぶ独立した祝詞として整えられてきた。社頭の祭でも冒頭に唱えられる。祓詞を唱えてから神棚拝詞へ移る順番が一般的で、清めてから願うという流れが作法の骨組みになる。
略拝詞は十数文字で終わる
時間が無い朝には略拝詞を使う。短い。覚えるのに一分もかからなかった。急いでいる朝でも、この一句だけは口に出してから家を出る、と決めている人に何人か会ったことがある。
原文はこれだけ。「祓へ給ひ清め給へ、守り給ひ幸へ給へ。」
読みはこう。「はらへたまひきよめたまへ、まもりたまひさきはへたまへ。」
現代語に直すと、祓ってください、清めてください、守ってください、幸わえてくださいとなる。「幸へ」は幸せにする、栄えさせるという古い動詞。「守り給ひ」で守護を願い、「幸へ給へ」で栄えを願う。願いの向きが二段構えになっている作りになる。
四つの願いが二つずつ対になっている。前半が清める側、後半が守る側。この並びだけで祝詞の骨格が出ている。祝詞の型としては、神を呼び、罪穢を祓い、守りを願うという順番の骨が、この短い句の中にも入っている。
出先で神棚が無いときにも使える。手を合わせて口の中で唱えるだけでいい。旅先の宿でそうしている人の話を聞いたことがある。社の前で長い祝詞を唱えるのが気恥ずかしいという人も、この短さなら口の中で唱えきれてしまう。
子供に最初に覚えさせるのも、たいていこの略拝詞から始まる。長い祝詞を丸暗記させるより、短い言葉を毎朝繰り返させるほうが身に付きが早かった。言葉の意味を後から教える形でも遅くない。音として身体へ入っていれば、意味は年齢とともに付いてくる。
神棚拝詞を通して唱える
家の神棚のために作られた言葉が神棚拝詞。朔日や十五日、あるいは毎朝の拝礼で通して唱える。全文を置く。長さは大祓詞のような大きな祝詞に比べればずっと短く、慣れれば一分かからずに唱えきれた。
原文の前半。「此の神床に坐す、掛けまくも畏き天照大御神。産土大神等の大前を拝み奉りて、恐み恐みも白さく。」
原文の後半。「大神等の広き厚き御恵みを、辱み奉り。高き尊き神教のまにまに、直き正しき真心もちて。誠の道に違ふことなく、負ひ持つ業に励ましめ給ひ。
家門高く、身健やかに。世のため人のために尽くさしめ給へと、恐み恐みも白す。」神棚拝詞は天照大御神と産土大神の二柱へ同時に呼びかける形を取っていて、伊勢の札と氏神の札を一つの棚へ並べて祀るという構えが、言葉の側にも写し取られている。
読みの前半。「このかむどこにまします、かけまくもかしこき、あまてらすおおみかみ。うぶすなのおおかみたちのおおまえをおがみまつりて、かしこみかしこみもまをさく。」
読みの後半。「おおかみたちのひろきあつきみめぐみを、かたじけなみまつり。たかきとうときみおしえのまにまに、なおきただしきまごころもちて。」
読みの続き。「まことのみちにたがふことなく、おひもつわざにはげましめたまひ。いえかどたかく、みすこやかに。よのためひとのためにつくさしめたまへと、かしこみかしこみもまをす。」
現代語訳を置く。この神棚においでになる、口にするのも畏れ多い天照大御神と、産土の神々の御前を拝み、畏れながら申し上げます。「大前」は神の正面を指す言葉で、社殿の前でも家の棚の前でも同じように使われてきた言い回しになる。
続きの訳。神々の広く厚いお恵みをありがたく戴き、高く尊い神の教えのままに、真っすぐで正しい真心を持って。「まにまに」は、そのとおりに従ってという意味の古い言い方で、神の教えへ身を委ねる構えを示している。
終わりの訳。誠の道から外れることなく、背負っている仕事に励ませてください。家が栄え、身体が健やかで、世のため人のために尽くさせてくださいと、畏れながら申し上げます。訳をそのまま唱えるのではなく、意味を掴んだうえで原文を唱えるのが、祝詞の扱い方として通りがいい。
「神床」は神棚のこと。「産土大神」は生まれた土地の神で、いまは住んでいる土地の氏神と重ねて読む。「家門高く」は家が立ち行くように、という願い。
「負ひ持つ業」は自分が背負っている仕事のこと。職業に限らず、家の中での役目まで含めて読んでいい。「家門高く」を家の名誉が上がるようにと読む人もいれば、家が絶えずに続くようにと読む人もいて、訳し方の幅がそのまま家ごとの願いの違いへ重なってくる。
読み方に揺れがある。「まをす」を「もうす」と読む社もあるし、「かむどこ」を「かみどこ」と読ませる本もある。氏神の社で聞いた読みに合わせておけば間違いにならない。社によっては「みそやか」と読ませる例もあって、読みの揺れをどこまで気にするかは家の判断になる。
声の大きさは、自分の耳に届く程度でいい。集合住宅なら口の中で唱えても構わない。読み上げの速さは、一句ごとに息を継ぐくらいがちょうどよかった。
紙に書いて棚の脇へ貼っておく人もいる。見ながら唱えても差し支えないので、覚えるまでは手元に置いておけばいい。覚えるまでは紙を見ながらで構わない。毎朝続けていれば、半年もしないうちに手元を見なくなった。
身内に不幸があったら半紙で覆う
家族が亡くなったとき、神棚を閉じる。神棚封じと呼ぶ手順で、死を穢れとして扱う神道の考え方から来ている。忌の考え方は家ごとにも土地ごとにも差があって、五十日を厳密に数えない家も現実にはかなり多かった。
手順はこう。棚の前へ立って、誰それが亡くなりましたと声に出して伝える。供えてある米と塩と水を下げ、榊も下げる。宮形の扉を閉め、正面へ白い半紙を一枚貼って覆う。扉が無い形の宮形や札立てを使っている場合は、札の正面が隠れるように半紙を回して覆ってしまう。
半紙は宮形の正面が隠れる大きさなら足りる。コピー用紙で代用しても構わない。留めるのはセロハンテープやマスキングテープで、木肌を傷めない貼り方を選ぶ。糊や画鋲は使わない。木肌へ跡が残ると、忌が明けたあとの棚に傷だけが残ってしまうから避けてきた。
貼るのは遺族以外の人が望ましい、という言い方をされてきた。穢れを持ち込まないため、という理屈。近所の人や葬儀社の担当者に頼む家が多かった。ただし一人暮らしなら自分でやるしかない。葬儀社の担当者が手順を心得ていることも多いので、頼み方が分からなければその場で聞いてしまえばいい。
仏壇のほうは閉じないのが一般的で、封じるのは神棚だけ。死を穢れとして扱うかどうかで、神道と仏教の構えが分かれているからだった。仏壇の扉を閉じる地域も一部にはあるけれど、神棚だけを封じるという形が全国では広く行われてきた。
封じている期間は五十日。神道では五十日祭で忌が明けるため、そこまでを一区切りとする。地域によって三十日や四十九日で区切るところもあるので、氏神の社に確認する。五十日祭は神職を招いて行う家もあれば、家族だけで手を合わせて区切りとする家もあって幅が広い。
五十日という区切りは神道の祭の日取りから来ていて、仏式の四十九日とは数え方の由来が違うため、両方の家が混ざる場合はどちらに合わせるか先に決めておく。
そのあいだは供え物も拝礼も止める。水も上げない。棚の掃除もしない。
手を触れずに置いておく、というのが封じの意味だった。神棚の掃除を再開するのは忌明けのあと。埃が気になっても、この期間だけは手を出さずに置いておく。
紙が剥がれてしまったら、貼り直していい。慌てなくていい。そもそも封じ忘れていたことに後から気付いた場合も、気付いた時点で貼れば足りる。葬儀の慌ただしさの中で忘れるのはよくある話で、気付いた遅さを咎めるような作法にはなっていない。
忌が明けたら、逆の順で戻す。はっきり言って、それだけのことだ。半紙を外し、扉を開け、棚と神具の埃を払い、新しい榊を立て、米と塩と水を上げ直す。
そのうえで一度きちんと拝む。半紙を外す役目も、貼ったときと同じように家族以外の人へ頼む土地がある。地域の習いに合わせればいい。
外した半紙は普通に処分して構わない。塩を振って白紙に包む家もある。神社へ納める必要は無かった。どんど焼きへ持っていく人もいるけれど、封じの紙は焚き上げの対象として扱わない社のほうが多かった。
封じているあいだに神棚の下を通るのは構わない。部屋の使い方まで変える必要は無く、供えと拝礼だけを止めておけば足りる。来客が棚の前を通っても構わないし、半紙が見えることを気にして部屋を閉め切る必要もなかった。
忌中に年末が重なることもある。その場合、新しい札を受けるのは忌明け後。年が明けてから受け直しても、作法として困ることはない。暮れに受けそびれた分は、忌が明けてから改めて社へ出向く。札が無いあいだは棚を空のままにしておく。
引っ越しと新築のときの段取り
家を移るとき、神棚をどう運ぶか。先に氏神の社へ連絡を入れるところから始める。社によっては出張して祓いをしてくれるところもあるので、日程の候補をいくつか用意して相談する。
正式にやるなら、社務所へ電話して遷座の祓いを頼む。古い家で御霊を抜き、新しい家で据え直す形になる。新築なら、家が建った段階で清祓を頼んで、そのあとに棚を据えた。新築の場合、地鎮祭と上棟祭を済ませてあれば、あとは棚を据える前に家の清祓を受ければ形が揃った。
新築で棚を据えるなら、内装が仕上がってから位置を決め、上の階の間取りを図面で確かめたうえで、人の通り道の真下に当たらない壁を選んでおくと後の手直しが減る。
自分で運ぶ場合の手順を書く。最初に棚の前で拝み、移る旨を伝える。供物を下げ、火立の蝋燭も片付ける。供物を下げたら器も洗って乾かし、一つずつ紙に包む。瀬戸物は割れやすいので、宮形とは別の箱へ分ける。
御札は宮形から取り出し、一枚ずつ白い紙で包む。包んだ札は箱へ入れず、自分で持って運ぶ。運送業者や他人の手に預けないという言い方を、社でも店でもされてきた。運送業者へ預ける場合は、札だけ手荷物へ分けておくと、作法の面でも破損の面でも安心できる。
札や宮形へ息がかからないよう、口元へ半紙を当てるか、マスクを付けて作業する。素手で触るのを避け、白手袋か紙を介して持つ。床へ直に置かず、必ず布を敷いた。作業のあいだは棚の下へ白い布か新聞紙を広げておくと、細かい部品を落としても見失わずに済んだ。
宮形は寝かせずに立てたまま梱包する。丈夫な箱へ入れ、隙間に紙を詰めて動かないようにする。手提げ袋で運ぶと壁にぶつけて壊しやすい。車で運ぶなら座席へ立てて置き、シートベルトで留める。トランクへ横倒しで積むのは避けたほうがいい。
日取りに吉日の決まりは無い。都合のいい日で構わないので、できるだけ短い期間で移しきる。新居へ着いたら、その日のうちに据える。距離が長くて当日のうちに据えきれない場合は、札だけ手元へ置き、宮形は翌日に据えても差し支えない。
据え直したら、棚と神具を拭き、御札を戻し、新しい榊と米と塩と水を上げる。それから二拝二拍手一拝で挨拶する。これで据え直しが終わる。挨拶の前に手を洗い、口を濯いでから棚の前へ立つ。据え直しの日だけは手順を省かずに通しておきたい。
転居先が氏神の違う土地なら、新しい氏神の札を早めに受けに行く。前の土地の氏神の札は、そのまま祀り続けても、元の社へ返してもいい。
リフォームで壁を壊す場合も同じ流れ。工事のあいだは札を別の高い場所へ一時的に移し、白紙を敷いてそこへ立てておく。工事が終わったら元の位置へ戻した。工事の埃が回る部屋へ札を置いたままにしない。別室の高い位置へ移し、白紙を敷いてその上へ立てておく。
まつり続けられなくなったとき
高齢になって手が届かない。転居先に置く場所が無い。跡を継ぐ人がいない。棚を畳む理由はいくらでも出てくる。施設へ移るので置き場所が無くなった、という相談が社務所へ持ち込まれる例もずいぶん増えているらしい。
相談先は氏神の社。まずそこへ持っていける形が一番きれいで、費用も見当が付きやすい。お焚き上げを神職に頼む場合、五千円から一万円ほどを初穂料として包む例をよく聞く。日取りを決めて祓いを受け、その場で焚き上げてもらう形が通例で、当日は宮形と神具を一緒に持参する。
焚き上げを頼むときは、宮形と木の神具を一つの箱へまとめ、瀬戸物と金属の器は別に分けて持っていくと、社の側で仕分けをやり直す手間をかけずに済む。
納札所へ納める方法もある。この場合は千円前後の初穂料が目安。小さな宮形なら受け付けてくれる社もあるので、持ち込む前に電話で大きさを伝えておくと確実だった。納札所の大きさによっては宮形が入らないので、社務所の受付時間に合わせて直接手渡すほうが確実になる。
年明けのどんど焼きへ持ち込む手もある。開催が一月の中ごろに集中するので、その時期を逃すと一年待つことになる。受け付ける品の範囲が社ごとに違うのも要注意。どんど焼きの日は地域の広報や社の掲示で告知されるので、暮れのうちに日程を確かめておくと動きやすい。
神棚を扱う店で引き取る例もある。買い替えのときに下取りへ出す形で、大きさと店によって金額の幅が大きい。処分業者へ頼む場合は、先に社で清祓を受けてから渡す。清祓を受けた証として、紙の札を貼ってくれる社もある。業者へ渡すときにそのまま付けておけばいい。
自治体のゴミとして出す方法も、作法を踏めば取れる。棚の前で最後の拝礼をし、御札を抜き、塩を振って清め、白紙で包んでから木材として出す。御札だけは必ず社へ返した。自治体によっては木材の分別が細かく決められているので、出す前に手元の収集の決まりを確かめておく。
宮形と神具は扱いを分ける。木と紙は焚き上げられる。瀬戸物の水玉や平瓮、金属の神鏡や火立は燃えないので、社でも別に分けて処理される。瀬戸物は割ってから不燃として出し、金属は資源として分ける。塩を振って白紙で包んでから袋へ入れた。
据えるときに御霊入れの祭をしてもらった棚なら、畳むときにも御霊抜きを頼む。入れた分は抜く、という対応関係。何もしていない棚なら、拝んで返すだけで足りる。御霊入れをしたかどうか覚えていない家も多い。分からなければ、社へその旨を伝えて判断を仰げばいい。
宮形を下ろす前に、神具の配置を写真へ一枚撮っておく人もいる。据え直すときや、同じ寸法で買い替えるときの控えになるからだった。棚を下ろしたあとの壁は、拭き掃除をして塩を軽く振っておく家もある。跡が気になるなら板を張って隠す。
棚板が作れない部屋での置き方
賃貸で壁に穴を開けられない。長押も鴨居も無い。この条件でも祀る方法はある。壁を傷めずに祀る方法は、この二十年でずいぶん選択肢が増えた。神具店の棚を一度見ておくと早い。
棚板の代わりに、家具の上を使う。本棚やタンスや食器棚の天板を拭き清め、白い布か半紙を敷いて、その上へ宮形を置く。敷くものを一枚挟むだけで、置き場所の性格が変わる。天板の奥行きが足りないと器が前へはみ出すので、宮形の奥行きを測ってから置き場所を決めておきたい。
家具の天板を使う場合でも、拭き掃除をして白い布か半紙を敷き、その上へ宮形を置くという段取りを踏めば、そこだけ性格の違う場所として区切れた。
高さは立った目線より上。低い家具しか無ければ、壁に付ける小さな棚を突っ張り式で立てる手もある。石膏ボード用の細いピンで留めるウォールシェルフなら、跡がほとんど残らない。突っ張り棒式の棚は耐荷重が小さいので、宮形と神具の重さを足して余裕のある製品を選んでおきたい。
宮形が大きすぎて入らない場合、御札立てを使う。木の板に溝が切ってあるだけの簡単な道具で、幅十五センチほどから売られている。札を立てるだけでも形は成り立った。札立てなら奥行きが数センチで済むため、廊下の収納の上や本棚の一段を空けるだけでも収まった。
もっと簡略にするなら、壁へ直接貼る方法もある。白い紙を一枚貼り、その上へ札を立て掛けて留める。高い位置の壁面を一区画だけ空けて、そこを札の場所と決める。貼る紙は白い和紙か半紙。画鋲ではなく両面テープで留めると、退去のときに跡が残りにくくなる。
向きは南か東を優先する。間取りの都合で取れないことのほうが多いので、拝む人が立てる余地のある壁を選ぶ。玄関の真上や便所と背中合わせの壁だけ外す。隣室との壁が薄い集合住宅では、隣の部屋の便所と背中合わせにならないかまで見ておくと安心できる。向きを南か東へ揃えられない部屋でも、拝む人が一歩下がって立てる余地さえ確保しておけば、日々の拝礼の形は崩れずに保てるという言い方を神具店でもされた。
上の階に人が住むなら、天井へ雲の字を貼る。集合住宅ではこの作法が特に使われてきた。貼れない天井材なら、宮形の上へ小さな雲板を立て掛ける形でも代わりになる。天井が直に貼れない造りなら、宮形の背板の上端へ雲の字を書いた小さな紙を留めるやり方でも代わる。
神具は全部揃えなくていい。水玉と平瓮を二枚、榊立てを一対。この四点があれば日々の供えは回る。
瓶子と火立は朔日のためのものなので、後から足しても遅くない。器が四つでも、毎朝の手順は三社造の棚と変わらない。上げる順番と下げる時刻だけ決めてしまえばいい。
器は神具店で揃えなくても、白い小皿と蓋物で代用できる。ただ、家族の食器と混ぜずに棚専用として分けておくほうが作法にかなう。洗うときも食器用の洗剤を避け、湯で流して柔らかい布で拭き上げる。専用の布を一枚決めておくと早い。
しめ縄も、掛ける場所が無ければ省いてよかった。札立ての上の壁へ小さな紙垂を二枚留めるだけ、という形にしている人もいる。紙垂は画鋲を刺さずに両面テープで留め、年末に新しく切り替える。紙垂と縄をまとめて外すときは、留めたテープを先に剥がしてから紙を抜くと、破らずに片付けられた。
