- 転んだその場で砂をすくい、三度唱える
- 大人が自分で落としたときは胸に手を当てて呼ぶ
- 本式にするか決め、夕方に出直す
- ヒラウコー二枚、ご飯七つ、塩と水と本人の寝巻きを揃える
- ススキ三本でサンを結び、はしごを添える
- 出かける前にヒヌカンへ名前と干支を告げる
- 現場で石を三つ拾い、サンを右に三度回す
- 服で石を包み、名を呼びながら帰る
- 玄関で三度呼んで、三度返事をさせる
- 服を着せ、中指で額に三度水をつける
- ご飯を食べさせ、供え物は家族で分ける
- 翌朝に石を返し、寝巻きは三日洗わない
- 久米島と渡名喜は火の神と仏壇にも手を合わせる
- その日は外へ出さず、石もサンも使い回さない
- 三日たっても戻らないときは見立てを頼む
- 落とした場所が分からなければフールの神に頼む
- 川で落としたなら橋をかけて呼ぶ
- ユタに頼むときは見立てから始まる
- 宮古と多良間は門の外から豚小屋まで名を呼んで歩く
- 石垣は七つ結びの麻紐を首に巻く
- 奄美はユタにマブリを寄せてもらう
- 魂が七つとも十とも数えられる理由
転んだその場で砂をすくい、三度唱える
昭和七年の民俗雑誌『旅と伝説』に、首里のまじないが数行だけ載っている。子どもが転んだら、その場の砂を三度体につけて「マブヤーマブヤー、ウーテクーヨー」と唱えた。これがマブイグミのいちばん短い形。転んだり驚いたりした拍子に抜けたマブイ(魂)を、時間を置かずにその場で呼び戻すわけだ。
いまの家庭でも骨組みは同じ。地面から何かをすくい上げるように両手を動かし、そのまま胸に当てる。これを三度くり返し、唱え言を三回言う。沖縄の仏壇や御願の相談を受ける団体の用語解説は、落としたら先送りにせず、落とした場所で早めに取り戻すよう勧めていた。
唱え言の原文は「マブヤー、マブヤー、ウーティクーヨー」。読みはまぶやー、まぶやー、うーてぃくーよー。ざっくり言うと「魂よ、魂よ、追いかけておいで」で、沖縄の小児保健の会報の論壇でも、この訳で紹介された。大人が子どもに代わって唱えるなら「〇〇のマブヤーヤ、ウーティクーヨー」と名前を頭につけて三回言う形もある。
地域によっては「マブヤーマブヤー、ムドゥティクーヨー」とも言う。ムドゥティは「戻って」なので、戻っておいで、と呼ぶ形になる。首里の記録のウーテクーヨーも含めて、言い回しの揺れはこの程度。どれを使うかは家で言い慣れたほうに合わせればいい。
大人が自分で落としたときは胸に手を当てて呼ぶ
子ども向けに見える作法だけど、大人でもやる。年は関係ない。事故のあと、驚いた場所に行って、両手で空気を囲うようにして胸へ戻す。そう紹介する沖縄の案内もあった。
自分一人でやるなら、胸の心臓のあたりに手を当てて唱える。言葉は「マブヤーマブヤー、ウーティキミソーリ」を三回、という話もある。ウーティキミソーリは「追ってきてください」の丁寧な言い方らしい。
家族がいるなら、本人の服を預けて本式を頼むほうが確かかもしれない。遠慮は要らない。年寄りの家では、祖母が拝む役を務め、手に負えないときだけ外のユタを頼む、という順番を書いた解説もあった。
本式にするか決め、夕方に出直す
目安は驚きの大きさと、落としてからの日数。軽くつまずいた程度なら、すくって唱えるだけで済ませる家が多い。事故に遭った、溺れかけた、ひどく怖い目を見た。そういうときは道具を揃えて本式にやる。
久米島の例は一九九二年の『南島研究』に報告された。大怪我や溺水から助かったとき、本人が普段着ているものを持って現場へ行き、ウガン(御願)を立てて魂を呼び寄せたという。強い衝撃を受けたときは、夕方以降に現場へ出直してサンで地面を叩き、胸に当てる動作を三度する、と案内する手引きもあった。
渡名喜村では夕方に拝むのでユウマブヤーと呼んだ。昼間の騒がしい時間を避け、日が傾いてから出かけるのが一つの型になっている。自分でやってもぼんやりした様子が抜けない、三日以上たってしまった、というときはユタに相談する段取りへ切り替える。
ヒラウコー二枚、ご飯七つ、塩と水と本人の寝巻きを揃える
品数は少ない。本式の品は、家庭向けの手引きを見比べてもほとんど同じだった。ビンシーと呼ぶ御願用の携帯箱に、酒、水、米、塩を入れて持つ。ビンシーが無い家は、酒と水と米と塩を小皿や小さな容器に分けて持っていけば足りる。無理に揃えなくていい。
線香は日本線香なら十二本。沖縄の板状の線香ヒラウコー(平御香)は一枚が日本線香六本分に当たり、二枚でタヒラ、十二本分になる。燃え残りと灰を持ち帰れるよう、線香受けにするアルミホイルを一枚たたんで入れておく。
ご飯は一口大のおにぎりを七個。これに魚の汁物を一杯用意して、家に帰ってから本人に食べさせる。着物は本人がその晩に着て寝る服か寝巻きで、これがマブイを包んで運ぶ袋になる。小石三個は現場で拾うから、家からは持っていかない。
ススキ三本でサンを結び、はしごを添える
魔よけのサンは、ススキの葉を三本そろえて結んだもの。形は素朴。今帰仁村与那嶺では、ススキ三本に竹と蔓を結び合わせて作った。久米島ではゲーン、伊平屋ではゲンと呼び、伊平屋ではススキに桑の葉を合わせたという。
寝る場所に置くためのハサミを一本添える手引きもある。はしごを用意する家もあって、竹を七節に切ったものや、七つ結び目をつけたひも、小さな橋の模型を使う。戻ってくるマブイが体へ登るための足がかり、という見立てらしい。
サンは使い捨て。儀礼が済んだら処分するので、毎回新しく結ぶ。大きいものはススキやカヤを十字に結び、小さいものはイトバショウの葉で作る、と説明する解説もある。
出かける前にヒヌカンへ名前と干支を告げる
最初に台所のヒヌカン(火の神)へ線香を立てる。沖縄の家庭では、家の出来事はヒヌカンを通して取り次いでもらうので、黙って出かけない。ある御願の解説は、ここで「落としたマブイを元の体につけさせ、健康を取り戻させてください」と願うと書いていた。
報告の中身は順番が決まっている。旧暦と新暦の今日の日付、住所、父の名前と干支、母の名前と干支、続柄、本人の名前と干支。そのうえで、ここでマブヤーを落としたようなので、本人の〇〇(続柄)の誰それがこれからマブヤーグミをしてきます、と告げた。
定型の祝詞は無い。言葉は自分の言い方でいいけど、名前と干支と住所だけは省かない。干支が分からなければ、出かける前に調べて紙に書いておくと、現場でも言い間違えずに済む。
現場で石を三つ拾い、サンを右に三度回す
現場に着いたら、人や車の邪魔にならない場所を選ぶ。アルミホイルを広げて線香に火をつけ、ビンシーの酒と水、米、塩を並べた。足元の小石を三個拾い、持ってきた服と一緒に置く。
唱える中身は、ヒヌカンへの報告と同じ名乗りから入る。住所、父母と本人の名前と干支、ここでマブヤーを落としたらしいこと。続けて「〇〇の続柄の誰それが心をこめてマブヤーグミをしますので、この洋服に〇〇のマブヤーをのせて戻ってください」と頼む。「これからは心も体も強くさせてください」と結ぶのが、手引きに載っていた言い方だった。
お願いが済んだらサンを持つ。回す向きは右。線香の煙の上で右回りに三回まわし、そのまま服と石の上でも右回りに三回まわす。マブイがサンに引っかかって服へ移る、という所作だ。
糸満市兼城では、当人の相を述べて祈ってから、唱えながら着物の袖へマブイを入れる動作をした。石を砕き、そのかけらで着物に三回触れたという。石と着物をマブイの受け皿にする点は、家庭の手引きと変わらない。
服で石を包み、名を呼びながら帰る
服で石三個をくるみ、落とさないよう胸に抱えて持ち帰る。行くのは主に祖母や母で、渡名喜村の記録では祖母か母親、ときに神人が務めた。本人を連れていけないときは、服だけ持って大人が代わりに拾いに行き、家で待たせておいていい。
帰り道の決まりとして記録に残るのは、名前を呼びながら歩くこと。多良間島では母や祖母が本人と一緒に門の外へ出て、名を呼びながら歩いた。うるま市南風原では戸口で子どもの名を三回呼び、「ユーバンカメー(夕飯を食べなさい)」と声をかけた。手ぬぐいを子の肩にかけてやったという。
先に本人を家に入れ、拾ってきた人は後から玄関に立つ。後ろを振り返るなという決まりは、ここで当たったマブイグミの記録には出てこなかった。家ごとの言い伝えがあるなら、それに従えばいい。
玄関で三度呼んで、三度返事をさせる
玄関に着いたら「〇〇のマブヤーがついてきました」と家の中へ声をかける。方言なら「マブヤーヤ、ウーティチョンドー」、ついてきたよ、の意味になる。家の中の本人は「はーい」と三回返事をした。
一九八三年の『佐敷町史』が採った南城市小谷の例では、家の人が名前を三回呼び、三回目に本人が返事をした。久米島比屋定でも、戻ると家の中の人がもう一度名前を三回呼んだ。呼ぶ側と答える側の声がそろったところで、マブイが家に入ったとみなす。
服を着せ、中指で額に三度水をつける
持ち帰った服を本人に着せる。頭の上でサンを右回りに三回まわし、背中をトントンと軽く叩いた。奄美大島ではマブリは背筋から抜けると言われていて、背中を叩く所作もこの辺りの感覚とつながる。
塩はほんの少し。頭に少しすり込み、ビンシーの酒と水を中指につける。額にチョンチョンチョンと三回つけるのが決まりで、これをウビナディ(お水撫で)と呼ぶ。石は本人の胸元に持たせておく。
南城市小谷では酒と水を額につけながら「マブヤーマブヤー、ウーティクードー」とくり返した。読みはまぶやーまぶやー、うーてぃくーどー。ついてきたぞ、と言い聞かせる形だ。手引きでは「マブイを込めましたので、これからは強い心と体になり、もうマブイが落ちませんように」と声に出して祈る。
ご飯を食べさせ、供え物は家族で分ける
おにぎりと魚汁を本人に食べさせる。体の外をさまよって腹をすかせたマブイにも食べさせるごちそう、と手引きは説明している。宜野湾市新城では膳の水を額に、小皿の塩を唇につけてから箸を取らせた。
今帰仁村与那嶺では、マブイは椀の水に入ると言われた。多良間島では、供え物の水に埃や虫が入っていれば、魂と本人がしっかり一つになったしるしと喜んだという。その日は本人を外へ出さない。
供え物の始末は、食べて済ませる土地が多い。西原町では供え物を家族全員で食べ、多良間島でも皆で供え物を食べた。石垣の昭和八年の記録にも、供え物は頂戴した、とある。捨てずに家族の口に入れるのが、ここで見た記録の共通点。
翌朝に石を返し、寝巻きは三日洗わない
その晩は服を寝巻きにして寝る。着替えはしない。持ち帰った石とサンは本人の枕元に置いた。ヒヌカンに線香を立てて、マブイグミが無事に終わりました、と報告するのもこのとき。朝にもう一度線香を立て、マブヤーが戻ったことを告げて締める家もある。
翌朝、石は拾った場所へ返しに行く。借りた物は返す、という感覚だろう。サンは処分する。線香の燃え残りと灰はアルミホイルごと持ち帰っているので、家の決まりに従って片づけておけばいい。
三日続ける家もある。寝巻きは三日間洗わずに同じものを着て寝て、寝る場所にサンとハサミを置き、これも三日続ける、と書いた手引きがあった。翌朝に片づけるか三日置くかは家や地域で分かれるから、家の年長者のやり方があるならそちらを優先する。
久米島と渡名喜は火の神と仏壇にも手を合わせる
家での段取りは、島ごとに拝む先が少しずつ違う。久米島の比屋定では、火の神とフールの両方に祈ってからゲーンを三回まわし、当人の名を三回呼んだ。戻ると家の中の人がまた名前を三回呼び、額に三度水をつける。
そのあと花米を頭にのせ、塩をなめさせて、マブヤーメーを食べさせた。花米を頭にのせる手順は、本島の家庭向けの手引きには出てこない。ここが違う。久米島の家なら、この一手を足すのが土地の型になる。
渡名喜村では、子どもの前に膳を置いてから火の神と仏壇を拝んだ。名前を呼びながら水撫でをして、持ち帰った着物をつけさせる。宜野湾市新城の記録でも、帰宅してから祖霊と風呂神(豚便所の神)を祭り、拾った着物を子に着せて膳につかせた。
その日は外へ出さず、石もサンも使い回さない
やってはいけないことは、手引きを並べると三つに絞れる。マブイを込めた日は本人を外に出さない。拾ってきた石を家に置きっぱなしにせず、翌朝に元の場所へ返す。サンは一度きりで、次に使い回さない。
線香は火の始末まで見届ける。現場でアルミホイルの上に立てるのは、地面を焦がさず、燃え残りをまとめて持ち帰るためだ。人の家の前や道路で拝むことになったら、長居せずに済ませて跡を残さない。
死者の儀礼と混ぜないのも大事な線引き。亡くなった人の魂に別れを告げるのはマブイワカシ。四十九日の焼香が済んだあと、水や洗米や酒を死者の安置されていた場所に供えて営む。込めるマブイグミとは向きが逆なので、同じ日に同じ道具で済ませようとしない。
三日たっても戻らないときは見立てを頼む
様子を見る目安は症状。沖縄の小児保健の会報は、マブイを落とすと体がだるくなる、何かをひどく怖がる、眠れなくなる、と書いていた。ぼんやりする、食が細る、夜泣きがひどい、という言い方もよく聞く。喜界島の昭和八年の記録では、人の影が薄く見えたり、首筋が切れたように見えたりしたら魂が抜けていると考えた。
家でマブイグミをしてもこうした様子が続くなら、三日を一つの区切りにしてユタに相談する、というのが手引きの勧め。ユタに頼むと、先祖の仏壇にも行かないといけないと言われることもある。仏壇事の相談を受けるある手引きは、自分でできることは自分でやってみて、と書いていた。
落とした場所がどうしても思い出せないなら、フールの神に頼む形へ移る。本人を現場へ連れていけないなら、服だけ持って大人が代わりに行く。どの形に移るにしても、ヒヌカンへの報告は省かない。
落とした場所が分からなければフールの神に頼む
どこで落としたか分からないときは、フール(豚小屋を兼ねた便所)で拝んだ。琉球大学の萩原左人が二〇二五年の論文で、各地の事例を表にまとめている。一九八三年に萩原自身が聞き取った今帰仁村与那嶺では、行方の知れない魂をプルマブイと呼んだ。
本人は母屋の座敷に内向きに座らせ、水を入れた椀と魚と飯の膳を前に置いておく。年長の女性がフールへ行き、プルヌカミ(フールの神)に酒、塩、米を供えて香を立てて拝んだ。サンでマブイを拾い上げ、本人の頭上で三回まわして「マブヤー、マブヤー」と唱え、早く食べなさいよと声をかけた。
うるま市南風原ではフルに香を十二本立て、サンで着物の中へ魂を招く動作をした。家に戻ると額に水を三回つけ、魔よけに塩を三回なめさせる。西原町では飯、汁、塩、水、酒、香、サンをフドゥヌカミに供え、「ヤナカジウーティクンナーヨー」と唱えた。悪い風はついてくるなよ、というくらいの意味だろう。フドゥーヌカミがマブヤーを連れて来てくれる、と西原では信じられていた。
糸満市兼城の唱え言は、一九六九年の琉球大学民俗研究クラブの調査に採られた。原文は「フルマブヤーチキヤビーグトゥ、マーカイウティン、イチヌマブイ、ナナヌマブイ、チキティクミソーリ」。読みはふるまぶやーちきやびーぐとぅ、まーかいうてぃん、いちぬまぶい、ななぬまぶい、ちきてぃくみそーり。
意味はざっくりこうなる。フルのマブヤーをお付けしますので、どこに落ちていても、生きた魂も七つの魂も付けて込めてください。渡名喜村では、落とした場所が分からないときに限ってフルで拝んだ。いまの家にフールは無いので、家の門かトイレで拝む形を案内する手引きもある。
川で落としたなら橋をかけて呼ぶ
溺れかけた子には橋を使う。御願の解説によれば、連れていく人はマブヤーメー(小さなおにぎり)、花米、酒、ハシグヮーを持つ。ハシグヮーはバショウや竹で作った橋の模型だ。家の手引きにある、マブイが登るためのはしごと同じ役どころになる。
溺れた場所に面した川べりに小石を三個置き、そこへハシグヮーをかけて供え物を並べる。唱え言の原文は「マブヤーイジリヨー、ハシカラヌブリヨー」。読みはまぶやーいじりよー、はしからぬぶりよー。マブヤーよ出ておいで、橋から上っておいで、の意味になる。
川の水を茶碗に汲み、その水を子どもの額に三回つけて終える。宜野湾市新城の大正期の記録にも水辺の例がある。池で失ったときは、池のメダカやカエルを着物に包んで帰った。田畑なら、その場のバッタかススキの葉を包んだという。
ユタに頼むときは見立てから始まる
家でやっても良くならない、落とした覚えがない、日がたってしまった。そういうときはユタに相談する。ユタは自宅で相談を受ける人が多く、奄美の観光解説でも、自宅で客に応じる占い師の形で残っていると紹介された。謝礼は「お気持ちで」と言われることが多いから、額は前もって確かめておくのが無難。
最初はハンジ(判示)、つまり見立て。いつ、どこで、何に驚いて落としたのかを判じてもらう。本人の名前と干支、住所、落としたらしい日と場所を伝えられるよう、ヒヌカンに告げたのと同じ中身を書いて持っていくといい。着物を使う見立ても多いので、本人がよく着る服を一枚持っていけば、そのまま現場で使えて話が早い。
見立てが出たら、ユタが下準備をして家族と一緒に現場へ行く。伊是名島の一九五〇年の報告では、夏痩せした子をユタが見て、マブヤが抜けていると言った。ユタと墓場へ行き、入口で着物を着せるようにして魂を取った。持ち帰って子に着せるまねをしたという。
伊平屋村では飯の膳と小さな鉄の切れ端と石を供え、巫女がゲンを持って豚舎の神を拝んだ。本人の頭の上でゲンを振り回し、「ホーイホーイ、マブイウーテ、クーイュン、メーンカミ、ホーイホーイ」と唱えた。読みはほーいほーい、まぶいうーて、くーいゅん、めーんかみ、ほーいほーい。ホーイは呼び寄せる掛け声で、細かい語意までは確かめきれなかった。
頼む形でも、着物を持っていく、家で着せる、ヒヌカンへ報告する、という骨組みは家族だけでやる形と変わらない。違うのは、落とした場所とマブイをつかまえている神をユタが判じる点と、拝む役をユタが引き受ける点。家族は付き添い役に回る。
宮古と多良間は門の外から豚小屋まで名を呼んで歩く
宮古では魂をタマスと呼ぶ。判じ手はカンカカリャ、あるいはサスという。宮古島市砂川のタマスウカビでは、フズ(豚便所)の神に祈った。タマスをとらえている神を呼んでもらい、返してくれるよう頼んだという。
多良間島ではタマスユラリと呼んだ。母や祖母、近所の年寄りの女性が本人と門の外へ出て、本人の名を呼びながら豚小屋の前まで歩く。塩を供えて唱え事をし、部屋の供え物の前で本人と家族の魂に唱えてから、皆で供え物を食べた。家族の魂にも一緒に声をかけるのが、本島の手引きには無い手順だ。
石垣は七つ結びの麻紐を首に巻く
八重山では魂をタマシィ、判じ手をムヌチやニゲービー、カンピトゥと呼ぶ。二〇〇七年の『石垣市史』に手順が細かく採られている。用意するのは七つ結びの麻紐、本人の下着、小石三個、塩、水、香。
便所の神フリヤーの正面からニガイフチィ(願い口)を唱え、本人の名を三回呼ぶ。麻紐の端を内側へ七回まわし、下着に小石三個を入れて包んで持ち帰った。家では麻紐を本人の首に巻き、小石を懐に入れさせる。
水を飲ませて「タマシィ、クイトリキッタ」と本人に告げて終わる。読みはたましぃ、くいとりきった。魂を取ってきたぞ、という知らせだ。これで締め。
昭和八年に岩崎卓爾が『旅と伝説』に書いた石垣のタマシヒツケでも、フリヤーに線香と花米と御酒を供えた。厠のそばから魂を拾い、藁を病人の首にかけさせて冷たい水を飲ませている。与那国ではムヌチやユタがマブイグミをしたという。麻紐と藁、首にかける物は七十年あまりを隔てても変わらない。正直ちょっと面白い。
奄美はユタにマブリを寄せてもらう
奄美では魂をマブリと呼ぶ。拾う人も違う。瀬戸内町の一九八一年の報告では、魂が抜けて歩き回っているときにユタにマブリユスィ(霊魂寄せ)をさせた。抜けた生霊がユーレイに誘われて連れていかれないように、というのが理由。
喜界島の昭和八年の記録でも、悪い夢や不調が続けば占う人に見てもらい、マブイヨセをした。本島のように家族が現場で石を拾う手順より、判じ手に寄せてもらう形が前に出ているのが奄美の特徴。家でできる部分は、名前を呼ぶことと、着物を着せることくらいになる。
注意が一つ。加計呂麻島で一九八六年に報告されたマブリワシは、死者を供養する巫儀のほう。名前が似ていても、生きている人に魂を戻す儀礼とは別物だから混ぜないこと。
魂が七つとも十とも数えられる理由
ここまでの手順には三と七がよく出てきた。沖縄では魂を一つと数えず、ナナマブイ、七つのマブイという言い方をする。国立民族学博物館の一九八六年の報告には、与那国でマブイは十個あり、七個以上失うと死ぬと語られた例が載っていた。一つ落としたくらいなら、拾えば戻る。
生きている人の魂はイチマブイ、亡くなった人の魂はシニマブイ。マブイグミが相手にするのはイチマブイだけで、死者のほうにはマブイワカシという正反対の儀礼がある。現世とあの世に分かれたと告げて別れを促すものなので、生きている人のマブイグミと取り違えないようにしたい。
