モンゴル高原を車で走ると、峠を越えるたびに石の山が目に入る。
人の背丈ほどのもの。腰の高さしかないもの。色あせた布が幾筋も垂れているもの。
地面から自然に生えてきたようにも見えるけれど、そうではなく、そこを通った誰かが、石を一つ置いた。次の誰かがまた一つ置いた。それが何十年、ところによっては何百年と続いた結果が、あの高まりだ。
この積み重なりを、モンゴル語で「オボー」と呼び、日本語の資料では「オヴォー」「オボ」、漢字表記では「敖包」とも書かれる。この記事では、日本語の文献でもっとも広く使われている「オボー」で統一する。
オボーの面白さは、それが「作品」ではなく「累積」だという点にある。
誰か一人の設計者がいて完成させたものではなく、通りすがりの人間の、ごく小さな所作の積み重ねが、いつのまにか土地の目印になる。祈りの場になり、共同体の中心になっていく。
石を一つ置くという行為が、これほど長い射程を持つ例は、そう多くないだろう。
- この記事の射程と、あらかじめの断り
- オボーとは何か
- 呼称と表記のゆれ
- 語源をめぐる整理
- オボーはどこに立つのか
- 石、柱、布という基本構造
- 十三という数
- 素材の地域差
- 青銅器時代の石造モニュメント
- 起源説の四つの見方
- テンゲルという語の幅
- テンゲリズムという呼び方への注意
- ガザリン・エゼン、土地には主がいる
- 三つの魂と、天へ帰るもの
- 『元朝秘史』が伝える山への礼
- 帝国期の天への祈り
- チベット仏教の伝来と習合
- 清朝期の制度化
- 社会主義期の断絶
- 一九九〇年代以降の復興
- 国家祭祀の再編
- 内モンゴルと外モンゴル
- 牧畜という土台と、その変化
- ブリヤート、バイカルの南に広がる変種
- トゥヴァ、峠のオヴァーとチャラマ
- アルタイ諸族、峠での短い作法
- カルムイク、遠く離れた地に残ったもの
- ラプツェ、マニ石、タルチョとの比較
- 五色の意味と、その揺れ
- ハダグ、青い布の位置
- ハダグの扱い方
- 白い食べものを中心とした供物
- 供物としてふさわしくないもの
- オボー・タヒルガという行事
- 祭りの日取りと季節
- 祭りの進行
- ナーダムとの結びつき
- 参加の資格と、女性をめぐる慣行
- 通りすがりの三周
- 車で通り過ぎるときの作法
- 何を、誰が唱えるのか
- 禁忌の一覧
- 賽の河原の石積み
- 道祖神と塞の神
- 山の神と山開き
- ケルンはまったく別の系統である
- 景観と生態への影響
- 法律の面から見ると
- 他人の土地、境内、立入の可否
- 石を持ち帰らないという原則
- 持ち込まない、持ち出さない
- 峠と登山口での一礼
- 家のなかに「小さな正面」を作る
- やめてよい、やめるべきとき
- 峠で車を止めた話
- 石を積まなかった話
- 旅先で布を結ばなかった話
- 期待しすぎて空回りした話
- 文化の扱いをめぐって気まずくなった話
- プラセボと確証バイアス
- 観光化と商業化
- ケルンをめぐる論争の両面
- 文化の扱いをめぐる両論
- 費用が発生しはじめたら
- 用語の小さな辞典
- よくある質問
- 石を一つ置くという行為
- 実践の型、その設計方針
- 用意するもの
- 日時、方角、回数の目安
- 屋外編の時系列
- 唱え言の全文
- 屋内編の時系列
- 後始末と、片づけ方
- 中止基準をもう一度
- この実践パートの限界
この記事の射程と、あらかじめの断り
最初に、この記事が扱う範囲と扱わない範囲をはっきりさせておく。
扱うのは、自然に対する敬意の表し方、旅の安全を願う所作、自分と自分の家を整える実践、心を鎮めるための型だ。
扱わないのは、特定の誰かに不幸や病や死をもたらすことを目的とした儀礼、攻撃を意図した図案や呪符、他人を対象とする一切の術である。
これは記事の方針であると同時に、オボー信仰そのものの性格とも合っている。
オボーで語られる願いの中心は、雨が降ること、家畜が増えること、旅路が無事であること、家族が病まないことだ。つまり「こちら側が良くあること」であって、「あちら側が悪くなること」ではない。
また、この記事に登場する歴史的経緯や儀礼の細部や数値は、地域差と時代差がきわめて大きい領域にある。
「モンゴルでは必ずこうする」と言い切れる作法はほとんど存在しない。以下の記述は、複数の民族学的研究、旅行記、現地の案内、報道をつき合わせたうえでの「代表的な整理」である。唯一の正解ではないと考えて読んでほしい。
実在の団体や寺院や特定の聖地に触れる箇所では、意識的に留保の表現を用いている。
オボーとは何か
もっとも簡潔に言えば、オボーとは「土地の聖なる点を示す、人の手で積み上げられた標」だ。
構成要素は三つに整理できる。
第一に、石や土や木を積み上げた塚。第二に、その中心に立てられた柱、あるいは束ねた枝。第三に、柱や塚に結わえられた布や旗だ。
この三つが揃っていれば、規模の大小を問わずオボーと呼ばれる。
もっとも、素材の比率は土地によって大きく変わる。木がほとんど手に入らない砂漠地帯では枝を束ねたものが柱の代わりになり、逆に石の乏しい森林地帯では木材が主素材になる。
機能の面から言えば、オボーは四つの顔を同時に持っている。
道しるべとしての顔。土地の境界を示す標識としての顔。土地の主とされる存在への祭壇としての顔で、そして共同体が年に一度集まる場としての顔だ。
この四つは互いに矛盾せず、むしろ層構造として理解するのが、多くの研究の見立てである。実用的な標識だったものに宗教的意味が重なり、さらに社会的機能が乗った、という層構造だ。
呼称と表記のゆれ
「オボー」という語は、地域と言語によって少しずつ形を変える。
モンゴル国のキリル文字表記を仮名に写すと「オボー」。内モンゴルなど中国側では漢字を当てて「敖包」と書き、これを日本語読みすれば「ごうほう」だが、実際にはモンゴル語音に近い「オボー」で紹介されることが多い。
ブリヤートやトゥヴァなどシベリア側では「オボー」「オバー」「オヴァー」といった発音が併存している。
この記事では、以下のように表記を固定する。
総称は「オボー」。祭祀そのものを指すときは「オボー・タヒルガ」。祭祀のあとの共同の集まりは「オボーの祭り」。
青い儀礼布は「ハダグ」とし、「ハタク」「ハダク」という写し方もあるが、ここでは用いない。天を指す語は「テンゲル」とし、「テングリ」は古い形として一度だけ触れる。
語源をめぐる整理
語源については、モンゴル語で「積み重なったもの」「盛り上がったところ」を意味する語幹に由来するという説明が一般的だ。
要するに、名前そのものが「積んだもの」という即物的な意味しか持っていない。神や霊を名指す語ではなく、あくまで物理的な形状を指す語であり、この点は、この習俗の性格を考えるうえで示唆的だろう。
つまり、はじめから「聖なるもの」として名づけられたのではない。「積み上がったもの」がやがて聖性を帯びていった、という順序が、語からも読み取れる。
日本語で言えば「塚」に近い語感かもしれない。塚もまた、単に土を盛ったものを指す語から出発して、祭祀の対象を含む語へと広がった。
オボーはどこに立つのか
立地には明確な傾向がある。
もっとも多いのが峠で、次いで山の頂、丘の上、見晴らしのきく高み。
加えて、泉や川の源、湖のほとりといった水に関わる場所。そして、放牧地の境や、行政区画の境目。
これらに共通するのは、「移動のなかで通り過ぎる地点」だということ。そして同時に「移り変わりの地点」だということだ。
峠は、こちらの谷とあちらの谷の境目であり、そこを越えれば景色も風も変わる。水源は、水がこの世に現れ出る点で、境界は、自分たちの領域と他者の領域の切れ目になる。
人が心理的に身構える場所、あるいは何かを区切りたくなる場所。そこにこの標は立つ。
これは日本の道祖神や峠の地蔵と非常によく似た配置感覚だ。後の節で比較するが、「境目に何かを置きたくなる」という感覚自体は、遊牧民に固有のものではない。
石、柱、布という基本構造
典型的なオボーを、下から順に見ていこう。
基部は石積みで、人の頭ほどの石を円錐形に積み上げていく。大きなものは高さが数メートルに達し、直径も十数メートルに及ぶ。
石と石のあいだには、後から差し込まれた枝や、風で押し込まれた布が挟まっている。
中央には柱が立つ。木の幹をそのまま使うこともあれば、細い枝を何本も束ねて立てることもある。
この柱は、天と地をつなぐ縦の軸として説明されることが多い。垂直に伸びるものが上と下を媒介するという発想は、シベリアから中央アジアにかけて広く見られる。シャーマンの用いる柱や、家屋の中心柱の観念とも通じている。
最上部と柱の周囲には、布が結ばれ、青一色のこともあれば、五色を並べることもある。
風が吹くたびに布がはためく。この「はためき」自体を祈りの持続とみなす考え方は、チベット圏の祈祷旗と共通している。
加えて、雑多なものが置かれていることがあり、松葉杖のように立てかけられた枝、家畜の頭骨、車の部品、硬貨、菓子。
これらは供物であり、同時に「ここに来た人がいた」という痕跡でもある。
十三という数
規模の大きなオボーでは、群を成す形式が見られる。中央に一基、その周囲に十二基を配置して、合計十三基で一つの群を成す形式で、中央が主、周囲が従という構成である。
この十三という数の由来については複数の説明が並立している。
天界を十三層と数える古い宇宙観に対応するという説。周囲十二が十二支や十二方位に対応するという説。仏教的な数の体系を後から重ねたものという説だ。
どれか一つに決着しているわけではなく、実際、十三基でない群も珍しくなく、七基、九基といった構成も報告されている。
大事なのは、数そのものより「中心と周縁」という構造が意識されている点だろう。
中央の一基が土地全体の主を、周囲の複数がその眷属や下位の領域を表す。この理解が、多くの地域で共有されている。
素材の地域差
素材は、その土地で手に入るものが使われ、当たり前のようだが、これがオボーの見た目を大きく変える。
石の豊富な山地では、純粋な石積みになり、森林の縁では、丸太を組んだ櫓状のもの。砂漠地帯では、砂を盛り、乾燥に強い低木の枝を差し込んだもの。
湿地や草原の真ん中で石も木も乏しい場所では、土を盛って草を被せただけのものもあり、遠目には自然の起伏と区別のつかない姿だ。
つまり「石積み」という言い方は便宜的なものにすぎなく、本質は「その土地にあるものを、人の手で高く積む」ことにある。
何を積むかは二の次で、積むという行為のほうが定義的なのだ。
青銅器時代の石造モニュメント
オボーそのものの起源は文献上たどりきれなく、ただ、モンゴル高原には、はるかに古い時代から石を積む文化があった。
よく知られているのが、ヘレクスルと呼ばれる積石塚だ。
石を高く積み上げ、その周囲を方形または円形の石列で囲んだ構造である。大きなものは高さ数十メートル、囲いの一辺が二百メートルを超えることもある。
年代はおおむね紀元前十世紀から紀元前六世紀とされ、囲いの外側に並ぶ小さな石堆からは馬の骨が出土する。埋葬された人物への供犠と考えられている。
もう一つが鹿石で、細長い石柱に、様式化された鹿の文様や武具の意匠を刻んだもので、ヘレクスルと近接して発見されることが多い。この二つは、二〇二三年に関連遺跡群として世界遺産に登録された。
これらとオボーを直接つなげる証拠はなく、用途も、埋葬記念物と祭祀標識ではかなり違う。
ただ、「石を積み、垂直の石柱を立て、その周囲に供物を置く」という所作の型が、この地域に三千年近く前から存在していたことは確かだ。
オボーは、その長い連続性のなかの、比較的新しい層と位置づけるのが穏当だろう。
起源説の四つの見方
オボーの起源については、大きく四つの説明が並んでいる。
第一に、道標説。石も木も乏しく、目印になる地形の少ない草原で、人が移動の目安として積んだものが原型だという見方だ。現地の案内でもこの説明はよく聞かれ、実用が先で信仰が後、という順序を想定している。
第二に、境界標識説。放牧地の境や氏族の縄張りを示す標識が原型だという見方である。後に清朝が旗の境界を定めるにあたってオボーを用いたことは記録に残っている。少なくとも一定の時期にこの機能が強く働いたことは確かだ。
第三に、祭壇説。もともと土地の主や天に捧げものをするための高台として築かれたという見方で、石の高まりを「捧げものを置く台」と理解する。
第四に、墓標説。古い墳丘や供犠の跡が、後世に聖所として再解釈されたという見方である。実際、古い石積み遺構の上に後から布が掛けられている例は珍しくない。
研究の主流は、これらを排他的な選択肢とは見ない。
実用的な標識としての起源に、土地の主への祭祀が重なり、さらに行政的な境界機能が乗り、最後に仏教的な意味づけが加わった。そういう多層の積み重ねとして捉える見方が一般的だ。
積み上がった石そのものと同じで、意味もまた層をなしているわけである。
なお、別の説もある。現在の形に近いオボー信仰が広く定着したのは十六世紀後半以降、つまりチベット仏教が本格的にモンゴルへ入って以降の比較的新しい現象だ、とする説だ。
古層と新層のどちらを強調するかで、この習俗の見え方はかなり変わってくる。
テンゲルという語の幅
モンゴルとシベリアの自然崇拝を語るとき、避けて通れないのが「テンゲル」という語だ。
古い形は「テングリ」で、突厥碑文などにも現れる、ユーラシア内陸に広く分布する語彙であり、以下では「テンゲル」で統一する。
この語の訳語は一つに定まらない。
物理的な空、天という空間、天そのものである最高神、複数いる天の神々。さらには「運命」「巡り合わせ」に近い抽象概念まで、文脈によって意味が動く。
日本語の「天」がもつ幅と、かなり近いかもしれない。
古い宇宙観では、世界は垂直に三層をなすと考えられていた。上に天、下に大地、そのあいだの空間に人と家畜が生きる。天は父に、大地は母にたとえられる。
仏教が入る前の段階では、地下に「地獄」に相当する層は想定されていなかった。下にあるのは水と土だけだ。
天は、命を与えるものとして語られる。
人は天から生を受け、天が熱と光を与え、雨を降らせることで生きものが息づく。逆に言えば、旱が続くこと、家畜が斃れること、疫病が広がることは、天との関係が損なわれた徴と解される。
オボーでの祈願がしばしば「雨乞い」に収斂するのは、この構図から自然に導かれる。
テンゲリズムという呼び方への注意
近年、この天の信仰を「テンゲリズム」と呼び、体系化された民族宗教として語る言説が、中央アジア各地とその周辺で見られる。
民族的な自意識の高まりと結びついた運動的な性格をもつことが少なくない。
ただし、歴史学と民族学の側から見ると、この呼称にはやや注意が要る。
かつての天の信仰は、教義書も教団組織も持たない、緩やかな習俗の束だった。それを近代的な「宗教」の枠にはめ直し、体系を再構成する作業は、どうしても後代の解釈を含む。
「古代からこの通りに信じられていた」という語り口に出会ったら、いったん距離を置いて受け取るのが安全だろう。
この記事では、テンゲルを「天をめぐる観念群」として扱う。統一された教義体系としては扱わない。
ガザリン・エゼン、土地には主がいる
天と対をなすのが、大地とその各所に宿るとされる「主」の観念だ。
モンゴル語で「ガザリン・エゼン」、直訳すれば「土地の主」。山には山の主、水には水の主、峠には峠の主がいる、という考え方である。
この「主」は、日本語の「神」よりも「主人」「持ち主」に近いニュアンスをもつ。
だから作法も、崇拝というより訪問の礼に近い。よその家に上がるときと同じで、勝手に踏み込まなく、断りを入れ、手みやげを置く。
散らかさなく、長居しない。
オボーでの所作の多くは、この「訪問の礼」として読むとすっきり理解できる。
そして見落とせないのは、この主が必ずしも善意の存在とは限らない点だ。
粗末に扱えば機嫌を損ねる。水を汚せば怒る。掘り返せば災いが返ってくる。恩恵と災厄の両方を握っている隣人、という理解に近い。
恐れと親しみが同居しているわけだ。
三つの魂と、天へ帰るもの
後代の民族誌が伝える説として、人には三つの魂があるとするものがある。
母から受け継ぐ血肉の魂。父から受け継ぐ骨の魂。そして天から授かる魂だ。
死後、前の二つは肉体の朽ちるとともに消え、天の魂だけが天へ還る。そういう筋立てである。
この説がどこまで古く、どこまで広く共有されていたかについては議論があり、地域差も大きい。
ただ、「人の一部は天に由来し、天に帰る」という発想があったとすれば、いくつかのことが分かりやすくなる。天を仰いで祈ること、高いところに祭壇を築くこと、垂直の柱を立てることの動機だ。
なお、輪廻や地獄の観念は、チベット仏教の浸透とともに後から重なったものと整理されるのが一般的である。現在の民間の語りでは、古い層と仏教的な層が分かちがたく混ざっている。
『元朝秘史』が伝える山への礼
モンゴル語で書かれた最古級の史書『元朝秘史』に、印象的な場面がある。
後にチンギス・ハンとなるテムジンが、敵に追われて山中に逃れ、命を拾った場面だ。そこで彼は、この山を朝ごとに祭り、日ごとに祈ると誓う。
この記述は、十三世紀の段階で一つの観念が明確に成立していたことを示している。「特定の山を、命を救ってくれた存在として祀る」という観念が、支配層のレベルで成立していた。
オボーという形式がそこにあったかどうかは別として、山を祀るという行為の系譜は、少なくともこの時代までさかのぼれる。
この山は、モンゴル国東部の大ブルカン・カルドゥン山に比定されるのが通説だ。二〇一五年に周辺の景観とあわせて世界遺産に登録された。登録の理由づけにも、山岳祭祀と天の信仰の伝統が挙げられている。
もっとも、比定そのものに異論がないわけではなく、念のため付記しておく。
帝国期の天への祈り
モンゴル帝国期の外国人記録には、モンゴル人が天に祈る所作がいくつか描かれている。
帽子を脱ぎ、帯を肩や首にかけ、天に向かって跪拝し、乳や酒を指ではじいて天と四方に散らす。
こうした所作は、儀礼の様式が定まっていたというより、生活の中の作法として広く共有されていた印象を与える。
乳を指ではじいて散らす所作は、現在もモンゴルで日常的に見られる。
木製の小さな匙で乳を掬い、天へ、太陽へ、四方へと振りまく。旅立ちを見送るとき、家を出る人の背に向かって乳を振りまく光景は、今も各地で報告されている。
オボーでの供物のうち、もっとも古い層に属するのはこの所作だろう。
チベット仏教の伝来と習合
十六世紀後半、モンゴルの有力者とチベット仏教の高僧のあいだに関係が結ばれた。これを契機に、チベット仏教がモンゴル社会へ本格的に浸透する。
以後、寺院が各地に建ち、僧侶が育ち、経典がモンゴル語に訳されていった。
このとき、既存の土着の習俗は消えなかった。むしろ、仏教の枠組みに読み替えられて存続する。
土地の主は仏教的な護法尊や地の神として再定義された。オボーは護法尊を祀る場として位置づけ直された。
石積みの上に仏塔を模した造形を載せる例。経文を刻んだ石を積む例。マニ車を備える例で、これらは、この読み替えの産物だ。
日本の神仏習合を知る読者には、この過程は理解しやすいはずである。既存の土地の神を仏教の体系に組み込み、外来の教えと在来の習俗を両立させる。手つきがよく似ている。
習合の最も目に見える結果が、祭祀の場に僧侶が立つようになったことだ。
それ以前、オボーでの祭祀を主導していたのはシャーマンや長老だった。仏教の浸透後、地域によってはシャーマンが排除され、僧侶が主導権を握る。
祭祀の日取りは僧が暦を見て定める。当日は僧が経典を読誦し、香を焚き、供物を清める。祈願の文言も、チベット語やモンゴル語の定型的な祈願文へ置き換わっていった。
もっとも、置き換えの徹底度には大きな地域差がある。
シャーマンと僧が同じ場で役割を分けて共存している地域。季節によって主宰者が入れ替わる地域。いったん僧に置き換わったあと社会主義期を経てシャーマンが戻った地域で、実態はさまざまだ。
なお、この読誦は、僧侶という専門職が担う儀礼行為である。参拝に訪れた一般の人がそれを真似て行うものではなく、この区別は、後述の実践パートでも大事になる。
清朝期の制度化
十七世紀以降、モンゴル各地は清朝の統治下に組み込まれ、「旗」と「盟」という行政単位が編成された。
このとき、オボーは行政の道具としても機能しはじめる。
旗の境界を示すオボーが定められた。旗を単位とした祭祀が公式行事として行われ、祭祀の費用は旗が負担し、参加は義務に近い性格を帯び、日取りも公的に定まった。
信仰であると同時に、統治と徴税と境界確定の装置になったわけだ。
この時期に、オボーは階層化される。
盟の規模で祀る大きなもの。旗の規模で祀るもの。村落や氏族の単位で祀るもの。一家が祀る小さなもの。それぞれに祭祀の規模と参加範囲が対応する。
現在、内モンゴルの各地で「どのオボーは誰が祀るのか」が厳密に決まっており、その背景には、この時代の編成が影を落としている。
牧地をめぐる争いの記録にオボーが頻出することも、この時期の性格をよく示している。境界標であるがゆえに、動かされ、争われ、公文書に書き込まれた。
社会主義期の断絶
二十世紀に入ると、オボー信仰は二つの国家で、それぞれ異なる形の抑圧を受けた。
モンゴル国、当時はモンゴル人民共和国では、一九二〇年代以降、宗教は「封建的迷信」と位置づけられたのだ。一九三〇年代には大規模な弾圧が行われる。
多数の寺院が破壊され、僧籍にあった者が粛清の対象となった。オボーへの公然たる参拝も禁じられる。
ただし、記録によれば、参拝が完全に絶えたわけではなく、人目を避けて続けられていた。制度としての祭祀は消え、個人の所作としては生き延びた、と整理できる。
内モンゴルでは、文化大革命期に集中的な破壊が起こった。
オボーは取り壊され、祭具は焼かれ、シャーマンの用いる神像も失われた。
この時期の断絶は、単に儀礼が止まったというだけではない。「誰がどう祀るか」という知識の継承そのものを断ち切った点で深刻だった。
一九九〇年代以降の復興
情勢が変わるのは、内モンゴルでは一九八〇年代、モンゴル国では一九九〇年前後だ。
モンゴル国では民主化にともなって宗教活動が自由化され、寺院が再建され、オボーが各地で復興された。内モンゴルでも改革開放の流れのなかで、地域社会が主導してオボーを再建する動きが広がる。
ただし、この復興は「元通りの再現」ではなかった。
断絶によって細部の記憶が失われていたためだ。復興は多くの場合、断片的な記憶と、書物や周辺地域の事例を参照した再構成として行われた。誰がどこまで正しいかをめぐって、地域内で意見が割れる場面もあったと報告されている。
さらに、復興と同時に新しい要素も入り込んだ。
行政が主催する祭祀。観光資源としての整備。写真映えを意識した造形だ。
復興したオボーは、往時のそれとは別のものを含んでいる。これを「変質」と見るか「生きた伝統の常態」と見るかは、評価の分かれるところだろう。
国家祭祀の再編
モンゴル国では、独立後の国づくりのなかで、山岳祭祀が国家的な行事として位置づけ直された。
一九九五年には大統領令によって、国家が祭祀を行う山とオボーが定められた。その後、対象は十ほどに広がったと伝えられ、首都の主要な寺院が祭祀の実務を担い、大統領が参列する年もある。
この再編には二つの側面がある。
一つは、失われかけた祭祀を国が支えることで、確実に次世代へ渡す効果。
もう一つは、地域の習俗を国家的象徴へと組み替えることで、地域固有の意味あいが薄まる効果だ。
どちらか一方だけを見て評価するのは公平ではないだろう。
なお、モンゴルの伝統的な聖地祭祀の慣行は、二〇一七年に国際連合教育科学文化機関の無形文化遺産に記載された。それも「緊急に保護する必要がある一覧」のほうにだ。
「守るべきもの」ではなく「消えかけているもの」として登録された点は、注意して受け取るべきである。
登録の際の課題として挙げられたのは、社会主義期の禁止による断絶、急速な都市化と人口移動、担い手の高齢化、鉱山開発による聖地への影響だった。
内モンゴルと外モンゴル
同じオボーでも、国境の内と外では、置かれている状況がかなり違う。
モンゴル国側では、オボーは国民的な文化の象徴として、比較的わかりやすい位置を占めている。
国家祭祀があり、観光資源でもあり、日常の作法としても生きている。都市に住む人が休日に郊外のオボーを訪れる、という形の実践も広がっているらしい。
内モンゴル側では、事情がやや複雑だ。
二〇一四年に行われた調査ではおよそ三千七百四十七基のオボーが登録された。そのうち歴史的な知名度と現在の影響力から七十二基が代表的なものとして選ばれた、と報じられている。
この「数え上げ」と「選抜」という手つき自体が、文化資源として管理する方向を示している。
そして、そこから観光地化が進む。柵で囲われ、入場料を取り、施設が整備される。
ある地域では入場料が百二十元に設定され、周辺に暮らす人が自由に参拝しづらくなった、という報告がある。その結果として、地元の人々が別のオボーを新たに祀りはじめた、という反応も記録されている。
祀る場が観光の対象になったとき、祀る側は静かに場所を移す。この動きは、信仰の実態を考えるうえで示唆に富む。
一方で、観光化されずに残っているオボーも多い。また観光化された場合でも入場料を取らず市民の憩いの場として機能している例もある。「内モンゴルのオボーは商業化された」と一括りにするのは、正確ではない。
牧畜という土台と、その変化
もう一つ、内モンゴル側で進行しているのが、生業そのものの変化だ。
オボーをめぐる習俗は、牧畜という生業に深く根ざしている。
雨を乞い、草の育ちを願い、家畜の増加を祈る。祭祀の日取りも、季節移動と家畜の周期に合わせて決まっていた。
ところが、放牧が制限され、農耕化や定住化が進み、土地を貸して収入を得る暮らしへ移ると、この土台が揺らぐ。
ある地域では、放牧禁止区域において住民の大多数が牧民ではなくなり、土地の賃料が主たる収入になった、という調査報告もある。
それでもオボーの祭祀は続く。ただし、その意味は変わっていく。
雨乞いの実務的な祈願から、「牧畜民であったこと」を確認する記憶の装置へ。
生業から切り離された儀礼が、アイデンティティの表現として残る。これは日本の農村儀礼にも見られる変化で、決して珍しいことではない。
ブリヤート、バイカルの南に広がる変種
ロシア連邦のブリヤート共和国とその周辺に暮らすブリヤートの人々は、モンゴル系の言語をもつ。そしてオボーによく似た聖所を各所に築いてきた。
ブリヤートでの特徴は、木の柱の比重が大きいことだ。
バイカル湖のオリホン島などでは、十三本の木の柱が並び立つ景観がよく知られている。これらの柱は、その地の主とされる存在の子らを表すと説明されることが多い。
柱には色とりどりの布が結ばれ、周囲には乳や菓子や硬貨が置かれる。
もう一つ、道端の小さな聖所を指す言い方がある。車で通りかかった人が短く立ち寄って乳や酒をひとしずく振りまいて去る、という実践が広く行われている。
長時間の儀礼ではなく、通過のついでの数十秒で、この「軽さ」こそが、日常の作法として生き残った理由でもあるだろう。
現地の案内でしばしば注意されるのが、布の結び先である。
「布は生きた木に結んではいけなく、木が病んで枯れる」という説明が、はっきりと言葉にされている。定められた柱、あるいは既に多くの布が結ばれている場所にだけ結ぶ。
この点は、後半で扱う日本での応用にも直結する大事な注意だ。
なお、ブリヤートでは社会主義体制の終焉後にシャーマニズムの復興が急速に進んだ。それが民族的な自意識の再構築と結びついた経緯が、複数の研究で論じられている。
復興は「元に戻った」のではなく「新たに組み立て直された」側面が強い、という指摘だ。
トゥヴァ、峠のオヴァーとチャラマ
トゥヴァ共和国では、同種の聖所が「オヴァー」に近い音で呼ばれる。
峠や山頂に石を積み、木を立て、そこに色布を結ぶ。構造はモンゴルのオボーとよく似ている。
トゥヴァで特徴的なのが、色布を指す「チャラマ」という語だ。
聖所の枝や柱に結ぶ細い色布のことであり、宇宙、雄大さ、美しさ、知恵、自然。目にして心が動くものすべてへの敬意を表すもの、と地元の音楽家が説明しているのを読んだことがある。
供物としては、乳や乳製品といった白い食べもの、そして香りの高い低木の枝を焚くことがよく挙がる。この地域には、乾いた枝葉を焚いて場と身を清める習慣が広く根づいている。
トゥヴァの宗教環境は、チベット仏教とシャーマニズムが並存する点でモンゴルと共通しており、ただし独特の経緯をもつ。ソビエト期の断絶を経て、シャーマンの職能が公的に組織化されたという経緯だ。
ここでも、復興が制度化をともなったわけである。
アルタイ諸族、峠での短い作法
アルタイ共和国とその周辺でも、峠に石を積み、木の枝に布を結ぶ習俗が広く見られる。峠の名を冠した聖所が地図に載っていることも珍しくない。
この地域で語られる作法は、おおむね次のようなものだ。
峠に着いたら車を止め、静かに降りる。大声を立てなく、石を一つ足す、あるいは布を結ぶ。乳や茶を四方に振りまく。写真を撮る前にひと呼吸置く。
長居せず立ち去る。
そして、明確に語られる禁忌がある。
積まれたものを崩さなく、置かれたものを持ち帰らず、生きた木を傷つけない。そして、分解しないものを結んだり置いたりせず、最後の点は、近年とくに強調されるようになった。
カルムイク、遠く離れた地に残ったもの
ヨーロッパ・ロシアのカスピ海北西岸に、カルムイクの人々が暮らしており、モンゴル系の言語をもち、チベット仏教を信仰する人々だ。
十七世紀に西モンゴルの集団の一部が西へ移動して定着した人々の末裔である。
彼らは草原を数千キロ隔てて移動したが、石を積んで祀る習俗の記憶を保持した。
ただし、周囲の環境も宗教環境も大きく違うため、形は変化している。また、二十世紀半ばの強制移住という過酷な歴史が、伝承に決定的な断絶をもたらした。
復興は、モンゴル国や内モンゴルよりもさらに困難な条件のもとで進んでいる。
離散のなかでも石を積む習俗の記憶が残ったという事実は、示唆的だ。この習俗が土地に縛られたものであると同時に、人が携えて運べるものでもあったことを示している。
ラプツェ、マニ石、タルチョとの比較
オボーとよく似た習俗は、チベット文化圏にもあり、比較しておくと、オボーの輪郭がはっきりする。
峠や山頂に築かれる石積みと矢束の集合体は、チベット語で「ラプツェ」に近い音で呼ばれる。
矢を束ねて立てるという点がモンゴルのオボーとやや異なり、山の神に矢と武具を捧げるという発想が強く出ている。
「マニ石」は、六字の真言などを彫った石で、これを道端や峠に積み上げたものは、長大な石垣状になることもある。
オボーが「無名の石を積む」のに対し、マニ石は「文字を刻んだ石を積む」。文字が加わることで、積む行為が読誦の代行という意味を帯びる。
「タルチョ」は五色の祈祷旗であり、風になびくことで経文が読まれたのと同じ功徳が生じるとされる。風馬の意匠を刷ったものはとくに「ルンタ」と呼ばれる。
この三つとオボーの違いを一言で言えば、こうなり、オボーは「積む」が中心で、チベット圏の習俗は「掲げる・刻む」の比重が大きい。
もちろん実際には混ざり合っていて、境界は曖昧だ。
五色の意味と、その揺れ
祈祷旗の色の並びは、青、白、赤、緑、黄の順が広く知られている。これが天、風、火、水、地という五つの要素に対応する、という説明が一般的だ。
モンゴル側での色の語感を重ねると、次のように整理できる。
青は天そのものの色であり、永遠と忠実を表す。単色で用いるなら、まずこの色が選ばれる。
白は清らかさとめでたさ。乳製品を「白い食べもの」と呼ぶ言い方があり、供物の中心概念と重なる。
赤は火であり活力。緑は水と草の恵み。
黄は大地であり、仏教が入ったあとは僧の色という含みも重なった。
ただし、この対応は絶対ではなく、地域によって、宗派によって、時代によって揺れる。色の順序が違う旗も、対応する要素の説明が違う伝えも、実際に存在する。
ここで示した色の配当も「代表的な整理の一例」であって、正解表ではないという前提で読んでほしい。
ハダグ、青い布の位置
ハダグは、絹または絹に似た薄い織物でできた細長い儀礼布だ。
長さは一メートル前後のものが一般的で、両端に房や折り返しのあるものもある。
色は複数あるが、モンゴルで最も重んじられるのは青で、天の色だからである。
次いで白。祝いの場や年始の挨拶、目上の人への贈答には、これらの色のハダグが用いられる。
黄色は僧や寺院に関わる場面で使われることが多く、一般の贈答での使用頻度は下がる。
ハダグの用途は、オボーに結ぶことに限らない。
人と人のあいだで交わされる贈答の礼具でもあり、年始に目上の人へ差し出す、遠方から来た客を迎える、旅立つ人を見送る。そういった場面で用いられる。
つまりハダグは、「敬意を形にして渡すための布」で、オボー専用の呪具ではない。
この位置づけは大切であり、ハダグを「霊験のある道具」と受け取ると、扱いを誤りやすい。
むしろ、日本で言えば熨斗や風呂敷、あるいは供花に近い。中身より、差し出す作法のほうに意味がある。
ハダグの扱い方
現地で観察されるハダグの扱いには、いくつかの共通した所作がある。
まず、両手で扱うこと。片手で放り渡す、片手でつまんで結ぶ、という扱いは避けられ、手のひらを上に向けて広げ、布を載せるようにして持つ。
次に、折り目の向き。折られた布を開いて相手に向ける、開いた側を相手に向ける、といった細かい所作が地域によってある。
日本の熨斗紙の向きと同じで、地域差が大きく、統一された唯一の正解はない。
結ぶときは、既に多くの布が結ばれている場所を選び、柱や横木にゆるく結ぶ。固く縛り上げなく、生きた木の幹や枝に食い込むように締めることは避ける。
結び目は、ほどけない程度に、しかし木を絞めない程度に。
そして、量。既にたくさん結ばれている場所に、さらに一枚を加えるという行為は、参加の表明であって、目立たせる競争ではない。
大きな布や派手な布を掲げて存在感を出そうとするのは、この習俗の趣旨から外れる。
白い食べものを中心とした供物
オボーに捧げられるものは多岐にわたる。ただ、伝統的な中心にあるのは「白い食べもの」、つまり乳製品だ。
乳、乳茶、乳から作る各種の食品。
これを指ではじいて散らす。小さな匙で四方に振りまく。器に入れて置く。
乳は最も清浄で、最も惜しむべき糧であり、それを惜しまず差し出すことが敬意の表現になる。
これに次ぐのが、穀物や菓子で、そして、酒。発酵させた馬乳の酒や、蒸留酒が捧げられ、地面と天に向けて数滴を振りまく所作が伴うことが多い。
香を焚くこともあり、乾いた香草や低木の枝を焚き、その煙で場と身を清める。この所作は、シベリアからチベットにかけて広く見られる。
石を一つ加えることも、供物の一種と見なせるだろう。
手ぶらであっても、足元から石を一つ拾って積むという形で、誰でも参加できる。この「敷居の低さ」が、この習俗の広がりを支えてきた。
供物としてふさわしくないもの
近年、現地でも観光の案内でも、はっきりと注意されるようになった点がある。
分解しないものを置かない、ということだ。
空き瓶、飲料の容器、包装、造花。そして布に見えて実は化学繊維の紐。こうしたものが聖所を埋めていく問題は、モンゴルでもシベリアでも各地で指摘されている。
ある調査では、聖所の環境上の問題が数字で示された。置かれた物品が散乱している状態を挙げた回答が四割。食べものの供物が野生動物を引き寄せ臭気の原因になっている状態を挙げた回答が二割ほど。そう報じられている。
金属や硬貨も、量が積み上がれば同じ問題を起こす。腐らないものは、いつまでもそこに残る。
そして、酒の瓶。
酒そのものを振りまくことと、瓶を置いて帰ることはまったく別の行為だ。前者は伝統的な供物だが、後者は近代以降に生じた副産物にすぎない。この点は現地の人々自身からも、しばしば苦言として語られている。
「昔からある習俗だから何を置いてもよい」という理屈は成り立たない。むしろ、伝統的な供物ほど自然に還るものだった、という事実のほうを見るべきだろう。
オボー・タヒルガという行事
年に一度、あるいは数年に一度、地域の人々が集まってオボーを祀る行事がある。「オボー・タヒルガ」と呼ばれ、直訳すれば「オボーを祀ること」だ。
この行事は、二つの部分から成る。
前半が祭祀そのもの。後半が、祭祀を終えたあとの共同の集まりである。
前半は厳粛で、参加資格や作法に制限がかかり、後半は賑やかで、飲食があり、競技があり、歌がある。この落差が大きいのが、この行事の特徴だ。
日本の祭礼を思い浮かべると理解しやすいだろう。神事があり、そのあとに直会があり、前半だけでも後半だけでも成立しない、という構造がよく似ている。
祭りの日取りと季節
日取りは地域によって大きく異なるが、いくつかの傾向がある。
最も多いのが、夏に行うものだ。
旧暦の五月中旬を当てる地域が多い。たとえば内モンゴルのある地域では、旧暦五月十三日が民間の祭祀日、五月十八日が行政主導の祭祀日と、二つの日付が並立している例が報告されている。
同じオボーに二つの祭日があり、この状況自体が、現代のオボーが置かれた立場をよく表しているかもしれない。
夏の祭祀が多い理由は明快だ。
冬から春にかけての最も苦しい時期を越え、草が伸び、家畜が肥え、人が動きやすくなる季節だからである。同時に、これから雨が必要になる時期でもある。
感謝と祈願が重なる季節に、祭りが置かれているわけだ。
一方で、春と秋に行う地域もあり、旱のときに雨を乞い、冬を前に穏やかな越冬を願う、という説明がなされる。また、数年に一度だけ大祭を行い、それ以外の年は簡略に済ませる形式もある。
いずれにせよ、日取りは僧や暦の専門家が定めるのが通例だ。外から来た者が「今年はいつですか」と尋ねても、直前まで決まっていないことがある。
祭りの進行
地域差を承知のうえで、しばしば報告される進行を並べておこう。
前日までに、オボーの補修が行われ、崩れた石を積み直し、古びた柱を替え、傷んだ布を取り替える。この補修作業自体が儀礼の一部であり、参加者を限る地域もある。
当日、早朝に人が集まる。到着した者から順に、石を積み、布を結び、供物を置く。
やがて主宰者が場を整える。
僧が主導する場合は、経典の読誦が始まる。香が焚かれ、供物が清められ、祈願の文言が唱えられる。シャーマンが主導する地域では、太鼓を打ち、歌い、憑依の所作が伴うことがある。
続いて、参加者が一斉に、あるいは順に、オボーの周囲を時計回りに三周し、回りながら、供物を捧げ、祈願を口にする。
祈願の内容は、おおむね決まっている。
雨が降ること。草が育つこと。家畜が増えること。人が病まないこと。旅路が無事であること。
共同体が平安であること。
特定個人の栄達や、他者の不幸を求める文言は、この場に馴染まない。
祭祀が終わると、場が緩む。持ち寄った食べものが広げられ、酒が回り、歌が始まる。そして競技が行われる。
ナーダムとの結びつき
祭りの後半で行われる競技は、モンゴルの三つの伝統競技であることが多い。相撲、競馬、弓射だ。
この三競技を中心とする祭典を「ナーダム」と呼ぶ。
国家的なナーダムは毎年七月に首都で盛大に行われ、それとは別に、地域ごとの小さなナーダムが各地で開かれる。
オボーの祭祀に続けて小さなナーダムを行う。この組み合わせは、各地で報告されている定型だ。
この結びつきは偶然ではないだろう。
祭祀は共同体の範囲を確認する行為であり、競技は共同体の成員が力を競い、序列と結束を確かめる行為だ。どちらも「私たちは誰か」を再確認する装置として働いている。
参加の資格と、女性をめぐる慣行
祭祀の前半には、参加を限る慣行がある地域がある。
とりわけ、女性の参加や、聖山への登頂を制限する慣行が、複数の地域で報告されてきた。
この点については、いくつか整理が必要だ。
第一に、これは地域差が非常に大きい。制限が厳格な地域、緩やかな地域、まったく制限のない地域があり、「モンゴルでは女性は参加できない」という一般化は誤りだ。
第二に、制限がある地域でも、その内容は一様ではない。
祭祀の中心部にのみ制限があり、周辺での参加は自由という形。聖山の頂上への登頂だけが制限される形。特定の年齢層に限る形で、さまざまである。
子どもや女性のために、麓に別の小さなオボーを設けて参拝できるようにしている例も報告されている。
第三に、この慣行は変化しつつあり、復興の過程で緩められた地域も、逆に「古い形」として厳格化された地域もある。
日本の女人禁制をめぐる議論と同様、伝統の名のもとに何が守られ何が新しく作られたのかは、慎重な検討を要する論点だろう。
外から訪れる立場としては、事前に確認するのが無難で、確認できなければ中心部へ立ち入らない、という姿勢がいい。
「制限があるのはおかしい」という主張は日本国内での議論としては成立する。ただ、他所の祭祀の現場でそれを実行に移すのは、また別の話になる。
通りすがりの三周
祭りとは別に、日常の作法として広く行われているのが、通りかかった際の短い参拝で、これがオボーの実践の圧倒的多数を占める。
もっとも簡略な形は、次のようなものになる。
オボーの手前で足を止める。足元から石を三つ拾う。オボーの周囲を、時計回りに三周し、一周ごとに石を一つ、オボーの上に置く。三周を終えたところで、短く祈願を述べ、立ち去る。
これだけで、所要時間は一分に満たない。
なぜ時計回りなのか。太陽の運行の向きに合わせる、という説明が最も一般的である。
この向きは、モンゴルの生活の随所に現れ、天幕の中を回るとき、器を回すとき、輪になって動くとき。逆回りは、逆の意味を持つと感じられる。
仏教の右繞の作法とも重なって、いっそう強く定着した。
なぜ三周なのか。これは数の吉凶として説明されることもあれば、単に「区切りのよい繰り返し」として説明されることもある。決定的な理由づけはない。
石を「三つ」とするか「一つ」とするかも、地域と語り手によって違う。三周しながら一つずつ置くという説明、一つだけ置いて三周するという説明、どちらも聞かれる。
車で通り過ぎるときの作法
自動車が普及した現在、峠のオボーは車で通過する場所になった。それに伴って、新しい作法が生まれている。
車を止めて降り、三周して戻る。これが丁寧な形だ。
しかし、急いでいるとき、天候が悪いとき、同乗者の事情があるときは、降りずに済ませる形も許容されている。
具体的には、オボーを右手に見るように進路をとる。つまり車がオボーの周囲を時計回りに通るようにし、あるいは、クラクションを短く鳴らして通過する。窓を開けて乳や酒を数滴振りまく、という形もある。
峠でオボーを右手に見て通る、つまり車がオボーの左側を通るという運行の決まりがある。これは対向車との交通整理としても機能してきた。
信仰の作法が、そのまま通行のルールになっており、実用と儀礼が分かちがたい、この習俗らしい在り方だ。
なお、車を降りずに済ませることを「手抜き」とする語りは、現地ではあまり聞かれない。できる範囲で礼を尽くす、という考え方が前提にある。
何を、誰が唱えるのか
ここで、唱え言について整理しておく。
オボー・タヒルガで唱えられる正式な祈願文は、僧やシャーマンといった専門職が担う、体系だった典礼文だ。チベット語やモンゴル語の定型句からなり、地域と宗派によって内容が異なる。
これは、訪問者が真似て唱えるものではない。
一方、一般の参拝者が口にするのは、はるかに短く、簡素なものだ。定型があるわけでもなく、自分の言葉で「無事でありますように」と述べるだけの人が多数である。
そこでここでは、参拝者が実際に口にしうる短い言い回しと、その意味を対で掲げる。いずれも旅行者水準の平易な表現であって、地域によって発音も語形も異なることを前提としてほしい。
到着してまず場に向けては、サイン バイノー。ごきげんよう、という挨拶だ。
祈願の呼びかけとしては、テンゲル エツェグ、ガザル エージ。天なる父よ、大地なる母よ、という意味になる。
山や聖所を敬って呼ぶときは、ハイルハン ミニー。わが慈しみ深きお方よ、という意味だ。
旅の安全を願うときは、アヤン ザム サイハン ボルトゥガイ。旅路がよきものでありますように、となる。
健康と平安を願うときは、エルーール エンフ バイヤ。健やかに、安らかに、という意味である。
立ち去る前には、バヤルララー。ありがとうございます、だ。
連れを見送るときは、サイハン ヤワーライ。よい道行きを、という意味になる。
仏教の側からの唱え言としては、六字の真言がよく知られており、カタカナで「オム マニ ペメ フム」。
訳としては「蓮華のなかの宝珠よ」と説明されることが多く、観音の慈悲を念じる句で、マニ石やマニ車に刻まれるのもこの句である。
これらはいずれも、他者に害を及ぼす文言を含まなく、祈願は自分と自分の周囲の無事に限る。この原則は、現地の慣行としても、この記事の方針としても一致している。
禁忌の一覧
現地で語られる禁忌を、性質ごとに整理しておこう。
まず物に対して。積まれた石を崩さなく、結ばれた布をほどかない、持ち帰らず、置かれた供物を持ち去らず、柱を揺らさない、寄りかからない。
次に土地に対して。周囲を掘らず、生えている木を折らない、切らない。生きた木に布を強く縛りつけなく、近くの水を汚さない、水に洗剤や汚れたものを入れない。
火を粗末に扱わない、火に汚物を投げ入れない。
振る舞いについて。大声を上げなく、走り回らず、飲み過ぎた状態で立ち入らず、争いごとを持ち込まない。
無断で人の祈る姿を撮影しない。
方向について。時計回りを守る。逆回りは避ける。
そして持ち帰りについて。これは特に強調され、オボーの石も、布も、置かれたものも、持ち帰らず、土産にせず、写真は撮っても、物は持ち出さない。
こうした禁忌に共通するのは、「その場の状態を変えない」という原則だ。
加えることは許されるが、減らすことは許されなく、この非対称性が、オボーという習俗の骨格である。
賽の河原の石積み
日本にも、石を積む習俗があり、まず思い浮かぶのが賽の河原だろう。
賽の河原は、幼くして亡くなった子が石を積むとされる、あの世とこの世の境の河原だ。
積んでも積んでも鬼に崩され、また積む。最後には地蔵菩薩が現れて救う。そういう物語の型で伝えられてきた。
この物語は仏教の説話を土台にしつつ、日本で独自に発達したものであり、中世から近世にかけて広まったと考えられている。
各地の海辺や河原、火山の砂礫地に「賽の河原」と呼ばれる場所があり、そこには実際に無数の小石が積まれている。
オボーと比べたとき、決定的に違うのは石を積む主体と目的だ。
オボーは、生きている人が、通りすがりに、自分と共同体の無事を願って積む。賽の河原の石は、死者のために、供養として積まれる。
前者は往路のための所作、後者は死後のための所作である。
似ているのは、「積むこと自体が祈りの単位になる」という構造で、そして「積んだものを崩してはならない」という強い規範である。
賽の河原の石を蹴り崩すこと、持ち帰ることは、各地で明確に忌まれる。
道祖神と塞の神
もう一つの類縁が、道祖神だ。
村の境、峠、辻に置かれ、外から入ってくる災いを塞ぐとされる神であり、名の通り「塞ぐ」機能が中心だ。
石の像、石碑、あるいは自然石そのものが祀られ、道を行く人が手を合わせて通る。
配置の思想は、オボーとほとんど同じだろう。
境界に置く。通り過ぎる場所に置く。旅の安全と、共同体の安全を同時に願う。石という素材を用いる。
違いは、日本の道祖神が「形あるもの」として造立される点かもしれない。
オボーが不特定多数の積み重ねで成長していくのに対し、道祖神は誰かが刻み、誰かが建てる。
とはいえ、道祖神の周囲に小石が積まれている例は各地にあり、この違いも絶対ではない。
さらにさかのぼれば、石そのものを神とする石神の信仰があり、特異な形の岩、大きな自然石、道端の丸石。これらを神として祀る習俗は、日本列島に広く分布している。
山の神と山開き
山に対する礼という点では、山の神の信仰と山開きの行事が、オボーの発想に最も近いかもしれない。
日本では、山に入ることは本来、無条件に許されることではなかった。
山には主がおり、だから、入る前に断りを入れ、無事を願い、出たら礼を述べる。
山開きの神事は、その季節に人が入ることを山の神に許してもらう手続きとして説明される。
山の神は、恵みを与える存在であると同時に、機嫌を損ねれば災いをもたらす存在としても語られる。この両義性は、モンゴルの土地の主とよく似ている。
登山口の祠に手を合わせる。山頂の祠に一礼し、下山後に無事を報告する。
こうした所作は、今も多くの登山者が自然に行っており、宗教というより習慣としてだ。オボーでの短い参拝も、現地では同じ位置にある。
ケルンはまったく別の系統である
ここで、混同されやすい概念を切り分けておきたい。
日本の山でよく見る石積みには、「ケルン」と呼ばれるものがある。
これは登山道を示す道標であり、視界の悪いときに進路を教えるための構造物だ。
稜線上、ガレ場、雪渓の上部など、道がわかりにくい場所に、意図と責任をもって設置される。
ケルンは信仰の対象ではなく、祈るために積むものでもなく、純粋に機能的な標識だ。
遭難者の慰霊として積まれたものが特定の山にある、といった例外はあり、ただ、原則は道標である。
したがって、ケルンには「正しい位置」がある。
正しくない位置に石を積めば、それは道標として機能するどころか、誤った方向へ人を導く危険な偽の標識になる。
視界の悪い日、疲労した登山者が、それを本物のケルンと信じて進む。この可能性は、決して机上の空論ではない。
日本の山岳遭難の原因として道迷いは常に上位を占めており、標識の信頼性は生死に関わる。
つまり、「オボーに倣って日本の山で石を積む」という発想は、二重に間違っている。
オボーの作法から見れば、それは「既にある聖所に一つ足す」行為ではない。「新しい聖所を勝手に作る」行為であって、伝統的な作法ではない。
ケルンの機能から見れば、それは偽の道標を増やす危険行為だ。
景観と生態への影響
環境行政の側からも、無秩序な石積みに対する明確な指摘がある。
国立公園を所管する官庁の広報記事は、思いつきで石を積む行為について、複数の問題を挙げている。
まず、自然の風景を変更することになり、一人が積めば他の人も続き、景観が著しく損なわれる。
次に、生態と地形への影響だ。
安定していた石を動かすことで、自然の浸食が進みやすくなり、石を探して歩道の外を歩き回れば、植生が踏み荒らされる。石の下は小さな生きものの生息場所であり、それを剥がせば住処が失われ、積まれた石は風で倒れ、落石の危険を生む。
同じ記事は、除外される対象も明記しており、道標として意味をもって作られた石積み、つまりケルンや、文化的な意味のあるものだ。
問題とされているのは、あくまで思いつきで積む石積みであり、この線引きは大事で、「石積みはすべて悪」という主張とは違う。
海外でも同様の議論がある。
米国の国立公園を管理する機関や、自然の中での行動指針を提唱する団体は、来訪者による石積みの増加を明確に問題視してきた。
理由はほぼ同じで、景観の毀損、生息環境の破壊、河床の攪乱、そして道標の信頼性低下。
ある国定記念物では、来訪者が石を積むために広範囲を掘り返し、遺跡が損なわれる事態が起きたと報じられている。
一方で、既にある石積みを見つけたら崩すべきか放置すべきかについては、管理機関の内部でも見解が割れていると報じられている。
崩す行為自体が地面を攪乱し、本物の道標を誤って崩す恐れがあり、そういう理由からだ。
積まない、崩さない、という二重の抑制が、現時点でのおおむねの落としどころだろう。
法律の面から見ると
法律の面でも、看過できない論点がある。
日本の自然公園法は、国立公園と国定公園の区域を、規制の強さによって区分している。
最も規制の強い特別保護地区では、広範な行為が禁止または許可制になっている。木竹の伐採はもちろん、土石の採取、木竹以外の植物の採取、動物の捕獲、土地の形状変更、たき火。
特別地域でも、土石の採取や土地の形状変更は許可を要する行為に含まれる。
同法の罰則規定には、違反に対して六月以下の懲役または五十万円以下の罰金が定められている。
「記念に石を持ち帰った」「石を積んだ」という行為が、場所と態様によっては、この規制の対象になりうるということだ。
自然公園法のほかにも、適用される法令は場所によって変わる。文化財保護法、自然環境保全法、森林法、河川法、都道府県や市町村の条例、国有林の管理規程。「どの山でも一律にこう」とは言えない。
実際に問題化した例として、しばしば話題になるのが富士山の溶岩だ。
富士山は国立公園の区域を含み、また文化財としての指定がかかる範囲もある。だから石や溶岩の持ち出しが法に触れうることが繰り返し注意喚起されてきた。
「記念に一つだけ」という感覚が通用しない場所がある、ということである。
法の適用関係は複雑で、個別の判断はこの記事の役割を超える。ただ、一般則として次のことは言えるだろう。
自然の中で、石を持ち出す、石を動かして構造物を作る、地面の形を変える。これらは、少なくとも「自由にしてよいこと」ではない。
他人の土地、境内、立入の可否
もう一点、法的にも礼儀としても押さえておくべきことがある。
日本の山林や原野は、その多くが誰かの所有地だ。
国有林、県有林、市町村有林、社寺の所有地、私有林。地図上で「山」に見える場所が、無主の土地であることはまずない。
そこに無断で立ち入り、石を積み、布を結ぶという行為は、所有者から見れば単なる無断の設置物である。撤去の手間を押しつけることにもなる。
神社仏閣の境内も同様だ。
境内は宗教法人の管理する土地であり、そこでの作法は当該の宗教の作法に従うべき場所である。よその宗教の儀礼を持ち込むことは、たとえ善意であっても筋が通らない。
石を積む、布を結ぶ、供物を置くといった行為を境内で行いたいのであれば、必ず社務所や寺務所に確認してほしい。多くの場合、断られ、それが自然だ。
石を持ち帰らないという原則
オボーの禁忌と、日本の各地に伝わる言い伝えが、きれいに一致する点があり、石を持ち帰らない、という原則だ。
賽の河原と呼ばれる場所の石を持ち帰ってはいけない、という言い伝えは各地にある。持ち帰った石を返しに来る人がいる、という話も珍しくない。
この種の話がどこまで実話でどこまで伝承かは検証しようがなく、ただ、規範として広く共有されていることは確かだ。
前述の富士山の例のように、法的な問題が明確な場所もあり、世界遺産に登録された区域、天然記念物の指定範囲、特別保護地区。こうした場所での持ち出しは、言い伝えの問題ではなく、規制の問題になる。
そして、規制のない場所であっても、原則は変わらない。
一人が一つ持ち帰る行為は、年間の来訪者数を掛け合わせれば、たちまち場所の姿を変える。持ち帰らない、という一行の規範が、実は最も効き目のある保全策だ。
持ち込まない、持ち出さない
ここから、日本で暮らす読者が、オボーの発想を害なく取り入れるための現実的な方法を三つ挙げる。
第一が、最も単純で、最も効果のあるもので、持ち込まない、持ち出さない。
自然の中に入るとき、置いてくるものを作らず、持ってきたものは、包装も、食べ残しも、線香の灰も、すべて持ち帰る。そして、その場のものは何も持ち出さなく、石も、枝も、花も、砂も。
これは環境保全の話であると同時に、オボーの作法の核心そのものである。
前述したとおり、オボーの禁忌の骨格は「その場の状態を変えない」だった。
加えることが許されるのは、その土地にもとからある石を、既にある積み重ねに足す場合だけ。それ以外は、すべて「減らす」か「異物を残す」に分類される。
日本の山や海に行って、何も置かず、何も取らずに帰ってくる。それだけで、この習俗が数百年かけて磨いてきた作法の中心を、実行したことになる。
峠と登山口での一礼
第二が、身体の所作を伴う礼だ。
峠に着いたとき。登山口に立ったとき。海岸に降りたとき。あるいは、初めて訪れる土地に着いたとき。
立ち止まって、風の向きを確かめ、ひと呼吸置き、軽く一礼する。
これだけでいい。物を置く必要はなく、声に出す必要もなく、目を閉じる必要すらない。
言葉を添えたいのであれば、日本語で構わず、「お邪魔します」「通らせていただきます」「ありがとうございました」。これで十分だ。
前述のとおり、オボーでの参拝は「訪問の礼」であって、呪術ではなく、訪問の礼は、その土地の言葉で述べるのが自然だろう。
帰るときに、もう一度。「無事に戻りました」「ありがとうございました」。
この所作の利点は、痕跡を一切残さないことにあり、積まない、結ばない、置かない。
それでいて、身体を使い、時間を使い、注意を向けるという実質は保たれる。
日本の環境と法制度のもとで、オボーの発想を最も無理なく持ち込める形が、これだと考えている。
家のなかに「小さな正面」を作る
第三が、屋外ではなく屋内での応用だ。
オボーの構造を思い出してほしい。石の積み重なりがあり、垂直の柱があり、風になびく布があり、そして、そこを訪れる人が周囲を回る。
これを住まいの中に縮約すると、次のようになる。
家の中に、一箇所だけ「正面」を作る。棚の一角でも、玄関脇の小さな台でも構わない。
そこに、垂直のものを置く。背の高い器、細い花瓶、一本の枝。
その手前に、水か塩を小さな器で置く。そして、その場所を毎日整える。
置くものに霊験を求める必要はなく、大事なのは、「毎日そこを整える」という行為のほうだ。
埃を払い、水を替え、向きを直す。一日一分で足りる。
なぜこれが効くのか。物理的な効果があると主張するつもりはない。
効くのは、注意の切り替えだ。
家に帰ってから、その一箇所を整えるという小さな手順を挟む。それによって、外の時間と内の時間のあいだに区切りが入る。
峠のオボーが、こちらの谷とあちらの谷を区切っていたのと、構造は同じである。
もし言葉を添えたいなら、日本語で短く。「今日も無事でした」。それだけで型としては完結する。
やめてよい、やめるべきとき
型を作るときに必ず併せて決めておくべきなのが、やめる条件で、これがないと、習慣は容易に強迫に変わる。
次のいずれかに当てはまるときは、迷わず中断してほしい。
天候と地形の条件が悪いとき。雨、雷、強風、視界不良、雪、日没が近いとき。
屋外での所作は、すべて後回しにできる。山の上で儀礼を優先して行動が遅れることは、それ自体が危険だ。
体調が悪いとき。発熱、めまい、動悸、強い疲労。休むほうが優先である。
場所の条件が整わないとき。立入が禁じられている、私有地である、掲示で禁止されている、他の人が通行している、地元の方が使っている。この場合はその場で取りやめる。
心の状態が悪いとき。特に、誰かへの怒りや恨みを抱えたまま行おうとしているとき。
この習俗は自分と周囲の無事を願うためのものであり、他者への負の感情を乗せる器ではなく、そういう日は、何もしないほうがいい。
続けることに苦痛や強迫を感じるようになったとき。「やらないと悪いことが起きる」と感じはじめたら、それは型が本来の役割を失った合図だ。
いったん完全に中断してほしい。数日から数週間、まったくやらない期間を作る。それで何も起きないことを確認するのが、健全な運用である。
そして、費用が発生しはじめたとき。物を買い足さないと成立しない型、誰かに料金を払わないと続けられない型は、この記事の扱う範囲を外れている。
峠で車を止めた話
以下に五件の体験談を掲げる。いずれも、複数の見聞をもとに一般化し再構成したもので、特定の個人や団体を指すものではない。
地名や時期も特定できない形にしてある。効果を保証するものではなく、あくまで「そういう受け取り方をした人がいる」という記録として読んでほしい。
一件目。中央アジア方面へ出張した四十代の方の話だ。
移動中、運転手が峠で必ず車を止め、降りて三周してくる。最初は「時間の無駄では」と思っていたそうで、日程は詰まっており、峠は何箇所もある。
しかし数日そうしているうちに、見方が変わったという。
峠で止まるということは、そのたびに長時間の運転が区切られるということだ。運転手は降りて体を動かし、外気に当たり、進路を見渡してから運転席に戻る。結果として、疲労の蓄積がはっきり違った。
「宗教というより、安全運転の作法だと思うようになった」というのが、その方の感想だった。
因果は逆かもしれない、とも付け加えていたので、作法が先にあって安全がついてきたのか。安全のための知恵に作法の形が与えられたのか。どちらとも決めがたい、と。
石を積まなかった話
二件目は、国内の山でのことだ。
登山を趣味とする三十代の方が、稜線上で見事な石積みの列に出会ったそうで、写真を撮り、自分も一つ積みたくなった。手ごろな石も、すぐ足元にあった。
しかし、その日は積まなかったのだ。
理由は単純で、直前に読んでいた記事に「積まれた石は道標かもしれない」と書いてあったからだ。もし自分がここに一つ足して、それが列の向きを微妙に変えたら。そう考えたら、手が止まった。
その後、その山域の道標の配置を調べる機会があり、実際にその稜線のケルンが正規の道標であることを知ったという。積まなくてよかった、というのが結論だった。
この方は今でも、山では「積みたくなったら、代わりに深呼吸を三回する」と決めているそうだ。
手を使う代わりに呼吸を使う。痕跡を残さずに、区切りだけを取る。
旅先で布を結ばなかった話
三件目。シベリア方面を旅した五十代の方の話だ。
聖所とされる場所に着いたとき、同行者の一人が「せっかくだから」と、持参していた色つきの紐を近くの木に結ぼうとしたそうだ。
現地の案内をしていた方が、それをかなり強い調子で止めた。
理由は二つ。一つは、その紐が化学繊維で、朽ちずに残ってしまうこと。もう一つは、結ぼうとした先が生きている木だったこと。「木が病んで枯れる」と説明されたという。
代わりに案内の方が示したのは、既に多くの布が結ばれている柱だった。そこにだけ結んでよい、と。
この方が印象的だったと語ったのは、案内の方の言い方だったそうだ。「祈るなという話ではなく、祈りたいなら、この場所を痛めない方法で祈れ」と。
信仰と保全が対立するものではなく、むしろ同じことの表と裏だと感じた、と話していた。
期待しすぎて空回りした話
四件目は、うまくいかなかった例だ。
三十代の方が、旅行から帰ったあと、自宅で「オボー風」の実践を始めたそうだ。ベランダに石を積み、色布を結び、毎朝その周りを三周し、旅先で感じた高揚を持ち帰りたかった、という。
最初の二週間は調子がよかった。しかし、そのうち負担になりはじめる。
天候の悪い日も出なければならず、忘れた日は落ち着かなく、三周の途中で数を間違えると最初からやり直す。
ある朝、風で石が崩れているのを見て、強い不安に襲われたそうで、「悪いことが起きる前触れではないか」と思ってしまった。そこで初めて、これはおかしいと気づいたという。
その方は、三日間まったくやらない期間を作った。何も起きなかった。
それを確認してから、形を大幅に簡略化したので、今は石も布も置いていなく、朝、ベランダに出て空を見上げて一礼するだけ。所要時間は五秒だそうだ。
「形を増やすほど、うまくいかなくなった」というのが、この方の総括だった。
文化の扱いをめぐって気まずくなった話
五件目も、うまくいかなかった例だ。
四十代の方が、旅先で買った儀礼布を自宅に飾り、それを写真に撮って発信したそうだ。悪意はまったくなく、美しいと思ったから紹介したかった。
ところが、思わぬ反応があった。
当該地域にゆかりのある方から、「それは飾りではなく、人に渡すためのものだ」という趣旨の指摘を受けたのだ。加えて、飾り方が、その文化圏では別の意味を持つ向きになっていたとも指摘された。
指摘そのものは穏やかなものだったが、この方はかなり落ち込んだそうだ。
「敬意を持っているつもりだった。でも、敬意を持っているつもりと、実際に相手に敬意が伝わることは別だった」と。
その後、この方は発信をやめ、布は箱にしまった。今も持ってはいるが、飾ってはいなく、「いつか、これをきちんと人に渡す機会があれば渡したい」と話している。
この話には、明確な正解がない。ただ、他文化の物や作法を扱うとき、「善意で足りる」とは限らないことを示す例として、記録しておく価値はあると思う。
プラセボと確証バイアス
ここからは、この種の実践を冷静に評価するための視点を並べる。
まず、効果の感じ方について。
儀礼や験担ぎを行った人が「うまくいった」と感じるとき、そこには複数の心理的な仕組みが働いている。
一つは、期待による効果で、効くと思って行うことで、実際に緊張が緩み、集中が高まり、行動が変わる。
これは医療の分野でよく検討されてきた現象で、主観的な指標において無視できない大きさで現れることが知られている。ただし、期待による改善は主観的な体験の領域に強く現れる。客観的な病態そのものを動かす力については限定的である、という整理が一般的だ。
もう一つが、確証バイアスである。
人は、自分の信じている仮説を支持する情報を集め、反する情報を軽く扱う傾向がある。
参拝したあとに良いことが起きれば「効いた」と記憶する。悪いことが起きれば「もっと丁寧にやるべきだった」と解釈するか、そもそも記憶に残さない。
この非対称な記録の取り方によって、実際には関係のない事柄が強い関係をもつように見えてくる。
さらに、儀礼には「行動を実際に変える」という直接的な効果もある。
峠で車を止める人は休憩を取っており、登山口で一礼する人は、そこで一度立ち止まって装備と天候を確認している。手を合わせるという動作は、深呼吸を伴うことが多い。
つまり、「効いた」と感じられる現象の相当部分は、超自然的な説明を持ち出さなくても説明がつく。
これは実践を否定する理由にはならず、ただ、「効いたから正しい」という推論は成り立たない、ということだ。
観光化と商業化
次に、この習俗が置かれている経済的な状況について。
前述のとおり、内モンゴルでは一部のオボーが柵で囲われ、入場料を伴う観光施設として整備されてきた。周辺住民が自由に参拝しづらくなり、別の場所を新たに祀りはじめた、という反応も報告されている。
モンゴル国でも、シャーマニズムの担い手が急増し、そこに金銭が絡む構造が生まれている、という指摘がある。
ある研究者は、人口三百万ほどの国で二万から三万のシャーマンが活動しているとされる状況を紹介した。そして入門の費用や祭具の費用が高額に上る例、師から弟子へと金銭の関係が連鎖する構造、学位を金銭で得た人物の例などを挙げている。
その研究者は、この現象の根にあるものを指摘し、急速なグローバル化と格差の拡大、そこから生じる剥奪感だ。シャーマンの規制だけを議論しても本質を外す、と論じている。
この指摘は、日本の読者にとっても他人事ではない。
「本場の」「正統な」といった形容がつく実践や物品には、それだけで価格がつく。そして、価格がつくところには、必ず売り手の都合が入り込む。
ケルンをめぐる論争の両面
三つめは、石を積むこと自体をめぐる論争だ。
批判の側の論点は、既に述べたとおりである。景観の毀損、生息環境の破壊、浸食の促進、道標の信頼性低下、そして「一人が始めると連鎖する」という増殖性。
一方で、擁護の側にも言い分がある。
石を積むことは、人類が非常に古くから行ってきた普遍的な行為であり、それ自体を悪と断じるのは行き過ぎではないか。実際に道標として機能している石積みは山の安全に貢献している。文化的で宗教的な意味をもつ石積みを、レジャーとしての石積みと同列に扱うべきではない。
現時点での実務的な落としどころは、おおむね次のあたりだろう。
管理者が設置した道標としての石積みは尊重し、文化的で宗教的な意味をもつ既存の石積みも尊重する。それ以外の、個人が思いつきで積む石積みは行わず、既にあるものを崩すことも、原則として行わない。
積まない、崩さない、という二重の抑制。単純だが、現時点で最も摩擦の少ない立場だと思われる。
文化の扱いをめぐる両論
四つめは、他文化の実践を取り入れることの是非だ。
一方の立場は、次のように主張する。
特定の民族や宗教の儀礼は、その共同体の歴史と結びついている。とりわけ、抑圧や弾圧を受けてきた文化については、外部の者が文脈を切り離して要素だけを取り出する。装飾や商品として消費することは、当事者にとって痛みを伴う。
オボーの習俗は、社会主義期に禁じられ、担い手が失われ、今も存続が危ぶまれている。その事情を知らずに形だけ真似ることには、慎重であるべきだ。
もう一方の立場は、次のように主張する。
文化は本来、交流と混淆によって形作られてきた。オボー自体、土着の習俗とチベット仏教の習合の産物であり、「純粋な原型」なるものは存在しない。
外部からの関心が、失われかけた実践への注目を高め、保全につながる場合もある。すべての借用を否定すれば、文化は閉じた箱になってしまう。
どちらの主張にも、耳を傾けるべき部分があり、この記事の立場は、対立を裁くのではなく、実務的な線を引くことだ。
すなわち、他文化の儀礼を、その名前を借りたまま自分の実践として演じることはしない。学ぶのは構造と発想であって、形式そのものではなく、そして、それを金銭や権威づけに使わない。
この三つを守れば、多くの摩擦は避けられる。
この記事が「日本での応用」として提案したものを思い出してほしい。石を積むことでも布を結ぶことでもなかった。「一礼する」「持ち帰らない」「家の一角を毎日整える」だった。
これはこの線の引き方によるもので、形式を移植するのではなく、原則を移植し、それが最も安全で、おそらく最も実質的である。
費用が発生しはじめたら
最後に、明確な警告を置いておく。
自然への礼も、旅の無事を願う所作も、本来は無料で完結する。石は足元にあり、一礼には道具が要らず、家の一角を整えるのに買い足すものはない。
もし誰かが、次のようなことを言い出したら、そこで立ち止まってほしい。
「この石でなければ効果がない」「この布を買わないと祈りが届かない」といった言い方だ。
「あなたの土地には障りがあるので、除くには費用が必要だ」というものもある。「先祖が苦しんでいるので、供養に高額の寄附が必要だ」「今すぐ決めないと手遅れになる」も同じ類だ。
こうした言い回しは、いわゆる霊感商法の典型で、不安をあおって高額な商品や寄附を求めるものである。相手が個人であっても、団体であっても、宗教法人であっても、判断は変わらない。
日本には相談先がある。
消費者トラブル全般については、消費者ホットラインの番号一八八に電話すれば、最寄りの消費生活センターなどにつながる。
犯罪に至るか判断がつかないが警察に相談したい場合は、警察相談専用電話の九一一〇番がある。
また、二〇二三年に施行された法律もあり、不当な寄附の勧誘を防止するための法律だ。
霊感などを用いて不安をあおる勧誘は禁止行為とされ、そうした勧誘によってなされた寄附や契約は取り消せる場合がある。取消権の行使には期間の制限があるため、思い当たることがあれば早めに相談してほしい。
そして、重ねて記す。この記事の内容は、医療や法律や投資その他の専門的判断を代替するものではない。
体調の不安は医療機関へ。権利や契約の問題は弁護士や公的な相談窓口へ。資産の判断は有資格の専門家へ。祈りは、それらの代わりにはならない。
用語の小さな辞典
ここまでに出てきた語を整理しておく。
オボーは、石や木を積み上げ、柱を立て、布を結んだ聖所で、土地の主を祀る場であり、道標や境界標でもある。
オボー・タヒルガは、オボーを祀る祭祀を指し、年に一度から数年に一度、地域の単位で行われる。
テンゲルは天のことで、空という空間、天という神格、運命に近い抽象概念まで、幅広い意味をもつ語である。
ガザリン・エゼンは土地の主を指し、山、水、峠などに宿るとされる存在で、恩恵と災厄の双方を握る隣人として語られる。
ハダグは、絹などでできた細長い儀礼布であり、青が最も重んじられ、オボーに結ぶほか、人への贈答にも用いる。
タルチョは、チベット圏の五色の祈祷旗で、風になびくことで功徳が生じるとされる。
ルンタは風馬のことで、タルチョのうち馬の意匠を刷ったものを指す。
ラプツェは、チベット圏の峠や山頂の聖所であり、矢束を立てる点にオボーとの違いがある。
マニ石は、真言などを刻んだ石で、積み上げて石垣状になることもある。
ヘレクスルは、青銅器時代から初期鉄器時代の積石塚であり、石囲いを伴う。オボーの直接の祖形ではない。
鹿石は、鹿の文様を刻んだ石柱を指し、ヘレクスルと近接して出土することが多い。
チャラマは、トゥヴァなどで聖所の枝や柱に結ぶ色布の呼び名だ。
ナーダムは、相撲と競馬と弓射を中心とする祭典であり、オボーの祭祀に続けて行われることが多い。
ケルンは、登山道を示す道標としての石積みで、信仰の対象ではなく機能的な標識である。
よくある質問
日本の山でオボーを作ってもよいのか。おすすめしない。
三つの理由があり、第一に、オボーの作法は「既にある聖所に一つ加える」ものであって、新しく作る行為は本来の型に含まれない。
第二に、日本の山では偽の道標となり、道迷いの危険を生む。
第三に、場所によっては自然公園法などの規制対象となり、また土地は必ず誰かの所有物で、代わりに、一礼だけを行ってほしい。
現地でオボーに出会ったら、必ず参拝しなければならないのか。そのようなことはない。
急いでいるとき、天候が悪いとき、体調が悪いときは、車を降りずに通過して構わない。現地でも、できる範囲で礼を尽くすという考え方が前提だ。
ただし、崩す、持ち帰る、乱暴に扱うことは、いかなる事情でも避けてほしい。
ハダグはどこで買えるのか。買ってもよいのか。現地の市場や土産物店で入手できる。購入自体に問題はない。
ただし、ハダグは本来、人に差し出すための礼具で、飾りとして扱うことに違和感を覚える方もいるため、扱いには配慮が要る。日本国内の自然の中で結ぶことは、前述の理由からおすすめしない。
三周の途中で数を間違えたら、やり直すべきか。やり直す必要はない。
数を厳密に守らなければ効果がない、という考え方は、この習俗の性格から外れている。むしろ、数にこだわりはじめたら、それは実践が強迫に変わりつつある合図だ。
時計回りでなく逆に回ってしまった。何か起こるか。何も起こらない。
向きは作法であって、違反すると罰が下るという性質のものではなく、気づいた時点で向きを直せば十分だ。不安が続くようであれば、その不安のほうが問題であり、実践を一度止めることをおすすめする。
石を一つ置くという行為
長くなったので、要点を短く畳んでおく。
オボーは、通りすがりの人が石を一つ置くという、極小の行為の積み重ねでできた聖所だ。
道標として始まり、土地の主への祭壇となり、境界標として制度化される。仏教の枠に読み替えられ、二十世紀に一度断ち切られ、そして再建された。その全部が、あの石の山に折り重なっている。
作法の核心は、驚くほど単純である。
時計回りに三周し、足元の石を足す。持ち帰らず、崩さなく、汚さない。
長居しない。
そして、この作法の非対称性。加えることは許され、減らすことは許されなく、これは、そのまま現代の自然保全の原則と重なる。
数百年前の草原の知恵と、今日の国立公園の指針が、同じ結論に達しているわけだ。
日本で暮らす私たちが取り入れられるのは、形式ではなく、この原則のほうだろう。
石を積む必要はなく、布を結ぶ必要もなく、持ち込まず、持ち出さず、立ち止まってひと呼吸置き、軽く一礼する。それで、この習俗が磨いてきたものの中心には触れられる。
そして最後に。祈りは、判断の代わりにはならず、医療は医療に、法律は法律に、金銭は金銭の専門家に。祈りの領分は、そのあとに残る、自分の心の姿勢のほうにある。
実践の型、その設計方針
ここから先は、日本国内で実行できる形にまとめ直した実践のパートだ。
他者に害を及ぼさず、法にも触れず、痕跡も残さずに行える形にしてあり、屋外編と屋内編に分かれる。
屋外編では、石を積むことも、布を結ぶことも、物を置くことも一切行わない。現地の習俗をそのまま移植するのではなく、その原則だけを移し替えた型だ。
設計にあたって、四つの制約を置いた。
第一に、他者に害を与える目的を一切含まないこと。祈願の対象は、自分と、自分の周囲の無事に限る。特定の誰かに向ける文言は含まない。
第二に、痕跡を残さないこと。積まない、結ばない、置かない、持ち出さなく、これは環境保全の要請であると同時に、オボーの禁忌の核心そのものである。
第三に、費用がかからないこと。買い足すものはなく、既に持っているもので完結する。
第四に、いつでもやめられること。中止基準を型の一部として組み込む。
用意するもの
自分の身体。立ち止まる、向きを変える、一礼するために使う。これは必須で、これだけで型は成立する。
時計、または時刻のわかるもの。所要時間の上限を守るために使う。推奨だが、屋外では安全管理のため必須に近い。
飲み水。屋外編で、ひと口だけ含むために用おり、屋外編では推奨したい。
持ち帰り用の小袋。自分の出したごみを持ち帰るためで、屋外編では必須になる。
小さな器。屋内編で、水または塩を入れて据える。家にあるもので足りる。
細長い、あるいは背の高いもの。屋内編で垂直の軸に見立てる。花瓶、細い器、枝一本など。
布一枚。屋内編で置き場所の下に敷く。色は青か白がここでの目安で、任意で、無くても成立する。
紙と筆記具。気づきや中止の記録を残すために使う。任意だが、強く推奨したい。
用意してはいけないものもある。
現地から持ち出した石や土。自然の中から採取した石、枝、花も避ける。分解しない紐や造花、他者の名前や写真を書いた紙も同様で、高額な祭具。
「これがないと効かない」と説明された商品だ。
日時、方角、回数の目安
屋外編と屋内編に分けて整理しておく。
行う時。屋外編では、峠、登山口、海岸、河原、初めて訪れる土地に着いたとき、および離れるとき。屋内編では、毎朝または毎晩のどちらか一方、同じ時間帯に固定する。
避ける時。屋外編では、雷、強風、視界不良、日没が近い、増水しているとき。屋内編では特にないが、疲れている日は省略してよい。
向き。屋外編では、その場の景色が最も開けている方向。決められないときは太陽の側。屋内編では、置き場所の正面に立つ。方位は問わない。
回る向き。どちらも回らず、屋外編はその場で足を止めるだけ、屋内編は正面に立つだけだ。
回数。屋外編では、呼吸を三回、一礼は一回。屋内編では、整える所作を三つ、一礼は一回だ。
所要時間の目安。屋外編は三十秒から一分。屋内編は一分以内だ。
所要時間の上限は、どちらも三分。超えたら切り上げる。
頻度の上限。屋外編は一日に何度でも可だが、同じ場所では一度。屋内編は一日一回までで、増やさない。
費用はどちらも零円だ。
方角について補足しておく。
モンゴルの作法における「時計回り」は太陽の運行に合わせるものだった。ただしこの屋外編では周回そのものを行わず、歩道の外に踏み出すことになり、植生を傷めるからだ。
したがって、向きは「顔を向ける方向」の意味に限定してある。
屋外編の時系列
着いたときの手順から述べる。
一つ。歩みを止める。数歩ぶん道を空け、他の人の通行を妨げない位置に立つ。
二つ。荷物を下ろす必要はなく、手に持っているものがあれば、片手にまとめる。
三つ。景色が最も開けている方向へ体を向ける。判断がつかなければ、太陽のある側へ。
四つ。呼吸を三回し、吸って、吐く。これを三度。急がない。
五つ。周囲を見る。風の向き、雲の様子、足元の状態、これから進む道筋。これは儀礼であると同時に、実務的な安全確認でもある。
六つ。短く一礼し、角度は浅くて構わず、会釈程度でいい。
七つ。言葉を述べる。声に出しても、心の中でも構わない。
八つ。飲み水があれば、ひと口だけ含む。これは供物ではなく、自分の身体のためだ。
九つ。歩き出す。
離れるときの手順も述べておく。
一つ。同じ場所、あるいは近い場所で、もう一度足を止める。
二つ。呼吸を三回。
三つ。自分が出したものが残っていないか、足元と周囲を確認し、包装、紙片、食べこぼし、落とし物。あればすべて回収し、小袋に入れる。
四つ。一礼する。
五つ。言葉を述べる。
六つ。立ち去る。
この間、行わないことも挙げておく。
石を積まなく、石を動かさなく、石を持ち帰らず、枝を折らず、花を摘まない。
布や紐を結ばなく、物を置かなく、地面を掘らず、火を使わず、大声を出さない。
歩道の外に踏み出さなく、他人が祈っている姿を無断で撮影しない。
唱え言の全文
現地の言葉と、日本語の言葉の両方を掲げる。どちらか一方で構わず、両方唱える必要はない。
また、いずれも他者に向ける文言を含まない。
日本語版、着いたときはこうだ。
お邪魔いたします。この土地に、しばらく居させていただきます。足元を汚さず、何も持ち出さず、静かに通らせていただきます。行きも帰りも、無事でありますように。ここにあるものが、そのままここにありますように。
日本語版、離れるときはこうなる。
通らせていただき、ありがとうございました。持ってきたものは、すべて持ち帰ります。この土地が、変わらずここにありますように。ここで会った人も、ここに住まうものも、健やかでありますように。失礼いたしました。
モンゴル語風の短い唱え言も挙げておく。
原語の発音は地域によって異なり、以下は旅行者水準の平易な言い回しで、専門的な典礼文ではない。
現地の祭祀で僧やシャーマンが唱える経文や祈願文は、専門職が担うものであり、参拝者が真似るものではない。この点を、改めて申し添えておく。
一つめ。サイン バイノー。ごきげんよう。
二つめ。テンゲル エツェグ、ガザル エージ。天なる父よ、大地なる母よ。
三つめ。ハイルハン ミニー。わが慈しみ深きお方よ。
四つめ。アヤン ザム サイハン ボルトゥガイ。旅路がよきものでありますように。
五つめ。エルーール エンフ バイヤ。健やかに、安らかに。
六つめ。バヤルララー。ありがとうございます。
離れるときは、六番のバヤルララーだけで十分だ。
なお、仏教の側の句を用いたい場合は、六字の真言があり、オム マニ ペメ フム。訳としては「蓮華のなかの宝珠よ」と説明され、慈悲を念じる句とされ、これも他者に害を向ける文言を含まない。
屋内編の時系列
準備は初回のみ行う。
一つ。家の中で、一箇所だけ場所を決める。棚の一角、玄関脇の台、机の端。狭くて構わない。
二つ。そこを空にし、拭く。
三つ。布を敷きたければ敷く。無くても構わない。
四つ。垂直のものを一つ置く。花瓶、細い器、枝一本、細長い石。高価なものである必要はまったくない。
五つ。その手前に、小さな器を置き、水を入れ、塩でも構わない。
以上で、これで場所は完成する。
毎日の所作はこうなる。
一つ。決めた時間に、その場所の正面に立つ。
二つ。呼吸を三回。
三つ。整える所作を三つ行う。埃を払う。水を替える。向きを直す。
この三つで足りる。
四つ。一礼する。
五つ。言葉を述べる。今日も、この家は無事でした。ここにいる者が、健やかでありますように。入ってくるものは清く、出ていくものは軽く。
また明日。
六つ。終わり。一分以内で切り上げる。
行わないことも決めておく。
日を増やさなく、回数を増やさなく、物を増やさなく、所要時間を延ばさなく、他人に強要しない。
誰かの名前を書いた紙を置かなく、この場所に関する不安を、金銭で解決しようとしない。
後始末と、片づけ方
この型には、終わり方も定めてある。
日々の後始末から。
屋外編では、自分の出したものをすべて持ち帰る。これが唯一かつ最大の後始末で、小袋の中身は、帰宅後に自宅で分別して処理する。
屋内編では、器の水を毎日替える。古い水は台所の排水に流して構わない。
塩を用いた場合は、湿気を吸って固まったら取り替える。古い塩は一般のごみとして処理して差し支えなく、特別な処分方法は必要ない。
やめるときの手順も定めておこう。
一つ。最後の日に、いつもどおりの所作を一度行う。
二つ。「今日で終わりにします。ありがとうございました」と述べる。
三つ。置いていたものを、通常の家庭用品として戻す。花瓶は花瓶に、器は器に。処分するなら、自治体の分別に従って一般のごみとして出して構わない。
四つ。布は洗濯して通常の布として使うか、処分する。
五つ。場所を拭いて、空にする。
以上であり、祟りも障りもない。
「特別な処分が必要だ」「そのまま捨てると障る」といった説明とともに費用を求められたら、それは前述の霊感商法に該当しうる話だ。相談先は、消費者ホットラインの一八八、警察相談専用電話の九一一〇番である。
中止基準をもう一度
次のいずれかに当てはまるときは、その場で中断してほしい。
一つ。雷、強風、視界不良、日没が近い、増水しているなど、屋外の条件が悪いとき。
二つ。発熱、めまい、動悸、強い疲労など、体調が悪いとき。
三つ。立入が禁じられている、私有地である、他の人の通行や作業を妨げるとき。
四つ。誰かへの怒りや恨みを抱えたまま行おうとしているとき。
五つ。「やらないと悪いことが起きる」と感じはじめたとき。
六つ。続けるために費用が必要だと言われたとき。
七つ。誰かに強要されているとき、または誰かに強要したくなったとき。
五番に当てはまった場合の対処を、具体的に書いておく。
まず、三日間まったく行わない期間を作ってほしい。その三日のあいだに何が起きたか、あるいは起きなかったかを、紙に書き留める。
三日経って何も起きなければ、それが答えで、そのうえで、続けたければ、所要時間を半分にして再開する。増やすのではなく、減らして戻る。これが安全な運用である。
この実践パートの限界
最後に、正直に書いておく。
ここに記した型に、超自然的な効果を期待しないでほしい。この記事は、それを立証する材料を何一つ持っていない。
説明できるのは、次のことだけだ。
移動の途中で立ち止まる時間を作ると、安全確認の機会が増える。呼吸を三回すると、身体の緊張がわずかに緩む。家の一箇所を毎日整えると、外と内の時間に区切りが入る。同じ所作を同じ時刻に繰り返すと、生活の輪郭が安定しやすい。
これらは、いずれも取り立てて神秘的なことではなく、しかし、取るに足らないことでもない。
数百年にわたって草原で受け継がれてきた作法が、結局のところ「立ち止まる」「見渡す」「持ち帰る」という、きわめて実務的な行動に帰着する。そのこと自体が、この習俗の懐の深さを示していると思う。
そして繰り返すが、祈りは判断の代わりにはならない。体調のことは医療機関へ、権利や契約のことは弁護士や公的な相談窓口へ、お金のことは有資格の専門家へ。そのうえで残る領分に、この型はささやかに効く。
