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鎮宅とは何か、鎮宅霊符神の信仰から地鎮祭と護符の実践まで

鎮宅という、家を鎮め守るための知恵

家を建てるとき、あるいはすでに住んでいる家に得体の知れない不安を覚えたときがある。そんなとき日本人は古くから、「土地そのものを鎮める」という発想に頼ってきた。

更地に鍬を入れる前に神主を呼んで祝詞をあげてもらう地鎮祭がある。鬼門の柱に貼る一枚の御札がある。床の間や神棚の奥にひっそりと安置された朱色の護符もある。これらはすべて「鎮宅(ちんたく)」という一つの太い思想の流れから枝分かれしてきたわけだ。

鎮宅とは文字通り「宅(いえ)を鎮める」ことである。住居や土地には邪気・祟り・地霊の乱れが取り憑く。それを鎮め、そこに住まう者の安全と繁栄を確保しようとする営みがある。呪術と信仰が渾然一体となった実践体系を指す。中国の道教に淵源を持つ。

この信仰は、鎮宅霊符神という独自の神格を戴きながら日本列島に渡った。陰陽道や神道、密教とないまぜになりながら、千年以上の時をかけて練り上げられてきた。そして意外なことに、現代の新築住宅の地鎮祭という形をとる。多くの日本人にとって、今なお身近な体験であり続けている。

護符そのものの書き方や霊符全般の理論については、すでに別稿「霊符とは何か」で詳述した。本稿ではそこへの深入りを避ける。あくまで「鎮宅」という営みそのものに焦点を絞る。なぜ人は土地や住居を鎮めようとしてきたのか。その歴史と信仰、そして今も実際に行われている具体的な実践を掘り下げていきたい。

鎮宅信仰の起源――中国道教における鎮宅霊符神

古代中国には、土地の神(社神)や竈の神、門の神といった住空間にまつわる神々を祀る信仰があった。屋敷に降りかかる災いを未然に防ごうとする土地神信仰である。鎮宅という発想の源流をたどると、ここにまで遡ることができる。

こうした素朴な土地神信仰が、後漢から六朝時代にかけて体系化されていった道教の符箓文化と結びついた。そして「太上秘法鎮宅霊符」という護符群として結晶する。これが、今日私たちが「鎮宅霊符」と呼ぶものの直接の原型である。

道教の聖典を集大成した道蔵にはこの太上秘法鎮宅霊符が収められている。七十二種類にも及ぶ護符の一つひとつが、家宅に忍び寄るさまざまな種類の災厄に個別に対応する。盗難、火災、疫病、口舌の争い、家族の不和、獣害、落雷といった災厄である。そうした形で構成されている点に大きな特徴がある。つまり鎮宅霊符とは単一の万能護符ではない。

暮らしを脅かすあらゆる災いの類型ごとに専門化された護符の集合体として設計されていたのというわけだ。この鎮宅霊符群を授けたとされる神格が、鎮宅霊符神である。

中国での成立譚として広く語られてきたのは、劉進平という人物の話だ。「三愚の宅」と呼ばれるほど地相の悪い土地に住んでいた人物である。たまたま宿を求めてきた神仙を手厚くもてなしたところ、その返礼としてこの七十二の霊符を授けられる。

以後その家は災いから免れて栄えたという伝説である。この霊符はやがて漢の孝文帝の治世に広く世に知られるようになったと伝えられている。図像の面では、鎮宅霊符神は道教における北方の守護神・玄天上帝、すなわち真武大帝の姿と深く重なり合う。真武大帝はもともと中国古代の四方を守る霊獣の一つ「玄武」が神格化されたものとされる。

亀と蛇が絡み合う玄武の図像そのものが、大地を鎮め支える力の象徴として古くから重んじられてきた。この北方鎮護の神格が「家宅を鎮める」という鎮宅霊符の性格と自然に習合する。中央に神仙姿の鎮宅霊符神を配し、その左右に抱卦童子・示卦童郎という二体の随身を従える。この図像様式は今日まで受け継がれている。そうして形作られていったと考えられている。

日本への伝来と陰陽道・神道への土着化

この鎮宅霊符信仰が日本列島に渡った時期については、伝承と実証的な研究のあいだに興味深い隔たりがある。伝承の上では、推古天皇の御代に百済の琳聖太子がこの霊符を伝えたとされる。聖徳太子や弘法大師空海、伝教大師最澄といった古代日本を代表する宗教的権威たちがいる。彼らがこぞってこの霊符を篤く信仰したという話が、繰り返し語られてきた。

しかし文献学的な検証によれば、実際に鎮宅霊符信仰が日本に定着したのは中世に入ってからだ。そうした見方が有力である。いずれにせよ大事なのは、この信仰が伝来した当初から単独で存在したのではない。日本古来の星辰信仰、なかでも北極星や北斗七星を神格化した妙見信仰がある。これと分かちがたく結びつきながら広まっていった点というわけだ。

日本における鎮宅霊符神信仰の拠点として特筆すべきなのが、奈良市陰陽町に鎮座する鎮宅霊符神社である。社伝によれば、創建は永久五年(一一一七年)である。興福寺に由来する行疫神を鎮めるため、南都の陰陽師たちが社壇を建立したのが始まりとされる。まさにその名の通り、陰陽師という専門職能集団の守護拠点として機能してきた。

ここに祀られる天之御中主神は『古事記』の冒頭にも登場する天地開闢の根源神である。ただ、近世に入るとこの神は北極星を神格化した妙見菩薩とも習合される。鎮宅霊符神・天之御中主神・妙見菩薩という三者が渾然一体となった、複合的な信仰対象として受容されていった。

陰陽師たちは、陰陽寮という古代律令国家の官庁において暦や天文、占術を司った。そんな彼らにとっての鎮宅霊符神は、天体の運行そのものを神格化した神格である。専門技術と信仰とを結びつける格好の存在だったのである。安倍晴明は朝廷のために泰山府君祭を執り行ったとされる。この祭では主祭神である泰山府君(太一)に次ぐ格として、鎮宅霊符尊神が配祀されていたらしい。

平安期の陰陽道の祭祀体系のなかに鎮宅霊符信仰が明確に組み込まれていたことがうかがえる。こうして鎮宅の思想は、中国渡来の外来信仰である。それでいて日本の神祇信仰や国家的な陰陽道祭祀のなかに、深く土着化していった。

江戸期以降、民間へと広がった鎮宅信仰

鎮宅霊符信仰は、中世まではおおむね貴族や武家、専門の宗教者たちの間で受け継がれてきた。それが江戸時代に入ると、版木による印刷技術の普及も相まって変わる。より広範な庶民層へと裾野を広げていく。伝えられるところでは、戦国武将の加藤清正や、南朝方の忠臣として知られる楠木正成もこの霊符を篤く信奉したとされる。

「神通第一にして霊験無比なることこの天尊に及ぶものはない」とまで讃えられるほどの権威を帯びるようになった。

大阪府交野市の星田妙見宮には、元治元年(一八六五年)に彫られた「太上神仙鎮宅七十二霊符」の版木が現存している。これは江戸末期の時点ですでにこの霊符が定型化された形で頒布されるだけの需要を持っていたことを物語っている。この時期、鎮宅の思想は単体の護符信仰にとどまらず、家相学や方位除けの思想とも深く結びついていく。

家の間取りや敷地の形状に吉凶を見出す家相学において、とりわけ忌避されたのが鬼門(北東)と裏鬼門(南西)である。この方角に玄関や水回りがあると家運が傾くと恐れられた。この鬼門の凶意を和らげるために用いられたのが、鎮宅符や家相札と呼ばれる護符である。

鎮宅霊符信仰と家相・方位除けの思想がある。江戸期の民間信仰のなかで、この二つはほとんど一体のものとして扱われるようになっていった。

今日でも高野山の寺院や各地の護符専門の寺社が、鬼門封じを目的とした鎮宅系の護符を頒布し続けている。これは、この江戸期に形作られた実践の延長線上にあるものと理解してよいだろう。

鎮宅の思想と地鎮祭――土地を鎮めるという発想の共通点

鎮宅霊符という具体的な護符の信仰とは別の系譜もある。日本にはもう一つ、土地そのものを鎮めるための儀礼が古くから存在してきた。それが地鎮祭である。地鎮祭は、更地となった土地にこれから建物を建てるにあたる。その土地の神である産土神・地主神に工事の無事と建物の安寧を祈願する神道儀礼である。

記録の上では『日本書紀』にすでに「土地を鎮める」祭祀に類する記述が見られるとされるほど古い歴史を持つ。

地鎮祭と鎮宅霊符信仰は、成立の経緯も担い手も異なる別々の伝統だ。それでも「人が住まうために土地の秩序を一度乱すからこそ、その土地の神霊を鎮める」という発想を共有する。あらためて許しと加護を得なければならない、という根本の発想だ。この点において、両者は驚くほど重なり合っている。

鎮宅霊符は、護符という「モノ」を用いて住居に宿る邪気を鎮めようとする。これに対し地鎮祭は、神職による祭祀という「儀礼」を通じて土地そのものを鎮めようとする。いわば同じ問題意識に対する二つの異なるアプローチだと理解することができる。

実際、地鎮祭では神職から施主に鎮め物(鎮物)が授与される。そこには人形・盾・矛・小刀子・長刀子・鏡・水玉といった七種の宝物が納められている。

これらを建物の中心となる地中に埋めることだ。土地の神への供物とすると同時に、その場所そのものに一種の護符的な力を宿らせようとする発想がうかがえる。鎮め物という言葉そのものにも、「鎮」の字が用いられている。これも、この儀礼が鎮宅霊符信仰と同根の思想を共有していることの傍証といえるだろう。

現代における鎮宅信仰の継承――星田妙見宮を中心に

鎮宅霊符神信仰は、決して過去の遺物として博物館的に保存されているだけの存在ではない。大阪府交野市の星田妙見宮では、江戸期以来の版木を用いて刷られた太上神仙鎮宅七十二霊符が現在も授与され続けている。これは日本国内で最も知られた鎮宅霊符信仰の実践拠点の一つとなっている。

弘法大師空海が交野の山中で修法を行った際、天上から七曜(北斗七星)が降った。それが降り注いだ地に創建されたという。同宮はこの「七曜星降臨の地」の伝承を持つ。妙見信仰・星辰信仰・鎮宅霊符信仰が渾然一体となった、まさに鎮宅の思想が生きた形で継承されている場所というわけだ。同様に、大阪の堀越神社でも太上神仙鎮宅七十二霊符が授与されている。

奈良の鎮宅霊符神社もまた、規模こそ小さいものの、南都の陰陽師たちが築いた信仰の拠点として現在も存続している。一方で、地鎮祭という形での鎮宅の実践は、はるかに大きなスケールで現代社会に根を張っている。

神社本庁の公式サイトでも紹介されている通りだ。地鎮祭は今日でも、新築住宅や商業施設、公共工事にまで及ぶ。日本各地の建築現場で日常的に執り行われる神事であり続けている。

護符という「モノ」を介した鎮宅信仰は、一部の熱心な参拝者や祈祷所の顧客に支えられたニッチな信仰である。これに対し、地鎮祭という「儀礼」を介した鎮宅の実践は違う。宗教的な熱心さの度合いにかかわらず、家を建てるという人生の大きな節目に行われる。ごく普通の人々が半ば当然の慣習として体験する広範な文化として、今も生き続けている。

この二つの異なるスケール感こそ、鎮宅信仰が現代日本社会に残した最大の足跡だといえるだろう。

鎮宅を実践する――具体的な作法

ここからは、実際に鎮宅の思想を実践に移す際の具体的な手順を見ていく。規模の大きなものから身近なものへと、順を追って紹介する。

① 地鎮祭による鎮宅――正式な儀式の流れ

新築の際に神社へ依頼する正式な地鎮祭は、おおむね次のような順序で進行する。まず参列者は手水桶で両手を洗って心身を清め、開式後には修祓の儀として、神職が参列者と供物を祓い清める。続いて降神の儀では、神職が「オオー」という警蹕(けいひつ)の声を発する。そうしながら、その土地の神をこの場に迎え入れる所作を行う。

神が降臨したとされた後、献饌としてお供え物の蓋を取って神に捧げ、神職が祝詞を奏上する。

祝詞の内容は、これからこの土地に建物を建てることを神に告げるものだ。工事の安全と建物の末永い安寧を祈願する趣旨のものである。文言は神社や地域によって多少の違いがある。続く清祓の儀では、神職が切麻(きりぬさ)と呼ばれる紙片と麻苧を敷地の四方と中心に撒いて土地そのものを清める。

儀式の中心である地鎮の儀では、まず設計者が斎鎌(いみかま)を用いて盛砂に生えた草を刈る所作をする刈初の儀を行う。

続いて施主が斎鍬(いみくわ)を持って砂を掘る所作をする、穿初の儀がある。最後に施工者が斎鋤(いみすき)で砂を均す所作をする堀初の儀が行われる。それぞれの所作は「エイ、エイ、エイ」という掛け声とともに三回ずつ繰り返されるのが通例である。

この掛け声は、力を込めるための単純な発声である。同時に「栄(えい)」の字を当てて家の繁栄を祈る意味が込められているとも説明される。

前述した鎮め物は、この地鎮の儀の際に神職の手で建物の中心となる位置の地中に据えられる。その上から土がかぶせられる。地鎮の儀の後は玉串奉奠に移る。参列者が榊の枝に紙垂を付けた玉串を時計回りに回しながら根元を神前に向けて捧げ、二拝二拍手一拝の作法で拝礼する。

最後に、神を送り返す昇神の儀を経る。続いて参列者一同で御神酒をいただく神酒拝戴がある。そして直会(なおらい)と呼ばれる簡単な酒宴をもって式が締めくくられる。

② 鎮宅符・鎮宅霊符を自宅に祀る作法

星田妙見宮のような専門の寺社では、太上神仙鎮宅七十二霊符が授与される。七十センチ四方を超えるような大判の和紙に刷られていることが多い。そのまま壁に貼るのではない。専用の額縁に収めて祀るのが一般的な作法とされる。

授与元の寺社では、霊符に見合う大きさの額縁も合わせて頒布していることが多い。実際に参拝した人の記録がある。霊符と額縁を合わせて一万円前後という初穂料が目安になるという。

祀る位置については、目線より高い場所に据えることが重視される。これは神仏に対する敬意の表れである。同時に、日常的な視線が霊符の姿に無遠慮に晒され続けることを避けるという配慮でもある。方角としては北向きの高所、すなわち北辰・北斗信仰に由来する星辰の巡りを意識した位置が望ましいとされることが多い。

神棚がある家庭であれば、その近くに祀る。神棚がない場合でも、家の中で最も清浄で人の出入りの少ない場所を選ぶ。玄関の下駄箱の近くやトイレの周辺など、不浄とされる場所は避けるべきだとされる。大判の霊符を祀る場所を確保できない住宅事情に配慮してか、近年では七十二の霊符を一枚ずつカードの形に分割する。

そのなかから自分の願意に合った符を選んで北の高所に安置するという簡便な形式も授与されるようになっている。

有効期限については、おおむね一年を目安とする。年が改まる節目や節分・七夕といった授与の時期に合わせ、新しいものに更新するのが望ましいとされる。役目を終えた古い霊符は、粗末にごみとして捨てるのではない。授与を受けた寺社に返納し、御焚き上げをしてもらうのが本来の作法である。

③ 家庭でできる簡易的な鎮め

専門の神職を招く正式な地鎮祭が費用や日程の面で難しい場合、家庭で行える簡易的な鎮めの作法も広く実践されている。用意するものは、洗米一合ほどと、粗塩をひとつまみ盛った小皿と、清酒の小瓶だ。そして「奉献」あるいは「奉納」と表書きしたのし紙がいる。いずれもごく身近な品で構いない。

手順としては、まず敷地の四隅を東・南・西・北の順に回る。それぞれの角に洗米と塩を少量ずつ撒き、最後に敷地の中央でも同様に撒く。

家族で行う場合には、世帯主が酒を、他の家族が塩や米を撒くというように役割を分担する例も見られる。この一連の所作を終えたら、中央で静かに手を合わせる。これからこの土地に住まわせてもらうことへの感謝を伝える。そして工事や暮らしの安全を土地の神に祈念する。

正式な地鎮祭に比べれば簡略な作法ではある。ただ、実際にこの方法を試みた家庭の記録もある。子どもが途中で転んで塩をこぼしてしまうなど、思うようにいかない場面があった。それでも「土地の神様に挨拶をした」という実感そのものに意味を見出している。やってよかったと振り返る声が多い。

④ 鬼門・裏鬼門への鎮宅符・家相札の実践

すでに住んでいる家に対して鎮宅の作法を施す場合もある。最も手軽で広く行われているのは、鬼門(北東)と裏鬼門(南西)への実践だ。そこに鎮宅符や家相札を貼るというわけだ。まず自宅の中心にコンパスやスマートフォンの方位アプリを置き、正確な北東・南西の方角を割り出すところから始める。

貼る場所としては、家の最も外側の壁、すなわち外壁に貼ることが結界としての効果が最も高いとされる。

強力な両面テープなどを用いて固定するとよいとされる。外壁への設置が難しい集合住宅などの場合は、室内の鬼門・裏鬼門に当たる壁に貼っても構わないとされる。その際は御札の印判が押されていない裏面を室内側に向ける。つまり自分の目に触れる側に向けて貼るのが、一つの作法として伝えられている。

これは、外から壁をすり抜けて侵入しようとする邪気を、御札の力で押し返すという意味合いが込められているのだという。

トイレと浴室が同じ空間にある場合は浴室側に一枚貼れば足りるとする寺社もある。札の向きそのものについては「どちらを向けても構わない」と説明する授与所も少なくない。

更新の時期としては、節分にあたる二月三日に古い札を寺社へ納めて御焚き上げしてもらう。そして翌日の立春に、新しい札を受けて貼り替える。この季節の節目に合わせた一年周期のサイクルが広く行われている。

⑤ 唱える言葉――真言・掛け声・祓詞

鎮宅の実践において実際に声に出して唱えられる言葉は、担い手の系統によって異なる。地鎮祭の鍬入れの際に発せられる「エイ、エイ、エイ」という掛け声はすでに触れた通りである。ただ、この場に先立つ修祓の儀もある。神職やそれに準じる立場の者が場を清めるために唱える儀だ。「はらいたまえ きよめたまえ」という短い祓詞を唱えることも多い。

鎮宅霊符神が習合した妙見菩薩を、信仰の対象とする密教系の系統がある。そこでは「オン・ソヂリシュタ・ソワカ」という真言がある。妙見菩薩の代表的な真言として伝えられている。これを唱えながら霊符に向き合ったり、日々の礼拝の際に唱えたりする実践者もいる。

また、家に忍び込む邪気そのものを断ち切る目的で使う作法もある。陰陽道由来の九字「臨兵闘者皆陣列在前」を唱えながら、指で空を切る作法だ。読みは、りん・びょう・とう・しゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜんである。これを鎮宅符を貼る前や家の四隅を清める際に併用する実践者もいる。いずれの言葉も、単独で唱えれば効果を発揮するという性質のものではない。

身を清め、場を整え、道具を用意するという一連の作法全体がある。そのなかに位置づけられて初めて意味を持つとされている。この点は、鎮宅の実践全般に通底する重要な考え方だといえるだろう。

現代の実践例・体験談

鎮宅の思想が現代の暮らしのなかでどのように受け止められているか。それを知るには、実際に体験した人々の記録に耳を傾けるのが一番早い。正式な地鎮祭を依頼せず、家族だけでセルフ地鎮祭を行ったというある家庭の記録がある。そこでは夫が伝統的な儀式にあまり関心を示さなかったこともある。

費用のかかる正式な依頼の代わりに、洗米と粗塩、清酒の小瓶だけを用意した。敷地の四隅と中心に撒くという簡略な形で済ませたという。

末の子どもが儀式の途中で転んでしまった。撒くはずだった塩が一箇所に集中してしまうという、小さなハプニングもあったという。それでも「土地の神様に挨拶をした」という実感を得られたことに満足する。「やってよかった」と振り返っている。

正式な作法から外れた簡略な鎮めであっても、実践する者の心構えそのものが重要視される。これは鎮宅の信仰に一貫する価値観だ。この体験談は、それをよく表している。

一方、星田妙見宮を参拝する。太上神仙鎮宅七十二霊符を実際に授かったというあるブロガーがいる。以前この霊符を受け取る他の参拝者を見かけたときのことだ。その金額の大きさと扱い方の分からなさから「自分には一生縁がないだろう」と感じていたと綴っている。しかしその後、年が明けてから同宮を参拝すべきだという強い思いに何度も背中を押される。

ついに社務所で実際に霊符を受け取ることになった。

この霊符は薄い和紙のままでは飾ることができず、別途専用の額縁が必要になるという。風通しを考えてガラス製の額縁を選んだと記している。この参拝者は霊符そのものを「生き物」と表現しており、単なる紙片としてではない。日々の暮らしのなかで呼吸をともにする存在として大切に扱おうとする姿勢がうかがえる。

また別の参拝記録もある。初めて授与所でこの最高位の霊符を見かけた際のことだ。「決して高くはないほどのご利益があるらしい」と聞きながらも迷いがあった。自宅の神棚の狭さやその重みへの畏怖から、あえて最高位の霊符ではなく別の霊符を選んだという。そうした逡巡も語られている。

現代人は鎮宅霊符という存在に対して、なお畏敬の念を抱き続けている。こうした迷いそのものが、それをよく物語っているように思われる。

インターネット上の質疑応答サイトにも目を向けたい。新築時にお祓いや地鎮祭を行うべきかどうかを尋ねる質問が、繰り返し投稿されている。

「気になるなら形だけでもやっておいたほうが気持ちが落ち着く」という回答がある。「信仰の有無にかかわらず、工事関係者の安全意識を高める意味でも意味がある」という声もある。宗教的な確信よりも心理的な安心感や実務上の効用を重視する回答が、数多く寄せられている。

鎮宅という営みが、超自然的な力への一方的な依存としてではない。住まいという生活の基盤に向き合う際の、一種の心の作法である。現代人のあいだで柔軟に受け継がれていることがうかがえる。

生成した鎮宅符の図案

本記事のテーマに合わせて、鎮宅符・鎮宅霊符をイメージした護符デザインを生成した。和紙を思わせる生成りの背景に、「鎮宅」の文字を中央に配した。左右に「家内安全」「除災招福」、下部に「急急如律令」の文言を添えたのだ。四隅には五芒星と八卦の卦画を配した。家や住まいを守り邪気を祓うための、穏やかで神聖な雰囲気の意匠とした。

むすび

鎮宅とは、中国の道教が育んだ鎮宅霊符神信仰を源流とする。日本列島に渡ってからは、陰陽道の官僚機構、妙見信仰、神道の土地神祭祀と折り重なった。さらに江戸期の家相学や方位除けの思想とも幾重に重なり、形作られてきた。住まいを鎮め守るための、息の長い実践体系である。

それは奈良の鎮宅霊符神社に見られるような、陰陽師たちの信仰拠点として残る。大阪の星田妙見宮に見られるような、星辰信仰と結びついた護符の頒布としても残る。そして何より、日本各地の建築現場で今なお当たり前のように執り行われている地鎮祭という儀礼だ。驚くほど多様な姿で、現代にまで受け継がれている。

護符という「モノ」を用いる鎮宅と、祭祀という「儀礼」を用いる鎮宅がある。両者は成立の経緯こそ異なる。「人が住まう場所には、まずその土地への敬意と鎮めが必要だ」という一つの根本的な問いがある。これへの二つの誠実な応答なのだといえるだろう。

家を建てるとき、あるいはすでにある家の安寧をあらためて願うときがある。鍬入れの掛け声を耳にするにせよ、鬼門の柱に一枚の御札を貼るにせよ、同じだ。そこには千年以上前の中国の道士たちが、紙の上に一念を凝らして描いた祈りの形がある。それが姿を変えながら、確かに息づいているのである。

Sources: 鎮宅霊符 – Wikipedia、鎮宅霊符神社 – Wikipedia、太上神仙鎮宅霊符 – 星田妙見宮。星田妙見宮公式サイト、地鎮祭 – 神社本庁、鎮め物について – マルト。鬼門札の貼り方 – 高野山宗泉寺、家相札Q&A – 一光寺、地鎮祭の鍬入れ – freebirdだ。建築の式典 – 岡建工事、セルフ地鎮祭 – おくらのくらし、太上神仙鎮宅七十二霊符 – 佳月の日記。

星田妙見宮参拝記 – シロンプトン、妙見菩薩の真言 – 梵字一覧まとめ。

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