土佐の室戸岬、国道の脇に口を開けた御厨人窟で、若い空海が一心に唱え続けた真言がある。ノウボウ・アキャシャ・キャラバヤ・オン・アリキャ・マリボリ・ソワカ。虚空蔵菩薩の真言を百万遍唱える、虚空蔵求聞持法という行だ。唱え切れば、一度目や耳に触れた経文を忘れなくなると経は説いた。
- 室戸崎で唱えた一巻の経
- 百万遍を数える前に経の決まりを押さえる
- ノウボウ・アキャシャ・キャラバヤの一句を覚える
- 絹に満月を描いて菩薩を坐らせる
- 像を西へ向け、四指の高さの木壇に五つの供えを並べる
- 水に三遍唱えて飲み、頭頂から喉まで印を当てる
- 供えを一つずつ加持し、七遍で十方に結界を張る
- 二十五遍で菩薩を招き、蓮華の座に迎える
- 五つの供えを一遍ずつ捧げ、心の供養を重ねる
- 数珠を繰り、金色の字を巡らせて唱える
- 満月を広げて縮め、三遍唱えて菩薩を送る
- 一日一万遍を百日、結願の日を食に合わせて逆算する
- 五十日で月食の夜に結願した讃岐の山の行
- 日食か月食の空の下で牛酥をかき混ぜる
- 気、煙、火の相を見て、出なければ初めからやり直す
- 求聞持堂のある寺と、行に近づく道
- 家で真言を唱えるときは数を決めずに常に誦す
- 仁王門で一礼し、手水を五つの手順で使う
- 数えで十三の春に法輪寺で一字を納める
- 村松虚空蔵尊で申し込み、護摩の煙を受ける
- 数え年を数え直し、晴れ着と一字の用意をする
- 初穂料を蝶結びの袋に包み、御札を目線より高く祀る
室戸崎で唱えた一巻の経
空海は二十四歳で書いた『聾瞽指帰』の序文に、この行のことを残し、ある僧がこの法を見せてくれたと書いた。経には、作法どおり真言を百万遍唱えればあらゆる教えの文と意味を暗記できるとある。そう信じて阿波の大滝嶽に登り、土佐の室戸崎で唱えた。「谷響を惜しまず、明星来影す」と序文は結んだ。
もとになった経は『虚空蔵菩薩能満諸願最勝心陀羅尼求聞持法』の一巻で、訳者は善無畏。大安寺の寺伝では、養老二年、七一八年に唐から帰った道慈が持ち帰ったという。以下は、この経に書かれた次第と、日本の寺が伝える日数の組み方、在家が縁を結ぶ参り方の順に並べていく。
百万遍を数える前に経の決まりを押さえる
最初に数の枠を頭に入れておく。経が決めた数は「前後通計して百万遍」だけだった。百日とも五十日とも書いていない。そのかわり「中間に間闕を容れず」とあって、始めたら一日も欠かせない。期限が無いのに一日も休めないという組み合わせが、この行のいちばんきつい条件になっている。
一日の座数は「或いは一日一上、或いは一日両上」。一座にするか二座にするかは行者が選ぶ。ただし毎日の遍数は初日と同じにそろえ、増やすことも減らすことも許していない。初日に決めた数が、そのまま百万遍に届くまでの毎日の数になるわけだ。
生活の決まりは、経の本文を見るかぎり意外に少ない。食べ物や睡眠を細かく縛る条はなく、書いてあるのは道具を揃える日の朝に手と顔を洗って身を清めることくらい。高野山真言宗の妙楽寺は、百日のあいだ精進潔斎して本尊に向かい、毎日一万遍を唱えると説明している。浄土真宗の西光寺は、その間の暮らしの厳しさを「命を落とす者もいた」とまで書いた。
ノウボウ・アキャシャ・キャラバヤの一句を覚える
唱える陀羅尼を、経は「能満諸願虚空蔵菩薩最勝心陀羅尼」と呼ぶ。漢字の音写は「南牟阿迦捨掲婆耶唵阿唎迦麼唎慕唎莎嚩訶」。日本の読みは「ノウボウ・アキャシャ・キャラバヤ・オン・アリキャ・マリボリ・ソワカ」になる。
意味はざっくり、前半が「虚空蔵菩薩に帰命します」。ノウボウが帰命、アキャシャが虚空、キャラバヤが蔵に、という並びだ。オンは祈りの頭に置く聖音で、ソワカは成就を願う結び。真ん中のアリキャ・マリボリは、訳が一つに定まっていない。
仮名の振り方は寺で少しずつ違う。徳島の箸蔵寺や岡山の求聞持の寺は「ノウボウ・アキャシャキャラバヤ・オンアリキャ・マリボリソワカ」と区切った。妙楽寺は「ナウボウ・アキャシャラバヤ・オン・マリキャマリボリ・ソワカ」と書き、発音が難しい真言だと添えている。習う寺の音に合わせるのがいちばん確かだ。
虚空蔵菩薩には、もう一つ短い真言もある。千葉のやすらか庵は「オン・バザラ・アラタンノウ・オン・タラク・ソワカ」を挙げた。やすらか庵はこちらも虚空蔵菩薩の真言として並べているけれど、求聞持の経が説くのは長いほうだけだ。
絹に満月を描いて菩薩を坐らせる
本尊は画像をこしらえる。経は、絹か白い毛織の布、清めた板のどれかに、まず満月を描けと言う。その円の中に虚空蔵菩薩を描いた。大きさは一肘を下回らず、上は力の及ぶかぎりでいい。
菩薩の身は金色で、宝の蓮華の上に半跏で坐り、右足で左足を押さえる。顔は晴れやかに喜んだ相。宝冠には結跏趺坐の仏を五体並べる。顔つきや冠の仏の座り方まで経が細かく指定しているので、描き手が好みで変えられる所はあまりない。
左手には紅のさした白蓮華を持たせ、花の台に載せる如意宝珠は瑠璃色で、黄色い光が炎のように立つ。右手は与願印で、五指を垂らして掌を外へ向けた形だ。描き上げたら清らかな布で覆っておく。
岡山県瀬戸内市の宝光寺には、十四世紀から十五世紀前半ごろの求聞持法の本尊画が伝わる。白地の大きな円相の中に菩薩が坐り、下に明星天子が描き込まれていた。市の文化財に指定されていて、群青の二重の光を背にした菩薩の姿が、経の描き方をそのまま映している。
像を西へ向け、四指の高さの木壇に五つの供えを並べる
場所は人のいない静かなところを選ぶ。経は浄室、塔廟、山頂、樹下を挙げた。像は正しく西へ向けるか、北向きでもいいとあり、西向きの像の前に坐れば行者は東を向くことになる。
像の前には四角い木の壇を置く。一辺は一肘以上。四本の足をつけて、上面が床から指四本分の高さになるようにする。材は白檀か沈香が上で、無ければ柏など香りのある木で代えてよかった。
供えは塗香、花、焼香、飲食、灯明の五つ。塗香は白檀を磨って作る。花は季節の草花で、無い時期は粳米、炒った蕎麦、橘や柏の葉、丁子で代える。焼香は沈香、白檀、龍脳から選ぶ。
飲食は臭いの強いものを除き、毎回新しく作り直す。灯明の燃料は牛の酥で、油でもいい。これらを揃える朝は手と顔を洗い、身を清めてから取りかかり、揃えたものは壇のそばに置いていったん外へ出る。
水に三遍唱えて飲み、頭頂から喉まで印を当てる
外で清らかな水でもう一度手を洗う。右手を仰向けにして五指を伸ばし、人差し指を曲げて親指と合わせる。香をつまむような形だ。経はこの形を「虚空蔵菩薩如意宝珠成弁一切事印」と呼び、菩薩の宝珠があらゆる事を成し遂げる印だとしている。
この印の掌に水を受け、陀羅尼を三遍唱えて飲んだら、もう一度水を受けて三遍唱え、今度は頭頂と体にそそいだ。これで内と外を清める。飲むための水と頭からそそぐための水とで、唱える数はどちらも三遍、印の形も同じまま通している。
堂に入ったら像の前で礼拝し、菩薩に向かって半跏で坐る。像の覆いを外す。ここからが本番だ。覆いを取るのは坐ってからで、それまでは布を掛けたままの像に礼拝する順番になっている。
護身の印は、人差し指の第二関節を曲げ、第一関節を伸ばして親指と合わせる形。頭頂に当てて一遍、右肩で一遍、左肩で一遍、胸と喉で一遍ずつ唱える。経によれば、五か所に印を置き終えたところで一切の罪障が消えるという。諸仏と菩薩がこの人を受け入れ、障りをなす毘那夜迦も手出しできなくなる、とも書いた。
供えを一つずつ加持し、七遍で十方に結界を張る
掌にまた水を受けて一遍唱え、供えと壇、壇のまわりの床にそそぐ。清めた供えには一つずつ印を当てた。塗香の上に護身の印を置いて一遍。花、焼香、飲食、灯明、木壇にも同じことを繰り返す。これで場が清まった。
続いて結界を張る。護身の印を右へ三度めぐらせ、あわせて上と下を指す。動かすのは手だけ。体は揺らさない。陀羅尼を七遍唱えるあいだに、自分の心で決めた広さの十方に囲いを結んだ。
二十五遍で菩薩を招き、蓮華の座に迎える
目を閉じ、菩薩の本当の身がこの画像とまったく同じだと思い描く。経の言葉では「虚空蔵菩薩の真身、即ち此の像と等しくして異なり有ること無し」。護身の印のまま、招く心で陀羅尼を二十五遍唱え、唱え終えたら親指を動かして菩薩を招く所作を一度した。
同じ印でさらに三遍唱え、画像の蓮華を座にして菩薩が来て坐ったと想う。目を開けて菩薩を仰ぎ、そこに生身の菩薩がいると受け取る。目を開けて見える画像を、ただの絵ではなく生きた菩薩として受け取るのが、この段の要になる。もう三遍唱えて、心の中でこう念じた。
原文は「今者菩薩来至於此、是陀羅尼力、非我所能。唯願尊者暫住於此」。読みは「今者菩薩此に来至したまう。是れ陀羅尼の力にして我が能くする所に非ず。唯願わくは尊者、暫く此に住したまえ」。
菩薩が来られたのは陀羅尼の力で自分の力ではない、しばらくここにお留まりください、という意味になる。招いた自分の手柄にせず、陀羅尼の力に預けて頭を下げる言葉だ。ここまでで、菩薩を迎える段が一通り済んだ。
五つの供えを一遍ずつ捧げ、心の供養を重ねる
供養は細かい。塗香を取って一遍唱え、壇に塗る。花を取って一遍唱え、壇に散らした。焼香、飲食、灯明も一遍ずつ唱えて手に捧げ持ち、壇のそばに置く。
一つ捧げるたびに、その供えが一切の諸仏と菩薩の福と慧から生まれたものだと想い、限りなく増えて広がっていく様を心に描く。最後に、幡や天蓋、香華や宝の飾りが調った光景を思い浮かべ、一切の如来と菩薩に捧げた。経はこれを供養の中の最上と言った。塗香や花を揃えられなくても、この心の供養だけで法は成り立つという但し書きまである。
数珠を繰り、金色の字を巡らせて唱える
ここから百万遍の本体に入る。印を結んだ手で数珠を繰り、遍数をはっきり記録しながら唱える。経の言葉では「手印をもって珠を掐り、陀羅尼を誦し、明らかに遍数を記せ」だ。目は閉じたまま。菩薩の胸に満月があり、唱えている陀羅尼の字が金色で並んでいると想う。
その字が満月から流れ出て、行者の頭頂にそそぎ、今度は行者の口から出て菩薩の足もとへ入っていく。数珠を繰る手と唱える口と、心に描く字の三つを同時に動かし続けるのが、この行の骨になる。字は車輪のように途切れず巡り続けた。
体や心が疲れたら、無理に続けずいったん止める。経は「身心若し惓めば即ち止息すべし」と書き、至誠に菩薩を仰いで坐ったまま礼拝せよと続けた。休むことまで手順に入っているのは、長丁場をよくわかっていたからかもしれない。
満月を広げて縮め、三遍唱えて菩薩を送る
一座の終わりには観想を締める。満月と菩薩をはっきり想い浮かべたら、少しずつ大きくして世界いっぱいに広げる。今度はだんだん縮め、元の大きさに戻ったところで観想を出る。ここで観想は終わった。
そのあとが発遣、菩薩をお帰しする作法だ。護身の印を結んで陀羅尼を三遍唱え、親指を上げて送り出すときに念じる言葉は「唯願慈悲布施歓喜、後会法事復垂降赴」。慈悲をもって喜びをお与えください、次の法事にもまたお越しください、という意味で、これで一座が閉じた。次の座では、また最初の洗手から同じ順に招き直す。
一日一万遍を百日、結願の日を食に合わせて逆算する
日本で広く知られた組み方は、一日一万遍を百日続けて百万遍に届かせる形だ。妙楽寺、やすらか庵、札幌の成田山真如院、茨城の村松虚空蔵尊が、そろってこの数を挙げている。一日二万遍で五十日という組み方も伝わる。
やすらか庵は、この行を堂にこもって数を数えながら唱え続ける荒行と書いた。一遍に二、三秒としても、一万遍なら五時間半から八時間あまりかかる計算だ。一日両上にするなら、一座五千遍を二度。休める日は無い。
効いてくるのが結願の決まりだった。経は、百万遍を満たしたあと、日食か月食のときに最後の作法をせよと命じる。だから入る日は、結願が食の日に来るよう暦から逆に数えて決めると説明される。日食なら昼、月食なら夜の座になる。
西向きの像に向かう行者は、東の空を正面に坐る。夜明け前の東には明けの明星が上る。宝光寺の本尊画に明星天子が描かれたように、日本の求聞持法は明星を拝む作法と結びついてきた。空海の「明星来影す」も、この東の空のことだ。
五十日で月食の夜に結願した讃岐の山の行
五十日で組んだ近年の記録もある。香川県さぬき市の真言宗の寺、日内山奥之院の道場で、平成十三年に修された求聞持法だ。寺の記録では、開白が五月十六日、結願が七月六日の月食の日だった。開白から結願までを暦で数えると、五月十六日から七月六日まで、五十日あまりになる。
行者は山の中に一人でこもり、世間とはいっさい隔てられたうえ、一日一食のソバガキで命をつないだという。そのあいだ、五十日で百万遍を唱え切る。一日にならせば二万遍になる。
この行では、行法の伝授を大僧正から受け、別の僧正が証明師に立っていた。結願を月食の日に合わせてあるのも、経の決まりどおりだ。経の文字の上に、師と証明の僧と暦がそろって、ようやく一回の行が立つわけだ。一人では立たない行だった。
日食か月食の空の下で牛酥をかき混ぜる
百万遍を満たしたら食の日を待つ。その日はまず、力に随って飲食や財物を施し、仏法僧の三宝に供養する。それから菩薩の画像と壇を、屋根の無い清らかな地へ移して据え直した。舞台は外に移った。
用意するのは牛の酥を一両。熟した銅の器に盛る。乳の出る木の葉を七枚と枝を一本取ってきて壇のそばに置き、花や香はいつもの数倍に増やして供えた。供養の手順は毎日の座と同じだ。
供養が済んだら、木の葉を壇の上に敷く。葉の上に酥の器を載せ、印を結んで陀羅尼を三遍唱えて酥を加持する。それから枝で酥をかき混ぜ続ける。毎日の座と違うのはここからで、器を載せた壇はそのまま屋根の無い空の下に据えられている。
目は日か月を見て、あわせて酥も見る。陀羅尼は数を限らずに唱え続けた。欠け始めから、欠けが戻って元の円に還るまでが勝負になる。食がどのくらい続くかはその日ごとに違うから、かき混ぜる長さも唱える長さも、そのときの空しだいになる。
気、煙、火の相を見て、出なければ初めからやり直す
欠けているあいだに、酥に三つの相のどれかが現れるとされた。一つめは気、二つめは煙、三つめは火。経はこれを下、中、上の三品と呼び、どれか一つでも得られれば法は成就したとする。どれでもよかった。
相の出た酥は神薬になり、食べれば聞持を得る。原文は「若食此薬即獲聞持、一経耳目文義倶解」。この薬を食べれば、ひとたび耳目に触れた文も意味もわかる、という意味だ。そこで行は満ちた。
三つの相がどれも出ないまま、日や月が元の円に戻ったら、その回は成就しなかったことになる。経は、最初からやり直せと言った。百万遍を、もう一度だ。やり直しは七遍まで数えてあって、七度重ねれば重い罪も消えて法は必ず成る、とまで書く。
酥を食べたあとの壇や像の納め方は、経には書かれていない。経がはっきり決めているのは、相が出るまでの作法と、出なかったときにやり直す回数のところまでだ。
求聞持堂のある寺と、行に近づく道
いま求聞持法の道場として公に名を出しているのは、広島県宮島の大聖院だ。弥山の上に求聞持堂が建ち、真言密教の荒行である虚空蔵求聞持法を修行する道場だと寺は説明している。四国霊場の二十一番太龍寺は、十九歳の大師が舎心ヶ嶽で百日かけて修めたと伝え、二十四番最御崎寺は院号を明星院という。
こうした堂や岩場は参拝に開かれていて、御厨人窟も朝八時から夕方五時まで入れる。手印や観想の細部は経の文字だけでは埋まらないので、本格の行は密教の師から次第の伝授を受けて入るものだ。在家が同じ菩薩に縁を結ぶ形としては、次の常誦と十三参りがある。
家で真言を唱えるときは数を決めずに常に誦す
経は陀羅尼を説いたあと、ふだん唱える者が受ける功徳を並べた。はてしない昔から重ねた五無間の罪障まで消え、諸仏と菩薩にいつも護念され、虚空蔵菩薩が離れず守る。善い願いは満たされ、人や天に生まれて悪趣に堕ちない、という中身だった。
そのうえで、作法を加えなくても常に唱えるだけでこの福があると区切っている。原文は「設不加法、但能常誦、獲福如是」。読みは「設い法を加えずとも、但だ能く常に誦せば、福を獲ること是くの如し」。
この常誦には、経は回数を決めていない。家なら仏壇の前、寺なら本尊の前で胸の前に合掌し、あの長いほうの真言を静かに繰り返す。数を決めない以上、何遍で止めてもかまわない理屈だ。寺で唱えるときの境内での動きは、次の村松虚空蔵尊の作法がそのまま使える。
丑年と寅年の生まれには、虚空蔵菩薩が守り本尊になる。箸蔵寺も「丑年とその次の寅年のご本尊は虚空蔵菩薩様」と明記していた。縁日は毎月十三日で、寺へ唱えに行く日を選ぶならこの日が目安になる。
仁王門で一礼し、手水を五つの手順で使う
村松虚空蔵尊は、境内での参り方も手順にして示している。入口の仁王門をくぐる前に一礼し、気持ちを引き締めてから境内へ入るのが最初の作法だ。手水はその次だった。
手水は五つの手順で使う。右手で柄杓を持って左手を清め、左手に持ち替えて右手を清める。もう一度右手に持ち替え、左の手のひらに受けた水で口をすすいだら、残った水を左手に流した。最後に柄杓を立てて柄に水を伝わせ、伏せて元へ戻す。
本堂では賽銭箱の前に立って一礼し、真心のしるしとしてお賽銭を入れる。拍手は打たない。胸の前で静かに合掌して祈り、もう一度礼をしてから下がるのが、この寺の示す形になる。
数えで十三の春に法輪寺で一字を納める
在家の参り方でいちばん知られているのが十三参りだ。京都嵐山の法輪寺では、数えで十三歳になった男女が参り、十三歳の厄難を払って智恵を授かるとされる。寺の由緒が挙げる日は毎年四月十三日だ。実際には春の三月十三日から五月十三日まで、中日の四月十三日を真ん中に参る人が多く、秋にも受け付けている。
参ったら漢字を一字書いて虚空蔵菩薩に納める。一字写経と呼ぶ作法だ。祈祷の期間は一週間、一か月、一年から選べる。たった一字だ。
帰りは渡月橋を渡りきるまで、寺のほうを振り返らないのが決まりで、振り向けば授かった智恵を返してしまうからだと言われる。道昌が求聞持法の百日参籠を修めたと伝わるのも、この法輪寺だった。寺の由緒では、承和年間、八三四年から八四七年のあいだのことだった。満願の日に虚空蔵菩薩を感得し、その姿を木に刻んで本尊にしたという。
村松虚空蔵尊で申し込み、護摩の煙を受ける
東日本なら茨城県東海村の村松虚空蔵尊。十三詣りは通年受け付けていて、毎年三月二十五日から四月七日が特別な時期、四月第一日曜日が大祭になる。対象は数えで十三歳、満で十二歳の子だ。日本三体虚空蔵尊の一つに数えられる寺で、関東で十三参りをするならここ、と寺自身も案内している。
予約は要らない。護摩祈願受付所で用紙に書いて申し込み、祈祷時間の十五分前までに受付を済ませる。祈祷料は五千円、一万円、二万円以上から選ぶ。五月一日から十二月三十日の通常期なら、祈祷は九時、十時半、十二時、十三時半、十五時の五座だ。
受付のあとは大客殿で待ち、太鼓橋を渡って本堂の護摩祈祷に参列する。祈祷が終わると御札を受け取り、望めば護摩の煙を体に受けられる。一字写経は、子が大事にしている漢字一文字を半紙に毛筆で書いて納めるやり方で、「知」「学」「心」がよく選ばれるらしい。帰りはここでも振り返らない。
数え年を数え直し、晴れ着と一字の用意をする
村松虚空蔵尊の案内に沿って、当日までの支度を順に並べておく。最初に年を数える。数え年は生まれた時点で一歳とし、一月一日が来るたびに一つ足す。生まれ年の干支が初めて回ってくるのが数えの十三で、満なら十二歳にあたる。
早生まれ、つまり一月から三月生まれの子は、小学校を卒業する三月に参る形になる。いまは数えと満のどちらでもかまわない、と寺は書いていて、中学へ上がる前の春休みに参る家が増えているらしい。そのうえで、子と家族の体調と都合のよい時期に参るよう勧めている。
服装は、女の子なら振袖、男の子なら紋付の羽織袴が選ばれてきた。洋服や制服でも差し支えはない。付き添う親は、子より格上に見えないよう控えめにする。草履は前もって履き慣らしておくといい。
一字写経の字も決めておく。「知」「福」「幸」のように、願いにちなんだ一字を選ぶ家が多いそうだ。包みの表書きは、寺なら「御布施」か「御祈祷料」が一般的だと村松は添えている。
初穂料を蝶結びの袋に包み、御札を目線より高く祀る
村松虚空蔵尊の案内では、十三参りの初穂料の相場を五千円から一万円ほどとしている。白無地の封筒か紅白の祝儀袋に入れ、水引は蝶結び。表書きは上に「初穂料」か「御初穂料」、下に祈祷を受ける子のフルネームを書く。中袋の表に金額、裏に住所と名前を書き、紙幣は人物の描かれた側が表に来るように入れる。
村松では「初穂料」「御布施」「御祈祷料」のどれでも受け付けるそうだ。包みは祈祷を申し込むときに受付で渡す。迷ったら、申し込みの用紙に書く前に受付でどの表書きがいいか聞いてしまうのがいちばん早い。
持ち帰った御札は、神棚か目線より高い場所に祀り、一年たったら子の成長の御礼に参るのが村松の勧める流れだ。お守りは身に付け、一年ごと、あるいは願いがかなったところで、お焚き上げをしている寺社へ返す。郵送で返納を受け付ける寺社もある。
