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魔除けの民俗、盛り塩と柊鰯と鍾馗さんが守ってきたものと作法

魔除けとは、邪気・悪霊・災厄・疫病といったものを家や身体や共同体に近づけない。その実践の総体を指す言葉というわけだ。目に見えないが確かに害をなすと信じられてきたものが、その対象になる。似た言葉に「護符」「御札」「呪物」がある。これらは主に「特定の一枚・一個のモノに宿らせた力」に焦点を当てた概念であるのに対する。

魔除けはもっと広く、盛り塩のように毎日の暮らしの中で繰り返される所作を含む。柊鰯のように年中行事に組み込まれた習俗、鍾馗や鬼瓦のように建物そのものに刻み込まれた意匠も含む。逆さ箒のように誰にも気づかれずに行われる小さな身振りまでを含む。それら全体が、生活文化としての防御術の総称である。護符や御札が「一枚に力を込めて授与される」性質を持つのに対する。

魔除けの多くは特別な祈祷者を介さずとも、家庭や個人が自分の手で用意する。自分の判断で始め、自分の判断で終える点に大きな特徴がある。この記事では、まさにこの「誰もが自分の手でできる魔除け」に焦点を当てる。盛り塩・柊鰯・鍾馗・鬼瓦・獅子頭・逆さ箒・鬼門封じ・玄関のお守りといった具体的な習俗を扱う。歴史的な由来から今日の実践方法まで、できる限り具体的に掘り下げていく。

魔除けという思想の骨格――陰陽五行・道教・仏教・神道の混淆

日本の魔除け文化を理解するうえでまず押さえておくべきは、これが単一の宗教体系から生まれたものではない。古代中国から伝わった陰陽五行説・道教的な鬼神観、仏教の密教的な結界思想がまずある。そこに日本列島に元来あった神道的な穢れ観念が加わる。この三者が千年以上の歳月をかけて渾然一体となった結果として形成されてきたという点である。中国の陰陽五行説では、方角にはそれぞれ吉凶がある。

なかでも北東(丑寅の方角)は「鬼門」と呼ばれ、鬼(邪悪な気)が出入りする方角として恐れられた。この思想が奈良・平安期に日本に輸入されると、都市計画や邸宅の設計そのものに反映されるようになる。平安京の鬼門にあたる方角に延暦寺が置かれたという伝承はその代表例としてしばしば語られる。同時に、疫病や災厄は「鬼」という具体的な形象を伴う存在として想像される。

その鬼を追い払う、あるいは近づけないための具体的な手段がある。塩を盛る、棘のあるものを飾る、臭いの強いものを燃やす、恐ろしい形相の守り神を掲げる。こうした手段が、時代を経るごとに庶民の暮らしに定着していった。大事なのは、こうした魔除けの多くが「攻撃」ではなく「防御」の論理に基づいている点である。鬼を滅ぼす、呪い返すといった攻撃的な呪術とは異なる。

魔除けはあくまで境界線を引き、内と外を分け、悪いものが「入ってこられない状態」を作り出すことを目的とする。玄関という物理的な境界、鬼門という方位的な境界、節分という時間的な境界がある。魔除けの実践は、この三種類の境界のいずれかに働きかけることで成立しているとまとめることができる。

盛り塩――清めの塩と千客万来の縁起、二つの顔を持つ習俗

盛り塩は、天然塩を三角錐や円錐の形に整えて小皿に盛り、玄関先や部屋の隅、水回りなどに置く習俗である。今日の日本でもっとも広く行われている魔除けの形といってよい。その起源については複数の説が並立しており、一つに定まった通説というものは実は存在しない。もっとも古くから語られてきたのは、神道および葬送儀礼に由来するという説である。日本において塩は古来、穢れを祓い清める力を持つものとされる。

神事の際に神饌として供えられる風習が広く見られる。参列者が葬儀から帰宅した際に、体に振りかけて穢れを落とす風習も広く見られる。相撲の力士が土俵に塩をまく所作も、この「塩による清め」の思想の延長線上にあるとされる。この清めの塩が、いつしか「盛る」という立体的な形を伴うようになる。

玄関や水回りに常設して、邪気の侵入そのものを防ぐという発想へと展開していった。これがもっとも自然な系譜として語られることが多い。もう一つ、しばしば紹介されるのが中国の故事に由来するという説である。

晋の時代、皇帝であった司馬炎が、後宮にいる数千人の妃のもとを牛車で回っていた。しかしあまりに人数が多く、誰のもとに向かうか決めかねていた。そのため、羊に車を引かせ、羊が自然に足を止めた場所の妃のもとへ通うという方法を取ったのだ。これに対し、寵愛を得たいと考えた一人の妃が、自分の部屋の前に塩を盛り、竹の葉を置いたのだ。塩を舐めたい羊がその部屋の前で足を止めるようになる。

結果としてその妃のもとに皇帝が通うようになった、という故事というわけだ。この話が「千客万来」「商売繁盛」の縁起物として盛り塩が飲食店の店先に置かれる習慣の由来として語られることがある。ただ、学術的には後世に付会された逸話である可能性が高いと指摘されている。あくまで一つの言い伝えとして受け止めておくのが穏当だろう。

実践面では、盛り塩に用いる塩は精製された食卓塩ではない。ミネラル分を残した天然塩・粗塩が良いとされる。理由は信仰的な意味合いだけでなく実用面にもある。天然塩は適度な湿り気を含むため円錐形に固めやすく、崩れにくいという利点がある。

作り方としては、小皿に塩を十グラムから十五グラム程度取り、霧吹きで軽く湿らせる。型とは、厚紙を丸めて円錐状にしたものや、市販の「塩固め器」と呼ばれる道具を指す。そのうえで、手や小さな型を使って三角錐・円錐形に整える。置く場所としては、玄関の扉を開けた際に邪魔にならない側が定番とされる。キッチンや洗面所、トイレなど水回り、そして家相的に鬼門・裏鬼門にあたる北東・南西の方角も定番とされる。

会社や店舗であれば、入口の両脇に一対で置くという形もよく見られる。盛り塩は「置きっぱなしにしない」ことが肝心だとされる。邪気を吸収する力には限界があり、吸いきれなくなった盛り塩はむしろ穢れを溜め込んだ状態になる。放置すると逆効果になるという考え方が広く共有されている。交換の目安は情報源によって幅がある。

早いものでは一週間から十日、緩やかなものでも月に二回程度を推奨する声が多い。

梅雨時など湿気の多い時期は塩が溶けやすく傷みも早いため、より頻繁な交換が勧められる。役目を終えた塩の処分方法としては、水回りの排水口に流すのは避ける。流すと配管を傷める可能性があるためである。通常のごみとして可燃ごみに出すか、庭や玄関先の土に還すという方法が一般的である。

柊鰯――平安の昔から続く、棘と臭いで鬼を退ける節分の習俗

柊鰯(ひいらぎいわし)は、焼いたイワシの頭を柊の小枝に刺して玄関先や門口に飾る、節分の魔除け習俗だ。地域によっては「やいかがし」「やっかがし」「焼嗅(やきかがし)」などとも呼ばれる。呼び名に地域差があるのも、民間習俗らしい特徴といえる。その歴史は驚くほど古い。正月の門口に柊とボラの頭を刺した「注連飾り」というものがある。

これに類する記述が、平安時代の紀貫之による『土佐日記』にも見られるとされる。

少なくとも千年前後の連続性を持つ習俗であると考えられている。柊鰯が鬼を退けると考えられてきた理由は、素朴でありながら理にかなっている。柊の葉は縁がぎざぎざとした鋭い棘状になっており、これが「鬼の目を刺す」ものとして恐れられたとされる。一方のイワシは、焼くと強烈な臭いと煙を発する魚である。この臭いを鬼が嫌って近づかないと信じられてきた。

つまり柊鰯は、視覚的な「痛み」の象徴と嗅覚的な「不快」の象徴を組み合わせることだ。鬼が家に近づく前に二重に撃退しようとする、極めて具体的なイメージに基づいた魔除けなのである。作り方は非常に簡素で、柊の小枝一本と、塩焼きにしたイワシの頭一つを用意する。イワシのエラの部分から目に向かって柊の枝を刺し通すだけでよい。こうするとぐらつかず安定して固定できるとされる。

節分の時期になると、スーパーマーケットや生花店で柊の枝とイワシの頭がセットで売られることも多い。家庭で簡単に用意できる。飾る場所は玄関先や門口と決まっている。家の中に悪いものが入り込む「境界」を守る位置に置かれる点で、盛り塩と発想を共有している。

飾り始める時期については、節分の夜、すなわち二月三日の夜から翌朝にかけて飾るのが最も一般的だ。ただ、地域によっては小正月(一月十五日ごろ)から飾り始めたり、二月いっぱい飾り続けたりする例もある。厳格な統一ルールがあるわけではない。

役目を終えた柊鰯の処分については、そのまま生ごみとして捨てることに抵抗を感じる人も多い。近所の神社に持参してどんど焼きやお焚き上げの際に一緒に焼いてもらうのが、もっとも丁寧な方法とされる。それが難しい場合は、酒と塩で軽く清めたうえで半紙や白い紙に包む。感謝の気持ちを込めて処分するという略式のやり方も、広く紹介されている。

生の魚を用いるため、屋外に長く放置すると腐敗やカラス・野良猫などによる散乱の問題が生じやすい。飾る期間をあらかじめ決めておくことも、実務上は重要なポイントというわけだ。

鍾馗さん――玄宗皇帝の夢に現れた道教の神が、京都の屋根の上に立つまで

鍾馗(しょうき)は、中国唐代の伝説に由来する道教系の神格である。日本では平安末期ごろから疫病除け・魔除けの神として信仰されてきた。その由来として語られる説話は非常に具体的で印象深い。終南山に住んでいたとされる青年・鍾馗は、科挙の試験に首席で合格した。それにもかかわらず、大柄でひげ面という風貌を理由に皇帝から官職を取り消される。

絶望のあまり宮殿の階段で自害してしまう。

時の皇帝・玄宗はその死を哀れみ、手厚く葬った。のちに玄宗がマラリアとおぼしき熱病に苦しんでいたある夜、夢の中に鍾馗が現れる。そして病をもたらしていた小鬼を捕らえて退治する。玄宗を病から救ったという。目を覚ました玄宗の病は実際に快方に向かい、感激した皇帝は画家の呉道子に命じて夢に見た鍾馗の姿を描かせた。

これが鍾馗像の始まりとされる。

以後、鍾馗は疫病除け・魔除け・学業成就の神として中国各地、そして日本にも伝えられていった。日本国内でも鍾馗の祀られ方には地域差がある。関東地方では五月人形の一種として、あるいは掛け軸として室内に飾られることが多いのに対する。近畿地方、とりわけ京都では瓦製の小さな鍾馗像を屋根の上に据える。他地域にはあまり見られない独特の風習が、今も残っている。

その由来として京都でよく語られるのが、三条通りのある薬屋にまつわる逸話である。薬屋が非常に立派な鬼瓦を屋根に上げた。するとその鬼瓦の睨みが跳ね返した悪い気が、向かいの家に集中して降りかかるようになる。体調を崩す人が続出したという逸話である。困った向かいの家の住人が、鬼より格上とされる鍾馗の像を作って自分の屋根に据えた。

すると症状がおさまったと伝えられる。

これを機に生まれたのが、「向かいの家が鬼瓦や魔除けを立てたら、こちらも鍾馗さんを立てる」という習慣である。いわば近隣間の魔除けの応酬のようなこの習慣が、京都の町家に広がっていったとされる。ご近所付き合いを大切にする京都人の気質とも、相性がよかったのか。この風習は今日でも、町家の建ち並ぶ通りで実際に見ることができる。鍾馗像を設置する際の作法にも独特の配慮がある。

単に厄除けの力があればよいというものではない。

向かい合う家同士の鍾馗像や鬼瓦が、真正面から睨み合わないようにする。視線をわずかにずらして設置するのが、伝統的な習わしとされている。これは、魔除けどうしが正面衝突することだ。かえって間に立つ通行人や近隣に悪影響が及ぶことを避けるための知恵だと説明されることが多い。また鍾馗像は瓦職人の手による一点物として作られることが多く、京都には今も専門にこれを手掛ける瓦職人が存在する。

家や依頼主の願いに応じて表情や姿勢の異なる鍾馗像を焼き上げている。

鬼瓦――メドゥーサに始まりシルクロードを渡った、屋根の上の睨み顔

鍾馗とセットで語られることの多い鬼瓦もまた、非常に長い伝播の歴史を持つ魔除けの意匠である。古代ギリシャ神話には、見る者を石に変えるとされる女怪メドゥーサが登場する。その源流をたどると、メドゥーサの顔を建築物の装飾として用いる文化に行き着くとされる。

メドゥーサの恐ろしい顔を掲げることで悪いものを寄せ付けないという発想がある。この発想はシリアのパルミラなどを経てシルクロードをたどり、中国へと伝わる。その過程で、次第に「鬼」の形相へと変化する。それが仏教建築とともに日本へ伝来したというのが、瓦業界などでしばしば紹介されている由来である。日本では飛鳥・奈良時代の寺院建築にすでに鬼瓦に類する装飾瓦が用いられている。

時代が下るにつれて武家屋敷や町家、神社仏閣に至るまで広く普及していった。鬼瓦の役割は、悪霊や災厄を睨み返して追い払うという呪術的な意味合いだけではない。屋根の棟の端を雨風から保護するという極めて実用的な機能も兼ね備えている点が興味深い。さらに、精巧で大きな鬼瓦を据えることは、その家の経済力や格式を示す象徴でもあった。

鬼瓦は、恐ろしい鬼の顔をしたものだけではない。時代が下るにつれて雲や波、家紋をあしらった意匠、あるいは笑った表情の「笑い鬼瓦」なども作られるようになる。単なる威嚇だけでなく、縁起や美意識を反映した多様な鬼瓦が発達していった。

鬼門封じの実践――盛り塩、柊、南天、そして家相の知恵

家相の考え方では、北東の方角を表鬼門、その正反対にあたる南西の方角を裏鬼門と呼ぶ。いずれも邪気が出入りしやすい方角として、古くからさまざまな対策が講じられてきた。もっとも基本的な対策は、これまで述べてきた盛り塩を鬼門・裏鬼門にあたる場所に置くという方法だ。ただ、それ以外にも植栽による鬼門封じが広く実践されてきた。代表的なのが、鬼門に南天(ナンテン)を植えるという習俗である。

南天は「難を転じる」という語呂合わせに通じることに加え、真っ赤な実と常緑の葉が邪気を払うとされる。鬼門にあたる庭の一角にあえて南天を植える家は今でも少なくない。同様に、柊鰯にも用いられる柊の木そのものを鬼門に植える例も伝統的によく見られる。鋭い棘のある常緑樹であることが、盛り塩や柊鰯と同じ「棘で鬼を刺す」発想に基づいていることがわかる。

また、鬼門にあたる場所にトイレや浴室、玄関を設けることは家相上あまり好ましくないとされる。やむを得ずそうした間取りになってしまった場合には、盛り塩に加えて次のような対策がある。鬼門・裏鬼門を結ぶ対角線上に神棚や仏壇を置いて「気の通り道」を清浄に保つ。あるいは鬼門の窓や換気扇を清潔に保ち、換気をこまめに行う。こうした実務的な対策と信仰的な対策を組み合わせた実践が伝えられている。

こうした自分でできる対策に加える。より本格的に案じる場合には、氏神や近隣の神社に祈祷を依頼するという選択肢もある。「鬼門除け」「方位除け」の祈祷は、古くから存在する。新築や増改築のタイミングでこうした祈祷を受ける家庭も少なくない。

逆さ箒――誰にも気づかれずに行う、客を早く帰すためのまじない

箒(ほうき)を逆さに立てかけるという「逆さ箒」は、来客がなかなか帰らない際に行う。その客に気づかれないようこっそりと行う、日本各地にかつて広く見られたまじないというわけだ。この風習の背景には、箒がもともと単なる掃除道具ではない。古代から祭祀に用いられてきた神聖な道具である。箒には出産や家を守る「箒神」という神霊が宿ると信じられてきたという民俗信仰がある。

掃くという行為自体が「祓う」「集める」という呪術的な力を持つと考えられる。その延長線上で、箒を普段とは逆さまに立てることだ。居座る客の気配や運気を祓い、早く帰ってもらうよう仕向けるという発想が生まれたとされる。一説には、逆さに立てた箒の形が神主の持つ御幣(ごへい)に似ている。このことも、この習俗が「祓いの力」と結びつけられた理由の一つとして挙げられている。

実践の作法としては、単に箒を逆さに立てかけるだけでよいとされる場合がある。その上から手拭いをかぶせて立てるべきだとされる場合もある。地域や伝承によって細部は異なる。もっとも重要とされるのは、この所作を客の目の前で行わないという点である。客が見ている前で堂々と逆さ箒を立てれば、それは「早く帰れ」という意思表示そのものになってしまう。

相手に対して非常に失礼な当てつけとなる。

あくまで玄関の隅や見えない場所でひっそりと行うのが本来の作法である。直接口に出さずに意思を伝えるという、遠回しな表現を好む日本的なコミュニケーションの気質がある。その気質とも重なる習俗として、京都をはじめ各地に言い伝えとして残っている。

玄関のお守り――破魔矢・獅子頭・しめ縄という、境界を固める意匠

玄関は家の内と外を分ける最大の境界であることから、古来さまざまな魔除けの品がここに集められてきた。正月の縁起物として知られる破魔矢(はまや)は、もともと「射礼(じゃらい)」と呼ばれる正月の弓技の神事に由来する。当初は矢だけでなく的(ハマ)とセットで扱われていた。時代を経るにつれて、矢そのものが「神様の武器」として魔を打ち破る縁起物とみなされるようになった。

飾る場所としては神棚が基本である。神棚がない家庭では床の間、あるいは外から入り込む魔を防ぐ意味で玄関に飾ることも良いとされる。飾る際は目線より高い、明るく風通しの良い位置を選び、矢尻(先端)を上に向けるのは禁忌とされる。先端を下向きか横向きに寝かせて飾るのが正しい作法とされる。上棟式などでは鬼門・裏鬼門にあたる北東・南西の方角に矢を向けて据えることもある。

その年の凶方位に矢先を向けるという流派もある。飾る期間はおよそ一年が目安で、年が明けたら新しいものに交換する。古いものは神社やお寺に納めてお焚き上げをしてもらうのが望ましいとされる。獅子頭もまた、玄関先や床の間に飾る魔除けの造形として古くから親しまれてきた。獅子舞に用いられる獅子頭には、口を大きく開けて悪いものを噛み砕く力がある。

あるいは睨みつけて追い払うという力があると信じられている。

家に飾ることで一年を通じて災厄を寄せ付けないという願いが込められる。このほか、しめ縄やしめ飾りを一年中玄関に掲げておく地域がある。瓢箪(ひょうたん)や招き猫のような縁起物を、置物として玄関脇に置く習慣もある。びわの葉を軒先に吊るして、病除けとする例もある。地域ごとにさまざまなバリエーションが存在する。

玄関は「家の中に悪いものが入り込む前の最終防衛ライン」にあたる。これらに共通するのは、いずれもその玄関に視覚的にはっきりとした守りの意匠を配置するという発想である。これは盛り塩や柊鰯が持つ「境界を固める」という機能とまったく同じ論理に基づいていることがわかる。

現代における魔除けの意味――科学と信仰のあいだで

現代の生活者にとって、盛り塩や柊鰯、鍾馗さんといった魔除けの実践は、科学的に効果が実証された対策ではない。あくまで民間信仰・民俗文化として受け継がれてきたものである。塩に殺菌・防腐作用があることは事実だが、それが「邪気を吸収する」ことの科学的根拠になるわけではないする。柊の棘やイワシの臭いが実際に霊的存在を退けるという因果関係も、当然ながら実証されてはいない。

それでもちなみに、これらの習俗は令和の今日まで生き続けている。その理由は、単に迷信を信じているからというだけでは説明がつかない。盛り塩を置き、柊鰯を飾り、玄関を整えるという一連の所作には、それ自体に実利的な心理効果が伴っている。「家を大切にする」「季節の節目を意識する」という効果である。「悪いことが起きないよう自分にできることをやったという安心感を得る」という効果も伴っている。

塩を交換するために毎週玄関を見直す習慣は、結果として掃除や整理整頓の機会にもなる。柊鰯を飾ることは、慌ただしい日常の中で節分という季節の変わり目を意識するきっかけになる。魔除けの実践は、超自然的な力の有無にかかわらず、暮らしに一定のリズムと安心感をもたらす。そうした生活文化として、今も静かに、しかし確かに受け継がれ続けているのである。

上の図案は、鍾馗を象った家内安全・魔除けの護符イメージをもとに制作したものである。剣は攻撃のためではなく、悪しきものの侵入を退ける守護の構えとして描かれている。家の玄関や神棚まわりに掲げる護符・お守り札の意匠イメージとして参考にしてほしい。

以下では、本文で紹介した魔除けの実践のうち代表的な四つを取り上げる。盛り塩、柊鰯、鍾馗さん、玄関のお守りについて、実際に行う際の具体的な手順を整理する。あわせて、各実践を試みた人々の体験談も紹介する。いずれも民間習俗としての作法である。効果を保証するものではない。

実際に長く受け継がれてきた型がある。それを知ることは、これらの習俗を暮らしに取り入れるうえで大きな助けになるはずというわけだ。

一、盛り塩

①用意するもの天然塩(粗塩・岩塩など、精製されていないもの)大さじ一杯程度。白い小皿または専用の盛り塩皿を一枚から二枚。塩を湿らせるための霧吹き。形を整えるための塩固め器、もしくは厚紙を丸めて作った円錐形の型。②行う日時・方角・回数特定の日時に縛られることはない。

思い立った時、あるいは新月や満月、月初めなど「気持ちを新たにしたい節目」に始める人が多い。

置く方角は、玄関では扉を開けたときに邪魔にならない側が基本とされる。家全体では、表鬼門にあたる北東と裏鬼門にあたる南西の二か所が基本とされる。水回り(トイレ・浴室・キッチン)にも一つずつ置くとより丁寧とされる。交換は七日から十日を目安に、遅くとも月に二回は新しい塩に替える。③唱える言葉決まった祝詞や呪文は特に伝わっていない。

塩を盛る際には「この家と家族を、どうか悪いものから守ってください」と願う。そのように自分の言葉で静かに願いを込めるとよいとされる。声に出しても、心の中で念じるだけでもよい。④動作の流れまず小皿を清潔な布で拭き、塩を大さじ一杯ほど取って皿の中央に置く。霧吹きで塩全体がしっとりとまとまる程度に軽く湿らせる。

塩固め器を使う場合は器に塩を詰めて逆さに置き、静かに引き上げると円錐形に固まる。

型がない場合は、手のひらで塩を丸めながら三角錐に近い形に整えていく。形ができたら、決めておいた場所に静かに置き、両手を合わせて短く一礼する。⑤後始末・処分方法交換の際は、古い塩を排水口に流さず、庭や植木鉢の土に撒くか、燃えるごみとして処分する。塩を捨てる前に「ありがとうございました」と一言添える人も多い。皿は水でよく洗い、次に使うまで清潔に保管する。

体験談としては、水回りに妙な気配を感じていた人の声がある。洗面所とキッチンの二か所に盛り塩を置いたところ、数日のうちにその気配を感じなくなったという。また、原因のはっきりしない体調不良や小さな怪我が続いていた家庭がある。玄関と鬼門にあたる部屋の隅に盛り塩を始めてから、家族全員の体調が落ち着いたという報告も見られる。

一方で、盛り塩を数か月放置してしまった例もある。塩が茶色く変色して崩れていたことに気づき、慌てて交換した。その後は運気が上向いたと感じたという体験談もある。「置いて終わり」ではなく「こまめに手入れをすること」自体が実践の核心である。そうした指摘が、多くの体験者に共通している。

二、柊鰯

①用意するもの柊の小枝一本。イワシの頭一つ(塩焼きにしたもの)。玄関先に立てかけたり吊るしたりするための紐や小さな台があるとなおよい。②行う日時・方角・回数節分の日(例年二月三日ごろ)の夜から翌朝にかけて飾るのが最も一般的である。年に一度の行事として行う。

方角についての厳密な決まりはないが、必ず玄関先・門口という「家の出入り口」に飾ることが重要とされる。

地域によっては小正月から二月末まで、より長い期間飾り続ける例もある。③唱える言葉特定の呪文は伝わっていない。飾る際に「鬼は外、福は内」という節分の掛け声を合わせて唱える家庭が多い。イワシを焼く際に煙を立てながら「これで鬼が近づきませんように」と心の中で願う人もいる。④動作の流れまずイワシの頭を塩焼きにし、強い臭いと煙を立てる。

冷めたら、柊の枝をエラの部分から目に向かって刺し通し、頭がぐらつかないように固定する。完成したものを玄関の外側、軒先や門柱など人目につく場所に、紐で吊るすか台に立てかけるかして飾る。⑤後始末・処分方法節分が終わり役目を終えたら、できれば近所の神社のどんど焼きやお焚き上げに持参して焼いてもらう。

それが難しい場合は、酒と塩で軽く清めたあと半紙や白い紙に包み、感謝の気持ちを込めてごみとして処分する。生ものであるため、屋外に長く放置せず、飾る期間をあらかじめ決めておくことが望ましい。体験談としては、毎年欠かさず柊鰯を玄関に飾っているという家庭の声がある。「これを飾らないと落ち着かない」「子どものころから当たり前にあった。だから、大人になっても自然と続けている」という声が多く聞かれる。

一方で、都市部のマンション住まいでは、玄関の外に物を吊るせない事情がある。玄関内側の靴箱の上に小皿を敷いて飾るという工夫をしている人もいる。住宅事情に合わせて柔軟に形を変えながら受け継がれている習俗であることがうかがえる。

三、鍾馗さん

①用意するもの瓦や陶器で作られた鍾馗像、あるいは室内用の鍾馗の掛け軸や五月人形。屋根に据える場合は専門の瓦職人による設置が必要になることが多く、室内に飾る場合は床の間や玄関の棚があるとよい。②行う日時・方角・回数新築や屋根の葺き替えのタイミングで、屋根の上に据える。これが京都をはじめとする近畿地方の伝統的な作法である。一度据えたら、長年そのままにしておく。

関東地方の室内用の鍾馗掛け軸や人形は、端午の節句(五月五日)に合わせて飾る。季節が過ぎたら片付けるのが一般的である。方角としては、鬼瓦や向かいの家の魔除けと正面から睨み合わないようにする。視線をわずかにずらして設置するのが、古くからの作法とされる。③唱える言葉特定の祝詞は伝わっていない。

据え付けの際に「この家と住む者たちを、病と災いからお守りください」と願いを込める人が多い。

④動作の流れ屋根に据える場合は、瓦職人が家の形や願いに応じて鍾馗像を焼き上げる。そして、屋根の妻側(正面から見て向かって右または左の端)に据え付ける。室内に掛け軸や人形を飾る場合は、床の間や玄関の目立つ場所に置き、埃を払って清めてから飾る。⑤後始末・処分方法屋根の鍾馗像は基本的に長期間そのままにしておくものである。頻繁に取り替えるものではない。

破損した場合や家を取り壊す際には、瓦を扱う職人や地元の神社に相談し、感謝を込めて処分してもらう。室内用の人形や掛け軸は、端午の節句が終わったら丁寧に埃を払い、箱に納めてしまう。体験談としては、京都の町家に暮らす住人の声がある。「向かいの家に立派な鬼瓦が上がったのを見て、うちも鍾馗さんを上げてもらった」という。まさに由来となった逸話そのままの経験談が、今も語られている。

また、実家の屋根に代々鍾馗像が据えられている家庭の子どもがいる。独立して新しい家を建てる際に、小さな陶製の鍾馗像を玄関の靴箱の上に飾ることにした。すると「実家を離れても見守られている気がして安心する」と感じたという声も見られる。

四、玄関のお守り(破魔矢・獅子頭など)

①用意するもの破魔矢一本(神社の授与品として求めるのが一般的)。獅子頭の置物や、しめ縄、招き猫などの縁起物を組み合わせてもよい。飾るための小さな台や壁掛けフックがあると設置しやすい。②行う日時・方角・回数破魔矢は正月に神社で授与されることが多く、一年に一度、年始に新しいものと交換する。獅子頭やしめ縄は年間を通じて飾り続けるものが多い。

方角としては、玄関内の目線より高い位置、明るく風通しの良い場所を選ぶ。矢の先端は上ではなく、下向きか横向きに寝かせる。上棟式などに準じる考え方では、鬼門・裏鬼門にあたる北東・南西の方角に先端を向けることもある。③唱える言葉決まった文言はない。破魔矢を飾る際に「今年一年、この家に災いが入り込みませんように」と願う人が多い。

獅子頭を飾る際には「悪いものを噛み砕いてください」という願いを込める例も見られる。④動作の流れ神社で授与された破魔矢を持ち帰ったら、まず玄関や神棚まわりを掃除して清潔にしてから飾る場所を決める。矢を横向きまたは先端を下にして壁やスタンドに固定する。獅子頭やしめ縄を併せて飾る場合は、破魔矢の下や脇に配置し、玄関全体で「守りの一角」を作るようにする。

⑤後始末・処分方法破魔矢はおよそ一年を目安に、翌年の正月に新しいものと交換する。古いものは神社に納めてお焚き上げをしてもらう。獅子頭やしめ縄などの置物は、汚れや破損が目立ってきた時点で神社やお焚き上げ会に納め、感謝を伝えて手放す。

体験談としては、毎年初詣で新しい破魔矢を授かり、玄関に飾ることを家族の年中行事にしているという声が多く聞かれる。「これを飾ると一年が始まった実感がある」という感想がよく語られる。また、一人暮らしを始めた際に実家から獅子頭の置物を譲り受ける。玄関の靴箱の上に飾るようにしたところ、「知らない土地で暮らす心細さが和らいだ」と感じたという体験談もある。

魔除けの品が単なる縁起物以上に、心の支えとしての役割を果たしている様子がうかがえる。

桃の呪力による魔除け――黄泉比良坂の神話から現代の実践まで

日本の魔除け文化の根底に古くから流れ続けているものがある。盛り塩や柊鰯、鍾馗さんと並ぶ、「桃」という果実そのものへの信仰である。桃は単なる縁起物の果物ではない。記紀神話の時代から「悪しきものを退ける力を持つ植物」として特別な位置づけを与えられてきた。ここではその由来と、今日でも実践できる桃を用いた魔除けの作法を掘り下げていく。

桃の魔除けとしての力を語るうえで欠かせないのが、『古事記』に記されたイザナギの黄泉国訪問の神話である。変わり果てた妻イザナミの姿を見て、イザナギは逃げ出した。怒り狂ったイザナミが差し向けた黄泉醜女(よもつしこめ)らに追われる。そして命からがら、黄泉比良坂(よもつひらさか)まで逃げ延びる。

その坂道の途中に生えていた桃の木から実を三つもぎ取り、追っ手に向かって投げつけた。すると追っ手はことごとく退散したと伝えられる。このときイザナギは桃の実に感謝する。「葦原中国(あしはらのなかつくに)に生きるすべての人々が、私と同じように苦しい目に遭うことがある。そのときに助けてくれるように」と告げた。

そして桃に「意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)」という神の名を授けたという。

桃という植物には、神話の最初期から「人を守るために特別に選ばれた存在」という位置づけが与えられていた。この一節は、そのことを示している。日本における桃の魔除け信仰の最も古い原型として、しばしば引き合いに出される。中国においても桃は古くから邪気を払う植物として特別視されてきた。

大晦日に桃の木で作った板に神荼(しんと)・鬱塁(うつるい)という二神の名を書き、門に掛ける。道教の伝承では、この「桃符(とうふ)」という習俗が行われている。これは魔物を退ける力を持つとされた桃の木そのものへの信仰と、二神による門番の役割とを組み合わせたもわけだ。

桃符はのちに、縁起の良い言葉を書いた「春聯(しゅんれん)」という習俗へと形を変えていく。その根底には一貫して「桃の木そのものが邪気を退ける」という発想が流れている。同様に道士が儀式で用いる木剣も、しばしば桃の木を材とする「桃木剣(とうぼくけん)」が最上とされる。桃という樹種そのものに特別な浄化力が宿ると考えられてきた。

日本では、こうした中国由来の桃信仰が陰陽道や宮中儀礼に取り込まれ、独自の展開を見せた。平安時代の宮中では、大晦日に追儺(ついな)の儀式が行われたのだ。方相氏(ほうそうし)と呼ばれる異形の役人が桃の弓と葦の矢を用いて鬼を追い払ったと伝えられている。桃の木で作られた弓矢そのものが、鬼を打ち払う呪具として選ばれていたことがわかる。

また、三月三日の上巳の節句、いわゆる桃の節句においても桃の花を飾る。この風習には、単なる季節の彩りという以上の意味が込められている。上巳の節句はもともと、人形(ひとがた)に自らの穢れを移して川や海に流す「流し雛」の行事である。穢れを祓うための行事に、桃の花が添えられた。桃そのものが持つ厄除けの力にあやかろうとしたためだと説明されることが多い。

よく知られる桃太郎の昔話も、桃から生まれた子供が鬼を退治するという筋書きである。桃という果実には、古くから「悪しきものを打ち払う力」というイメージが託されてきた。それはこのイメージの延長線上にあると考えられている。

現代における桃の魔除けの実践

①用意するもの桃の枝(葉のついたもの一本から二本)。入手できれば桃の実または乾燥させた桃の種(桃核)。桃の枝が手に入りにくい場合は、桃の花を扱う生花店や、桃の節句の時期であれば量販店の花売り場でも入手しやすい。桃核を使う場合は、種を洗って乾燥させたものを小さな巾着や紅絹(もみ)の布に包んでお守り袋を作る。

②行う日時・方角・回数もっとも実践されやすいのは、三月三日前後の桃の節句の時期である。この時期に合わせて桃の枝を玄関や床の間に飾る家庭は、今も多い。それ以外の時期には、鬼門(北東)・裏鬼門(南西)にあたる庭の一角に桃の木そのものを植える。あるいは鉢植えの桃を置く。そうした形で一年を通じて邪気の通り道を守るという実践も見られる。

桃核のお守りは季節を問わずいつでも作り始めてよく、身につける期間についても厳密な決まりはない。③唱える言葉特定の呪文や祝詞が体系的に伝わっているわけではない。桃の枝を飾ったり桃核のお守りを作ったりする際に、イザナギが桃に授けたとされる言葉になぞらえる。「どうか私(たち)を、悪いものから守ってください」と心の中で、あるいは声に出して願う人が多いとされる。

桃太郎の物語を子どもに聞かせながら、桃には悪いものを退ける力があるのだと伝える家庭も見られる。物語そのものが一種の言い伝えとして機能している面もある。④動作の流れ桃の枝を用いる場合は、まず枝についた葉や汚れを軽く水で洗う。余分な葉を整えたうえで、花瓶や一輪挿しに生ける。そして玄関先や床の間、鬼門にあたる部屋の隅に置く。

桃核のお守りを作る場合は、食べ終えた桃の種をよく洗って天日で数日干する。

完全に乾燥させたのち、小さな布や巾着に包んで口を結ぶ。この際、種に感謝の言葉を添えながら包むとよいとされる。完成したお守りは、鞄や身につけるポーチに入れて携帯するか、玄関の下駄箱の上など目につく場所に置く。庭に桃の木を植える場合は、鬼門にあたる方角に苗木を植え、根付くまでは水やりを欠かさないようにする。⑤後始末・処分方法生けた桃の枝は花が終わり葉が萎れてきた時点で役目を終えたとみなする。

感謝を告げてから枯れ枝として処分してよい。桃核のお守りは、一年ほど身につけたら、あるいは布が傷んできたら区切りとする。中身の種を庭や植木鉢の土に還すか、感謝を伝えたうえで燃えるごみとして処分する。近隣に神社があり、どんど焼きなど焚き上げの機会がある場合もある。そこに持参して一緒に焚いてもらうという丁寧な方法を取る人もいる。

庭に植えた桃の木は、実をつける果樹としても長く付き合っていくものである。そのため特別な処分を必要とせず、そのまま育て続けることが多い。桃を用いた魔除けを実践する人々の体験談もある。桃の節句の時期に子どもの成長を願って、桃の枝を玄関に飾る家庭がある。「桃太郎の話を思い出しながら飾ると、単なる季節の花以上の意味を感じる」という声がしばしば聞かれる。

また、庭の鬼門にあたる場所に桃の木を植えたという住人もいる。「実際に何かが変わったという実感はない」という。「鬼門という気になっていた場所に手入れの行き届いた木があることで、気持ちの上での不安が薄れた」。そうした感想が語られている。

桃核のお守りを手作りしたという体験談もある。「捨ててしまうはずだった種が、洗って乾かして布に包むだけでお守りになる。その手軽さが気に入っている」という声がある。「旅行や引っ越しなど環境が変わるときにお守り代わりに持ち歩くようにしている」といった声も見られる。

盛り塩や柊鰯と同様、特別な道具や専門家を必要としない。身近な食材や植物を用いて自分の手で始められる点が、桃の魔除けが今も静かに受け継がれている理由の一つになっている。上の図案は、桃符の伝承をもとに制作した、桃の実と枝葉を中心とした家内安全・魔除けの護符イメージである。

攻撃的な意匠は一切含めていない。自らと家を悪しきものから静かに守るという、桃の魔除けが本来持つ穏やかな性質を意識して描いたものである。桃の枝を飾る際や桃核のお守りを作る際のイメージ参考として役立ててほしい。

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