- 弓は、射るより先に「鳴らす」道具だった
- 弦打・鳴弦・つるうち――呼び名がこんなにある理由
- 『御堂関白記』寛弘五年、湯殿のそばに二十人が並んだ
- 御湯殿の儀と読書鳴弦の儀――赤ん坊を音で囲む
- 『源氏物語』夕顔巻、光源氏が「弦打ちせよ」と命じた夜
- 夜の内裏を守った男たち――蔵人と滝口武者の弦打
- 『吾妻鏡』の鎌倉――頼家誕生の場に並んだ鳴弦と引目
- 追儺の夜、桃の弓と葦の矢が飛んだ
- 蟇目とは何か――「響目」か「挽目」か「蟇の目」か
- 蟇目鏑の中身――なぜ、飛ぶと鳴るのか
- 鏑矢と蟇目鏑はどう違うのか
- 騎射三物――流鏑馬・笠懸・犬追物という訓練の体系
- 弓馬故実の家――小笠原流と武田流
- 蟇目には三種類ある――祓いの蟇目「よひきめ」
- 産屋の弦打ち――出産と音の民俗
- 病の床、上棟、新居――暮らしの中の鳴弦
- 破魔矢の「はま」は、魔を破るという意味ではなかった
- 射礼から正月飾りへ――破魔弓が男児の贈り物になるまで
- 破魔矢についての、よくある誤解を三つ直しておく
- 大相撲の弓取り式は、鳴弦の子孫なのか
- 今も見られる鳴弦・蟇目の神事
- 陰陽道の弓――追儺と呪禁の系譜
- 修験道の弓――柴燈護摩の「法弓の儀」
- 神道の弓――神社神事としての鳴弦
- 三つの流れを並べてみると
- 図の見方
- ここからは自宅でやる話――最初に断っておくこと
- 道具の現実解その一――弓を持っている人、これから買う人
- 道具の現実解その二――弓が無い人のための「弦だけ」
- 使ってはいけないもの
- 日取りと時刻――いつやるか
- 方角と立ち位置
- 回数――七五三という数
- 所作の流れ、最初から最後まで
- 唱える言葉その一――祓詞
- 唱える言葉その二――略拝詞
- 唱える言葉その三――神棚拝詞
- 鳴弦固有の唱え言は確認できなかった
- 場面別その一――新居に入るとき
- 場面別その二――体調を崩した家族のいる部屋
- 場面別その三――出産の前後
- 場面別その四――年の変わり目と節分
- 破魔矢の正しい祀り方
- 破魔矢の期限と返納
- やってはいけない処分の仕方
- 賃貸・集合住宅での現実解
- やってはいけないこと
- 外部の人間が、ここから先を真似しないために
- 後始末と保管
- 効かなかったとき、効いた気がしたとき
弓は、射るより先に「鳴らす」道具だった
弓矢と聞いて、獲物や敵を射る道具をまず思い浮かべるのは自然なことだ。でも日本の宮廷や武家がこの道具に期待したもう一つの働きは、まったく別のところにあった。それが音だ。
弦を強く引いて指を離すと、弦が空気を叩いて鋭い音が出る。ビィン、ともパンとも聞こえるあの音が、目に見えない何かを追い払うと信じられてきた。これが鳴弦(めいげん)で、弦打(つるうち)、ゆみづるうち、ゆみならしと、呼び名はいくつもある。
もう一つ、矢そのものを鳴らす技もある。先端に穴の開いた大きな木の玉を付けた矢を放つと、空気が穴を出入りしてヒューッと笛のような音を引く。この矢を蟇目(ひきめ)といい、それを使う祓いの法を蟇目の法、儀式としては蟇目の儀と呼ぶ。
正月の破魔矢も、節分の神社で弓を持った神職が構えているあの光景も、みんなこの系譜の末端にぶら下がっている。七五三で男の子に贈られる破魔弓飾りも同じだ。しかもその途中で、結構な誤解が混ざり込んできた。その全部を、順番にほどいていこうと思う。
歴史の部分をたっぷり書いて、そのあとで自宅でできる範囲の実践に移る。道具の入手先から唱える言葉の全文、やってはいけないことまで書くつもりだ。
先に一つだけ断っておく。矢を実際に射る手順は書かないし、書くのは弦を鳴らすところまでだ。理由は後半で、嫌というほど説明する。
弦打・鳴弦・つるうち――呼び名がこんなにある理由
辞書的な定義はシンプルだ。弓の弦を手で引き鳴らすことで妖魔を驚かせ、退散させる呪法を指す。矢はつがえず、音だけを出す。
呼び名が散らばっているのは、この所作がいくつもの場所で、それぞれの流儀の中に取り込まれていったからだ。宮中の記録では弦打と書いて「つるうち」と読ませることが多く、漢語風に鳴弦と書けば儀式の名前として据わりがいい。武家の故実書に入ると、弓鳴らしという言い方も出てきた。神社の掲示では、鳴弦の儀、鳴弦式と表記が揺れる。
意味の幅もある。純粋に音で祓うだけのものもあれば、弓そのものに神霊を招き、その威徳で祓うという理屈を立てるものもある。後者になると、弓は楽器というより依り代に近い。同じ「弦を鳴らす」でも背後に置かれた説明は場所ごとに違っていて、一つに均そうとするとたいてい嘘になる。
『御堂関白記』寛弘五年、湯殿のそばに二十人が並んだ
鳴弦が実際に行われた記録として、辞典類がまず挙げるのが藤原道長の日記『御堂関白記』。寛弘五年(一〇〇八年)九月十一日の記事に、道長は「御湯鳴弦五位十人、六位十人」と書き残した。
御湯、つまり産湯を使わせる場に、五位の官人が十人、六位が十人、合わせて二十人が並んで弦を鳴らした。この日に生まれたのは、道長の娘である中宮彰子の産んだ皇子で、のちの後一条天皇にあたる。一族の命運がかかった出産で、二十人が一斉に弦を鳴らす音が屋敷に響いた。
ここで目を向けたいのは規模だ。一人が一回鳴らしておしまい、とはいかなかった。二十人が組になって、赤ん坊を音の壁で囲んだ。五位十人、六位十人という構成が「例」として定着していたとも辞典は記していて、思いつきの所作どころか、人数まで決まった制度だった。
同じ時期の宮廷を内側から書いた紫式部の記録にも、この出産前後の異様な緊張が残る。加持祈祷の僧の声、物の怪を移すための憑坐、そこに弦の音が重なった。静かで雅な平安のイメージとはだいぶ違う、音まみれの現場だった。
御湯殿の儀と読書鳴弦の儀――赤ん坊を音で囲む
御湯殿の儀というのは、皇子が生まれると七夜まで毎日朝夕の二回、産湯を使わせる儀式のことだ。その湯殿の外では、二つのことが同時に進められた。
一つは読書の儀で、博士が漢籍の中から祝意を含む一節を選んで読み上げた。儒教経典なら『易経』の乾の卦の冒頭、史書なら『史記』の五帝本紀や魯世家、『漢書』の文帝紀あたりが読まれたと伝わる。博士は最大三名ほどが選ばれ、明経道と紀伝道から交替で務めた。
もう一つが鳴弦で、この二つを合わせて読書鳴弦の儀と呼ぶ。辞書はこれを「宮中で皇子誕生後七日の間、御湯殿の儀式の際に湯殿の外で漢籍の前途奉祝の文を読み、弓の弦を引き鳴らす儀式」と定義している。弦を引き鳴らす行為は破邪の法だと、はっきり書かれていた。
構図が面白い。片方では言葉で祝福を注ぎ、片方では音で邪を弾き返した。攻めと守りが、同時に走っていたわけだ。生まれたばかりの赤ん坊は、当時もっとも死にやすい存在だった。その脆さに当時の人が手持ちの手段を全部つぎ込んだ結果だと思えば、この二段構えの過剰さにも納得がいく。
『源氏物語』夕顔巻、光源氏が「弦打ちせよ」と命じた夜
文学の中の鳴弦として、必ず引かれるのが『源氏物語』の夕顔巻。光源氏が夕顔を連れ込んだ荒れ果てた某院で、夜中に怪しい女の姿が枕元に現れた。灯は消え、夕顔は苦しみだし、源氏は人を呼んで弦打ちをせよと命じた。悪しきものを追い払うために、その場でできるいちばん手近な手段。それが弦打ちだったわけだ。
ここで押さえたいのは、この場面が「特別な祈祷師を呼ぶ」話になっていない点だ。近くにいる侍たちが弓を持っていて、命じられればその場で鳴らせた。平安の貴族社会で、弦打ちは専門家の秘術というより、夜の常備薬みたいな位置にあった。暗い、怪しい、気味が悪い、そういうときはとりあえず弦を鳴らしたのだ。
物語の中では、それでも夕顔は助からなかった。ここも読みどころで、作者は弦打ちを万能の呪法としては描かなかった。やるべきことをやった、それでも駄目だった、という手順の記録として置かれている。この醒めた距離感は、後半の実践パートを書くときの態度としても参考になる。
夜の内裏を守った男たち――蔵人と滝口武者の弦打
宮中で、鳴弦は出産のときだけの特別な行事に収まらず、日常の警備にも組み込まれていた。その現場を見てみよう。
内裏の清涼殿の東北、御溝水が落ちるあたりに詰所があり、そこに勤めた武士は、落ち口、つまり滝口にちなんで滝口武者と呼ばれた。彼らは夜間、宿直の点呼を取った。これを名対面(なだいめん)といい、自分の名を名乗って持ち場にいることを示す、儀式的な手続きのことだ。
この名対面と前後して、弦打が行われた。夜の闇に向かって弦を鳴らし、物理的な侵入者への威嚇と、目に見えないものへの牽制を兼ねていた。実利と呪術が分かれていないのが面白い。
天皇が湯を使うときの弦打は、蔵人が担当した。蔵人は天皇の身の回りを預かる側近の職で、機密文書から日常の雑事まで扱う役目だ。その職掌の中に、入浴の際に弦を鳴らすという項目が入っていた。入浴は無防備な時間だ。裸で、湿気で、灯も届きにくい。
そういう時間帯こそ邪気が入るという発想は、世界中の民俗にある。日本の宮廷は、そこに弓の音を置いた。主君が病んだとき、不吉な出来事が起きたときにも弦打が命じられた。
出産、入浴、夜間警備、病、凶事。並べてみると、共通するのは「境目」だ。生まれる境目、内と外の境目、昼と夜の境目、生と死の境目。境目は危ない。だから音を出した。
『吾妻鏡』の鎌倉――頼家誕生の場に並んだ鳴弦と引目
鳴弦は京の宮廷だけの作法で終わらず、武士が政権を取ると、武士の流儀で受け継がれていった。
鎌倉幕府の記録『吾妻鏡』には、寿永元年(一一八二年)の記事がある。この年、源頼朝の子である頼家が誕生した。その際、大庭景義らが鳴弦を、上総広常が引目を執り行って悪魔払いをしたと伝えられる。建久三年(一一九二年)の実朝誕生のときにも、同様の儀式が行われた。
ここで並んでいる二つに注目してほしい。鳴弦と引目で、引目は蟇目と同じものを指す。弦だけ鳴らす係と、音の出る矢を放つ係が別々に立てられていた。役割分担があって、担当者は名の通った有力御家人だった。
この配役を見ると、儀礼が誰のものかが見えてくる。京では五位六位の官人がやったことを、鎌倉では御家人がやった。弓は武士のアイデンティティそのものだから、祓いの弓を任されるのは名誉だった。武家社会で弓術の故実が異様に発達していく素地は、ここにある。
追儺の夜、桃の弓と葦の矢が飛んだ
鳴弦と並行して、宮中にはもう一つ、弓を使う祓いの行事があった。それが追儺(ついな)で、大晦日の夜に悪鬼を追い、疫病を除くものだ。鬼やらい、なやらい、大儺とも呼ばれた。
文武天皇の慶雲三年(七〇六年)に初めて行われたと伝わる、もとは中国から入った風習だった。中心に立ったのは方相氏(ほうそうし)という役。熊の皮をかぶって黄金の四つ目の面をつけ、黒い衣に朱の裳を着け、矛と盾を持った。亥の刻に陰陽寮が儺祭を行い、方相氏が大声を発して戈で盾を三度打つのが合図だ。
そのあと群臣が、桃の弓、葦の矢、桃の杖を持って鬼を追った。『延喜式』には、大舎人寮の舎人が鬼の役を務めるなど、細かい規定が残る。
桃という素材の選び方が面白い。桃が邪を退けるという観念は、記紀神話にも出てくる。黄泉から逃げる伊邪那岐命が、桃の実を投げて追手を退けた話だ。中国由来の桃の辟邪観と日本の神話が重なっていて、葦も水辺の清浄な植物として選ばれた。
話はここで終わらない。時代が下ると、この解釈がひっくり返った。方相氏のほうが鬼だと考えられ、群臣がそれを追い出すのだ、という理解に変わっていった。祓う側の異様な姿が、祓われる側と混同されたのだ。儀礼の意味が世代を越えるとずれていく、いい例だろう。
蟇目とは何か――「響目」か「挽目」か「蟇の目」か
ここから蟇目の話に入る。最初は名前の由来で、これには説が三つある。
一つめは響目説で、ひびきめが縮まってひきめになったという。射たときに響く音そのものを名にしたことになり、辞典類はこの説を有力なものとして挙げている。兵庫県宍粟市の御形神社のように、蟇目祈祷を今も受け付けている神社の説明でも、蟇目は響目の略だとしている。
二つめは挽目説。木を挽いて削り出して作るから挽目だという、製法から来た名だ。宮崎神宮の蟇目の儀の説明では、この挽目説と次の説を併記している。
三つめは蟇の目説で、穴の形が蟇蛙(ひきがえる)の目に似ているからという、見た目から来た説。大宮八幡宮の説明では、形が蟇蛙に似ていることから名付けられたとしている。射たときの音が蟇の鳴き声に似ているから魔性を退散させるのだ、という説明もそこに重ねている。
どれが正しいかは決着していない。ただ三つとも「音」か「形」のどちらかに根拠を求めていて、この矢の本質が殺傷力とは別のところにある点は共通している。
漢字表記も蟇目と引目の両方が使われ、『吾妻鏡』の頼家誕生の記事では引目と書かれていた。古典を読むときは、両方が同じものだと知っておくと迷わない。
蟇目鏑の中身――なぜ、飛ぶと鳴るのか
構造を見ていこう。蟇目は、朴(ほお)や桐で作った大形の鏑だ。長さは四寸から五寸、大きいものでは一尺を越えるものもあったと辞典は記す。卵形の木の塊を中空に刳り抜き、その前面に数箇所の穴を開ける。正式な造りでは穴は四つで、これを四目(しめ)と呼ぶ。
音が出る仕組みはこうだ。矢が飛ぶと前面の穴から空気が中空の内部に流れ込み、内部で渦を巻いて、ヒューッという鋭い笛のような音になる。原理はオカリナや尺八に近く、穴の数と大きさ、内部の容積で音の高さが変わる。
材料に朴や桐が選ばれたのは、軽くて加工しやすいからだ。軽ければ矢の飛びを邪魔しにくい。かつては鹿の角や竹の根も使われたと伝わる。
ここが肝心なところで、祓いに使う蟇目には鏃(やじり)が付いていない。矢の先端は木の塊そのもので、尖っていない。射られた側を傷つけないための形だ。犬追物や笠懸などの競技で、生き物や的を傷つけずに当てるために使われたのも、そのためだった。
鏑矢と蟇目鏑はどう違うのか
ここは混同されやすいので整理しておく。鏑矢は、鏑を先端に取り付けた矢の総称で、鏃を持つものを指す。矢箆(やがら)を鏑の基部から先端まで貫通させ、先端から鏃を挿して固定する。音も出るし、刺さりもするわけだ。戦の開始を告げる合図、いわゆる嚆矢(こうし)として放たれたのはこちらだった。
蟇目のほうは鏃を持たず、音を出すための鏑だけが付いている。これが基本形。ややこしいのが、蟇目鏑矢という第三のもの。蟇目の形をした矢に雁又(かりまた)や平根などの鏃を挿したもので、音と殺傷力を両立させる。名前に蟇目が入っていても、鏃付きの場合があるわけだ。
祓いの儀式で使われるのは、鏃のない蟇目のほうだ。神社で神職や射手が構えているあの矢は、当たっても刺さらない。ここを押さえておかないと、後で出てくる破魔矢の話でも混乱する。
騎射三物――流鏑馬・笠懸・犬追物という訓練の体系
武家の弓は、儀礼と訓練が一体になった体系の中で洗練されていった。馬上から弓を引く技を騎射といい、その代表格の三つを騎射三物(きしゃみつもの)と呼ぶ。
流鏑馬は、馬場を駆けながら三つの的を順に射る。的は板で、当たると割れる。神社の祭礼として今も各地で行われているので、いちばん目にする機会が多い。笠懸は、笠を的に見立てたことに由来する名。流鏑馬より的までの距離や角度に幅があり、技術的には難度が高いとされる。
犬追物は、馬場に放した犬を騎馬の射手が追って射るもので、ここで使われたのが蟇目だった。鏃がないから犬は死なず、競うのはあくまで当てる技だ。それでも現代の感覚からすれば残酷な競技で、明治以降はほとんど行われなくなった。
近代に入ってからの復元的な実施例が伝えられることはある。ただ、今も恒常的な神事として続いているとは言いがたい。このあたりは資料によって記述に幅があるので、断定はしないでおく。
三つに共通するのは、実戦の射殺しとは別に、当てる精度と作法を競う枠組みを作ったことだ。その枠組みの中で、「傷つけずに当てる矢」である蟇目が磨かれた。祓いの蟇目が音の鋭さを追求できたのは、この競技の土壌があったからだと思う。
弓馬故実の家――小笠原流と武田流
これらの作法を代々伝えたのが弓馬故実の家で、代表が小笠原流と武田流。小笠原流の始祖は小笠原長清で、応保二年(一一六二年)に甲州に生まれたと伝わる。清和源氏の家系で、二十六歳で源頼朝に仕え、糾方(きゅうほう)すなわち礼法・弓術・弓馬術の師範となった。
鎌倉時代に、長忠家と清経家の二系統が生まれた。南北朝時代には長忠家七代の貞宗と清経家七代の常興が後醍醐天皇に仕え、『修身論』と『体用論』をまとめている。これが流儀の骨格になったとされる。
江戸に入ると、経直が徳川家康に招かれ、秀忠の弓馬術礼法師範を務めた。二十代の貞政は享保九年(一七二四年)、八代将軍吉宗の命で新様式の流鏑馬を制定し、高田馬場で実施している。明治十三年には東京神田に教場を開き、一般への公開を始めた。
現在の小笠原流が伝える歩射の式法には、蟇目の儀、百々手式(ももてしき)、大的式、三々九手挟式、草鹿式などがあり、どれも全国各地の神社で執行されている。騎射では、流鏑馬と笠懸が続く。
武田流も同じく甲斐源氏の流れをくむ弓馬故実の家として知られ、流鏑馬を各地で奉納している。細かい作法や装束には流儀ごとの違いがあって、見比べると面白い。
念のため書いておくと、小笠原流を名乗る団体は礼法の分野を中心に複数あって、系譜関係もなかなか込み入っている。弓馬術礼法を伝える家と礼法のみを教える団体が同じ名で呼ばれることがあるので、調べるときは注意がいる。
蟇目には三種類ある――祓いの蟇目「よひきめ」
蟇目の儀は一種類にとどまらない。宮崎神宮が公開している説明によれば、三種類あり、目的が異なる。一つは魔障を退散させるためのもので、もう一つは子の健やかな成長を祈るためのもの。残る祓いの蟇目は「よひきめ」とも呼ばれ、『平家物語』にその記載があるという。
用途が分かれているのは、この所作が長く実用されてきた証拠だ。同じ道具と同じ音でも、何に向けるかで名前と手順が変わる。武家の故実書は、こういう細かい場合分けを積み重ねて分厚くなっていった。
神社での実施例を挙げておく。大宮八幡宮では一月二日午前十時から、神楽殿前に設けた射場で、新春除魔神事として小笠原流の蟇目の儀と大的式が行われている。昭和四十三年から、正式な神事として奉納されてきたという。宮崎神宮では十一月三日の午前九時四十分頃から、蟇目の儀と百々手式が奉納される。
産屋の弦打ち――出産と音の民俗
宮廷の御湯殿の儀は、形を変えて庶民の世界にも降りていった。産屋、つまり出産のための小屋や部屋で弓の弦を鳴らす習俗は、各地の民俗誌に記録されている。鳴らすのは地域によって父親だったり、産婆だったり、近所の男衆だったりした。弓が無い家では、糸繰りの弦や桑の弓など、間に合わせの道具を使った例も伝わる。
なぜ出産なのか。当時、出産は生死の境目そのもので、母子ともに命を落とす確率が今とは桁違いに高かった。民俗の観念では、産屋は穢れの場であり、同時に外部からの侵入にもっとも弱い場でもあった。そこに音を張ったわけだ。
産養(うぶやしない)という、誕生後の三日、五日、七日、九日などの奇数日ごとに祝宴を開く習俗も、平安期の貴族社会にあった。この一連の流れの中に鳴弦が組み込まれていて、祝いと祓いが同じ行事の中に同居していた。
現代の感覚だと、「出産のときに弓を鳴らす」は奇異に映るかもしれない。でも産室で音楽を流す、名前を呼びかける、家族が手を握る。どれも音と接触で不安な境目を埋める行為だと思えば、そう遠くない。
病の床、上棟、新居――暮らしの中の鳴弦
弦打の適用範囲は広かった。病気のときは、物の怪に取り憑かれたと見なされた場合に、加持祈祷と並行して弦打が行われた。宮中では、主君の病気祓いとして弦打の記録が残る。
家を建てるときもそうだ。上棟式では、棟に破魔矢を立て、鬼門と裏鬼門に矢尻を向けるという作法が今も一部で行われている。新築の骨組みが立ち上がったところで、まだ壁のない空間に祓いをかけるわけだ。建物という新しい境界が生まれる瞬間だから、境目の理屈が当てはまる。
地鎮祭は本来、土地の神に工事の許しを乞い、安全を祈る神事で、鍬入れや鎮物の埋納が中心になる。ここに鳴弦が入るかどうかは神社と地域によってまちまちで、一般的な次第として固定されたものは無い。混同されがちなので、分けて書いておいた。
新居に入るときも同じ理屈だ。引っ越し先で弦を鳴らす、あるいは破魔矢を掲げるという実践は、上棟の作法が住まい手の側に降りてきたものと考えるとわかりやすい。家という器を、自分のものとして区切り直す所作。
破魔矢の「はま」は、魔を破るという意味ではなかった
ここが、この記事でいちばん力を入れて訂正したいところだ。破魔矢の「はま」は、もともと魔を破るという意味とは無関係だ。ハマとは、競技に用いられる的のことを指す言葉だった。藁や葦を編んで作った円形の的をハマと呼び、それを射る矢を「はま矢」、弓を「はま弓」と書いた。漢字を当てるなら、浜矢、浜弓だ。
原義は「的矢」「的弓」で、魔も破もどこにも出てこない。それが後になって、「はま」という音が「破魔」に通じるとして、当て字で破魔の二字が使われはじめた。音が先で、意味は後から付いた。いわゆる民間語源だが、当て字が定着した結果、今では破魔の字面のほうが本義のように扱われている。
起源としてもう一つよく挙げられるのが、射礼(じゃらい)。正月に宮中で行われた、弓の技を試す行事で、ここで使われた弓矢が破魔矢・破魔弓の源流とされる。射礼は儀礼であると同時に武技の確認でもあって、年始に弓を引くという枠組みがここで固まった。
順番を並べ直すとこうなる。正月に弓を引く行事があり、そこで使う的をハマと呼び、その的を射る矢がはま矢で、はまに破魔の字が当たった。「悪魔を破る矢だから破魔矢と名付けられた」という説明は、この順序をひっくり返している。
射礼から正月飾りへ――破魔弓が男児の贈り物になるまで
では、どうやって今の形になったのか。「はま」が「破魔」に通じるという連想が広まると、正月に男児のいる家へ、弓矢を組み合わせた玩具を贈る風習が生まれた。男の子が強く育つように、魔から守られるようにという二重の願いが乗った。これが破魔弓飾りの原型で、今も初正月の贈り物として、羽子板と対で扱われている。
そこからさらに転じて、一年の好運を射止める縁起物として、初詣で神社から授与されるようにもなった。これが今の破魔矢。授与品としての破魔矢が全国に広まった時期は、資料によって記述に幅がある。江戸期の風習が近代の初詣の普及とともに拡大した、という流れで語られがちだ。ただ、正確な年代を特定できる資料は見つからなかったので、断定はしないでおく。
見ておきたいのは、贈答用の飾りと神社の授与品という二つの流れが並行していることだ。人形店で買う破魔弓飾りと神社でいただく破魔矢は、由来をたどれば同じところに行き着く。それでも今の扱いは別物で、前者は工芸品、後者は授与品だ。返納の作法が問題になるのは、後者のほうになる。
破魔矢についての、よくある誤解を三つ直しておく
一つめ。破魔矢の「破魔」は、本来の意味とは違う。的を指すハマに当てた字だという話は、前に書いた。
二つめ。破魔矢は、射るための矢として作られていない。授与品の破魔矢には鏃が付いていないし、そもそも弓とセットでないことのほうが多い。「魔を射抜くために構える」ような扱いは本来の趣旨から外れていて、飾って据えるものだ。
三つめは、矢尻の向き。凶方位に向ける、その年の恵方に向けるなど、いろいろな説がネット上に流れている。だが葬祭関連の解説記事などを見ても、矢尻の向きには特に決まりはなく、こだわらなくてもよいとされる、という記述が目立った。神社によって指導が異なり、統一された作法は無い。
上棟式で鬼門と裏鬼門に矢尻を向けるという、例外的な作法はある。でも、家庭で飾る破魔矢に厳密な方位規定があるという言い方は、根拠が薄い。授与を受けた神社が向きを指定しているなら、それに従うのがいちばん確実だ。
ついでにもう一つ。破魔矢は「魔を射返すから、人の来る方向に向けてはいけない」という話も見かけるが、これも出所が確認できなかった。取材した範囲では、公的な社寺の説明にそうした記述は見つからなかった。
大相撲の弓取り式は、鳴弦の子孫なのか
結論から書くと、直接の系譜としてはつながらない。弓取式の由来は、平安時代の相撲節会(すまいのせちえ)にさかのぼるとされる。左近衛府と右近衛府に分かれて相撲を取り、勝ったほうの立会役が矢を背負って勝者の舞を演じた。これが始まりだという。
今の形の原型は、寛政三年(一七九一年)の徳川家斉の上覧相撲で確立したと言われる。二代横綱谷風梶之助が土俵上で弓を受け、敬い奉げて四方に振り回したときのことだ。もとは千秋楽だけの行事だったのが、昭和二十七年五月場所から毎日の行事に変わった。
弓取式は勝者への褒賞と舞から発展したもので、邪気を祓うために弦を鳴らす鳴弦とは、成立の経路が別なわけだ。
とはいえ、両者がまったく無関係かというと、そこまでは言い切れない。土俵という場が神事の場として設えられていること、弓が神聖な道具として扱われること、四方に向ける所作が結界の観念と響き合うこと。こうした背景は共有されている。
だから「弓取り式は鳴弦が起源だ」は誤りでも、「弓を神聖視する同じ文化圏の産物だ」と言うなら妥当だ。この二つは区別して使いたい。
今も見られる鳴弦・蟇目の神事
鳴弦や蟇目の神事は、今も各地で行われている。ただ、全国の実施社を網羅した一覧資料は無いようだ。国立国会図書館のレファレンス事例でも、そうした一覧は見当たらず、個別事例を各社の資料から拾うしかないと回答されていた。その回答で挙げられていたのが、大宮氷川神社、三嶋大社、弥彦神社、秋葉神社などの社だった。
具体的な内容がわかるものを、いくつか挙げてみる。三嶋大社の鳴弦式は、二月三日の午後四時から行われる。節分の夜、追儺祭に続いて舞殿に神籬(ひもろぎ)を刺し立て、弓箭八幡大神と三嶋大神の神霊を招いて邪悪を祓う。奉行が九字を切ったあと、七五三と弓の元を鳴らし、「イーン」と大音声を発する。これを三度繰り返す。
宮地嶽神社の鳴弦の儀は二月三日に行われ、桃の枝で作った弓の弦を鳴らして邪気を祓い、厄除招福を祈念する。追儺の行事として位置づけられていて、桃の弓というところに、先に書いた追儺の系譜がそのまま生きている。
鶴岡八幡宮の節分祭では、本殿での祭儀で弓矢を授けられた神職が、舞殿で鳴弦の儀を執り行う。矢は放たず、弦の音だけで悪鬼邪霊を追い払う。頼家・実朝の誕生時の鳴弦と引目の記録を持つ社だけあって、由緒が直結している。
水無瀬神宮の節分祭では、本多流による鳴弦の儀が行われている。流派が明記されているのが特徴。大宮八幡宮の小笠原流蟇目の儀・大的式と、宮崎神宮の蟇目の儀・百々手式については、前に書いた。
祈祷として個人が申し込めるものもある。兵庫県宍粟市の御形神社では、蟇目祈祷を「根の国祈願」という形で受け付けていて、郵送での申し込みにも応じている。自分で真似るより、こうした正規の祈祷を頼むほうが確実だという選択肢は、覚えておいて損はない。
陰陽道の弓――追儺と呪禁の系譜
ここからは、同じ「弓で祓う」が、それぞれの体系の中でどう位置づけられているかを見ていく。最初は陰陽道。
追儺は陰陽寮の管轄だった。亥の刻に陰陽寮が儺祭を行い、祭文を読んだ。方相氏の所作も、桃の弓と葦の矢も、この陰陽寮主導の枠組みの中にあった。
陰陽道での弓の扱いは、素材と方位と時刻の体系に組み込まれている。桃は辟邪の木、葦は水辺の清浄な植物で、時間は亥の刻が選ばれ、場は内裏の中庭が指定された。弓そのものに神が宿るというより、正しい素材を正しい時刻に正しい方角へ向けて操作すれば効果が出る、という理屈だ。技術的、と言ってもいい。
鳴弦が宮中で盛んに行われた時期は、陰陽道が朝廷の意思決定に深く食い込んでいた時期と重なる。物忌み、方違え、反閇と、日常が呪術的な操作で埋め尽くされていた。弦打はその中の一手段で、もっとも手軽で即応性の高いものだった。
修験道の弓――柴燈護摩の「法弓の儀」
修験道や密教系の野外護摩、いわゆる柴燈護摩(さいとうごま)の次第には、弓を使う作法が入る。法弓の儀、あるいは宝弓の儀と呼ばれるものだ。
公開されている寺院の説明によれば、弓矢を使って東・西・南・北・中央・鬼門の諸魔に結界を張る儀式だという。方角を数えると六つで、四方に中央と鬼門を加えた構成になる。
ここでの弓は、祓うというより結界を張る道具という扱いだ。神道系の鳴弦が「音で邪を弾き返す」のに対して、修験道の法弓は「矢を放って境界線を引く」。目的が微妙にずれている。
もう一つ大事な点がある。公開されている次第は、どこも途中で止まっていた。ある寺院の説明は、重要となる奥義を省いたと明記していた。印の結び方、真言、矢を番える細部、いつどの方角に向けるか。そうした核心部分は、資格を持つ者にしか伝えられない。
外から見て真似できる部分だけが公開されているわけで、この線引きは尊重されるべきだ。
神道の弓――神社神事としての鳴弦
神社で行われる鳴弦の儀は、その社の祭祀体系の中に置かれている。三嶋大社の例が典型で、舞殿に神籬を立てて神霊を招き、その神威で邪悪を祓うという構成だ。弓を鳴らす人間の技より、招いた神の力が主体になる。
奉行が九字を切る所作が入るのは、神道の枠の中に陰陽道由来の作法が溶け込んでいるからだ。こういう混交は、日本の神事では珍しくない。
宮地嶽神社のように、桃の弓を使って追儺の文脈で行う例もある。鶴岡八幡宮のように、本殿の祭儀で神職が弓矢を授かってから舞殿で執行する、という手続きを踏む例もある。授かるという段取りが入ると、弓は神から預かった道具になる。
流儀で見ると、小笠原流や武田流などの武家故実の家が奉納する形、本多流のような弓道の流派が奉仕する形がある。その社の神職が自ら行う形もあって、担い手はばらばらだ。
共通しているのは流れで、場を清め、神を招き、音を発し、その後に豆撒きなど別の行事へ引き渡す。鳴弦は単独で完結せず、より大きな祭礼の一工程として働いている。
三つの流れを並べてみると
陰陽道は、素材と方位と時刻の操作として弓を扱う。技術としての祓いだ。修験道は結界を張る呪具として弓を扱い、方角に矢を放って空間を区切る。神道は、招いた神の威によって祓う装置として弓を扱う。人が祓うのではなくて、神が祓うのだ。
同じ道具でも、背後の理屈が違えば所作の意味も変わる。だから複数の流儀の作法を混ぜて「自己流の鳴弦」を組み立てるのは、あまり筋がよくない。後半の実践は、一般の読者が無理なくできて、どの流儀の核心にも踏み込まない範囲に絞った。
図の見方
本文に二点の図を入れた。ラベルはラテン文字にしてあるので、ここで日本語の凡例を書いておく。
一点めの図の上段は、弦を鳴らすときの基本的な構えを横から見たものだ。「BOW」と書いた縦の曲線が弓本体、「STRING」が弦、「GRIP」が握りの位置を指す。「UPPER LIMB」が上の部分、「LOWER LIMB」が下の部分だ。
「PULL」の矢印は弦を引く方向で、「RELEASE」の矢印は、指を離したあと弦が戻る方向を表す。「NO ARROW」という注記は、矢をつがえないことを示すために付けた。
同じ図の下段は、蟇目鏑の断面図。「WOODEN BODY」が朴や桐で作った木の本体、「HOLLOW CAVITY」が中を刳り抜いた空洞を指す。「AIR HOLES」と矢印が付いている小さな円が音を出すための穴で、正式な造りではこれが四つ開く。
「SHAFT」は矢箆で、「NO ARROWHEAD」の注記は、祓いに使う蟇目に鏃が付かないことを示す。「AIR FLOW」の矢印は、飛行中に空気が穴から入って空洞で渦を巻き、音になる流れを表すために描いた。
二点めの図は、破魔矢を室内に据えるときの見取り図。「ROOM」の四角が部屋、「SHELF」が棚や飾り台、「KAMIDANA」が神棚を示す。「EYE LEVEL」の破線は立ったときの目線の高さで、破魔矢はこれより上に置くのが一般的とされる。
「ARROW STAND」が破魔矢立てで、「FEATHER END UP」は羽根の付いているほうを上にして立てるという意味だ。「HORIZONTAL LAY OUT」は、横に寝かせて置く場合の配置として描いた。
「AVOID」と書かれた領域は、避けたほうがよいとされる場所だ。「FLOOR LEVEL」は床への直置き、「UNDER STAIRS」は階段の下、「TOILET AND BATH」は水回りを指す。「DIRECTION NOT FIXED」の注記は、矢尻の方角に統一された決まりが無いことをはっきりさせるために入れた。
ここからは自宅でやる話――最初に断っておくこと
歴史の話はここまで。ここからは、一般の読者が自宅でできる範囲に落とし込んでいく。先に四つ、線を引いておく。
第一に、これから書くのは神社の神事の再現とは違う。神事は資格を持つ人が、定められた場で、定められた次第で行うものだ。家でやるのは、その考え方を借りた自分のための所作にすぎない。だから神事を名乗らないでほしい。
第二に、矢を射る手順は一切書かない。弦を鳴らすところまでだ。屋内で矢を放つのは、たとえ蟇目のような鏃のない矢でも危険だし、屋外で射れば場所によって法的な問題が生じる。人にも動物にも建物にも向けない。この点は何度でも繰り返す。
第三に、これは医療でも法律相談でも投資助言でもない。体調が悪いなら医療機関へ行き、トラブルを抱えているなら弁護士や公的な窓口へ相談する。お金の判断は専門家とする。弦を鳴らすことはそれらの代わりにならないし、代わりにしてはいけない。
第四に、他人に向けて使わない。誰かを困らせる、退ける、懲らしめる、そういう目的で音を出すのは、この所作の本来の趣旨から外れている。鳴弦は、自分と自分の場所を整えるためのものだ。
道具の現実解その一――弓を持っている人、これから買う人
弓道をやっている人や、家に弓がある人は話が早い。ただ、ここには大きな落とし穴がある。弓道の弓で、矢をつがえずに引いて離す行為を空打ち(からうち)という。これは弓を壊す。全日本弓道連盟の道具解説にも、矢を番えずに引いたまま放すと破損の原因になると明記されていた。
理由は物理的なものだ。矢をつがえていれば、弓が戻ろうとする反発の力は矢を加速させるのに使われ、段階的に解放される。矢が無いと、その力の逃げ場がない。弦の戻りが速くなり、その動きが急激に止められる。
弓本体に瞬間的な高い応力がかかって、場合によっては裏返ったり、外竹が割れたりする。竹弓なら数十万円が一瞬で終わるし、グラス弓やカーボン弓でも無傷ではすまない。
だから弓道具としての弓をお持ちの方には、弦を「引いて離す」のではなくて、「指ではじく」方法をすすめたい。弦の中ほどを親指と人差し指でつまみ、ギターの弦を弾くように横にはじいて離す。ビン、と鳴る。弓に無理な力はかからないし、音量は控えめだが、集合住宅ではむしろ好都合だ。
これから弓を買う、という選択肢もある。ただ、費用は決して安くない。取扱店の解説によれば、初心者向けの弓で五万円前後、竹弓なら二十万円前後が目安だという。弓道着やかけ、矢まで一式そろえると十万円ほどかかる。祓いのためだけに買う金額としては、正直言って過剰だ。
弓道を始めたい気持ちがあるなら、話は別だ。その場合は最寄りの弓道場や弓道具店に相談して、指導を受けながら買うのがいい。独学で弓を扱うのは事故のもとになる。
道具の現実解その二――弓が無い人のための「弦だけ」
弓を持たない人が大多数だと思う。そのための現実解を、入手しやすい順に並べてみる。
いちばん手近なのは、弓の弦だけを買うことだ。弓道具店では弦を単体で扱っていて、麻の弦と合成繊維の弦がある。合成繊維のほうが安価で扱いやすい。弦は消耗品で、予備を持つのが前提の商品だから、単体で買っても不自然さはまったくない。
これを両手で張って指ではじけば、弓に張らなくても、しっかり張力をかけるだけで鳴る。やり方は、弦の両端の輪を左右の手の親指に掛け、腕を広げて張力をかける。これだともう一方の手が使えないので、口や膝を使うか、あるいは二人でやる。
一人でやるなら、丈夫な木の棒に張るのが簡単だ。ホームセンターで売っている直径二センチ、長さ一メートル程度の丸棒の両端に切り込みを入れ、弦を掛ければ簡易的な弓の形になる。曲げないのでほとんど張力はかからないが、弦をはじく分には十分だ。
和楽器店という選択肢もある。三味線や琴の弦を扱っている店なら、丈夫な糸を単品で買える。これを木枠や棒に張って使えばいい。三味線の絃は音がよく通る。
神社の授与品という道も考えられる。破魔矢とセットで小さな弓が付いてくる授与品を出している社もある。これは飾り物で、弦を強くはじくと壊れるから、あくまで象徴として据えるものと考えたほうがいい。
もっと簡素で、しかも伝統に根拠のある選択肢が一つあって、それが桃の枝。追儺の夜、群臣は桃の弓と葦の矢を持って鬼を追った。宮地嶽神社の鳴弦の儀も、その流れを汲んで桃の枝で作った弓を使っている。庭に桃があるなら、剪定した枝を軽く曲げて糸を張ればいいし、弾力がなくても構わない。
道具が何もない場合は、手を打ち鳴らす、つまり柏手で代わりにする考え方もある。音で場を切り替える発想は、同じ方向を向いている。ただ、これは鳴弦とは別物。そこは承知した上でやってほしい。
使ってはいけないもの
使わないほうがいいものも挙げておく。洋弓、いわゆるアーチェリー用のコンパウンドボウやリカーブボウ。これらは滑車やリムの構造が繊細で、空打ちすれば即座に深刻な破損を招く。弓ごと壊れて破片が飛ぶ危険もあるから、絶対にやらない。
クロスボウは、日本では所持そのものが規制されていて、許可なく持つことはできない。論外。子ども用の玩具の弓は、安全に配慮された設計だが、強く扱えば壊れる。壊れた破片が目に入る事故も、実際に起きている。
輪ゴムを張ったものは、切れて跳ね返ると目を痛めるし、音もたいして出ない。やめておこう。金属のワイヤーも、切れたときの跳ね方が危険で、素手で扱うと切創のおそれがある。
他人から借りた弓も避けたい、壊れたときに弁償では済まない関係の問題になるからだ。特に部活動の備品はやめること。
誰かの遺品や、由来のわからない古い弓を無造作に扱うのもよくない。物には持ち主の事情が付いているので、気が進まないなら無理に使わないでおく。
日取りと時刻――いつやるか
厳密な決まりは無い。ただ、伝統の中で節目とされてきた日を借りるのは理にかなっている。
節分の前後は、神社の鳴弦の儀が集中する時期。二月三日前後は季節の変わり目で、古来もっとも祓いが集まってきた。年の変わり目、つまり大晦日から元日にかけてもいい。追儺は、もともと大晦日の行事だった。そう思えば、自然な選択になる。
引っ越しの当日、または荷物を入れる前は、新しい場所を区切り直すタイミングとして最適だ。月の朔日(一日)と十五日もいい。神棚を持つ家では、古来この二日に改まったお参りをする習慣があって、それに合わせるのも手だ。
時刻は、朝のうちが扱いやすい。追儺は亥の刻、つまり夜の十時前後に行われた。でも今の住宅事情で夜十時に音を出すのは、近所迷惑でしかない。朝の身支度を終え、窓を開けて換気をしてからが現実的だ。
やらないほうがいい日というのも、一応ある。自分か家族の体調が悪いとき、感情が荒れているとき、誰かに腹を立てている最中。そういうときにやると、所作が祈りどころか八つ当たりになる。落ち着いてからにしよう。
方角と立ち位置
修験道の法弓が東西南北と中央と鬼門を押さえる構成を取るように、方角を意識する枠組みは各流儀にある。陰陽道の追儺でも、場は内裏の中庭が指定された。ただ、それぞれ理屈が違って混ぜると意味を失うので、自宅でやるなら次のように単純化するのがいい。
部屋の中央に立ち、自分から見て入口のほう、つまり玄関や部屋の扉のある側を最初に向く。そこから時計回りに四方を向く。これだけだ。方位磁石で東西南北を厳密に測る必要はなく、家の構造に沿った四面を順に向く考え方で十分に機能する。
なぜ入口からかというと、境目の理屈だ。外と内が接するところがいちばん気をつけるべき場所だから、そこから始める。窓は開けておこう、音が抜けるし換気にもなる。ただ集合住宅だと、開けると音が外に出るので、そこは後で書く配慮とのバランスで判断してほしい。
立ち位置で気をつけることが一つある。人や動物、位牌や遺影、水槽のある方向に向かって音を出さない。向けないというより、そちらを正面にしないという意味だ。ペットは高い音に敏感なので、犬や猫がいる家では別の部屋に移してから行う。
回数――七五三という数
三嶋大社の鳴弦式では、奉行が九字を切ったあと、七五三と弓の元を鳴らし、大音声を発する。これを三度繰り返す。七五三というのは、七回、五回、三回と段階を追って打つ数のことで、合計十五回になる。日本の神事で奇数を重んじる感覚が、そのまま出ている。ちなみに『御堂関白記』の御湯鳴弦は、五位十人、六位十人の二十人がかりだった。
家でやるなら、この七五三を借りるのが素直だ。ただ、十五回はそれなりの音になるので、集合住宅では厳しい。その場合は三回、五回、七回の中から一組だけ選ぶか、各方角で三回ずつにするなどの調整をしてかまわない。
数そのものに魔法は無い。数を決めておけば、所作に始まりと終わりができる。そこが大事なところで、だらだら鳴らし続けるより、決めた数で切り上げるほうが気持ちの上で区切りがつく。
四方を向いて各三回なら合計十二回、入口側だけ七回にして残りを三回ずつなら十六回。このあたりが、現実的なところだと思う。
所作の流れ、最初から最後まで
一連の流れを通しで書いておく。前日までに行う部屋を掃除しておくのが、いちばん効く。埃を払い、床を拭き、不要なものを片付ける。祓いの所作の大半は、実は物理的な清掃で説明がつく。
当日は朝のうちに手を洗って口をすすぎ、できれば着替える。部屋着のままでも構わないが、洗濯したものを着る。神社に参るときの手水と同じ考え方で、境目を作るための切り替えだ。窓を開けて、空気を数分入れ替える。
道具は、弦なり弦を張った棒なりを用意して、床に直接置かず、清潔な布か紙を敷いた上に置く。部屋の中央に立ち、一度深く息を吸って吐く。それから二礼、深いお辞儀を二回。
祓詞を奏上する。全文は次の節に載せておいた。声は大きくなくていい、自分の耳に届く程度で十分だ。
入口の方向を向いて弦を構え、決めた回数を数えながらはじいて鳴らす。急がず、一回鳴らすごとに音が消えるまで待つ。時計回りに次の面を向き、同じ回数を鳴らして四面を巡る。
中央に戻ったら、もう一度、略拝詞を唱える。これも全文を後の節に載せておいた。締めは二礼二拍手一礼で、柏手は二回、乾いた音で。道具を片付けて窓を閉めれば、終わり。
所要時間は十分から十五分ほど。長くやればいいというものでもない。
唱える言葉その一――祓詞
ここからは唱える言葉を書く。すべて、神社や神社庁が公開している文言だけを使い、創作した唱え言は一切混ぜない。
最初は祓詞(はらえことば)だ。神事の前に行う祓いの際に唱えられる祝詞で、広く公開されている。原文は長いので、二つに区切って書く。
掛けまくも畏き伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に、禊ぎ祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等。諸々の禍事罪穢有らむをば、祓へ給ひ清め給へと白すことを聞こし召せと、恐み恐みも白す。
読みも、同じところで区切っておく。
かけまくもかしこき、いざなぎのおほかみ、つくしのひむかのたちばなのをどのあはぎはらに、みそぎはらへたまひしときに、なりませるはらへどのおほかみたち。もろもろのまがごとつみけがれあらむをば、はらへたまひきよめたまへと、まをすことをきこしめせと、かしこみかしこみもまをす。
現代語訳はこうなる。口に出すのも畏れ多い伊邪那岐大神が、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原という場所で禊ぎ祓いをなさったとき、そこにお生まれになった祓戸の大神たちよ。もろもろの災い、罪、穢れがありましたなら、それを祓い清めてくださいと申し上げますので、どうかお聞き届けくださいと、畏れかしこんで申し上げます。
伊邪那岐命は黄泉の国から戻ったあと、禊ぎをした。この祓詞は、その場面が下敷きだ。そこで生まれた祓いの神々に呼びかけ、神話の一場面を引き合いに出して、今ここでも同じことをしてくださいと頼む構造になる。唱える位置は所作の最初で、二礼のあとに置く。
唱える言葉その二――略拝詞
短い形も広く使われていて、略拝詞(りゃくはいし)と呼ばれる。原文はこうだ。
祓へ給へ、清め給へ、守り給へ、幸へ給へ。
読みはこうなる。はらへたまへ、きよめたまへ、まもりたまへ、さきはへたまへ。現代語訳は、祓ってください、清めてください、守ってください、幸せにしてください、となる。
四つの句それぞれに意味が置かれている。祓へ給へは、穢れや邪気を祓って心身を清らかにしていただく願い。清め給へは、暮らしや行いそのものを正しい状態へ整えていただくこと。守り給へは、自分と家族が無事に過ごせるよう加護を願う言葉。幸へ給へは、日々の生活が穏やかで幸福に満ちたものとなるよう願う祈りだと説明されていた。
この短さが利点。覚えやすくてどこでも唱えられるから、長い祝詞を暗記する自信がない人は、これだけでいい。
末尾に「神ながら守り給ひ幸へ給へ」と続ける形や、句の順序が異なる形もある。地域や社によって伝え方に幅があって、どれか一つに統一しなければならない性質のものでもない。唱える位置は所作の締めくくりで、四方を巡り終えて中央に戻ったところだ。
唱える言葉その三――神棚拝詞
神棚のある家なら、神棚拝詞(かみだなはいし)を使う場面がある。家庭祭祀で神棚を拝むときの祝詞として、広く公開されているものだ。原文は長いので、三つに区切って書く。
此の神床に坐す掛けまくも畏き天照大御神、産土大神等の大前を拝み奉りて、恐み恐みも白さく。大神等の広き厚き御恵を辱み奉り、高き尊き神教のまにまに、直き正しき真心もちて、誠の道に違ふことなく。負ひ持つ業に励ましめ給ひ、家門高く身健やかに、世のため人のために尽さしめ給へと、恐み恐みも白す。
読みも同じ区切りでいく。これのかむどこにますかけまくもかしこきあまてらすおほみかみ、うぶすなのおほかみたちのおほまへををろがみまつりて、かしこみかしこみもまをさく。
おほかみたちのひろきあつきみめぐみをかたじけなみまつり、たかきたふときみをしへのまにまに、なほきただしきまごころもちて、まことのみちにたがふことなく。おひもつわざにはげましめたまひ、いへかどたかくみすこやかに、よのためひとのためにつくさしめたまへと、かしこみかしこみもまをす。
現代語訳はこうなる。この神棚にお鎮まりになっている、口に出すのも畏れ多い天照大御神と、この土地の産土の神々の御前を拝み申し上げて、畏れかしこんで申し上げます。
神々の広く厚い御恵みをありがたく受け、高く尊い神の教えのままに、素直で正しい真心を持って、誠の道を踏み外すことなく、自分の担っている仕事に励ませてください。家が栄え、身体が健やかであり、世のため人のために尽くすことができますようにと、畏れかしこんで申し上げます。
天照大御神と、自分の住む土地の産土神の両方に呼びかけている点が特徴だ。全国共通の大神と、その土地固有の神という、宛先が二重なわけだ。神棚がない家で無理に唱える必要はなく、祓詞と略拝詞だけで所作は成立する。
鳴弦固有の唱え言は確認できなかった
はっきり書いておく。この記事の取材範囲では、鳴弦や弦打に固有の、公開された唱え言は確認できなかった。
神社の鳴弦の儀では、奉行が九字を切るという記述や、「イーン」という大音声を発するという記述は見つかった。だが九字の切り方の詳細も、発声の正確な指示も、一般向けに公開された形では確認できていない。修験道の法弓の儀についても、ある寺院の説明は、重要な奥義を省いたと明記していた。核心は伏せられている。
だから「鳴弦のときはこう唱える」という伝統の文言を、この記事は示せない。ネット上には、それらしい唱え言を掲げているページもあった。でも出所が確認できないものを、伝統の文言として紹介するわけにはいかない。
誰かが考えた文言が、いつのまにか古来の秘伝として流通するのは、実際によくある話だ。この記事は、それに加担しない。
代わりにすすめたいのが、出所の確かな祓詞と略拝詞だ。これらは神社が公開し、参拝者が日常的に唱えている文言で、誰でも使える。鳴弦の作法と組み合わせるのはあくまでこの記事の提案で、伝統の作法そのものとは違う。そこは区別してほしい。
場面別その一――新居に入るとき
引っ越しは、境目を作り直すいちばん大きな機会。理想は、荷物を入れる前の空の状態でやること。何も無い部屋のほうが音がよく響くし、気分の切り替えもしやすい。鍵を受け取って最初に入るタイミングがあれば、そこでやる。
手順は基本形のとおりだ。玄関を入って部屋の中央に立ち、二礼して祓詞を唱え、玄関の方向から時計回りに四方を向いて弦を鳴らす。
部屋が複数あっても、全部屋でやる必要はない。家の中心になる部屋、たとえばリビングで一度やれば十分だと考えていい。どうしても気になる部屋があれば、そこで追加する。
賃貸の場合、入居前の空室は音が響きやすく、隣室に伝わりやすい。管理会社から鍵を受け取った時点では挨拶回りがまだ済んでいないことが多いので、大きな音は避けたい。指ではじく程度の音量にとどめておこう。
荷物を入れたあとにやる場合は、段ボールの山の中でも構わないし、玄関だけでもいい。完璧にやろうとして先延ばしにするより、簡素でも早くやるほうがいい。
引っ越しのあとの水回りの掃除、換気、火災報知器の確認、避難経路の確認。こういう実務のほうが、実際には家を守る。所作は、それを終えたあとの仕上げとして置くのがちょうどいい。
場面別その二――体調を崩した家族のいる部屋
ここはいちばん慎重に書く。大前提として、体調が悪いなら医療機関にかかる。これが第一で、ほかのすべてに優先する。弦を鳴らすことは治療とは別物だし、受診を遅らせる理由になってはいけない。
発熱、強い痛み、息苦しさ、意識の混濁。こうした症状があるなら、この節を読んでいる場合じゃない。すぐ医療へ。
その上で、回復期に入って本人が退屈しているような段階なら、やってもいい。ただし条件がある。
一つは、本人の同意を取ること。寝ている人の枕元で勝手に音を出すのは、ただの迷惑だ。やっていいかと聞いて、いいよと言われたらやり、嫌がられたらやらない。
部屋の中では鳴らさない。病人のいる部屋の外、廊下や隣室から、扉の方向に向かって鳴らす。音は病人にとって刺激になるからだ。御湯殿の儀でも、弦は湯殿の外で鳴らされた。音量も落として指で軽くはじく程度にし、回数も三回で切り上げる。
本人に向けて鳴らさないのは、絶対だ。人に向けて音を出す構図は、どんな理屈をつけても気持ちのいいものにならない。部屋の入口、つまり境目に向ける。
実務のほうが大事だということも書いておく。換気、加湿、室温の管理、水分、静かな環境。これらが病人の環境を整える。所作はその補助で、主役を張るものとは違う。
平安の宮廷では、病のときに弦打をした。でもそれは、ほかに手段がなかったからでもあった。今は手段があるのだから、使えるものは使う。
場面別その三――出産の前後
御湯殿の儀と産屋の弦打ちに対応する場面だ。昔の産屋では、地域によって父親や産婆、近所の男衆が弦を鳴らした。ただ、現代では制約が多い。産院や病院の中では、当然やらない。医療機関には他の患者がいて静粛が決まりなので、院内で音を出す所作は迷惑にしかならない。
自宅でやるなら、産前に一度、産まれてくる子を迎える部屋を整えたときが自然なタイミングだ。掃除をし、ベビーベッドを組み立て、換気をして、そのあとに所作を置く。
産後は、赤ん坊が寝ている部屋では絶対にやらない。新生児の聴覚は敏感で、突然の音は驚愕反射を引き起こすから、泣かせるだけだ。やるなら別の部屋で、静かに、短く。
母親の体調が最優先なのは言うまでもない。産後は心身ともに消耗している。儀式めいたことに付き合わせず、本人がやりたいと言うまで待とう。
「うちはこれをやったから安産だった」のような物言いを、他人にしないこと。出産の結果は医療と体質と運の問題で、所作の成否とは関係がない。うまくいかなかった人を追い詰める言葉になる。
昔の産屋の弦打ちが果たしていた役割は、実際のところ「みんなで見守っている」という表明だったのだろうと思う。同じ機能は、今なら別のやり方で果たせる。
場面別その四――年の変わり目と節分
季節行事としてやるなら、この二つが本命。追儺は、もともと大晦日の行事だった。それを踏まえれば、年越しの前にやるのが筋が通っている。ただ深夜に音を出すのは論外なので、夕方までに済ませる。大掃除を終えたあと、まだ明るいうちがいい。
節分は二月三日前後で、各地の神社の鳴弦の儀がこの日に集中している。豆撒きとセットにするのも自然な流れだ。神社の次第でも、鳴弦の儀のあとに豆撒きが行われる例がある。
家でやる場合の順番は、掃除、換気、所作、豆撒き、という流れになる。豆撒きの豆は、後で拾いやすいよう袋入りのものを使うと片付けが楽だ。
節分の日付は、年によって二月二日になることも三日になることもある。立春の日取りで決まるので、その年の暦を確認してほしい。正月に破魔矢を授かった場合は、この時期が据える場所を整える頃合いになる。詳しくは次の節で書く。
破魔矢の正しい祀り方
破魔矢は、もとをたどれば的を射る「はま矢」だった。授与品としての破魔矢をどう扱うか。神社によって指導が異なるので、まず授与を受けた社の説明に従うのが原則だ。その上で、一般に言われていることを整理しておく。
置く場所は、神棚があれば神棚、無ければ床の間になる。どちらも無い家が大半だと思うので、その場合は明るく清らかで、立ったときの目線よりやや高い場所に置く。リビングや玄関が選ばれやすい。
目線より高く、というのは高さについて共通した指導だ。見下ろす位置には置かず、床に直置きもしない。
置き方は二通りある。立てる場合は、羽根の付いているほうを上にする。破魔矢立てという専用の台が売られているので、それを使うと安定する。横に寝かせる場合は、清潔な布や紙を敷いた上に置く。
矢尻の向きについては、前に書いたとおり、特に決まりはなく、こだわらなくてもよいとする説明が多い。凶方位に向ける説、恵方に向ける説などいろいろ出回っているが、統一された作法は無い。上棟式で鬼門と裏鬼門に矢尻を向けるという例は伝わるが、家庭の飾りに同じ規定を当てはめる根拠は確認できなかった。
授与元の神社に指定があれば、それに従う。無ければ、自分の部屋に収まりよく置ける向きで構わない。
避けたほうがよい場所は、水回り、トイレ、浴室の近くと、階段の下だ。人が頻繁に頭上を通る場所や、埃がたまりやすく手が届かない場所もよくない。掃除ができないと意味がないからだ。
それから、こまめに埃を払う。これがいちばん大事だ。授与品を汚れたまま放置するのは、方角を間違えるよりよほど筋が悪い。
破魔矢の期限と返納
破魔矢は、原則として一年で納める。御札や御守と同じ考え方で、一年の間に受けた働きに感謝して返し、新しいものを受ける。年末に納める人も、翌年の正月の初詣で納める人もいて、どちらでもいい。
納める先は、授与を受けた神社の古札納所(こさつおさめしょ)だ。境内に木箱や囲いが設けられていて、そこに納める。名称は社によって古神札納所、納札所などと揺れる。
授与元の神社に行けない場合は、近隣の神社の古札納所に納められる例も多い。ただこれも社によって扱いが異なり、他社の授与品を受け付けないところもある。持ち込む前に、社務所へ一言確認するのが確実だ。
郵送での返納を受け付けている社寺もあって、遠方の神社で授かった場合はこの方法が使える。送料や初穂料の扱いは社によるので、事前に問い合わせておく。
年始に集中する行事として、どんど焼き、左義長、お焚き上げなどの名で呼ばれる火祭りがある。地域によって、一月十五日前後に行われる所が多い。ここで正月飾りと一緒に納める習慣もある。地域の自治会や神社が告知しているはずなので、確認してほしい。
一年を過ぎてしまった破魔矢が手元に残っている人へ。焦らなくていいし、気づいたときに納めればいい。期限を過ぎたから災いが起きる、なんて言う人がいたら、それは根拠のない脅しだ。
やってはいけない処分の仕方
これははっきり書いておく。自宅で燃やすのはやめよう。都市部では、消防法や自治体の条例で野焼きが禁止されている。庭で焚き火をして近隣から通報される事例は珍しくない。破魔矢は木と紙と金具でできていて、燃やすと金具が残って始末に困る。
そのまま一般ごみに出すのも、技術的には不可能じゃないが、気持ちのうえで後味が悪いという人が多い。どうしてもごみとして出すしかない場合は、白い紙に包み、塩をひとつまみ添えて、感謝の気持ちで手を合わせてから可燃ごみに出す。そういう方法が民間では語られてきた。ただしこれは最終手段で、まず古札納所を探すのが筋だ。
他人に譲るのもよくない。授与品は、受けた本人と神との関係で成り立っている。中古品として売買するのも、同じく避ける。壊して捨てる、つまり折る、切る、割るという扱いもしない。
放置も、いちばん避けたい。埃をかぶったまま何年も置きっぱなしにするくらいなら、納めるか、きちんと飾るか、どちらかにする。
川や海に流すのは、完全に不可。水質汚濁防止法や廃棄物処理法に触れ、不法投棄になる。昔の民俗にそうした形があったとしても、今やっていいことにはならない。
賃貸・集合住宅での現実解
いちばん多くの読者が直面するのが、ここだと思う。音の問題が最大の障壁。弓の弦を強く弾いた音は、思っているより通る。マンションの壁は音を伝えるから、隣室に響けば苦情になるし、苦情にならなくても不信感を招く。
対策を具体的に書く。時間帯は、平日の日中がもっとも安全だ。朝の早い時間、夜、休日の早朝は避ける。音量も落とし、強く弾かない。指先で軽くはじく程度で十分で、音が小さいと効き目が落ちるという発想は捨てていい。
換気は所作の前後に済ませ、音を出す間は窓を閉めて外に漏らさない。カーテンも閉めよう、布は音を吸うからだ。やるのは部屋の中央で、壁際で音を出すと壁を伝って隣に届きやすい。
床に直接響かせないよう、カーペットやラグの上に立つ。短く済ませるのもコツで、長引かせると聞いているほうは何事かと不安になる。十分程度で終えよう。ペットのいる部屋では行わないし、集合住宅なら隣室のペットにも配慮がいる。
そもそも弓を持ち込めない、置く場所がない、という物理的な制約もある。弓は全長二メートル二十センチほどあるので、ワンルームに置くのは現実的じゃない。だからこそ、弦だけ、あるいは短い棒に張った弦という代わりが生きる。
管理規約を確認しておくのも忘れずに。楽器演奏の制限がある物件では、弦の音も対象と解釈されるおそれがゼロとは言えない。心配なら、管理会社に一言聞いておく。
それでも気が進まないなら、やらないという選択もある。掃除と換気と整頓、これだけでも家を整えるという目的の八割は達成できる。
やってはいけないこと
安全と倫理の線を、まとめて書いておく。矢を射ないこと。屋内で射れば壁に穴が開き、窓が割れ、人に当たる。屋外で射れば、場所によっては銃刀法や軽犯罪法、各自治体の条例に触れるおそれがある。公園や河川敷で弓を引く行為は、たいてい禁止されている。
蟇目のような鏃のない矢でも、当たれば怪我をする。歴史の話として読むにとどめて、実践はしない。
人に向けないこと。弓を向ける、弦を向ける、矢を向ける、どれもしない。たとえ冗談でも家族に向けないのは、子どもが真似をするからだ。
動物にも向けない。犬追物では、馬場に放した犬を蟇目で射た。その話を読んでも、真似はしない。動物愛護管理法の問題になるし、そもそも音だけでもペットには強いストレスだ。
建物や他人の敷地にも向けない。隣家に向かって弦を鳴らす行為は、意図がどうあれ、見た人に不安を与える。
他者へ向ける目的で使わないこと。誰かを困らせる、退ける、追い出す、そういう目的の所作は、この記事の扱う範囲の外にある。鳴弦は、自分と自分の場所のためのものだ。呪詛の道具として使おうという発想が浮かんだら、その時点でやめて、別の方法で問題に向き合ってほしい。
神事を名乗らないこと。家でやったことを「神事を行った」と言わないし、SNSに上げるときも同じだ。神社が資格を持つ者によって行う神事と、個人が家でやる所作は別物になる。
他人に強要しないこと。家族に参加させないし、信じない人に説明もしないし、効果も保証しない。誰かに「これをやれば治る」「これをやれば受かる」と言った時点で、それは別の問題になる。
医療・法律・投資の判断を置き換えないことも、何度でも書く。体の不調は医療へ、もめごとは法律の専門家へ、お金は専門家へ。
外部の人間が、ここから先を真似しないために
生きている信仰と作法に触れる以上、線を引いておく必要がある。小笠原流や武田流の蟇目の儀には、宗家と門人が代々伝えてきた具体的な所作がある。矢の持ち方、構えの角度、歩数、装束の着け方、介添えとの呼吸。これらは、稽古を積んだ者が師から直接受け取るものだ。小笠原流が教場を開いて一般への公開を始めたのも、明治十三年のことだった。
動画や写真から見て取れる部分だけを真似て「小笠原流の蟇目をやってみた」と称するのは、失礼になる。流儀に対しても、長年稽古してきた人に対してもだ。
修験道の法弓の儀も同じだ。公開されている次第は、どこも核心を省いている。ある寺院は、重要な奥義を省いたと明記していた。印と真言と観法、この三つが揃って初めて成立する作法で、外形だけ真似ても意味がないどころか、当人にとっても良くないとされる。
資格のない者が行う修法を禁じる伝統には、それなりの理由がある。神社の鳴弦の儀についても、九字を切る所作や発声の詳細は、公開情報からは再現できない。この記事がそれを書かないのは、書けないからだ。
地域の神社が伝える固有の作法もそうだ。これは氏子と神職の共同体の中にあるもので、外から来た人間が持ち出していいものとは違う。祭礼を見学するのは歓迎される。でも手順を記録して再現するのは、また別の話になる。
本格的にやりたいなら、道はある。弓道を習う、弓馬術の団体に入門する、神職の資格を取る、修験の行に入る。どれも長い時間がかかるが、それが正規のルートだ。近道を探す発想そのものが、この種の伝統とは相性が悪い。
ここで書いた実践は、そのどれでもない。祓詞という公開された祝詞を唱え、弦をはじいて音を出し、掃除をして換気をする。それだけのことだ。伝統の考え方を借りた、個人の習慣として読んでほしい。
後始末と保管
終わったあとの扱いも書いておく。弦は使ったあと、手の脂が残らないよう乾いた布で軽く拭く。麻の弦は、特に湿気に弱い。
保管場所は、直射日光の当たらない、湿度の安定したところがいい。押し入れの奥は湿気がこもるので、できれば避ける。桐箱があれば理想だが、無ければ紙の袋か布の袋に入れて、棚に横置きする。
弓があるなら、弦を外して保管するのが基本だ。張りっぱなしにすると弓が疲れる。弓袋に入れて、立てかけるか横に寝かせる。壁に立てかけるときは、倒れないよう固定しておく。倒れて人や家具に当たる事故は、普通に起きる。
弦を張った棒を自作したなら、次に使うまで弦を緩めておく。張りっぱなしの弦は伸びるからだ。子どもとペットの手が届かない場所に保管するのも、忘れずに。
弦は細くて丈夫なので、首に巻き付くと危ない。これは真剣に注意してほしい。棒に張ったものを子どもがおもちゃにすると、必ず怪我をする。
弦が切れたら、授与品とは違うので、そのまま可燃ごみに捨てて構わない。気になるなら白い紙に包む。神社から授かった弓や矢は、前に書いた古札納所へ。自作のものと授与品は、扱いを分ける。
道具を使わなくなったときの話もしておく。何年もやらずに置いてあるなら、思い切って手放していい。持ち続けることが義務になると、むしろ負担になる。
効かなかったとき、効いた気がしたとき
最後に、心構えの話を少しだけ。やってみて何も変わらないのは、普通にあることだ。むしろそれが大半だと思ったほうがいい。弦を鳴らしたら病気が治った、商売が上向いた、そういう因果関係は無い。あると言う人がいたら、その根拠を疑ったほうがいい。
『源氏物語』の夕顔の巻を思い出してほしい。光源氏は弦打ちを命じた。それでも夕顔は助からなかった。作者はそこを誤魔化していない。当時の人だって、これが万能じゃないことは知っていた。
では何のためにやるのか。境目に印をつけるためだ。引っ越しの前と後、年の終わりと始まり、病の最中と回復。そういう切れ目に、音という形で区切りを入れる。自分の中で、何かが切り替わる。
その切り替えが、実際に行動まで変えてしまう場合がある。掃除をする、換気をする、片付ける。所作の準備段階でやったことが、そのまま生活の改善につながっている。
効いた気がしたときも、冷静でいてほしい。良いことが続いたのは、たぶん弦の音のせいというより掃除をしたからで、あるいは単に運がよかったからだ。所作に過剰な力を認めると、次はもっとやらなければという発想に傾く。そこから先は伝統でも信仰でもなく、ただの強迫になる。
千年前の宮廷は、二十人がかりで弦を鳴らした。彼らには、他の手段がほとんど無かったからだ。今は違って、医療があり、法があり、暖房があり、記録がある。弦を鳴らすのは、そのすべてを使ったうえで、それでも残る不安に対して手を動かすための方法にすぎない。
そのくらいの距離で付き合うのが、ちょうどいいと思う。
