疫病神を小指で受けた良源の姿を摺った札
骨ばかりの体に二本の角、膝の前で手を組んで座る鬼。角大師の札に摺られているのは、平安時代の天台座主、良源の姿だ。亡くなったのが永観三年の正月三日だったので元三大師と呼ばれ、慈恵大師の名も贈られた。延喜十二年に近江で生まれ、第十八世の天台座主になった僧で、焼けた比叡山の堂を建て直した。天台宗では叡山中興の祖として祀っている。
寺々の縁起によると、永観二年に疫病がはやったとき、良源は近づいてきた疫病神を自分の左の小指に取り付かせた。高い熱と激しい痛みが出たものの、良源は法力で疫病神を弾き出したという。そのあと鏡の前で禅定に入ると、映った姿が骨ばかりの鬼に変わった。弟子の明普阿闍梨がそれを写し、版木に彫って摺った札を家々の戸口に貼らせた。
豆大師は小さな良源の姿が三十三体並んだ札で、観音菩薩が三十三の姿に変わって人を救うという説にちなむ。江戸時代、横川の元三大師堂に参った河内の百姓の田だけが、大雨のなかで無事だった。夜のうちに三十人あまりの若者が田を守っていたという話が元になっている。魔滅大師とも書き、魔を滅ぼすに豆を掛けてある。
鬼の姿で鬼を追い返す札なので、戸口に置いて外を向かせるのが使い方の芯になる。昔は門口に貼るほか、竹に挟んで田のあぜに立てたと日本国語大辞典にもあった。家の口も田の口も、外から悪いものが入る場所だった。手順のほうも、この外向きの見張り番という考え方で組んである。
札を出している寺と、受けに行く日を決める
角大師の本家は、比叡山の横川にある元三大師堂、別名四季講堂だ。良源が住んだ坊の跡に建つ堂で、角大師、降魔大師、豆大師の紙札を並べて授けている。京都の観光案内の取材記事では、どれも五百円だった。安い。延暦寺の案内では横川の堂が開くのは九時から十六時で、十二月から二月は九時半からになる。
京都の町中なら、廬山寺、真如堂、三千院、法住寺、曼殊院、青蓮院でも角大師の札を出している。廬山寺と三千院は五百円、真如堂は七百円という案内だった。大差はない。関東では上野の寛永寺開山堂、調布の深大寺、川越の喜多院、佐野の惣宗寺が元三大師を祀る寺として知られる。長野の善光寺大勧進は元三大師の紙札を七百円、足利の岡山元三大師は角大師と豆大師を五百円で出していた。
日取りの目安は三つある。一つは正月で、廬山寺は新年に貼り替えるのが特に良いと勧めているし、喜多院は正月三日の初大師にだるま市が立つ。二つ目は元三大師の縁日にあたる毎月三日。
廬山寺の元三大師堂では毎月三日に護摩が焚かれ、誰でも参列できる。一月、二月、九月の三日だけは本尊の開帳もあるそうだ。京都の観光案内の記事では、毎月三日の護摩は参拝自由と紹介されていた。
真如堂も毎月三日に護摩供を修め、法住寺は三日の十時と十四時に縁日のお勤めを営んでいた。三つ目は寺ごとの大きな日で、深大寺は三月三日と四日の厄除元三大師大祭がそれにあたる。延暦寺は九月三日に四季講堂で元三慈恵大師御誕生会を営む。寛永寺開山堂は八月二十七日から七日間の大護摩供を修め、角大師の特別祈祷札を出していた。
どの日にも行けないなら縁日を外した平日でかまわず、授与所の開いている時間なら札は受けられる。山の上の横川は冬の日暮れが早いので、午後の遅い時間に着く組み方は避けたほうがいい。
授与所で札を受け、折らずに家まで運ぶ
授与所へ直行せず、先に大師を祀る堂で手を合わせる。堂の前で一礼し、賽銭を納め、合掌して名前と住まいを心の中で告げる。戸口を守る札をいただきに来ました、と伝えてから授与所に回ると、流れが気持ちよくつながる。寺での順番としても、これが自然だ。急がば回れ。
受ける枚数は、家の人数でなく戸口の数で決める。玄関だけなら角大師と豆大師を一枚ずつ、勝手口や店の入り口にも貼るならその分を足す。志納は五百円か七百円のところが多いから、小銭をそろえておくとやり取りが早い。札は紙一枚で折れやすいので、厚紙を挟んだ封筒かクリアファイルを持って行こう。
護摩祈祷もあわせて頼むなら、受付で申込書をもらい、名前、住所、願い事を書く。願い事は家内安全、厄除け、疫病退散のように短くて足りる。祈祷料を包むなら白い封筒の表に御祈祷料と書き、裏に住所と名前を書くのが普通の包み方。金額は寺ごとに決まっているので、申込書の案内に合わせる。迷うなら聞けばいい。
持ち帰った札はその日のうちに貼るのが一番いいけれど、貼れない日は、神棚か仏壇の中に置いておく。なければ目より高い棚に白い紙を敷いて寝かせる。鞄や引き出しの底に入れっぱなしにはしない。貼る前の日か当日の朝には、玄関のたたきを掃き、扉と枠を固く絞った布で拭いておく。
護摩祈祷の日に参列して札を受ける
札だけでなく祈祷もあわせて受けたいなら、護摩の日に合わせて行く。廬山寺の元三大師堂は毎月三日に護摩を焚き、誰でも自由に参列できると寺が書いていた。深大寺の元三大師堂は、毎日護摩祈願を修めていると案内していた。日を選ばずに頼めるのは、深大寺のほうだ。
当日は、護摩の始まる少し前に着くようにする。受付で申込書を書き、祈祷料を納めたら、案内に従って堂の中で待つ。椅子の寺もあれば畳に座る寺もあるけれど、座ったら鞄は膝の脇に置き、数珠があれば左手に掛けておく。
護摩が始まったら、僧の読経のあいだは合掌して火のほうを見ている。経本が配られる寺なら、般若心経のところだけでも声を合わせればいい。申し込んだ人の名前と願い事を火の前で読み上げる寺も多いので、自分の名前が聞こえたら軽く頭を下げる。それで足りる。
途中で席を立つのは避ける。終わったら僧に一礼して堂を出て、授与所で祈祷札と角大師の札を受け取る。深大寺の大祭の日の護摩では、角大師の姿を印した特別の護摩札が授けられてきた。祈祷札も角大師の札と同じく、その日のうちに家へ持ち帰って祀る。
郵送で授かるときの申し込み方
遠くて寺へ行けないなら、郵送で受ける手がある。廬山寺は郵送にも応じている。寺のホームページの申込書を使うか、必要なことを書いたメモを代金と一緒に現金書留で送る仕組みだった。送料は五百円。角大師の札一枚なら、札の五百円と合わせて千円を封筒に入れる勘定になる。
真如堂はホームページか電話で申し込めた。手軽だ。三重の國束寺は寺のサイトに郵送の申込フォームを置いていて、角大師を含む三種の紙札を一組千円で授けている。善光寺大勧進はオンラインの店で元三大師の紙札を扱い、届くまでの目安を五日以内としていた。上野の寛永寺開山堂は、令和二年の六月に疫病除けの護符の郵送授与を始めた。
深大寺もオンラインの授与所を開いていたものの、令和七年の春に閉じるという知らせを出している。今の扱いは寺務所に聞くのが早い。横川の元三大師堂の札を郵送で受けられるかどうかは、延暦寺の案内からは確かめられなかった。延暦寺の郵送の案内は根本中堂と大黒堂の祈祷が中心で、祈祷札の郵送は国内に限っている。
申込で書くのは、名前、郵便番号からの住所、電話番号、札の種類と枚数。ここがあいまいだと寺から問い合わせが来て、届くのが遅れるかもしれない。申込書を印刷できない家でも、便箋に必要なことを書いたメモで受け付けると廬山寺の案内は書いていた。プリンターが無くても困らない。
現金書留の封筒を郵便局の窓口で買ったら、札代と送料、申込書かメモを同じ封筒に入れて、寺の住所へ出す。戸口に貼るために受けたいと一筆添えておくと丁寧だ。お釣りが出ないよう、金額はちょうどにそろえておくのが寺への気配りになる。届くまでの日数は寺によって違うので、正月に間に合わせたいなら師走の半ばまでに出しておくと落ち着く。届いた札は、手を洗ってから封を開けて取り出す。
のりと布と踏み台をそろえておく
貼る日の前に、道具をそろえておく。いるのは、でんぷんのり、固く絞る布を二枚、踏み台、白い紙か半紙を数枚。壁紙を守りたい家は、札より一回り大きい厚紙と両面テープを足す。外に貼るなら、札が収まる透明の袋もいる。
方角を確かめる道具もあると楽だ。北東を避けるには、玄関の扉がどっちを向いているかを先に知っておきたい。方位磁石か、携帯電話の方位の機能で十分。安いもので足りる。扉の前に立って外を向いたときの方角が、外に貼る札の表が向く方角になる。
踏み台は、ぐらつかないものを選ぶ。扉の上に手を伸ばすと体が反るので、札を持つ手と壁に添える手を分けておくといい。のりを付けた札を持ったまま踏み台を上り下りするのは危ないので、台に乗ってから、下の人に札を手渡してもらうのが安全だ。
玄関の外に貼るか、入った正面に貼るか
貼る場所の基本は玄関。ただ、外か内かは寺ごとに言い方が少し違う。國束寺は角大師を玄関の外側に祀り、家の中に魔が入るのを防ぐ札だと書いていた。善光寺大勧進は、玄関の外の柱か、玄関に入った正面に貼るよう案内していた。廬山寺の案内は、玄関など出入り口に、とだけある。
外と内で迷ったら住まいの事情で決めていいので、一戸建てで軒の下に柱があるなら、國束寺の言う外側に貼れる。集合住宅では共用廊下に物を貼れない決まりが多いので、善光寺大勧進の言う入った正面に回す。玄関から上がった先の壁か、扉の内側の上のほうがそれにあたる。
天台宗の若い僧の会、天台仏教青年連盟の質問の答えも参考になる。どの札も災難や魔除けのためなので、神棚や仏壇、玄関の見返りや家の壁面の上方の清浄な所に貼るとよい、という答えだった。玄関の見返りは、家の中から玄関のほうを振り返ったときに目に入る壁、と受け取っておけばいい。外に貼れない家なら、ここがいちばん収まりがいい。
高さは目より上、顔は外へ、北東向きは避ける
高さは目の高さより上にする。天台仏教青年連盟が壁面の上方と答えていたとおり、見上げる位置が収まりどころだ。扉の上の鴨居の真ん中か、扉の脇の柱の上寄りがちょうどいい。人の頭より低いと、通るたびに肩や荷物が当たって札が傷む。
鴨居のすぐ上なら踏み台一つで手が届くので、毎年の貼り替えも一人で片付けられる高さになる。天井近くまで上げる必要はない。
向きは札の絵が外から来るものと向き合うようにするのが決まりで、外に貼るなら表を道の側へ、内に貼るなら扉のほうへ表を向ける。家の中の家族をにらむ向きにはしない。見張る先は外。迷ったらここに戻る。
方角で一つだけ避けたいのが北東だ。廬山寺の寺の人は、鬼門を避けるため北東向きには貼らないように、と取材に答えていた。札の表が北東を向いてしまう壁なら、入ってすぐの脇の壁に移し、表が北東以外を向くようにずらす。東向きや南向きの玄関なら、扉の上にそのまま貼ってかまわない。
角大師は向かって左、豆大師は右に並べる
二枚を並べるときは、足利の岡山元三大師の案内がはっきりしていた。戸口に向かって左に角大師、右に豆大師。一体の大きな鬼の姿が左、三十三体の小さな大師が右、と覚えれば迷わない。
戸口に向かって、というのは外から扉を見たときの左右になる。内側に貼るときもこの左右に合わせるのかは、案内には書いてなかった。内側に貼る家は、受けた寺で一言聞いておくと安心できる。
横川では降魔大師の札も並んで出ていた。三枚をそろえた場合の並べ方を書いた案内は、今回は見つからなかった。三枚目は授与所で置き方を聞いてから貼る。当て推量の順番で貼るより、そのほうがずっと気が楽だよね。
のりで上辺と四隅を留め、画鋲と釘は使わない
札を画鋲や釘で留めないこと。廬山寺の寺の人は、押しピンや釘などでとめて傷つけないように、のり等で貼ってください、と話していた。大師の体に穴を開けることになるからだ。ここは譲れない。
段取りはこうなる。手を洗って口をすすいだら、貼る壁か柱を固く絞った布で拭き、ほこりと手の脂を落とす。壁が乾いたら、札の裏の上辺と四隅にだけでんぷんのりを薄くのばす。全面に塗ると、年明けに剥がすとき札が破れやすい。
札の上辺を先に壁へ当て、上から下へ手のひらでなでて空気を抜くとき、押すのは余白で、角大師の顔や体は指で押さえない。傾いたらのりが乾く前にそっとずらして直し、乾くまでの半日ほどは、扉を強く開け閉めしないでおく。
壁紙を傷めたくない家なら、札を一回り大きい厚紙にのりで貼り、厚紙のほうを両面テープで壁に付ける。札そのものには穴もテープも当たらない。これなら安心。外に貼るなら、透明の袋に入れてから貼ると雨に強い。袋に入れても、札の表は外に向ける。
貼る場所を間違えたときの直し方
貼ったあとで北東向きだと気づいたり、左右を逆にしたりしても、慌てなくていい。のりが乾く前なら、余白をつまんでそっと剥がし、正しい場所に貼り直す。乾いてしまったら、濡らして固く絞った布で余白を湿らせ、浮いてきたところから剥がす。
剥がすときに札が少し破れたら、裏から半紙を当ててのりで継ぐ。大きく裂けたり、顔の部分が破れたりしたときは、無理に使わない。受けた寺で新しい札を受け直し、破れた札は白い紙に包んで返納に回す。
貼り直すのは一度で済ませたい。何度も剥がすと札も壁も傷む。貼る前に、方角と左右と高さを声に出して確かめる。これだけで、たいていの間違いは防げる。声に出すと案外違う。
勝手口や神棚など、玄関のほかに祀るとき
勝手口や店の出入り口、裏口も、外から人や物が入る口だ。玄関と同じ要領で貼っていい。廬山寺の案内が玄関など出入り口と書いたのも、玄関だけに限っていないからだろう。戸口ごとに角大師と豆大師を一組ずつ用意し、向きと高さは玄関と同じ決まりで貼る。
壁に何も貼れない賃貸の家なら、天台仏教青年連盟の答えにあった神棚か仏壇に納める置き方が合う。神棚なら宮形の脇に立て掛け、仏壇なら本尊の前をふさがない内側の壁に立てる。貼らずに納めても、札の表は手前に向けておく。
札によっては祀る場所が決まっている。國束寺の三種の札は、角大師が玄関の外側、十一面観音の御影札が玄関の内側、三宝荒神の供札が台所と分けて案内されていた。三種一組で受けたら、この割り振りどおりに置く。
トイレや洗面所の入り口のように湿気と汚れがたまる場所は、清浄な所に貼るという答えから外れる。靴箱の側面の低い位置も、足元のほこりをかぶるのでやめておく。
貼り終えたら懺悔文と心経の結びを唱える
貼り終えたら、札の正面に立って合掌する。唱える言葉を決めた寺の案内は見当たらなかったので、天台宗をはじめ宗派を越えて広く唱えられている経文を使う。懺悔文を一回、般若心経を一巻。全部を読めないなら、心経は結びの句を三回でいい。
懺悔文の原文は、我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋痴、従身語意之所生、一切我今皆懺悔。読みは、がしゃくしょぞうしょあくごう、かいゆうむしとんじんち、じゅうしんごいししょしょう、いっさいがこんかいさんげ。昔から作ってきた悪い行いは、みな貪りと怒りと愚かさがもと。体と言葉と心から生んだその全部を、今悔い改めます、という意味になる。
般若心経の結びの句は、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。読みは、ぎゃてい、ぎゃてい、はらぎゃてい、はらそうぎゃてい、ぼじそわか。行った者よ、行った者よ、彼岸へ行った者よ、彼岸へすっかり行った者よ、悟りよ幸いあれ、というくらいの意味になる。
元三大師を観音の化身と説く寺は多く、豆大師の三十三体も観音の三十三身にちなんでいた。如意輪観音の化身とする寺もあるので、足すなら如意輪観音の真言、オン・ハンドメイ・シンダマニ・ジンバラ・ウンを三回。蓮華よ、如意宝珠よ、光を放て、というような意味だ。唱え終えたら家族の名前と、この一年外から悪いものを入れないでほしいという願いを心の中で伝え、一礼して終える。
貼ってある一年のあいだの扱い
貼った札は、出かけるときと帰ったときに見上げて会釈するくらいで足りる。札の前に物を積んだり、上から別の紙を重ねたりはしない。見張り番の目をふさぐのと同じで、せっかく戸口に座ってもらった意味がなくなってしまう。それは困る。
剥がれかけたら、その日のうちにのりで留め直す。放っておかない。床に落ちたら拾って手で軽くほこりを払い、手を洗ってから元の場所へ戻す。破れたり雨で汚れたりしたら、年の途中でも受けた寺で新しい札を受けて取り替え、古いほうは返納に回す。
年の途中で取り替えた札も、正月の貼り替えは同じ日にそろえる。そうすると、返納が年に一度で済む。まあ、段取りは簡単なほうが続く。
結界を弱くしてしまう貼り方
古い札の上に新しい札を重ねて貼ると、下の札が返納されないまま壁に残る。貼り替えのたびに、古い札は一枚ずつ剥がす。札の余白を切り落とすのもよくない。余白に寺の名や朱印が摺ってある札が多く、そこまで含めて一枚の札だからだ。
絵柄を印刷しただけの紙を代わりに貼るのも、寺の考え方とは違う。國束寺は、護符はそれぞれの尊像の前で加持祈願していると書いていた。令和二年に疫病がはやったころは、角大師の画像を家で印刷して貼ろうという呼びかけも広がった。戸口の守りとして置くなら、寺で受けた札を使うほうが筋が通る。
画鋲で留める、表を北東へ向ける、家の中をにらむ向きに貼る。この三つは、ここまでの手順で避けてきたものだ。家族の誰かが代わりに貼り替える年もあるかもしれない。向かって左に角大師、右に豆大師、表は外、という三つだけ伝えておけば迷わない。
年が明けたら新しい札に貼り替える
貼り替えは年に一度、正月がいい。廬山寺は新年に貼り替えるのが特に良いと勧めていた。川越の喜多院も、角大師の門札が正月には宗派を問わず家の門戸に貼られると案内していた。初大師の一月三日に受けに行けば、縁日のお参りと貼り替えが一度に片付く。
順番は、新しい札を先に貼って、古い札をあとで剥がす。戸口を空けないためだ。新しい札は古い札のすぐ横に貼り、古い札を剥がしてから元の位置に移すか、そのまま横に落ち着かせる。重ねて貼ることだけはしない。
古い札を持って寺へ行き、その日に新しい札を受けて帰る段取りでもかまわない。その場合、戸口が空くのは寺へ行って帰るまでの半日ほど。気になるなら、出かける直前まで古い札を貼っておき、剥がしてすぐ白い紙に包んで持って出る。帰ったら手を洗い、その足で新しい札を貼る。これで一日のうちに入れ替わる。
古い札は端からゆっくり剥がす。のりが固くて動かないときは、濡らして固く絞った布を当てて湿らせ、浮いてきたところをつまむ。破れてしまっても、破片まで全部集める。一片も残さない。剥がした札は白い紙か半紙で包み、返納する日まで棚の高いところに置いておく。
古い札を受けた寺へ返す、送る
返す先は、受けた寺がいちばん。これが基本。寺の古札納所か、御札納箱に納める。國束寺では本堂の左手に御札納箱があり、古い札や不要になった札は寺でお焚き上げすると案内していた。
寺へ持って行くときは、白い紙に包んだ古い札を封筒か紙袋に入れる。境内に入ったら先に大師の堂へ行き、一年守ってもらった礼を伝えてから納所へ回る順番にすると、礼が先に立つ。納めるときに一礼し、振り返らずに離れる。新しい札を同じ日に受けるなら、返す、受ける、の順にしておく。
遠くの寺で受けた札は、郵送で返せる寺もある。國束寺の案内は、遠方の人は封筒などで送るように書き、その際はお焚き上げ希望の旨を記してほしいと頼んでいた。送るときは白い紙で包んだ札を封筒に入れ、角大師の札のお焚き上げをお願いします、と一筆箋に書いて添える。お焚き上げの志納を決めている寺もあるので、送る前に寺の案内を確かめておく。
受けた寺にどうしても返せないときは、近くの天台宗の寺か、元三大師を祀る寺に相談する。可燃ごみに出すのはやめておく。それはしない。一年のあいだ戸口で外をにらんできた大師の姿なので、火で送ってもらうのが筋だ。
