- 白い紙に覆われた東山の碑
- 欲を断った崇徳天皇と、妻を守った二つの縁切寺
- 家を出る前に、切りたいものを一つに絞っておく
- 手水で清め、本殿で二拝二拍手一拝をしてから碑へ回る
- 碑の左の台で百円以上を納め、形代を一枚受ける
- 形代には、切りたい縁と結びたい縁を自分の側から書く
- 表から裏へくぐって悪縁を切り、裏から表へ戻って良縁を結ぶ
- 形代を碑の好きなところに糊で貼って終える
- 昇殿祈祷は電話で予約し、遠方からは現金書留で頼む
- 板橋の縁切榎では、千円の絵馬に書いてシールで隠す
- 絵馬は、名前、切りたい縁、切れたあとの自分の三つで組む
- 樹皮は削らず、他人の絵馬はめくらない
- 満徳寺の資料館で、縁切札と縁結札を厠に流す
- 東慶寺では本尊に参り、写経を聖観音へ納める
- 近くの神社の大祓で、人形に悪縁を移して納める
- 願いがかなったらお礼参りに行き、授かった物は一年を目安に返す
白い紙に覆われた東山の碑
京都の東山、祇園の南側に、白い紙で覆われた大きな石がある。安井金比羅宮の「縁切り縁結び碑」で、高さ一・五メートル、幅三メートルの絵馬の形をした石だ。真ん中に丸い穴が開いている。表面を埋めている白い紙は、参拝者が願いを書いて貼っていった形代だった。
ここで頼るのは、相手へ何かを返すやり方と違う。自分に絡みついた悪い縁の糸を切って、その外へ出て身を守る側の作法になる。神社は、良縁で結ばれた夫婦や恋人が参っても縁は切れないと案内していた。切れるのは悪縁だけ。この前提で手順が組まれている。
欲を断った崇徳天皇と、妻を守った二つの縁切寺
安井金比羅宮の主祭神は崇徳天皇。神社の由緒では、天皇が讃岐の金刀比羅宮で一切の欲を断って参籠したと伝わり、その姿から悪縁を断つ神として頼られてきた。酒断ちや煙草断ち、賭け事断ちの願いも同じ筋で受けてもらえる。一緒に祀られた大物主神は、道開きの神として知られていた。
縁切りにはもう一つ、江戸の縁切寺の系譜がある。群馬県太田市の満徳寺と鎌倉の東慶寺は、幕府が認めた縁切寺として並び称された二寺だった。夫と別れたい妻が駆け込めば、寺が間に立って離縁を進めた。東慶寺では、寺に入った妻は足かけ三年を勤めて自由の身になったという。
東慶寺の寺法は明治四年に禁じられ、満徳寺も明治五年に廃寺となった。どちらも人を呪う場所と違い、困った人を逃がして守る場所だった。今そこでできることも、その筋に沿っている。
家を出る前に、切りたいものを一つに絞っておく
碑の前でペンを持ってから考え始めると恨みの言葉が先に出やすいので、前の晩に紙へ三つだけ書き出しておくと迷わない。何と縁を切りたいか、切れたあと自分がどうありたいか、自分の手で何をするか。この三つ。
切る相手は、人そのものより「その人との関係」として書き出しておく。酒、煙草、賭け事、借金、病のように、自分の癖や状態を切る願いでもかまわない。一番切りたいものを一つに絞ると、くぐるときに念じる言葉がぶれない。形代には何をいくつ書いてもいいらしい、と書き残した参拝者もいた。
服装は、しゃがんで這える物を選ぶ。碑の穴は低くて狭く、大人は膝をついて、四つん這いに近い姿勢で進む。丈の長いスカートや着物は動きにくい。膝は汚れる。汚れても気にならない服にしておく。
持ち物は小銭と筆記具。荷物は少なめに。形代を受けるための百円玉と、書きやすいペンを一本入れておくと安心だ。板橋の縁切榎まで回るなら、絵馬の自動販売機は千円札しか使えなかったと現地を歩いた人が書いていた。千円札も財布に入れておく。
手水で清め、本殿で二拝二拍手一拝をしてから碑へ回る
神社の案内では、碑より先に本殿へ参る順番だった。鳥居の前で一礼して境内に入ったら手水舎へ寄り、柄杓を右手で持って左手をすすぎ、持ち替えて右手をすすぐ。もう一度右手に持ち替え、左の手のひらに水を受けて口をすすいだら、柄杓を立てて柄に水を伝わせてから元へ伏せて戻す。
本殿の前ではお賽銭を納め、鈴があれば鳴らして、二回深くお辞儀をする。胸の前で手を合わせ、二回打つ。手を合わせたまま住所と名前を心の中で名乗り、切りたい縁と結びたい縁を短く伝える。一回深くお辞儀をして下がる。
唱え言葉を添えたいなら、神社本庁の神拝詞にある略拝詞が使える。原文は「祓へ給へ 清め給へ 神ながら守り給へ 幸へ給へ」。読みは「はらえたまえ、きよめたまえ、かむながらまもりたまえ、さきはえたまえ」になる。罪や穢れを祓い清め、神様の御心のままにお守りください、幸せをお授けください、というくらいの意味だ。
唱えるのは手を合わせてお辞儀をする前でいい。声は隣の人に届かない程度に落とす。長い祝詞は要らない。
碑の左の台で百円以上を納め、形代を一枚受ける
本殿を済ませたら碑へ向かう。順番は崩さない。碑の左側に台があって、形代が積んで置いてある。神社の案内では、百円以上のお志を賽銭箱に納めてから一枚取る決まりだった。授与所で手渡される形と違うので、少し戸惑うかもしれない。
形代は身代わりのお札のこと。自分に付いた穢れや災いを紙に移して祓う、という神道の古い考え方から来ている。夏越や年越しの大祓で人の形の紙に息を吹きかけ、体を撫でて納めるのと同じ系統だ。安井金比羅宮では、この身代わりに切りたい縁と結びたい縁を書いて碑に託した。
台のそばには糊も用意されていると参拝の案内記事にあったので、形代を受けたらその場か少し脇へ寄ったところで書けばいい。後ろに人がいるときは台を占領しない。
碑は一日中開いていて、碑での祈願は二十四時間できると神社は案内している。形代も夜の間に受けられた。お守りや祈祷を扱う授与所は、朝九時から夕方五時半まで。土日や連休の昼は碑の前に長い列ができるので、早い時間に着くと落ち着いて進められる。
形代には、切りたい縁と結びたい縁を自分の側から書く
神社の案内にある書き方は、切りたい縁や結びたい縁などの願い事を書く、というだけだった。記入欄の細かい決まりは示されていない。自分の名前は書いても書かなくてもいいと、旅の記事で紹介されていた。書くなら姓名を入れておくと、誰の身代わりかがはっきりする。
文面は、切る相手を「関係」として書き、自分がどうなりたいかで締める形にすると迷わない。「職場の上司との悪縁が切れますように、穏やかに働けますように」と一続きで書く。癖なら「酒との縁を断ち、体を大事にできますように」でいい。病なら「病との縁が切れますように」。
相手の不幸や病気、事故、失職を願う文面は書かない。ここは線を引く。形代に移すのは自分に絡みついた悪縁のほうで、相手をどうにかするための紙とは違う。「人を呪わば穴二つ」という昔からの戒めもあった。相手がどうなるかは神様に任せ、自分がその縁の外へ出るところで止める。
碑に貼った形代は誰にでも読める。人の実名をそのまま書けば、通りがかった参拝者に丸見えだ。相手は「前の職場の上司」のようにぼかすか、姓だけにする書き方もある。日付を隅に添えておくと、あとで思い返すときの目印になる。
一枚の左側に切りたい縁、右側に結びたい縁を分けて書く、と紹介する案内記事もあった。神社が決めた書式とは別の目安だが、切る話と結ぶ話が一枚の中で混ざらずにすむ。字は大きめに。貼ったあとに上から別の形代が重なるので、端まで詰めて書かないほうが読める。
表から裏へくぐって悪縁を切り、裏から表へ戻って良縁を結ぶ
書き終えた形代を手に持ったまま、列の順に碑の表側に立つ。願い事を念じながら、表から裏へ穴をくぐる。神社の案内では、この片道で悪縁を切るとあった。穴は低くて狭いので、膝をついて頭を下げ、手で前を探るように進む。途中で止まらず、そのまま向こう側まで一息に抜けてしまうほうが後ろの人を待たせずにすむ。
裏へ抜けたら、立ち上がって体の向きを変える。今度は裏から表へ同じ穴をくぐり、これで良縁を結ぶ、と神社は案内していた。急がなくていい。悪縁を切ってから良縁を結ぶ、という順番が作法の芯にある。ここまでで一往復。
鞄や紙袋を提げているなら、先に穴の向こうへ通しておくとくぐりやすいと、参拝記を書いた人が勧めていた。形代だけは手から離さない。抜けたらすぐ脇へよけ、後ろの人に場所を空ける。くぐっている最中の人を写真に撮るのは控える。
夜にくぐるなら、碑の周りは昼より暗く穴の中はさらに見えにくいので、足元を照らす小さな明かりを一つ持っていくと心強い。手元の形代を落とさないよう、明かりは穴に入る前に仕舞っておく。
片道だけで帰ってしまった、と気にする人もいる。まあ、慌てなくていい。気づいた時点でもう一度列に並び、表から裏、裏から表の順で往復し直せば形はそろう。
形代を碑の好きなところに糊で貼って終える
表へ戻ったら、形代を碑に貼る。貼る場所は碑のお好きなところで、と神社は案内していた。台の糊を形代の裏に付け、すでに貼られた形代の上から重ねて、手のひらで押さえておく。風の強い日ははがれやすいので、端まで糊を回しておくと安心だ。
これで碑での作法はひと通り終わり。貼った形代を持ち帰る必要はない。碑に貼られた形代は、神社の側で時期を見て納めてくれる。
他人の形代をめくって読んだり、はがしたりはしない。自分の形代が気になっても、貼り直しに戻らない。一度託したものは碑に任せる。
貼り忘れて持ち帰ってしまった形代は、ごみに捨てない。次に参ったときに碑へ貼るか、授与所に相談して納める。遠くて行けないなら、近くの神社の古札納所へ納めさせてもらえるか、先に尋ねてみる。
昇殿祈祷は電話で予約し、遠方からは現金書留で頼む
自分でくぐるのとは別に、神職に祈祷をお願いすることもできる。安井金比羅宮の昇殿祈祷は、悪縁切りと良縁祈願のほか、海上安全や交通安全、病気平癒、厄除けも受け付けていた。祈祷料は期間ごとに決まっていて、三日間で六千円、一週間で一万円、一か月で三万円になる。
参拝して受ける場合は電話で先に予約を入れるよう神社は案内していて、祈祷料は白い封筒か紅白の蝶結びののし袋に入れる。表書きは「御初穂料」か「御祈祷料」とし、下に自分の姓名を書く包み方が神社ではよく使われる。中に入れる紙幣は、新札を用意できればそのほうがいい。
遠方から頼むなら郵送でいい。紙に名前、住所、生年月日、祈願の内容を書いて名前にはふりがなを振り、関わる人が複数いればそれぞれの分も書き添えておく。祈祷料と一緒に現金書留で、京都市東山区下弁天町七十の安井金比羅宮へ送る。
郵送の祈祷は予約が要らず、祈祷のあとでお守りなどが願主あてに送られてくると神社は案内していた。お守りだけなら、悪縁切御守とえんむすび御守がそれぞれ五百円で、この二つは郵送でも受けられる。届いたら封を開け、白い紙を敷いた棚か目線より高いところに置くか、財布や鞄に入れて持ち歩く。
板橋の縁切榎では、千円の絵馬に書いてシールで隠す
東京の板橋、中山道の旧板橋宿の仲宿に、小さな敷地に囲まれた榎が立っている。これが縁切榎。江戸時代は旗本近藤登之助の抱屋敷にあった木で、男女の悪縁を切ることや断酒を願う人が集まる場所だった。板橋区の説明では、そう紹介されている。
文久元年に皇女和宮が徳川家茂へ嫁ぐとき、縁起が悪いとしてこの場所を迂回した、と板橋区の観光協会は紹介していた。近代になると、悪縁は切ってくれるが良縁は結んでくれる木として信仰が広まった。都営三田線の板橋本町駅から歩いて五分ほど。
社務所はなく、敷地の奥に榎大六天神の小さな祠と絵馬掛けがある。絵馬は敷地内の自動販売機で受ける形で、根付とセットで千円、販売は朝六時から夜九時までだった。以前は近くの店がボランティアで扱っていたらしい。
参る流れはこうだ。入り口で一礼して敷地に入り、自動販売機で絵馬を受けて、その場で願いを書く。祠の前へ進んで手を合わせ、心の中で名前と願いを伝える。絵馬掛けに掛けたら、もう一度手を合わせて下がる。長居はしない。
絵馬には情報保護シールが同封されていて、願いを書いた部分の上からこれを貼ると、外から文字が読めなくなる。掛ける前に必ず貼る。貼り忘れたまま掛けると、中身が通りすがりの人にもそのまま読めてしまうので、書き終えたその場で貼ってしまうのが確実だ。絵馬の側面に参拝した日付を書き添える人が多い、と現地を歩いた人の記事にあった。
絵馬は、名前、切りたい縁、切れたあとの自分の三つで組む
絵馬でも形代と同じ考え方で書ける。入れる中身は三つ。自分の名前、切りたい縁、切れたあとどうありたいか。いつ頃までにと時期を添える書き方を勧める人もいた。
文面は短くていい。「前の職場の人との悪縁を断ち、新しい職場で落ち着いて働けますように」。「酒との縁を断ち、朝きちんと起きられますように」。どちらも、切る相手を関係として書いて、自分の側の願いで締めている。
筆記具は油性のペンが向く。絵馬掛けは雨ざらしになるので、水性だとにじんで読めなくなる。書き損じたら上から線を引いて書き直せばいい。持っていくなら細字の油性ペン一本。
安井金比羅宮にも絵馬はあり、干支の絵馬やもうかり絵馬が授与されていると参拝記にあった。碑での縁切りは、神社の案内どおり形代に書いてくぐる順路で進める。絵馬を掛けるなら、それとは別に願いを添える形になる。
樹皮は削らず、他人の絵馬はめくらない
縁切榎には、樹皮を削いで煎じ、ひそかに飲ませると願いがかなうという言い伝えがあった。板橋区教育委員会の説明板にもそう書かれている。これは昔の話として受け取っておく。
今の榎は代替わりした木で、昭和六十一年に板橋区の登録記念物になっているので、皮を削ったり枝を折って持ち帰ったりはしない。相手に何かを飲ませるやり方そのものも、身を守る作法からはみ出してしまう。
他人の絵馬を裏返して読むのもやめておく。シールが付くようになったのは、中身を見られたくない参拝者の事情があったからかもしれない。写真を撮るなら絵馬掛けに寄りすぎない。商店街の中の場所なので、夜遅くの参拝は声を落として静かに済ませる。
満徳寺の資料館で、縁切札と縁結札を厠に流す
満徳寺の跡は今、太田市が遺跡公園と資料館として整えている。場所は群馬県太田市徳川町で、開館は朝九時半から夕方五時まで、入館は四時半までだった。月曜休館で、祝日なら翌日が休み。入館料は一般二百円、中学生以下は無料で、復元された本堂と遺跡公園は無料で見られる。
資料館の中に「縁切・縁結厠」がある。水洗の厠が並んでいて、右の白が縁切り用、左の黒が縁結び用。受付で縁切札と縁結札を受け、それぞれに願いを書く。札が二百円だったと書いた参拝記もあった。
書いた縁切札を白い厠へ入れて水を流す。縁結札は黒い厠へ入れて流す。碑と同じく、切るほうを先にしておくと迷わない。書く言葉は「酒と縁切り」「借金と縁切り」のように短くていい。一言で足りる。
縁切札と縁結札は郵送でも頼めると、太田市は案内していた。二十人以上の団体や、説明を聞きたい少人数の見学は、一か月ほど前までに資料館へ電話で予約を入れておく。個人で札を流すだけなら予約は要らない。
紙を水に流して送るのは、形代を川へ流して穢れを送る古い祓えと同じ形。大祓詞には、その流れを描いた一節がある。原文は「高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ 速川の瀬に坐す瀬織津比売と言ふ神 大海原に持ち出でなむ」。
読みは「たかやまのすえ、ひきやまのすえより、さくなだりにおちたぎつ」。続けて「はやかわのせにます、せおりつひめというかみ、おおうなばらにもちいでなむ」と読む。高い山や低い山から勢いよく流れ落ちる急流の瀬にいる瀬織津比売が、罪や穢れを大海原へ持ち出してくれる、という意味になる。札が流れていくとき、この一節を心の中でなぞって見送ってもいい。
流し終えたら、復元された本堂の前へ回って手を合わせる。満徳寺はもともと時宗の尼寺だった。念仏を添えるなら「南無阿弥陀仏」、読みは「なむあみだぶつ」で、阿弥陀仏に身をお任せします、という意味だ。心の中で唱えて一礼する。
東慶寺では本尊に参り、写経を聖観音へ納める
東慶寺は北鎌倉にある臨済宗円覚寺派の寺だ。拝観は朝九時から午後四時まで。拝観料はとらないが、必ず本尊を参拝してお賽銭を供えるよう寺は案内していた。境内での撮影を禁じる知らせも出ている。
寺の案内に並んでいるのは、写経、日曜の坐禅会、住職の読経とお話などで、縁切りの祈祷や札の話は見当たらない。駆け込みの寺だった場所で今できるのは、本尊に手を合わせて心を静めること。写経はその中で一番とりかかりやすい。
写経の受付は朝九時から正午までで、午後二時に終わる。売店で写経を申し出て、一枚千五百円の志納金を納める。これに写経代と納経の志納金が含まれていた。会場の白蓮舎へ移り、用紙を選んで書き始める。急ぐ必要はない。
写すお経は般若心経か延命十句観音経から選ぶ。般若心経は二百六十字ほど、延命十句観音経は五十字ほどと寺は案内していた。筆は持ち込むか、一本五百円で買える。一人なら申し込みは要らないが、五人以上十三人以下の団体は前日までに電話で予約する。
延命十句観音経の原文は「観世音 南無仏 与仏有因 与仏有縁 仏法僧縁 常楽我浄」。続きは「朝念観世音 暮念観世音 念念従心起 念念不離心」で、これで全部。短い経なので、書きながら声に出さずに読んでいける。
読みは前半が「かんぜおん、なむぶつ、よぶつういん、よぶつうえん、ぶっぽうそうえん、じょうらくがじょう」。後半は「ちょうねんかんぜおん、ぼねんかんぜおん、ねんねんじゅうしんき、ねんねんふりしん」と読む。観音様に帰依して仏と縁を結び、朝に夕に観音様を念じる、という前半の意味。後半は、その念が心から起こって心を離れない、というくらいの意味だ。
書き終えた写経は宝蔵に祀られた聖観音像に願いを込めてお供えし、納めた人には納経の証として御朱印が授けられる。坐禅会は毎週日曜の朝七時から九時まで開かれていた。
近くの神社の大祓で、人形に悪縁を移して納める
京都や板橋まで行けないときは、近くの神社の大祓がある。六月三十日の夏越の大祓と、十二月三十一日の年越の大祓。半年の間に身に付いた罪や穢れを祓う行事で、形代と同じ身代わりの紙が使われる。
人の形に切った白い紙が人形。社によっては氏子に前もって配ったり社頭に置いたりしていて、受けたら名前と年齢を書き、その紙で頭から足まで体を撫でる。息は三回吹きかけるとする社が多い。済んだら社の納め所か唐櫃へ、初穂料と一緒に納める。回数や書く中身は社ごとに違うので、人形に添えられた刷り物のとおりにする。
夏越の大祓では、境内に茅の輪が立つ社が多い。左回り、右回り、左回りと八の字を描くように三回くぐってから、正面をくぐって本殿へ進む。くぐりながら唱える古歌が「水無月の夏越の祓する人は千歳の命延ぶといふなり」。読みは「みなづきのなごしのはらえするひとは、ちとせのいのちのぶというなり」。六月の夏越の祓をする人は千年も命が延びるという、という意味の歌だ。
人形に移すのは、自分に付いた穢れのほう。特定の誰かの名前を書いて納める紙とは違う。縁を切りたい相手がいても、人形には自分の名前だけを書く。
願いがかなったらお礼参りに行き、授かった物は一年を目安に返す
願いがかなったと感じたら、お礼参りに行く。同じ社へもう一度出向き、本殿や祠の前でかなったことを報告して、お礼を伝える。ここは省かない。いつまでに、という決まりは見当たらない。落ち着いた頃に足を運べばいい。
安井金比羅宮なら、本殿で二拝二拍手一拝をして報告する。碑をもう一度くぐる決まりはない。祈祷を頼んでいた人は、お礼の祈祷をお願いする形もある。遠方で行けないときは、近くの神社で手を合わせておき、行けるようになってから改めて出向く。縁切榎なら、祠の前でお賽銭を納めて報告すればいい。
授かったお守りやお札は、一年ほどを目安に受けた社へ返して、新しいものを受ける人が多い。安井金比羅宮の境内には古いお守りを納める所があると参拝記にあった。神社の物は神社へ、寺の物は寺へ返すのが筋で、近くの古札納所でも他社の物を受けないところがあるので、先に尋ねておく。自宅で始末するなら、白い紙に包んで塩を少し振り、ほかのごみと分けて出すやり方を案内する神社もあった。
郵送で返すなら、先に神社へ電話して受けてもらえるか確かめ、受けてもらえる場合は古いお守りに一筆を添えて送る。「直接参れないので郵送で返納します」くらいの文面で足りる。お焚き上げの志を定額小為替などで同封する例も紹介されていた。満徳寺の札は厠へ流した時点で手元に残らないし、東慶寺の御朱印は返す物とは違う。
縁が切れるまでの時間は人によってまるで違い、決まった日数はない。待つ間は、形代や絵馬に書いたことを暮らしの中で一つずつ本当にしていく。連絡先を整理する、通知を切る、酒を家に置かない。自分で動く分まで済ませて、残りを神様に預けておく。
