スピリチュアル総合資料館
除霊・浄化
憑いたものを落とす側の話。お祓い、浄霊、除霊を、誰がどんな手順でやってきたのかまで追う。
17件の記事を収録しています。
先に断っておく。この記事は宗教史と民俗誌の解説であり、特定の信仰への勧誘でも、儀式の指南でもない。大祓魔式(盛儀祓魔式)は、教区司教から特別の許可を受けた司祭のみが行える儀式だ。素人が他人に対して行ってはならず、この記事にもその手順は記
古神道(こしんとう)とは、大陸由来の思想体系が伝来する以前の信仰形態を指す呼び名だ。あるいは、仏教や儒教や道教の影響をできる限り取り除いた、日本列島に固有の信仰のかたちを指す。神社本庁が管掌する現代の神社神道は、実のところ長い歴史のなか
声色が変わり四つん這いになり油揚げを欲しがる、という定型の症状。憑き物筋という差別を生んだ家の系譜、修験者や祈祷師が行った落とし方の作法、そして精神医学がこれをどう扱ってきたかまでを並べて追う。憑き物落としの祈祷の手順も具体に示す。
体が動かず気配だけを感じるあの現象を、日本人の四割が一度は経験する。枕元に立つ者として語られてきた民俗の側と、レム睡眠の分断として説明する側の両方を並べ、起きたときの対処と予防までを具体に示す。病院にかかる目安も併せて示す。
ユタは、奄美から沖縄本島、宮古、八重山まで、島々の家に呼ばれてきた民間の拝み手だ。多くは女性で、神や先祖の意思を聞き取って人に伝える役をしてきた。失せ物、病気、家の揉め事、商売の不振、理由の分からない体の不調。何でも来る。ノロ(祝女)は
昭和4年の春、一本の白い扇が弟子の手に渡り、その扇面には「万霊を浄めて救ふ此扇」と墨で書かれていた。書いたのは、のちに世界救世教を開く岡田茂吉だ。この扇は御手代(みてしろ)と呼ばれ、病人の取次ぎに使う道具として配られた。手のひらを相手に
存在するかもはっきりしないものに、これだけ分類語彙が共有されているのは不思議な話だ。それぞれの語が生まれた時期と出どころ、霊障と呼ばれる症状の語られ方、そして分類が商売と結びついた経緯を追う。霊障と診断される前に見る点も示す。
真冬の水に飛び込み滝の下で経を唱える、この妙な情熱はどこから来たのか。伊邪那岐の禊という起源、神道の祓えと修験道の水行、寒中禊の作法と装束、そして企業研修に持ち込まれた現代の姿までを並べる。安全に行うための注意も添える。
鎮魂という言葉は、文字どおりには魂を鎮めることを意味する。ところが、その中身は驚くほど幅広い。たとえば皇室の重要祭祀である宮中の鎮魂祭がある。石上神宮に伝わる特殊神事としての鎮魂祭もそうだ。本田親徳や川面凡児が近代に体系化した鎮魂の行法
いきなり結論から入る。水子供養は、日本の伝統でも何でもない。ざっくり言えば一九七〇年代に爆発的に広まった、まだ五十年ちょっとの習俗だ。びっくりすると思う。あの、寺の斜面をびっしり埋めつくす小さなお地蔵さん。赤いよだれかけ。カラカラ回る風
去年の六月、知り合いから写真が送られてきた。近所の鳥居の下に、人の背丈より大きい草の輪が据えられている。「これ、どっちから入るの」。質問はそれだけだった。
去年の暮れ、実家の押し入れから古い裁縫箱が出てきた。針刺しには、先の曲がった針が何本も刺さったままだ。捨てていいのか迷って母に聞いたら、二月まで置いときなさい、と短く返ってきた。理由は言わない。うちはずっとそうしてきた、それだけだった。
岡山県神社庁は、湯立を浄祓や卜占のために釜の熱湯を笹でふりかける儀礼だと説明している。神前に釜を据えて湯を沸かし、そこへ神を招いて湯を献じる。献じた湯を笹で撒いて、浴びた人の穢れを落とす。骨組みはこれだけだ。古い形は神判に近かった。日本
京都の東山、祇園の南側に、白い紙で覆われた大きな石がある。安井金比羅宮の「縁切り縁結び碑」で、高さ一・五メートル、幅三メートルの絵馬の形をした石だ。真ん中に丸い穴が開いている。表面を埋めている白い紙は、参拝者が願いを書いて貼っていった形
日本書紀の顕宗天皇の巻に、播磨国赤石郡の縮見屯倉首が建てたばかりの家で宴を張った場面がある。そこで弘計王が述べた家ほめの詞が室寿で、築き立つる稚室葛根、と始まる。柱や棟木、縄葛、草葉を一つずつ挙げ、住む人の無事へつなげていった。家の部材
明治三十一年(一八九八)の春、丹波の青年が駿河の清水を訪ねた。上田喜三郎、のちの出口王仁三郎だ。迎えたのは稲荷講社を開いていた長沢雄楯(ながさわかつたて)だった。長沢の母の豊子は、本田親徳(ほんだちかあつ)から預かっていた鎮魂の玉と天然
「万霊符(先祖供養万霊符)」は、月刊ムーの2024年9月号に特別付録として付いた護符だった。監修したのは、民俗信仰と呪術を専門にする「まじない屋 きりん堂」の店主、きりん師。特定の誰かに宛てたものじゃなく、誰が使ってもいい汎用の護符とし
