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沖縄のユタ――カミダーリで神に選ばれる祈祷師、口寄せと先祖供養、青森イタコとの違い

首里の神女と、町の拝み手

ユタは、奄美から沖縄本島、宮古、八重山まで、島々の家に呼ばれてきた民間の拝み手だ。多くは女性で、神や先祖の意思を聞き取って人に伝える役をしてきた。失せ物、病気、家の揉め事、商売の不振、理由の分からない体の不調。何でも来る。

ノロ(祝女)は琉球王国の時代に王府が組織した神女で、村の祭祀を公に受け持った。ユタはその位階の外にいる、在野の霊能者だった。墓の位置や先祖の祀り方に障りがあるのでは、と気になったとき、ユタへ相談に行く家は今も珍しくない。

御嶽の島で、王府の外に育った拝み手

ユタの根は、集落ごとにある御嶽(うたき)の信仰と、山や海を拝む自然崇拝にある。王府は聞得大君(きこえおおきみ)を頂点にノロの組織を整えたが、その統制の外で霊力を示す女性たちが現れた。これをユタの源流と見る説がある。沖縄学の父と呼ばれる伊波普猷も、ユタの歴史的研究に取り組んだ。

王府も、王国が消えた後の役所も、ユタを迷信として何度も取り締まった。それでも消えなかった。戦後のアメリカ統治下の混乱期には、不安を抱えた人がユタのもとへ押し寄せたとも言われる。このころ、料金を取って相談に乗る職業の形が広まったという話もある。近ごろは電話やオンラインで鑑定するユタや、ユタの系譜を名乗る占い師も出てきた。

カミダーリ、神に呼ばれて体が崩れる時期

ユタになる人の多くは、自分から志願したわけではなかった。ある日から理由の分からない体や心の不調が始まり、幻聴や幻視、家族の不幸が重なる。この一連の異変をカミダーリ(神ダーリ)と呼び、神に役目を与えられる合図だと周りは受け取った。病院を回っても原因が見つからないまま、追い詰められていく人が多い。

先輩のユタや親族の年配者からカミダーリだと告げられ、神の意思として受け入れて祈願を重ねると、症状が落ち着いていった。拒むほど苦しみ、受け入れると楽になる。宗教学では、シベリアや東北アジアの巫病と並べて、シャーマンの成巫過程の一例として比べられてきた。

霊の高い生まれはサーダカウマリ(性高生まれ)と言い、カミダーリもこういう人に出やすいとされた。道は二つ。ユタに祈ってもらって神の道を封じるか、ハンジを受けて御嶽や拝所を回り、チジ(自分の神様)に導かれて拝み手になるかだ。封じた後も結婚後に不調がぶり返し、島に戻ると深く眠れたという事例が研究に出てくる。

沖縄県史の民俗編(1972年)には、クデという村の祭祀の役を断った人の例が載る。悪夢は続いたが、キリスト教に入信するうちに消えたという。

聞得大君とノロ、羽地仕置から昭和のユタ狩りまで

ノロは村や国のために拝み、ユタは一軒の家や一人の相談者のために拝んだ。尚真王の代に王府は神女の組織を整え、頂点に聞得大君を置いた。聞得大君は斎場御嶽を受け持ち、祝女の任命権は国王にあった。琉球処分の後も、聞得大君の祭祀は東京に移った尚家の女性たちが受け継いでいる。

ユタは長く禁じられる側だった。最初の大きな波は、羽地朝秀が摂政をつとめた1666年から1673年の改革期。時之大屋子のような巫者に日選びをさせる慣わしを改め、中国の暦を使えと退けた。

蔡温の時代にもユタ禁止令が出た。明治には町村ごとの禁止令、大正の初めには「ユタ征伐」、昭和十年代には「ユタ狩り」が続く。警察に留め置かれたユタもいる。

読谷村には「ユタヌユクシムニートゥ、インヌクスクヮイシェーノーラン」という言い回しがある。ユタの嘘と犬の糞食いは治らない、くらいの意味。そう毒づきながら拝みを頼むのが、島の距離感だった。

宮古のカンカカリャ、八重山のムヌチ

呼び名は島ごとに違う。奄美と沖縄本島ではユタのほかにホゾン、トキと呼んだ。宮古ではカンカカリャとサス、八重山ではムヌチ、ニゲービー、カンピトゥの名が通る。カンカカリャは神がかり、カンピトゥは神人の島言葉で、本島のカミンチュにあたる。羽地が退けた時之大屋子のトキも、この系譜に重なるらしい。

恐山のイタコと並べてみると

青森の恐山を中心に口寄せをしてきたイタコと、ユタはよく比べられる。イタコは目の不自由な女性が師匠に弟子入りし、修行と口伝で技を継いだ。ユタには、修行より先にカミダーリという本人の意思を越えた発症がある。イタコの芯は特定の死者を呼ぶ口寄せで、ユタは先祖供養の指導、墓相の判断、日取り選び、災いの原因探しまで引き受けた。

言い当ては相手の表情から手がかりを拾うコールドリーディングだ、という批判は根強い。不幸を先祖のせいにするのは因果の取り違えだ、高い相談料が揉め事を生む、という声も昔からあった。沖縄には「医者半分、ユタ半分」ということわざも伝わる。

評判を聞いてユタを探し、日を決める

紹介が先。ユタを探すときは、親族や知人の紹介、口コミで評判を聞くのが昔からの筋だった。相談する人は生年月日や家族の顔ぶれ、悩みの中身を伝えて日を決める。

ハンジは一人のユタで決めない。二、三人に聞いて回って判断を仰ぐのが普通だった。こうしてユタのもとへ通うことを「ユタ買い」と言い、足しげく通う人をユタコーヤーと呼ぶ。読谷村の方言の記録には、うちのおばあはユタコーヤーになって、しょっちゅう御願をしている、という用例が残る。ユタになるときの神がかりやユタに頼ることをユタガカイ、神の言葉めいた物言いをユタムニーと呼ぶことも載っている。

日取りはユタの側が決めていることもある。沖縄タイムスの写真特集に出たユタは、毎月旧暦の一日と十五日を「ハンジの日」にしていた。その日は朝から夕方まで相談者が途切れなかった。旧暦で動く人なので、行く前に暦で旧暦の日付を確かめておくと話が早い。

謝礼の額は、ユタごとに違う。公に決まった相場は見当たらなかった。依頼者はかなりの額を惜しまず払う、と書く事典もある。旧正月、清明祭、旧盆のような先祖供養の時期は相談が集中するので、日取りは早めに押さえたい。

干支と住所を告げて、ハンジの席に座る

当日はユタの自宅の広間か、拝所(うがんじゅ)に通される。沖縄タイムスが取材したユタは、十二畳ほどの広間で相談者の干支と住所を聞いた。神々や鏡を祭った神棚へ祈りをささげてから、話が始まる。ほかのユタも、ヒラウコーを焚いて手を合わせるところから入る人が多い。

ユタは目を閉じたり半眼になったりしながら独特の節回しで祈りを唱え、だんだん神がかった状態に入っていく。その中で家の先祖や守護の神の言葉を聞き取り、依頼者に伝える。これが沖縄でいう口寄せだ。先祖の口調を借りるように話し方が変わり、家族しか知らない名前を言い当てることがある、と語られてきた。

何を尋ねるかはユタごとに違う。答えの中身は、先祖供養、聖地の拝み、家系の正し方のどれかが足りないか間違っている、という形にまとまりやすい。1995年の九州人類学会報に載った研究も、ハンジをこう整理した。言われた拝みを、言われた日に、言われた場所でやり直す。ここからが家の側の仕事になる。

墓、水辺、土地の拝所、よく出るハンジの型

不幸が続く家では、墓の場所が変わっていないか、と問われることがあるそうだ。何代か前に家を出たまま行方の知れない親族はいないか、とも聞かれる。そこで出るハンジは、疎遠になった分家との付き合いを戻せ、という形をとりやすい。清明祭で抜けていた親族の位牌を合わせて祀れ、と言われることもある。墓と位牌の話が先に出るのが、いつもの筋。

長く続く体の不調なら水の近くで亡くなった身内の有無を、商売の不振なら店の土地に昔拝所がなかったかを尋ねるユタもいる、と紹介されている。そこから出る指示は、水辺での供養や、土地の神への祈願と供え物になりやすいという。

位牌の継ぎ方も重い相談になる。トートーメーは先祖、転じて位牌を指す言葉で、原則は長男が継ぎ、次男以下は分家して新しく位牌を立てる。長男のいない家や、跡取りが県外に出た家が継ぎ方を相談しに来ることもある。禁忌は四つ。嫡子押し込みのチャッチウシクミ、兄弟重なりのチョーデーカサバイ、他系混ぜ込みのタチーマジクイ、女元祖のイナググヮンスだ。

近年ユタが持ち込んだ規則だと分かっていても従う家があり、霊能者の指示で位牌が生家から婚家へ移された例も報告されている。1980年には琉球新報社から『トートーメー考 女が継いでなぜ悪い』が出て、女性が継ぐことの是非を正面から問うた。

ビンシーに徳利と花米を詰めて持ち歩く

言われた拝所を回るときに持っていくのが、ビンシーという携帯用の木箱だ。南城市の歴史文化語彙の解説では、酒瓶や盃、平御香、花米を収める箱で、祭祀に欠かせない道具とされる。仏具店の案内によると、徳利二本を左右、盃を中央に置く。その手前の両脇に花米(カラミハナ)、手前中央に洗い米(アライミハナ)を並べる。ヒラウコーとシルカビは下段の引き出しにしまう。

地域によっては塩や、十円玉三枚のような硬貨を足すこともある。沖縄の仏具店のほか、県内のホームセンターでも売っていて、七千円前後が目安という案内が出ていた。首里十二ヵ所巡りを調べた佐々木佳子の報告でも、参拝者はビンシーに果物や菓子、ウチカミ(紙銭)を添えて寺を回っていた。

拝所では、シルカビを台紙にしてヒラウコーを置く。拝み終えたらシルカビを焚き、酒を掛けて火を鎮める。

首里の寺で守り本尊を拝んで回る

ハンジで寺参りを言われることもある。佐々木佳子の調べでは、沖縄の寺へ参る人のほとんどが、先祖供養のためにユタに言われて来ていた。首里十二ヵ所巡りは戦後に復興し、そこへユタが深く関わって、仏教の守り本尊を巡る習俗が根づいたという。

回る先は寺ごとに祀る尊が決まっている。首里観音堂には千手観音、虚空蔵、勢至、普賢の四尊。安国寺に不動明王、達磨寺に阿弥陀如来と文殊菩薩、盛光寺に大日如来が安置されている。

定例の参拝は旧暦の正月(初御願)、五月、九月、十二月と決まっていた。ただし寺は他の月日にも参拝者でにぎわい、集団ではなく一人から数人で来る人が多かった。首里の弁財天堂では、ユタと依頼者が並ぶ姿が写真に残っていて、寺巡りがユタの仕事の延長にあることがよく分かる。

盛光寺の本堂には、机ごとに酒入れの瓶と米入れの箱が備えつけてある。参拝者は持ってきた酒と米をそこへ移し、ビンシーを開いて線香を上げる。寺の作法は寺の決まりに従えばいい。

ヒラウコーを数え、シルカビを手でちぎる

線香はヒラウコー(平御香)を使う。南城市の語彙解説では、木炭とタブノキの皮、芋屑から作った黒い板状の線香で、一枚を六本と数える。二枚をタヒラと言って十二本、二枚半をタヒラ半と言って十五本になる。

ヒヌカンには十五本のジュウゴフンウコー、仏壇や屋敷の神々には十二本のジュウニフンウコーを立てる。個人の願いごとには三本のサンブンウコー。一枚を半分に割ったハンヒラの数だ。南城市の語彙解説は、ふだんは十二本と三本を一組にして使うと書いている。御願解きのような締めの拝みに十七本を使うと説明する仏具店もある。

日本の線香で代えるなら同じ本数を立てるか、十五本を五本、十二本を四本に略す。毎日の拝みなら三本、ヒラウコーでいえば半分で足りる。火を灯さないヒジュルウコーを認める案内もあった。

シルカビ(白紙)は神へ納める税にあたる紙で、自分で作る。半紙を三枚重ねて縦半分に折り、横に四等分の折り目をつけて手でちぎる。ちぎった三枚重ねをさらに半分に折れば一組。ハサミのような刃物は使わない。線香を置く台紙にも使う。

ウチカビ(打ち紙)はあの世のお金だ。一枚が一万円にあたる、と言う人もいて、三枚で一組に数える。藁や古畳などを漉いた黄色い紙に、槌で銭形を打ちつけてある。もとは中国の紙銭で、十四世紀後半ごろに伝わったとされる。清明祭、年忌、旧盆のウークイで焚く。

酒、米、餅、果物を神様の側から並べる

供え物の基本は、水(ミジ)、泡盛(ウサク)、塩(マース)の三つ。ここに米と餅を加える。仏具店の図解では、カラミハナ(乾いた花米)を左右一対の二皿に盛り、その真ん中にアライミハナ(洗い米)を置く。ウチャヌクは白い餅を三段に重ねたものだ。

並べる順は、神様の側から拝む人の側へ、酒、米、ウチャヌク、果物。屋外の四隅の神なら、徳利一対とお猪口一個、アライミハナ一皿、カラミハナ二皿をそろえる。ウチャヌクは二組、シルカビは一組、果物は盆に盛る。ヒヌカンの前だけウチャヌクが三組になる。

旧暦の一日と十五日には、ヒヌカンに水、酒、塩と白いご飯の白ウブク三膳を上げ、線香はタヒラ半。仏壇はその後で、お茶と酒、白ウブク二膳、線香はタヒラを立てる。普段のヒヌカンのご飯は一膳でいい。

年の終わりの拝みには赤ウブク(赤飯)を三膳並べる。ヒヌカンの両脇には、チャーギやクロトン、榊のような青い葉を挿しておく。枯れにくく枝分かれするので、子孫が栄える縁起になる。

ヒヌカンガナシーに告げてから始める

ヒヌカン(火の神)は台所に祀る家の神だ。香炉の灰にその家の日々の出来事を書き留め、年に一度、天へまとめて報告すると言われる。ほかの神々へ願いを取り次ぐ役なので、どの拝みもここから入る。南城市の語彙解説でも、毎月一日と十五日に供え物をして祈願する神とされる。ユタに言われた御願を始める前に、ヒヌカンへ一言告げてから取りかかる家もある。

拝む言葉はグイスと言う。決まった全文はない。型だけある。仏具店の案内では、「ウートゥートゥー、ヒヌカンガナシー」と呼びかけて住まいと家を名乗る。今日の日付と供えた物を告げ、家族を見守ってほしいと願う順だ。

ウートゥートゥーは尊いものに手を合わせるときの言葉で、ああ尊い、くらいの意味。ガナシーは神への敬称だ。一言一句にこだわるのはユタやノロに多く、家の拝みでは中身が同じなら今の言葉でいい、とその案内も書いていた。ユタに言われた拝みなら、何の拝みを、誰に言われて、いつどこでするのかをここで告げる。

墓や拝所へ出かける日は、家を出る前にヒヌカンと仏壇へ行き先を報告する。清明祭の墓参りでも、この順は同じだった。

屋敷の四隅を北から回る

ハンジで屋敷に障りがあると言われたときに出てくるのが、屋敷の御願(ヤシチヌウグァン)だ。南城市の語彙解説では、旧暦の二月、八月、十二月に屋敷の四隅や門を巡って拝む行事とされる。いちばん重いのが十二月二十四日の回で、次は2027年1月31日にあたる。

回る順は、ヒヌカン、仏壇、それから外へ出て四隅のユンシヌカミ。続いて門のジョウヌカミ、便所のフールヌカミ、玄関と門の間のナカジンヌカミへ移る。ヒヌカンは飛ばさない。家長を中心に並び、各隅では敷地の端に向かって拝む。ヒヌカンの前には、ウサク、アライミハナ、カラミハナ、ウチャヌク、果物の盛り合わせ、シルカビを並べる。

四隅は北のニヌファヌカミから時計回りに、東のウヌファヌカミ、南のンマムファヌカミ、西のトゥヌファヌカミと回る。ただし仏具店の案内では、春のお彼岸と旧暦十二月二十四日だけは反時計回りにする。どちら回りかは家の流儀でも違うので、ユタに言われた順があればそれに従う。

線香はヒヌカンだけタヒラ半の十五本、仏壇から屋外の神々まではタヒラの十二本。グイスでは、今日が何月の良き日で屋敷の御願をすること、家族の干支を述べ、家内安全と家族の繁栄を願う。長い決まり文句は要らない。礼で足りる。一年守ってもらった礼をそのまま伝えればいいとされる。

一か所拝み終えるごとに、シルカビを焚く。燃えているシルカビに米をひとつまみずつ載せ、供えていた酒を三滴ほど垂らして締める。屋外の神々には同じ供え物を使うので、盆にまとめて持ったまま、四隅から門、便所、玄関と門の間へと順に運んでいく。拝み処ごとに、同じことをくり返す。

旧暦十二月二十四日は三つの拝みを続けて

旧暦十二月二十四日、ヒヌカンは天のウティン(御天)へ里帰りして、その家の一年を報告する。この日は屋敷の御願、一年の願いを解く御願解き(ウグァンブトゥチ)、上天の拝みの三つがこの順で重なる。2027年なら1月31日がこの日で、旧暦一月四日の下天の拝みでヒヌカンを迎えるのは2月10日になる。

上天の拝みの供え物は、ウチャヌク三組、花米と洗い米、赤ウブク三盛り、対の徳利と盃の酒、水、塩、シルカビ。線香はジュウゴフンウコーで、日本の線香なら十五本、略して五本でもいい。一年見守ってもらった礼と家族の無事を告げ、天へ見送る言葉を述べる。下天の日に迎えるときは、線香を右端から立てる。

この時期にヒヌカンの香炉も掃除する。最初に「これからヒヌカンの灰を掃除しますので、供えたお線香へ移ってください」と告げる。香炉の底から茶さじ三杯分の灰を別の器に取り分け、残りの灰はザルやこし器で漉して燃え残りを除く。

このとき線香を左回りに回してヒヌカンの魂を移し、掃除が済んだら右回りに回して香炉へ戻す。ヌジファーと呼ぶ所作だ。

戻すときは取り分けた三杯を先に入れ、その上に漉した灰を足す。灰を全部入れ替えるのは避けてきた。器は湿らせた布で拭くか、塩水に二、三時間浸してから真水で洗う。水、塩、酒は継ぎ足さずに新しく替える。

朝のうちにヒヌカンの前で願いを解く

時間は朝。屋敷の御願を済ませたら、同じ朝のうちにヒヌカンの前で御願解きをする。解くのは、旧正月から一年かけて立ててきた家族安泰や健康の願い、ガンタティーだ。願いを請い下げ、悪い事柄は改めてもらう。

供え物は仏具店の案内で、左右に徳利二本と中央におちょこ、ウチャヌク三組、赤ウブク三膳。花米は洗い米二皿と乾いた米一皿とする。屋敷の御願の図解とは米の皿の組み方が逆で、店や家によって違う。シルカビは添える家もある。

線香はタヒラ半、日本の線香なら十五本か五本。グイスでは、今日が旧暦十二月二十四日であること、これから御願解きをすることを告げる。災い事を請い下げて改め、一年の守りに礼を言う。ヤナカジ、シタナカジと呼ぶ悪い風を押し退けてもらい、家内安全を願って締める。

シルカビはこの日の後に焚く家もあるが、近年は焚かない家も増えたそうだ。ちなみに、香炉の掃除もこの日の片付けに入る。

清明祭の墓前、ヒジャイガミが先

墓や先祖の障りを告げられて、清明祭(シーミー)の墓参りで直そうとする家もある。二十四節気の清明から穀雨の前までが時期で、国立天文台の暦要項では2027年の清明が4月5日、穀雨が4月20日。この半月のうちに、一門の都合のいい日を選ぶ。日付は年ごとにずれる。

掃除より先に拝む。墓に着いたら、掃除の前に墓の脇に祀るヒジャイガミ(土地の神)へ報告の拝みをする。線香はタヒラの十二本。掃除が済んだら、もう一度ヒジャイガミに正式に拝み、酒、シルカビ、餅とおかずの重箱を一段ずつ上げる。

墓前には餅の重二つとおかずの重二つ、菓子、果物、お茶、水、酒、花を並べる。当主がタヒラの十二本、ほかの人はハンヒラの三本を立て、家長を中心にグイスを唱えた。最後に当主がウチカビを五枚焚き、お下がりのウサンデーを皆で分けて食べる。

マブイを落としたと言われたら

驚いたり転んだりした拍子に、魂(マブイ)が体から抜けることをマブイウトゥシ(魂落とし)と言う。ぼんやりする、元気が出ない、というときに疑われた。体と魂が離れた状態、という見立て。家の年長者やユタがマブイグミ(魂込め)をして、体へ戻す。

カビバーチでウチカビを焚き、灰を送る

ウチカビは、金属のボウルに金網を敷いたカビバーチで焚く。ボウルに水を張って金網を沈め、輪切りのネギを浮かべる、と書く仏具店もある。ネギは魔除けの意味らしい。底にアルミホイルを敷いた鉄のボウルで代える家もあって、燃えかすの始末が楽になる。ホームセンターでは道具一式が二千円から三千円ほどで売られている。

枚数は一人三枚、家長や施主は五枚という家が多い。焚く順は家長から、長男、長女と続く。一枚目の端に火をつけ、折り目を変えながら燃やし、燃え切る前に次を入れていく。焚きながら「これは〇〇(住所)の家からです」と先祖に伝える。

一世帯焚き終えるごとに、酒か水を掛ける。泡盛かお茶を三回に分けて注ぐ家もある。墓では、墓に向かって右側のヒジャイガミの前で焚き、燃やし終えたら供えた酒を少し掛ける。

旧盆最後の日のウークイでは、家長が仏前にジュウニフンウコー、家族や親族はサンブンウコーを上げてからウチカビを焚く。燃えたウチカビはカビバーチに入れたまま門前へ運び、そこでも十二本の線香を立てて先祖を見送る。

家での拝みなら、燃え切ったカビバーチに花を添え、屋外でひっくり返して先祖へ送る。シルカビの燃えかすは、酒を三滴ほど垂らして火を収めた後、洗面台に流すなど普段どおりに処分していいと仏具店は案内している。屋外で焚くときは火の元に気をつけるよう、どの案内も書き添えている。

ヒヌカンの水は毎朝替え、塩は減っていれば足す。一日と十五日には供え物をすべて下げ、新しいものに替える。香炉の灰には、その家の一年の出来事が詰まっているとされる。

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