家をほめる詞と竈祓いから祓いの順を知る
日本書紀の顕宗天皇の巻に、播磨国赤石郡の縮見屯倉首が建てたばかりの家で宴を張った場面がある。そこで弘計王が述べた家ほめの詞が室寿で、築き立つる稚室葛根、と始まる。柱や棟木、縄葛、草葉を一つずつ挙げ、住む人の無事へつなげていった。
家の部材を順に数えて祈る組み立ては、神職が家で読む祝詞にも生きている。延喜式の大殿祭の祝詞には、家を守る屋船久久遅命と屋船豊宇気姫命が出てくる。新宅祭でこの屋船の神を招く社もある。
台所を念入りに祓う理由も古い。九州や中国地方では盲僧が檀家を回り、竈の前で琵琶を弾いて地神経を唱える竈祓いをした。福岡市南区高宮の成就院がその玄清法流を伝えていて、盲僧琵琶は福岡県の無形文化財に指定されている。
新築か中古かで頼む祭りの名を決める
神職に家へ来てもらう祭りは、社によって家祓い、清祓、新宅祭、入居祓い、新居清祓と呼び名がばらばらだった。家祓いは、やばらいと読ませる社もある。どれも神社の外で行う出張祭典で、外祭とも呼ばれる。言い方は社の案内に合わせる。
電話で何と言うかは、祓うのが主か神を迎えるのが主かで決まる。清祓は、建物や物を祓い清めることが主になる。東京の練馬区石神井の氷川神社は、新居のお祓いとは別の項目を立てていた。神棚清祓い、井戸埋めや樹木伐採のお祓い、家屋取り壊しのお祓いがそれだ。
新宅祭は、完成した新しい家に神を迎えて祀るほうに重心がある。尾張猿田彦神社の宮司が監修した住宅展示場の解説がある。そこでは竣工祭を入居祓いと並べ、神棚を祀り神様をお迎えする祭りとして紹介していた。
家祓いは、その両方をまとめた言い方に近い。福岡の筥崎宮は家祓を、新築や改築、転居の前に家を祓い清める祭りと説明していた。マンションへの引っ越しも含め、家内安全と家門繁栄を祈る。入居後に災難が続く人や病気がちになった人も受けるという。
栃木県小山市の間々田八幡宮の案内はもう一歩踏み込んでいた。建売住宅や中古マンション、賃貸物件に入るときの祭りだという。土地や以前に暮らしていた人の障りで災いが起きないよう、建物の内外をくまなく祓うとある。新築なら新宅祭、人の住んだ家なら家祓いか清祓、くらいに覚えておけば困らない。
氏神の社務所へ電話を一本
頼む先は、家の建つ土地の氏神になる。どこが氏神か分からなければ、各都道府県の神社庁へ住所を伝えれば教えてもらえる。町名と番地まで言えば、氏神の社名と連絡先を電話口ですぐに調べてくれる所が多い。住所で決まる話。
予約は早めに。新潟市の白山神社は一週間前まで、神戸の湊川神社は希望日の十日前までと案内していた。石神井の氷川神社は十日から一週間前くらいまで。年末年始や七五三の時期、それに大安の土日は、境内の祈祷と外祭が重なって神職の手が埋まりやすい。
電話では、家の住所と建物の種類、部屋の数、新築か中古か、神棚があるか、当日立ち会う家族の人数を伝える。神饌を家で揃えるか社に任せるかも、ここで決めておく。額が変わるからだ。
送り迎えの相談もこの段階でする。筥崎宮は現地への出張なので送迎をお願いしていると書いていたし、白山神社は用意する物の中に送迎用の車両を入れていた。湊川神社は駐車場所の確保だけを頼んでいた。間々田八幡宮のように、神社から二十キロ圏内と範囲を区切る社もある。
日取りは入居前がいちばん勧められる。家具が入る前なら、部屋の隅まで神職が回りやすいからだ。筥崎宮も湊川神社も、入居後でも受けると書いていた。焦らなくていい。
吉日を気にするなら、六曜の大安や、十二直の建、満、平、定、成、開を選ぶ家が多い。住宅展示場の解説でも、地鎮祭の良き日としてこの二つを挙げていた。六曜は神道から出た暦ではないので、気にしない社もあるらしい。迷ったら聞く。
初穂料の相場と、のし袋の書き方
額は社ごとに大きく開く。白山神社は、神饌を家で揃えるなら二万円、社が祭具ごと持ってくるなら三万円と、二つの額を出していた。
筥崎宮は二万五千円からで、社が供え物を用意する場合は神饌初穂料を一万円別に納める。福岡の博多にある十日恵比須神社は、お供え物代込みで三万円だった。石神井の氷川神社は一律三万円で、別に五千円を納めると地元の石神井で採れた野菜と果物を当日用意してくれる。
湊川神社は四万円以上の志納、間々田八幡宮は二万円から。並べてみると都市部の大きな社ほど高めに出るけれど、神饌込みでも二万から四万円の間に収まる所がほとんどだった。神饌を誰が揃えるかで一万円前後動くと覚えておけば、見積もりの読み違いは減るはずだ。
包むのは、紅白の水引を蝶結びにしたのし袋。結び切りは使わない。湊川神社の案内では、一万円までなら簡易な封筒、数万円なら折形の袋を選ぶとしていた。水引の上に初穂料か玉串料、下に施主の氏名を書く。
裏には金額を壱萬圓のような旧字の数字で書く。中袋があるなら、表に金額、裏に住所と氏名を書いておくと、社務所で記帳するときに神職の手間が一つ減る。筆ペンが向くけれど、丁寧に書けばペンでもいいという。新札を用意する家が多いのは、前もって準備していた気持ちを見せるためらしい。
送迎をせず神職が自分の車で来るなら、御車代を別の袋に包んで添える家もある。祭りのあとの食事の席を設けないときの御膳料も、同じように別包みにする。渡すのは祭りの前の挨拶のときか、終わって神職が帰り支度を始めたころ。
神饌の中身と祭壇を据える部屋
家で神饌を揃える場合の中身は、白山神社の一覧がそのまま手本になる。白米、清酒の一升瓶か四合瓶、海の物、野菜数種類、果物、塩、水。それに各々を載せる皿とテーブル。
海の物は、鯛を一尾という家もあれば、するめや昆布の乾物で済ませる家もある。氷川神社は鯛などの生鮮品を挙げていた。野菜は大根や人参や青物を、果物はりんごやみかんを二、三種類ずつ。土は洗い落とす。
米と塩と水の置き方は、石川の大野湊神社が家庭の神棚向けに説明していた。三つなら米を中央、塩を向かって右、水を左。酒を加えて四つにするなら、前の列の中央に米、その両脇に酒、後ろに塩と水を置く。祭壇の本番の並べは神職が整えるので、家では品を揃えて台所に出しておけば足りる。
祭壇は、神棚を置く予定の部屋か、家族が揃って座れるいちばん広い部屋に組むことが多い。机は座卓でもダイニングテーブルでも構わない。神棚は南向きか東向きがよいとよく言われるけれど、祭壇の向きは当日来た神職に任せておけばいい。
参列の服装は平服で問題ないと、住宅展示場の解説にもあった。前日までに掃除を済ませ、回る部屋の扉や押し入れを開けられるよう片付けておく。ペットは別の部屋か、預け先を決めておいてほしい。
神職が玄関を上がってから
神職は白衣に袴か、狩衣を持参して着替える。到着すると、十日恵比須神社の案内のとおり、適当な場所に祭壇を設けて祭りの支度をした。支度の間に、式の順番と作法、施主の名前や家族の人数を確かめる打ち合わせが入る。
携帯電話はマナーモードにしておく。これも十日恵比須神社がわざわざ書いていた注意だ。所要は三十分ほどの社から、湊川神社のように一時間ほどを見込む社まであった。
式次第の骨組みは、白山神社の入居のおはらいがわかりやすい。修祓、献饌、祝詞奏上、玉串拝礼、撤饌と進み、そのあとで家全体のおはらいに移る。前後に降神と昇神を立てる社も多い。
修祓は、祭りの場と供え物と人を最初に祓う段。神職が祓詞を奏上し、大麻を左、右、左と振る。祓詞は掛けまくも畏き伊邪那岐大神と始まる短い詞で、黄泉の国から戻った伊邪那岐命の禊を踏まえている。参列者は軽く頭を下げたまま、振り終わるのを待てばいい。顔は上げない。
降神では、祭壇の榊に神を招く。ここが山場。神職が低くおおと長く声を引く警蹕をかけるので、その間は深く頭を下げておく。昇神のときも同じ声がかかる。
献饌は、酒や水の蓋を取って供え物を神に差し上げる段だった。神職が一人で進める。続く祝詞奏上で、神職はこの家の住所と施主の名、家族の無事を祈る言葉を読み上げる。祝詞の本文は社や神職ごとに書き起こすもので、決まった一つの文があるわけじゃない。
部屋を回る神職のあとに付いていく
家全体の祓いは、祭壇での祭りのあとに回す社が多い。湊川神社のように、祝詞のあとで先に各部屋を祓い、最後に家族が神前で拝む順の社もある。どちらでも中身は変わらない。
神職は大麻を手に、塩湯の器と、切麻や米を入れた器を持って部屋を回る。塩湯は塩を溶かした湯で、榊の小枝に含ませて振りそそぐ。千葉市稲毛の浅間神社は、切麻を家の四方に撒いて祓い清めると案内していた。
白山神社は、各部屋と鬼門を清めると書いていた。鬼門は北東の隅で、そこから災いが入るという陰陽道の方角の考えが、家の祓いにもそのまま持ち込まれている。家の北東に玄関や水回りがあるなら、電話の段階で伝えておくと当日の段取りが早い。
施主は神職の後ろに付く。部屋ごとに扉を開けていく役目だ。押し入れや納戸、クローゼットも開けておくと、神職が手前から祓える。家族全員が付いて回らなくてもいい。
台所と風呂と便所は、六手八幡神社の言う火回りと水回りにあたる。火と水を使う所だから、ここを飛ばさず回ってもらえるよう扉を開けておく。竈祓いの名残でもある。
屋内が済んだら、敷地の四隅と門や玄関の外を祓って締める社もある。マンションなら共用廊下まで撒いてよいかを、撒かれた切麻や米をいつ片付けるかと一緒に、その場で神職に聞いておけば迷わない。社ごとに違う。
玉串を捧げる手の動き
家全体を回り終えると、祭壇の前で玉串拝礼になる。玉串は榊の枝に紙垂を付けたもので、神職から一本ずつ手渡される。施主が先。家族が続く。施主一人が代表して捧げ、家族は後ろで一緒に拝む形の社もある。
受け取るときは右手で根元を上から持ち、左手で葉先を下から支える。肘は張らない。胸の高さで、枝先が少し高くなるように。祭壇の前の案まで進んだら、一礼する。
玉串を時計回りに九十度回して、根元を自分のほうへ向ける。ゆっくりでいい。左手を根元へ滑らせて持ち替え、そこで少し祈る。
右手を葉先の下へ移し、さらに時計回りに回して、根元を神前へ向ける。そのまま案の上へ静かに置き、少し下がって二拝二拍手一拝で拝む。
拝み終えたら、神職と参列者へ軽く会釈して席へ戻る。作法を間違えても祭りが崩れるわけじゃない。緊張する人のために、神職が式の前に一度やって見せてくれる社も多い。
玉串のあとは撤饌で供え物を下げ、昇神で神を送る。湊川神社の案内では、最後に神前の御神酒を参列者でいただいて終わる。十日恵比須神社は、祭壇を片付けたあとにお下がりとして御札か御守を渡すと書いていた。
撤饌のあとに残る物の片付け
祭りで下げた神饌は、神のお下がりとして家族でいただき、近くに住む親類へ少しずつ分ける家もある。神社では直会と呼んで、祭りのあとに参列者で飲食するのが本来の形だった。米は炊いて、野菜と果物はその日か翌日の食卓に回す。鯛があれば塩焼きか潮汁。
御神酒は、その場で盃に少し受けて飲むのが湊川神社の締め方だった。残った酒は料理に使えば無駄が出ない。塩も料理に回していい。水は植木の根元にでもあげておけば足りる。
神職が持ってきた榊や紙垂、大麻は、たいてい神職がそのまま持ち帰る。家には残らない。祭壇に使った机は、祭りのあとで乾いた布で拭いておく。これで家の側の片付けはほぼ終わる。
授かった御札をどこに置くか
家祓いのあと、神職は御札を置いていく。十日恵比須神社の言うお下がりの札で、氏神の名が入った家内安全の札が多い。祭りの最後に、祀り方の説明を受けておけばいい。
神棚があるなら、三社造りの宮形では中央に伊勢の神宮大麻、向かって右に氏神の札、左に崇敬する神社の札を納める。扉が一つの一社造りなら、手前から神宮大麻、氏神、崇敬神社の順に重ねる。家祓いで授かった札は氏神の位置に入る。
神棚の無い家なら、目線より高い棚の上に白い紙を敷いて札を立てる。向きは南か東。本棚の上でもいい。人が頻繁に通る扉の上や、トイレと壁一枚で接する場所は避けたほうが落ち着く。
札を祀ったら、毎朝か、毎月一日と十五日に米と塩と水を供え、下げた米は炊いて家族で食べてしまえばいい。大野湊神社も、毎日替える家、水だけ替える家、一日と十五日に決める家とあって構わないと書いていた。続けることのほうが大事というわけだ。
拝むときは二拝二拍手一拝。その前に神棚拝詞を読む家もある。神社本庁の神拝詞に載る短い文で、四つに区切ると覚えやすい。
最初の句は、此の神床に坐す掛けまくも畏き天照大御神産土大神等の大前を拝み奉りて。読みは、このかむどこにます、かけまくもかしこき、あまてらすおおみかみ、うぶすなのおおかみたちの、おおまえをおろがみまつりて。この神棚においでになる天照大御神と氏神の大神たちの前を拝んで、という意味だ。
次が、恐み恐みも白さく、大神等の広き厚き御恵を辱み奉り。かしこみかしこみももうさく、おおかみたちのひろきあつきみめぐみを、かたじけなみまつり、と読む。謹んで申し上げます、広く厚いお恵みをありがたくいただき、というところ。
三つめは、高き尊き神教のまにまに、直き正しき真心もちて、誠の道に違ふことなく。読みは、たかきとうときみおしえのまにまに、なおきただしきまごころもちて、まことのみちにたがうことなく。尊い教えのままに、まっすぐな心で道を外れず、という意味。
最後が、負ひ持つ業に励ましめ給ひ、家門高く身健に、世のため人のために尽さしめ給へと、恐み恐みも白す。おいもつわざにはげましめたまい、いえかどたかく、みすこやかに、よのためひとのためにつくさしめたまえと、かしこみかしこみももうす。
仕事に励ませ、家を栄えさせ身を健やかにし、世と人のために尽くさせてください、と謹んで申し上げる結びになる。北海道神社庁も、冒頭の言い回しが少し違う形で、神棚で唱える言葉の一例として紹介していた。
授かった札は、一年たったら氏神の社へ返す。期限は目安。年末年始の古札納め所か、小正月のどんど焼きに出せばいい。新しい札を受けるときに、家祓いのお礼を社務所で一言伝えておく家もあった。
入居後しばらくして家族に良くないことが続くようなら、同じ社にもう一度相談する。筥崎宮のように、住みはじめてからの祓いを受けている社は少なくない。電話口で、前回祓ってもらった日付と神職の名前を伝えれば話が早い。
前の住人が暮らした家を祓うとき
中古住宅や中古マンションは、家祓いの依頼がいちばん多い形かもしれない。数で言えば主役だ。白山神社も湊川神社も、新築か中古か、戸建てか集合住宅かを問わず受けていた。湊川神社は祭りの意味を、土地の神へ挨拶し、前の住人の影響や建てたときの塵を払うことだと書いていた。
前の住人が神棚や御札を残していったなら、家祓いのときに神職へ見せる。氷川神社は神棚清祓いを、稲毛の浅間神社は神棚の設置と撤去の祭りをそれぞれ受けていた。残された御札は前の住人の信心の跡なので、ごみに出さず神社で引き取ってもらうのが筋だ。
庭に祠や小さな社があるなら、話は屋敷神の遷座や撤去に移る。間々田八幡宮は屋敷神遷座祭を、氷川神社は邸内社や稲荷社の遷座祭を外祭の一つに並べていた。古井戸があれば井戸埋めの祓いも一緒に頼める。
人が亡くなった家を祓ってもらうとき
家の中で人が亡くなっていた場合は、神社と寺のどちらに頼むかで考え方が変わる。神道では死を穢れとみて、家族に不幸があると五十日の間は神棚を半紙で封じ、神社への参拝も控える習いがあった。そのため神社の側も、祓うのは片付けが済んでからという順を踏む。
照天神社という社は、孤独死や自死の現場のお祓いを専門に受けてきた社だ。宮司の著書『はぐれ宮司の事故物件お祓い事件簿』には、千五百件を超える現場を回ったとある。社の案内では、原則として原状回復の後に伺い、所要は二十分ほど。祭壇も供え物も社がすべて用意するという。
宮司は、その場にとどまっている亡くなった人の気と御霊へ、まず言葉をかけると書いていた。生前は大変だったね、お疲れさまでした、しかるべきところへ移ってください。そう申し伝えたうえで、すべての気を祓い去るという。希望すれば祓いの証明書も出していて、発行には三千円を足す。
順番としては、遺品整理と特殊清掃、内装の原状回復が済んでから祓いを入れる。賃貸の部屋なら、管理会社か大家の了解を取ってから神職を呼ぶのが順で、鍵の受け渡しの段取りもそこで決まる。汚れや臭いが残ったまま祓っても、住む人の気持ちが追いつかない。祓ったあとで亡くなった人の供養もしたいなら、寺にも頼むことになる。
寺に頼むと読経と焼香になる
寺に家の祓いを頼むと、中身は読経と修法になる。埼玉県坂戸市の真言宗天照寺では、住職が家へ来て室内に祭壇を置く。真言密教の修法にもとづいて住まいを清め、家族の安寧を祈って読経すると案内していた。読経の途中で家族が順に焼香し、修法が終わるとお札とお守りの扱い方の説明がある。所要は三十分から四十分。
用意する物は、米と酒と塩と水と菓子の供え物に、花と祭壇用のテーブル。品目は神社に近い。菓子と花が入るところが寺らしい。宗派を問わず、無宗教の家でも受けると書いていた。
群馬県前橋市の真言宗豊山派天明寺は、竣工式として建物の中の各所と敷地を祓い清め、入居後の安全と家の繁栄を祈っていた。住居解体や井戸埋めの清め祓いも並べていて、お布施は交通費別で十万から三十万円。寺の出張は神社よりも額に幅がある。
真言宗の家祈祷では、不動明王の真言を唱える寺が多い。慈救咒と呼ばれる中くらいの長さのものだ。原文はノウマク、サンマンダ、バザラダン、センダ、マカロシャダ、ソワタヤ、ウンタラタ、カンマン。読みもそのまま。
意味は、あまねく金剛尊に帰依したてまつる、大いなる忿怒尊よ、障りを打ち砕きたまえ、というところ。後半のウン、タラタ、カン、マンは種子で、訳さずに唱えるのが普通だ。
日蓮宗なら木剣加持になる。東京都東大和市の日蓮宗妙立寺は、木の板と数珠を剣とし、九字を切りながら邪を祓う祈祷だと説明していた。事故物件などの祈祷も、三万円に交通費別で受けている。木剣を振れるのは、千葉県市川市の中山法華経寺にある大荒行堂を出た修法師に限られる。十一月一日から翌年二月十日まで、百日の荒行だった。
浄土真宗は違う。祓いそのものをしない。本願寺派の寺では、新しい仏壇に阿弥陀如来を迎える入仏法要を慶事として勤めていた。お魂入れとは呼ばず、蝋燭も朱色を使う。家の穢れを払うという発想を持ち込まない宗派なので、門徒の家は菩提寺に相談してから決めるほうが揉めない。
亡くなった人の供養を寺に頼むと、塔婆が出てくることがある。塔婆は梵字や経文、戒名や俗名を書いた細長い板で、墓に立てる大きな板塔婆と、法要で使う薄い経木塔婆がある。
事故物件の供養を日蓮宗の法式で請け負う所の案内が面白い。現場での法務のあとも、礼拝所でしばらく経木塔婆を立て、亡くなった人の名を読み上げて経を唱えるという。経木塔婆は二千円ほどで頼める。
真言宗の寺では、亡くなった人のために光明真言を唱えることが多い。原文はオン、アボキャ、ベイロシャノウ、マカボダラ、マニ、ハンドマ、ジンバラ、ハラバリタヤ、ウン。
意味はおおよそ、不空なる大日如来の大いなる印よ、宝珠と蓮華の光明を放ちたまえ、というところ。鎌倉時代の明恵は、この真言で加持した土砂を亡骸や墓に撒く功徳を説いていた。
塔婆は、法要が終わったら寺へ納めてもらうのが普通だ。持ち帰らない。家に飾っておくものじゃないから、古くなった塔婆は寺でお焚き上げに回される。
