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血の濁りを癒す「万霊符」――嶽啓道流・先祖供養法にみる民間信仰の作法と思想

月刊ムー特別付録として生まれた護符

「万霊符(先祖供養万霊符)」は、月刊ムーの2024年9月号に特別付録として付いた護符だった。監修したのは、民俗信仰と呪術を専門にする「まじない屋 きりん堂」の店主、きりん師。特定の誰かに宛てたものじゃなく、誰が使ってもいい汎用の護符として作られていた。筆の運びにも仕掛けがあって、頂点に先祖の筆頭者を置き、その下に癒しの恩恵とそこにつながる無数の人々を並べたという。

先祖からの働きが子孫へ広がっていく形を、そのまま図にしたわけだ。雑誌を一冊買えば手元に届く。そんな気軽さも、寺社で受ける護符とは違うところだった。

「血濁」という独自の概念

きりん師の先祖供養法の芯にあるのが、「血濁(けつだく)」という言葉だ。「身体の病の因子」と「精神(心)の病の因子」の二つに分けて説明される。前者は病にまつわる遺伝的な要因で、後者は子孫の心に響く先祖の「心の傷」を指すという。

家に固有の習慣や考え方の癖が受け継がれる「環境の血濁」という考えもあった。濁りは悪いものばかりとも限らず、嶽啓道の教えはそれを「濁あればこそ」と言い表していた。受け止め方しだいで清算も転化もできる、という考え方らしい。

民俗学的に見た「祟る先祖」観の位置づけ

「先祖供養をしないと祟る」という語りは、日本ではずいぶん古い。『世界大百科事典』の一節はこうだ。「今日の新宗教運動の多くが、現在の不幸や病気の原因を先祖の霊の祟りの作用であると説明し、その祟りの消除のため先祖供養を勧めている」。下地は、儒教の祖先観と仏教の救済観が混ざった死者供養の伝統だ。

宗教学では、死者供養に「近親者への孝養」と「浮かばれない死者の救済」の二つの筋が絡み合ってきたと見る。施餓鬼や水陸会は後者の流れに入る。祟りの語りが高い供養料を取る悪徳商法に使われてきた歴史もあって、嶽啓道流はそこと距離を置いた。

「先祖は私である」というセオリー

きりん師は、先祖を祟るかもしれない他人として扱わない。自分を形づくってきた無数の存在として捉え直す。「自分が悲しいときは先祖も辛い、子孫が苦しんでいれば先祖も苦しい」。先祖供養は結局、自分のためにもなるという話だった。

万霊符に添えられた二つの秘符

万霊符と一緒に、二枚の秘符も公開されていた。親子や親族の仲がこじれて素直に供養へ向かえない人のための「みまかせ符」。自死や原因不明の病、突然の事故で亡くなった身内がいる家のための「みのふせ符」だ。

嶽啓道は特定の宗派に属さない土着の民間宗教になる。元にしたのは、ウェブムーの記事「先祖も自分も癒す『万霊符』とその作法」「心身に入り込んだ先祖の障り『血濁』を癒す!」「ご先祖様は祟る存在なのか?」の三本。どれも「嶽啓道流 先祖供養法」と銘打った連載で、池上良正の死者供養の研究なども参照した。

無縁仏は祟りやすいという古い見方

民俗の世界では、祀り手のいない霊をまとめて無縁仏と呼んできた。弔う縁者のいない死者、戦死や事故死や自死で非業の死を遂げた人、結婚せずに亡くなった人、身元の分からない人も入る。いつも腹をすかせて迷うから祟りやすい、と信じられていた。

だから盆には、縁側の端や家の外に無縁棚、餓鬼棚、水棚と呼ぶ小さな棚をこしらえる土地があった。呼び名もばらばらだ。南九州や南島ではフケジョロ(外精霊)、ウケジョロ(浮精霊)、ホカドン(外殿)、トモドン(供殿)。紀ノ川沿いではお客ボトケ、兵庫県ではショウロサン(精霊様)と呼んだ例が記録されている。

寺の門や墓地の入口に立つ三界万霊の碑

寺の山門の脇や墓地の入口に、「三界萬霊」と刻んだ石塔がよく立っている。三界は欲界・色界・無色界の三つの迷いの世界で、そこにいるすべての霊あるもの、という意味になる。道元の『正法眼蔵』にも「三界万霊十方真宰を拝す」という一節が出てくる。

施餓鬼では、家と縁のない無縁の餓鬼を、法界、三界万霊、無縁一切精霊とまとめて呼んで祀った。一体ずつ挙げると漏れが出るからだ。家の先祖だけで閉じない万霊符の筆の構図は、この万霊塔の考え方によく似ている。墓参りのついでに、碑にも線香を一本立てて手を合わせる人がいる。

施餓鬼は「よその霊」にまで飯を出す法会

施餓鬼の由来は、不空が訳した『救抜焔口陀羅尼経』にある。阿難が焔口という餓鬼から「三日後に死んで、醜い餓鬼に生まれ変わる」と告げられ、釈迦が陀羅尼と飲食を施す作法を授けた。焔口餓鬼は、のどが針のように細く、口から炎を吐く姿で描かれる。

日本には平安時代に空海ら入唐の僧が持ち帰った。最初は真言宗で営まれ、鎌倉時代に諸宗派へ広がり、室町時代に盛んになったらしい。今は浄土真宗を除くほとんどの宗派でやっていて、曹洞宗では施食会と呼ぶ。

浄土宗の説明では、餓鬼を供養して得た功徳を極楽にいる先祖へ振り向ける。祓って追い出すのとは向きが逆で、腹をすかせた霊に食べさせて送り出す。施餓鬼棚に「三界万霊」の位牌を立てる寺も、宝勝・妙色身・甘露王・広博身・離怖畏の五如来の幡を掲げる寺もある。川岸や舟の上で営む川施餓鬼もあった。

仏壇の前で毎朝やること

家の供養の中心は、やっぱり仏壇だ。浄土宗の説明を借りれば、仏壇は寺の本堂を模した家の中の小さなお寺。位牌は木の札に戒名や俗名、命日、行年を記したもので、四十九日までの仮位牌と、仏壇に祀る本位牌がある。生前と同じように語りかけてかまわない、と浄土宗は言っている。

曹洞宗の案内だと、先祖の位牌は本尊の左右に祀る。いくつもあるなら、古い位牌を向かって右、新しい位牌を左に置く。お供えの基本は五供で、線香、花、灯明、水、飲食の五つ。お茶や水を入れる器を茶湯器といい、中段の真ん中に置く。ご飯はその右横、菓子や果物は高杯に盛って下段の左右へ。

朝の手順も曹洞宗のやり方がすっきりしている。朝ご飯の前に、その朝のご飯と新しい水かお茶を供える。ロウソクに火をつけ、線香に火を移す。リンを三度鳴らして合掌し、一礼。「南無釈迦牟尼仏」と唱えたら、もう一度リンを三度鳴らし、合掌して一礼で終わる。

唱える名号は宗派で変わる。浄土宗なら「南無阿弥陀仏」を十遍唱える十念、真言宗なら「南無大師遍照金剛」、日蓮宗なら「南無妙法蓮華経」になる。ちなみに浄土真宗は施餓鬼をやらないし、位牌より法名軸や過去帳を使う寺が多いと聞く。菩提寺があるなら、そこの作法に合わせるのがいちばん揉めない。

下げたお供えは無駄にしない。曹洞宗も、いただけるものは皆で分け合っていただこうと勧めていた。水やお茶は毎朝入れ替える。灯明や線香の火は口で吹き消さず、手であおぐか火消しを使う、と教える寺が多い。供物を傷むまで置きっぱなしにするのも避けたい。

祥月命日や月命日は、いつもの供え物に故人の好物を一品足す日にする家が多い。過去帳のある家なら、その日の欄を開いて仏壇に置き、名前を読み上げてから手を合わせる。遠い先祖の名前まで口に出す機会は、案外これくらいしかない。

唱える文句は回向文と光明真言

読経の締めに唱えるのが回向文だ。積んだ功徳を、先祖やすべての衆生へ振り向けるための偈で、宗派を問わず広く使われる代表が普回向になる。

原文は「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」。読みは「がんにしくどく、ふぎゅうおいっさい、がとうよしゅじょう、かいぐじょうぶつどう」。ざっくり言えば、この功徳があまねく一切に行き渡り、自分たちも生きとし生けるものも、みな一緒に仏の道を成し遂げられますように、という意味だ。出典は『法華経』の化城喩品で、もとは梵天王の願いの言葉だった。

浄土宗では、善導の『観経疏』から採った総回向偈を使う。原文は「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」。読みは「がんにしくどく、びょうどうせいっさい、どうほつぼだいしん、おうじょうあんらっこく」。この功徳を分け隔てなくすべてに施し、みなで悟りを求める心を起こして極楽に生まれたい、という願いになる。

浄霊の色がいちばん濃いのは、真言系の光明真言だ。漢字の音写は「唵 阿謨伽 尾盧左曩 摩訶母捺羅 麽尼 鉢曇摩 忸婆羅 波羅波利多耶 吽」。読みは「オン、アボキャ、ベイロシャノウ、マカボダラ、マニ、ハンドマ、ジンバラ、ハラバリタヤ、ウン」。意味はざっくり、空しくない大日如来の大いなる印よ、宝珠と蓮華の光明を放ちたまえ、くらいに取っておけばいい。

出典は『不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言経』。この真言で加持した土砂を死者にかけると生前の罪障が消えるとされ、土砂加持として死者供養に使われてきた。中世には念仏と張り合うように広まり、浄土の思想と結びついて石の卒塔婆にも刻まれた。真言宗の日常の勤行では七遍唱える次第が多い。家で唱えるなら、仏壇の前で合掌し、同じ調子で七遍繰り返せば形になる。

盆のあいだ万霊符を仏壇に置いて祈り言葉を唱える

万霊符そのものの使い方は、きりん師が記事の中で具体的に話していた。できれば盆の期間中、仏壇か神棚に置く。七月盆でも八月盆でも、その家の盆に合わせればいい。

盆はいつもどおり寺へ詣でて、帰ってから符の前に立つ。先祖に向かって「安らかにいてくださいますように」「子孫ともども安寧に暮らせますように」と祈るのがいい、というのが師の勧めだった。お願いごとを並べるより、この二つで足りる。

そのあと手を合わせて唱えるのが、師が「あえてお伝えすれば」と前置きして示した祈り言葉だ。「心やすらかに なごみ まろみにて 先に るいるいと やすらぎませ」。先に逝った累々の先祖が、心安らかに、和やかに、角の取れた丸い心で休まれますように、というくらいの意味に取れる。

唱える時期は通年でいい、と師ははっきり答えていた。回数の決まりは記事に無い。無理なく続く形で、思い立ったときに手を合わせれば足りる。

食べ物の供え方にも一言あった。夏の疲れは年の終わりまで引っぱるので、野菜や果物の「生なり物」をできるだけ丸ごと、感謝して食べる。いったん符の前に供えて祈ってから、下げて家族でいただくのもいいという。

みまかせ符とみのふせ符は、万霊符の裏に重ねて置く。表は万霊符にする。別の唱え言葉は要らず、万霊符の祈りの中で一緒に働く、というのが師の説明だった。

万霊符のような紙の札を家で祀るとき

付録の護符の祀り方は、付録に添えられた説明に従うのが筋だ。書かれていない部分は、寺社の札の扱いに倣えば大きく外れない。神社本庁は、神棚の宮形が無くても丁重に祀ればいいとしていて、札立てを使って棚の上に置く形も載せている。

仏壇のある家なら、仏壇の中か脇に立てかけるのが落ち着く。無い家は、目の高さより上の清潔な棚に白い紙を敷いて立てる人が多い。床や足元には置かない。上に物を重ねたり、折り曲げたりもしない。水回りや湿気の多い場所、窓際の直射日光も、札が傷むので避けたほうがいい。

盆が明けたら、符は仏壇の脇か棚へ移して置いておく。

神社の札は一年ごとに受け直すのが習わしだが、紙の護符にはそこまで決まった期限が無い。日に焼けて字が薄れたり、湿気で波打ったりしてきたら、役目を終えたと見て納める人が多い。引っ越しのときは白い紙か封筒に包んで運び、新しい家で落ち着く場所を決めてから出す。包んだまま何か月も箱にしまい込むのは、さすがに避けたい。

正直、先祖の祟りを持ち出して高い壺や印鑑、法外な供養料を求める話は、札とは切り離して考えたほうがいい。符は家で手を合わせるきっかけで、そこにお金を積む理屈はどこにもない。

土用の十八日と食前のまじない

連載では、土用の期間に「先祖累々おやすめまじない」を唱えてから食事をとる形も紹介されていた。土用は立春・立夏・立秋・立冬の直前のおよそ十八日間で、五行の土を季節の変わり目に割り振ったものだ。季節が入れ替わる、どっちつかずの時期になる。

暦の上では、冬の土用が一月の半ば過ぎ、春の土用が四月の半ば過ぎに入る。夏の土用は七月の二十日前後から、秋の土用は十月の二十日前後から。万霊符の記事では、秋の土用を十月二十日から十一月六日と書いていた。年によって一日くらいずれるので、その年の暦で入りの日を確かめておくといい。暦を一冊置くと楽だ。

土用のあいだは、毎食の前に箸を置いたまま手を合わせ、祈り言葉を唱えてから食べ始める。年に四回、それぞれ十八日ほど続けると、ざっと七十日あまりが先祖を思う日になる計算だ。土用には土を掘り返すのを避ける俗信もあって、庭仕事を土用明けまで待つ家もある。

盆の精霊棚には縄で結界を張る

家でやる先祖供養の山場は、やっぱり盆だ。『盂蘭盆経』では、餓鬼道に落ちた母を救いたい目連に、釈迦が安居の最後の日に僧へ食を施せと教えた。日本では推古天皇十四年の606年に四月八日と七月十五日の行事が設けられ、斉明天皇三年の657年に盂蘭盆会、天平五年の733年から宮中の恒例になった。

時期は土地で分かれる。七月十五日の新暦盆、八月十五日の月遅れ盆、旧暦の七月十五日の三通り。どれを使うかで、同じ県の中でも家ごとに違うことさえある。

浄土宗が案内する精霊棚の組み方はこうだ。仏壇の前に机を出し、真菰で編んだゴザを敷く。迎える場を清めるため、四隅に竹を立てて縄を張り、結界にする。位牌は仏壇から出して机のいちばん奥に移し、その前にお膳と供物を並べる。

ご霊膳は一汁三菜の精進料理が基本になる。左手前にご飯、右手前に汁物、左奥に和え物を盛った壺、右奥に煮物のお平、真ん中に漬物の香の物。並べ終えたらお膳を半回転させて、箸が仏さまの側を向くようにして供える。故人の好物を足してもいい。

脇には、ナスとキュウリを賽の目に刻んで米と少しの水を合わせ、蓮の葉に載せた「水の子」を置く。少しの水に数本束ねたミソハギを添えた「閼伽水」も供える。キュウリの馬は早く帰ってきてもらうため、ナスの牛は帰りをゆっくりにしてもらうためで、割り箸を刺して脚にする。ホオズキを吊るし、線香立てと灯明と生花もそろえる。曹洞宗の案内では、盆の供え物に団子やソウメン、水の子を挙げていた。

迎え火は盆の入りの十三日に焚く。門前や玄関先で、麻の茎の皮をはいで干したオガラを小さく折り、素焼きの器に組んで火をつける。送り火は十五日か十六日。迎え火は帰ってくる先祖が迷わない目印で、送り火は浄土へ戻るのを見守るためのものだ。京都の六道珍皇寺のように、寺の鐘を撞いて迎える土地もある。

縄の結界の外、縁側の端や家の外に無縁の棚を別に作る家もあった。先祖は結界の内へ、よその霊には外で飯を出す。屋内の先祖の棚の下に、柿や蓮の葉を敷いて無縁の分の供物を盛るやり方もある。

彼岸も同じ考え方でつながっている。春分と秋分をはさんだ前後一週間で、曹洞宗は六波羅蜜の修行にあてる期間だと説明していた。墓参りと仏壇の掃除、ぼたもちやおはぎを供えるのがこの時期の定番になる。

寺の施餓鬼に塔婆を申し込んで参る

家で無縁の棚まで組めないなら、寺の施餓鬼に参るのがいちばん確かだ。事前に申し込むと、先祖の戒名や「先祖代々」と書いた施餓鬼の塔婆を用意してくれる寺が多い。戒名は書き間違いが起きやすいので、紙に書いて持っていく。これで間違いが減る。

申し込みの手間は寺でだいぶ違った。曹洞宗の瑞雲寺は、塔婆供養なら電話予約だけでいいとしていて、塔婆は一枚千円と出していた。横浜の陽光院は、塔婆の申し込みを法要の一週間前までに、専用の書式やファクスや郵送で受けている。建てる人の名前は、家でまとめてから出すよう案内していた。

当日は読経と焼香があって、終わったら塔婆を受け取り、墓の後ろに立ててから帰る。お布施は塔婆料とは別に包む寺が多く、額は申し込みのときに聞いておけば迷わない。帰りがけに、山門脇の三界万霊の碑にも一本線香を立てていく人がいる。

経木や塔婆、名前を書いた札で回向する

紙や木の札に名前を書いて供養する作法は、寺の世界にいくつもある。分かりやすいのが卒塔婆で、施餓鬼や盆、年忌に戒名を書いてもらい、墓の後ろに立てる。川施餓鬼では、川に舟を漕ぎ出して塔婆を水中に立てたり、経木や紙に死者の法名を書いて川へ投げたりして回向した。水死した人や難産で亡くなった女性の供養として、流灌頂という儀礼を営む土地もある。やり方は流派や地方でまちまちだったらしい。

大阪の四天王寺には、今も経木流しの作法がある。お堂で回向を申し込み、薄い木の札である経木に戒名を書いてもらう。書き間違いを防ぐため、戒名はメモにして持っていくよう寺は勧めていた。名前を呼ばれたら焼香し、僧が経を唱えて経木を読み上げる。回向の済んだ経木を亀井堂へ持っていき、亀の形の水盤に沈めると、ひとりでに水面へ浮かんでくる。

これを一種の符だと思えば、札を使った供養の筋道が見えてくる。名前を書いた札を仏の前に出し、経や真言で回向して、最後は水や火に託して手放す。名を記す、回向する、納める。この三段が基本の型だ。

年忌法要は二か月前に菩提寺へ電話する

年忌の区切りは、横浜の陽光院の案内だと一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、五十回忌と続く。三十三回忌を先祖入りの節目と見る寺だった。一周忌は亡くなって満一年、三回忌からは亡くなった年を一と数えるので、三回忌は満二年目に来る。

日取りの考え方は曹洞宗の案内が分かりやすい。祥月命日か、その前夜のお逮夜に営むのが正式で、ずらすなら命日より前にする。日程は遅くとも一か月前には決め、菩提寺の行事予定と合わせてもらう。七回忌や十三回忌をほかの故人の年回とまとめる家もあるが、一周忌だけは合わせない、とも書いていた。

電話はもっと早くていい。瑞雲寺は二、三か月前、最低でも一か月前に電話したうえで寺へ来るよう求めていた。陽光院は当日の申し込みを受けず、二か月前から予約が埋まりやすいと注意していた。土日に集中するので、候補日を二つ三つ持って電話すると話が早い。土日は特に早く埋まる。

当日は位牌と数珠を持って三十分の法要に臨む

持ち物は、陽光院の案内だと位牌、故人の写真、供花と供物、墓花、墓参りの線香、数珠。数珠は忘れやすい。供花は寺でも一対四千円から用意できるとしていた。線香は一対百円だ。持っていく物は寺ごとに違うので、瑞雲寺のように予約の電話で聞いてほしいという寺もある。

家で営むなら、前の日までに仏壇を掃除して荘厳を整えておく。服装は、施主の側が略礼服、参列者も華美にならない、きちんとした服にするのが曹洞宗の目安だった。お布施は白い封筒に包み、額は施主の気持ちで決める。陽光院は、相談すれば一般的な目安を教えるとしていた。

流れは曹洞宗の案内だと、施主の挨拶、導師の入場、読経、焼香、法話、終わりの挨拶の順になる。陽光院の本堂なら法要はおよそ三十分で、控室は一時間前から使えた。時間は午前十時から午後三時まで。供えた食べ物は控室のお茶菓子に回し、余りは「お寺おやつクラブ」を通じて寄付している、と寺は書いていた。

法要のあとは墓へ回って、申し込んでおいた塔婆を墓の後ろに立てる。陽光院では、希望すれば寺で会食もできた。家へ戻ったら、持っていった位牌を仏壇の元の場所へ戻し、その日の供物を下げて皆で分ける。

寺で祈祷の札を授かる日の流れ

家に置く札をきちんと寺で授かりたいなら、成田山新勝寺の御護摩祈祷が段取りの手本になる。境内の御護摩受付所に備え付けの用紙があって、願いごとと名前を書き、御護摩料を添えて申し込む。小さな札が欲しければ、願いごとの欄に「小型札」と書き添える。

申し込んだら護摩の堂へ上がる。護摩木が火に投じられ、持ち物を火にかざして清める御火加持があり、参列者も御真言を一緒に唱える。終わったら、引換用紙に書かれたお渡し所で御護摩札を受け取る。札はその日に持ち帰れる。

行けない人は、参拝日の一か月前から十日前までにファクスで申し込むか、現金書留で申込用紙と御護摩料と送料を送る。送料は小型札と御守が五百円、木札が千円で、三万円以上の申し込みは無料だった。札は郵送で届く。お供物引換書も同封される。

授かった札は、自宅や職場の清浄な場所に、南か東を向けて祀るよう寺は案内している。御神酒と御供物、灯明、花、水を供え、朝夕に手を合わせて不動明王の真言か御宝号を唱える。慈救咒なら「ノウマク サンマンダ バザラダン センダ マカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン」。すべての金剛に帰依し、大忿怒の不動尊よ、障りを打ち砕きたまえ、というくらいの意味になる。

霊符そのものを授かるなら、大阪の交野にある星田妙見宮が知られている。伝わる「太上神仙鎮宅七十二霊符」を、今も崇敬者に分けていた。祈祷は電話で予約し、午前九時から午後三時半のあいだに受ける。初穂料は個人が六千円以上、法人が一万円以上で、紅白ののし袋か封筒に包んで持っていく。

神社の札の祀り方は、堺の方違神社の案内が具体的だった。神棚に祀るか、柱や壁に表が北を向かないよう薄紙の上からテープで貼る。玄関や台所は避け、ほかの宗教の札とは分けて祀る。

役目を終えた札と位牌の納め方

神社の札については、神社本庁の案内がはっきりしていた。年の暮れから小正月の一月十五日までの間に、札を受けた神社の古神札納所へ納めて、お焚き上げしてもらう。遠くて行けないときは、近くの神社で焚き上げてもらえるか問い合わせる。左義長やどんど焼きで古い札を焼く土地も多い。

成田山は、願いがかなったとき、または授かってから一年を目安に「御礼詣り」をして札を納めるよう案内していた。方違神社も、札は毎年新しく受けるのが昔からの習わしで、古い札は感謝して受けた神社へ納めてほしいとしている。

寺の札や塔婆は、受けた寺へ返すのが基本になる。古くなった卒塔婆は、寺がまとめて焚き上げるところが多い。雑誌の付録のように返す先の寺社が無い札は、近くの寺か神社に相談して、ほかの札と一緒に焚き上げてもらえるか聞いてみる。まあ、聞くだけならタダだ。

どうしても自分で始末するなら、白い紙に包んで塩をひとつまみ振り、ほかのゴミと分けて出す、という方法もあるという話だ。その場合も、手を合わせて礼を言ってから包むくらいはしておきたい。

位牌や仏壇を処分したり買い替えたりするときは、宗派によって閉眼供養をしてから手放す。魂抜きやお性根抜きとも呼ばれ、菩提寺の僧に経を上げてもらって、位牌や仏像をただの木に戻す考え方だ。新しい位牌には、逆に開眼供養をして魂を入れる。陽光院では、閉眼供養を済ませた位牌を後日お焚き上げしてくれる。

盆の後始末も昔は水に託していた。送り火の燃えかすや精霊棚の真菰、キュウリの馬やナスの牛は、川や海へ流すものだった。今は流せない土地が多いので、半紙に包んで塩で清めてからゴミに出す家や、寺に納める家もある。

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