- 釜の湯で神を呼び、同じ湯で人を祓う
- 竈を築いて釜を一口から三口据える
- 滝祓いと辻固めで場を区切ってから竈に火を入れる
- 沢や霊泉の水を迎え、藁のタワシで釜を洗う
- サワラの湯木と笹の湯たぶさを仕立てる
- 湯を立てる回数を決め、氏子に湯木を回す
- 沸いた釜に塩と洗米と神酒を落とす
- 祓詞と神名帳で神を釜の前へ招く
- 湯木を五方にかざし、二本に裂いて神を拾う
- 笹を湯に浸して四方と参列者に振りかける
- 素手で湯を切る遠山の荒い祓い
- 釜の縁を十文字に押さえ、柄杓と幣で神を返す
- 川で身を清め、お下がりのオジヤで直会にする
- 湯立の日取りを調べて斎場に並ぶ
- しぶきを浴びるときの立ち方と唱え言葉
- 一力花や願ばたきで湯立に願いを託す
- 福笹と紙垂を家に祀る
- 一年たったら受けた社へ笹を納める
- 家で熱湯を撒いて湯立の真似をしない
釜の湯で神を呼び、同じ湯で人を祓う
岡山県神社庁は、湯立を浄祓や卜占のために釜の熱湯を笹でふりかける儀礼だと説明している。神前に釜を据えて湯を沸かし、そこへ神を招いて湯を献じる。献じた湯を笹で撒いて、浴びた人の穢れを落とす。骨組みはこれだけだ。
古い形は神判に近かった。日本書紀の允恭天皇の条に出る盟神探湯は、熱湯に手を入れさせて嘘か本当かを決める神判。時代が下って、湯そのものに祓いの力を見る使い方が前に出てきた。今の神社で見る湯立は、ほぼ祓いの湯だ。
長野県飯田市の遠山谷には霜月祭が伝わる。市はその神楽歌を、場を清め、神を呼び、もてなし、送り返すための言葉だと説明していた。呼ぶ、もてなす、帰す。この三段を釜の前でやり通すのが湯立の型だ。以下、その順番どおりに見ていく。
竈を築いて釜を一口から三口据える
釜の据え方から。遠山の霜月祭では、舞殿の真ん中に土で竈を築いて、釜を二口据える。木沢の正八幡神社だけは竈が三つ連なっていて、本殿に向かって左から一の釜、二の釜、三の釜と並べた。南部の和田では囲炉裏を竈にして、釜は一口を五徳で支えていた。
広島県安芸太田町の加計に伝わる湯立神楽も、釜は二つ。それぞれの釜に、小さな幣串を三本立てた藁の輪を浮かべる。湯が沸き立つまで、この輪が釜の上に乗っている形だ。安芸太田町の神楽協議会は、この釜で清め祓いを済ませてから湯立舞を奉納する二部の組み立てだと書いていた。
京都の城南宮では、文政六年の銘がある大釜一つを本殿前の特設斎場に据えた。釜は一つきり。奥三河の花祭では、釜の上に湯蓋を吊って、切り紙の飾りを下げる。屋外の斎場でも屋内の土間でも、釜の上を整えてから湯を沸かす段取りは同じ。
釜の数は社で違う。一口で済ます社もあれば、三口を順に使い回す社もある。木沢では釜が三口あるぶん、式の湯に立つ禰宜も三人になり、笛と太鼓に合わせて釜ごとに湯を立てていく。三連の竈は、水の足し方まで決まっていた。これは後の段で書く。
滝祓いと辻固めで場を区切ってから竈に火を入れる
花祭は、火を入れるまでが長い。東栄町の案内では、最初の滝祓いに禊の意味があり、村内の滝を天竜川に見立てて御滝の水を迎える。高根祭りで空から来る諸霊を、辻固めで地上の諸霊を祀り、悪い霊が入らないよう祭場を区切った。上と下の順。
神入りでは、幣束や祭道具を全部、舞庭の上の天へ祀り込む。天の祭りでは、その天へ神を勧請して七十五膳の供物を供えた。神寄せでは全国の一宮をはじめ、近くの神仏まで呼び招く。遠山の神名帳と同じ呼び方だ。
竈祓いで、ここで初めて竈に火が入る。湯立てで釜に湯を沸かし、神寄せと祓いをして諸神に献じた。仕切るのは花太夫で、宮人と呼ばれる六、七人がそれを助けると東栄町は書いている。火は最後。
沢や霊泉の水を迎え、藁のタワシで釜を洗う
湯にする水は、汲み方から作法になる。遠山の下栗では、朝十時に祓沢で水迎えをする。塩祓、水迎えの祝詞、大打の神言、三種大祓と唱え、天地一切清浄祓、六根清浄大祓、般若心経と続ける。そのあと男女の子どもが一人ずつ、樋から沢水を柄杓で三回ずつ桶に汲み入れた。
十一時は釜清め。宮元が釜清めの神言を唱えるのに合わせて、太夫二人が桶の水と藁のタワシで釜を七回洗う。それから火を入れ、湯蓋と湯たぶさを置いた。洗う回数まで決まっているのが面白い。
京都の石清水八幡宮は、男山の中腹に湧く霊泉、石清水から汲んだ水を大釜で沸かす。水が違う。千葉県横芝光町の四社神社のように、釜の湯に海水を使う社もある。水の出どころそのものが、その社の祓いの筋になっているわけだ。
木沢の三つの釜は、汲み回しの順が決まっていた。一の釜へは二の釜から、二の釜へは三の釜から湯を汲み入れ、新しい水は三の釜にだけ足す。一の釜の湯を冷まさないためだと飯田市の頁は書いている。夜通し湯を立て続ける祭りならではの段取りだ。
サワラの湯木と笹の湯たぶさを仕立てる
湯を扱う道具は二つある。一つは湯木。遠山の上町では目の通ったサワラの板を二尺六寸、約七十九センチに切る。割り箸のように途中まで割り残して、紙垂をつけた。これを湯の上にかざしたり、二本に裂いたりして使う。
もう一つが湯たぶさ。笹の葉を束ねたものが多く、藤沢の白旗神社では湯たぶさを笹と書いている。鵠沼の皇大神宮の案内には、生き生きした笹で湯たぶさを作るとあった。花祭の湯ばやしでは、藁を束ねたタワシを湯たぶさにする。
幣も要る。白旗神社の掻湯では、御幣で四方を鎮めてから、その御幣で湯釜を掻き回した。加計の湯立舞では右手に鈴、左手に幣を持って舞い、後段で幣を太刀に持ち替える。幣は祓う道具であり、湯を動かす道具でもあった。
湯を立てる回数を決め、氏子に湯木を回す
何回湯を立てるかも決まっている。遠山では北部と中部で十立前後、南部は三立が基本。下栗では眷属の湯と鎮めの湯を合わせて五立と数えた。木沢の式の湯は七立が基本で、火切り、おこない、湯木舞、湯殿渡し、神拾いと進む。
下栗の眷属の湯は、夕方六時半頃から。おこないは省いて、使い終わった湯木を持って湯釜の周りを回り、湯殿渡しも湯木で跳ね合って賑やかにやった。神の供の者たちへの湯。役湯とは空気がまるで違う。
木沢では、天伯の湯のときに氏子へ湯木が配られた。受け取った者は、その湯木を釜の湯へ少し入れる。氏子が自分の手で湯を献じる形だ。
沸いた釜に塩と洗米と神酒を落とす
湯が沸いたら、塩と米と酒を入れる。順番は社で違うので、記録どおりに並べておく。入れる物は同じでも、塩から入れる社、酒から入れる社、米を先に四方へ撒いてから釜に落とす社と、並びはばらばらだ。
城南宮の湯立を紹介した記事では、最初に杓取の儀がある。巫女が柄杓で天の水を掬い、大釜の湯に注ぐ所作。それから塩を撒いて釜を清め、沸き立つ湯に洗米と酒を入れていた。塩が先で、米と酒が後。
岡山県神社庁が紹介する例は、朝五時からの湯立で、釜の中に酒、塩、米、それに三百六十五円を入れる。銭の額は一年の日数と同じ。笹で熱湯を氏子に振りかけ、その年の占いもする。
神戸の六甲八幡宮の湯立を見た人の記録には、巫女が洗米と神酒と塩をぽたぽたと釜に落とした、という話もある。そのあと大麻で釜を祓い、柄で湯をかき混ぜたそうだ。釜に入れる前に、斎場全体へ米を撒く社もある。
白旗神社の十二座は、笛と締太鼓と大胴で音合わせをする打囃子から始まる。二座目の初能で宮司が左手に広げた扇に洗米を載せ、右手に鈴を持って四方に米を供えた。続く御祓で、お神酒と祓いの道具を持って、舞に使う道具と斎場をすべて祓う。八番目の大散供でも、洗米を供えて四方を和め鎮めた。米は釜にも四方にも行く。
祓詞と神名帳で神を釜の前へ招く
神を招く言葉は難しい。祝詞の多くは神社ごとに神職が書いて奏上する祭詞で、原文が外へ出回らないから、ここで作って載せることはしない。確かめられるものだけ書く。神職が最初に奏上することが多いのが、神社本庁の定める祓詞だ。
前半の原文は「掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に」。読みは、かけまくもかしこき、いざなぎのおおかみ、つくしのひむかの、たちばなのおどのあはぎはらに。続けて、みそぎはらへたまひしときに。伊邪那岐大神が日向の阿波岐原で禊をされたとき、という出だしになる。
後半は「生り坐せる祓戸の大神等 諸諸の禍事罪穢有らむをば 祓へ給ひ清め給へと白す事を 聞こし食せと 恐み恐みも白す」。読みは、なりませるはらへどのおおかみたち、もろもろのまがごとつみけがれあらむをば。結びは、はらへたまひきよめたまへとまをすことを、きこしめせと、かしこみかしこみもまをす。そこで生まれた祓戸の神々に、災いや罪穢れを祓い清めてくださいと申し上げる、という意味だ。
遠山の下栗では、神名帳の前の座揃いで塩祓、祝詞、一切成就祓、三種大祓、天地一切清浄祓、六根清浄大祓、般若心経を唱える。浄めの神楽、七五三引神楽、曲玉の神楽もうたった。上町では座付之祓や六根清浄祓、御食祝詞など十三の祓詞と祝詞に、般若心経が加わる。神道と仏教と修験の言葉が一つの釜の前に並ぶ形。
霜月祭の山場は、延喜式の神名帳をもとにした帳面を読んで、全国六十六か国の一之宮を呼び込む。下栗では午後一時、太鼓と笛の拍子に乗って、禰宜が体を左右に振りながら神名帳を神殿から舞殿へ下ろしてきた。程野の帳面は、山城国の加茂大明神、大和国の三輪大明神と、国ごとに名を連ねる形だった。
白旗神社や鵠沼の皇大神宮では、御幣招の舞で神を呼ぶ。皇大神宮の案内では、招くのは産土大神、火産皇霊神、水波能売神の三柱。土地と火と水。釜と湯の働きにそのまま対応する組み合わせだ。
湯木を五方にかざし、二本に裂いて神を拾う
招いた神に湯を献じる所作は、遠山の記録がいちばん細かい。上町の湯開きでは、湯木を湯の上にかざして先湯湯開きの呪文を唱える。神々の道開きで、東西南北と中央の五方に向かってこれを繰り返した。
湯殿渡しでは、その湯木を二本に裂いて両手に持ち、体を左右に振りながら神楽歌をうたう。飯田市が紹介する歌は「謹請東方の神々を 諸手に持ちてナ ヤンヤーハーハ 拝む」。読みは、きんじょうとうほうのかみがみを、もろてにもちてな、やんやーはーは、おがむ。謹んで東方の神々をお招きし、両手で捧げて拝む、というくらいの意味だ。
湯召しでは湯木を二本まとめて右手に持ち、端を釜の湯に少しずつ入れながら、神の名前を拾っていく。下栗では梵天帝釈から始めて、全国の大社、村社、村内の神々まで呼んだ。一柱ずつ湯を差し上げる動きになる。
下栗の役湯は、その前におこないが入る。湯木を背に差して紙の覆面をし、数珠を持って二拍手一拝を繰り返す。獨古、内獅子、外獅子、日輪の印を結び、五大尊の呪文、火の鎮めの呪文、富士の氷ぶせの呪文を唱え、手刀で九字を切った。呪文の本文は祭りを担う者の内で伝わるもので、ここには書けない。
南部の和田の湯開きは、太夫禰宜と脇禰宜二名が受け持つ。脇禰宜の塩祓いに続けて、身滌の祓、六根清浄祓、天地一切清浄祓を北、東、南、西の隅で繰り返し、大祓詞だけは西の隅で唱えた。一の湯では保存会員ら十二人、旧暦の閏年なら十三人が湯木を両手に一本ずつ持って釜を囲む。
笹を湯に浸して四方と参列者に振りかける
祓いの本番。城南宮では、神楽鈴や扇を手にした四人の巫女が神楽を舞ってから、襷掛けの巫女が大釜の前に進み出る。祓神楽、杓取の儀、御幣舞と続けて、最後に両手に笹の束を持ち、釜の湯を勢いよく散らした。
石清水八幡宮では、神楽女が笹の葉で釜の熱湯を四方へ激しく振り撒く。厄除と無病息災、五穀豊穣を願うしぶきで、参列者はそれを浴びに集まってくる。湯は四方へ飛ぶ。
白旗神社の湯上では、湯たぶさを釜に浸して熱湯を桶に汲み取り、まず神前に捧げる。神に献じてから、九番目の湯座と笹の舞で、笹の葉で四方を舞い鎮めた後に熱湯を笹に浸して参列者の頭上に散らし掛けた。先に神、後に人。この順は崩さない。
掻湯は占いの段になる。御幣で四方を鎮め、大釜の前に進んで湯釜を掻き回すと、湯華が立ち昇る。皇大神宮の案内は、この湯華で豊凶を占うと書いていた。加計では、沸き立った釜に笹の葉をつけて、その湯花で社殿と境内と参拝人を清めている。
加計の湯立舞は、清めのあとに舞う。素面の舞人三人に、太鼓、小太鼓、笛、手打鉦が一人ずつの計七人。前段の幣舞は右手に鈴、左手に幣で、後段は幣を太刀に持ち替えた太刀舞になる。祓ってから舞う順番だ。
長崎の諏訪神社には、特別崇敬者清祓という形がある。参列者はまず大麻、塩湯、米、切麻で清められる。巫女の湯立舞、湯鉾、湯笹と祓いを次々に受け、最後に玉串を奉って終えた。参列したのは神社役員と特別崇敬者、湯立講の社員だったと社の頁にある。
花祭では、湯ばやしで少年四人が藁のタワシを持って舞い、終わりがけに釜の湯を所構わず振り掛ける。東栄町はこの湯を生まれ清まりの産湯と書いていた。浴びると病にかからないと信じられている湯だ。
素手で湯を切る遠山の荒い祓い
遠山には、笹を使わず素手で湯を払う湯切りがある。上町では面をつけた四面のうち、水王と土王が刀を外し、腕まくりをして、同時に素手を釜の湯に入れて周りへ湯をかけた。和田では水の王が西の隅に立ち、左、右、左と湯を跳ね飛ばす。これを五つの隅で繰り返した。
木沢では、大天狗とも火王様とも呼ばれる面が一の釜で火伏せと湯伏せの呪文を唱える。そのあと観客の囃しに合わせて湯面を弾き、左右へ跳ねかけた。呪文で湯を鎮めてから手を入れるわけだ。荒い祓いだ。
これは面をつけた者が長年の稽古の上でやる所作になる。見物の側がやるのは、舞い手の動きをふさがない位置に立って、飛んでくる湯をそのまま受けることくらいだ。真似をする所作ではない。
釜の縁を十文字に押さえ、柄杓と幣で神を返す
呼んだ神は帰す。下栗の鎮めの湯は夜十時頃で、式の湯と同じくおこない、湯殿渡し、湯召しを繰り返す。締めの呪文を唱えたら、湯木で湯釜の縁を十文字に押さえて置いた。これで釜を閉じる。
神返しは、上町では禰宜二人が竈の正面に立ち、湯を汲んだ柄杓と祓い幣を持って、東、南、西、北、中央の順に唱和した。唱え言葉は「東方には仏千体神千体」と始まり、もとの本宮へ、と結ばれる。飯田市の紹介する神返しの歌には「神はいけいけ我が里へ、森はとどまれこの里に」という一節もある。神はそれぞれの里へ帰り、森の守りはこの里に残れ、という意味だ。
和田の神送りは、太夫禰宜とモズ係二名、脇立ちの四名で受け持つ。モズ係は腰をかがめ、右手に持った湯たぶさを腰に当てて振りながら、キチキチキチと唱えて交差する。これを五回入れ替わって神を送った。下栗では中祓いのあと、神返しと庭ならしの神楽をうたって、全国の神々を返している。
白旗神社の十二座では、十番目の射祓で四隅に矢を放って悪霊を退ける。締めは弓の弦を鳴らす鳴弦。そのあと赤面の天狗と黒面の山の神が出る剣舞と毛止幾で終わった。花祭も終盤の神返しで、迎えた神々を元の場所へ返す段を置いている。
川で身を清め、お下がりのオジヤで直会にする
後始末も決まっている。上町では、面をつける者が上村川に入って身を清めるこりとりをする。夜通しの湯と面の役を、冷たい川の水で落とす。寒い山の十二月に川へ入るのだから、この一段そのものが一晩の行を締めくくる禊と言っていい。
直会は朝食になる。上町では御神酒と祭りのお下がりを入れたオジヤをみんなで食べた。白旗神社や皇大神宮の十二座では、前半が終わった中入れで参列者が神酒を分かち合う。献じた物を人が頂いて、神と同じ物を身に入れる。
釜の湯は、神に献じたあとのお下がりでもある。和田では昔、金湯の願という形で釜の湯を受け取り、家を清めていたと飯田市の頁にある。今はもう行われていない作法だ。
湯立の日取りを調べて斎場に並ぶ
湯立を受けに行くなら、日取りの確かめからになる。城南宮は一月二十日の午後三時から。石清水八幡宮は節分直前の日曜の朝十時に移したと社の案内にある。白旗神社は十月の終わり、京都一乗寺の八大神社は七月上旬の早苗振祭と十月上旬の秋季湯立祭で、どちらも朝十時からだった。
年で動く。御殿場の子之神社の沼田の湯立神楽は十月最終土曜の晩に、獅子が湯を立てる。遠山の霜月祭は十二月、花祭は十一月上旬から一月中旬にかけて東栄町の十か所ほどで回る。出かける前に、社や市町の頁でその年の日付と時刻を確かめてほしい。
当日は手水で手と口を清め、先に本殿へお参りしてから斎場の前に並ぶ。神職が祓詞を奏上しているあいだは、頭を軽く下げて静かに待つ。斎場に張った注連縄の内へは入らない。湯を浴びる前提で、濡れてもいい上着と着替えを持っていく。
山の祭りは夜通しで冷える。東栄町は防寒と冬用タイヤを勧めていて、運転するなら酒は飲まないようにと念を押していた。撮影は禁じていないが、舞手の動きを妨げたり、セイト衆の場所を占めたりしないようにとも書いている。
しぶきを浴びるときの立ち方と唱え言葉
湯が撒かれ始めたら、その場で受ける。釜に近いほど湯はよく当たるけど、舞い手の動く場所はふさがない。熱湯のしぶきなので、小さな子どもを釜の真ん前に出すのは避けたい。花祭の湯ばやしのように所構わず湯が飛ぶ場では、どこにいても濡れるものと思って構えておくといい。
花祭では、見物の衆もテーホヘ、テホヘと声をかけて舞に加わる。東栄町は、舞い手は神で、一緒に舞うことで神と人が溶け合うと書いていた。湯ばやしの湯をかぶるのも、その輪の中にいるからこそだ。
湯を受け終えたら、略拝詞を一度唱えて頭を下げる。原文は「祓へ給へ 清め給へ 守り給へ 幸へ給へ」。読みは、はらえたまえ、きよめたまえ、まもりたまえ、さきわえたまえ。祓い清め、守り、幸いをお授けください、という意味になる。
一力花や願ばたきで湯立に願いを託す
見るだけでなく、願いを預ける道もある。花祭の一力花は、当日に申し込んで献銭をすると、自分のための舞を舞ってもらえる仕組みだ。家内安全や子どもの成長、無病息災を祈る。金額は地区によって違い、腕に自信があれば自分で舞うこともできるらしい。
献銭は、のし袋に「お見舞」か「御献餞」と書いて一人二千円以上を入れ、会所に出す。その地区のお札や酒、けんちん汁、ご飯、漬物などが頂けると東栄町の案内にあった。祭りを続ける費えにもなる。
遠山の和田には、願ばたきという形があった。大病の家族を抱えた家が病の回復や厄除けを立願して、願帳を持って祭りに見舞う。病人のいる家の願いを、釜の前へ預けに行く段取りだったわけだ。願が叶うと、お礼に願御神楽をうたってもらった。これも今は行われていない。
社の湯立に名を連ねる場合は、社務所に尋ねるのが早い。諏訪神社の清祓のように崇敬者や湯立講の者が参列する形もあれば、城南宮のように神事のあと福笹を受ける形もある。初穂料は紅白の蝶結びののし袋に「初穂料」と書き、下に名前を書いて渡す。
福笹と紙垂を家に祀る
授かった物は家へ移して祀る。城南宮では神事のあと福笹が授与され、初穂料は千円だった。石清水八幡宮では湯を撒いた笹の葉が参列者に分けられる。白旗神社では、神楽が終わると斎場に付けていた紙垂を持ち帰り、家の神棚に祀って災い除けにする風習があると案内していた。
射祓で四方に放たれた矢を授かると開運招福になる、と白旗神社は伝える。六甲八幡宮でも、湯立のあとに青竹の枝葉が参拝者に配られたという話がある。六甲八幡宮の話は見物した人の記録なので、枝葉がいつも配られるかどうかは社に確かめたほうがいい。どれも湯と同じ場にあった物で、祓いの続きとして扱う。
置き場所は神札と同じでいい。神社本庁は、目線より高い清浄な場所に、南か東を向けてお神札を祀るよう勧めている。神棚が無い家なら、お神札立てのような小さな台で祀ってよいとしていた。湯で濡れた笹は、そのまま乾かして立てかけておく。
神札と並べるなら順がある。神社本庁によれば、中央がいちばん上で、次が向かって右、その次が向かって左。一社造りの宮形なら重ねて納め、手前に神宮大麻、その後ろに氏神の札を置くとしていた。笹や紙垂は、その札の脇に添える形で置けばいい。
一年たったら受けた社へ笹を納める
替え時は年末。神社本庁は、お神札を年末の大掃除のころに新しくするよう書いている。古い物は受けた神社へ返すのが本筋だ。行けない場合は、近くの神社に相談して納めてよいとしている。
多くの神社は、大晦日から一月十五日までの間に左義長やどんど焼きをして、古い札や飾りを焚き上げる。福笹や湯立の笹も、受けた社の納め所か、この火に一緒に納める。紙垂や矢も同じ扱い。
新しい笹を受けたら、古い笹と入れ替えて同じ場所に据える。遠山の禰宜が柄杓と幣で神を元の宮へ返したように、授かった笹も一年で社へ戻す。受けて、祀って、返すまでが一回りだ。これで一年。
家で熱湯を撒いて湯立の真似をしない
湯立は、竈と釜と、神を呼んで返す言葉がそろってはじめて成り立つ。遠山の湯切りも花祭の湯ばやしも、稽古を積んだ者が夜通しの次第の中でやる所作だ。台所の鍋で湯を沸かして笹で撒いても、湯立にはならない。
熱湯は火傷のもとでもある。家族を祓いたいなら、湯立のある社へ一緒に出向いてしぶきを受けるか、授かった笹を神棚に祀る。祭りの日に行けない年は、社務所に笹の授与だけ受けられるか尋ねてみるのもいい。
笹や紙垂の授与が無い祭りもある。花祭なら、献銭の返礼に会所で頂くお札を、同じように神棚か札立てに祀ればいい。年が明けたら、これも古札として納める。
