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水辺で呪詛を祓う河臨祓の次第と受け方 人形の用意から唐崎と佐久奈度で水へ送るまで

毎年七月二十八日の夕方、琵琶湖の西岸にある唐崎神社で、参拝者が奉納した人形が湖へ送られる。令和八年の案内では、人形流しは午後六時四十五分ごろだった。河に臨んで開く祓だから、河臨祓。平安の陰陽師が河原でやっていた呪詛祓の骨組みは、今もこの湖の岸で受けられる。

占いで呪詛と出たら吉日を選んで河原へ出る

河臨祓の段取りは、いきなり水辺へ行くところからは始まらない。体を壊したり怪しいことが続いたりすると、平安の貴族はまず陰陽師に占わせた。占いで呪詛と出れば、そこで初めて祓の話になる。順番が肝心。

日取りも占いで決めた。宮中の七瀬祓は、毎月か臨時に吉日を卜して開いたと、国語辞典の大きな版にも出てくる。思い立った日にすぐ出かけるのとは違って、陰陽師が暦を見て日を選んでいた。

吉日が決まると、陰陽師が人形や撫物をこしらえて依頼者へ届ける。依頼者はそれで体を撫で、息を吹きかけて返す。受け取った陰陽師か使いが河原へ運び、祭文を読んで水へ放つ。記録をつなぐと、こういう一続きの流れになる。

呪物が見つかった場合は、その前に一段足す。人をやって家の中を探させ、床下などから出てきた厭物を取り除いてから、河原で祓をした。長徳二年の小右記には、寝殿の板敷の下から厭物を掘り出したという伝聞が書き留められている。見つけるところまでが祓の一部。

人形は陰陽師が紙や藁で作り、撫物には衣も使った

身代わりの材料は一つじゃなかった。人形の解説を見ると、紙や木、草葉、藁で人の形に作ったとある。延喜式によれば、平安の天皇は一年に二千百六十八枚もの人形を使った勘定になるらしい。

撫物は人形に限らない。国語辞典は、禊や祈祷に使う身代わりの人形や衣類と説明している。普段着ている衣で体を撫で、その衣ごと祓に出す。人形を切る手間すら要らなかった。

用意するのは陰陽師の側だった。百科事典の撫物の項は、陰陽師が人形や衣類などを用意し、依頼者の穢をなでて移し、川に流し去る呪法だと書く。依頼者は受け取って撫でるだけでよかった。

格の高い祓になると、材料も変わる。難波津の八十島祭では、天皇から下された御麻の撫物を振り、金と銀の人形に穢を移して海辺に捨てたという。近世の上賀茂神社は、御所から毎月撫物の入った筥を預かって祈祷し、年の暮れに返していた。

今の神社で受ける人形は、ほとんどが白い紙を人の形に切ったものだ。唐崎でも佐久奈度でも、祭の期間に社が用意した人形を受ける形になる。自分で材料をそろえる必要は、まずない。社の紙の人形でじゅうぶん。

撫でて息を吹いた人形を、河原で中臣祓とともに水へ放つ

撫で方と息の所作は、七瀬祓の記録がいちばん分かりやすい。百科事典は、天皇が息を吹きかけ、からだをなでてその災禍を負わせた人形を流す行事と説明する。撫でるのと息を吹くのが二本柱。手順はこの二つで足りる。

撫で終えた人形は、本人の手を離れる。天皇の人形は七人の使いが七つの瀬へ持って行って流したと、国語辞典にあった。都から遠い難波や辛崎まで運ぶこともあれば、鴨川の河原で済ませることもあった。

近場の組み合わせは二通りが辞典に並ぶ。霊所七瀬は川合、耳敏川、松崎、石影、東滝、西滝、大井川。賀茂川七瀬は川合、一条、土御門、近衛、中御門、大炊御門、二条末で、鴨川の河原を大路の名で区切って使った。急ぎの祓なら、これで一日のうちに済んだ。

本人が河原へ行かなくても、祓は成り立った。永観三年の三月一日、藤原実資は雨が降ったので河原へは出ず、使いを遣わして河臨祓をさせたと小右記に書いた。撫でた物さえ水辺へ届けば、それで足りたわけだ。本人は家で待つだけ。

河原で陰陽師が読んだ祭文の中心は、中臣祓だった。大祓詞を、一人の依頼者のために読み上げる形へ改めたものだ。平安の中頃から陰陽師が病気平癒や安産の願いにまで使ったと、國學院大學の企画展の解説にもある。中臣祓を何度も重ねて読む千度祓という呼び名も、のちに広まった。

水へ放つのは、祭文を読み終えてから。撫物が衣なら、衣そのものを流すこともあった。川に流さず祈祷所へ送って祓い捨てる道もあったと、国語辞典は書く。水辺が遠い家には、そちらのほうが手軽だったのかもしれない。

舟の上の六字河臨法は散米と茅の輪を足して流した

仏教の側にも、河臨祓を取り込んだ修法があった。六字河臨法だ。辞典によると、聖観音などを本尊にして六字の真言を唱え、調伏と息災を祈るもので、舟を川に浮かべて修した。天台の阿娑縛抄に次第が載っている。

流す順は、百科事典の撫物の項に短くまとまっていた。施主が藁人形の撫物に穢を移し、その人形に散米をかけ、茅の輪をくぐらせてから水中へ投げ入れる。撫でる、米を撒く、輪をくぐらせる、投げる。この四つが順に並ぶ。覚えやすい。

舟の上では僧が経を読み、その横で陰陽師が中臣祓を唱えた。神道の祓と密教の修法を一艘に乗せた形になる。人形のほかに刀も使ったと指摘する論考もあった。

在家がこの修法を自分でやることはない。今の神社で茅の輪をくぐり、人形を水へ送ってもらう流れは、この四つの手順の後ろ半分にそのまま重なる。受ける側としては、そこを知っておけば十分だと思う。

唐崎と佐久奈度は平安の七瀬の祓所だった

大七瀬と呼ばれた遠い七つの祓所には、難波や宇治川の橘小島と並んで、辛崎と佐久那谷が入っていた。辛崎は今の唐崎神社の浜、佐久那谷は瀬田川の佐久奈度神社の前の瀬に当たる。

唐崎神社の案内には、平安時代にこの地が七瀬之祓の一所になり、朝廷で行事があるたびにお祓いをする場所だったとある。佐久奈度神社は、罪を海へ運ぶ瀬織津姫命をはじめ祓戸の四柱を祀る社で、天智天皇の勅願で中臣金が創建したと伝わる。

唐崎神社のみたらし祭へ行く日と持ち物を決める

唐崎で人形を水へ送ってもらうなら、七月二十二日から二十八日のみたらし祭に合わせる。一年の前半に知らず知らず身についた罪を清める祭で、例祭日は二十八日。人形の奉納と茅の輪くぐりは、期間中いつでもできると日吉大社の案内に出ていた。

祈祷も頼むなら、受付の時間を先に押さえておく。特別祈祷は九時から十五時半まで。二十八日だけは夜も受け付けていて、祈祷料は三千円だった。おさがりには神札と団子守がつく。二十八日に祈祷を受けるなら、十八時の祭典より前に受付を済ませておくと、茅の輪くぐりと人形流しに間に合う。

持ち物は少なめ。祈祷料を包んだのし袋か白い封筒、書き物用の黒のペン、ハンカチ、授与品を買うなら小銭。服は普段着でいい。正装は要らない。

行き方は電車が確実だ。湖西線の唐崎駅から歩いて十五分ほどで、京阪の浜大津駅からならバスで十五分。祭の期間は車での来社を控えるよう社が呼びかけている。二十八日は三脚や脚立を使った撮影、椅子での場所取りも禁止だった。

人形を受けて体をさすり、授与所へ奉納する

鳥居の前で一礼してから入る。手水では、右手で柄杓を取って左手、持ち替えて右手、左の手のひらに受けた水で口をすすぎ、もう一度左手を流す。社殿の前で二礼二拍手一礼をして、先に参拝を済ませておく。

人形は、案内に従って受ける。唐崎の案内は、自分の体を人形でさすり、罪けがれを代わりに背負ってもらうことができる、という書き方だった。服の上からで構わない。

撫でながら、祓へ給へ清め給へと心の中で唱えてもいい。はらえたまえ、きよめたまえ、と読み、祓って清めてください、という意味の短い詞だ。撫で終えたら人形に息を吹きかける。七瀬祓で天皇がした所作と同じ。

息を吹く回数は、唐崎の案内には書かれていない。

さすり終えた人形は、決められた場所へ奉納する。あとは神職の手で湖へ送られるから、自分で浜へ下りて水に放つことはしない。ここは間違えやすい。

奉納のあとに茅の輪をくぐれば、体と人形の両方を片づけた形で帰れる。くぐり方は、輪の横に掲げられた案内か神職の先導に合わせる。よその社でよく見る作法は、左回り、右回り、左回りの順に八の字を描く形だ。

本祭の夕方、茅の輪くぐりから人形流しを見届ける

二十八日の夕方は、人形が湖へ出ていくところまで見届けられる。令和八年の予定では、十八時に祭典が始まる。十八時半に神職と参拝者そろっての茅の輪くぐり神事、十八時四十五分ごろに人形流しだった。十九時十五分からはお焚上げ神事が続いた。

茅の輪くぐりで口にするなら、古歌の一首がいい。原文は、水無月の夏越の祓する人は千年の命延ぶといふなり。読みは、みなづきのなごしのはらえするひとは、ちとせのいのちのぶというなり。六月の夏越の祓をする人は千年も命が延びるそうだ、という意味で、拾遺和歌集に入っている歌だ。

人形流しの間は、湖へ向かって静かに手を合わせていればいい。声を出す決まりはない。黙っていていい。

その日の朝十一時と夜の十九時には湯立て神楽神事もあり、夜は手筒花火神事で締めくくられる。献灯の提灯は十八時から二十二時まで灯っていた。帰りの電車の時刻は、人波に巻き込まれる前に調べておくと慌てずに済む。

ふだんの日に唐崎で祓の祈祷を頼む

祭の時期を外れても、唐崎神社で祈祷は頼める。一週間前までに予約するよう案内されていて、窓口は日吉大社の社務所だった。唐崎神社の授与所が開くのは土日祝の十時から十六時で、平日は社務所へ連絡してから行く。

申し込みの電話では、名前と日時、何の祈祷かを伝える。祈祷料もこのとき聞いておけば、包み方に迷わない。当日は約束の少し前に着き、社務所で名前を告げて申込書を書き、祈祷料を渡してから呼ばれるのを待つ。

当日の祈祷は、どの社でもおおむね同じ流れで進む。神職が大麻、いわゆる祓串を左右左と振って修祓をする間、頭を下げて受ける。祝詞が奏上され、玉串を捧げて二礼二拍手一礼をすれば終わりになる。

授かった神札は家へ持ち帰って祀り、一年ほどたったら受けた社へ返す。これで一巡り。唐崎の神札なら、翌年のみたらし祭へ出かけるついでに返すと区切りがいい。

授かった神札と守りを家に祀り、一年で返す

唐崎神社の授与所には、ちの輪守とみたらし団子守がそれぞれ八百円、厄除守が千円、唐崎神札が八百円で並んでいた。唐崎守や安産守もある。祈祷を受ければ、おさがりとして神札と団子守がもらえる。

神札は、神棚があれば宮形の中へ納める。三社造りなら真ん中に神宮大麻、向かって右に氏神、左にそのほかの崇敬する社という並びが、神社本庁の案内でよく示される形だ。唐崎の神札は、左の扉に入れる格好になる。

神棚が無い家なら、目線より高い棚の上を片づけて白い紙を敷き、神札を立てかける。南か東を向くように置く家が多い。上の階に人が歩く部屋なら、神札の上の天井に雲と書いた紙を貼る習わしもある。

祀ったあとの毎日の世話は、北海道神社庁の問答集が分かりやすい。朝に顔を洗って口をすすぎ、米と塩と水の三品を供え、榊の水を新しくして灯明をともしてから拝む。米は生米でも洗米でも、炊いたご飯でもいいそうだ。三方や折敷に載せるのが正式で、皿に入れたまま置いても構わないとしていた。

毎月一日と十五日は、酒や野菜、果物も足す日。正月や家族の記念日も同じ扱いになる。下げた米は後日ご飯に炊き込み、塩も捨てずに使うよう、同じ問答集は勧めていた。

守りは、鞄や財布に入れて持ち歩けばいい。団子守を家に置くなら、神札の横でいい。一年たったら神札も守りも同じ社へ持って行き、古札の納め所へ返す。遠くて返しに行けないときは、近くの神社の古札納め所で受けてもらえるか聞いてみる。

七月三十一日、佐久奈度神社の御手洗祭で人形の祓を受ける

瀬田川沿いの佐久奈度神社では、七月三十一日に御手洗祭がある。滋賀県神社庁の紹介によれば、夏越の大祓を旧暦に合わせて営むもので、社の由緒の上でいちばん大事な祭りだという。茅の輪くぐりと人形の祓いがおこなわれる。

参拝した人の記録を見ると、午前に一時間ほどの神事があり、夕方にも神事が組まれていた。人形は前にお参りしたときに頼んでおいた、という書き方の記録もある。茅の輪は拝所の前にあったそうだ。受け方は年によって変わるかもしれないから、前もって社へ電話で確かめておくと話が早い。例祭は四月十六日なので、人形の祓を受けるなら七月三十一日のほうを選ぶ。

行き方は、石山駅から京阪バスに乗り、大石小学校前で降りて歩いて三分ほど。車なら名神の瀬田西か瀬田東、京滋バイパスの南郷の出入口から十分ほどで、駐車場は十台分と案内されていた。

御手洗祭は日付で決まっているから、平日に当たる年も多い。休みが取れないなら、唐崎の二十八日の夜に寄るほうが組みやすい。

唐崎の本祭から三日後が佐久奈度の御手洗祭。唐崎で湖の岸から送り、三日後に湖の出口の瀬でもう一度祓う組み方もできる。平安の大七瀬のうち、二つの祓所を続けて回る形だ。

佐久奈度の祭神は、大祓詞の後半で罪を受け渡していく祓戸の四柱そのもの。拝殿の前では、あとで引く大祓詞の句を思い浮かべながら拝むと、何に向かって手を合わせているのかがはっきりする。社名を大祓詞の佐久那太理という言葉に結びつける説明も、よく見かける。急流の瀬のほとりの社。

初穂料の包み方と、呪詛のことの伝え方

祈祷料は、紅白の蝶結びの水引がついたのし袋に入れるのが一般的だ。表書きは初穂料か御初穂料で、下に自分の名前を書く。中袋には金参千円のように旧字で金額を書く。白い封筒で済ませても失礼にはならない。お札は、肖像が表の上に来る向きでそろえて入れる人が多い。

呪詛のことをどこまで話すかは、自分で決めていい。申込書の願意は厄除けや身体健全にしておき、気がかりがあると口で添えるくらいが話しやすいと思う。神職は、祓の中身を細かく聞き出したりはしない。気楽に頼めばいい。

誰かに呪われていると決めつけて、相手の名前を申込書に書くのはやめておく。祓うのは自分についたものだけで、相手をどうにかする祈祷ではない。

人形を放つ場面に当たる大祓詞の三つの句

陰陽師が河原で読んだ中臣祓は、大祓詞を土台にしていた。今の神社で広く奏上される大祓詞から、人形を水へ放つ動きに重なる句を三つ抜いておく。延喜式の古い形とは言い回しが少し違う。全文を読みたい人は、神社で頒布している大祓詞の冊子を一冊持っておくと、句の切れ目で迷わない。

一つ目の原文は、科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く、朝の御霧夕の御霧を朝風夕風の吹き掃ふ事の如く。読みは、しなどのかぜのあめのやえぐもをふきはなつことのごとく、あしたのみぎりゆうべのみぎりを、あさかぜゆうかぜのふきはらうことのごとく。風が空の厚い雲を吹き払い、朝夕の霧を朝風夕風が払うように、という意味になる。

二つ目の原文は、大津辺に居る大船を舳解き放ち艫解き放ちて大海原に押し放つ事の如く。読みは、おおつべにおるおおふねを、へときはなちともときはなちて、おおうなばらにおしはなつことのごとく。港の大船の舳先と艫の綱を解いて、沖へ押し出すように、という意味だ。

三つ目の原文は、彼方の繁木が本を焼鎌の敏鎌以ちて打ち掃ふ事の如く、遺る罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を。読みは、おちかたのしげきがもとを、やきがまのとがまもちてうちはらうことのごとく、のこるつみはあらじと、はらえたまいきよめたまうことを。遠くの茂みの根元を鋭い鎌で刈り払うように、罪を一つも残さず祓い清めてください、という意味になる。

綱を解いた船は、もう岸には戻らない。湖へ出ていく人形を見送るときには、二つ目の句がいちばんしっくりくる。

罪が呑まれ、吹き放たれ、失われる句で閉じる

水へ送った罪の行き先を書いた句もある。三柱の神が順に受け渡して、最後は消してしまう筋書きだ。呪詛を返したい気持ちがあっても、この詞の中で罪は誰かのもとへ送り返されない。

最初の原文は、此く持ち出で往なば荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百会に坐す速開都比売と云ふ神持ち加加呑みてむ。読みは、かくもちいでいなば、あらしおのしおのやおじの、やしおじのしおのやおあいにます、はやあきつひめというかみ、もちかかのみてむ。潮の流れが集まる渦の奥にいる速開都比売が、罪をがぶりと呑み込む、という意味だ。

続く原文は、此く加加呑みてば気吹戸に坐す気吹戸主と云ふ神根国底国に気吹き放ちてむ。読みは、かくかかのみてば、いぶきどにます、いぶきどぬしというかみ、ねのくにそこのくにに、いぶきはなちてむ。呑まれた罪を、気吹戸主が地の底の国へ吹き放つ、という意味になる。

その次は、此く気吹き放ちてば根国底国に坐す速佐須良比売と云ふ神持ち佐須良ひ失ひてむ。読みは、かくいぶきはなちてば、ねのくにそこのくににます、はやさすらひめというかみ、もちさすらいうしないてむ。根の国の速佐須良比売が、罪をさすらわせて失くしてしまう、という意味だ。

締めの原文は、此く佐須良ひ失ひてば罪と云ふ罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を、天つ神国つ神八百万神等共に聞こし食せと白す。結びの一文。

読みは、かくさすらいうしないてば、つみというつみはあらじと、はらえたまいきよめたまうことを。続けて、あまつかみくにつかみやおよろずのかみたちともに、きこしめせともうす。罪という罪は無くなったと祓い清めてくださることを、天と地の神々みなでお聞き届けください、という意味だ。大祓詞はここで終わる。

家で切った人形は水辺の社へ納める

家で紙の人形を切って撫でた場合、その人形の行き先が問題になる。昔なら河原へ出て水へ放てばよかった。今は紙一枚でも川へ流せば、廃棄物をみだりに捨てたことになりかねない。廃棄物処理法は、何人もみだりに廃棄物を捨ててはならないと定めている。

納め先は、人形流しや大祓をしている社がいちばん確かだ。唐崎のみたらし祭も佐久奈度の御手洗祭も、社で受ける人形を前提にした祭だ。家で切った人形まで預かってもらえるかは、先に電話で聞く。唐崎なら日吉大社の社務所が窓口になる。

本人が行けないときに家族へ託せるかも、あわせて聞いておく。小右記の実資は雨の日に使いを出して河臨祓を済ませた。今の社でも人形だけを持って来てもらう形を受けるかどうかは、社ごとに違うかもしれない。

受けてもらえないと言われたら、その社の人形をもらって撫で直せばいい。手元の人形は、お焚き上げを頼めるかをあわせて相談する。行き場が決まらないときは、近くの神社か寺にお焚き上げを頼めるか聞いてみる。

川へ投げない、相手の名を書かない

撫でた人形を自分で水辺へ持っていって、湖や川へ投げ込むことはしない。平安の河臨祓でも、水へ放つのは陰陽師や使いの役目だった。今その役目を引き受けているのは神職で、唐崎なら祭の夕方に湖へ送ってくれる。

人形に書くのは自分の名前だけ。呪ってきた相手の名を書いた人形は、床下から掘り出された厭物と同じ側の道具になってしまう。呪い返しでも、祓うのは自分の身についたものに限る。

家の中で呪物らしい物を見つけたときも、段取りは同じでいい。平安の貴族は、見つけた厭物を取り除いたうえで陰陽師に祓をさせた。寺社へ持って行って祈祷とお焚き上げを頼む。自分で燃やしたり、排水口や川へ流したりはしない。

夕方まで残れないときと、祭に間に合わなかったとき

唐崎で昼に人形を奉納して、夕方の人形流しまで残れないこともある。それで構わない。奉納した人形は、本祭の日の神事でまとめて湖へ送られる。自分の目で見届けなくても、祓の段取りは途中で切れない。

平安の天皇も、人形が瀬へ流れていくところを見届けてはいない。撫でて息を吹いたら、あとは使いと陰陽師に任せた。見届けたい人は残ればいいし、帰る人は浜を背にして駅へ向かえばいい。どちらでも同じ祓。

茅の輪くぐりの神事の時刻に間に合わなくても、奉納だけで帰って差し支えない。茅の輪は期間中いつでもくぐれるから、別の日に出直せばいい。

祭の期間に間に合わなかったときは、慌てなくていい。唐崎なら祈祷の予約を入れて祓ってもらい、人形は翌年のみたらし祭か、近くの社の大祓の時期に納め直す。受けた神札やお守りは、一年たったら同じ社へ返し、また新しいものを受ける。半年ごと、一年ごとに同じことを繰り返すのが、祓の組み立てそのものだった。

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