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おみくじと絵馬の呪法――凶を吉に転じる結び方と願いを叶える奉納の作法

比叡山の元三大師と百枚の偈文

おみくじの元をたどると、比叡山延暦寺の良源(りょうげん)という僧に行き着く。平安時代に第十八代の天台座主を務め、命日が正月三日だったので元三大師と呼ばれた。角の生えた角大師(つのだいし)や、小さな大師を並べた豆大師の護符は、戸口に貼る魔除けとしていまも知られる。

この大師が観音菩薩に祈って授かったと伝わるのが、偈文(げもん)百枚の元三大師百籤、通称の観音籤だ。一番から百番まで、一枚ごとに五言四句の漢詩が載る。延暦寺の話では、徳川家に仕えた慈眼大師天海が夢のお告げに従い、信州の戸隠神社で百枚を見つけて広めたという。戸隠の社殿に隠してあった観音の百籤、と紹介する寺もある。江戸時代にこれが元三大師百籤の形に整った。

浅草寺は凶が多いことで有名。寺は古来の観音百籤そのままだと答え、江戸時代に取り入れてから手を加えていないという。取材に明かした内訳は、凶が三割、大吉が十七、吉が三十五、半吉が五、小吉が四、末小吉が三、末吉が六だった。足すと百。凶を減らしたり大凶を足したりした社寺もあり、凶はこれ以上悪くならないという意味に取ればいい、と同じ取材で話していた。

神社のおみくじは並びも社ごとにばらばらで、神社本庁は大吉から凶までの並びを一例に挙げるだけだ。大大吉を上に置く社も、凶を入れない寺社も、吉でも凶でもない「平(たいら)」を置く社もあると聞く。物差しは無い。

籤で神意を問うた記録と、和歌のおみくじ

籤は個人の運勢より先に、神意を確かめる道具だった。日本書紀の斉明天皇四年(六五八)十一月の条は、或本の説を載せている。有間皇子が蘇我赤兄らと短籍(ひねりぶみ)を取り、謀反のことを占ったという記事だ。短籍は籤の一種と読まれている。皇子は謀反の疑いで捕らえられ、紀伊の藤白坂で命を落としている。

応永三十五年(一四二八)には、四代将軍足利義持が跡継ぎを決めないまま病に伏した。重臣たちは醍醐寺三宝院の満済の助言を受け、義満の男子四人を候補に立てて、京の南の石清水八幡宮で厳重に籤を引いた。選ばれた青蓮院義円が、のちの六代将軍義教。籤引き将軍と呼ばれた人だ。裁判の判決さえ神慮に委ねることがあった時代らしい。

神社本庁の案内では、祭りに奉仕する頭屋(とうや)などの神役を、神の意向にかなう者が選ばれるよう今も籤で決める例がある。粥占神事や亀卜と同じく、事の始めに神慮を仰ぐやり方として紹介されていた。個人の運勢を占う今の形が見られるのは、江戸時代からだという。

神社の和歌入りおみくじは、山口県周南市の二所山田神社にある女子道社が始めた。明治の宮司宮本重胤が大日本敬神婦人会を作り、明治三十九年(一九〇六)に機関誌『女子道』を出した。始まりは、その資金集め。寺の籤が漢詩を載せるのに対し、歌人でもあった宮本は自ら詠んだ和歌を載せたという。

自動頒布機もこの社の考案だと周南市は紹介している。折りたたみは今も一枚ずつ手作業。全国の六割ほどを作ると伝える記事もある。

鳥居で一揖し、拝礼を済ませてから籤の前に立つ

おみくじも絵馬も、拝んだ後に受ける。三重の頭之宮四方神社は、参拝して神様にご挨拶してから授与所へ向かう順を示している。挨拶より先に籤。これは順が逆だ。

参拝の所作は、府中の大國魂神社の案内がそのまま使える。鳥居をくぐる前に一揖、つまり浅いお辞儀を一回する。参道の真ん中は神さまの通り道なので、そこを避けて歩く。手水舎では両手を清め、口をすすぐ。籤はその後。

拝殿の前では、賽銭を入れてから二拝二拍手一拝で拝礼する。同社によれば、その前後に一揖を足すと、いっそう丁重な作法になる。願い事を抱えて来た日は、こちらで拝むといい。

拝礼のあいだに、籤で何を聞くのかを胸の中で神仏に伝えておく。そのまま授与所か、籤の箱が置かれた場所へ回る。寄り道はしない。ここまでを一続きにしておくと、籤を引く気持ちがぶれにくいかもしれない。

聞きたいことを一つに決めてから筒を取る

おみくじを引く前に、何を聞きたいのかを決めておく。富山市八尾町にある延喜式内の杉原神社は、神様に教えてほしい事柄を祈念しながら筒を振るよう書いている。ぼんやり引くと、読むところも定まらない。問いは一つだけ。

浅草寺は、おみくじは観音さまへの相談なのだから、一つの問いには一度だけ引くものだと参拝者の問いに答えていた。丸亀の妙法寺も、同じ悩みごとなら一日に一回までとする。気に入る結果が出るまで引き直すのは、相談相手の答えを聞き流すのと同じことだ。

寺には唱え言葉を添えるところがある。妙法寺の手順は、如意輪観音の真言を三回唱えてから引き、結果を一つの指針として受け止めるという三段。寺の表記は「オンバラダハンドメウン」で、読みは「おん・ばらだ・はんどめ・うん」。ざっくり言えば、願いを授けてくださる蓮華の尊よ、という呼びかけになる。

神社の案内で、決まった唱え言葉を掲げたものは今回見当たらなかった。心の中で問いを言葉にしてから振れば足りるらしい。杉原神社は、正月に引くなら一年の指針、それ以外の時期なら念じた一点への答えとして受け取るよう分けている。

筒を逆さに持って上下に振り、出た番号を告げる

振り出し式の筒の扱いは、杉原神社の案内がくわしい。神籤筒(みくじつつ)を逆さまにして、穴の開いた底を手のひらに乗せる。そのまままっすぐ上下に振ると、穴から番号を書いた棒が一本出てくる。回すように振るのではない。

出た番号は、忘れないうちに巫女か神職に告げる。同社ではそれで番号の紙を授かる流れだった。祈念しながら振り、出た棒の数字を告げ、紙を受け取るまでが一続きの所作になる。口にするのは数字だけでよく、願いの中身まで言わなくていい。それで足りる。

浅草寺のように、棒の番号の引き出しから自分で紙を取る寺もある。この場合、振り出した棒は備え付けの筺に必ず戻すよう寺ははっきり求めている。戻し忘れると、次の人が困る。自分で取る形でも、番号を確かめてから引き出しを開けるのは同じだ。

振るあいだは、さっき決めた問いを胸の中で繰り返しておく。杉原神社が祈念しながら振ると書くのは、この場面のこと。棒が出たら筒を元の向きに戻して置く。これで一回分。

吉凶の字より先に、念じた項目と歌を読む

紙を開いたら、大吉か凶かの一字で終わらせない。神社本庁は結び所に結ぶ習わしに触れつつ、中身をこれからの生活の指針にすることを何より大事だとしている。和歌や漢詩から、願望、待ち人、失せ物と並ぶ項目まで目を通す。歌は飛ばさない。

読む順は、引いた時期で変えるのが杉原神社のやり方だ。正月なら全体をその年一年の指針として読み、正月以外の時期なら、筒を振るときに念じた項目だけを確かめる。聞いていない項目の良し悪しに、振り回されずに済むわけだ。

寺の観音籤は、番号と五言四句の偈文が一組になっている。延暦寺では、この番号と偈文から的確な指針を得るものとして広まったと話していた。詩の四句を先に読み、そのあと下の解説と項目へ降りていけば、寺が想定した順になる。

凶が出たときの読み方も、寺社がそれぞれ示している。浅草寺は、辛抱強さをもって誠実に過ごせば吉に転じると書く。杉原神社は、行動を慎重に、何事も控えめにせよという合図だと説き、そうすれば難を逃れられるとした。妙法寺は、吉で慢心すれば凶になり、凶でも己を省みて進めば吉になると教えている。凶の一字だけで、その年の全部を決めつけなくていい。

結ぶなら結び所へ、境内の木には結ばない

結ぶと決めたら、境内の「おみくじ結び所」を探す。東京府中の大國魂神社は、境内の木々はすべて御神木なので、枝を避けて社が設けた結び所へ結ぶよう頼んでいる。浅草寺も、凶が出た人は所定の場所に結んでご縁つなぎをするよう案内していた。

どこでも同じではない。妙法寺は吉凶を問わず境内の木の枝に結んでもよいとし、杉原神社は反対に、木に結ばず大切に持ち帰れと書く。枝に結んで産霊神(むすびのかみ)の力を得て、吉なら成就させ凶なら祓うという考えを、同社は誤った慣行と見ている。迷ったら、その場の案内札に従い、札が無ければ授与所で聞けば済む。

大國魂神社の説明では、結ぶのは木々のみなぎる生命力にあやかり、願い事がしっかり結ばれるよう祈る意味だという。紙を細く折り、結び所の紐に巻いて結び目を一つ作る。強く引くと破れる。そっとでいい。

凶のときは利き手と反対の手だけで結ぶとよい、という言い伝えもあちこちで聞く。不便な片手で結ぶことで、困難を越える気持ちを示すのだという。寺社の案内に書かれた作法ではないので、やるかどうかは好みでいい。

持ち帰った籤は財布か神棚に置き、一年で納める

持ち帰るのも、はっきり認められたやり方だ。神社本庁は持ち帰っても差し支えないとし、妙法寺も読み直したり手元に残したりして全くかまわないと書く。元三大師堂の僧侶も、持って帰って時々見返すのがよいと話していた。すぐその通りに動けという教えでもないそうだ。

置き場所の目安は、杉原神社の案内にある。財布や定期入れに入れて一年間持ち、たびたび読み返して参考にする。大國魂神社と杉並の阿佐ヶ谷神明宮の勧めは、少し違う。心願がかなうまで教訓を戒めとして持ち歩き、そののち神社へお礼を込めて納めるという。期限は一年でなく、願いが届くまで。

納めるときは、お札やお守りと一緒に社寺の古札納所へ入れる人もいる。東京の小平神明宮は、古いお札やお守りは受けた神社へ返すのが基本とし、お寺や他の宗教のものは受け付けていない。寺で引いた観音籤は寺へ、神社の籤は神社へ返すのが筋だろう。混ぜないこと。

時期は、北海道神社庁の案内が参考になる。古い神札やお守りは、年末から正月十五日頃にかけて氏神へ納め、どんど焼きで松飾りと一緒にお焚き上げしてもらう。転居や神棚をやめるときのように正月以外に納めるなら、社務所に申し出て玉串料を添えるよう同庁は書く。包み紙やビニール袋は持ち帰るよう、小平神明宮は求めていた。

元三大師堂で、僧侶に籤を引いてもらう

比叡山横川の元三大師堂(四季講堂)は、おみくじ発祥の地として知られる。この堂では自分で籤を引かない。電話で申し込み、予約した時間に堂へ行く。最初に、相談したい迷いや悩みごとを紙に詳しく書く。

その紙をもとに僧侶が面談し、そもそもおみくじを引いたほうがよいかどうかを、話を聞きながら判断する。引くと決まれば僧侶がお経を唱え、本人に代わって籤を引く。部屋に移り、お大師さまの答えとして中身の解説を受ける。数十分はかかるらしい。急ぐ日には向かない。

渡される籤には、漢文と絵、それに解説が載っている。僧侶は番号と偈文に相談の中身をつき合わせ、ひとつずつ読み解いていく。吉凶だけ知りたい人には向かない場だと、紹介する記事も念を押していた。

持って帰った籤は、時々見返すのがよいと寺は話している。予約の電話では、所要時間や納める額もあわせて聞いておくと当日慌てない。運試しより、迷いを解くための籤だと思って行くのがいい。

凶が気にかかるなら、元三大師堂の護摩祈願を頼む

凶を引いても、落ち込む必要はない。大國魂神社は、凶とは占ったことが吉よりも勢いの無いことを示すものだと、あっさり説明している。そのうえで、神さまにご守護をお願いし、自分でも注意して、何事も今まで以上に努力するよう勧めていた。

加護を形にして受けたいなら、祈願を頼む道がある。元三大師を祀る東京の深大寺では、元三大師堂で毎日護摩祈願を行っている。同寺は元三大師みくじや、角大師と豆大師の護符も授けている。籤と祈願を同じ大師に頼めるわけだ。

申し込みは、元三大師堂の受付で祈願料を納める形。受付は各回の開始の十五分前までで、平日は十一時と十四時、土日祝は十一時、十三時、十四時の回がある。所要時間は二十分ほど。申込用紙の控えを受け取り、堂内で祈願を受ける。

祈願料は三千円、五千円、一万円、二万円以上と分かれ、授かる護摩札の大きさが三十六センチから五十二センチまで変わる。どの札にも元三大師のお姿を印したお札が添えられる。郵送なら堂へ行けなくても、元三大師のお姿を印したお札と護摩札の両方が家に届く。寺のサイトからお札配送用の申込用紙を刷り、現金書留で祈願料と送料八百円を送る。宛先は調布市深大寺元町の深大寺祈願受付係で、三日から七日ほどで札が届くという。

生きた馬から板立馬へ、絵馬の生まれ

絵馬の始まりは、神へ生きた馬を納めた習わしだ。よく引かれるのは続日本紀の天平宝字七年(七六三)五月二十八日の条。日照り続きで畿内四か国の神々に幣帛を奉り、吉野の丹生川上神社には黒馬も加えたとある。雨乞いの馬だ。同社によれば、応仁の乱の頃までに雨乞いの祈願は九十六回を数えた。

雨を乞うなら黒馬、長雨をやめてほしいなら白馬か赤馬を奉った。京都の貴船神社は、平安時代に歴代天皇の勅使が雨乞いや晴れ乞いを祈った社。ここでも日照りには黒馬、長雨には白馬を納めたと伝える。本宮の社殿前には白と黒の馬の像と、絵馬発祥の社と書いた駒札が立つ。

生きた馬をそろえるのは重い負担で、やがて木や土の馬形、板の絵へ代わっていく。その一つが、馬の形の板に色をつけた板立馬(いたたてうま)だ。貴船神社の碑は平安時代の『類聚符宣抄』を引き、これを今日の絵馬の原形と見ている。三重県明和町の斎宮跡では飛鳥時代後半から平安時代前半の土馬が多く出て、全国一の大きさとされるものもある。静岡県浜松市の伊場遺跡からは、奈良時代の馬の板絵がまとまって出た。

平安時代の末から鎌倉時代にかけて、『年中行事絵巻』や『一遍聖絵』に絵馬を納める場面が描かれた。室町時代の中頃からは、額仕立ての大絵馬が増えていく。近世の初めに大絵馬と小絵馬の二つの流れに分かれた、と神奈川県立歴史博物館は説明している。

京都の清水寺には、天正二十年(一五九二)の奉納銘がある長谷川久蔵筆とされる「朝比奈草摺曳図」が残る。寛永六年(一六二九)に旧本堂が焼けたとき、ただ一点焼け残った。運の強い一枚。京都市内の社寺に残る大絵馬では最古で、重要文化財。

同じ寺には、朱印船の末吉船や角倉船を描いた渡海船額も四面伝わる。朱印船は、江戸時代の初めに海外と行き来した船。大坂や京の豪商が、渡海の無事を願って掛けたと見られている。

山口県萩市須佐の宝泉寺と、その鎮守の黄帝社には船絵馬四十九点が納められ、まとめて国の文化財に指定された。いちばん古いのは享和四年(一八〇四)のもの。海の安全を願う絵馬と、遭難から救われたお礼の絵馬に分かれる。

図柄で願いを分けた小絵馬

図柄は時代が下ると馬に限らなくなり、狐や鳥居、干支の動物、社寺ゆかりの絵が加わった。江戸時代には手軽な小絵馬がたくさん作られ、絵馬師が描いたものを絵馬屋で買って納めるのがふつうになった。描き手は提灯屋や凧屋、傘屋の兼業が多かったらしい。江戸川区の上一色天祖神社には、文政十三年(一八三〇)から明治の中頃までの絵馬が残る。

神奈川県立歴史博物館の小絵馬では、向い目や八つ目が眼病平癒、鶏が夜泣き封じ、乳しぼりが母乳の出を願うもの。鳩は手足のまめ、重ね餅は夫婦円満や子授けにあてられた。子を抱いた女性が拝む図は子授けや安産のお礼で、盃やサイコロに錠をかけた図は、酒と賭け事を断つ誓い。

稲荷社には正月や初午に向い狐を納め、五穀豊穣や商売繁盛を願った。眼病の絵馬が集まった寺として、同館は川崎市宮前区の影向寺と麻生区長尾の等覚院を挙げる。東松山の妙安寺境内の上岡観音には、馬の無事を願う絵馬が納められてきた。座間市入谷の護王姫社では、五千三十二点のうち四千六百一点が女拝みの図だったという。

福岡市博物館の展示では、向かい合う「め」の字で病んだ目を表す絵馬や、鎌を交差させた疱瘡除けの絵馬が並んだ。疱瘡を「くさ」と読み、牛が草をはむ図にしたものもある。博多ではオコゼの絵馬が風邪直しに使われ、京都の三島神社は鰻、今熊野神社は飛び魚を描く。

太宰府天満宮や北野天満宮は牛、安産で知られる社はお産が軽く子だくさんの犬がおなじみで、学業成就の下駄形もあるという。頭痛封じや腰痛封じなど、病を封じる絵馬を置く寺社もある。アニメの舞台になった神社には、登場人物を描いた絵馬がどっさり掛かる。

授与所で絵馬を受け、絵の無い裏に願いを書く

絵馬は、参拝を済ませてから受ける。三重の頭之宮四方神社が示す順はこうだ。参拝して神様にご挨拶し、授与所で絵馬を受け、決められた場所で書き、奉納場所に掛ける。先に拝んでおくのが礼儀らしい。

書くのは、絵の描かれていない裏面。同社は油性ペンを使う人が多いとし、前橋の産泰神社も油性ペンを勧める。縦書きでも横書きでもいい。字は丁寧に。雨に当たる場所に掛けるので、にじまない筆記具を選んでおく。

中身の決まりは、社によって少し違う。頭之宮四方神社は、あいまいな書き方を避けて明確な意思を書き記し、願いは一枚に一つだけに絞るよう勧めている。産泰神社は「安産祈願」と短く書くだけでも、「安産祈願、予定日〇月〇日」と詳しく書いてもいいとする。一枚に願いをいくつ書いてもかまわない。代わりの人が書いても問題ないそうだ。

参拝日は「令和〇年〇月〇日」と入れる。頭之宮四方神社は、絵柄のある表側に神仏への「奉納」であることを書くよう案内している。名前や住所、年齢は必須でなく、大勢の目に触れるので、イニシャルや下の名前だけでいい。個人情報を隠すステッカーを使う手もある。

神主の答えも、社ごとに割れる。参拝情報サイトのホトカミが、三社の神主に聞いている。神奈川の御嶽神社は縦書きが多いと答え、広島の宮崎神社は縦書きだと言い切った。願いの形は、長野の神社と御嶽神社が「しますように」で結ぶ書き方を勧めた。宮崎神社は感謝、願い、誓いの形になっていればなおよいと話している。

名前の扱いも、三社で違った。長野の神社はできるだけ全部書くのがよいがイニシャルでもいいとし、宮崎神社は名前ぐらいは書いてほしいと答えた。願いが二つあるとき、長野と宮崎は一枚でかまわないとし、御嶽神社は祈願ごとに分けたほうが望ましいとする。いくつもの神社に奉納するのは、三社とも問題なしだった。

願いの面を手前にして絵馬掛けへ吊るす

書き終えたら、境内の絵馬掛けと呼ばれる台に吊るす。頭之宮四方神社は、絵柄の面を向けるのでなく、願い事を書いた裏側を手前にして掛けるのが本来の作法だとしている。掛ける場所は社ごとに決まっている。絵馬掛けの前に案内の札があれば、先にそれを読んでから掛ければ間違いが無い。

持ち帰ってもかまわない。産泰神社は、その場合は一緒にいただいたお神札などと並べて、家の神棚にお供えするよう案内している。神棚が無ければ、目線より高い清潔な場所に祀ればいい。

ただし、持ち帰りを嫌う社もある。ホトカミの取材で、宮崎神社の神主は奉納という形なので持ち帰らないでほしいと答えた。御嶽神社も、記念に持ち帰るのはいいが、願い事を書いたものを持ち帰っては意味が無いと話している。長野の神社は、持ち帰って家の神棚に納めてもよいとした。飾る場所は、神棚、床の間、目線より高いところと答えが並んだ。

産泰神社は、返納の時期も示している。願いが叶ったとき、あるいは祀って一年たったら、神社へ納める。受けた社へ直接持っていき、授与所か古札納所へ出すのが確かだ。お礼の一言も添えて。

持ち帰った絵馬と籤は、明るく高い所に祀って拝む

家に持ち帰った絵馬や籤を置くなら、神棚の条件が目安になる。北海道神社庁の案内では、何よりもまず、その場所が清浄であること。明るく静かな部屋の高い所で、供え物や参拝がしやすい場所がよいという。

避けたいのは、階段の下、人が下を通る部屋の出入り口、上の階が台所や浴室、手洗い、廊下になる所。アパートやマンションは、一戸を独立した家屋と考えていいそうだ。上の階が気になるなら、宮形の上に「雲」「天」「空」と墨書して貼ることもある。

向きは南、東、南東が最適だという。陽の光が充分にあたるように、という理由だった。適当な場所がなければ、方角にこだわらなくていい。壁に釘がきかなければ、本棚などの上に台を置いて祀ってかまわないとも書かれていた。

拝むときの所作も、同庁の案内にある。神前で軽く一礼し、九十度に身体を折る深い礼を二回。胸の高さで手を合わせ、右手を少し引いて拍手を二度打つ。もう一度手を合わせて祈念をこめ、深い礼を一回して、最後に軽く一礼して下がる。

叶ったらお礼参りをし、お礼の絵馬を掛ける

願いが叶ったら、お礼参りに行く。頭之宮四方神社は遅くとも一年以内を目安とし、感謝の参拝をするか、絵馬で報告するよう書いている。受験の結果が出たら、その足で行ける日取りを決めておくといい。先延ばしは禁物。遅くとも一年以内という目安なら、叶った報告は翌年の同じ頃までに済ませておく勘定になる。

もっと丁寧にしたいなら、お礼参りのご祈祷を受ける手がある、と産泰神社は勧める。社務所で申し込み、初穂料は社の定めに従って包む。額は社ごとに違う。お礼の絵馬には、叶ったことへの感謝を書けばいい。

お礼の絵馬は、昔からあった形だ。萩の須佐の船絵馬には遭難から救われたお礼の絵馬が混じり、神奈川の小絵馬にも安産のお礼の図があった。願いを掛けた社へ、結果を知らせに戻る。北海道神社庁も、神札はできるだけ受けた神社へ納め、一年の加護に御礼の参拝をするよう勧めていた。

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