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リュウ博士が指南!「お礼参り」の心得と金運アップの秘訣

「成功している人は、なぜ神社に行くのか?」という本が27万部を超えて売れた。書いたのは社会心理学者の八木龍平さん、通称リュウ博士だ。北陸先端科学技術大学院大学で博士号を取った人で、神社参拝を行動経済学や社会心理学と結びつけて読み解くのが持ち味らしい。元の記事は、その著作をもとに「お礼参り」と金運の話をまとめた内容だった。

浮かれすぎもケガレのうち

ケガレは「気が枯れる」ことだ、と記事は説明する。落ち込んだときだけの話じゃない。大金が入って舞い上がった高ぶりも、失敗したあとの落胆も、心のバランスを崩したケガレとして扱っていた。お礼参りはその浮かれを冷まし、罪悪感を軽くして、事実をそのまま見る力を上げる、という理屈になる。勝って兜の緒を締める、に近い発想だ。

行動経済学から見た金運アップ術

記事が引いていたのは、ダニエル・カーネマンがエイモス・トベルスキーと1979年に発表した「プロスペクト理論」だった。人は得をする喜びより損を避けたい気持ちのほうがずっと強く、そのせいでお金の判断が妙にゆがむ。カーネマンは2002年にノーベル経済学賞を受けている。自分のお金の判断は当てにならないと自覚することが失敗を防ぐ鍵だ、と記事は話を進めていた。

「高級住宅街の社寺」という視点

「高級住宅街の社寺には成功者が参拝しており、その知恵やセンスをダウンロードできる」という発想もおもしろい。成功した人が集まる場に身を置けば、超常的な力の話を持ち出すまでもなく、自然と学ぶものがある。それを比喩で「ご利益」と呼んでいる、と取ることもできる。誰と接し、どんな環境にいるかで意思決定が変わるのは、社会心理学ではよく知られた話らしい。

頼みっぱなしにしない習慣

日本の神社参拝では、昔から「祈願」と「お礼参り」がひと組だった。いまは頼むだけ頼んで、報告もお礼もしないまま終わる人がけっこういる。記事が勧めるお礼参りは、心理学でいう「感謝の実践」とよく重なる。感謝を習慣にするとストレスが減り、判断の質も上がるという研究もいくつか出ている。

賽銭の「賽」はもともとお礼の字

賽銭箱の「賽」の字、じつはお礼の意味だった。東京都神社庁の説明だと、賽銭はもともと、お礼参りで「報賽」として納めたお金を指していた。それがふだんの参拝のお金全般へ広がったという。

お金の前は米。神社本庁によれば米は神前の特別な供え物で、白い紙でひねった「おひねり」もそこから生まれた。地鎮祭の散米にもこの形が残り、賽銭箱へ米を入れていく人もいる。

神社本庁は、賽銭に決まった額はなく、額や語呂合わせより気持ちを込めることが大事だとしている。五円で「ご縁」は参拝者の遊びに近い。箱の上からそっと落とすのが丁寧な入れ方だ。

辞書は、願いがかなって礼参りをすることを「願解き」と書き、読みは「がんほどき」。「かえりもうし」「還願」とも言い、願を立てる「立願」と対になる。願は立てたら解くもの、という筋道だ。

絵馬も礼とつながる。昔は生きた馬を納め、用意できない人は木や紙、土の馬で代えた。京都の貴船神社には、平安時代に朝廷の使いが日照りなら黒い馬、長雨なら白い馬を納めて雨を祈ったという話が伝わる。江戸時代には商人や船主が商売繁盛や航海の無事のお礼に大きな絵馬を納め、絵馬堂を持つ寺社も増えた。古い絵馬堂には、奉納した年と屋号の入った板がずらりと並ぶ。

断ち物を解く、江戸の願掛けの後始末

江戸の町では、茶や塩、酒を断つ代わりに願いを聞いてもらう「断ち物」がごく普通の祈り方だった。願いの種類ごとに寺社や石仏を並べた案内本まで、江戸後期には出回っていた。名高いのは春日局。徳川家光が疱瘡にかかったとき、生涯薬を断つと誓って回復を祈った話がよく知られている。

願いがかなったら神仏の前へ行き、断っていたものを解く。これが願解きの中身だった。お百度も同じで、境内の百度石と拝殿のあいだを百回往復し、数取りで数えて通った願は、満願で報告に行って区切りをつけた。夜明け前にはだしで回る人もいたらしい。

願解きを「祈願に対する神仏のはたらきを止めてもらうこと」と説明する寺もある。その住職は、願を乱発してどこに礼を言えばいいか分からなくなるのはやめたほうがいい、とも書いていた。形に残るお礼の代表が、京都の伏見稲荷大社の千本鳥居だ。大社の説明では、祈りと感謝を鳥居の奉納で表す信仰が江戸時代に起こり、いまの千本鳥居になった。柱の裏には奉納者の名と年月が墨で入っている。

神社へお礼に行く日の段取り

時期の目安は、願いがかなってからなるべく早く、遅くとも一年以内。茨城の村松山虚空蔵堂は、合格祈願なら合格発表から一年以内、厄除けなら祈祷から一年後の節目を目安に挙げていた。金運の願いなら、まとまったお金が入った節目か、商売なら決算を締めたあとに行くと区切りがいい。旅先で願ったなら、次にその土地を訪ねる日を目安にしてもいい。

服は派手すぎなければ普段着でいい。昇殿して祈祷を受けるなら、襟のある服にしておくと安心だ。財布には、あとで書く初穂料とは別に、賽銭用の小銭を用意しておく。露出の多い服やサンダル履きだと昇殿を断る社もあるので、迷ったら靴と上着で行けば困らない。

鳥居の前で立ち止まって軽く一礼する。参道の真ん中は神さまの通り道と言うので、端を歩く。手水舎では柄杓で水を取り、左手、右手の順にかけ、左の手のひらに水を受けて口をすすぐ。もう一度左手を流し、柄杓を立てて残りの水で柄を洗って戻す。

拝殿に着いたら賽銭をそっと入れ、鈴があれば鳴らす。二回深く頭を下げ、胸の前で二回手を打ち、手を合わせたまま心の中で報告をする。住所と名前を名乗り、いつ何を願ったか、それがどうかなったかを具体的に伝えて礼を言う。しめくくりにもう一回深く頭を下げる。何か所にも願を掛けていたなら、全部に礼を言いに回る。

報告のあとに唱える言葉を探しているなら、神社でよく教わる略拝詞がちょうどいい。原文は「祓へ給へ清め給へ守り給へ幸へ給へ」。読みは、はらえたまえ、きよめたまえ、まもりたまえ、さきわえたまえ。罪やけがれを祓い清め、お守りくださり、幸いをお与えください、というほどの意味になる。

社務所でお礼の祈祷を頼むなら

きちんと形にしたいなら、社務所で「お礼参りの祈祷をお願いしたい」と伝えればいい。社によって呼び方は違い、御礼の奉告祭として受ける所もある。申込用紙に名前と住所、願いがかなったお礼である旨を書き、初穂料を納める。受付で何のお礼かを聞かれるので、いつどんな願いを立てたかを一言で言えるようにしておくと慌てない。

呼ばれて昇殿したら、神職がお祓いをしてくれるので、そのあいだは頭を下げたまま待つ。祝詞の奏上が始まっても同じ姿勢でいい。祝詞は社ごとに文言が違うので、こちらは黙って聞くだけだ。神職が名前と住所を読み上げてくれたら、そこで心の中でもう一度お礼を言っておくといい。

玉串拝礼のやり方は覚えておくと慌てない。神職から玉串を受け取ったら、右手で根元を上から持ち、左手で葉先を下から支える。神前の台の前で一礼し、玉串を時計回りに回して根元を神さまのほうへ向け、そっと置く。向きは根元が神前。置いたら二拝二拍手一拝をして、下がりぎわにもう一度軽く礼をする。

終わるとお札やお下がりの品を渡される社が多く、受けたお札は神棚か、目線より高い清潔な場所に南か東向きで祀る。願いをかけたときの古いお札があれば、この日に一緒に返納しておくと話が早い。お下がりは家で分ける。

寺でのお礼参りは手を打たない

寺の場合も流れは近いが、違いがいくつかある。山門の前で一礼し、敷居は踏まずにまたいで入る。手水の作法は神社と同じでいい。常香炉があれば、煙を手であおいで体の悪いところや頭に浴びる。

ろうそくと線香を供える寺では、自分で火をつける。ほかの人のろうそくから火をもらわない、という作法を教える寺もあった。線香の火は手であおいで消す。口で吹かないこと。線香は香炉に立てるか寝かせるか、宗派や寺で違うので、ほかの人のやり方を見て合わせればいい。

本堂の前では賽銭を入れ、鰐口があれば鳴らしてから合掌する。拍手はなし。胸の前で静かに手を合わせ、神社と同じように名乗って、何がかなったかを報告して礼を言う。

唱える言葉は、本尊の真言か「南無」に続けて本尊の名を三回。金運で世話になりやすい仏さまなら、大黒天は「オン・マカキャラヤ・ソワカ」。弁才天は「オン・ソラソバテイエイ・ソワカ」、毘沙門天なら「オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ」になる。オンは真言の頭に置く聖なる音、ソワカは「成就あれ」というほどの結びで、あいだに尊の名が入る形だ。

真言を知らない仏さまなら、般若心経を一巻唱えても失礼にはあたらない。経本が手元になければ、本尊の名に南無をつけて三回で十分だ。声は小さくていい。

祈祷を受けた寺なら、授与所か寺務所で「お礼参りに来た」と告げる。古い祈願札や御守は納札所に納めればお焚き上げしてもらえる。神社のお札を寺の納札所に入れるのは筋違いなので、ここだけは取り違えないように。お礼の祈祷をあらためて頼める寺もあるので、そこで聞いてみてほしい。

初穂料の包み方とお礼の品

神社へのお金は、白封筒かのし袋に入れる。水引は紅白の蝶結び。筆ペンがあれば上等。蝶結びは何度でも結び直せるので、繰り返してもいいお祝いごとに使う結び方だ。表書きは上の段に「初穂料」、下の段に名前をフルネームで書く。

神社本庁は表書きとして「初穂料」のほか、「御神前」「御供」「玉串料」「御榊料」「上」「奉献」「奉納」を挙げていた。初穂料は、その年に初めて取れた稲穂を神さまに供えたことに由来する言葉になる。寺へのお礼なら「御礼」か「御布施」と書くのが通りがいい。

金額は社寺ごとに決まっていることが多いので、受付で聞くのが早い。決まりがなければ、願ったときの祈祷料と同じくらいを目安にすれば外れない。新札でなくてもかまわないが、折れや汚れの目立つお札は避けたほうが気持ちがいい。中袋があれば表に「金壱萬円」のような大字で金額を書き、裏に住所と名前を入れる。

品物で礼をするなら昔からの定番は酒、米、餅で、お礼参りに酒二升、餅二升、米二升の奉納を勧める寺もある。二升は「升升」で「ますます」と読める語呂から、商売の縁起物に好まれてきた。神社へ酒を納めるときは、のしに「奉献」か「奉納」と書いて名前を添える。持っていく前に、社務所へ受け付けているか電話しておくと確実だ。

もっと大きな礼として、鳥居や灯籠、提灯、のぼりを奉納する形もある。稲荷社の赤いのぼりや、商店の名が入った提灯が並んでいるのは、たいていこの手の礼の跡だ。絵馬を一枚納めて、願いがかなったことを書く人もいる。表に「成就御礼」か「御礼」と書き、何がかなったかと日付を添える。名前は下の名前だけでも通じる。

叶わなかったときも足を運ぶ

願いが通らなかったとき、お礼参りに行くかどうかで迷う人は多い。行っていい。行ったほうがいい、と話す社寺のほうが目立つ。村松山虚空蔵堂も、大事なのは願いがかなったかどうかより感謝を伝えることだ、と書いていた。

報告の中身は正直でいい。言い訳は要らない。受験に落ちた、売上が伸びなかった、と事実を伝え、それでも無事に過ごせたことに礼を言う。神仏は結果だけでなく、その間ずっと気にかけてもらったことへの礼を受ける相手だ、と考えれば足も向きやすい。その場で次の願いを重ねるのは控えて、別の日にあらためて願を立てる、という考え方もある。

受けていたお札やお守りは、このときに返す。北海道神社庁によれば、古い神札は年末から正月十五日ごろにかけて氏神さまに納めるのが習わしだった。どこの神社の札でも納められるが、遠方でなければ、できるだけ受けた神社へ返すよう勧めている。寺のものは寺へ返すのが筋になる。

一年たっても願いの途中なら、お札を新しくして祈願を続けてもいい。産泰神社の神職は、お守りに期限はないが一年を目安に返すもので、願いがかなった段階で返してもかまわないと説明していた。小正月のどんど焼きや左義長で燃やす地域もある。

願いそのものを取り下げたいときも、同じように報告に行く。黙って放り出さない。事情が変わってもう望まなくなった、と正直に伝えて、立てた願を解いてもらう。断ち物をしていたなら、そこで解いてかまわない。

遠くて行けない場合は、初穂料を現金書留で送ればお礼の祈祷をしてくれる社寺もある。電話で先に受け付けているか確かめ、手紙に願いの内容とお礼の言葉を書いて同封する。文面は短くていい。

返すお札とお守りを仕分けて納め所へ持っていく

返納の日取りは、神社本庁の案内だと年末が基本になる。一年祀ったお神札は年末に神社へ納めてお焚き上げしてもらい、新年に向けて新しいお神札を受ける。お守りも同じ扱いだった。ただしお守りは身につけて加護をいただくもので、願いがかなうまで持ち続けてもいい、とも書いてある。金運の願いがかなったなら、その日が返しどきだ。

家を出る前に、返す物を並べて仕分ける。神社のお札とお守り、寺の札と御守、それから熊手や笹のような縁起物。神田明神では紙製や木製など燃やして差し支えない物をお焚き上げで預かり、人形や達磨は受けていなかった。受ける物は社ごとに違う。燃えにくそうな物がまじるなら、先に電話で聞いておく。

持っていく先は、受けた神社がいちばん。東京都神社庁は、受けた神社が遠ければ近くの神社に納めてかまわないとしている。集まったお札やお守りは浄火で焼き、一月のどんど焼で焚き上げる社もあった。神田明神も、受けた社へ返すのが基本としたうえで、難しければ郵送や近所の神社での返納ができる場合があると案内している。

納め所の前では、箱へ入れる前に軽く一礼する。お世話になりました、と心の中で言えば十分だ。返し終えたら拝殿へ回って報告をする。

新しいお札を受けるなら、そのあとで授与所へ寄ればいい。飛び込みで構わない。前の物を返してから新しい物を受ける。守るのはこの順番だけでいい。

忌中と神棚、参る前に気をつけたいこと

身内に不幸があった直後は、神社へのお礼参りを先に延ばす。神道では死のけがれを避けるので、忌中のあいだは鳥居をくぐらないのが昔からの決まりだ。目安は五十日。寺にはこの縛りがなく、仏さまへのお礼なら忌中でも参ってかまわない。

願いが一つかなった勢いで、その場で次の願いを三つも四つも重ねる人がいる。気持ちは分かるけど、お礼の日はお礼に徹したほうが筋が通る。お札やお守りを引き出しに放り込んで忘れるのも、粗末な扱いとして嫌われてきた。

家に神棚がある人は、神社へ行く前の朝に神棚で報告しておくといい。供えるのは米、塩、水。毎月一日と十五日には酒と榊も新しくするのが習わしで、お礼参りの日をそこに合わせると段取りが楽になる。水は毎朝替えるのが理想で、榊は枯れたら月の途中でも取り替え、難しければ一日と十五日だけは欠かさない。

二拝二拍手一拝で報告を済ませたら、下げた米や酒は家族でいただく。神さまのお下がりを口にする直会の考え方で、これも礼のうちになる。お神酒は料理に使ってもいい。

銭洗弁財天で銭を洗う手順

金運の作法で名高いのが、鎌倉の銭洗弁財天宇賀福神社の銭洗いだ。社の由緒では、文治元年、1185年の巳の月巳の日巳の刻に、源頼朝の夢に宇賀神が現れた。この地に湧く水で神仏を供養すれば天下が治まる、と告げたのが始まりだった。

銭を洗う風習は、もっとあとの話。正嘉元年、1257年に北条時頼がこの霊水で銭を洗い、一族の繁栄を祈ったのが最初と伝わる。明治の神仏分離のあとは祭神を市杵島姫命とし、1970年に末社から独立した。

手順はこうなる。トンネル状の参道をくぐって境内に入り、手水舎で手と口を清めたら、社務所でろうそくと線香を受けてざるを借りる。線香は一束。ろうそくに火をともし、線香を供えたら、本社に参って手を合わせる。

奥宮の洞窟に入ったら、湧き水をひしゃくですくい、ざるに入れたお金にかける。硬貨はざるを軽く揺すって全体に水を回す。紙幣はちょっと濡らす程度でいい。洗い終えたら奥宮にも手を合わせ、ざるを返す。

洗ったお金は使う派と取っておく派に分かれるが、使ったほうがご利益がある、という話が広く伝わる。濡れた硬貨を券売機や自動販売機に入れると詰まるので、よく乾かしてから店で使う。巳の日は参拝者が一気に増える。狙い目は平日の朝。

洗ったお金の一部を使わずに財布の奥へしまい、種銭として持ち歩く人もいる。白蛇を弁才天の使いと見て、蛇の抜け殻を財布に入れておく習わしも各地で聞く。どちらも神社が決めた作法というより、参拝者のあいだで広まった縁起かつぎに近い。

鎌倉では銭洗いと合わせて、近くの佐助稲荷神社に参っていく人も多い。伊豆にいた頼朝の夢に稲荷の神が現れて挙兵を促した、という縁起を持つ社だ。佐殿を助けたから佐助と呼ぶと伝わり、出世や商売の祈願で名が通っている。

金持神社と御金神社、金運の社で祈祷を頼む

金運の名を持つ社で祈祷まで受けるなら、段取りは社ごとに違う。鳥取県日野町の金持神社は、祈願が完全予約制だ。電話で申し込み、予約が詰まっていると受けてもらえないこともあるという。初穂料は一件につき五千円以上。祈願の種類には金運招福や商売繁盛と並んで、財布祈願と財布御祓が入っている。

お礼参りで行くなら、予約の電話で「前に祈願した件のお礼」と伝えておくと話が早い。財布を新しくした人は、その財布を持って行って御祓を受けるのも手だ。授与所は午前十時から午後四時。御朱印の手書きは土日祝を除く午前十時から正午までで、書き置きになる日もある。

京都の御金神社は、社務所も授与所も午前十時から午後四時まで開いている。財布に入れるお宝小判守はストラップの形になっておらず、封を開けずに持つよう勧めていた。授与品はネットで扱っていないので、よそで出回っている物には気をつけて、と社自身が書いている。御朱印は書き置きだけ。古い御札や御守は一年たったらどこの神社へ返してもよく、集まった物は節分祭でお祓いをして焼くそうだ。

東京の日本橋小網町にある小網神社にも、銭洗いの井がある。鎌倉まで行かなくていい。本殿の左手。社の案内では、ここで金銭を清めて財布などに収めておくと財運を授かるとされる。

祀られている萬福舟乗弁財天は舟に乗った姿の像だ。明治二年、1869年の神仏分離で小網山稲荷院萬福寿寺から移された。近年は「東京銭洗い弁天」の名で参る人が増えたらしい。

巳の日、甲子、寅の日に参る暦

金運の祈願には、昔から決まった日取りがあった。狙うなら縁日。縁日には寺社の側でも法要や祈祷を組むことが多く、ふだんより人も授与品もぐっと増える。弁才天は巳の日が縁日で十二日に一度めぐり、なかでも六十日に一度の己巳の日がとくに重んじられてきた。

大黒天の縁日は甲子の日。これも六十日に一度めぐってくる。横浜の孝道山では、甲子の日は物事の始まりの日として吉日とし、法要を開いている。昔は甲子の晩に大黒天を祀って夜遅くまで起きている「甲子待ち」という行事もあった。

毘沙門天なら寅の日。京都の鞍馬寺では、鞍馬山に毘沙門天が現れたのが寅の月、寅の日、寅の刻だったと伝わり、正月の初寅大祭に福を求める人が集まる。福かきや大福餅を授かって帰るのが通例になっていた。

暦の選日では、一粒の籾が万倍に実るという一粒万倍日も、財布の新調や口座開設に選ばれてきた。年に五、六回しかめぐらない天赦日は、暦の上でいちばんの吉日として扱われる。お礼参りの日取りに迷ったら、世話になった仏さまの縁日に合わせると、報告と次の祈願を同じ日に済ませやすい。

熊手と福笹、商人が毎年やってきたこと

東京の商人が毎年欠かさなかったのが、十一月の酉の市だ。浅草の鷲神社をはじめ、鷲や大鳥の名がつく社で開かれる。威勢のいい手締めの音が夜まで響く。飾りはお多福に千両箱、大判小判。縁起熊手は福をかき込む道具で、前の年より一回り大きいものに買い替えていくのが商売繁盛の習いだった。

古い熊手は神社の納め所に返し、新しい熊手を受ける。露店で値段を交渉して、まけてもらった分を祝儀として店に置いていく粋な買い方もある。買うと売り手が手締めをしてくれるので、一緒に手を打つ。持ち帰った熊手は、店の入口を向くように高い所へ飾る、という飾り方をよく聞く。

関西では一月十日前後の十日戎が同じ役どころになる。大阪の今宮戎神社などで「商売繁盛で笹持ってこい」の掛け声のなか福笹を受け、小判や俵の吉兆を笹につけてもらう。前の年の笹は神社に返してから新しいものを受けるのが筋だ。笹だけは無料で授けて、吉兆の飾りに初穂料を納める形をとる社もある。

稲荷の社では、二月の最初の午の日の初午に商売の祈願とお礼が重なる。伏見稲荷大社では初午の日に「しるしの杉」を授かって帰る人が多い。一年たって笹や熊手、杉を返しに行く日が、そのまま一年分のお礼参りの日になっていた。

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