脱皮と米蔵、白い蛇が神の使いになるまで
元文三年(1738)、岩国で大水が引いたあと、横山の千石原御門の近くで一匹の蛇が捕まった。岩国藩の記録『岩邑年代記』に出てくる話で、岩国のシロヘビが文書に現れる早い例だ。蛇は皮を脱いで生まれ直すように見えるので、死と再生や長寿、実りや富が増えることと結びついた。鼠を食べるから、米蔵に住めば穀物の番人にもなる。文久二年(1862)の『錦川志』にも、白い蛇が藩の米倉に住みついていたとある。
色素を作れない白い個体はめったに姿を見せず、神の使いとして特別扱いされた。元はインドの河の女神サラスヴァティーという水の神、弁財天。そこへ蛇の姿の宇賀神が重なり、白蛇は弁天さまの化身とも使いとも呼ばれるようになった。江戸時代に七福神の一員として町人へ広まると、財宝や芸事、知恵の神のお供として「金運を運ぶ生き物」の顔を強めた。
弁財天の頭に乗る、翁の顔をした蛇
弁財天の化身が蛇だという話は、インドや中国の経典には出てこない。日本で作られた偽経で説かれ、中世以降に天台宗の教えのなかで弁才天と宇賀神が合わさって「宇賀弁才天」ができあがった。代表が『仏説最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠陀羅尼経』、通称弁天経だ。幕末の河野鉄兜が随筆『掫觚』に引いた一節では、宝冠に老人の顔の白蛇を戴く姿で描かれていた。八本の腕に剣や輪宝、宝弓、宝珠を持ち、十五人の童子を従える。
寺の八臂弁財天の頭に、とぐろを巻いた人頭蛇身が乗っていたら、それが宇賀神。顔は老翁のことも女性のこともあり、小さな鳥居が添えられた像もある。持ち物に宝珠と鍵が加わり、「才」が「財」に通じて「弁財天」と書く例が増えた。宇賀神の出どころは稲の神の宇迦之御魂神とする説、財施を指す仏教語の「宇迦耶」とする説があるらしい。鎌倉の銭洗弁財天の正式な社名が宇賀福神社なのも、この神の名を負っているからだ。
岩国、宮島、品川、真岡、白蛇を祀る土地
岩国のシロヘビは、アオダイショウの白化個体というのが通説だ。体長は百八十センチを超え、胴回りは十五センチほど。山口県の文化財解説は、純白と黄色みを帯びた白の二通りがあり、目はルビーのように赤いと書く。おとなしく、人に害を与えない。
関ヶ原のあと岩国に移った吉川広家は、錦見のあたりで米作りを進めた。その米倉のアオダイショウから白い子が生まれるようになった、という説がある。享保年間(1716から1736)の『享保増補村記』にも白い蛇が見える。
住むのは錦川の三角州のあたりだけで、米倉がなくなってからは民家や石垣に住みついた。
大正十三年(1924)に「白蛇棲息地」が天然記念物になり、昭和四十七年(1972)にシロヘビそのものの指定へ改められた。野生の個体は減り、今は市の施設で千匹を超えるまで殖やしている。白化の性質が代々安定して受け継がれている例は、世界でもほかに見当たらないという。
昭和三十年(1955)にできた白蛇保存会が半世紀かけて浄財を集め、天神山を整地した。平成二十四年(2012)十二月十六日、その地で鎮座祭を行ったのが岩國白蛇神社だ。
祭神は宮島の厳島神社から勧請した田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神の宗像三女神と、宇迦之御魂神。境内の宝冠白蛇弁財天社では宇迦之御魂神を宇賀弁財天として祀る。社殿は旧岩国藩主吉川家の山林の檜で建てられ、社紋は蛇の目、御朱印には金色の白蛇の印が押される。白蛇のおみくじは手作業で作られているらしい。
宮島の大願寺の厳島弁財天は、江ノ島、竹生島と並ぶ日本三弁財天のひとつ。ふだんは秘仏で、毎年六月十七日の大祭の日だけ扉が開く。神奈川の江島神社や鎌倉の銭洗弁財天宇賀福神社も、蛇と弁天と金運が重なる場所で、巳の日はとくに人出が多い。
品川の蛇窪神社は正式には上神明天祖神社という。元亨二年(1322)の創建と伝え、社殿の左横の清水に白蛇が住んでいたという伝説を持つ。白蛇辨財天社は令和三年、御鎮座七百年を記念して建て替えられた。栃木県真岡市の白蛇辨財天は、大永二年(1522)に厳島神社から分霊を受けたと伝わる。森に二匹の白蛇が棲み、吉凶の変事に姿を見せたという。
宝塚の清荒神清澄寺では、参道の土産物屋が白蛇を飼って抜け殻を売っていたという話がある。寺の授与品の一覧を確かめたところ、蛇にちなむ品はひとつも載っていなかった。
巳の日と己巳の日を暦で拾い、行く日を決める
日取りは暦の巳の日と己巳(つちのとみ)の日で決め、毎日に十二支が割り振られているので巳の日は十二日に一度回ってくる。十干の己と十二支の巳が重なる己巳の日は、六十干支がひと回りする六十日に一度しか来ない。宮城県岩沼市の金蛇水神社は、己巳を六十日に一度の弁財天の御縁日と案内していた。この日に財布やお金のことを始めると大きく返ってくる、という言い伝えもある。
調べ方は簡単。神宮暦や高島暦のように日ごとの干支が載った暦を開き、巳の日をひとつ見つけて十二日ずつ足す。己巳なら六十日ずつ足す。日の干支は改暦をまたいでも途切れず同じ並びで続いてきたので、旧暦に直す手間は要らない。
数えるとこうなる。2026年の残りの巳の日は八回ある。9月28日、10月10日、10月22日、11月3日、11月15日、11月27日、12月9日、12月21日だ。このうち10月22日と12月21日が己巳に当たる。
2027年の己巳は、2月19日、4月20日、6月19日、8月18日、10月17日、12月16日の六回だった。ふつうの巳の日は1月2日、1月14日、1月26日、2月7日と続く。己巳の前後十二日も巳の日だから、4月20日なら4月8日と5月2日、6月19日なら6月7日と7月1日が拾える。年の最後の巳の日は12月28日だ。
寺社の告知と突き合わせても、ずれはなかった。蛇窪神社は令和七年十月二十七日と令和八年六月二十四日を己巳の日として告知していた。書寫山圓教寺も令和八年四月二十五日を己巳の宇賀辯財天浴酒供の日に当てている。どれも十二日と六十日の足し算の上にきれいに乗った。令和八年六月二十四日の告知には、己巳祭の案内と一緒に御朱印の頒布の知らせも添えてあった。
己巳は一年におおむね六回。一回目が元日から五日までに来た年だけ、年末にもう一回回ってくる。干支は夜中の零時で次に変わるから、夜に参るなら時計を見ておいてほしい。
己巳に都合がつかなければ、次の巳の日に回せば済む。十二日待つだけ。雨で出かけられない日は、家の神棚で拝んで、晴れた巳の日に社へ行き直す人もいる。暦の上の日を一度外しても、仕切り直しはいくらでも利く。
前の晩に小銭と供え物と財布をそろえる
前の晩に、賽銭用の小銭を別の袋に分けておき、財布をおろすつもりなら新しい財布と種銭にする一枚も一緒に並べて置く。大神神社のように卵と神酒を供える習わしのある社へ行くなら、卵と小さな酒もここで用意する。卵を忘れても三輪なら参道の店で買える。手ぶらでも平気。
古いお守りや抜け殻を返すつもりなら、それも白い紙に包んで袋に入れる。返納は受けた社へ持っていくのが筋なので、どこで受けた物かを袋の上に書いておくと当日迷わない。祈祷を頼むなら、初穂料は紅白蝶結びののし袋か白封筒に入れ、表に「初穂料」、下に名前を書く。
己巳の日の参拝の段取り
鳥居の前で一礼したら、参道の真ん中を避けて端を歩く。真ん中は神さまの道。手水舎では柄杓で左手、右手の順に清め、左の掌に受けた水で口をすすぐ。柄杓を立て、残った水で柄を流して戻す。岩國白蛇神社の手水は蛇の口から流れ出るので、ここで気づく人も多い。
本殿のお参りを済ませてから、境内の弁天社や白蛇の社へ回る順にしている社が多い。神社の弁天社なら二礼二拍手一礼。寺の弁天堂なら拍手は打たず、合掌して真言を唱える。宮島の大願寺や竹生島の宝厳寺のように、お寺が弁天さまを祀っている所も多いから、入口の案内を見てから手を合わせたい。
願いは声に出さなくていい。住所と名前を心の中で名乗ってから、何のお願いに来たのかを短く、はっきり言葉にして伝える。財布を新しくするなら、このときに一緒に持って上がる。長居は無用。
蛇窪神社の己巳祭に朝八時から並ぶ
品川の蛇窪神社では、己巳の日に白蛇辨財天社の「白蛇辨財天像」が御開帳になる。神社の告知では、その御神前で「己巳祭」を斎行するとしていた。令和七年十月二十七日の回は午前八時十分の開始。八時から境内への案内を始め、参列は無料で、どなたでも参列できると書いてあった。
ただ、辨財天社の境内に入りきれない場合もある、と神社自身が断っている。告知には、警備員や境内誘導係の案内に協力してほしいと書かれていた。早めが吉。辨財天社の前まで入れなかったら外から手を合わせておき、人が引いた昼過ぎに改めて辨財天社へ参り直せばいい。
祭りのあいだは頭を下げて静かに待ち、終わったら改めて辨財天社に二礼二拍手一礼をする。御朱印の頒布も、回ごとに別の告知が出ていた。
岩國白蛇神社の巳の日月次祭に加わる
岩國白蛇神社では、巳の日ごとに月次祭がある。月に二回ほどで、初穂料は要らず誰でも加われる。祭りは二十分ほど。金運や安産、交通安全を願う人が集まり、己巳の日はさらににぎわう。
始まる前に手水を済ませ、拝殿の前で神職の案内を待つ。修祓のときは頭を下げ、祝詞が終わるまでそのままの姿勢で、神職の声を聞きながら静かに待つ。祭りが終わったら境内の宝冠白蛇弁財天社にも回り、宇迦之御魂神を宇賀弁財天として祀るその社の前でも同じように手を合わせる。ひとりで拝むより段取りに迷わないのがありがたい。
参ったあとは、隣の白蛇観覧所で本物のシロヘビに会える。保存会が営む屋内の施設なので一年中見られ、見学は百円ほどの寄付で九時から十七時まで開いていると案内されていた。屋外の飼育施設は市が受け持っている。
シロヘビは国の天然記念物だから、町なかで見かけても捕まえたり持ち帰ったりはできない。見るのは観覧所で。そっと見送るのが岩国の流儀だ。
圓教寺の己巳の浴酒供に合わせて登る
姫路の書寫山圓教寺は、己巳の日に辯財天の浴酒供を修してきた。寺の案内には、令和三年一月二十一日の初巳の己巳に「大辯財天浴酒供」とある。令和四年十一月十二日も「己巳大辯財天浴酒供」だった。令和八年四月二十五日は「己巳 宇賀辯財天浴酒供」と、日付がきちんと並ぶ。
浴酒供は、尊像に酒を注いで供養する密教の修法だ。在家が自分で修するものではない。寺の法要の日に登って参列する形になる。時刻や受付は回ごとに寺が告知するから、行く前に寺の知らせを確かめておきたい。
己巳を弁財天の縁日として法要を組む寺社は、ほかにもある。金蛇水神社も己巳を御縁日とし、巳年の己巳の日六日間だけ頒布した授与品があった。令和六年十二月三十一日の己巳には、岩国のシロヘビが岩国市から運ばれてきて、夕方の四時ごろまで境内で見られた。珍しい一日。こういう日に合わせて出かければ、授与品を受ける機会も増える。
弁財天と宇賀神の真言を唱える
弁財天の真言は「オン・ソラソバテイエイ・ソワカ」。梵語の原文は、河の女神サラスヴァティーの名に「誰それに」という呼びかけの形をつけたものだ。オンは真言の頭に置く聖なる音で、ソラソバテイエイが「サラスヴァティー女神に」、ソワカは「成就あれ」くらいの意味になる。ざっくり言えば「弁財天さまに帰依します、願いがかないますように」という句だ。覚えやすい。
宇賀神、あるいは宇賀弁財天の真言は「オン・ウガヤ・ジャヤ・ギャラベイ・ソワカ」。ウガヤの所を漢字で「宇賀耶」と書く資料もあり、宇賀弁財天を祀る寺の案内にもこの形で載っていた。ウガヤは宇賀神の名、ジャヤは「勝利」を指す語だ。ギャラベイの語義は資料によって説明が割れるので、深追いはしない。
唱える回数は、三遍、七遍、二十一遍あたりが多い。数珠を繰るなら百八遍でひと回り。数は好みでいい。声の大きさより、途中で数を乱さないことのほうが肝心。弁天堂の前なら合掌して、周りの邪魔にならない声で唱える。
神社の拝殿では真言より二礼二拍手一礼を先に立てたい。真言は寺の弁天堂や、神仏習合の名残を持つ弁天社で唱えるほうが据わりがいい。唱え終えたら一礼して下がる。
巳の日に財布をおろす手順
巳の日参りで一番よく知られているのが、財布の新調だ。買う日は己巳の日か、ふつうの巳の日に合わせる。買った財布はすぐに使わず、白蛇や弁財天を祀る社へいったん持っていく。拝殿の前で財布を両手で持ち、この財布に金運を授けてほしい、と心の中か小さな声で願う。
鈴を鳴らして賽銭を静かに納めたら、深く二回頭を下げる。柏手を二回打ち、最後にもう一度深く礼をする。この所作を丁寧にこなすかどうかで手応えが違う、と言う人は多い。
財布には、最初に種銭を一枚入れておく。そうすると、あとからお金が呼び込まれやすくなるという。種銭には、ご縁にかけた五円玉や、天赦日など別の吉日に手に入れた硬貨が好まれる。財布の色は黄色や金色、白が縁起がいいと言われる。派手さは要らない。
参る時間は、日が高く昇りきる前の早朝がいいとされる。弁財天が水の神だから、朝の清らかな空気のなかで願うほうが霊験あらたか、という理屈だ。
抜け殻を白い紙に包んで財布に入れる
蛇の抜け殻を財布に入れておくと金がたまる。この俗信は『日本俗信辞典 動・植物編』にも拾われている。国立国会図書館のレファレンス協同データベースには、このいわれを尋ねた質問が載っていた。回答は、蛇を財宝神の弁才天の使いと見る信仰から生まれた伝承だ、とまとめていた。出どころは確か。
入れ方は、丸ごとより、小さく切った一片を白い紙に包んで内ポケットに入れるやり方をよく聞く。頭から尾までそろった抜け殻は縁起がいいとして、箱に納めて家にしまっておく家もあるという。財布に入れた一片は、財布を替えるときに新しい財布へ移す。大げさな作法は要らない。
白蛇をかたどった金色のお守りを一緒に持ち歩く人もいる。古くなったお守りや抜け殻は、受けた神社の古札納め所に返すのが筋だ。遠くて返しに行けないなら、近くの神社でお焚き上げを受けてもらえるか聞いてみる。ごみに出す場合は、白い紙に包んで塩をひとつまみ振ってから出す家もある。
巳の神杉の前に卵と神酒を置く
奈良の大神神社は三輪山そのものを神体とし、本殿を持たずに三ツ鳥居越しに山を拝む。蛇はここで「巳さん」と呼ばれる。
祭神の大物主大神が蛇の姿になる話は、『日本書紀』の崇神天皇の条にも雄略天皇の条にも出てくる。拝殿の右手、勅使殿の手前の「巳の神杉」は、洞から白い蛇が出入りするのでこの名になった。寛政三年(1791)刊の『大和名所図会』に、それらしい大木が描かれていた。今の杉は樹齢四百年あまりと見られ、江戸時代の絵図だと「雨降杉」の名で、雨乞いの木。
この杉の前には、巳さんの好物の卵と神酒が供えられている。境内のあちこちに卵が置かれていて、崇敬者の信仰の表れだと神社は説明していた。供えるときは決まった場所に静かに置き、手を合わせてから下がる。卵を忘れても、参道の店で買える。
どこの白蛇の社でも卵を置いていいわけじゃない。そこは気をつけたい。岩国や品川の社の公式の案内を見ても、卵や酒をどこへ置けという決まりは一行も見当たらなかった。置き場のない社では、社務所で卵や酒を供えていいか聞いてから出すのが無難だ。
社務所で祈祷を申し込み、授与品を受ける
金運や商売繁盛の祈祷を受けたいなら、社務所で申し込む。蛇窪神社も、公式の案内に御祈願の頁を設けていた。受付で申込用紙に住所と名前、願い事を書き、初穂料を納める。金額は社ごとに決まっているので、案内の額をのし袋に入れて持っていく。
名前を呼ばれたら拝殿に上がり、神職がお祓いをするあいだは頭を下げ、祝詞で自分の住所と名前が読み上げられるのを静かに聞く。玉串を渡されたら、根元を神前に向けて案に置き、二礼二拍手一礼。終わるとお札や撤饌を渡される。
受けた授与品は、その日のうちに家へ持ち帰るのがいい。寄り道は控えめに。鞄の底に押し込まないこと。帰ったら、すぐに次の段の要領で祀る。
授かった札と白蛇の像を家に祀る
社で受けたお札は、神棚があれば宮形に納める。三社造りなら真ん中に神宮大麻、向かって右に氏神さま、左に崇敬する社の札を納めるのが神社本庁の示す並べ方だ。白蛇神社や弁天社の札はこの崇敬する社の位置に入る。一社造りなら、手前から神宮大麻、氏神さま、崇敬する社の順に重ねる。
神棚がない家は、目線より高い清潔な場所に白い紙を敷き、札を立てて祀る。向きは南か東。人がよく通るドアの上や、トイレと背中合わせの壁は避けたい。白蛇の小さな像やおみくじの白蛇も、同じ棚の脇に置けば足りる。
仏像の弁天さまや宇賀神の像なら、仏壇や別に設けた小さな棚に置く。神棚と同じ段に並べず、脇に分けておくほうが収まりがいい。脇が定位置。供え物は米と塩と水を基本にして、巳の日だけ卵と酒を足す。
家の神棚で巳の日を迎える
神社まで行けない巳の日は、家の神棚や弁天さまの小像の前で済ませる人もいる。朝、顔を洗って口をすすいでから、米と塩と水をいつもどおり供える。巳の日だけ、小皿に卵をひとつと、小さな器に酒を足す。これで支度は終わり。
手を合わせたら、神棚なら二礼二拍手一礼。仏像の弁天さまなら合掌し、弁財天の真言を三遍か七遍唱える。宇賀神の像があれば、続けて宇賀神の真言も唱える。財布をおろす日なら、財布を供物の横に置いてから拝む。
拝み終えたら一礼して、しばらくそのままにしておく。慌てなくていい。
供物を下げたあとの始末
家の神棚や弁天さまの小像に供えたものは、下げたら家族でいただくのが基本だ。宮城県神社庁の案内でも、米と塩と水を毎日供え、下げたものはお下がりとして家族でいただくよう書いている。水は毎日取り替える。難しくはない。
卵は生ものだから長く置かず、その日のうちに下げて火を通し、家族で食べてしまうのがいちばん始末がいい。それで十分。神酒は料理に使っても、晩酌でいただいてもかまわない。
やってはいけないのは、生ものを供えたまま何日も置きっぱなしにすること。夏場ならなおさらで、傷んだ卵を神前に残すくらいなら早めに下げてしまうほうがずっといい。外の社に置いた卵は、その社の決まりに従う。割れた卵や傷んだ供物は、白い紙に包んでから処分する。
供物に使った皿や瓶子は洗って乾かし、次の巳の日までしまっておく。それで一巡。
一年たった札と像を返す
お札は一年ごとに新しく受け、古い札は受けた社に返すのが基本だ。一年で区切る。年末年始に古札納め所を設ける社が多く、小正月のどんど焼きで焚き上げる地域もある。遠方の社で受けた札は、近くの神社で受けてもらえるか社務所で聞いてみる。
白蛇の像や陶器の置物は、燃えないのでお焚き上げに出せない社もある。受けた社に返せるかを聞き、断られたら白い紙に包んで塩をひとつまみ振り、ほかのごみと分けて出す家もある。古いお守りや抜け殻を返すのも、次に参る巳の日にまとめてしまえば忘れない。
銭洗いと財布の話が巳の日に集まるわけ
銭洗いの詳しい話は別の記事に譲る。鎌倉の銭洗弁財天の縁起では、巳の年の1185年、巳の月巳の日の夜、源頼朝の夢に隠れ里の主の宇賀福神が現れて泉を告げた。のちに五代執権の北条時頼が巳の日にこの水で銭を洗って一家の繁栄を祈り、それが広まるきっかけになったと伝わる。蛇窪神社も令和三年に銭洗い場を新しく造り、真岡の白蛇辨財天には「金運銭洗いの滝」がある。
巳の日参りの話を集めると、財布がらみの報告がいくつも出てくる。
己巳の日が近づけば、ネットに財布やお守りの写真が次々に流れる。お金の使い方を見直すきっかけになった、という感想のほうがよく聞くくらいだ。珍しい生き物への畏れ、水神で福神の弁財天、暦で吉日を選ぶ習い、財布という毎日の道具。その四つが重なって続いてきた信仰なんだろう。
