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厄年・厄払い実践ガイド――男女別厄年一覧と数え年の根拠、神社での厄除け祈祷、自分でできる厄落としの作法

『源氏物語』の若菜下の巻に、紫の上が三十七歳を迎える場面がある。光源氏は、今年はとりわけ慎むべき年だと言い、祈りをいつもより念入りにさせた。千年前の貴族も、年齢でちゃんと身構えていたわけだ。

就職、結婚、転居、大病、事故。人生の節目にふりかかる不運を、この国は長く「厄」の一語にまとめてきた。そのうえで、払う、除ける、落とす、という手を千年かけて積み上げた。

平安の物語と陰陽師から始まった厄年

厄年を誰がいつ始めたのか、一次資料で突き止めることはできていない。ただ、平安の物語には、もう年齢を気にして慎む場面が出てくる。『宇津保物語』にも似た記述があるとする解説もあった。平安貴族の暮らしには、厄の年という感覚がすでに根を下ろしていた。

当時の貴族社会と陰陽道は、切っても切れない間柄だ。安倍晴明に代表される陰陽師が、季節や人生の節目の乱れを占い、穢れを祓う儀礼を執り行った。人の運気には波があり、決まった年齢で大きく落ち込む。厄年はこの発想から育った、と見る説が有力だ。

平安のころは貴族のものだった厄年の考え方は、やがて武家に広がり、江戸時代には庶民にも浸透した。江戸期の暦や年中行事の本には、男女の厄年の年齢と、厄除けに寺社へ参る習わしが載っていた。このころには、今とほぼ同じ形ができあがっていたらしい。

語呂合わせの説も、昔からよく知られてきた。42は「死に」、33は「散々」に通じるから忌まれた、という説明だ。陰陽道の下地の上に、後の人が分かりやすい理由を重ねた、と見ればどちらも成り立つ。

なぜその年齢なのか、はっきりした文献の根拠は見つかっていない。理屈より先に、気をつけるべき年という経験則があった。それが長い時間をかけて、世の中の共通認識として固まっていった。

なぜ「数え年」で数えるのか

厄年は満年齢ではなく数え年で数える。数え年は生まれた年を1歳とし、元日が来るたびに1歳足していく数え方だ。満年齢より1歳か2歳多くなる。

胎内にいた時間も命のうちと見た古い年齢観が元にある、という説明がよくされてきた。正月に全員そろって歳を取る発想も、暦と信仰が結びついていた時代の名残だろう。陰陽道の暦法がもともと数え年を前提に組まれていた、という事情を挙げる人もいた。

今は満年齢で暮らす人がほとんどだ。神社によっては、満年齢と数え年の両方で引ける早見表を出していた。解釈が土地や神社で少しずつ違うこともある。祈祷を受ける前に、その神社の基準を一度確かめておくと話が早い。

男女別の厄年と、前厄・本厄・後厄の三年

厄年は本厄の前後一年を含めた三年で考えるのが普通だ。前厄、本厄、後厄。本厄がいちばん慎む年で、前厄はその予兆、後厄は余波の残る年と説明されてきた。

男性の厄年は数え年で25、42、61。なかでも42は「死に」に通じるとして大厄と呼ばれ、生涯でいちばん警戒する年とされてきた。女性は19、33、37、61で、33が「散々」に通じる大厄にあたる。

女性のほうが回数が多く、始まりも早い。出産や子育てで体に負担のかかる時期と重なるように置かれたのでは、という指摘もある。61の還暦は男女共通で、厄除けと長寿祝いを一緒に済ませる家も多かった。

神社によっては、これとは別に土地独自の厄年を立てていた。60歳や88歳の米寿を厄年に準じて扱う地域もあるらしい。前厄から後厄までの三年をまとめて大厄期間と呼ぶこともあった。この三年は結婚、転職、新築、独立開業のような大きな決断を避けろ、という俗信も根強い。

神社の厄除け祈祷、申し込みから授与品まで

神社で厄除けの祈祷を受けるなら、最初に電話か公式の案内で予約の要否を確かめる。予約なしの当日受付で済む神社が多かった。ただ、正月と節分のあたりはひどく混む。受付時間だけでも先に押さえておくと安心だ。

服は普段着でいいとされてきた。厳かな儀式ではあるので、派手すぎる服や肌の出る服は避けたい。スーツや礼服までは要らない。薄手の部屋着にサンダル、くらいまで崩すとさすがに浮く。

祈祷料は初穂料、あるいは玉串料と呼ぶ。調べた範囲の相場は、おおむね5000円から1万円に収まっていた。金額を掲げている神社もあれば、お気持ちで、と言われる神社もあった。

初穂料は白い封筒か、紅白蝶結びの水引の祝儀袋に入れて持っていく。表書きは初穂料か御祈祷料で、その下に祈祷を受ける本人の名前を書く。新札が望ましいとされるが、なくても困らない。

当日は、境内の手水舎で手と口を清めてから受付へ向かう。申込用紙に氏名、住所、生年月日、祈願の内容を書き、初穂料を納める。そのあと祈祷殿か本殿に案内され、神職の祝詞奏上が始まる。祝詞では参拝者の氏名と生年月日が読み上げられ、災いを祓って一年の無事を願う言葉が続く。

参拝者は、榊に紙垂を付けた玉串を神前に捧げる。玉串奉奠と呼ばれる作法だ。玉串を時計回りに回して根元を神前に向けて供え、二礼二拍手一礼で拝む。済んだら御札や御守、御神酒などの授与品を受け取って終わる。所要は15分から30分ほどで、何組かまとめて受ける合同祈祷の神社も多かった。

初穂料は紅白蝶結びの袋に本人の名で包む

袋の選び方は、福岡の警固神社が細かく書いていた。いちばん無難なのは紅白の蝶結びののし袋。何度あってもうれしい祈願に合う結び方だからだ。

結び切りは結婚式のように一度きりの願いに使う結びで、黒白の結び切りは弔事専用なので使わない。白封筒でもいいが、郵便番号の枠が刷られていない無地を選ぶ。コンビニで買った袋で問題ない、とも書いてあった。

表書きは、上に初穂料か玉串料。下には祈祷を受ける本人の名前をフルネームで書く。子どもの祈祷でも、親の名前ではなく本人の名前にする、というのが警固神社の説明だった。

中袋は、裏の左下に住所と氏名と金額を書く、としていた。金額は旧字体で金壱萬圓のように書くと丁寧だ。後ろの節で書く、中袋の表の中央に金額を書く流儀と並ぶ形になる。どちらかに決めて一枚の中でそろえれば足りる。

お札は、肖像画が表側の上に来る向きでそろえる。新札がいちばんで、なければ手持ちでいちばんきれいな札を選ぶ。筆は黒の筆ペンで、薄墨は使わない。

書き損じたら修正液では直さず、新しい袋に書き直す。袱紗に包んで持っていくのが勧められていたが、必須ではない。受付で手渡しすれば済む。

寒川神社と国府宮の案内で昇殿祈祷の段取りをなぞる

神社ごとの案内を並べると、昇殿祈祷の段取りはかなり似ていた。違うのは受付時間と初穂料の刻み方くらいだ。二つの社を例に、受付から退出までをなぞっておく。

八方除で知られる寒川神社は、毎日午前8時から午後5時まで祈祷を受け付けていた。午後5時までに来社するように、と案内にある。受付では願い事を相談したうえで、祈祷の内容を決める流れだった。

初穂料は段階制で、中式が3000円から、大式が5000円から、当座式が1万円から。一代式が3万円から、永代式が5万円からと続く。授かる品は段階で変わり、札、お守り、御神土、御神串、お神酒、箸などが並んでいた。

年齢の数え方も書いてあった。数え年を使い、誕生日前なら満年齢に2を足し、誕生日後なら1を足す。後ろの節で書く、満年齢との二段構えと同じ計算になる。

愛知の尾張大國霊神社、通称の国府宮は、毎日午前9時から午後4時まで受け付けていた。年中無休で、通常の祈祷は予約が要らない。厄除けや車祓い、初宮参りの初穂料は7000円からだった。

国府宮の案内では、厄除けの祈祷は暦のうえで節分までに受けるのが望ましい、と書いてある。締め切りではないが、目安にはなる。はだか祭の当日は早朝5時から祈祷受付を開けていた。

昇殿してからの順は、東京の早稲田神社が段ごとに説明していた。最初が修祓で、神職が大麻を参拝者の頭上で右、左、右と振る。そのあいだ参拝者は頭を下げて待つ。

振る順を左、右、左とする社もあるので、そこは神職の動きに合わせればいい。参拝者が自分で何かを振る場面はない。

次が祝詞奏上だ。神職が神様をたたえて感謝し、祈願の趣旨と供え物を申し上げる。ここも頭を下げて聞く。

その次が玉串拝礼になる。兵庫の廣田神社の説明では、根元を右手で上から、中ほどを左手で下から支える。胸の高さで肘を張り、左手の側を高く持つ。

玉串案の前で、その姿勢のまま一礼する。先を時計回りに90度回し、左手を下げて根元を両手で持ち、祈念をこめる。右手で中ほどを支え直し、さらに時計回りに180度回して根元を神前に向ける。

案の上に載せたら、二拝二拍手一拝。最後に一礼して席へ戻る。早稲田神社は、全体でおよそ30分と案内していた。

寺で受ける厄除けは、祓うより焼き尽くす

神社が厄払い、厄除け祈願として神道の作法で祈るのに対し、真言宗や天台宗などの密教の寺では護摩祈祷が中心になる。本尊の前で護摩木を焚き、僧侶が真言を唱えて参拝者の願いを祈る儀式だ。炎で厄や煩悩を焼き尽くす、という密教の考え方に立っている。

神社の厄払いは祓い清める発想で、寺の厄除けは焼き尽くし、断ち切る発想に近い。神道と仏教を並べて受け入れてきたこの国らしい二本立てだ。

関東では、神奈川の川崎大師平間寺、東京の西新井大師總持寺、千葉県香取市の観福寺を関東厄除け三大師と呼ぶのが一般的だ。三つとも弘法大師空海を祀る真言宗の寺になる。栃木の佐野厄除け大師惣宗寺も名高いが、こちらは天台宗で、元三大師良源を祀る別の顔ぶれの関東の三大師に数えられた。正月には、どこも厄除けの参拝者で埋まってきた。江戸のころから厄除けの霊場として庶民を集めてきた、と縁起に記す寺もある。

佐野、川崎、西新井の三つを並べて、日本三大厄除け開運大師や関東厄除け三大師と紹介する書き方も広く出回ってきた。どの三つを数えるかは、案内する側でまちまちだ。正月から節分にかけては、合わせて数百万人規模の人出になるとも言われてきた。

川崎大師の場合、護摩の申し込みは大本堂に向かって右手のお護摩受付所でする。申込用紙に名前と願いごとを書き、護摩料を納める。寺の案内には、祈祷の時刻の10分から15分前までに済ませてほしいとあった。護摩料は5000円、7000円、1万円の三段で、大護摩が2万円、特別大護摩が3万円以上。

受付では、お護摩札お渡しの証という控えを渡される。案内に従って大本堂に入り、護摩の座に連なる。祈祷の途中で、僧侶の案内に従って本尊の厄除弘法大師のすぐ近くまで進んで拝めるのが、この寺のやり方だった。終わると、申し込んだ護摩札が授けられる。

神社の昇殿と違って、参拝者が玉串を捧げる場面はない。僧侶が火を焚き、読経が続くあいだ、手を合わせて座っていればいい。授かった護摩札は、家の清浄な場所に祀るよう寺は案内していた。願いがかなったとき、または一年たったときは、境内の納札殿に納める。郵送でも納められる。

関東の大師で護摩を受けるときの受付と時刻

寺の厄除けは護摩の時刻に合わせて動く。遅れると次の回まで待つことになるので、時刻表を先に見ておくのが手順の一番目だ。関東でよく名前の出る寺の案内を、時刻と金額に絞って並べる。

川崎大師の平常時は、2月1日から12月31日まで。平日と土曜と祝日は、朝6時、9時、10時30分、11時30分、午後1時、2時30分、3時30分に護摩を焚く。10月から3月は朝の回が6時30分になる。

日曜は午後が1時、2時、3時、4時の四回に変わる。毎月21日も日曜と同じ並びだった。毎月20日だけは、夜7時に宵大師の修行がある。

申し込みは祈祷の10分から15分前までに、というのが寺の勧めだった。祈祷の前には僧侶の法話がある。郵送やインターネットでも申し込めて、郵送の場合は護摩札が届くまで1、2週間かかる、と書いてあった。

東京の西新井大師は、申し込みの仕方がはっきりしていた。本堂の受付でお護摩申込用紙に書いて出す。事前予約、電話、ファクス、メールでの申し込みは受けていない。

受付の締めは、ふだんは護摩の10分前まで、正月は30分前まで。護摩は毎日焚くが、12月30日と31日は休む。時刻は寺のカレンダーで確かめる形になっていた。

祈願札の料金は、5000円、1万円、2万円、3万円、5万円の五段。本堂でおよそ20分の護摩を受け、終わると名前を呼ばれて札を受け取る。札は木札だった。

栃木の佐野厄除大師は、元三大師を祀る天台宗の寺で、自らを関東の三大師と名乗っている。受付は午前8時20分から夕方まで。遠方なら郵送で頼める。

郵送は、祈願申込書に住所と氏名などを書き、現金封筒で送る形だった。お札の発送は、年内の祈願のあと12月に送るか、元旦の祈願のあと1月に送るかを選んで丸を付ける。クレジットカードを使ったファクスでの申し込みも受けていた。

佐野厄除大師は、厄年の境目を立春に置いている。2月3日以前に生まれた人は前の年の生まれとして数える、という書き方だった。男女とも数え4歳と13歳も厄年に入れている。

千葉県香取市牧野の観福寺は、日本三大厄除弘法大師を名乗る真言宗の寺だ。節分会も続けてきた。東京には川崎大師の東京別院の薬研堀不動院があり、ここでも厄除けの護摩を受け付けている。

自分でできる厄払い、豆と品物と贈り物

寺社で正式な祈祷を受けないと駄目、ということはない。家や暮らしのなかで庶民が続けてきた、簡単な厄落としもたくさん伝わってきた。いちばん知られているのが節分の豆まきだ。

節分はもともと、季節の変わり目に入り込む邪気を祓う行事だった。鬼は外、福は内の掛け声で炒り豆をまく。厄年の人が年男や年女として豆まきの中心に立ち、自分の厄も一緒に祓う、という意味も持たされてきた。まいたあとは数え年の数だけ豆を食べる。一つ多く食べて来年の無事を願う家もある。

厄落としという作法もある。身につけていた物や大事にしていた物をわざと落とすか手放して、自分についた厄を品に移し、品ごと手放す発想だ。大晦日や節分の夜に、橋の上から小銭や櫛を落とした。辻や四つ角に古い持ち物を置いてくる。こうしたやり方が各地に伝わった。

今それを公共の場でそのままやると、不法投棄になりかねない。だから実際には、お焚き上げに出す、神社の古札納め所に納める、といった人に迷惑をかけない形に置き換える家が多かった。

もうひとつが、贈り物で厄を落とす形だ。厄年の本人が親しい友人や親戚に品物を贈り、厄を分けて持ってもらう。周りの人の福で薄めてもらう、という考え方になる。土地によっては、厄年の本人が近所に餅や菓子を振る舞う厄除け祝いが続いてきた。

逆に、周りから厄年の人へ櫛や褌を贈る風習を持つ土地もある。櫛は苦と死に通じる語呂をあえて逆手に取った縁起担ぎだ、と説明されることがあった。単に厄年を迎えた人への祝いの品だ、という説明もあった。

土地によって違う厄年の形

厄年の年齢も作法も、全国一律ではない。沖縄にはトゥシビーという生年祝いがある。十二支が一巡する13、25、37、49、61、73、85、97の年を大事な節目とし、厄年に近い慎みの年とも見てきた。その年には、氏神を祀る御嶽に参って健康と長寿を願う。

愛媛など瀬戸内の一部には、厄年の男性が海や川に入って厄を振り払う行事がある、という話も伝わる。高い所から飛び降りる形もあったらしい。体を張る試練で厄を落とす、古い信仰の名残だと説明されてきた。商家では、看板や暖簾を新しくしたり店先で餅をまいたりして、厄年を新しい門出に読み替える習わしも見られた。

吉田神社の厄塚と国府宮のなおい布で厄を預ける

家で豆をまく以外に、寺社の行事に厄を預けるやり方も記録に残っている。いまも誰でも加われる形で続いているものを二つ挙げる。

京都の吉田神社は、節分祭を2月2日から4日までの三日間にわたって行う。祭のあいだ、大元宮の正面に厄塚が立つ。参拝者は、姓名と年齢を書いた紙に賽銭と厄豆を包んで詣り、厄を払う、と神社は案内していた。

2日の午後には、本宮で追儺式、いわゆる鬼やらいがある。3日の午後が火炉祭で、参拝者が持ってきた古い神札を浄火で焼き納める。受け付けるのは古い神札とお守だけだった。

人形、はがき、写真、鏡餅のような食べ物は受け付けない。持って行く前に、袋の中身をより分けておく。

愛知の国府宮では、旧暦正月13日に儺追神事、いわゆるはだか祭を行う。2027年は2月19日にあたり、午後3時に始まって、揉み合いは午後4時ごろになる。正月で新しい年齢を迎えた厄年の人の厄除けの行事でもある、と神社は位置づけていた。

裸になれない人のためには、なおい布がある。老若男女が氏名と年齢を書いて奉納する布で、初穂料は一枚500円。祭の前々日まで、ほぼ一か月だけ扱っていた。

裸で加わる人は、ふんどしに氏名と電話番号と団体名を書く決まりだ。倒れたらうつ伏せで体を丸める、なおい笹を踏切や道いっぱいに振り回さない、という注意も付いていた。電車やバスで来るときは上着を着る。

神男は2月8日の選定式で決まり、三日三夜、儺追殿にこもる。翌日の午前3時の夜儺追神事で土餅を背負わされて追われ、その土餅は神職が土に埋める。罪や穢れを土に返す、という意味づけだった。

祈祷のあとで語られる話

厄払いのあとの話として多いのは、本厄の年に体調を崩して神社へ行き、後厄に入るころには落ち着いた、という筋だ。受けていなかったらもっと悪かったかもしれない、と振り返る書き込みがブログや交流サイトにたくさん並んでいた。厄年がいまも暮らしのなかで生きている証拠でもある。

逆の筋もある。祈祷を受けたのに事故に遭い、それでも本人は無傷だった、という語られ方だ。厄を丸ごと消すものではなく、被害を小さく抑える備えとして厄払いを受け取る人も少なくなかった。

ヤフー知恵袋のような質問サイトには、厄年に悪いことは何も起きず、むしろ良いことが続いた、という報告も並ぶ。厄年は不幸の年ではなく変化の年だ、と返す声が目立つ。厄年の受け止め方も、時代とともに柔らかくなってきた。

ネットで繰り返される厄年の議論

5ちゃんねるの占い板やオカルト板には、昔から厄年のスレッドが立ち続けてきた。統計で見ても事故や病気が増える年齢と重なる、という現実寄りの見方がある。陰陽道の呪術の仕組みが今も働いている、というオカルト寄りの見方も出た。

42や33は、生活習慣病のリスクが上がる時期や、働き盛りで心身にストレスがたまる時期と重なる。昔の人の経験則が今の健康統計と合うのは偶然ではない、という意見がたびたび支持を集めた。

交流サイトでは毎年、正月から節分にかけて、「厄払い」「厄年」のハッシュタグを付けた投稿が一気に増える。祈祷の報告や御札の写真が並ぶ一方で、厄年を怖がりすぎなくていいという発信も増えた。昔ながらの畏れと今どきの割り切りが、せめぎ合いながら同居している。

厄除けで知られる寺社の顔ぶれ

厄除けで名高い寺社は全国にある。関東なら、川崎大師、西新井大師、観福寺の関東厄除け三大師に、天台宗の佐野厄除け大師を加えた顔ぶれがよく名前にあがってきた。正月三が日から節分にかけて、どこも厄年の参拝者で混み合ってきた。

川崎大師の本尊は厄除弘法大師、西新井大師の本尊は十一面観音で、佐野厄除け大師は元三大師を祀る。神社なら、京都の八坂神社や、方位除けと厄除けをあわせて頼める神奈川の寒川神社も人気を集めてきた。どこも観光地である前に、江戸のころから続く庶民信仰の集まる場所だった。門前の商店街や祭礼と一体になって、地域に根を張っている。

神棚の札の並べ方と、年の暮れの納め方

祈祷で授かった札をどこに置くか。神社本庁と伊勢神宮と各地の神社庁の案内を並べると、骨組みは一つにまとまる。

場所は明るく清らかで、目線より上。向きは南か東が一般的だが、間取りに合わせてよい、と伊勢神宮は書いていた。神棚がなければ、書棚やタンスの上の清潔で高いところでいい。

扉が三つある神棚なら、中央に神宮大麻、向かって右に氏神の札、左に崇敬する神社の札。中央がいちばん上で、次が向かって右、その次が左という順になる。そのほかの札は左の奥に重ねる。

扉が一つなら重ねて納める。手前から神宮大麻、氏神、崇敬する神社、そのほかの順だ。

供え物は、米を中央、塩を向かって右、水を左に置く。酒も供えるなら二列目に並べる。拝むときは二拝二拍手一拝。深いお辞儀を二回、手を二回打って、もう一度お辞儀をする。

島根県神社庁は、神棚を初めて据えるときに新宅祭、つまり神棚祓いを受けるよう勧めていた。新しい棚に札を移すなら、そこで一度頼む手もある。

札を新しくするのは年の暮れ。古い札は、大晦日から1月15日の小正月までの左義長やどんど焼きでお焚き上げされる、と神社本庁は案内していた。遠くの神社の札なら、近くの神社に相談して納める。

北海道神社庁は、年末から正月15日ごろに氏神へ納める、と書いていた。できれば札を受けた神社に納め、一年の加護に礼の参拝をする。遠方なら、どの神社に納めてもいいとしていた。

転居や神棚を片づけるときは、正月でなくても社務所に申し出て、玉串料を添えて納める。供えていた餅やみかんは家で食べ、札と一緒に納めない。ここは忘れやすい。

寺の護摩札も、扱いはほぼ同じだった。川崎大師は、住まいの清浄なところに祀るよう書いていて、札立てを500円で頒布している。願いがかなったときか一年たったときに、納札殿に納めるか郵送で返す。

納札殿に納めた札は、寺が焚き上げて供養する。西新井大師も、願いがかなったときや一年たったときに納札所へ納めるか郵送で返す、と案内していた。

生まれ年から前厄・本厄・後厄を一発で割り出す

最初は計算から。厄年は数え年で見る、というのは知られているが、数え年の出し方でつまずく人がやたら多い。式はこれ一本でいい。その年の西暦から生まれた年を引いて、1を足す。

誕生日は関係ない。生まれた瞬間が1歳で、元日をまたぐたびに全員一斉に1歳増える、という前提だからだ。

具体的にやってみる。2027年に厄年かどうかを知りたいとする。1986年生まれなら、2027引く1986は41、これに1を足して42。男性ならこれが大厄の本厄だ。

前厄は数え41だから、2027引く41プラス1で1987年生まれ。後厄は数え43だから1985年生まれ。この三人が2027年の四十二歳前後の厄の当事者になる。

女性の大厄も同じやり方で出る。数え33は2027引く33プラス1で1995年生まれ。前厄の数え32が1996年生まれ、後厄の数え34が1994年生まれになる。

残りも埋めておく。2027年の男性は、数え25の本厄が2003年生まれ、その前後が2004年生まれと2002年生まれ。数え61の本厄が1967年生まれで、前後が1968年生まれと1966年生まれになる。女性は、数え19の本厄が2009年生まれ、数え37の本厄が1991年生まれ、数え61の本厄が1967年生まれ。前厄と後厄はそれぞれ一年ずらすだけだ。

一年ずらすと2026年になる。2026年の男性大厄は数え42だから、2026引く42プラス1で1985年生まれ。女性大厄の数え33は1994年生まれだ。

男性の数え25は2002年生まれ、数え61は1966年生まれ。女性の数え19は2008年生まれ、数え37は1990年生まれ、数え61は1966年生まれになる。2026年と2027年で生まれ年が一年ずつスライドしているのが分かる。ここがずれていたら、計算のどこかを間違えている。

満年齢との差も押さえておくと会話が早い。今年まだ誕生日が来ていない人は、数え年イコール満年齢プラス2。誕生日が来た人は満年齢プラス1。だから同じ「満41歳」でも、誕生日前なら数え43で後厄、誕生日後なら数え42で本厄、ということが起きる。神社の受付で「数えでおいくつですか」と聞かれて固まる人が多いのは、この二段構えのせいだ。

ここからが本題だ。境目をどこに置くかで、答えが二つ出る年がある。元日を境にする流儀では、1月1日の午前0時に全員が一斉に一つ歳を取る。神社本庁の説明でも、この一般的な数え方が紹介されていた。

もう一方に、立春を境にする流儀がある。旧暦では立春が年の始まりだったので、そちらを採る寺社では節分までは前の年の扱いになる。国立天文台の暦要項では、2026年と2027年の立春はどちらも2月4日、節分は2月3日になっていた。

立春流だと、1月1日から2月3日までの34日間に生まれた人は、生まれ年を一つ前として計算される場合がある。1月20日生まれの人が、元日流なら本厄、立春流ならまだ前厄、という宙ぶらりんの状態になる。どっちが正しいという話ではなく、寺社ごとに決まっていた。

関東の有名な厄除け寺院でも旧暦基準を採るところがあるし、大きな神社でも新暦基準のところがあった。だから、1月と2月上旬の生まれの人は、行き先を決めてから電話で一言確認したほうがいい。「立春を境にしていますか、元日を境にしていますか」と聞けば、受付はすぐ答えてくれる。

もうひとつ。厄年を満年齢で受け付ける神社もある。七五三と同じで、満でも構わないという立場だ。数えで一回、満でもう一回、と二年続けて受ける人もいるが、これは義務ではない。自分が納得する側で一回受ければ十分だ。

図の見方(生まれ年から厄年を割り出す早見図)

一枚目の図には、上から下へ流れる計算の道筋を描いた。いちばん上の箱が出発点で、自分の生まれ年を西暦で入れる。次の箱が計算式で、2027から生まれ年を引いて1を足すと数え年が出る。

その下で左右に分かれ、左が男性、右が女性の本厄の数え年になる。男性は25、42、61の三つ、女性は19、33、37、61の四つ。赤い太字で大厄と英字を添えたのは、男性の42と女性の33だった。

下の帯には、2027年の具体例を六つ並べた。男性42が1986年生まれ、男性25が2003年生まれ、男性61が1967年生まれ。女性33が1995年生まれ、女性37が1991年生まれ、女性19が2009年生まれになる。

いちばん下の枠が前厄と後厄の作り方で、前厄は本厄の生まれ年に1を足した年、後厄は1を引いた年になる。その下の一行は、立春を境にする流儀の注意書きだ。図では2027年の日付で書いてあるが、どの年の生まれでも1月1日から2月3日の生まれなら同じ注意がかかる。前の年として数えられる場合があるから寺社に確認を、という意味になる。

この期間は1月の31日と2月の3日で34日間になる。図のラベルには日数を33と入れてしまった。そこだけは本文の34日間のほうを正としてほしい。

図のラベルは英字とローマ字で書いた。生まれ年、数え年、本厄、前厄、後厄、大厄の六語に、男性、女性、生年、立春基準の注意の四語。この十語を英字に置き換えたものと読み替えてほしい。

祈祷を受ける前に用意するもの

初穂料の袋から。神社なら紅白の蝶結びの水引が付いた祝儀袋、または無地の白封筒。蝶結びを選ぶのは、何度あってもいい祝いごとに使う結び方だからだ。結び切りやあわじ結びは一度きりの慶弔用なので、厄除けには使わない。関西では慶事にあわじ結びを使う地域もあるので、そこは土地の慣習に従う。

表書きは、水引の上段中央に「初穂料」または「御初穂料」。玉串料でも御祈祷料でも通じるが、迷ったら初穂料でいい。下段に祈祷を受ける本人の氏名をフルネームで、上段の文字よりやや小さく書く。夫婦や親子で一緒に受けるなら連名にして、右から目上の順に並べる。筆は黒の筆ペンで、ボールペンと鉛筆は避ける。

中袋がある袋なら、中袋の表の中央に金額を縦書きし、裏の左下に住所と氏名を書く。金額は大字を使うのが丁寧だ。5000円なら金伍阡円、1万円なら金壱萬円、2万円なら金弐萬円、3万円なら金参萬円と書く。

円を圓にするかどうかは好みで、そろえなくても失礼にはならない。もともと大字は、帳簿や証文の数字を書き換えられないように使われてきた。目的から逆算すれば、そこまで神経質にならなくていい。

中袋がない袋や白封筒なら、裏面の左下に住所と金額をまとめて書く。糊付けはしない。受付でその場で開けるからだ。

金額の目安は5000円から1万円。金額を明示している神社が多く、その場合は掲示された等級から選ぶ。等級で授与品の大きさが変わるだけで、祈祷の中身は同じだ、と説明する神社が大半だった。「お気持ちで」と言われたら5000円を基準にしておけば外さない。有名寺社の特別祈祷で3万円以上の設定があることもあるが、選ばなければいけないものではない。

新札は「望ましいが必須ではない」が実務上の正解だ。祝いごとに準じるので、前もって用意した新札のほうが丁寧、という理屈で広まった。手元になければ、折り目とシワの少ないきれいな札で構わない。

入れ方は、肖像のある面を袋の表側に向け、肖像が袋の口に近くなるようにそろえる。複数枚なら向きを全部そろえる。袋は袱紗に包んで持って行き、受付の直前に出すと折れも汚れもない。

服装。スーツや礼服でなくていい。ただ、昇殿して神前に上がるので、清潔感と脱ぎ履きのしやすさを両立させるのが実利的だ。男性なら襟付きのシャツにジャケット、暗めのスラックス。女性なら膝が隠れる丈のスカートかパンツに、肩の出ないトップスがいい。

避けたいのは、短パン、サンダル、派手なロゴ、大きく肌の出るもの、そして帽子だ。帽子は鳥居をくぐる前に脱ぐ。冬はコートを脱いで畳んで抱える。

地味に効くのが靴下で、靴下かストッキングは必ず履いていく。昇殿では靴を脱ぐ。素足のまま上がると、正直けっこう気まずい。穴が空いていないかも見ておくといい。

持ち物は、初穂料の袋、袱紗、筆記具、身分証、そして正確な住所と生年月日のメモ。申込用紙に住所と生年月日を書くので、番地まで正確に。祝詞のなかで氏名と生年月日と住所が読み上げられるため、ここが曖昧だと自分でも落ち着かない。

授与品が意外に大きいので、書類がそのまま入る大きさの紙袋か布のトートを一つ持っていく。御札の箱と破魔矢がそのまま入る。冬なら床が冷えるので、厚手の靴下があると助かる。

同伴者は、多くの神社で2人から4人まで一緒に昇殿できる。家族そろって受ける人が多かった。人数に制限がある神社もあるので、5人を超えるなら事前に確認する。初穂料は本人一人分でよく、同伴者の分は不要なのが一般的だ。ただし同伴者が同時に別の祈願(家内安全など)を受けるなら、その分は別に納める。

予約は、不要な神社が多いが確認したほうが早い。当日受付で随時対応する神社と、時間を区切って合同で行う神社と、完全予約制の神社があった。合同形式だと、たとえば毎時0分と30分の開始、というふうに区切られ、受付の締め時刻も決まっている。

混むのは、元日から1月7日まで、成人の日の連休、そして節分の前後一週間。2027年でいえば1月1日から1月11日あたりと、1月28日から2月4日あたりだ。この期間は、待ち時間が1時間を超える日もあった。逆に、2月中旬以降の平日の午前中はがらがらで、待ち時間ゼロで昇殿できることも珍しくない。

厄払いは節分までに、という言い方が広まっているが、締切ではない。神社本庁の案内でも、いつまでという決まりはなく、できるだけ年の早い時期が望ましい、という程度の書き方だった。誕生日の前後に受ける人も増えてきた。

所要時間は、昇殿してから退下するまでが15分から30分。これに受付と待合が乗る。境内に着いてから出るまでで、空いている日なら60分、混む日なら135分を見ておけば足りる。後の予定は詰めないほうがいい。

当日の動きを一手ずつ分解する

鳥居の前で立ち止まる。帽子を取って一礼する。角度は浅くていい、15度くらい。そのまま参道に入るが、真ん中は歩かない。真ん中は神様の通り道とされるので、左右どちらかに寄る。

左足から入るなら左端、右足から入るなら右端、という言い方をする神社もあった。ただ、そこまで厳密に守る参拝者は少数派で、寄っていれば十分だ。鳥居が複数あるなら、そのつど一礼する。帰りも、鳥居を出たところで振り返って一礼する。

手水舎。柄杓一杯の水で最初から最後まで通す、というのが唯一にして最大のコツだ。右手で柄杓を取り、水盤の水をたっぷり汲む。汲んだら水盤の上から外れないように体をずらす。

汲んだ水の3割ほどを左手にかけて左手を清める。柄杓を左手に持ち替え、また3割を右手にかける。もう一度柄杓を右手に持ち、左の手のひらに少量の水を受け、その水を口に含む。柄杓に直接口をつけるのは誤りだ。

含んだ水は音を立てずにすすぎ、足元の排水口側にそっと吐く。水盤には戻さない。すすいだら、残りの水でもう一度左手を清める。仕上げに柄杓を立て、柄に水を伝わせて柄そのものを洗い、伏せて元の位置に戻す。

左手、右手、口、もう一度左手、柄と、ここまでで水を五回使う計算になる。最初に汲む量が少ないと途中で足りなくなる。近年は柄杓を置かず、竹樋から水が流れ落ちる形の手水舎も増えた。その場合は両手で水を受けて手を清め、手のひらに受けた水で口をすすぐ。ハンカチは自分で持っていく。

受付。社務所か祈祷受付と書かれた窓口へ。申込用紙に、氏名、ふりがな、住所、生年月日、数え年、祈願の種類を書く。祈願の種類の欄には「厄除」「厄祓」などの選択肢が並んでいるので、該当するものに丸を付ける。

前厄か本厄か後厄かを書く欄を設けた神社もあった。書き終えたら袱紗から袋を出して両手で渡す。ここで受付票や番号札、控えを渡される。

待合。控室か待合所に通され、ここで案内がある。携帯は電源を切るかマナーモードにしておく。

合同祈祷なら、同じ回の参列者と一緒に呼ばれる。トイレはここで済ませておく。祈祷の途中で席を立つのは、まず無理だ。

昇殿。名前を呼ばれる形式なら、返事をしてから前に出る。靴を脱いで上がる。靴は爪先を外に向けてそろえるか、下足箱に入れる。神職か巫女の案内で座る位置が決まる。

椅子席のこともあれば、正座のこともある。正座がつらい人は、最初に申し出れば椅子を出してくれる神社がほとんどだった。神前に近い側が上座なので、先に案内された席に素直に座ればいい。

修祓。祈祷の最初に、大麻という白い紙垂の付いた祓具を神職が左、右、左と三度振って、参列者と供物を祓う。このとき参列者は座ったまま、あるいは立ったまま、頭を30度ほど下げて待つ。振り終わったら頭を上げる。合図は神職の「お祓いを致します」の一言と、しゃっ、しゃっ、という音だ。

祝詞奏上。神職が祝詞を読み上げる。この間も頭を下げたまま、というのが基本だ。

長い場合は、最初と最後だけ深く下げて途中は姿勢を正して待つ神社も多かった。自分の氏名、生年月日、住所が読み上げられる箇所があるので、そこは背筋を伸ばして聞くといい。奏上は5分から10分ほど。

玉串奉奠。ここが一番作法らしい作法で、神職から玉串を渡されるところから始まる。榊の枝に紙垂が付いたもので、根元が自分側、葉先が神前側を向いた状態で差し出される。

受け取るときは両手。右手を甲を上にして根元の側を上から持ち、左手は手のひらを上にして枝の中ほどを下から支える。胸の高さで、葉先がやや高くなるように肘を軽く張れば、あとは半分終わったようなものだ。

玉串案という台の三歩手前で小さく一礼し、三歩進んで案の前に立ち、今度は深く一礼する。ここから回す。

玉串の先を時計回りに90度回して、玉串を縦に立てる。この時点で根元が下、葉先が上だ。次に、下から支えていた左手を右手のところまで下げ、両手で根元を持つ。この形で数秒、祈念する。目を閉じていい。

祈念が済んだら、右手を根元から離して枝の中ほどを下から支え、そのまま時計回りにさらに180度回す。回し終えると根元が神前を向く。90度と180度、合わせて270度回す計算になる。

回す方向はどちらも時計回りで、途中で逆に戻すことはない。向きが決まったら、左足から一歩進み、右足をそろえ、玉串案の上にそっと置く。投げ出さない。置いたら右足から一歩下がり、左足をそろえる。

拝礼は二礼二拍手一礼。礼は腰から90度近くまで深く折り、二回。拍手は胸の前で両手を合わせ、右手を第一関節ぶんだけ手前に引いてから、二回打つ。音の大きさを競うものではない。打ち終わったら指先をそろえ、もう一度深く一礼する。

神社によっては「二拝二拍手一拝」と表記するが同じ動作だ。出雲大社のように四拍手の神社もあるので、掲示があればそちらに従う。終わったら、すぐに背を向けずに軽く会釈してから席に戻る。

合同祈祷では代表者だけが玉串を奉奠し、他の参列者は自席で拝礼を合わせる形も多かった。その場合は代表者の動きに合わせて、同じタイミングで二礼二拍手一礼をする。

授与品の拝受。祈祷が終わると、御札、御守、御神酒、破魔矢、菓子などが渡される。両手で受け取り、軽く頭を下げる。ここで神職から御札の祀り方の説明があることが多いので、聞き逃さない。退下したら靴を履き、本殿の前で改めて一般参拝をしてから帰るときれいに収まる。

唱える言葉を全部書いておく

祈祷そのものは神職が進めてくれるので、参拝者が声を出す場面はほとんどない。ただ、家で御札に向かうときや、待合で気持ちを静めたいときに、自分で唱える言葉を持っていると腹が据わる。原文と読みと訳を、そのまま並べておく。

最初は祓詞。神事の冒頭で必ず唱えられる、いちばん基本の祝詞だ。神社本庁の作文として広く用いられてきた。

原文の前半は「掛けまくも畏き伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に、禊ぎ祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等」。後半が「諸々の禍事・罪・穢有らむをば、祓へ給ひ清め給へと白すことを聞こし召せと、恐み恐みも白す」。

読みの前半は「かけまくもかしこき、いざなぎのおおかみ、つくしのひむかのたちばなのおどのあわぎはらに」。中ほどが「みそぎはらえたまいしときに、なりませるはらえどのおおかみたち」。後半は「もろもろのまがごと・つみ・けがれ、あらむをば、はらえたまいきよめたまえと、もうすことをきこしめせと、かしこみかしこみももうす」。

現代語訳。口に出してお名前を申し上げるのも恐れ多い伊邪那岐大神が、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊ぎ祓いをなさった。そのときにお生まれになった祓戸の大神たちよ。もろもろの災い、罪、穢れがございましたら、祓い清めてくださいと申し上げます。この願いをお聞き届けくださいと、恐れ多くも申し上げます。

次に略拝詞。四句しかない。「祓へ給へ、清め給へ、守り給へ、幸へ給へ」。読みは「はらえたまえ、きよめたまえ、まもりたまえ、さきわえたまえ」。

訳は、祓ってください、清めてください、守ってください、幸せにしてください。これだけだ。祓詞を覚えるのが億劫なら、当面はこれ一本でいい。

神社に参拝したときに唱えるのが神社拝詞だ。原文の前半は「掛けまくも畏き○○神社の大前を拝み奉りて、恐み恐みも白さく」。中ほどが「大神等の広き厚き御恵を辱み奉り、高き尊き神教のまにまに、直き正しき真心をもちて」。

後半が「誠の道に違ふことなく、負ひ持つ業に励ましめ給ひ、家門高く身健に、世のため人のために尽さしめ給へと、恐み恐みも白す」。○○のところに参拝している神社の名を入れる。

読みの前半は「かけまくもかしこき、まるまるじんじゃのおおまえをおろがみまつりて、かしこみかしこみももうさく」。続きは「おおかみたちのひろきあつきみめぐみをかたじけなみまつり、たかきとうときみおしえのまにまに」。

その先が「なおきただしきまごころをもちて、まことのみちにたがうことなく、おいもつわざにはげましめたまい」。結びは「いえかどたかくみすこやかに、よのためひとのために、つくさしめたまえと、かしこみかしこみももうす」。

訳はこうなる。名を口にするのも畏れ多い、この神社の御前を拝み申し上げて、恐れながら申し上げます。神々の広く厚いお恵みを、ありがたく頂戴いたします。高く尊い教えのままに、まっすぐで正しい真心をもって、誠の道を外れることなく、自分が背負っている務めに励むことができますように。

家が栄え、身体が健やかで、世のため人のために尽くせますようにと、恐れ多くも申し上げます。自宅の神棚や御札に向かうときは、冒頭を「此れの神床に坐す」に替えた神棚拝詞を使う。

大祓詞は丸ごと唱えるとだいぶ長いので、要になる後段の一節だけ挙げる。罪や穢れが四柱の神々のリレーで運び去られていく、いちばん有名な場面だ。

原文。「高山の末、短山の末より、佐久那太理に落ち多岐つ速川の瀬に坐す瀬織津比売と言ふ神、大海原に持ち出でなむ。此く持ち出で往なば、荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百会に坐す速開都比売と言ふ神、持ち加加呑みてむ。此く加加呑みてば、気吹戸に坐す気吹戸主と言ふ神、根国底国に気吹き放ちてむ。

此く気吹き放ちてば、根国底国に坐す速佐須良比売と言ふ神、持ち佐須良ひ失ひてむ。此く佐須良ひ失ひてば、罪と言ふ罪は在らじと、祓へ給ひ清め給ふ事を、天つ神、国つ神、八百万神等共に、聞こし食せと白す」。

読み。「たかやまのすえ、ひきやまのすえより、さくなだりにおちたぎつ、はやかわのせにますせおりつひめというかみ、おおうなばらにもちいでなむ。かくもちいでいなば、あらしおのしおのやおじの、やしおじのしおのやおあいにますはやあきつひめというかみ、もちかかのみてむ。

かくかかのみてば、いぶきどにますいぶきどぬしというかみ、ねのくにそこのくににいぶきはなちてむ。かくいぶきはなちてば、ねのくにそこのくににますはやさすらひめというかみ、もちさすらいうしないてむ。

かくさすらいうしないてば、つみというつみはあらじと、はらえたまいきよめたまうことを、あまつかみ、くにつかみ、やおよろずのかみたちともに、きこしめせともうす」。

訳。高い山の頂、低い山の頂から、勢いよく流れ落ちて逆巻く急流の瀬においでになる瀬織津比売という神が、罪穢れを大海原へ持ち出してくださるだろう。そうして持ち出されたなら、荒い潮が幾筋も集まって渦を巻くところにおいでになる速開都比売という神が、それをごくりと呑み込んでくださるだろう。

呑み込まれたなら、息吹の戸においでになる気吹戸主という神が、それを根の国、底の国へ息で吹き放ってくださるだろう。吹き放たれたなら、根の国、底の国においでになる速佐須良比売という神が、それを持ってさすらい、消し去ってくださるだろう。

こうして消え去ったなら、罪という罪は一つも残らない。この祓い清めのはたらきを、天の神々、国の神々、八百万の神々ともども、お聞き届けくださいと申し上げます。

川から海へ、海から地の底へ、地の底から彼方へ。四段階で流していく構図になっている。この四柱をまとめて祓戸四神と呼んできた。祓詞に出てくる「祓戸の大神等」は、この四柱を指す言い方でもある。

寺院で厄除けを受けるなら、不動明王の真言が中心になる。短いほうが一字呪で、「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン」。長さが中くらいなのが慈救呪で、厄除けではこれがいちばんよく唱えられてきた。

カタカナ読みは「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウン・タラタ・カン・マン」。伝承によって「センダン」「バサラダン」「ソハタヤ」と揺れるが、どれが間違いということはない。

語ごとの意味を並べておく。ノウマクが帰命します、礼拝します。サンマンダがあまねく、すべての。バザラダンが金剛たちの。センダが凶猛な、激烈な、という呼びかけ。

マカロシャダが大いなる忿怒の尊で、これも呼びかけ。ソワタヤが打ち砕け、という命令形。ウンとタラタは意味を訳さない呪音で、それぞれ力を込める音、断ち切る音とされてきた。カンとマンは不動明王を一字で表す種子の音だ。

全体を訳すと、あまねく一切の金剛尊に帰命します、凶猛にして大いなる忿怒の尊よ、打ち砕きたまえ、となる。何を打ち砕くのかは原文に書かれていない。儀礼の文脈から、迷い、煩悩、修行を妨げる障りを打ち砕く、と補って読むのが通例だ。

「慈救」という名前がついているのに本文に慈悲という語がないのは、そのためだ。慈悲があるからこそ恐ろしい姿を取って障りを断つ、という不動明王の働きそのものを、後の人が名前にした。

この真言が向いている先は、自分自身の内側の障りであって、誰か特定の人物ではない。人に向けて唱えるものではない。唱える回数は7遍、21遍、108遍が区切りとして使われてきた。毎日やるなら朝に7遍でいい。

なお、こうした祝詞や真言は一字一句の正確さを競うものではない。声に出しても、心の中で読んでも構わない。読み間違えても罰は当たらない。

自宅でできる厄落としを数字で固める

豆まきから。2027年の節分は2月3日の水曜、その翌日2月4日が立春だ。まく時間は夜。鬼は丑寅の刻、つまり深夜2時から4時に来るという理屈からきているが、さすがに深夜にはやらない。家族がそろう夜8時から10時のあいだが現実的な着地点で、集合住宅なら夜9時までに終えるのが無難だろう。

豆は炒った大豆、いわゆる福豆を使う。生の豆は芽が出るので縁起が悪いとされ、実際、拾い残しから芽が出ると掃除が面倒だ。まくまでは枡か三方に入れて、御札の前か棚の上に置いておく。まく人は本来は家長だが、年男、年女、そして厄年の本人がまく形も広く行われてきた。厄年の当事者がいるなら、その人が主役でいい。

順路は決まっている。玄関からいちばん遠い部屋から始めて、玄関で終わる。各部屋でやることは三つ。窓を全開にして、外に向かって「鬼は外」を2回、力を込めて投げる。すぐに窓を閉めて鍵をかける。

閉めた状態で、部屋の中心に向かって「福は内」を2回まく。合計4回まくのが一部屋の基本形だ。窓を開けたまま福は内をやると福が逃げる、という言い方がされてきた。この三手順を全部屋で繰り返し、仕上げに玄関のドアを開けて「鬼は外」を2回、ドアを閉めて内側に「福は内」を2回まいて終わる。

まき終えたら全部拾う。家具の裏に入り込んだ豆を放置すると後で泣きを見る。そのうえで、豆を食べる。数え年の数だけ、というのが基本形で、来年の分として1粒多く食べる流儀もあった。

2027年に数え42の人なら42粒、もしくは43粒。数が多くて食べきれないなら、豆と塩昆布と梅干しに湯を注いだ福茶にして飲めばいい。

ここは強く注意しておきたいのだが、3歳以下の子どもに硬い豆を与えてはいけない。誤嚥と窒息の事故は、実際に何度も起きてきた。小さい子がいる家庭では、豆の代わりに個包装の落花生や、丸めた新聞紙を使うと安全だ。高齢者も、飲み込む力が落ちていれば福茶に切り替える。

恵方も数字で押さえる。恵方はその年の十干で決まり、東北東やや東の75度、南南東やや南の165度、西南西やや西の255度、北北西やや北の345度の4方位しかない。2026年は丙の年なので南南東の165度。2027年は丁の年なので北北西の345度になる。

スマホのコンパスアプリで数値を出すなら、それぞれ165度、345度に体を向ける。ケースに磁石が入っていると狂うので外す。恵方巻きを食べるなら、切らずに一本、無言で、恵方を向いて食べ切る。食べる時間帯に決まりはない。

盛り塩。用意するのは、精製されていない天然の粗塩、直径5センチから7センチの白い陶器の小皿、そして100円ショップで買える固め器。塩の量は一か所につき大さじ1杯、およそ10グラムを目安にする。仕上がりの高さは3センチから5センチが扱いやすい。

作り方は、型の内側を霧吹きで1回だけ湿らせ、塩を3回に分けて入れながらそのつど指か押し棒で底まで押し固める。型の縁まで詰めたら小皿を上からかぶせ、皿と型を一緒に押さえて一気にひっくり返す。皿を机に置いてから型を真上にそっと引き抜く。

崩れる原因はほぼ二つ、塩が乾きすぎているか、押し固めが足りないかだ。円錐でも八角錐でもよく、底が広いぶん円錐のほうが崩れにくい。

置き場所は、玄関の内側の左右2か所から始める。三和土の端か下駄箱の下段の高さ、床から10センチ以内の低い位置がいいとされてきた。集合住宅では共用廊下側に置かない。管理規約で禁止されていることがあるし、蹴られる。

玄関で足りるようになったら、トイレに小さめのものを1か所、5グラム程度。増やしすぎると交換が続かなくなるので、家全体で最大4か所までに留めるのが現実的だ。

交換は毎月1日と15日の2回で、年24回になる。カレンダーに印を付けておく。湿気の多い時期は2週間を待たずに替える。塩が黄ばんだ、黒ずんだ、形が崩れた、水を吸って溶けてきた、このどれかが起きたら日付に関係なく即交換だ。

古い塩は料理に使わない。感謝して可燃ごみに出すか、少量ずつ水で流す。土に埋める場合は、植物のある場所は避ける。塩害になる。

厄落としの品を手放す作法。昔は、身につけていた櫛や手拭い、小銭を、大晦日や節分の夜に橋の上や四つ辻に落としてくる、というやり方が各地で行われていた。愛媛の記録には、鼻緒を切った草履を辻に捨てる、年の数だけ炒った豆を橋から落とす、といった事例が残った。ただ、これを今の街なかでそのままやると不法投棄になる。

自宅で火を焚いて燃やすのは避ける。多くの自治体で野外焼却は条例により原則禁止されているうえ、単純に危ない。どうしても火を使いたければ、神社のお焚き上げに出す。線香やろうそくを部屋で使う場合は、不燃の受け皿に立て、カーテンや紙から30センチ以上離し、火をつけたまま部屋を離れない。消火用の水をコップ一杯そばに置き、就寝前に必ず消す。

贈り物による厄落とし。厄年の本人が周囲に配ることで、厄を分散して受け止めてもらうという発想だ。石川の一部には、鏡餅の上に丸干しの鰯を腹合わせにした祝い餅を配る風習があった。関西には厄除けぜんざいを近所に振る舞う形が残る。大分では、男性が年の数だけついた餅を持参して祓いを受け、そのあと近所に配った、という話が伝わっていた。

逆に、周囲から厄年の人へ長い物を贈る風習も広い。帯、紐、うろこ模様の帯、現代ならネクタイ、ベルト、マフラー。長い物は長寿に通じるという理屈だ。愛媛では、うろこ模様の帯を実家の親が贈り、これを命長めの帯、厄流しの帯と呼んだ。

これは祝いごとであって、誰かに不幸を押し付ける手続きではない。配るほうも受け取るほうも気持ちよく終わる形にする。金額は張らないほうがいい。菓子折り、赤飯、餅、商品券あたりで、一人あたり1000円から3000円が今の相場感だろう。

受け取った側は普通にお礼を言えばいい。お返しは要らないとする土地もあれば、厄が明けてから内祝いで返す流儀もあった。

厄除け祝いの餅まき。数え42を迎えた男性が親族や近所を招いて宴を開き、餅や菓子をまく、というのが本来の形だった。地域によっては同年会という同学年の集まりが母体になり、25歳の厄年から準備を始めて42歳の厄祭で本番を迎える、という長期戦をやっているところもある。

個人の家でやるなら規模を絞る。神社の許可なく境内でまくことはできないし、路上でまけば道路使用の問題が出る。自宅の庭か、借りた集会所で、参加者は10人から30人程度、餅は個包装のものを一人あたり3個から5個。

屋外でまくなら、拾う人が転ばないよう足元の段差をなくし、子どもと大人のエリアを分ける。頭上から硬い物を投げ下ろさない。これは伝統というより単純な安全管理だ。

図の見方(盛り塩と御札の設置位置図)

二枚目の図には、玄関から見た家の断面を模式的に描いた。左端が玄関ドア。ドアの内側に小さな三角が二つ並んでいて、これが盛り塩の山になる。

左右2か所で、それぞれ10グラム、高さ3センチから5センチ。床から10センチ以内の低い位置に置くので、図でも床に近いところに描いてある。交換の周期は毎月1日と15日、年24回で、図の下の帯にその数字を入れた。

図を横切っている破線が目線の高さで、およそ150センチのところに引いた。その上に載っている横長の板が御札を祀る棚だ。棚の高さは床から150センチ以上、つまり立ったときの目線より上。棚板の上に御札と御守が並び、棚の下に白い紙か白布を敷く。

棚のそばの注記には、正面が向く方角として南または東、そして一年で新しくする、と書き添えた。いちばん下の帯が盛り塩の交換ルールで、毎月1日と15日、年24回、家全体で最大4か所まで。

ラベルは英字で書いた。玄関の扉、内側、左右の盛り塩、棚、御札、御守、目線の高さ、床。下に敷く白い紙か白布、正面を南か東に向ける、一年で新しくする、盛り塩の交換、最大4か所。

この十三の言葉を、それぞれ英字に置き換えてある。図の数字は、すべて本文の数字とそろえた。

御札と御守の祀り方と、一年後の後始末

祈祷でいただいた御札は、家に着いたらまず薄紙を外す。上巻紙といって、家に祀るまで清浄に保つための包みなので、祀る段階では外していい。外した紙は捨てて構わない。

置き場所は、目線より高いところ。床から150センチ以上が目安になる。神様を見下ろす格好にならないため、と説明されてきた。

ただし高齢の方が背伸びして掃除するような高さにするのは本末転倒なので、その場合は少し下げて、座って拝むことにする。座ったときの目線より上にあればいい。方角は、御札の正面が南か東を向くように置く。太陽に関わる神様だから、と多くの神社が説明していた。正面を南に向けるなら北側の壁、東に向けるなら西側の壁に置くことになる。

神棚がない家のほうが今は多い。その場合の最小構成はこうだ。本棚やタンスの上を拭いて、白い半紙か白布を一枚敷く。その上に御札を立てかける。倒れるようなら、数百円のお札立てを使う。

壁に直接貼りたいなら、押しピンで刺すのは避けて、御札の裏に白い紙を一枚当て、その紙を両面テープで壁に留める。御札そのものに穴を開けたりテープを直接貼ったりしない、という配慮だ。避けたいのは、エアコンの真下、ドアの真上、トイレや浴室と壁一枚で隣り合う位置、そして人が頻繁に下をくぐる出入口の真上。清浄で明るく、毎日手を合わせやすい場所を優先する。

御札が複数あるときは、神社の御札と寺院の御札を同じ棚に混ぜない。棚を分けるか、上下や左右で場所を分ける。神社の御札を横に並べるなら、いちばん格の高いものを中央、次を向かって右、その次を向かって左。重ねるなら格の高いものを手前にする。

日々の扱いは簡単でいい。朝に一礼、二拍手、一礼。略拝詞の四句を唱える。水を替えるなら毎朝。榊を供えるなら毎月1日と15日に替え、盛り塩の交換日と同じにしておけば忘れない。

棚の埃は週に一回、乾いた布で払う。掃除のときは口を布で覆うか、息が直接かからないように少し身体を横にずらす。

一年たったら返納する。目安は授かってからおよそ1年、または願いが果たされたとき。実務としてやりやすいのは、年末の大掃除で棚を掃除するタイミングで下ろすことだ。下ろす前に、一年お守りいただきありがとうございました、と声に出して言う。これが返納の入口になる。

納める先は、受けた神社の古札納所が第一候補だ。古神札納所、納札所、古札受付など呼び名は神社ごとに違っていた。社務所の近くか本殿の脇にあることが多かった。常設のところと年末年始だけ設けるところがあるので、行く前に受付期間と受け付けてくれる品目を確認する。

大晦日から1月15日の小正月あたりまで、どんど焼き、左義長、古神札焼納祭といった名前で焼納の神事が行われてきた。ここが最大のチャンスだ。地域の自治会が行うどんど焼きに出す手もある。ただ、受け入れ対象が正月飾りだけで御守は対象外、という運用のところもあるので、回覧板か自治体の案内で確認する。

遠方で受けた御札はどうするか。神社本庁の案内では、納めに行くのが難しい場合は、近くの神社にお焚き上げしてもらえるか問い合わせてから納めるのがよい、とされていた。いきなり持ち込まずにまず聞く、ということだ。郵送返納を公式に案内している神社もあった。

郵送の場合は、事前に電話か公式の案内で郵送できるかを確認する。御札や御守を白い紙で包んで封筒か箱に入れ、表に「古札在中」または「お焚き上げ希望」と書く。お焚き上げ料として500円から1000円程度を同封するので、現金書留で送る。現金は普通郵便では送れない。宛先は社務所か古札係で、一年お守りいただきありがとうございました、と一筆添えると丁寧だ。

案内が出ていない神社に一方的に送りつけるのはやめたほうがいい。処理する人の手間になる。

どうしても寺社に持って行けない場合、自宅で区切りをつける方法もある。白い半紙を広げ、その上に御札や御守を置き、ひとつまみの粗塩を振り、一年お守りいただきありがとうございました、と伝えてから、半紙で包む。そのうえで自治体の分別に従って出す。

現実的な話をしておくと、紙と木でできた御札は多くの自治体で可燃ごみ、金属の鈴や金具が付いた御守は金具を外して不燃ごみ、というのが標準的な扱いになる。破魔矢は先端が尖っているので新聞紙で包む。プラスチックの装飾は外す。自治体によって区分が違うので、分別表を一度見ておく。

中身が透ける袋に入れて出すのが気になるなら、紙袋に入れてから袋に入れる。燃やして処分しようとしないこと。

神棚そのものや宮形を処分する、会社で長年ためた御札をまとめて納める、といった規模の話になったら、古札納所に入れずに社務所に相談する。清祓いが必要かどうか、サイズ的に受けられるかどうかは神社側の判断になる。

厄年の一年で損をしやすい五つの場面

厄年の一年で損をしやすい場面は、だいたい決まっている。前もって知っておけば、避けるのは難しくない。五つに分けておく。

一つめは、祈祷だけで満足してしまうこと。祈祷の日に健康診断の予約も入れておくと、厄払いが健診へ行くきっかけに化ける。数え42や33は、体の不調が出はじめる年代とちょうど重なる。受付の帰りに、予約の電話を一本入れるだけでいい。

二つめは、御札をもらって終わりにすること。棚に祀って毎朝一礼するだけでも、一日の最初に三十秒立ち止まる習慣ができる。その習慣は、一年後に古札納所へ納める日まで続く。祈祷の中身より、こっちのほうが後に残ったりする。

三つめは、作法を覚えずに済ませること。玉串を90度、180度と回す手順は、神前式の結婚式や地鎮祭でもそのまま使う。厄除けの昇殿は、それを一度通しで体に入れる機会にもなる。

四つめは、高額な祈祷に引き込まれること。最初は1万円と言われたのに、「このままでは家族にも及ぶ」と追加の祈祷や道具を勧められ、総額が膨らんでいく。そういう手口は、消費生活の相談の場でくり返し取り上げられてきた。正規の受付には等級表が貼ってある。それが見当たらない時点で引き返せばいい。

五つめは、慎みすぎること。前厄から後厄までの三年、厄年を理由に転職も引っ越しも見送ると、その見送り自体が損になる場合がある。厄年は慎む年であって、止まる年ではない。

効いているのか、効いた気がしているだけなのか

正直に書く。厄年に災厄が集中するという統計的な裏付けは、今のところ見当たらない。生命保険や損害保険の事故と疾病のデータ、公的な人口動態の統計を並べても同じだった。男性の数え42や女性の数え33で、入院率や事故率が突出して跳ね上がる現象は確認されていない。厚生労働省の生命表を見ても、その年齢帯の死亡率はきわめて低い水準にとどまっていた。

では、なぜ「当たった」と感じる人が多いのか。三つ挙げておく。

一つめが確証バイアスだ。人は自分が信じていることに合う出来事を強く記憶し、合わない出来事を忘れる。厄年でない年に財布を落とせば「不注意だった」で終わるのに、本厄の年に同じことが起きると「やっぱり厄年だ」と因果を後付けする。

逆に本厄の年に昇進しても「厄年なのに珍しい」と例外扱いして記憶から外す。この非対称が積み重なると、体感としての的中率だけが上がっていく。厄年に何らかの不幸があったと答えた人が3人に1人程度だった、という民間の調査もあった。ただ、厄年でない年に何かあったかを同じ精度で聞いていないので、比べようのない数字だ。

二つめが自己成就予言だ。今年は悪いことが起きると強く思い込むと、判断が保守的になりすぎたり、逆に注意が散漫になったりして、本当にミスが増える。さっきの五つめの場面がまさにそれで、厄年を理由に機会を見送ったこと自体が損失になっている。恐れが行動を変え、変わった行動が結果を作る。

三つめが交絡だ。数え42は満でおよそ40歳、数え33は満でおよそ31歳。この年代は、職場の責任が増え、子どもが小さく、睡眠が削られ、生活習慣病の兆しが出はじめる時期と重なる。年齢そのものが持つリスクを、厄という別のラベルで説明してしまっている。

数十万人規模の診療報酬明細のデータから、病気の増える年齢を割り出した分析も出ていた。男性で24歳、37歳、50歳、63歳、女性で25歳、39歳、52歳、63歳という結果だった。伝統的な厄年とは微妙にずれている。ずれているということは、伝統的な厄年が疾病統計から導かれたものではない、ということでもある。

こう書くと厄除けを全否定しているように読めるかもしれないが、そうではない。儀式には、儀式であることによる効き目がある。決まった手順を踏むと不安が下がる、というのは心理学の側からもそれなりに支持されてきた。自分の行動が未来に働きかけられると感じられること自体が、ストレスを減らす。

だから、厄除けは災厄を物理的に打ち消す装置としてより、一年を仕切り直す区切りとして使うのがいちばん筋がいい。健診の予約、保険の見直し、睡眠時間の確保。これらを厄年という口実で一気に片付けられるなら、それはもう十分に実利だ。

やらないこと、途中でやめること

いくつか線を引いておく。

体調が悪い日は昇殿しない。祈祷中は20分以上、動けない姿勢で座ることになるので、発熱、めまい、強い痛みがあるなら日をずらす。妊娠中の人、足腰に不安のある人は、申し込みの段階で椅子席を頼む。頼めば、たいていは用意してくれる。

身内に不幸があった直後は、忌明けを待つ。神社では、死のけがれによる忌の期間をおよそ50日と数える流儀が広く行われてきた。この間は鳥居をくぐらないという地域もあった。忌が明けてから改めて参拝すればいい。寺院はこの制約が緩いので、どうしても年内に済ませたいなら寺のほうを選ぶという手もある。

3歳以下の子どもに豆を与えない。誤嚥と窒息の危険がある。飲み込む力が落ちている高齢者も同様で、その場合は福茶に替える。豆まきの掛け声も、集合住宅なら時間帯に配慮する。夜9時を過ぎたら声量を落とす。

盛り塩を共用部に置かない。マンションの外廊下やエレベーターホールは共用部なので、管理規約で禁止されている場合がある。屋外に置くと風雨で崩れ、虫が寄る。内側に置く。

火を使う作法は屋内で完結させない。自宅の庭で燃やす行為は、多くの自治体で野外焼却として原則禁止されている。お焚き上げは寺社に任せる。線香やろうそくを使うなら、不燃の受け皿、可燃物から30センチ以上の距離、水を張ったコップを用意して、離席しない。就寝前に必ず消す。

古札を、受け付けを明言していない寺社に無断で郵送しない。相手の手間になるうえ、処理できずに滞留する。必ず事前に確認する。

もう一本、太い線を引く。厄除けや厄払い、魔除け、鎮宅といった実践は、自分と自分の家を守るためのものだ。誰かに不幸が起きるように仕向ける、特定の人物を名指しして対象にする、そうした方向へは一切踏み込まない。伝統のなかにそうした系統の話が残っているのは事実だが、ここでは扱わず、手順も書かない。

婉曲な言い換えで迂回することもしない。厄落としの「厄を他人に持っていってもらう」という発想も、祝いの席で餅や菓子を配り、受け取った側が喜んで持ち帰る、という形に収まるからこそ成立する。相手が知らないうちに何かを押し付ける、という設計にはしない。

それから、ここに書いたことはどれも、医療や法律や投資の判断の代わりにはならない。厄除けは、健診や契約の見直しに腰を上げるきっかけとしては役に立つ。そういう手続きを代わりに片付けてくれるものではない、という線だけは引いておく。

高額な祈祷と開運商法から身を守る

お金の話もしておく。正規の寺社の祈祷は、料金が事前に分かる。掲示があるか、電話で聞けば即答されるか、そのどちらかだ。金額の等級で授与品の大きさが変わることはあっても、祈祷の中身に差はつかない、と説明する寺社が多かった。ここが基準線になる。

危ないパターンには共通の型がある。不安をあおる言葉が先に来ることだ。このままでは大変なことになる、家族にも及ぶ、先祖が供養されていない、悪いものが憑いている。そして、その解決策として高額な祈祷、印鑑、ブレスレット、水晶、セミナーが提示されてきた。

一つ払うと、効き目が出ないという理由で次が提示され、金額が段階的に積み上がる。消費者庁が2022年8月の検討会に出した資料を見ると、2021年度の霊感商法の相談で、契約金額の平均はおよそ113万円だった。中央値はおよそ21万円。すでに払った額でも、平均およそ97万円に対して中央値はおよそ6万5000円。少額から入って膨らんでいく構造がうかがえる。

対処は単純だ。その場で決めない。いったん帰る。家族か友人に話す。この三つで大半は止まる。

すでに払ってしまった場合でも、あきらめる前に相談する。

訪問販売や、呼び出された先での契約に当たる場合は、契約書を受け取った日から8日以内ならクーリングオフができることがある。不安をあおる勧誘で結んだ契約は、消費者契約法によって取り消せる場合もある。寄付の勧誘についても、不当な勧誘を防ぐための法律が整備された。

相談先は、局番なしの188番。消費者ホットラインで、自動音声に従って郵便番号を入れると、最寄りの消費生活センターにつながる。恐怖を感じるような勧誘を受けたなら、警察にも情報を伝える。霊感商法に特化した相談ダイヤルも設けられた。

念のため書いておくが、これは特定の事業者や寺社を批判する話ではない。まっとうに運営されている神社仏閣が圧倒的多数だ。ただ、不安につけ込む商法は、不安が大きくなる場面を狙って現れてきた。厄年は、まさにその場面のひとつだ。

行き先を決めるときは、料金が事前に分かるかどうか、その一点をまず見ればいい。分からないところには行かない。それだけで、ほとんど防げる。

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