ヨーガの世界にはいろんな話があるけど、いちばん人を引きつけて、いちばん人を壊してきたのがクンダリニーだ。
話の骨格はシンプルすぎるほどシンプルになる。人間の背骨のいちばん下、仙骨のあたりに、とんでもない量のエネルギーが蛇のかたちで眠っている。
三巻き半のとぐろを巻いて、頭を下に向けて、自分の尻尾を口にくわえて、ぐっすり寝ている。これが目を覚まして、背骨の中を通るスシュムナーという管を一気に駆けのぼり、頭のてっぺんに到達する。そのとき人は、人間ではない何かになる。
ざっくり言うとそれだけの話だ。
それだけの話なのに、この一枚の絵が千年以上のあいだインドの行者を焚きつけた。二十世紀に西洋に渡って心理学者を悩ませ、精神科の外来に患者を送り込み、日本ではカルトの勧誘文句になった。とぐろを巻いた蛇のイメージひとつで、である。
しかも厄介なのが、これが完全な作り話とも言い切れないところだ。
座って呼吸をいじって長時間じっとしていると、人間の体には実際に妙なことが起こる。背中が熱くなる。勝手にビクッと動く。目を閉じているのに光が見える。耳の奥で音が鳴る。
感情が理由もなく大波になる。自分が自分でない感じになる。これは全部、報告として山ほどある。
問題は、その体験に蛇が昇ったという説明をかぶせた瞬間、話が一気に危険なほうへ転がることだ。
ここでは、その蛇の正体を、できるだけ端から端まで追いかける。教義の出どころ、覚醒したと言う人たちの生々しい記録、精神医学がそれをどう見ているか、日本で何が起きたか、そしてなぜ人はいまだにこれを欲しがるのか。長いけど、たぶん途中で止まらなくなると思う。
- 一九三七年のクリスマスの朝、カシミールの部屋で
- 眠れない、食えない、痩せる
- 症例報告に近い、一人称の記録
- この蛇は、そんなに古くない
- 眠っている蛇を、わざと突いて起こす
- 体の中の、配管図
- 途中に、三つの関所がある
- 覚醒の技法として、語られてきたもの
- 同じ蛇を、みんなバラバラに解釈している
- 神経電流と呼ばれた瞬間から、話が変わった
- 大衆的シャクティパットという発明
- ユングが一九三二年に言ったこと
- 精神科医が「これは精神病じゃないかもしれない」と言い出す
- スピリチュアル・エマージェンシーという枠組み
- 覚醒したと言う人たちの、生々しい証言
- 分娩中に、電流が背骨を駆けのぼった
- 蛇を知らない人にも、同じことが起きる
- 精神医学の窓から見ると、何に見えるか
- 過換気で、ほとんど説明がつく
- もっと地味な説明
- 有害事象研究のリストと、丸かぶりする
- 日本に、この蛇が入ってきたとき
- ヨガ教室として、始まった
- 引き出すべき、三つの教訓
- いま、蛇はSNSの上で泳いでいる
- これだけは、真面目に読んでほしい
- 受診の目安
- なぜ人はいまだに、背骨の蛇を欲しがるのか
- 三つの層に、分けて見る
- 加工品であることは、偽物であることではない
- 意味づけの、順番の話
- 蛇は逃げない
一九三七年のクリスマスの朝、カシミールの部屋で
まずこの話から始めないと始まらない。ゴーピー・クリシュナ。一九〇三年、カシミールのシュリーナガル近郊の村に生まれた男だ。
職業は普通の役人。妻がいて、子どもがいて、地域の社会改革運動もやっていた。聖者でもなければ隠者でもない。給料をもらって暮らす、そのへんのおじさんである。
ただ一点だけ変わっていた。十七歳のころから、毎朝夜明け前に起きて瞑想していたのだ。それを十七年間、ほぼ一日も欠かさず続けていた。
彼が集中していたのは頭頂の蓮華。つまり頭のてっぺんにあるとされる中心に、意識をひたすら向け続けるやり方だった。
師匠はいない。ちゃんとした伝授も受けていない。本を読んで、自分なりに、である。ここが後で効いてくる。
一九三七年のクリスマスの朝。彼は三十四歳になっている。
いつものように、まだ暗いうちに起きて、いつもの場所に座り、いつものように頭頂に意識を向けた。何も特別な期待はしていなかった。ところが、その日は違う。
彼自身の記述によれば、まず背骨の底に妙な感覚が生まれた。彼はそれを無視して集中を続けようとする。すると感覚が強くなり、やがて轟音のようなものとともに、液体の光の流れが背骨を駆けのぼり、脳の中に流れ込んできた。
視界が消える。部屋も、体も、輪郭を失った。彼は光の海の中にいて、その光そのものが自分になる。意識だけがあって、時間も空間も溶けていた。数字で言えば、たぶん数分の出来事だ。
その数分が、彼の人生を十二年間めちゃくちゃにした。
眠れない、食えない、痩せる
体験が終わったあと、彼は最初こそ歓喜している。ついに来た、と思った。ところが翌日、体がおかしい。
背中に熱がある。それも心地よい温かさではなくて、内側から焼かれるような熱だ。頭の中が絶えず唸っている。夜になっても眠れない。数日たっても眠れない。
食欲が消えた。何を食べても味がしないどころか、飲み込むことすら苦痛になった。彼はみるみる痩せていく。
彼が書いている症状のリアルさが、この記録が長く読まれてきた理由だと思う。
彼は、背骨の中を上っていく流れが、冷たい月のような性質と、焼けつく太陽のような性質のあいだで揺れ動いていた、というふうに書く。
うまくいっている日は光と至福があって、体が軽くて、世界が輝いて見える。ダメな日は、頭蓋の内側で炎が燃えていて、皮膚がひりつき、心臓が暴れ、絶望のどん底に落ちる。その二つが、予告なしに入れ替わる。彼は自分が発狂しつつあると確信していた。
医者にも行っている。ヨーガの心得がある人にも相談した。だが誰も何も分からない。当時のカシミールに、この状態を説明できる人間は事実上いなかったのだ。
彼は仕事を続けようとしたが、集中力はぼろぼろで、書類の文字が読めない日もあった。家族は困惑する。妻は、痩せ細って眠らず食べない夫を、ただ見ているしかなかった。
いちばん有名なのが、死にかけた夜の場面だ。
何か月も続いた消耗で、彼はもう限界に来ていた。体温が下がり、意識が薄れ、自分がこのまま死ぬのだと理解した。そのとき、彼の中に唐突な直観が走る。食べろ、というのである。
彼はもう何日もまともに食べていなかった。家族に頼んで、食べ物を持ってきてもらう。噛むのも飲み込むのも拷問だったが、彼は無理やり胃に入れた。
すると、体の中を流れる焼けつく流れが、少しずつ穏やかなものに変わっていったという。彼はこれを、燃える側の管から冷やす側の管へ流れが移った瞬間だと解釈した。
そこから回復が始まる。ただし、あっさりとは終わらない。
彼の言い方だと、安定するまでに十二年かかった。一九三七年の冬に始まって、四〇年代の終わりごろ、ようやく体が新しい状態に落ち着く。
その十二年間、彼はずっと役人の仕事を続けていた。家族も養い続けている。ここが妙に生活感があっていい。神秘体験のあいだも、人は出勤しなければならないのである。
症例報告に近い、一人称の記録
安定したあとの彼には、本人いわく変化があった。突然、詩が湧いてくるようになったのだ。
それも母語のカシミール語だけではない。ウルドゥー語、パンジャーブ語、ペルシャ語、サンスクリット、英語でも出てくる。さらには本人がろくに知らないはずのドイツ語やフランス語やイタリア語でも、韻を踏んだ詩句が勝手に出てくると彼は主張した。
この主張の真偽は今も議論がある。ただ、彼が生涯で十七冊の本を書き、そのうち三冊を全部韻文で書いたのは事実だ。
彼はその体験を、一九六七年に一冊の本にまとめる。タイトルはそのままクンダリニー。副題は、人間における進化のエネルギー。
ロンドンで出版され、心理学者のジェイムズ・ヒルマンが解説を寄せた。この本が、西洋の意識研究の風景を変えることになる。
なぜ変えたか。それまで西洋に入っていたクンダリニーの情報は、基本的に教義の翻訳と紹介だった。つまり、こういう教えがある、という話だ。
ゴーピー・クリシュナの本は違った。私はこうなった、こう苦しんだ、十二年かかった。そういう一人称の報告書だったのだ。
しかもその報告が、やたら具体的で、やたら不快で、まったく美化されていない。眠れない、食えない、痩せる、狂うと思った。神秘家の証言というより、症例報告に近い手触りがある。
そして彼は、これを神秘主義ではなく生物学の問題として扱えと主張した。
クンダリニーとは、人類を次の段階へ押し上げようとしている生物学的な進化のメカニズムであって、天才や創造性や宗教体験の背後にはこれがある。だから科学者はこれを研究すべきだ、と。
彼は生涯その主張を繰り返し、ドイツの物理学者カール・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッカーのような人物と手紙をやりとりし、実験的検証を呼びかけ続けた。一九八四年、シュリーナガルで亡くなるまで。
彼の理論が科学として成立したかというと、正直、していない。検証可能な予測をほとんど出せなかったからだ。でも彼が残した一人称の記録の価値は別物で、その後の研究者はほぼ全員、この本を出発点にしている。
この蛇は、そんなに古くない
クンダリニーという言葉は、サンスクリットのクンダリン、つまり輪になった、とぐろを巻いたという形容詞から来ている。女性名詞化して、とぐろを巻いた女性。蛇であり、同時に女神だ。この二重性が最初から最後までついてまわる。
意外に思うかもしれないけど、この概念、そんなに古くない。少なくとも、体系だったかたちで文献に現れるのは中世以降になる。
もっとも古い言及の候補とされるのが、八世紀ごろのタントラサドバーヴァ・タントラだ。ここで蛇のようにとぐろを巻いた女神的な力が語られる。研究者のデイヴィッド・ゴードン・ホワイトは、この語を、環のかたちをした彼女、と訳している。
十一世紀のシャーラダーティラカになると、クンダリーはドゥルガー女神の別名として、タントラとシャクティ信仰の文脈で登場する。
ここが重要なんだけど、クンダリニーはもともとタントラの語彙であって、ハタ・ヨーガの語彙ではなかった。
タントラというのは、六世紀から十二世紀ごろにかけてインド亜大陸で広がった宗教運動の総称になる。ヴェーダ正統派が忌避した身体、性、女性原理、儀礼を、むしろ解脱の道具として全面的に肯定した。
宇宙は男性原理のシヴァと女性原理のシャクティの戯れであり、人間の身体はその宇宙のミニチュアである。だから身体の中で二つを合体させれば、宇宙的な合一が起きる。
この発想が、背骨の中を昇る女神という図像を生んだ。カシミール・シヴァ派のアビナヴァグプタが十世紀末から十一世紀初頭に書いたタントラーローカは、その思想的な到達点のひとつになる。
眠っている蛇を、わざと突いて起こす
このタントラの語彙を、身体技法のパッケージとして再編成したのがハタ・ヨーガだった。
十二世紀から十三世紀ごろ、ゴーラクナートを開祖とするナート派の周辺でゴーラクシャシャタカ、つまりゴーラクシャの百詩節が編まれる。
ここで初めて、ムーラバンダをはじめとする三つのバンダとクンバカによってクンダリニーを目覚めさせる、という技術論が明文化された。
文中には強烈な比喩がある。棒で打たれた蛇が声を上げてまっすぐに立ち上がるように、というものだ。眠っている蛇を、わざと突いて起こす。ハタ・ヨーガの発想は最初からかなり暴力的なのだ。
十五世紀、スヴァートマーラーマがハタ・ヨーガ・プラディーピカーを編纂する。ハタ・ヨーガの標準教科書と言っていい本で、第三章のムドラーの章がクンダリニー論の中心になっている。
有名な一節に、鍵で扉をこじ開けるように、ヨーギンはクンダリニーによって解脱の扉をこじ開ける、という表現がある。ここでもクンダリニーは、開錠のための道具だ。
十六世紀に入ると、いわゆるヨーガ・ウパニシャッド群が量産される。ヨーガクンダリニー・ウパニシャッドのように、書名にクンダリニーが入るものまで出てくる。
プールナーナンダ・スヴァーミーが一五二六年に書いたとされる、シャットチャクラ・ニルーパナもある。すなわち六つの身体中心の記述と探究で、後に西洋に伝わるチャクラ体系の直接の原典になった。
十七世紀ごろにはシヴァ・サンヒターやゲーランダ・サンヒターが成立し、ハタ・ヨーガの技法体系がほぼ現在知られるかたちに固まる。
つまり時系列で言うと、八世紀ごろにタントラの語彙として芽が出て、十二世紀前後にナート派で技術論になり、十五世紀から十七世紀にかけて教科書化された。
ヴェーダやウパニシャッドの時代から連綿と続く超古代の秘伝、という語られ方をよくするけど、文献的な裏付けはそこまで古くない。ここは押さえておいたほうがいい。
体の中の、配管図
クンダリニーの話をするには、身体の中の配管図を知らないといけない。ナーディーと呼ばれるエネルギーの通り道の話だ。
ナーディーはサンスクリットで管、パイプ、神経、血管、脈といった意味を持つ語で、文献によって本数がやたら違う。
ハタ・ヨーガ・プラディーピカーやゴーラクシャ・サンヒターは七万二千本と言う。シヴァ・サンヒターは三十五万本もあると言ったうえで、そのうち肝心なのは十四本だとする。数字が合わないのは、これが解剖学ではなくて、修行者の内的地図だからだ。
そのうち決定的に重要なのが三本になる。背骨の中心を貫くのがスシュムナー。左を走るのがイダー。右を走るのがピンガラーだ。
イダーは月であり、涼しく、受動的で、女性的とされる。ピンガラーは太陽であり、熱く、能動的で、男性的とされる。
この二本が背骨のまわりを螺旋状に絡み合いながら上っていく図像が有名で、医療のシンボルであるカドゥケウスにそっくりだとよく言われる。実際、その類似はゴーピー・クリシュナ本人も指摘していた。
インドの聖なる川になぞらえる伝統もある。イダーはガンジス、ピンガラーはヤムナー、スシュムナーは地下を流れるとされるサラスヴァティーに対応する。
普段、人間のプラーナはイダーとピンガラーを行ったり来たりしている。呼吸が左右の鼻孔で交互に優位になる現象と結びつけて語られることが多い。
ところがスシュムナーは、普段は閉じている。だから修行の目的は、左右の流れを均衡させてスシュムナーの入口を開き、そこにクンダリニーを送り込むこと、ということになる。
さらに細かい文献になると、スシュムナーの中にヴァジュラー、その中にチトリニー、その最内奥にブラフマ・ナーディーという入れ子構造があるとされる。管の中に管があって、その中にまた管がある。
途中に、三つの関所がある
そして、上る途中には関所がある。グランティ、つまり結節だ。三つある。
下部にあるブラフマ・グランティは、生存欲や物質への執着に結びつけられる。胸のあたりのヴィシュヌ・グランティは、感情や自我や愛着に結びつけられる。眉間のあたりのルドラ・グランティは、超能力への執着や、悟ったという思い上がりに結びつけられる。
この三つの結び目が解けないと、エネルギーは上まで行かない。逆に言うと、途中で詰まると、そこで問題が起きる。
この、途中で詰まるという発想が、後の時代にめちゃくちゃ便利に使われることになる。
体調が悪い、眠れない、パニックになる。それは詰まりのせいだ、という説明がいくらでも成立してしまうからだ。修行を続ければ抜ける、という話にもなる。ここが危ない。
チャクラのほうも簡単に触れておく。下から順にムーラーダーラ、スヴァーディシュターナ、マニプーラ、アナーハタ、ヴィシュッダ、アージュニャー、そして頭頂のサハスラーラだ。
クンダリニーはこれを下から順に貫いていくとされ、各チャクラを通過するたびに特有の体験や能力が現れると説かれる。
ちなみに、チャクラに虹の七色を割り当てるあの図は、インドの古典にはない。あれは二十世紀の西洋、具体的には神智学の産物だ。後で出てくる。
覚醒の技法として、語られてきたもの
先に断っておくと、ここは紹介にとどめる。文献にこう書かれている、という話であって、やり方の説明ではない。理由は後半で嫌というほど書く。
古典が挙げる手段は大きく分けて四系統ある。
ひとつめがバンダ。締め付け、あるいは錠と訳される身体操作だ。骨盤底を用いるムーラバンダ、腹部を用いるウディヤーナバンダ、喉と顎を用いるジャーランダラバンダの三つが基本とされる。三つを同時にかけたものはマハーバンダと呼ばれる。
文献上の理屈としては、下に流れようとするエネルギーを堰き止めて上に向け、その圧で眠る蛇を叩き起こす、という発想になる。
ふたつめがクンバカ。呼吸を止める段階のことで、プラーナーヤーマの中核とされてきた。息を吸ったあとで止める型と、吐いたあとで止める型がある。
古典はこれをクンダリニー覚醒の主要な手段として繰り返し推奨している。ただし同じ古典が、師の指導なしにやれば命に関わる、という警告を必ずセットで書いていることも見逃せない。
ハタ・ヨーガ・プラディーピカーには、ライオンや象や虎を少しずつ馴らすように扱わねばならず、そうでなければ行者を殺すという趣旨の記述がある。古典自身が危険物取扱注意と書いているのだ。
みっつめがシャクティパット。師から弟子へ、エネルギーを直接手渡すという考え方になる。サンスクリットで、シャクティが降りる、といった意味だ。
手段は接触、視線、言葉、想念、さらには遠隔とされる。カシミール・シヴァ派は、これを七段階の強度に分類している。いちばん強いものは受けた瞬間に解脱に至り、いちばん弱いものは何生もかけてゆっくり効いてくる、とされる。
この体系が二十世紀に大量生産されると何が起きるか。これも後で述べる。
よっつめがマントラと集中だ。特定の音節を反復し、身体の各中心に意識を集中させる。
ゴーピー・クリシュナがやっていたのは基本的にこれで、頭頂に向かってひたすら集中を続ける、という素朴なやり方だった。素朴なやり方でも起きるときは起きる、というのがこの話の怖いところでもある。
なお、断食や睡眠の制限、長時間の座法の保持なども、伝統的には併用されてきた。これらの具体的な量や時間は、ここでは一切書かない。書くべきではないからだ。
同じ蛇を、みんなバラバラに解釈している
ここが面白いところで、クンダリニーは一枚岩の教義ではない。流派によって、そもそも何が起きているのかの理解が違う。ひとつずつ見ていく。
ハタ・ヨーガの古典系は、徹底して身体技術の話として扱う。クンダリニーは身体の中にある実在の力であり、身体の操作によって物理的に動かせる対象だ。
目的も意外と即物的になる。多くの文献はアムリタ、つまり甘露を確保して身体を不死化することを目標に掲げている。頭の中に溜まっている甘露が普段は下に落ちて消耗しているから、それを止めて逆流させる、という発想だ。
悟りというより、錬金術に近い。この系統では、蛇は象徴ではなくて、動かすべきモノになる。
カシミール・シヴァ派は、まるで違う読み方をする。
彼らにとってクンダリニーは意識そのもの、シャクティそのものであり、身体の中の配管を物理的に押し上げるという話ではない。すべては最初からシヴァであって、人はただそれを忘れている。
だから修行の眼目は、パーソナルな努力で何かを上昇させることではなく、すでにそうであることを再認識することだ。アビナヴァグプタの体系では、シャクティパットは師の技ではなく、シヴァ自身の恩寵の作用として扱われる。
この立場から見ると、下から順に管を通していくという素朴な上昇物語は、初心者向けの方便ということになる。
シャクティ派やタントラの左道系は、性の要素を正面から扱う。宇宙が男性原理と女性原理の合一で成り立っている以上、人間のレベルでもそれを再現できる、という論理だ。
ここでクンダリニーは、身体の底に眠る女神が、頭頂で待つシヴァのもとへ帰る恋愛譚として語られる。
ただし、実際の儀礼がどこまで行われていたか、どこからが象徴的な内的実践だったかは、地域と時代でかなり差がある。ちなみにこの系統の実践は、後世に性的搾取の言い訳として濫用された歴史も持っている。
神経電流と呼ばれた瞬間から、話が変わった
近代ヴェーダーンタ系、つまりヴィヴェーカーナンダの流れは、クンダリニーを合理化しようとした。
一八九六年のラージャ・ヨーガで、彼はイダーとピンガラーを神経電流と呼び、スシュムナーを脊髄の中の中空の管と呼んだ。西洋の読者に通じる語彙に翻訳したのだ。
この翻訳は爆発的に成功した一方で、副作用も大きかった。生理学の言葉で書かれた瞬間、これは実際の解剖学の話なのだと読者が受け取るようになったからだ。
以後百年以上、クンダリニーは、まだ科学が発見していない実在の器官として語られ続けることになる。
神智学系はもっと大胆だった。
ブラヴァツキーが一八八八年のシークレット・ドクトリンで、クンダリニーを蛇の力として紹介した。その流れをチャールズ・レッドビーターが、一九二七年のザ・チャクラズで決定的に視覚化する。
彼はチャクラを霊視できると主張し、色付きの図版を大量に載せている。現代のヨガスタジオに貼ってある、下から赤、橙、黄、緑、青、藍、紫という虹配色のチャクラ図は、インド古典由来ではなく、ほぼこの本の発明になる。
そしてレッドビーターは同時に、猛烈な警告も残した。準備なしにクンダリニーを目覚めさせると、燃えるような苦痛が走り、精神が壊れ、欲望が制御不能になる、と。神智学は普及役であると同時に、最初期の危険警告の発信源でもあった。
大衆的シャクティパットという発明
シッダ・ヨーガの系統、スワミ・ムクターナンダの流れは、シャクティパットを中心に据えた。
師が触れる、あるいは見る、あるいは孔雀の羽で撫でるだけで、弟子のクンダリニーが目覚める。一九七〇年代、彼が欧米をツアーして回ったとき、この方式は大量の受容者を生んだ。会場で震え出す人、泣き出す人、笑いが止まらなくなる人が続出する。
この大衆的シャクティパットという発明が、その後のあらゆる派生形の原型になった。
ビハール・スクール・オブ・ヨーガのスワミ・サティヤナンダ・サラスワティは、これを教科書に落とし込んだ。
一九八四年のクンダリニー・タントラは、断片的だった伝承を整理し、章立てして、段階的に説明した本として世界的に読まれた。良くも悪くも、クンダリニーが体系的に学べる科目になったのは、この本の影響が大きい。
三HOのヨギ・バジャンの流れは、完全にアメリカ発の再発明だ。
一九六八年から六九年にかけて、ハルバジャン・シン・プーリーという人物が渡米し、クンダリニー・ヨーガと名づけた独自のクラス形式を打ち出した。研究者のフィリップ・デリップは、彼がヨーガの身体技法にシク教由来のマントラを組み合わせて新しいものを作った、と指摘している。伝統の直輸入ではなく、合成品だったわけだ。
この系統は二〇一〇年代後半から二〇二〇年にかけて、性的虐待や金銭的搾取の告発が相次いだ。外部機関による調査報告で、申し立ての多くに信憑性があるとされている。関連団体でも同様の批判が出た。
エネルギーの伝授という権威構造が、そのまま権力の非対称性になる。これは構造的な問題だ。
サハジャ・ヨーガのニルマラ・デーヴィーは、一九七〇年以降、集会で一斉にクンダリニーを目覚めさせると主張した。
手のひらに涼しい風を感じたら覚醒の証拠、という分かりやすい指標を提示したのが特徴で、その手軽さが世界的な拡大を生んだ。一方で、覚醒を判定するのが本人の主観的な感覚である以上、これは検証不能でもある。
そしてゴーピー・クリシュナ自身の立場は、どこにも属さない。師なし、教団なし、儀礼なし。
彼はクンダリニーを進化生物学の問題だと言い張り、宗教から切り離そうとした。結果として彼は、伝統派からは我流と見なされ、科学者からは根拠不足と見なされ、どちらにも完全には受け入れられなかった。それでも彼の記録がいちばん読まれているのは、皮肉といえば皮肉だ。
現代のフィットネス寄りのヨガスタジオでは、クンダリニーはほとんど比喩として扱われる。エネルギー、めぐり、内なる力。実体としての蛇を本気で信じているインストラクターは、たぶん多数派ではない。
ところが生徒の側は、その比喩を実体として受け取ることがある。この非対称が、後で問題を起こす。
ユングが一九三二年に言ったこと
一九三二年、チューリヒの心理学クラブで、ある連続セミナーが開かれた。
講師は二人。ひとりはインド学者のヴィルヘルム・ハウアー。もうひとりがカール・グスタフ・ユングだった。テーマはクンダリニー・ヨーガ。ハウアーが原典と教義を解説し、ユングがそれを心理学的に読み解く、という分担だ。
この記録は長らく限られた範囲でしか流通しなかった。後にソヌ・シャムダサーニの編集で公刊され、東洋思想の心理学的理解における画期として扱われるようになる。
ユングがそこで何を言ったか。要点は二つある。
ひとつめ。彼はチャクラの体系を、無意識の展開の地図として読んだ。下から上へ昇っていくというのは、彼の言う個性化の過程に対応する。
もっと踏み込むと、彼はチャクラの上昇を、人が自我という狭い基盤から離れて、より深い層へ入っていく過程として理解した。
そのうえで彼は、こういう趣旨のことを言っている。クンダリニーという概念が我々にとって持つ唯一の用途は、我々自身の無意識との体験を記述することだ、と。つまり、実在の器官として扱うのではなく、記述の道具として使え、という立場になる。
ふたつめ。そして、これが有名な警告になる。
ユングは、西洋人がインドの技法をそのまま輸入して実践することの危険を、繰り返し語った。
彼の論理はこうだ。ヨーガの技法は、何千年もかけてその土地の心の構造に合わせて調整されてきたものだ。インド人にとって、身体と象徴と宗教は連続していて、その体系の中に安全装置が組み込まれている。
ところが西洋人は、その土台を持っていない。持っていないまま強力な技法だけを使うと、自我が持ちこたえられない。無意識が一気に噴き出したとき、それを受け止める文化的な器がない。結果として、彼が言うところの精神の膨張、あるいは崩壊が起きる。
同じ趣旨のことを、ユングは一九三六年の論考でも書いている。西洋人はヨーガを真似するのではなく、自分たちの土壌から自分たちの方法を育てるべきだ、というのが彼の一貫した主張だった。
ちなみに彼自身は一九三七年から三八年にかけてインドを旅している。現地でヨーガ行者に会いに行くことも可能だったはずだが、彼はむしろ距離を取った。
ユングの警告をどう評価するかは難しい。
文化本質主義的だという批判はもっともで、東洋人なら安全で西洋人なら危険、という区分けは雑すぎる。実際、インドでも修行で壊れる人は昔からいた。だからこそ古典に警告文があるわけで。
ただ、彼が指摘した構造そのものは、その後の八十年で何度も的中している。技法だけを文脈から切り離して輸入すると、体験を受け止める枠組みが欠けたまま強い体験が起きる、という指摘だ。
一九六〇年代のカウンターカルチャー、七〇年代のグル・ブーム、九〇年代の日本、そして二〇二〇年代のSNSまで、同じことが繰り返された。
精神科医が「これは精神病じゃないかもしれない」と言い出す
ゴーピー・クリシュナの本が英語圏に広まった一九六〇年代後半から七〇年代前半は、意識研究がいちばん盛り上がっていた時期だ。
サイケデリック研究、東洋思想の流入、トランスパーソナル心理学の誕生、エサレン研究所を中心にしたヒューマン・ポテンシャル運動。
その渦の中で、ある種の臨床家たちが妙なことに気づき始めた。瞑想やヨーガをやっている人の中に、精神病の診断基準に部分的に当てはまるのに、どうも様子が違う一群がいる、というのだ。
その最初のまとまった記述をしたのが、サンフランシスコの精神科医リー・サンネラだった。
彼は一九七六年に、クンダリニーは精神病か超越か、という直球のタイトルの本を出す。後に増補されて再刊された。
彼が集めた症例は十数件。共通していたのは、こういうパターンだ。
まず身体症状が先に来る。背中や脚に熱や冷たさが走る。体が勝手に動く。震え、けいれん、跳ねるような動き。呼吸が勝手に変化する。
次に知覚。閉じた目に光が見える。耳の奥で音が鳴る。轟音、蜂の羽音、鈴、笛。
次に感情。理由のない恍惚と、理由のない恐怖が交互に来る。そして自己感覚の変化。自分が体から離れている感じ、世界が作り物に見える感じ。
サンネラの主張のキモは、この一群は自然経過で収束することが多い、という点だった。
統合失調症のように進行性に機能が崩れていくのではなく、時間とともに落ち着いていく。だから抗精神病薬で強引に抑え込むより、安全な環境で経過を見守るほうがいい場合がある、と彼は言った。
彼はこれを、イツァーク・ベントフという工学系の思索家の仮説と結びつける。ベントフは一九七七年の本で、瞑想中の身体に生理学的な共振が生じ、それが感覚野に沿った異常感覚を引き起こすというモデルを提案していた。
このモデル自体は実験的な裏付けが乏しく、現在まともに支持されているとは言いがたい。ただ当時としては、エネルギーを生理学の言葉に置き換えようとした真面目な試みではあった。
スピリチュアル・エマージェンシーという枠組み
もっと大きな枠組みを作ったのが、スタニスラフ・グロフとクリスティーナ・グロフの夫妻だ。
スタニスラフはチェコ出身の精神科医で、幻覚剤の臨床研究から出発し、後にホロトロピック・ブレスワークを開発した人物になる。クリスティーナは、自身が強烈な体験の当事者だった。
二人はスピリチュアル・エマージェンシーという概念を打ち出す。
これは英語の駄洒落になっている。エマージェンシー、つまり緊急事態であると同時に、エマージェンス、つまり何かが出現しつつある過程でもある。そういう二重の意味を込めた語だ。
彼らの枠組みでは、スピリチュアル・エマージェンシーにはいくつかの類型がある。神秘体験を伴う自我の解体、シャーマン的な危機、超能力の噴出、憑依的な体験、過去生の記憶の噴出、そしてクンダリニー覚醒だ。
これらは病気ではなく、収束すれば人格の統合をもたらしうる危機である、というのが彼らの主張だった。
クリスティーナは一九八〇年、エサレン研究所を拠点に、こういう状態にある人を適切な支援者につなぐためのネットワークを立ち上げている。夫妻は一九八九年にスピリチュアル・エマージェンシー、九〇年にストーミー・サーチ・フォー・ザ・セルフを出した。
この流れは、制度にも一部届いた。
一九九〇年代前半、デイヴィッド・ルコフ、フランシス・ルー、ロバート・ターナーらが提案を出す。精神医学の診断マニュアルに、宗教的または霊的な問題という区分を設けるというもので、一九九三年に採択された。翌年に出た第四版に、精神障害そのものではないが臨床的関心の対象になりうるカテゴリーとして収載されている。
これは、宗教的な体験を自動的に病理と見なさず、文化的な文脈を踏まえて評価しろ、という要請だった。
ただ、ここを誤読してはいけない。この区分ができたことは、クンダリニー症候群という疾患単位が医学的に承認された、という意味ではまったくない。
クンダリニー症候群は、現在も国際的な診断分類に独立した疾患としては存在しない。認められたのは、宗教的な文脈を臨床評価に入れろという手続き上の話であって、蛇が実在すると医学が認めた話ではない。ここを混同した言説がネット上には非常に多い。
覚醒したと言う人たちの、生々しい証言
ゴーピー・クリシュナの話はもうした。ここでは他の証言をいくつか並べる。読んでいて気持ちのいい話ばかりではない。むしろその逆だ。
まずスワミ・ムクターナンダ。シッダ・ヨーガの中興の祖として、七〇年代の欧米で絶大な人気を誇った人物だ。彼自身の霊的自伝には、覚醒の過程がかなり率直に書かれている。
師ニティヤーナンダからシャクティパットを受けたあと、彼は洞窟にこもって瞑想を続ける。そこで起きたことは、爽やかな悟りとはほど遠かった。
体が勝手に激しく動き出す。腹が膨れ、痙攣が走る。目の前に恐ろしい姿が現れ、自分が死ぬのだと確信して恐怖に震える。
自分が発狂したのだと思い込む時期があり、実際、周囲から見ても正気を疑われる状態だったと自ら書いている。性的な衝動が制御不能なかたちで噴き出し、それに苦しんだことも記されている。
そのうえで彼は、赤い光、白い光、黒い光といった色つきの光の階梯を見て、最終的に青い真珠のような小さな光の点に到達したという。
この本の面白さは、教団のトップが自分の狂気すれすれの時期を隠さず書いていることだ。ただし後年、彼自身も弟子への性的関係をめぐる告発を受けている。この分野で証言を読むときは、証言者の権力の位置も一緒に見る必要がある。
分娩中に、電流が背骨を駆けのぼった
次にクリスティーナ・グロフ。彼女がスピリチュアル・エマージェンシーの理論に説得力を持たせられたのは、当事者だったからだ。
彼女の体験の始まりは、修行の場ではなかった。一九六〇年代、ハワイで第一子を出産している最中である。
分娩の激しい痛みの中で、彼女は突然、背骨を電流のようなものが駆けのぼるのを感じた。強烈な光を見て、体の輪郭が消える。
彼女は当時ヨーガの知識をほとんど持っておらず、何が起きたのか説明する言葉を持っていなかった。医師も助産師も、そんな話は聞かなかったふりをする。
その後、彼女の内面は不安定になり、強い感情の波と身体感覚に長く悩まされることになる。彼女はそれをアルコールで抑え込もうとし、依存に至った。
回復のプロセスを経てから、彼女は自分に起きたことを説明する枠組みを探し始め、それがネットワーク設立につながっていく。
ここで大事なのは、彼女が最終的に依存症の治療という、まっとうな医療の手続きを経ていることだ。霊的な枠組みは、医療の代わりではなく、医療のあとに来た。
三つめに、アイルランド生まれの女性イリーナ・トゥイーディーの記録がある。
彼女は五十代半ばで夫を亡くしたあとインドに渡り、あるスーフィーの導師のもとで修行した。その日記が一九八六年に公刊されている。分量は膨大で、日付ごとに体調と心の状態が延々と記されている。
そこに出てくるのは、聖なる話ではない。
眠れない夜の記録が続く。体が焼けるように熱い、という記述が繰り返される。制御不能な性的エネルギーが噴き出して、五十代の自分がそんな状態になることへの恥辱と困惑もある。
師への激しい怒り。自分は騙されているのではないかという疑念。神経が剥き出しになったような過敏さも綴られる。
彼女は何度も、これは頭がおかしくなっているだけではないのかと自問する。
この日記が価値を持つのは、修行の途中経過が美化されずに残っているからだ。ふつう、こういう記録は結果が出てから書き直される。彼女は書き直さなかった。
蛇を知らない人にも、同じことが起きる
四つめ。カトリックの信仰を持つアメリカの著述家フィリップ・セント・ロマンのケースになる。
彼はヨーガをやっていたわけではない。キリスト教の観想的な祈りを続けていた。ところがある時期から、身体に説明のつかない現象が起こり始める。
背骨に沿った圧力、頭部への集中的な感覚、意図しない身体の動き、内的な光。
彼はカトリックの伝統の中にこれを説明する語彙を探したが、見つからなかった。そこで東洋の文献にあたって、クンダリニーという概念に行き着く。彼は一九九一年に、その経験をキリスト教霊性の枠組みでどう理解すべきかを論じた本を出した。
このケースが示唆的なのは、蛇の図像を全く知らない伝統の実践者にも、似た身体現象が起きている点だ。逆に言えば、身体現象そのものはインド教義に固有ではない、ということでもある。
五つめは、名前のない人たちの話をしておきたい。
二〇一〇年代以降、ネット上の掲示板やSNSには、この種の体験談が大量に投稿されている。パターンはだいたい決まっている。
長い瞑想合宿、あるいは激しい呼吸法のワークショップ、あるいは失恋や過労や睡眠不足といった生活上の危機のあとに、何かが始まる。
最初は身体だ。背中の熱、耳鳴り、体の勝手な震え、寝入りばなの落下感。次に不眠。眠れない日が続くと、それだけで人間の認知はおかしくなる。
そこに離人感が乗ってくる。自分の手が自分のものに見えない。鏡の中の顔が他人に見える。世界に膜がかかっている。
この段階でネットを検索して、クンダリニー覚醒という語にたどり着く。そして、これは病気ではなく覚醒なのだ、という説明を見つけて安心する。ここまでは、まあ、分かる。
問題はその先だ。
同じコミュニティでしばしば流通しているのが、精神科に行くな、薬でエネルギーの流れを止めるな、医者は理解しない、という言説である。これは端的に危険だ。
不眠が続き、体重が落ち、幻覚があり、自分や世界が現実でないという感覚が続いている。そういう状態なら、それが霊的なものであろうがなかろうが、まず医療につながる必要がある。霊的な解釈は、医療のあとでいくらでもできる。順番を逆にした人が、いちばん重い代償を払っている。
精神医学の窓から見ると、何に見えるか
ここからが本題の裏側だ。報告されている症状群を、精神医学の窓から眺めるとどう見えるか。
結論から言うと、いくつもの既知の状態にきれいに重なる。しかも重なり方が絶妙で、だからこそ厄介なのだ。
まず躁状態。睡眠欲求の低下、つまり眠らなくても平気だという感覚がある。高揚した気分と、壮大な使命感。自分は選ばれた、世界の真実を知った、という確信。異常に増えた活動量と多弁も伴う。
これは双極性障害の躁病エピソードの教科書的な記述であると同時に、覚醒体験の語りにそのまま出てくる特徴でもある。
しかも躁状態には病識が乏しいという特徴があって、本人は絶好調だと感じている。周囲だけが異変に気づく。覚醒物語は、この病識の欠如に完璧な理屈を提供してしまう。おかしいのは自分ではなく、まだ目覚めていない周囲のほうだ、と。
次に解離。離人感と現実感喪失は、この界隈の証言に極めて高頻度で出てくる。
自分の体が自分のものでない感じ、感情が遠くにある感じ、世界にフィルターがかかっている感じ。これは離人感や現実感喪失症の中核症状そのもので、強いストレス、睡眠不足、過度の内省、長時間の瞑想などで誘発されることが知られている。
霊的な文脈では、これは自我が薄れて真我が現れつつある徴候だと解釈されがちだ。臨床的には、まったく別の対処が必要な状態になる。
過換気で、ほとんど説明がつく
パニック障害と過換気も外せない。というより、呼吸法をやる人にとってこれはほぼ避けて通れない。
速い呼吸や深い呼吸を長時間続けると、血中の二酸化炭素が減って呼吸性アルカローシスになる。すると何が起きるか。
指先や口のまわりがしびれる。手足がこわばり、ひどいと手がすくんで固まる。頭がふわふわして、めまいがする。
心臓がバクバクする。視界が狭くなる。そして強烈な非現実感が来る。
この一式は、そのまま、エネルギーが体を駆けめぐった、手にビリビリと力が流れた、という報告と一致する。
ここは仮説ですらなく、生理学的にほぼ確定している対応関係だ。ホロトロピック・ブレスワークのような強い呼吸を用いる技法で劇的な体験が起こりやすいのは、まずこれで説明がつく。
側頭葉てんかんも鑑別に上がる。
側頭葉、特に内側の構造から生じる発作は、恍惚感を伴うことがある。至福、宇宙との一体感、時間が止まった感じ、既視感、体外離脱のような感覚、嗅覚の幻覚。
ドストエフスキーが自分の発作前の恍惚を書き残したのは有名な話で、近年の研究では前部島皮質の関与が指摘されている。
数秒から数分の強烈な神秘体験が繰り返し起きるなら、これは真剣に神経内科的な評価が必要な事態だ。霊的解釈で放置していい話ではない。
ほかにもある。甲状腺機能亢進症は動悸と発汗と不眠と体重減少を起こす。むずむず脚症候群や周期性四肢運動は夜間の不随意運動を起こす。入眠時幻覚や睡眠麻痺は、光や音や圧迫感を伴う強烈な体験を作り出す。
長時間の坐位そのものが、下肢の血流と神経の圧迫で異常感覚を作る。そして単純に、断眠を続けると誰でも幻覚を見る。
もっと地味な説明
では、報告されている現象すべてが病気なのか。そうとも限らない、というのが今の穏当な見方だと思う。むしろ大半は、病気ですらない、ごく普通の生理と認知で説明がつく。
いちばん強力な説明は、注意の増幅だ。
人間は普段、身体の内側から届く信号のほとんどを無視している。心拍、呼吸、腸の動き、筋肉の微細な収縮、血管の拍動、皮膚の微弱な感覚。これらは常に発生しているのに、脳がノイズとして捨てている。
ところが瞑想というのは、まさにそのノイズに注意を向け続ける訓練だ。静かな部屋で目を閉じて、何十分も身体感覚を観察する。当然、普段見えなかったものが見えてくる。
背中の筋肉のわずかな緊張が、熱として感じられる。長時間同じ姿勢でいた筋肉が疲労して線維束攣縮を起こせば、ピクッとした不随意運動になる。
これがクリヤーと呼ばれる現象のかなりの部分だろう。心身医学でいう身体感覚増幅そのものだ。
次に期待効果。これがたぶん決定的に重い。
もしあなたが、背骨の底に蛇がいて、それが上に昇るという物語を先に知っていたら、あなたの注意は自動的に背骨に向く。そして背骨には、常に何かしらの感覚がある。人間の背中は無感覚ではない。
その感覚に、昇っている、というラベルを貼るのは、ほとんど反射的な作業だ。逆に、この物語を知らない人が同じ瞑想をしても、背中の感覚は、背中がちょっと張ってるな、で終わる。
プラセボ研究が繰り返し示してきたのは、期待が知覚そのものを変えるということだ。痛みの強さすら期待で変わる。まして曖昧な内的感覚なら、なおさらである。
だから、文化ごとに何が起きるかが違う。
インドの行者は蛇を感じ、キリスト教の観想家は聖霊の火を感じ、シャーマン文化の人は動物霊を感じ、現代のヨガスタジオの生徒はエネルギーの流れを感じる。同じような生理現象に、その人が持っている物語がかぶさる。
フィリップ・セント・ロマンのケースが興味深いのは、彼が既存の枠組みでは説明できず、あとから他文化の語彙を借りてきた点だ。身体の側は共通で、説明の側が文化ごとに違う。この構図はかなり多くのことを説明する。
有害事象研究のリストと、丸かぶりする
科学的にいちばんまともな足場は、瞑想の有害事象研究のほうにある。
二〇一七年に、ブラウン大学のウィロビー・ブリットンらのグループが研究を発表した。上座部、禅、チベット系の実践者六十人と、指導者や臨床家三十二人に詳細な聞き取りを行ったものだ。
そこで整理されたのは、五十九種類の体験を七つの領域に分類したものだった。
身体領域には睡眠の乱れ、痛み、圧迫感、エネルギーの奔流、不随意運動、食欲の変化が入る。
感情領域には恐怖と不安、情動の不安定さ、抑うつ、トラウマの再体験が入り、恐怖や不安は対象の八割以上が報告した。
知覚領域には光や音への過敏、視覚異常、現実感喪失、幻覚、空間の歪みが入る。認知領域、意欲領域、自己感覚の領域、そして社会的な領域には、対人関係の悪化や就労困難まで含まれていた。
つまり、伝統がクンダリニー覚醒の徴候として列挙してきたものは、瞑想の有害事象として研究者が独立に拾い上げたリストと、ほぼ丸かぶりしているのだ。
これは重要な符合だと思う。現象は本当に起きている。
ただ、その現象は蛇の証拠ではなく、強度の高い注意訓練が人間の神経系に与える負荷の現れとして理解したほうが、はるかに実用的だ。実用的というのは、そう理解したほうが対処ができるという意味である。
負荷が原因なら、負荷を減らせばいい。実際、有害事象研究から出てくる推奨はそういう地味なものになる。実践量を減らす、睡眠を確保する、食べる、身体を動かす、人と話す、専門家に相談する。蛇を上まで通すために修行を増やせ、とはならない。
反論としてよく出てくるのが、それでは説明できない体験がある、というものだ。確かにある。
数分間の圧倒的な光の体験を、注意の増幅だけで説明するのはたぶん無理がある。そこは正直に、まだよく分かっていない、と言うのが誠実だと思う。
分かっていないことを、分かっているふりで蛇に置き換えるのも、分かっているふりで病名に置き換えるのも、どっちも同じ種類の雑さだ。
日本に、この蛇が入ってきたとき
日本のクンダリニー受容には、他の国にはない事情がある。順番に見ていこう。
戦後の日本にヨーガを学問として持ち込んだのは、佐保田鶴治という人物だ。
大阪大学でインド哲学を講じた研究者で、五十代半ばで自分の健康問題をきっかけにヨーガの実践を始め、以後、原典の翻訳に取り組んだ。
ハタ・ヨーガ・プラディーピカー、ゲーランダ・サンヒター、シヴァ・サンヒター。こうしたハタ・ヨーガの主要文献やヨーガ・ウパニシャッド群を日本語で読める形にしたのは、ほぼ彼の仕事になる。
この翻訳の存在は大きい。日本語圏の読者は早い段階から、クンダリニーについて原典に近い記述にアクセスできた。同時に、原典が持っている警告文にもアクセスできたはずなのだが、そちらはあまり読まれなかったようだ。
実践の側では、沖正弘の沖ヨガが戦後日本の一大勢力になった。厳しい修行道場の形式で、断食や強度の高い実践を含んでいた。この系統から多くの指導者が出ている。
もうひとつ独特なのが、本山博の路線だ。
宗教家であると同時に生理学の研究者でもあった彼は、自身のクンダリニー体験を語る一方で、経絡やチャクラに対応する生理的な指標を機器で測定しようとした。
彼は自作の測定装置を用いた研究を発表し、国際的なトランスパーソナル心理学の潮流とも接点を持つ。科学的な妥当性については批判も多いが、日本において、霊的なものを測るというアプローチの代表例になった。
そして一九七〇年代から八〇年代、日本には大きなヨガブームと超能力ブームが同時に来る。
テレビの超能力番組、精神世界の書籍、オカルト雑誌の隆盛。書店に精神世界のコーナーができ、チャクラだのクンダリニーだのという語彙が一般の目に触れるようになった。
ここに、非常にまずいかたちで乗ってきたのがオウム真理教だった。
ヨガ教室として、始まった
オウムは一九八四年、東京の渋谷でヨガ教室として始まっている。名称はオウム神仙の会。教祖の麻原彰晃、本名松本智津夫は、ヨーガの指導者として出発した。
ここは押さえておく必要がある。最初から終末論の教団だったのではなく、健康法と精神修養の教室として顧客を集めたのだ。
彼が勧誘の切り札にしたのが、まさにクンダリニーとシャクティパットだった。
一九八〇年代半ば、彼が空中に浮かんでいるとされる写真がオカルト雑誌に掲載され、話題になる。実際には結跏趺坐の姿勢から跳ねた瞬間を撮ったものだと、後に広く指摘される。だが当時の読者にとって、それはクンダリニーを覚醒させた者が得る超能力の証拠として提示された。
そして教団は、教祖が指で額に触れることでエネルギーを伝えるという儀式を、入門者向けの目玉として用いた。
これがなぜ効いたのか。仕組みは、ここまで読んできた読者ならもう分かると思う。
まず、参加者は事前に長時間の座位や呼吸法をやらされている。その状態で、権威ある人物に額を強く押される。当然、身体には何かが起きる。熱、しびれ、めまい、震え、涙。過換気の状態なら、なおさら劇的になる。
そして、その感覚にクンダリニーが動いたという説明が、あらかじめ与えられている。
参加者は、自分の身体で起きた紛れもない事実として、教義を体験してしまう。理屈で説得されたのではなく、身体で納得させられたのだ。この経路は、言葉による説得よりはるかに強力で、はるかに抜けにくい。
さらに教団は、修行の段階を体系化し、クンダリニー・ヨーガを上位の段階として位置づけた。
上に行くには、より深い帰依と、より多くの出費と、より長い時間が必要になる。エネルギーの伝授という構造が、そのまま支配の構造として機能した。後の段階のイニシエーションでは薬物が用いられ、電気刺激を与える装置が使われた。これらは事件後の捜査と裁判で明らかになった事実である。
その先に何が起きたかは、日本に住んでいる人なら知っている。
一九八九年の弁護士一家殺害、一九九四年の松本市での化学剤散布、そして一九九五年三月二十日の地下鉄での化学剤散布。多数の死者と、数千人規模の被害者が出た。
麻原は死刑判決を受け、二〇〇六年に確定し、二〇一八年七月に他の元幹部とともに刑が執行された。後継とされる団体は現在も公安当局の観察下に置かれている。
引き出すべき、三つの教訓
この歴史から引き出すべき教訓は、特定の宗教を叩くことではないと思う。もっと構造的な話だ。
第一に、身体感覚は最強の説得装置である。理屈は疑えても、自分の背中を走った熱は疑いにくい。
第二に、その身体感覚に説明を与える立場にいる人間は、途方もない権力を持つ。
第三に、覚醒の段階制は、そのまま支配の階梯として使える。
この三つは、オウムに固有ではない。エネルギーの伝授を売り物にするあらゆる組織に、多かれ少なかれ潜在している。
そして日本には、この記憶があるがゆえの独特の空気がある。
クンダリニーやチャクラという言葉に対する、うっすらとした警戒感。ヨガをやっていると言うと、大丈夫なの、と聞かれた時代があった。
この警戒感はある意味で健全な免疫だった。だが同時に、体験に困っている人が誰にも相談できなくなる副作用も生んだ。
いま、蛇はSNSの上で泳いでいる
現在の状況も見ておこう。ヨガは日本でも完全に日常化した。スタジオは駅前にあり、オンラインレッスンがあり、動画配信で無料の呼吸法が無数に見られる。その中で、クンダリニーはどう語られているか。
ひとつは、ほぼ完全にマーケティング用語としての使われ方だ。
強度の高いクラスに刺激的な名前をつける。エネルギー、内なる力、覚醒。中身は単なるハードなフローで、蛇の話は誰も本気にしていない。これはこれで、まあ、実害は少ない。
もうひとつが、動画プラットフォームと短尺動画の側だ。ここでは事情が変わる。
強い呼吸法の実演動画が、何の前置きもなく流れてくる。何分やれ、何回やれ、という指示がついていることも多い。
コメント欄には、やってみたら手がしびれた、体が震えた、涙が出た、という報告が並ぶ。そして、それは浄化です、好転反応です、エネルギーが動いています、という返信がつく。
前の章で書いたとおり、それは過換気の典型的な症状である可能性がかなり高い。
さらに厄介なのが、体験談のコミュニティだ。
覚醒したと語る人のアカウントには、同じような症状に悩む人が集まってくる。共感が生まれるのはいいことだ。孤独は本当につらいし、症状を誰にも信じてもらえない体験は人を追い詰める。
だが、そこで流通する助言の一部が、明確に有害な方向を向いていることがある。病院に行くと薬でエネルギーを止められる。医者はこれを理解しない。もっと修行を深めれば抜ける。断食すれば流れが変わる。
これらは、症状が本当に医学的な問題だった場合に、致命的な遅れを生む。
もう一つ増えているのが、覚醒をサービスとして売る形態だ。
遠隔でエネルギーを送る、オンラインでシャクティパットを行う、覚醒を促す音源を販売する。金額は数千円から数十万円まで幅広い。
効果の検証は原理的に不可能で、効かなければ受け手の準備不足として説明できる。この非対称は、ビジネスモデルとしてはよくできているが、消費者としては最悪の構造だ。
これだけは、真面目に読んでほしい
ここまで面白がって書いてきたが、この節だけは真面目に読んでほしい。
まず、この記事は手順書ではない。呼吸を止める長さ、締め付けのかけ方、断食の期間といった実行可能な情報は、意図的に一切書いていない。
理由は単純で、それを自己流でやった人が実際に壊れているからだ。古典自身が、師の指導なしにやれば行者を殺すと書いている。千年前の文献が警告しているものを、動画を見ただけの状態でやるのは、率直に言って無謀だ。
指導者不在で強度の高い呼吸法や長時間の瞑想を続けると、具体的に何が起きうるか。
過換気による手足のしびれ、硬直、めまい、失神。不眠の慢性化と、それに伴う認知機能の低下。強い不安発作も起きる。
離人感と現実感喪失の遷延。抑うつ。そして孤立だ。
長期の合宿では、これらが複合的に、しかも支援者のいない環境で進行する。ブリットンらの研究が示したように、就労や対人関係が実際に壊れるところまで行く人がいる。
とりわけ危険なのが、精神疾患の既往がある場合だ。
双極性障害、統合失調症圏、解離性障害、重いパニック障害、そしててんかん。これらの既往がある人にとって、睡眠を削り、呼吸を操作し、長時間の内省を行う実践は、はっきりとリスク要因になる。
トラウマの既往がある人も同様で、身体感覚に集中する実践がフラッシュバックの引き金になることは、臨床の場で広く知られている。
該当する人は、始める前に必ず主治医に相談してほしい。相談することは、修行が足りないことでも、信仰が弱いことでもない。
受診の目安
そして受診の目安を書いておく。次のような状態が続いているなら、それを霊的な過程だと解釈するかどうかにかかわらず、精神科か心療内科にかかってほしい。
眠れない日が何日も続く。食べられなくて体重が落ちている。実際にはない声や姿が繰り返し知覚される。
自分や世界が現実でない感覚が日常生活を壊している。感情の起伏が自分でどうにもならない。仕事や学業や家事が回らなくなっている。死にたい気持ちが出てきている。
特に最後の項目は、迷わず、すぐに。命が最優先だ。ためらう理由は何もない。周囲の人に言いにくいなら、公的な相談窓口でも構わない。
言い方を変える。霊的な解釈と医療は、二者択一ではない。
まず身体と脳の状態を診てもらったうえで、その体験にどんな意味を与えるかを考えればいい。順番が逆になると、取り返しがつかないことがある。医療を遠ざける言説には、どんなに優しい口調で語られていても、乗らないでほしい。
なぜ人はいまだに、背骨の蛇を欲しがるのか
最後にこの問いを考えたい。これだけリスクが並んでいるのに、なぜこの話は死なないのか。
第一に、圧倒的にコスパの良い約束だからだ。
宗教が提示する救済は、たいてい遠い。死後だったり、何生もかかったり、社会全体の変革が必要だったりする。
ところがクンダリニーは、あなたの背骨の中にすでにある、と言う。外に探しに行く必要がない。買う必要も、選ばれる必要もない。眠っているだけだから、起こせばいい。
この、すでに持っているという構造は、人間にとって抗いがたく魅力的だ。しかも即効性が示唆される。今日の座り方ひとつで、何かが変わるかもしれない。
第二に、身体が証拠を出してくれるからだ。
ほとんどの信仰は、証拠を出せない。祈っても、何も起きないことのほうが多い。ところが呼吸と姿勢と集中を強くいじると、身体は確実に反応する。
熱くなる。震える。光が見える。
この確実さは、信仰の世界では例外的だ。目に見える結果が出るということが、どれほど人を引きつけるか。しかもその結果は、他人には見えない。自分だけが知っている。これは強い。
第三に、苦しみに意味を与えてくれるからだ。ここが実はいちばん切実だと思っている。
眠れない、不安が止まらない、自分が自分でない感じがする。この状態にある人が病院で受け取る説明は、たいてい味気ない。診断名がついて、薬が出て、経過を見ましょう、と言われる。
それが正しい対応であることは多い。だが体験の側から見ると、自分の人生に起きた最大級の出来事が、統計的な分類の一項目に還元されてしまう。
一方でクンダリニーの物語は、まったく違うことを言う。あなたに起きているのは故障ではない。変容だ。この苦しみには目的地がある。あなたは壊れているのではなく、生まれ変わっている最中なのだ、と。
この差はとてつもなく大きい。人は意味のない苦痛には耐えられないが、意味のある苦痛にはかなり耐えられる。
だからこそ、この物語は医療から人を引き剥がす力を持つ。
これは物語が邪悪だからではなく、物語のほうが医療より上手にケアの言葉を持っているからだ。皮肉な話だと思う。
もし医療の側が、体験の意味づけをもう少し丁寧に扱えるなら、この綱引きは変わるかもしれない。実際、宗教的あるいは霊的な問題という区分が診断マニュアルに設けられたのは、その方向への一歩だった。
第四に、序列と所属を提供するからだ。
覚醒には段階がある。どこまで昇ったか、どのチャクラが開いたか。これは分かりやすい階梯であり、同時に共同体内部の地位でもある。
人間はランキングが好きだし、自分より上の人がいる構造に安心する。この構造は、健全なコミュニティも作るし、支配的なカルトも作る。同じ部品からできている。
第五に、単純に、現代の生活があまりに平坦だからだ。
安全で、予測可能で、刺激が管理された生活。その中で、自分の内側から予測不能な何かが噴き出してくるという物語は、猛烈に魅力的に映る。特に、日常に閉塞を感じている人にとって。
SNSで覚醒体験を語るアカウントが人を集めるのは、宗教的な理由というより、たぶんこの飢えのほうが大きい。
そして最後に、これが一番大事なんだけど、下に本物の現象があるからだ。
全部が作り話なら、とっくに消えていた。座って、呼吸を整えて、注意を身体に向け続けると、人間には実際に何かが起きる。感覚が鋭くなり、時間の感じ方が変わり、自分と世界の境目が薄くなる瞬間がある。
これは何千年も前から人類が繰り返し発見してきた事実で、しかも近年の研究でもその効果と副作用の両方が確認されている。
蛇の物語は、この本物の現象に貼られた、たまたまインドで発達したラベルなのだ。ラベルは剥がせる。現象は残る。
三つの層に、分けて見る
ここまで書いてきて、あらためて全体を見渡すと、クンダリニーという主題は三つの層がきれいに重なった、珍しく分析しがいのある対象だと思う。
いちばん下の層に、実際に起きる身体現象がある。真ん中の層に、その現象を説明するために作られた教義がある。いちばん上の層に、その教義を使って人を動かそうとする権力がある。
この三層を混ぜて論じるから、話がいつもおかしくなる。分けて見れば、それぞれについてかなり明確なことが言える。
まず下の層。座位を長く保ち、呼吸を意図的に操作し、身体内部に注意を向け続けると、人間には特徴的な変化が起きる。これは疑いようがない。
血中の二酸化炭素濃度の変動、姿勢による循環と神経圧迫、筋の疲労と攣縮、睡眠構造の変化。そして何より、普段は捨てられている内受容感覚が意識に上がってくること。
これらが組み合わさって、熱、震え、光、音、離人感という一群を作る。
この一群を、伝統は覚醒の徴候と呼び、現代の研究者は瞑想関連の有害事象と呼ぶ。呼び名が違うだけで、指しているものはかなり重なっている。
ここに気づくと、古典の記述の読み方が変わる。千年前の行者は、意識変容の実験を人体で繰り返して、その観察記録を残した人たちだった。
彼らの観察は驚くほど詳細で、症状の分類は現代の質的研究と平仄が合う。ただし、彼らが持っていた説明理論が、蛇と管と結び目だったというだけの話である。
加工品であることは、偽物であることではない
真ん中の層、つまり教義の来歴もかなり見通しが良くなってきた。
研究史をたどれば、この体系は超古代からの一枚岩ではない。八世紀ごろのタントラの語彙から始まり、十二世紀前後のナート派で技術化され、十五世紀から十七世紀に教科書化された。
そして二十世紀初頭に神智学とヴェーダーンタ改革を経由して英語化され、二十世紀後半にアメリカでクラス形式の商品になった。重層的な加工品である。
虹色のチャクラ図が二十世紀の西洋産であることは、その加工の程度を示す好例だ。
この事実は教義の価値を否定するものではないと思う。伝統というのは常に作り変えられるもので、作り変えられたから偽物だという話にはならない。
ただ、これは太古から変わらず伝わる秘伝だという主張だけは、事実として支持できない。そして、その主張こそが権威づけに使われてきた。
いちばん上の層、権力の問題が、実務上はいちばん重要だと思う。
エネルギーの伝授という構造には、本質的な非対称がある。伝える側は、受け手の身体に起きたことを解釈する権限を独占するのだ。
何も感じなければ準備不足、不快なことが起きれば浄化、良いことが起きれば恩寵。どんな結果も体系を支持する方向に読める。
これは反証可能性がゼロだということで、科学的に弱いだけでなく、関係性として危険だ。
二十世紀後半に世界各地の団体で表面化した性的搾取や金銭的搾取の事例は、教義の内容ではなく、この構造から出てきている。日本でオウム真理教が起こしたことも、この構造の極端な帰結として理解できる部分が大きい。
だから、団体を選ぶときに見るべきは教義の魅力ではない。もっと地味な指標になる。退出の自由があるか、費用が明示されているか、疑問を口に出せるか、外部の医療を勧めるか。この四つで、かなりのものが振るい落とせる。
意味づけの、順番の話
もうひとつ、この主題を追っていて考えさせられたのが、意味づけの倫理だ。
強烈な体験をした人に、それは病気だと言うのも、それは覚醒だと言うのも、どちらも外側からの押しつけになりうる。前者は体験の重みを削ぎ落とし、後者は必要な治療を遅らせる。
たぶん誠実な態度は、順番を分けることだと思う。
まず安全を確保する。眠れているか、食べているか、危険な考えが出ていないか。ここは医療の領分で、譲る余地がない。
そのうえで、体験の意味をどう引き受けるかは、本人が時間をかけて決めればいい。ここは医療の領分ではない。
この線引きを維持できれば、霊的な語りと医療は敵対しなくて済む。実際、宗教的あるいは霊的な問題という区分が診断マニュアルに入ったのは、まさにこの線引きを制度化しようとした試みだった。
蛇は逃げない
最後に、ゴーピー・クリシュナに戻りたい。
彼の記録がいまだに読まれ続けているのは、彼が答えを持っていたからではない。むしろ逆で、彼は最後まで答えを持っていなかった。
自分に起きたことが何なのか分からないまま、十二年間それに耐えた。四十年以上かけて説明を探し続け、科学者に検証してくれと頼み続けて、それが果たされないまま死んだ。
彼の理論は科学として成立しなかった。だが、彼が残した、私はこうなった、という一人称の記録は、いまも当事者に読まれ、研究者に引用され、この記事のような文章の出発点になっている。
分からないことを分からないまま、正確に書き残す。オカルトの領域で、これができた人は驚くほど少ない。
彼の本の本当の遺産は、蛇の教義ではなく、その正確さのほうだと思う。
もしこの文章から何かひとつ持ち帰るとしたら、それは背骨の底に眠る何かの話ではないほうがいい。自分の身に起きたことを美化も卑下もせずに記述する、という態度のほうだ。
そして、記述しながら、眠って、食べて、必要なら医者に行くこと。
蛇は逃げない。千年待ったのだから、あと少しくらい待てるはずだ。
