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存思法とは何か――道教が二千年かけて磨いた「体内に神を視る」瞑想、守一・存想・内観の歴史と実践のすべて

存思法(そんしほう)という言葉を、道教の入門書ではなく実践の文脈で聞いたことがある人は、そう多くないと思う。気功や内丹術、あるいは仙人になるための修行。そんな大づかみな括りのなかに埋もれてしまい、それ自体が独立した一個の技法体系であることは案外知られていない。

けれども道教史をたどっていくと、意外な事実が見えてくる。後漢から六朝、隋唐にかけての数百年間、道士たちがもっとも真剣に取り組み、もっとも精密に書き残したのは、まさにこの存思だった。金丹を練ることでもなく、符を書くことでもなく、目を閉じて自分の体内に神々を視る。その一点に、彼らは不老不死の可能性を賭けていた。

この記事では、その存思法の来歴と理論、そして今日でも追体験できる範囲での実践手順を、できるだけ具体的に書き出してみたい。

「思う」ことで、神を存らしめる

存思の「存」は、存在させる、在らしめる、留めおく、という意味の動詞になり、「思」は思念する、心に描く。つまり存思とは、心のなかに何かを描き出し、それを描いたまま消えないように留めておく行為を指す。

単に「想像する」のではなく、想像は移ろい、次の想像に取って代わられる。存思が要求するのは、いったん立ちあがった像を、揺らがせず、途切れさせず、決められた時間だけ持続させることだ。この「持続」こそが技術の核であり、道教の修行者たちが何十年もかけて鍛えたのはこの一点だった。

そして存思の対象は、多くの場合、自分の身体の内側にいるとされる神々になる。道教の身体観では、人体は小さな宇宙で、そこには天上の神々に対応する無数の神霊が宿っている。髪には髪の神、脳には脳の神、心臓には心臓の神がいる。

彼らは気が凝って人の形をとったものになり、その神が居場所を離れてしまえば、その器官は衰え、病み、やがて死に至る。逆に、修行者が正しく神の名を呼び、その姿と衣の色を思い描いて体内に留めておけばどうなるか。神は去らず、身体は保たれ、寿命は延び、究極的には肉体ごと天に昇る。

これが存思法の基本的な約束事になる。

だから存思は、仏教の観想と表面上は似ていながら、目的地が違う。仏教の観想が最終的に「空」や「無我」へ向かうのに対し、存思は徹底して「有」に向かう。神には姓があり、名があり、字(あざな)があり、身長があり、着ている衣の色まで決まっている。これほど具体的で、これほど細部にこだわった瞑想法は、宗教史のなかでもかなり珍しい部類に入るだろう。

存・思・存想・存神・内観

文献のなかで存思は、いくつもの別名で呼ばれ、もっとも近いのが「存想(そんそう)」で、これはほぼ同義に使われる。「存神(そんしん)」あるいは「思神(ししん)」は、対象が神霊であることを明示した呼び方になる。

「内視(ないし)」は目を閉じて体内を視ることを強調した語で、「内観(ないかん)」もほぼ同じ領域を指す。さらに「守一(しゅいつ)」という語がある。これは無数の対象を次々に思うのではなく、たったひとつの根源的な対象に意識を集中し続けることを言う。

これらは厳密な分類というより、時代と流派によって強調点が移動した結果になる。おおまかに整理すればこうで、後漢の『太平経』では「守一」が中心語。六朝の上清派では「存思」が中心語となり、隋唐の司馬承禎や『太上老君内観経』では「内観」「坐忘」が前面に出てくる。

つまり同じ実践が、時代ごとに違う名札をつけられて受け継がれてきた。そう見るのが実態に近い。ややこしいのは、「内観」という語が日本では別の意味を持ってしまったことになる。

現代日本語で「内観」といえば、吉本伊信が創始した内観法を指すことが多い。自分の人生を振り返って他者から受けた恩を数え上げる、心理療法的な技法で、道教の内観とは系譜も方法もまったく異なる。ここで扱うのはもちろん道教のほうであり、両者は名前が同じだけの別物だと最初に断っておきたい。

『太平経』の守一と、葛洪の守真一

存思法の最古層は、後漢末に成立したとされる『太平経』に見出され、この書は太平道の経典的性格を持つ膨大な文献群だ。そのなかに「守一明法」「清身守一法」といった篇名が並んでいる。

『太平経』の言う守一は、「一」を心に守り続ける修行になり、一とは道そのもの、あるいは道が凝集した根源の気だ。同書には、こんな趣旨の記述が繰り返し現れ、万神は人の盛衰にしたがう。身を静め神を存すれば病は加わらず、寿命は長く神明の助けがある。

ここではすでに、身体のなかに神がいるという前提と、その神を「存する」ことで健康と長寿が得られるという因果が明示されている。さらに『太平経』には、興味深い方法も説かれている。五臓の神を絵に描いて壁に懸け、それを見つめてから目を閉じ、同じ像を体内に呼び戻すというものだ。いわゆる「懸象還神」の系統の技法になる。

視覚的な補助具を使って像の解像度を上げるという発想は、後世の存思法の原型と言っていい。目を開けて見る、目を閉じて再現する。この往復運動によって像を安定させるやり方は、現代の視覚イメージ訓練とも通じるところがある。

次に決定的な役割を果たしたのが、東晋の葛洪(かっこう)で、二八三年頃から三四三年頃の人になる。『抱朴子』内篇、とくに地真篇において、葛洪は師の鄭隠から受けたという守一の法を記す。彼によれば「一」には姓名があり、大きさがあり、着ている衣の色がある。男の一は身長九分、女の一は身長六分といった具合に、寸法まで指定される。

しかもその一は三つに分かれ、上中下の三丹田それぞれに宿るという。ここで守一は「守真一」と呼ばれ、これとは別に「守玄一」という、より高度とされる段階が置かれる。守玄一を三、四日修すれば身を分けて十数人になれる、といった記述も見える。

もちろん字義通りに受け取るべき話ではない。それでも当時の修行者がこの技法にどれほど高い期待を寄せていたかは、よく伝わってくる。肝心なのは、葛洪が守一を「あらゆる方術のなかで最も要となるもの」として位置づけたことだ。

金丹をつくる外丹術を高く評価した葛洪が、同時に守一をこれほど重視した。この事実は、存思系の技法が四世紀の時点ですでに独立した価値を認められていたことを示している。

上清派の成立――降真の夜

存思法が体系として完成に近づくのは、四世紀後半の江南になる。三六四年から三七〇年頃にかけて、楊羲(ようぎ)という霊媒的資質を持つ人物のもとに、夜ごと真人が降ってきたとされる。真人とは上位の仙人のことだ。

楊羲はその言葉を書き取り、庇護者であった許謐(きょひつ)とその子、許翽(きょけい)に伝えた。この一連の降真体験の記録と、そのとき授けられたとされる経典群が「上清経」になり、これを奉じる一派が上清派だ。

この出来事は、宗教史的にはきわめて興味深い事例になる。既存の天師道が符水や集団儀礼を中心としていたのに対し、上清派は個人が自室で行う内面的な瞑想を中核に据えた。降ってきた真人たちが教えたのは、集団で行う祭祀ではなく、ひとりで目を閉じて体内の神を視る方法だった。

上清経の内容は後に梁の陶弘景(とうこうけい)が整理し注解して、『真誥(しんこう)』としてまとめられる。四五六年から五三六年の人で、陶弘景は茅山(ぼうざん)に隠棲したため、この系統は茅山派とも呼ばれるようになった。

上清派の存思には、後世に大きな影響を与えた具体的な行法がいくつもあり、たとえば「奔二景の道」と呼ばれる法。日の五帝君と月の五帝夫人が自分の体内に入ってくるさまを思い描く。続いて天上から車駕と九頭や十頭の龍が迎えに来て、体内の神々もろとも自分が天に昇っていく光景を存思する。

壮大というほかない。単に集中するだけでなく、一種の内的な物語を最初から最後まで途切れさせずに上演しきることが求められるのである。ただし、上清派の存思法は難度が高すぎた。

厖大な神名を暗記し、複雑な手順を正確に踏み、長時間の集中を維持し、それができる者はごく限られる。結果としてその担い手は読書階級に偏り、梁末の混乱のなかで純粋な上清派の実践は細っていった。技法そのものは天師道や後の道教教団に吸収され、断片として生き延びることになる。

『黄庭経』という、身体の宇宙誌

存思法を語るうえで避けて通れないのが『黄庭経』になる。この書には二種あり、『太上黄庭内景玉経』、いわゆる内景経と、『太上黄庭外景玉経』、外景経だ。後世に『中景経』も加わった。

成立年代には議論がある。外景経のほうが古く後漢末から西晋、内景経は上清派の成立期すなわち四世紀後半、というのが大枠の見方になる。「黄庭」という語は、黄色い庭、すなわち中央を意味する。

五行で中央は土、色は黄。身体では脾臓や中丹田のあたりを指すとされ、要するに身体の中心部、気が集まり神が座す場所というほどの意味合いだ。

内景経は全三十六章、七言の韻文で書かれており、読み下すと呪文のような響きを持つ。内容は徹頭徹尾、身体の内側の風景、つまり内景の描写になる。どこにどの神が住み、どんな名で、どんな字で、どんな色をしているか。それを知り、呼び、思い描くことが長生の道だと繰り返し説く。

外景経のほうはやや抽象度が高い。気の運行や養生の心得を述べる部分が多い。面白いのは、この経典が書道史とも交差している点になる。

王羲之が『黄庭経』を書写して道士に与え、代わりに鵞鳥を得たという「換鵞(かんが)」の逸話は広く知られている。真偽はともかく、四世紀の江南の知識人層にとって、この経典がそれほど価値のあるものとして流通していた。そのことをうかがわせる話ではある。

三部八景二十四真――身神の名簿

内景経の核心は、身体各部に配された神々の一覧になる。上清派の体系では、身体は上部、中部、下部の三つに分けられ、それぞれに八体の神が配される。合わせて二十四体、これを「三部八景二十四真」と呼ぶ。

上部八景は頭部の器官、中部八景は胸部と上腹部、下部八景は下腹部と下肢に対応する。それが一般的な理解になり、内景経の至道章には、頭部の神が列挙されている。

髪神は蒼華、字は太元。脳神は精根、字は泥丸、眼神は明上、字は英玄。鼻神は玉壟、字は霊堅、耳神は空閑、字は幽田、舌神は通命、字は正倫、歯神は崿鋒、字は羅千だ。

続く心神章では、五臓六腑の神が並ぶ。心神は丹元、字は守霊。肺神は皓華、字は虚成、肝神は龍煙、字は含明。

腎神は玄冥、字は育嬰、脾神は常在、字は魂停、胆神は龍曜、字は威明だ。伝本によって異同もあり、「崿鋒」を「峨峰」、「含明」を「台明」とするなどだ。写本の系統差であり、どちらが正しいというより、そもそも複数の伝承が併存していたと考えるほうが自然だろう。

実践のうえで大事なのは、これらの神が単なるラベルではないという点になる。存思においては、名を呼びながらその姿を思い描く。内景経は各神の色や形についても断片的な手がかりを与えている。

たとえば肺は白く七葉の形。心は赤く蓮の花のような形。器官そのものの色と形を思い浮かべることが、神を思うことと重ねられているわけだ。

五臓と神名の対応を整理しておこう。肝の神は龍煙、字は含明。五行では木、色は青、方位は東になる。

心の神は丹元、字は守霊。火、赤、南で、脾の神は常在、字は魂停。土、黄、中央になる。

肺の神は皓華、字は虚成。金、白、西で、腎の神は玄冥、字は育嬰。水、黒、北になる。

三丹田――泥丸・絳宮・気海

存思法の空間座標として決定的なのが、三丹田になる。丹田とは丹を生じる田、という意味で、丹は不死の薬を指し、身体のなかの三つの中心点になる。上丹田は「泥丸(でいがん)」と呼ばれ、両眉の間から頭のなかへ入った奥、脳の中心あたりに置かれる。泥丸宮、あるいは単に宮とも言う。

ここは神が座す場所とされ、精神活動や霊性の中枢と考えられた。

中丹田は「絳宮(こうきゅう)」で、絳は深い赤の意になる。胸の中央、両乳の間の奥、心臓のあたりに置かれ、ここは気の中枢であり、感情の座でもある。下丹田は「気海(きかい)」になり、臍下三寸ほど、腹の奥に置かれ、精の中枢であり、生命エネルギーの貯蔵庫と見なされた。

「臍下三寸」の三寸は、現代のセンチメートル換算ではない。本人の指幅を基準にした身体尺、いわゆる同身寸になり、おおむね自分の指四本分ほど下、と考えればいい。文献によっては臍下二寸四分、あるいは臍の後方と命門の前方の中間、といった異なる指定もある。この曖昧さは流派差として今日まで残っている。

実践上は、厳密な解剖学的位置よりも「そのあたりに意識を置く」という感覚のほうが重視される。葛洪の守真一が「一」を三分して三丹田に配したように、上清派にも三丹田それぞれに主神を置く体系がある。『金闕帝君三元真一経』の系統ではこうなる。上元の泥丸には赤子、中元の絳宮には真人(子丹)、下元の丹田には嬰児(元陽)が座す。

守一とは、この三者を同時に、あるいは順に思い続けることだと説明されることが多い。

精気神と、三尸

道教の身体論では、人は精、気、神という三つの要素から成るとされ、精は身体を構成し生命を支える物質的な基礎。気はそれを動かす流れ。神は意識と霊性になる。

三つは本来ひとつの気の異なる状態にすぎない。修行とはこの三つを凝集し、精を気に、気を神に、神を虚に還していく過程だと、後世の内丹術は説明する。存思法はこの体系の初期段階、とくに「神」を安定させる技術として位置づけられる。

この身体観には、もうひとつ独特の要素が付随し、三尸(さんし)で、人の体内には三匹の虫が棲んでいるという。上尸は頭部に、中尸は腹部に、下尸は足部にいて、それぞれ宿主の欲望を煽り、寿命を縮めようとする。

そして六十日に一度めぐってくる庚申(かのえさる)の日の夜。宿主が眠ると体を抜け出して天に昇り、天帝にその人の罪過を報告する。報告された分だけ寿命が削られ、これが三尸説の骨子になる。

だから庚申の夜は眠ってはいけなく、徹夜すれば三尸は抜け出せず、報告もできなく、この「守庚申」の習俗は日本にも伝わった。平安貴族の間で庚申の夜に管弦や詩歌を楽しむ「庚申御遊」となる。

円仁の『入唐求法巡礼行記』の八三八年の条には、興味深い記述がある。唐で人々が夜通し眠らない様子を見て、日本の庚申の夜と同じだと記した箇所だ。清和天皇の代、八六三年の記録が日本での初出級とされ、九世紀末から十世紀にかけて年中行事化していった。

室町以降は庶民層に広がる。同信の者が集まる「庚申講」が各地に生まれ、その記念に庚申塔が建てられた。本尊は当初は猿とされたが、やがて青面金剛が主流となり、三猿は脇侍の位置に退く。

江戸期に最盛期を迎えたこの信仰は、明治初年の修験道廃止などの影響で急速に衰えた。それでも今も路傍の庚申塔として、全国に痕跡を残している。存思法との関係で言えば、三尸は「体内に神がいる」という前提の裏面になる。

神がいるなら虫もおり、神は留めておくべきもので、虫は追い出すべきもの。体内を舞台にした善悪の劇場として身体を捉える感覚が、ここにははっきり表れている。

坐忘・内観、そして内丹へ

上清派の複雑な存思は、隋唐にかけて次第に簡素化され、内面化していく。その転回点に立つのが司馬承禎(しばしょうてい)で、六四七年から七三五年の人になる。潘師正に師事して上清派の第四代伝主となり、後に天台山に隠棲した。陳子昂や李白らと交わって「仙宗十友」と呼ばれる。

則天武后、睿宗、玄宗と三代の皇帝に重んじられ、王屋山に陽台観を賜っている。

彼の『坐忘論』は、修道の過程を七つの階梯に分けて説く。敬信、つまり教えを敬い信じること。断縁、俗縁を断つこと。収心、心を収めること。

簡事、事を簡略にすること。

真観、真実を観ること。泰定、安定した定に入ること。そして得道、道を得ること。

ここには身体神の名も、複雑な視覚化の手順も、ほとんど出てこない。代わりに強調されるのは、心の働きをどう静めるかという一点になる。もう一つの著作『天隠子』では、修行を五つの門に分ける。

斎戒、身を清める。安処、環境を整える。存想、思い描く。坐忘、思うことも忘れ、神解、自在に達する。

存想はここで第三段階として位置づけられ、最終目的ではなく通過点になっている。つまり存思は「心を一点に集めるための足場」であり、足場に乗ったあとは足場そのものを外す。そういう構造だ。

この整理は、上清派の存思が持っていた過剰な具体性を、実践可能な水準まで削ぎ落とす作業だったと言える。同じ流れのなかに『太上老君内観経』がある。

この短い経典は、外に向かう感覚を内に転じ、心の働きを観察することを説く。神とは何か、心とは何かを問い、最終的には「千経万術、ただ心に在るのみ」という趣旨に収斂していく。身体神の名簿は後景に退き、意識そのものが対象になる。

五代から宋にかけて、この流れはさらに進む。鍾離権と呂洞賓に仮託される鍾呂派が興り、『霊宝畢法』『鍾呂伝道集』といった文献が成立して、内丹術が体系化される。北宋の張伯端『悟真篇』は性命双修を掲げた。金代の王重陽が全真教を開いて、打坐と内丹を結びつける。

この内丹の枠組みのなかで、存思は独立した目的ではなくなる。煉精化気、煉気化神という段階的プロセスを補助する技法として再配置された。小周天で気を任督二脈に巡らせるとき、その巡りをイメージで導く。そこには明らかに存思の技術が生きている。

ただし、存神と内丹は本来別物だという指摘もある。存神が「人の形をした有形の神霊」を対象とするのに対し、内丹は「先天と後天の精気神」という無形の変化を追う。存神の目標は神霊とともに飛昇することであり、内丹の目標は虚無へ帰一することになる。技法としては連続しているが、世界観としては切れ目がある。

仏教の観想と、どこが違うのか

存思法を語るとき、仏教の瞑想との関係は必ず問題になり、実際、両者は歴史的にかなり深く絡み合っている。漢魏の訳経では、「守一」という語が仏教の「制心一処」、すなわち心を一点に制する禅定の訳語として使われた。中国人になじみのある道家の語彙を借りて仏教概念を説明する「格義」の手法だ。

逆に、仏教の禅法が中国に定着していく過程で、道教側もその整理された段階論から影響を受けた。司馬承禎の七階次に天台の止観の影が見えるという指摘は、古くからあり、それでも、核心部分での差異ははっきりしている。

仏教の止観は、止と観の両輪で構成され、止はサマタ、心を静めること。観はヴィパッサナー、現象を観察することで、観の段階では、対象の無常、苦、無我を見抜くことが目指される。浄土教の観想念仏のように具体的な像を思い描く技法もあり、ただしその像も最終的には方便であり、実体視されない。

存思の場合、思い描かれる神は方便ではなく、実在するとされ、だからこそ名前があり、寸法があり、服の色がある。修行者は像を通じて空を悟るのではなく、像そのものとの関係を結ぶ。

神が留まれば身体が保たれ、神が去れば身体が壊れ、この因果は文字通りに信じられていた。もうひとつの違いは、身体の扱いになり、仏教瞑想において身体は多くの場合、観察の対象か、あるいは超えるべき条件だ。

存思において身体は舞台であり、宮殿であり、守るべき国土になる。長生や不死という目標が身体的である以上、これは当然の帰結だろう。

日本への伝来と、現代の再発見

道教は、教団としての形で日本に定着することはなかった。日本には道観も道士も根づかなかった。代わりに個々の要素が仏教や神道、民間信仰のなかに溶け込むかたちで受容されたのだ。存思法もまた、まとまった技法体系としてではなく、断片として入ってきた。

受け皿になったのは、まず密教になり、北斗七星を神格化する道教の星辰信仰は、中国密教の段階ですでに仏教化されていた。それが妙見信仰として日本に伝わる。

泰山府君や閻魔王といった冥界の神格も、密教や修験の文脈で受け入れられた。陰陽道は星占や方位判断を担う。平安京の設計や鬼門の観念にも、道教由来の要素が入り込んでいる。

護符や御札の形式は、道教の符呪に系譜をたどれる。熊野をはじめとする修験の霊場では、道教的な符と神道祭祀が渾然一体となった。庚申信仰の定着については前に述べたとおりだ。

ただし、身体神を存思するという中核部分は、日本ではほとんど根づかなかったように見える。理由はいくつか考えられ、まず、内景経の身神の名を暗記して視覚化するという作業には、漢文の素養と長期の指導が要る。

次に、日本には密教の観想法という強力な代替物がすでにあった。阿字観にせよ月輪観にせよ、心に像を立てて保持するという構造は存思と共通している。あえて道教式を採る必要がなかったわけだ。

存思的なものが日本で再発見されるのは、ずっと後、二十世紀後半になる。中国では一九五〇年代に「気功」という近代的な名称のもとで伝統的養生法が再編された。七〇年代以降に科学的研究が進められる。

日本では八〇年代に気功ブームが起きた。書籍やメディアを通じて、導引、站樁功、小周天といった技法が一気に紹介される。この波のなかで、明らかに存思由来の要素が実践の現場に入ってきた。丹田に意識を置く。

気の流れをイメージで導く。五臓に色を思い浮かべる。

ただしそれらは道教の神学から切り離されていた。「イメージ法」「意念」といった中立的な言葉に置き換えられていたのだ。現在、日本語で存思法そのものを扱った実践的資料はきわめて少ない。

学術的な道教研究の書物か、中国語の道教サイト、あるいは気功実践者の断片的な言及。それらを突き合わせて再構成するしかないのが実情になる。以下の実践編も、そうした素材からの再構成であることをあらかじめ断っておく。

実践の準備――場、時刻、方角、持ち物

ここからは、古典が伝える手順を、現代の生活のなかで無理なく試せる形に整理していく。まず場所から。専用の部屋がある必要はなく、ただし少なくとも三十分から一時間、誰にも中断されない場所を確保する。

古典は「静室」に入ることを求める。窓を閉め、直射日光や強い風を避け、室温は寒すぎず暑すぎない程度に。テレビやスマートフォンは電源を切るか、別の部屋に置く。通知音ひとつで像は崩れる。

次に時刻。伝統的に重視されるのは子、午、卯、酉の四つの時になり、子時は午後十一時から午前一時。午時は午前十一時から午後一時、卯時は午前五時から七時で、酉時は午後五時から七時だ。

これは陰陽の転換点にあたる時刻とされ、とくに子時と卯時は「生気の時」として重んじられた。ただし現代人が深夜零時に毎日座るのは現実的でなく、睡眠を削るのは本末転倒になる。実際には卯時、つまり早朝と、酉時、夕方のどちらか。あるいは起床直後と就寝前の静かな時間帯を選べば十分だろう。

月の周期では、朔(一日)と望(十五日)が節目とされ、この二日は少し長めに座る、という運用がよく見られ、方角について。存思部の記述では、東向きに座って始めることが多い。

東は木、春、生気の方位であり、朝日の来る方向になり、日の存思をするなら東、月の存思をするなら月の見える方向。それが素朴な原則で、方位磁石で厳密に合わせる必要はなく、おおよそで構わない。

持ち物も挙げておこう。座布団か座禅用のクッション。厚手のものを一枚、腰の下に敷けるとよい。

膝掛けかブランケット。体温が下がるためで、時計かタイマー、音の小さいもの。記録用のノート。

線香を焚く伝統もあるが、換気の悪い部屋では避けたほうがいい。飲み水を手の届くところに置く。身体の準備も要る。食後二時間以内は避ける。

満腹でも空腹でもない状態がいい。

飲酒後は行わず、トイレは済ませておく。服は締めつけのないものにし、ベルト、腕時計、眼鏡は外す。手足が冷えている場合は先に温める。

古典は沐浴と斎戒を求めるが、現代なら入浴して身体を清めておく程度で足りる。

調身と調息――座法、呼吸、叩歯、咽液

座法から見ていこう。結跏趺坐、つまり両足を反対の腿に乗せる形ができるならそれでいい。ただし無理は禁物になる。

半跏趺坐、正座、あぐら、あるいは椅子に浅く腰かけて足裏を床につける形でも構わない。大事なのは、背骨がまっすぐに立ち、その状態が三十分維持できること。骨盤を少し前に傾け、腰を反らせすぎず、丸めすぎなく、顎は軽く引き、頭頂が上から糸で吊られているように感じる位置を探す。

肩の力を抜く。両手は「太極印」あるいは「子午訣」と呼ばれる形にする。男性は左手を下、右手を上に重ね、両親指の先を軽く触れさせて、下腹の前に置く。女性はその逆になり、あるいは両手を左右の腿の上に自然に置いてもよい。

舌は上顎の前歯の裏に軽くつける。これを「搭鵲橋(じゃくきょうをかける)」と言い、任脈と督脈を繋ぐと説明される。生理学的には唾液の分泌が促され、口の乾燥を防ぐ効果がある。

目について。古典は「瞑目」すなわち閉眼を指示することが多い。ただし眠気が強い場合や、閉じると像が暴走しやすい人は半眼にする。視線を一メートル半ほど前の床に落とし、まぶたを七分ほど下ろす形だ。

半眼のほうが覚醒度を保ちやすい。

叩歯(こうし)という手順もあり、上下の歯を軽く打ち合わせるものだ。存思部の記述では「叩歯三十二通」が定型になり、カチカチと音を立てながら三十二回。急がず、一秒に一回程度のゆっくりしたリズムで。

これは意識を口腔に集め、身体を「起こす」合図として機能する。回数は流派により二十四回、三十六回などの異同があり、咽液(えんえき)も続けて行う。

叩歯を続けると唾液が溜まる。これを道教では「玉液」「金津」と呼び、貴重な体液と見なす。溜まった唾液を三回に分けて、意識的に飲み下す。飲み下すとき、その液が喉から食道を通り、下丹田まで落ちていくさまを思い描く。

これを「三咽(さんえん)」と言う。

調息、つまり呼吸を整える段階に入ろう。手順はこうなり、まず、口を細く開けて息をゆっくり吐ききる。これを三回。吐くときに、肩、胸、腹の順に力が抜けていくのを感じる。

次に鼻から吸い、鼻から吐く自然呼吸に切り替える。ここから数息(すそく)に入り、吐く息を一つと数え、十まで数えたら一に戻る。これを十巡、すなわち百呼吸ぶん行う。時間にして八分から十二分ほどだ。

数息のあいだ、呼吸を操作しないこと。深くしようとも、長くしようとも、遅くしようともせず、ただ数える。数え損ねたら一に戻る。

これを繰り返すうちに、呼吸は自然に細く、長く、静かになっていく。古典の言う「胎息(たいそく)」は、この延長線上に置かれ、母胎のなかの胎児のように、口鼻を使わずに呼吸する境地とされる。鼻の下に羽毛を置いても動かないほど呼吸が微細になる、と描写される。

ただしこれは結果として現れる状態であって、目標として追いかけるものではない。息を止めて羽毛を動かさないようにする、といった練習は絶対にしてはいけない。閉気や止息の類は、指導者なしに行うと危険であり、ここでは扱わない。

存思の基本形――啓白から入定まで

準備が整ったら、存思の本体に入り、基本形は次の順序をとる。第一に、啓白(けいびゃく)。これから何を行うかを、心のなかで、あるいは小声で述べる。

宗教的な文脈では神々への申し上げにあたり、心理的には「これから通常モードを離れる」という自己への宣言として機能する。文例は後で全文を挙げる。

第二に、身体の輪郭を思う。目を閉じたまま、自分の身体の外形を、頭のてっぺんから足の裏まで順に意識でなぞる。頭頂、額、両眼、鼻、口、喉、両肩、両腕、手、胸、腹、腰、両腿、膝、脛、足首、足裏。

一箇所につき二、三呼吸。これは像を立てるための土台づくりで、身体感覚を活性化させることで、続く内的視覚化が安定する。第三に、内側に転じる。皮膚の内側、身体の内部の空間に意識を移す。

ここは暗い。何も見えなくて当然になり、「見よう」とせず、「そこに空間がある」ということだけを確認する。多くの初学者がここでつまずく。だが内的な視覚像は網膜の像とはまったく別種のもので、初めは「なんとなくそう感じる」程度から始まる。

それでいい。

第四に、光点を立てる。下丹田、臍下三寸の奥に、小さな光の点を思い描く。大きさは豆粒ほど。色は白か、あるいは淡い金色。

輝きすぎない、静かな光。

これが最初の存思対象になり、三分から五分、この点だけを保つ。消えたら立て直す。何度消えても構わず、立て直すたびに技術は上がる。

第五に、対象を展開し、ここから、その日の主題に応じて日月存思、五臓存思、三丹田存思などへ進む。第六に、守一に移り、展開した像を、最後にひとつに畳み込む。無数の神も、五色の臓も、すべてを下丹田、あるいは上丹田の一点に収斂させ、その一点だけを保つ。これが守一の実際的な形になり、五分から十五分。

第七に、収功。像を消し、身体感覚に戻り、日常に帰る。この手順を省略してはならず、詳細は後で述べる。

日想と月想の、具体手順

日月の存思は、上清派系の存思法のなかでもっとも広く伝わった行法になり、伝本によって細部は異なる。比較的よく見られる伝承は「昼に日の芒を服し、夜に月の芒を服す」「日は心に存し、月は泥丸に存す」という形をとる。

まず日想(にっそう)、朝の行から。卯時から巳時、午前五時から十一時のあいだに行う。東に向かって座り、準備と調身と調息をすませる。

第一に、閉じたまぶたの向こう、正面やや上方に、日輪を思い描く。直径は腕を伸ばした先で握りこぶし大。色は白く、まぶしすぎない光。これを一分ほど保つ。

なお実際に太陽を直視してはいけなく、網膜を損傷し、目を閉じたまま、記憶の中の日の像を用いる。第二に、日輪の中心に、紫色の気が渦を巻いているさまを思う。これを「日芒(にちぼう)」あるいは「紫気」と呼び、伝本によっては赤気とし、九重に巻いていると観じる。

第三に、その紫気が細い糸のように伸びてきて、自分の口に入り、糸は喉を通り、胸の中央、絳宮に達する。第四に、絳宮に達した紫気が、そこで小さな日輪を形づくる。胸の中に太陽がひとつ灯った、と観じる。温かい。

ただし熱くはない。

第五に、この胸中の日輪を、九呼吸のあいだ保つ。保ったら、唾液を一度飲み下し、それが胸の日輪を潤すと思う。第六に、第一から第五を三巡繰り返す。合計で二十七呼吸ぶんになる。

第七に、最後に胸の日輪を豆粒ほどに縮め、下丹田に落として収める。次に月想(げっそう)、夜の行を見よう。酉時から亥時、午後五時から十一時のあいだに行う。月の見える方角、見えなければ北向きに座る。

第一に、正面やや上方に月輪を思い描く。満月。大きさは日輪と同じ。色は白銀。

第二に、月輪の中心に黄色い気が巻いているさまを思う。これを「月芒(げつぼう)」あるいは「黄気」と呼び、伝本によっては白気とし、十重に巻いていると観じる。

第三に、その黄気が細い糸となって伸び、自分の口に入り、喉を通る。そのまま上へ折り返して、頭のなか、両眉の間の奥、泥丸宮に達する。第四に、泥丸宮に達した黄気が、そこで小さな月輪を形づくる。頭のなかに月がひとつ灯った、と観じる。

涼しい。ただし冷たくはない。

第五に、この脳中の月輪を、十呼吸のあいだ保つ。保ったら、唾液を一度飲み下す。第六に、第一から第五を三巡繰り返す。

第七に、最後に脳中の月輪を豆粒ほどに縮め、身体の中心線に沿ってゆっくり下ろし、下丹田に収める。日想と月想は、原則として同じ日の朝と夜に対で行う。片方だけを続けると陰陽の偏りが生じる、というのが伝統的な説明になる。実感としても、日想だけを続けると高揚しやすく、月想だけを続けると沈みやすい傾向はある。

バランスを取ることを勧めたい。

温度感覚については注意が要る。「温かい」「涼しい」は、あくまで思い描く像に付随するイメージで、実際に体温が変化するわけではない。

もし本当に胸が熱くなる、頭が熱くなるといった身体感覚が生じ、それが不快なほど強い場合。直ちに中止して収功に移ること。詳しくは禁忌の章で述べる。

五臓に、色を灯す

五臓の存思は、『太平経』にまで遡る古い技法になり、後世の気功にもっとも直接的に受け継がれた部分でもある。五行の相生の順に巡っていく。肝が木、心が火、脾が土、肺が金、腎が水だ。

準備、調身、調息をすませ、下丹田に光点を立てたところから始める。まず肝から。右の肋骨の下、やや内側に肝臓があると思う。

形は伝統的には「懸けた瓠(ひさご)のよう」とも「七葉に分かれる」とも言われる。厳密な解剖学的形状にこだわる必要はなく、そこに青い色を灯す。深い青緑、若葉の色。青い光が肝を包み、肝が青く透きとおる。

三呼吸から九呼吸のあいだ保つ。

同時に「肝神は龍煙、字は含明」と心のなかで唱える。肝は東方、春、木に対応し、目に通じ、怒りの感情と結びつくとされ、次に心。胸の中央、やや左に心臓を思う。

形は「未だ開かぬ蓮の花のよう」と描かれる。

そこに赤い色を灯す。朱色。赤い光が心を包む。三呼吸から九呼吸。

「心神は丹元、字は守霊」と唱える。心は南方、夏、火に対応し、舌に通じ、喜びと結びつく。三番目に脾。胃の左後方、腹の中央やや上に脾を思う。

形は「伏せた杯のよう」。

そこに黄色を灯す。土の黄、明るい山吹色。三呼吸から九呼吸。

「脾神は常在、字は魂停」と唱える。脾は中央、土用、土に対応し、口に通じ、思慮と結びつく。四番目に肺。胸の左右、心を挟んで両側に肺を思う。

形は「傘蓋(さんがい)のよう」、色は「紅白」。

そこに白い色を灯す。純白、あるいは真珠のような白。三呼吸から九呼吸。

「肺神は皓華、字は虚成」と唱える。肺は西方、秋、金に対応し、鼻に通じ、悲しみと結びつく。五番目に腎。腰の左右、背中側に二つの腎を思う。

形は「二枚の玉のよう」。

そこに黒い色を灯す。ただし真っ黒ではなく、深い藍黒、あるいは濡れた石の色。三呼吸から九呼吸。

「腎神は玄冥、字は育嬰」と唱える。腎は北方、冬、水に対応し、耳に通じ、恐れと結びつく。六番目が統合になり、五臓すべてに色が灯った状態を、同時に思い描く。

青、赤、黄、白、黒の五色が体内に配置され、それぞれ静かに光っており、この状態を十呼吸から三十呼吸保つ。古典の言う「五色了了として分明たり」がこの段階だ。

最後が収斂になり、五色を順に消していく。灯した順、肝、心、脾、肺、腎ではなく、逆順に消すという伝えもあり、実践上はどちらでもいい。すべての色を消したら、下丹田の一点に意識を戻す。

この行法は、身体感覚の解像度を上げる効果が実感しやすい。臓器の位置を意識するという行為自体、日常ではまず行わない。だから初回は「そこに何かがある感じ」すら掴めないのが普通になる。数週間続けると、位置の感覚が少しずつ立ち上がってくる。

ただし、それが本当に臓器を感じているのか、単に注意を向けた領域に生じる主観的な感覚なのか。原理的に区別できなく、この点は後で改めて触れる。

三丹田の存思と、守一

三丹田の存思は、存思法の中核であり、守一へ直結する。準備は前と同じになり、調身と調息をすませ、下丹田に豆粒大の光点を立てておく。第一に下丹田、気海。臍下三寸の奥だ。

ここに、豆粒大の光点を保つ。次に、その光点をゆっくり膨らませ、鶏卵ほどの大きさの光の球にし、色は白か淡い金。

回転はさせなく、回転させる流派もあるが、初学では静止させるほうが安全で、この球のなかに、小さな童子が座っていると思う。これを「嬰児」あるいは「元陽」と呼び、上清の伝えでは、下元の真一は嬰児の姿をとる。九呼吸から二十七呼吸のあいだ保つ。

第二に中丹田、絳宮。意識を胸の中央、両乳の間の奥へ移す。同じように鶏卵大の光の球を立てる。色は淡い赤。

そのなかに座しているのは「真人」、字は子丹と伝えられ、壮年の姿と観じる。九呼吸から二十七呼吸保つ。

第三に上丹田、泥丸。意識を両眉の間から頭のなかへ入った奥へ移す。同じく鶏卵大の光の球。色は淡い紫、あるいは白、そのなかに座しているのは「赤子」、字は元先、幼児の姿。

九呼吸から二十七呼吸保つ。ここで重要な注意があり、上丹田に長く意識を集中しすぎると、頭に血が上ったような感覚、頭痛、めまい、不眠が生じやすい。

これは伝統的にも警告されてきたことで、「意守上丹田」は上級者向け、あるいは特定の体質の者向けとされる。初学者は上丹田の保持時間を短く、九呼吸程度にとどめること。そして必ず最後に下丹田へ意識を戻す。

第四に、三つを同時に思う。三つの光球が同時に灯っている状態を思い描く。身体の中心線に、下から順に白、赤、紫の三つの光が並んでおり、この状態を十呼吸から三十呼吸保つ。

第五に、守一へ移る。三つの光球をゆっくりと近づけ、重ね、ひとつに融合させる。融合の場所は下丹田。三色が混ざり合い、ひとつの白い光になり、この一点だけを保つ。

ここからが守一の本体になる。

守一において、思うべきは「一」だけで、名前も形も色も、突き詰めれば不要になる。ただ「そこに一がある」ということだけを、途切れさせずに保ち続ける。葛洪の言う守真一、『太平経』の言う守一が指しているのは、この状態になる。

初学者の守一は、五分保てば上出来だろう。十分保てるなら相当なもので、十五分を超えて途切れなく保てるなら、もはや初学者ではない。途中で必ず雑念が入る。入ったら、責めず、追わず、また一に戻る。

この「戻る」という動作の反復が、そのまま修行の実質になる。

『天隠子』が存想の次に坐忘を置いたのは、この延長にある。一を保ち続けているうちに、保っているという意識さえ薄れ、対象も主体も判然としなくなる瞬間が訪れる。それを坐忘と呼んだ。

ただし、それを目標として狙いにいくと、まず到達せず、狙わずに手順を踏み続けること以外に方法はない。

唱える言葉――全文と、読みと、訳

存思には言葉が伴う。以下、実践で用いる言葉を、原文、読み下し、カタカナ音写、現代語訳の順に示していく。カタカナ音写は日本漢字音、おおむね漢音と慣用音にもとづくものになる。中国語音ではなく、日本の実践者が用いるなら、これで差し支えない。

まず開白の辞、いわゆる啓白文から。原文はこうで、「至心啓白。弟子某甲、謹以今日、澄心存思、不敢妄求、唯願身中諸神、各安其位、精気安和、疾疢不生、心神清明」

読み下すとこうなり、「至心に啓白す。弟子某甲、謹んで今日を以て、心を澄まして存思する。敢えて妄りに求めず」続けて「唯だ願わくは、身中の諸神、各々其の位に安んじ、精気安和にして、疾疢生ぜず、心神清明ならんことを」カタカナ音写も挙げておく。「シシン ケイビャク。

デシ ボウコウ、キンイ コンニチ、チョウシン ソンシ、フカン モウグ」

続けて「ユイガン シンチュウ ショシン、カク アン ゴイ、セイキ アンナ、シッチン フショウ、シンシン セイメイ」現代語訳はこうで、心をつくして申し上げます。弟子である私は、謹んで本日、心を澄ませて存思を行い、身のほどを超えたことは求めません。

ただ願うのは、この身のうちの神々がそれぞれの居場所に安らかにあることです。精と気が穏やかに調い、病が生じず、心と精神が清らかに明らかであること。「某甲(ぼうこう)」の部分には自分の名を入れ、実名でも、通称でもよい。

他人の名を入れてはならず、存思は自分の身体に対して行うものであり、他者を対象にする用法はここでは一切扱わない。次に頭部身神の称名。『黄庭内景経』至道章のものになる。

原文はこうで、「髪神蒼華、字太元。脳神精根、字泥丸、眼神明上、字英玄、鼻神玉壟、字霊堅」続けて「耳神空閑、字幽田、舌神通命、字正倫、歯神崿鋒、字羅千」読み下しはこうなる。髪の神は蒼華、字は太元、脳の神は精根、字は泥丸、眼の神は明上、字は英玄だ。

さらに鼻の神は玉壟、字は霊堅、耳の神は空閑、字は幽田、舌の神は通命、字は正倫、歯の神は崿鋒、字は羅千。カタカナ音写も示しておこう。「ハツシン ソウカ、アザナ タイゲン。ノウシン セイコン、アザナ デイガン」と唱えていく。

続けて「ガンシン メイジョウ、アザナ エイゲン、ビシン ギョクロウ、アザナ レイケン」。さらに「ジシン クウカン、アザナ ユウデン、ゼツシン ツウメイ、アザナ セイリン、シシン ガクホウ、アザナ ラセン」。現代語訳は素直に読める。髪をつかさどる神は蒼華といい、字を太元という。

脳をつかさどる神は精根といい、字を泥丸という。以下同様だ。

唱えるときは、名を呼びながら、その部位に意識を置く。「髪神蒼華」と言いながら髪へ、「脳神精根」と言いながら頭のなかへ、というように。一巡するのに一分ほどかかり、なお伝本には「歯神峨峰」とするものもある。

三番目に五臓身神の称名。『黄庭内景経』心神章のもので、原文はこうなり、「心神丹元、字守霊、肺神皓華、字虚成、肝神龍煙、字含明」

続けて「腎神玄冥、字育嬰、脾神常在、字魂停、胆神龍曜、字威明」読み下しは、心の神は丹元、字は守霊、肺の神は皓華、字は虚成、肝の神は龍煙、字は含明だ。さらに腎の神は玄冥、字は育嬰、脾の神は常在、字は魂停、胆の神は龍曜、字は威明。カタカナ音写はこうで、「シンシン タンゲン、アザナ シュレイ、ハイシン コウカ、アザナ キョセイ」と唱える。

続けて「カンシン リュウエン、アザナ ガンメイ、ジンシン ゲンメイ、アザナ イクエイ」。さらに「ヒシン ジョウザイ、アザナ コンテイ、タンシン リュウヨウ、アザナ イメイ」。五臓存思のときは、この称名を各臓の色を灯す動作と同期させる。

なお経文の並び順は心、肺、肝、腎、脾、胆になり、五行相生の実践順である肝、心、脾、肺、腎とは一致しない。実践では相生順を採るのが一般的で、伝本には「肝神龍煙字台明」とするものもあり、四番目に三丹田の真一の名。

原文は「上元赤子、字元先、居泥丸、中元真人、字子丹、居絳宮、下元嬰児、字元陽、居丹田」読み下すと、上元の赤子、字は元先、泥丸に居る。中元の真人、字は子丹、絳宮に居る。下元の嬰児、字は元陽、丹田に居る。

カタカナ音写はこうなり、「ジョウゲン セキシ、アザナ ゲンセン、デイガンニ オル」。続けて「チュウゲン シンジン、アザナ シタン、コウキュウニ オル、カゲン エイジ、アザナ ゲンヨウ、タンデンニ オル」。この名と居所の対応には、経典によってかなりの異同がある。

ここに挙げたのは『金闕帝君三元真一経』の系統に沿った一伝になる。

最後に収功詞。原文は「気帰丹田、神返本宮、百節調和、万神安寧」読み下すと、気は丹田に帰し、神は本宮に返る。百節調和し、万神安寧なり。

カタカナ音写は「キキ タンデン、シンペン ホングウ。ヒャクセツ チョウワ、バンシン アンネイ」現代語訳はこうで、気は丹田へと帰り、神々はそれぞれの本来の宮へと戻る。身体のすべての関節は調い和し、あらゆる神は安らかである。

収功詞は、行を終えるときに三回唱える。唱えながら、体内に散っていた意識を下丹田に集め、そのあと日常の感覚に戻していく。唱え方についても書いておこう。

声に出す必要はなく、心のなかで唱えるだけで十分になり、声に出す場合も、隣室に聞こえない程度の小声にとどめる。抑揚をつけたり、節をつけたりする必要もなく、一定のリズムで、平坦に。速度は一句あたり三秒程度が目安だ。

時間、頻度、そして収功

一回の時間から。初学の一か月は、全体で二十分から三十分になる。内訳は、準備と調身に五分、調息に十分、存思本体に五分から十分、収功に五分。

慣れてきたら存思本体を延ばしていく。三か月目には四十分から五十分程度になるのが標準的な進み方だろう。一時間を超える座は、しばらく避ける。長く座れば効果が上がるという発想が、偏差の最大の原因のひとつだからだ。

頻度について。毎日一回、同じ時刻に。これが原則になる。

週三回でも構わず、ただ間隔が空きすぎると、像の立ち上がりが毎回ゼロからになり、進歩しない。逆に一日に三回も四回も行うのは勧められなく、古典が子午卯酉の四時を挙げているのは、それだけ座れという意味ではない。そのうちどれかを選べという意味に取るのが実際的だろう。

進度の段階も、おおまかに整理しておこう。第一段階、一か月から三か月。座法が身につき、二十分から三十分の座が苦にならなくなり、数息が十巡できるようになる。下丹田の光点が、一分程度は途切れずに保てる。

この段階では、何かが「視える」ことはまずなく、視えなくて正常で、第二段階、三か月から一年。五臓の位置感覚が立ち上がる。色を灯すという操作が、なんとなくではなく、はっきりした主観的経験として成立するようになる。

日想や月想で、胸や頭に温感や涼感が伴うことがあり、守一が五分程度保てる。第三段階、一年から三年。三丹田の存思が一続きの流れとして行えるようになり、座り始めてから像が立つまでの時間が短くなる。日常生活のなかでも、身体内部への注意が働くようになる。

ここで「特別な体験」を求め始めると危険な時期でもあり、第四段階、三年以降。古典の言う境地はこの先だが、正直なところ、この段階について書けることは多くない。

伝統的には、師について、生活全体を修行に合わせるという前提がある。独学で到達できる領域ではなく、独学で到達したと思ったときこそ、最も疑うべきだろう。収功の手順も見ておこう。存思を終えるとき、必ず次の順序を踏む。

省略は禁物だ。

第一に、体内に散っている像、光、色を、すべて下丹田に集める。時間をかけてよい。二分ほど。

第二に、下丹田に集まった光を、豆粒大まで縮める。さらに縮めて、点にし、第三に、収功詞を三回、心のなかで唱える。

第四に、両手のひらを重ねて下腹に当てる。男性は左手が内側、女性は右手が内側。時計回りに九回、反時計回りに九回、ゆっくり撫でる。回数と方向には流派差があり、三十六回や二十四回とするものもある。

第五に、両手をこすり合わせて温め、その手で顔を上下に撫でる。九回。これを「乾洗面(かんせんめん)」と言う。

第六に、手のひらで目を覆い、そのまま十秒。ゆっくり手を離しながら、目を開ける。第七に、首をゆっくり左右に回す。各三回。

肩を回す。前後各三回。

第八に、足を伸ばし、足首を回す。足の指を握って開く。太腿から膝、脛、足首、足裏の順に、手のひらで軽く叩く。

しびれが残っている場合は、完全に取れるまで座ったまま待つ。しびれた足で立ち上がると転倒し、第九に、ゆっくり立ち上がる。急に立たなく、立ち上がってから三十秒は動かず、めまいがないことを確認する。

第十に、常温の水を一口飲む。窓を開けて外気を入れ、後始末も忘れずに。座布団を片づけ、記録をつける。

記録には、日付、時刻、座った時間、行った内容、途中で生じた身体感覚や感情、雑念の傾向、終わったあとの状態を書く。数行でいい。この記録が、後から偏差の兆候を見つけるうえで決定的に役立つ。

座った直後は、激しい運動、熱い風呂、冷たいシャワー、大量の飲食を避ける。三十分ほどは静かに過ごす。夜の行のあとは、そのまま就寝してよい。

偏差――走火入魔の、兆候と中止基準

ここは、この記事でもっとも重要な部分になる。中国では、気功や静功の修行で心身に異常をきたすことを「偏差」または「走火入魔(そうかにゅうま)」と呼ぶ。武侠小説では誇張された描かれ方をし、だが実際に報告されてきた現象だ。

医学文献では「気功所致精神障害」として文化結合症候群のひとつに数えられる。日本でも気功指導者が副作用として警告してきた。仏教圏には「禅病」という古い呼び名があり、チベットには類似の概念もある。文化を超えて、集中的な瞑想には一定の危険があるという認識は共有されている。

一過性の偏差の兆候を挙げよう。次のような症状が出た場合、その日の行はただちに中止し、収功に移ること。めまい、頭痛、頭が重い、頭がのぼせる。胸苦しさ、胸痛、両脇の痛み。

腹部の張り。腰背部のこわばりと痛み。

動悸、呼吸の乱れ。耳鳴り。手足の冷え、あるいは異常な熱感と口の渇き。身体が勝手に動く、いわゆる自発動。

強い不安、恐怖感、涙が止まらない。

これらの多くは原因がはっきりしており、呼吸を無理にコントロールしたこと。意念、つまりイメージの力みが強すぎたこと。上丹田に長く意識を置きすぎたこと。そして単純に座りすぎたこと。

ある気功実践者の報告では、一日一時間から二時間なら問題がなかったという。それが四時間以上続けたところで症状が顕著になった。対処法も見ておこう。症状の多くは「上実下虚」、すなわち気が上に偏った状態と説明される。

対処もそれに沿う。

足裏を床にしっかりつける。屋外を十五分ほど歩く。半身浴で下半身を温める。温かいものを飲む。

人と話す。手足を動かす作業をし、数日から一週間は行を休む。中止と受診の基準も明確にしておきたい。次のいずれかに当てはまる場合は、独りで対処しようとせず、行を完全に中止して、医療機関を受診すること。

胸痛、激しい頭痛、意識の混濁、麻痺、けいれんなど、身体的な急性症状がある場合。幻覚、声が聞こえる、姿が見えるといったものが、行の最中だけでなく日常生活のなかでも続く場合。「自分は特別な存在だ」「使命を帯びている」といった確信が強まり、周囲の忠告が耳に入らない場合だ。

気分が異常に高揚し、眠らなくても平気だと感じる状態が数日続く場合。現実感が失われる、自分の身体が自分のものでない感じが続く場合。強い抑うつ、希死念慮がある場合だ。

症状が二週間以上続く、あるいは日常生活や仕事、対人関係に支障が出ている場合。受診するときは、精神科や心療内科でいい。瞑想を行っていたことを必ず伝える。

恥ずかしがる必要はまったくなく、集中的な瞑想が精神症状を誘発しうることは、学術的にも報告されている。そもそも行うべきでない人もおり、次に当てはまる人は、ここに記した実践を行わないでほしい。統合失調症、双極性障害、解離性障害の診断を受けている、またはその既往がある人。

現在うつ病や不安障害で治療中で、主治医の許可を得ていない人。強いトラウマ体験の直後にある人、PTSDの症状がある人で、てんかんの既往がある人だ。閉眼と過呼吸は発作の誘因になりうる。

重い心疾患、呼吸器疾患、コントロールされていない高血圧のある人。妊娠中の人。とくに閉気や強い腹圧を伴う操作は避ける。

そして未成年。判断力と自己観察力が十分に育つ前に、この種の集中的な内的操作を行うことは勧められない。行うとしても、必ず保護者の了解と、医学的知識のある大人の見守りのもとで、時間を大幅に短縮して行うこと。

やってはいけないことも並べておく。息を止める練習、閉気や止息。胎息を「息を止めること」と誤解して行うと、失神やけいれんの危険があり、とくに水中では絶対に行わない。

意識的な過呼吸。速く深い呼吸を続けると、手足のしびれ、テタニー、失神が起こりうる。断食や絶食との併用。古典には「辟穀(へきこく)」という穀断ちの行があるが、現代の一般人が独学で行うべきものではない。

低血糖や電解質異常は命に関わる。

睡眠時間を削っての長時間の行。庚申の徹夜も、健康な成人が年に数回行う程度なら大きな問題はなく、だが習慣的な断眠は精神症状の強力な引き金になる。

薬物やアルコールとの併用。体調不良時、発熱時、極度の疲労時の実施。そして、医療の代替にしないこと。

存思法は治療ではなく、病気を治す効果は証明されていなく、処方された薬をやめる。通院を中断し、診断された病気を「気の乱れ」として説明し直す。こうしたことは絶対にしないでほしい。

体調に不安があるなら、まず医療機関へ行くこと。存思法は、医療を受けたうえで、生活の一部として静かに続ける程度のものと考えるのが妥当になる。指導者と金銭についても書いておきたい。

この技法を教えると称して高額の料金を請求する相手には、強い警戒が必要だ。日本の消費生活センターには、繰り返し相談が寄せられている。無料や数千円の入り口セミナーから始まり、最終的に数十万円から百万円規模の受講契約に誘導される、というものだ。

「あなたには特別な才能がある」「今やらないと悪いことが起きる」「これを受けないと先に進めない」。こういった言葉が出てきたら、その場で契約せず、いったん帰ること。セミナー会場での勧誘は特定商取引法上の訪問販売にあたる場合がある。契約書面の交付から八日以内ならクーリング・オフができる。

困ったときは消費者ホットライン一八八番に相談できる。

また、指導者が医学的や精神医学的な知識を持っているかどうかも、選ぶ際の重要な基準になる。瞑想指導者には精神保健の知識が必要だという指摘は、臨床評価の文献でも明確になされている。副作用の可能性を説明せず、良いことばかりを並べる指導者は避けたほうがいい。

最後に明記しておく。他者に向けて用いないこと。存思法は、自分の身体を対象とする自己修養の技法になる。

他人に何かをし、他人に影響を与える。他人を害し、そうした目的でこの技法を用いることは、道教の倫理からも外れるし、この記事が扱う範囲でもない。

特定の誰かを思い浮かべながら行うこともしないでほしい。存思の対象は、あくまで自分の身体と、そこに宿るとされる神々になる。

匿名で聞いた、五つの声

以下は、気功や道教系の瞑想を実践してきた人たちから聞いた話になる。個人が特定されないよう年代、職業、地域などを変え、内容も要約して再構成した。効果を保証するものでも、勧誘するものでもなく、こういう経験を語る人がいる、という記録として読んでほしい。

一人目、四十代の会社員。十年ほど前に気功教室に通い始め、そこで五臓に色を思い描く練習を習った。最初の三か月はまったく何も感じなかった。正直これは意味があるのかと思っていたという。

半年を過ぎたころ、変化が来た。肝のあたりに意識を向けたとき、はっきりと「そこがある」という感覚が出たので、色が見えたわけではなく、ただ位置がわかる。

それだけのことなのだが、自分にとっては大きな変化だった。今も朝二十分だけ続けており、体調が良くなったかと聞かれると、わからないという。ただ、続けている期間、風邪をひく回数は減った気がし、気のせいかもしれない。

二人目、五十代の自営業者。道教の文献を趣味で読んでいて、『黄庭経』の身神の名を暗記して唱えることを始めた。半年ほど続けたころ、夜の行で、頭のなかがやたらと明るくなる感覚が続くようになった。

眠れなくなり、日中も妙に頭が冴えている。これは進歩なのだと最初は思ったので、三週間ほどで限界がきて、体調を崩したのだ。後から中国語の資料を読んで、上丹田に意識を集中しすぎることの危険が書いてあるのを知ったという。

今は下丹田だけにして、頭には意識を置かないようにしており、それで何の問題もない。あのとき誰も止めてくれる人がいなかったのが一番怖かった、と語っており、三人目、三十代の医療従事者。

仕事のストレスが強く、何か静かにできることを探して、道教系の瞑想の本を読んで独学で始めた。呼吸を数えるところと、腹に光を思い描くところだけをやっており、神様の名前は唱えていなく、信じていないので。

それでも、座ったあとは頭のなかの雑音が減るという。仕事に戻ったとき、判断が少し落ち着く感じがあり、これは自分にとっては十分な効果で、それ以上のことは期待していない。職業柄、これを患者さんに勧めることは絶対にしない、とも述べている。

四人目、六十代の元教員。若いころ八十年代の気功ブームで一度やって、そのときは続かなかった。定年後に再開して、今度は五年続いている。

日想と月想を対にして、朝と夜に十五分ずつ。朝の日想のとき、胸のあたりが温かくなることがあり、ただ、それが本当に「気」なのかと問われたら、答えられないという。ただ温かい感じがする、としか言えない。

妻には黙ってやっており、話すと変な目で見られるので。孤独な趣味だと思うが、朝と夜に十五分ずつ、自分だけの時間があるというのは悪くない。五人目、二十代の学生。

オンラインで見た動画をきっかけに、三丹田の瞑想を毎日一時間やっていた時期がある。だんだん時間を延ばして、二時間、三時間になった。そのころから、現実感がおかしくなった。自分の手が自分のものでない感じがし、授業中に急に涙が出る。

友達に相談したら病院に行けと言われて、行った。診断がついて、しばらく薬を飲んで、今は落ち着いており、瞑想が原因のすべてだとは思わない。ただ、あの時期の自分は明らかに「もっと深く行けば何かがある」という考えに取り憑かれていた。今はもうやっていなく、やるとしても、二十分以上はしないと決めている。

効いているのは、何なのか

存思法を実践するなら、それが何であるかについて、できるだけ醒めた見方を持っておいたほうがいい。醒めた見方は実践を損なわないし、むしろ危険を減らす。まず、瞑想一般の効果はどこまで実証されているのか。

厚生労働省が運営する統合医療情報サイトの整理によれば、こうなる。不安症やうつ病に対して、マインドフルネスに基づくアプローチは無治療より優れている。既存のエビデンスに基づく治療と同程度には有用だとされる。

睡眠の質については、教育ベースの介入より改善が見られ、腰痛については短期的な改善との関連が報告されている。一方で、線維筋痛症には効果がなく、急性疼痛の重症度軽減については十分なエビデンスがない。

物質使用障害では渇望の軽減との関連はあるが、再発防止の効果は限定的になる。つまり、「一定の効果はあるが、万能ではない」というのが妥当な要約だろう。そしてこれは瞑想一般の話であって、存思法という特定の技法について検証した研究は、筆者の知るかぎり存在しない。

五臓に色を思い描くことと、呼吸に注意を向けることのあいだに、効果の差があるかどうか。検証されていなく、エビデンスの質そのものへの批判もあり、さらに慎重になるべき理由だ。

マインドフルネス介入の臨床評価を検討した日本語の文献は、研究の質に深刻な問題があると指摘している。一試験あたりの被験者数が少なく、対照群が通常ケアや無治療で、盲検化が不十分。メタ分析には臨床的異質性と出版バイアスの問題がある。

しかも、研究方法論が年々改善しているという証拠もない。有害事象の報告に至ってはほとんどなく、副作用に言及した臨床試験はほぼ存在せず、では、実践者が感じている変化は何なのか。いくつかの説明が並立する。

第一に、注意訓練としての効果。数息にせよ存思にせよ、「一点に注意を向け、逸れたら戻す」という動作を反復している。これは注意制御の訓練そのものであり、実行機能への効果が測定されている領域でもある。神が実在するかどうかとは無関係に、この訓練は成立する。

第二に、身体感覚への注意の増大。内受容感覚と呼ばれる、体内からの信号への気づきが高まる可能性がある。ただし、注意を向けた領域に主観的な感覚が生じることは、健常者でも普通に起こる。「肝臓を感じる」という報告が、本当に肝臓由来の信号を検出しているのか、それとも注意を向けたことによって生じた構成的な感覚なのか。

主観報告からは区別できない。

第三に、催眠様状態。単調な刺激の反復、閉眼、身体の固定、暗示的な言語。存思の手順は、催眠導入の要素をほぼすべて備えている。

実際、深い存思のなかで報告される時間感覚の変容、身体境界の曖昧化、鮮明なイメージ。これらは被暗示性の高まった状態の特徴と重なる。これは「偽物だ」という意味ではなく、「そういう機序で説明できる部分がある」という意味になる。

第四に、期待効果と儀式効果。これから特別なことをするという準備、決まった手順、唱える言葉、専用の時間と場所。これらはすべて期待を高める装置として働く。

プラセボ効果は「気のせい」ではなく、測定可能な生理学的変化を伴うことが知られている。儀式性が高いほど効果が出やすいという知見もある。存思法の複雑で厳密な手順は、この観点からはきわめて合理的に設計されているとも言える。

第五に、確証バイアス。実践者は、良くなったことは記憶し、変わらなかったことは忘れる傾向がある。記録をつけることを勧めたのは、この偏りを減らすためでもある。

三か月前の記録を読み返すと、当時「劇的に効いた」と書いたことの多くが、その後どうなったか思い出せない。そのことに気づくはずで、東洋医学的説明の位置づけについても書いておこう。

気、経絡、五臓の五行配当、丹田。これらは現代の解剖学や生理学のなかに対応物を持たない。経絡が解剖学的構造として同定されたことはなく、丹田に相当する器官もない。

五臓と五色や五感情の対応も、経験的な観察と五行という分類図式が組み合わさって成立した体系になる。実証的に検証された因果関係ではなく、だからといって、これらの概念が無価値だということにはならない。

それらは、身体経験を組織化し、実践を伝達するための言語として、二千年にわたって機能してきた。「下丹田に意識を置く」という指示は、生理学的には正確でなくても、実践的にはきわめて有効に働く。地図が実際の土地ではないのと同じで、モデルが実在しなくても、そのモデルに従って歩けば目的地に着くということはある。

問題は、地図を土地そのものだと信じ込んだときに起きる。医療の代替にしてはいけない、と繰り返し書いたのはそのためになり、最後に。存思法をやってみて何も起きなかったとしても、それはあなたに才能がないからではない。

何かが起きたとしても、それが超越的な何かの証明になるわけでもない。二千年前の人々が、目を閉じて自分の内側を覗き込み、そこに宇宙を見出そうとした。その営みの手つきを、少しだけ追体験できる。それがこの技法の、たぶん一番確かな価値ではないかと思う。

十二ステップの、実践版

以下は、ここまでに述べた要素を一続きの形にまとめた実践版になり、所要時間はおよそ四十五分から五十分。週に二回から四回、同じ時刻に行うことを想定している。

初めての人は段階的な導入を強く勧めたい。第一週はステップ一から四と十から十二だけ。第二週からステップ五。第三週からステップ六と七。

第四週以降で全体を通す。いきなり全部を通そうとしないこと。ステップ一、時刻と場所を決める。これは前日までに。

卯時、午前五時から七時。または酉時、午後五時から七時。このうち、自分の生活で毎回確保できるほうを選ぶ。睡眠を削って深夜に行うことはしない。

場所は、四十五分間中断されない室内。室温は快適な範囲に調整し、換気を一度しておく。スマートフォンは電源を切って別室へ。

同居者がいる場合は、この時間は声をかけないでほしいと事前に伝えておく。ステップ二、身を整える。五分。

食後二時間以上、飲酒なし、トイレを済ませた状態にし、可能なら入浴かシャワーで身体を清める。締めつけのない服に着替え、ベルト、腕時計、アクセサリー、眼鏡を外す。手足が冷たければ温める。

座布団を敷き、膝掛けと水を手の届く位置に置く。タイマーを四十五分にセットし、音は最小、できればバイブレーションで。ノートとペンを横に置く。

ステップ三、座を組み、東を向く。三分。壁から一メートルほど離れて、おおよそ東に向かって座る。結跏趺坐、半跏趺坐、正座、あぐら、椅子のいずれでもいい。

ただし背骨がまっすぐ立つ姿勢を選ぶ。

骨盤をわずかに前傾させ、頭頂が上から吊られている感覚を探す。顎を軽く引く。肩を一度大きく上げて、力を抜きながら落とす。これを三回。

両手を下腹の前で重ね、男性は左手が下、女性は右手が下。親指の先を軽く触れさせる。舌先を上の前歯の裏に軽くつける。

目を閉じる。眠気が強い日は半眼にし、ステップ四、叩歯と咽液と調息。十二分。

上下の歯を、一秒に一回のリズムで三十二回、軽く打ち合わせる。溜まった唾液を三回に分けて飲み下し、そのたびに液が喉から下丹田へ落ちていくさまを思う。次に、口を細く開けて息を吐ききる。これを三回。

以後は鼻から吸って鼻から吐く自然呼吸に切り替え、吐く息を数える。一から十まで数えたら一に戻る。

これを十巡。呼吸を深くしよう、長くしようとしないこと。数え損ねたら一に戻る。

ここで少しでも息苦しさや動悸を感じたら、数えるのをやめて自然に呼吸する。それでも治まらなければ、ステップ十一の収功へ飛ぶ。ステップ五、啓白。一分。

心のなかで、開白の辞を一回唱える。「至心に啓白す。弟子(自分の名)、謹んで今日を以て、心を澄まして存思し、敢えて妄りに求めず」

続けて「唯だ願わくは、身中の諸神、各々其の位に安んじ、精気安和にして、疾疢生ぜず、心神清明ならんことを」。信仰の有無にかかわらず、この宣言は「日常モードを離れる」という自己への合図として機能する。他人の名を入れないこと。誰かのために、誰かに向けて、という形にしないこと。

ステップ六、身体をなぞり、下丹田に光点を立てる。六分。頭頂から足裏まで、意識で順になぞる。一箇所につき二呼吸。

頭頂、額、両眼、鼻、口、喉、両肩、両腕、両手、胸、腹、腰、両腿、膝、脛、足首、足裏。

なぞり終えたら、臍下三寸、自分の指四本分ほど下の奥に、豆粒大の光の点を思い描く。色は白か淡い金。輝きすぎない静かな光。

三分間、この点だけを保つ。消えたら立て直す。何度でも。

ステップ七、五臓に色を灯す。八分。相生の順に巡る。肝は右肋骨下で青。

心は胸中央やや左で赤、脾は腹中央やや上で黄。

肺は胸の左右で白、腎は腰の背中側左右で黒で、各臓で、位置を思い、色を灯し、対応する神名を心のなかで一度唱える。「肝神は龍煙、字は含明」「心神は丹元、字は守霊」「脾神は常在、字は魂停」「肺神は皓華、字は虚成」「腎神は玄冥、字は育嬰」

各臓につき六呼吸から九呼吸。五つすべてが灯ったら、五色が同時に光っている状態を十呼吸保つ。その後、腎から順に逆向きに色を消していく。

ステップ八、三丹田を立てる。八分。下丹田に鶏卵大の白い光球を立て、そのなかに幼子の姿を思う。嬰児、元陽で、九呼吸保つ。

次に中丹田、胸の中央の奥に淡い赤の光球を立て、壮年の姿を思う。真人、子丹になり、九呼吸保つ。次に上丹田、両眉の間の奥に淡い紫の光球を立て、幼児の姿を思う。赤子、元先だ。

ここは九呼吸を超えないこと。頭がのぼせる、こめかみが張る、視界がちらつくといった感覚が出たら、すぐに上丹田をやめて意識を下丹田に戻す。三つが同時に灯った状態を十呼吸保つ。

ステップ九、守一。八分。三つの光球をゆっくり近づけ、下丹田の位置でひとつに融合させる。三色が混ざり、ひとつの白い光になる。

以後は、この一点だけを保つ。名も形も色も手放し、「そこに一がある」ということだけを保ち続ける。雑念が入ったら、責めず、追わず、また一に戻る。この「戻る」動作の反復こそが本体になる。

八分間。時間の経過がわからなくなっても構わず、タイマーが合図し、ステップ十、像を畳む。二分。

一点を、さらに小さく縮める。豆粒から、砂粒へ。砂粒から、点へ。点が消えるにまかせる。

消えたあとの、何もない状態を、二十呼吸ほど保つ。ここで無理に何かを保とうとしないこと。ステップ十一、収功。五分。

収功詞を三回、心のなかで唱える。「気は丹田に帰し、神は本宮に返る。百節調和し、万神安寧なり」

両手を重ねて下腹に当て、時計回りに九回、反時計回りに九回、ゆっくり撫でる。両手をこすり合わせて温め、顔を上下に九回撫でる。手のひらで目を覆い、十秒。ゆっくり手を離しながら目を開ける。

首を左右に各三回回す。肩を前後に各三回回す。足を伸ばし、足首を回し、足の指を握って開く。太腿から足裏まで、手のひらで軽く叩いていく。

しびれが完全に取れるまで、座ったまま待つ。立ち上がるのは、しびれが消えてから。立ち上がって三十秒はその場に留まり、めまいがないことを確認する。

ステップ十二、記録と後始末。三分。常温の水を一口飲む。窓を開けて外気を入れる。

ノートに、日付、時刻、座った時間、行った範囲、途中で生じた身体感覚や感情、雑念の傾向、終わったあとの状態を数行書く。座布団を片づける。以後三十分は、激しい運動、熱すぎる入浴、冷水シャワー、大量の飲食を避け、静かに過ごす。夜に行った場合は、そのまま就寝してよい。

この儀式版の、中止基準

次のいずれかが生じたら、その時点でステップ十一の収功へ飛び、その日の行を終える。胸痛、動悸、息苦しさ、めまい、強い頭痛が生じたとき。手足のしびれ、こわばり、けいれん様の動きが生じたとき。

身体が意図せず大きく動き始めたとき。いわゆる自発動で、涙が止まらない、強い不安や恐怖が湧いてきたとき。

像が自分の意図と無関係に暴走し、止められないと感じたとき。「誰かが見ている」「声が聞こえる」といった知覚が生じたとき。そして次のいずれかが生じたら、行そのものを中止し、再開しないこと。そのうえで医療機関を受診してほしい。

行の外、日常生活のなかでも幻覚や幻聴が続く場合。現実感の喪失、離人感が数日以上続く場合。眠らなくても平気だという感覚を伴う異常な高揚が数日続く場合だ。

「自分には特別な使命がある」という確信が強まり、周囲の忠告を受け付けなくなる場合。強い抑うつ、希死念慮が生じる場合。不眠が一週間以上続く場合だ。

症状が二週間以上続く、または日常生活や仕事、対人関係に支障が出ている場合。受診の際は、精神科または心療内科で構わず、瞑想を実践していたこと、その内容と頻度と時間を、正直に伝えること。これは弱さではなく、適切な自己管理になる。

この儀式版で行わないことも並べておく。息を止めること。どの段階でも、意図的な止息は行わない。

時間を延ばすこと。四十五分を超えて座らず、効果を早めるために時間を倍にする、という発想を持たなく、回数を増やすこと。一日一回まで。

断食との併用。睡眠時間を削っての実施、体調不良時、発熱時、飲酒後、服薬直後の実施。他者を思い浮かべながらの実施で、特定の誰かに向けて、誰かのために、誰かについて。そういう形で行わず、存思は自分の身体に対してのみ行う。

治療の代替としての実施。診断された病気の治療を中断したり変更したりする根拠に、この実践を用いなく、最後にもう一度書いておきたい。

ここに記した手順は、古典の断片と現代の実践者の記録を突き合わせて再構成したものになる。特定の教団や師承に属する正統な伝授ではなく、効果を保証するものでもない。二千年前の人々が何を考え、何をしていたのかを、自分の身体を使って少しだけ想像してみる。その程度のものとして、静かに、控えめに、無理をせずに扱ってほしい。

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