小石川の閻魔堂でこんにゃくを断った老婆
東京の小石川に、源覚寺という浄土宗の寺がある。境内の閻魔堂には鎌倉期の作という閻魔像が座っていて、右の目のところが割れて黄色く濁っている。宝暦のころ、眼を患った老婆がこの閻魔に二十一日の願を掛け、毎日通って拝んだそうだ。寺の縁起によると、満願の日に老婆の目は治り、閻魔の右目がつぶれていた。
老婆は礼として、自分の好物だったこんにゃくを断った。断ったこんにゃくは口にせず、閻魔に供え続けたという。いまも閻魔像にこんにゃくを供えて願う人が絶えない。こんにゃく閻魔の名はここから来た。名付けたのは参る人たちのほうだった。
こういう願の掛け方を断ち物と呼ぶ。好きな物や嗜好品を神仏の前で断つと約束して、その代わりに願いを聞いてもらう。茶、塩、酒、煙草あたりが定番だった。
江戸の町ではごく普通の祈り方で、茶や塩や酒を断つ代わりに願いを聞いてもらう人が、どこの寺社にもいたらしい。上杉謙信が毘沙門天に立てた生涯不犯の誓いも、春日局が家光の疱瘡のときに立てた薬断ちも、同じ枠に入る。どちらも生涯の誓いだった。
断つ物を一つに絞る
最初に決めるのは、何を断つか。昔は願う相手の神仏が嫌う物を断つ形が主で、女断ちや肉断ちがそれに当たった。願う前に身を清めておく、という物忌みの意味合いが濃かったらしく、断つ物も神仏の側の好みで決まっていた。のちに自分の好物を断つ形が増えて、いまはこっちが普通になっている。好物のほうが、断つ重みを自分で感じやすいからだろう。
神仏との縁で断つ物が決まっている所もある。市谷亀岡八幡宮の境内にある茶ノ木稲荷がそう。
社の縁起では、稲荷の使いの白狐が茶の木で目を突いたので、この山の稲荷を信じる者は茶を断つようになった。眼病の人はとくに茶を断って願ったと書いてある。目の病と茶。縁起の筋はそこでつながっていた。
徳雲山崇福寺、通称鯖大師では、三年のあいだ鯖を食べずに願うと病が治り願いが叶う、と寺の案内にある。四国を巡っていた弘法大師が馬子から塩鯖をもらい、それを海へ投げると生き返ったという話に結びついた断ち物だ。源覚寺のこんにゃくは、老婆の好物だったから。熱海の来宮神社は酒で、いまは酒のほかに煙草や賭け事、甘い物を断つ祈願まで受けているという。
迷ったら、好きで毎日口にしていて、やめるとはっきり分かる物を一つ選ぶ。欲張らない。茶ノ木稲荷なら茶、鯖大師なら鯖、と相手に合わせるのが筋はいい。
一つに絞る。二つ三つと重ねた記録は、まず見かけない。薬や水、食事そのものを断つ形はここでは扱わない。
断つ範囲も、誓う前に言葉にしておく。茶断ちなら、緑茶だけか、麦茶やほうじ茶まで入れるのか。社の縁起は「茶をたって」としか書いていないので、線は自分で引くしかない。引いた線は、神前で口にする誓いの中身にそのまま入れる。
日数を七日、二十一日、三年から選ぶ
期間は、自分で勝手に作るより、寺社の縁起や記録に残っている数から選ぶほうが迷わずに済む。茶ノ木稲荷の縁起は、一七日、つまり七日か、三七日の二十一日のあいだ茶を断って願えば霊験があった、と書いていた。源覚寺の老婆が閻魔に掛けた願も二十一日だった。
三週間。鯖大師の鯖断ちは三年。短いほうは一週間で済む。
もっと長い形もある。願いが叶うまで断つのがいちばん多く、生涯断ち続けると誓う人もいた。謙信の不犯も、春日局の薬断ちも生涯の誓いだった。
春日局は晩年に病んだとき、家光が自ら薬を飲ませようとしても、口に含んだ薬をそっと袖に吐き戻したと伝わる。そこまで行くと、もう命がけだ。真似する形じゃない。
日数でなく時刻で区切る断ち物も記録に残っている。青森の弘前のあたりには、毎日午前十時まで塩を断つという、時刻で区切った塩断ちが伝わっていた。能登でも、願掛けをするときには一日のうちの決まった時間だけ塩を断つ、というやり方をしていたという。塩を丸ごと断つのでなく、朝のうちだけ断つわけだ。これなら体を傷めずに続けられる。
茶ノ木稲荷の縁起には、正月の三が日は茶を飲まない、という習わしも出てくる。年の初めのわずか三日だけ断つ、こういうごく短い断ち物もあった。初めてなら七日で立てて、終えてから二十一日に延ばして立て直す、という段の踏み方もできる。約束を守り切れる長さを選ぶのが、いちばん大事かもしれない。
願の中身で寺社を選び、縁日に合わせる
江戸の町では、願いの種類ごとに寺社や石仏を並べた案内本まで出ていた。文化十一年、一八一四年の『江戸神仏願懸重宝記』がそれだ。目の病ならここ、歯の痛みならここ、と一冊で引けるように作ってあって、江戸の人はそれを持って寺社を回った。平成十五年、福岡市博物館はこれに倣って『福岡願掛重宝記』という展示を組んだ。そこでは愛宕神社を「諸願とくに断ち物」の社として紹介していた。
目の願いなら、茶ノ木稲荷の茶断ちか、こんにゃく閻魔のこんにゃく断ち。酒をやめる願いなら来宮神社か、福岡の愛宕神社になる。愛宕神社には、禁酒や禁煙を誓って精進する愛宕精進という習わしが伝わる。
禁酒や禁煙そのものを目当てにした禁断祈願もここでできる。病の平癒を塩断ちで願った話は、さいたま市大宮区の塩地蔵に残る。地図の上では離れていても、断つ物で行き先が決まるのは同じで、願いと断つ物と神仏の三つがひと組になっていた。
さいたまの塩地蔵には、こんな由来がある。浪人の父と娘二人が大宮まで流れてきたところで、父が病に倒れて動けなくなった。姉妹の夢に地蔵が現れて塩断ちを勧め、二人が塩を断って祈ると父が治ったという。塩断ちは病の平癒を願うものが多かったと、塩の民俗を集めた『塩俗問答集』も書いている。
立てる日は、その神仏の縁日に合わせるときれいに収まる。源覚寺では一月と七月に閻魔の例大祭がある。静岡の鯖大師、崇福寺は毎年九月十三日を縁日と定め、その日に御祈祷会を開いて参る人を迎えている。縁日を待てないなら、思い立った日の朝でかまわない。朝のほうが境内は静かだった。
神前で名乗り、断つ物と日数を誓う
ここからが誓いの場面で、社と寺では拍手を打つか打たないかなど、所作が少し違ってくる。社なら鳥居の前で一礼し、手水で左手、右手、口の順に清める。拝殿の前で賽銭を入れて鈴を鳴らしたら、腰を折って二回深く礼をし、胸の前で二回手を打つ。
手を合わせたまま、心の中で誓いを立てる。声には出さない。唇が動く程度ならいい。
誓う中身は、住所と名前、何を断つか、何日断つか、何を願うか、の四つだった。茶断ちなら、どこまでを茶とするかもここで言う。誓いの決まった文句は、茶ノ木稲荷の縁起にも源覚寺の縁起にも残っていない。自分の言葉で短く言えばいい。長い口上は要らない。
誓いのあとに何か唱える言葉がほしいなら、神社では、どこの社でもよく教わる短い略拝詞がちょうどいい。原文は「祓へ給へ清め給へ守り給へ幸へ給へ」。読みは、はらえたまえ、きよめたまえ、まもりたまえ、さきわえたまえ。罪やけがれを祓い清め、守って幸いを与えてください、というほどの意味になる。これを三回唱え、終わったら一回深く礼をして、拝殿の前から静かに下がる。
寺なら拍手は打たない。胸の前で静かに合掌し、社と同じ四つを心の中で述べる。閻魔堂なら閻魔天の真言「オン・エンマヤ・ソワカ」、地蔵なら「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」を三回か七回。鯖大師のような弘法大師の堂なら、宝号の「南無大師遍照金剛」を唱える。オンは真言の頭に置く聖なる音、ソワカは成就あれという結びだ。
社務所で祈祷を受けて誓いを固める
形にして立てたいなら、社務所で祈祷を頼む。福岡の鷲尾愛宕神社は予約が要らない。社務所で申込用紙に書いて待てば、拝殿へ案内してくれる。
予約なしで行けるのは気楽な話。お祓い、祝詞、玉串拝礼まで、およそ二十分の祈願になるそうだ。待ち時間を入れても一時間は見ておけば足りる。
市谷亀岡八幡宮は、準備があるので早めに日時を予約してくれ、と書いている。祈祷を受けられるのは平日が午前九時半から十一時半、土日と祝日が午前九時半から午後二時半。本殿のほか、茶ノ木稲荷の社前でも祈祷をしてもらえる。茶断ちを立てるなら、本殿で祈祷を受けるより、白狐の縁起を持つ茶ノ木稲荷の社前で受けるほうが筋がまっすぐ通る。遠くて行けない人には、祈祷のあとで神札を送り、振込用紙を同封してくれるという。
申込用紙の願意の欄には、断ち物の祈願だと書き、その横に断つ物と日数を小さく添えておく。受付で何の祈願かと聞かれることがあるので、断つ物と日数と願いを一言で言えるようにしておくと慌てない。初穂料は白封筒か紅白蝶結びののし袋に入れ、表の上に「初穂料」、下に名前を書く。鷲尾愛宕神社は表書きとして「御神前」「御供」「玉串料」「御榊料」も挙げていた。
昇殿したら、お祓いのあいだは頭を下げたまま待つ。祝詞の中で神職が名前と願意を読み上げてくれるので、そこで心の中で断ち物の誓いをもう一度述べる。玉串は右手で根元を持って受け取り、時計回りに回して根元を神前へ向けて置き、二拝二拍手一拝で終える。
市谷の茶ノ木稲荷で茶断ちを立てる
茶断ちを茶ノ木稲荷で立てるなら、行き先は市谷亀岡八幡宮になる。市ケ谷駅のそばの鳥居をくぐり、長い石段を上がった境内に、本殿と並んで茶ノ木稲荷の社がある。縁起では、この山にいた白狐が茶の木で目を突いた。それで稲荷を信じる者は茶を断つようになった、という筋だった。
参る順番は、八幡宮の本殿が先。ここで二拝二拍手一拝を済ませてから、茶ノ木稲荷の前へ回る。稲荷の前では同じ作法で拝み、住所と名前、茶を断つ日数、願いの中身を心の中で述べる。日数は縁起にある七日か二十一日から選ぶ。
目の願いでなくても茶断ちは立てられる。縁起は、眼病の人のほかにもいろいろな願いが叶ったと書いていた。正月の三が日は茶を飲まないという習わしも、この社のもの。初詣のついでに三日だけ立てる、という小さな断ち物にもちょうどいい。
祈祷まで受けるなら、先に社務所へ電話で日時を決める。当日は受付で茶ノ木稲荷での祈祷を頼みたいと伝え、断つ物と日数を願意に書く。授かった神札は家に持ち帰って高い棚に祀り、茶を断っているあいだは、毎朝その前で一礼してから一日を始める。満願の日に社へ返しに行く。
小石川の閻魔堂でこんにゃく断ちを立てる
源覚寺は文京区小石川二丁目、寛永元年、一六二四年の創建と伝わる寺だ。山門を入ると閻魔堂がある。閻魔像の前にはこんにゃくが供えてあることが多い。ここで立てる断ち物は、ほぼこんにゃく断ちと決まっている。ほかの物を断つ人はまずいない。
閻魔堂の前に立ったら、賽銭を入れて胸の前で静かに合掌し、心の中で住所と名前をはっきり名乗る。こんにゃくを何日断つか、何を願うかを心の中で述べる。老婆の話にならうなら日数は二十一日。唱えるのは閻魔天の真言で、「オン・エンマヤ・ソワカ」を三回か七回。浄土宗の寺なので、本堂の阿弥陀如来には「南無阿弥陀仏」を十回唱える十念で手を合わせておくと、寺への礼にもなる。
こんにゃくは、立てる日に近くの店で一枚買って持っていき、閻魔の前に供えてから誓ってもいい。老婆は願が叶ったあとから供え始めたので、礼の日に持っていく形でもいい。どちらにするかは、誓う言葉の中で決めておく。満願の日には、閻魔の前でこんにゃくを供えて断ち終えたことを報告する。
一月と七月の閻魔例大祭の日は人が多い。静かに誓いたいなら、ふだんの朝に行くほうが落ち着く。祈祷や供養を頼みたいときは、寺に電話して受けているか先に確かめる。
酒断ちを熱海の来宮神社か福岡の愛宕神社で立てる
酒断ちの祈願をはっきり受けている社として名が通っているのが、熱海の来宮神社と福岡の鷲尾愛宕神社だった。来宮神社は古くから断ち物の祈願を受けてきた社で、禁酒の神として知られる。いまは禁煙や賭け事断ち、甘い物断ちの祈願にも応じているという。
来宮神社で立てるなら、拝殿で二拝二拍手一拝のあと、酒を断つ期間を神に約束する。授与所で禁酒の祈願を受けたいと伝えると、御神札と紙の神札、小さな木の神札の三つを授かる。社はこれを、神と約束した期間を守り抜くための札として出していた。
鷲尾愛宕神社のある福岡では、禁酒や禁煙を誓って精進することを愛宕精進と呼んだ。市の博物館は、禁酒や禁煙そのものを目当てにした禁断祈願の社として、ここを紹介している。受付は予約なしで、社務所で申込用紙に書けば拝殿へ通してくれた。
どちらの社でも、断つ期間は神職が決めてくれるわけではなく、自分で決めて申し出ることになる。叶うまで、と言い切るより、一年なら一年、百日なら百日と数で区切ったほうが満願の日がはっきりする。数で区切った誓い。これが、あとで報告に来る日をそのまま決めてくれる。
三年の鯖断ちを縁日で区切る
鯖大師の鯖断ちは三年と長い。崇福寺は臨済宗妙心寺派の寺で、毎年九月十三日の縁日に御祈祷会を開いてきた。三年の断ち物を立てるなら、この縁日に立てて、三度目の縁日を満願の日にすると数えやすい。
誓うときは、鯖を三年断つこと、願いの中身、名乗りを心の中で述べる。弘法大師の宝号「南無大師遍照金剛」を三回唱えて合掌を解く。途中の年の縁日にも参って、ここまで断てたと報告しておくと、三年の長さが一年ずつに割れる。三年は長い。本当に長い。
授かった神札を祀り、目に入る所へ貼る
来宮神社の禁酒祈願では、御神札と紙の神札、それに小さな木の神札を授かる。御神札は神棚に祀る。紙の神札は柱に貼り、小さな木札は財布や鞄に入れて、いつも身につけて持ち歩く。家の中でも外でも、誓いが目に入るようにする仕組みだ。よくできた仕掛けだと思う。
家に神棚があれば、授かった御神札はほかの神札と並べてそこへ納め、毎朝の拝礼のときに誓いも思い出す。無ければ、目線より高い清潔な棚に白い紙を敷いて立てる。向きは南か東。
これで足りる。柱に貼る紙の神札は、酒なら台所や晩酌をする部屋、茶なら湯を沸かす所の近くが分かりやすい。貼る位置は目の高さより上にする。
寺で受けた祈祷札も扱いは同じでいい。仏壇があれば仏壇の脇に立てるか、なければ高い棚に。源覚寺の老婆のように日参できるなら、毎日寺へ通って閻魔の前で手を合わせた。通えない人は、朝に神札の前で一礼して誓いを思い出す。それで十分だった。
断っている日々の続け方
七日や二十一日の断ち物なら、日を数える手立てを用意しておく。暦に印をつけるか、半紙に日数分の枡を書いて神札の脇に置き、一日ずつ塗りつぶしていく。何日目か分からなくなると、満願の日も分からなくなる。
枡が埋まっていくのを毎朝目で確かめられるので、あと何日で満願かが分かり、途中でくじけそうな日の支えにもなる。数取りは地味だけど、効く。昔のお百度の数取りと同じ理屈。
弘前の塩断ちのように時刻で区切るなら、区切りの時刻まで口にしない。午前十時と決めたら十時が来るまで塩気の物を取らず、過ぎたら普段どおりに戻る。これを毎日くり返す形だ。丸一日断つよりずっと続けやすい。昼には終わる。
酒断ちは、宴会や接待のような付き合いの席でいちばん崩れやすく、一杯だけならという誘いに負けやすい。来宮神社の神札を身につけて持ち歩くのは、たぶんそういう場面のためだ。願掛けで酒を断っている、と席に着く前に言ってしまえば、無理に盃を勧めてくる人はまずいない。茶断ちなら、出先で出される茶を白湯か水に替えてもらえばいいし、店でも頼めば案外すんなり替えてくれる。
断っている物を人に分けたり、捨てたりする必要はない。源覚寺の老婆は断ったこんにゃくを閻魔に供えた。家に断ち物の品が残っているなら、神札の前へ供えておき、下げたら家族に回す。神仏に供えたお下がりを家でいただくのは、昔からの形だ。
満願の日に礼を述べて願を解く
決めた日数が明けたら、その日のうちか翌朝に、誓いを立てた同じ社寺へ願を解きに行く。辞書は、願いが叶って礼参りをすることを願解き、読みはがんほどき、と書く。還願、かえりもうしとも言い、願を立てる立願と対になる。断ち物は、この願解きで初めて終わる。解かないまま放っておくと、誓いは宙に浮いたままになる、と昔の人は考えた。
来宮神社の禁酒祈願では、神と約束した期間を勤め上げたら、神札を神前へ返しに行く。そのうえで、酒をちゃんと断てたこと、体が丈夫になったこと、家業が繁盛し家が円満になったことを報告して参拝する。禁酒をした人は万を数える、と社は書いていた。
報告の順番は、願を立てたときとほとんど同じで、名乗ってから日数を断ち終えたことを伝える形になる。拝殿で二拝二拍手のあと、住所と名前を名乗る。いつ、何を、何日断つと誓い、何を願ったかを述べ、その日数を断ち終えたことを報告する。願いが叶っていればその礼を言い、まだ途中ならここまで見守ってもらった礼を言う。最後に一拝して下がる。
受けた神札は、この日に授与所か納札所へ返す。柱に貼っていた紙の神札も、この日の朝にはがして、身につけていた木札と一緒に持っていく。社の神札は社へ、寺の札は寺へ。
返し終えたら、その場で断っていた物を口にしてかまわない。ここで一区切り。おつかれさま。
断っていた物を供えて礼を返す
礼の品は、断っていた物そのものを持っていく形が記録に多い。源覚寺の老婆は、断ったこんにゃくを閻魔に供え続けた。いまでも源覚寺へ行くと、閻魔の前にこんにゃくが供えてある。こんにゃく断ちの礼なら、こんにゃくを持って閻魔堂へ行く。
塩の礼は、塩地蔵に残る形がいちばん具体的だ。両国の回向院の塩地蔵は、願いが叶った人が塩を供えたので塩地蔵と呼ばれるようになった。品川の徳蔵寺では、供えられた塩を少し持ち帰り、病が癒えたあとでお礼の塩を献じる習わしがあった。新宿の大宗寺の塩かけ地蔵は、願掛けの返礼に塩をかける地蔵として知られている。
塩の礼を持っていくなら、スーパーで売っている小袋の粗塩を一つ、白い紙か袋に入れて用意すれば足りる。品川の安楽寺の塩地蔵には、足元へ塩を供えて願う風習がある。大宗寺のように、お地蔵さまに直接かける所もある。どちらになるかは寺ごとに違うので、先に来ている人のやり方を見て合わせる。迷ったら寺務所で聞けばいい。
酒断ちの礼なら、酒を断った礼に酒を持っていくのも妙なので、品より祈祷を受けるほうが話が早い。社務所で「断ち物の満願のお礼」と伝えれば、御礼の祈祷として受けてくれる社もある。初穂料の包み方は、願を立てたときと同じでいい。
茶断ちが明けた日の一杯
茶断ちを解いたあとの最初の一杯に、決まった飲み方は残っていない。参考になるのは、出雲の一畑薬師のお茶湯だ。目のお薬師さまとして知られる寺で、境内の畑で育てた茶を毎朝薬師如来に供え、祈念したものを参拝者に授けている。
飲み方の案内はこうだった。茶葉ならやかんで沸かしてから五分から十分しっかり煎じ、合掌して、両手を合わせたまま真言を唱えながらいただく。薬師如来の真言は「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ」。
目を守りたい人は、お茶湯をまぶたにつける。寺は、目薬ではないとはっきり書いていた。茶の値は、茶葉が六百円、ティーバッグが八百円だった。
茶ノ木稲荷で茶断ちを解いた日も、この形を借りられる。家に帰ったら神棚か神札のあった場所の前に一杯供え、一礼してから下げて飲む。断っていた物を最初に神仏へ回す。その順番だけ守れば、形はこれで足りる。
叶わないまま明けたとき、途中で破ったとき
決めた日数を最後まで断ち終えても、願いのほうはまだ叶っていない、ということは当然ある。それでも決めた日数を守り切ったなら、満願の報告にはきちんと足を運んでおく。断ち終えたことを伝え、見守ってもらった礼を述べて、神札を返す。願いがまだ続くなら、新しい神札を受けて日を改め、もう一度断ち物を立てればいい。
困るのは、途中でうっかり口にしてしまったときで、これが断ち物でいちばん多いつまずきかもしれない。誰にでも起きる。断ち物を破ったときの作法をはっきり示した社寺の案内は、今回あたった範囲では見つからなかった。
決まった詫びの言葉も残っていない。困った話だった。祈祷を受けた社寺なら、社務所か寺務所に事情を話して、どうすればいいか聞くのがいちばん確かだ。
破りやすいのは、日数を長く取りすぎたときだ。茶ノ木稲荷の縁起が七日と二十一日の二つを並べて挙げているのは、そういう意味でもありがたい。弘前の塩断ちのように時刻で区切れば、一日ごとに守れたかどうかがはっきりする。立てる前に、守れる長さかどうかを見極めておく。無理はしない。
立てないほうがいい断ち物
健康を損なう形の断ち物は立てない。薬を断つ、水を断つ、食事を丸ごと抜く、塩を何日も一切取らない。どれも記録には残っているけど、ここで勧める形じゃない。塩なら弘前のように時刻で区切る。茶なら茶だけ。
ほかの人に断たせる誓いも立てない。断ち物は、願う本人が自分の好きな物を差し出す約束だ。家族に酒をやめてほしいなら、本人が自分で来宮神社や愛宕神社に参るのが筋になる。代わりに願うなら、自分が何かを断つ。
同じ時期に、いくつもの社寺へ別々の断ち物を掛けるのも避けたほうがいい。どこに何を誓ったか分からなくなると、満願の報告も願解きもできない。断ち物は一度に一つ、一つの神仏に。
終えて解いてから、次を立てる。順番が大事。欲張らないこと。
