スピリチュアル総合資料館
霊能・霊界
霊媒、口寄せ、死後の世界。見えると言った人たちが何を残したのかを見ていく。
74件の記事を収録しています。
人はいつの時代も、死者と言葉を交わしたいという抗いがたい欲求を抱えてきた。愛する者を失った悲しみを埋めるため。あるいは単なる好奇心から。あるいは金銭や名声を求めて。理由はさまざまだが、「あの世」と「この世」の境界に穴を開けようとする試み
神社の拝殿の奥から、低く朗々とした声が響いてくる。参拝者の多くはその意味を正確には聞き取れないまま、ただ厳かな空気に包まれてこうべを垂れる。あの声こそが「祝詞(のりと)」だ。祝詞とは、神職が祭典において神々に奏上する言葉である。感謝を捧
寺の本堂で炎が立ち上がり、太鼓が腹に響く。僧侶たちが一斉に何かを唱えはじめると、意味はわからないのに、体のほうが先に反応する。密教のまじないというのは、まずそういう体験として人の前に現れるらしい。ここで扱うのは、真言宗と天台宗に伝わる密
指を組んで願いごとをする。好きな人の名前を手のひらに書く。消しゴムに名前を書いて使い切る。「マジナイ」と聞いて多くの人がまず思い浮かべるのは、そういう可愛らしく身近な儀礼だろう。恋のおまじない、テスト前の験担ぎ。こうした小さな約束事の積
日本語には古来、「言霊(ことだま)」という言葉がある。声に出した言葉には目に見えない力が宿り、発せられた瞬間からその内容を現実の側へと引き寄せていく。そうした信仰が、少なくとも千三百年以上前から日本列島に根づいてきた。結婚式で「切れる」
法華仏教の系統では、まじないも祈祷も御守り札も、たどっていくと全部おなじ一点に行き着く。南無妙法蓮華経、この七文字を唱えること。唱題(しょうだい)と呼ばれる行だ。加持祈祷にしても御符の授与にしても、突き詰めればこの唱題行の延長線上にある
輪廻転生とサンサーラ、ピタゴラス学派の転生論まで、生まれ変わりの思想は洋の東西で驚くほど普遍的だ。仏教伝来後に庶民信仰へ溶け込む道筋、カルマという語の変質、前世療法の実際と危うさまでを順に見ていく。催眠と記憶の作られ方にも踏み込む。
ラピスラズリの護符からツタンカーメンの副葬品まで、石に力を見る信仰はほぼ全ての文明にある。鉱物ごとに割り当てられた意味の出どころ、浄化と呼ばれる手入れの作法、そして現代の流通と価格をめぐる実情を並べる。産地偽装や染色の見分け方にも触れる
聖人の光背から神智学のオーラ図、キルリアン写真、そして現代のオーラ診断まで。色ごとに割り当てられた意味の出どころ、見えると語る人たちの証言、波動という語が商品説明に使われるまでの道筋を整理する。オーラの色診断の実際にも触れる。
先祖の霊が見守るという民間の考えに、神智学や心霊主義の用語が重なって今の形になった。指導霊や支配霊といった階層の分け方、霊能鑑定でどう語られるか、そして自己啓発と結びついた経緯までを追いかける。守護霊交代という語りの出どころも示す。
宗派も名前も知らないまま手を合わせる、という営みが民間信仰の核心だ。道祖神と地蔵、屋敷神と氏神、竈の神と便所の神。暮らしの中に溶け込んだ祈りの対象を並べ、供え物と作法、年中行事との結びつきを見ていく。講と代参という仕組みにも触れる。
役小角に始まるとされる山岳修行の宗教が、密教と道教を取り込んで作り上げた実践体系。九字を切る手順と唱え言、法螺貝の吹き分け、柴燈護摩の組み方と作法、そして験力をどう捉えてきたかまでを順に見ていく。在家で行える範囲も具体に示す。
青森県の下北半島、恐山。宇曾利山湖のほとりに硫黄の匂いが立ちこめ、風車がカラカラと乾いた音を立てる。毎年夏と秋、亡くなった人にもう一度会いたい人たちがここへ全国から集まってくる。目当ては「イタコ」と呼ばれる盲目の民間巫女の「口寄せ」だ。
自然崇拝と祖先崇拝、神仙思想、老荘、陰陽五行を飲み込んで成立した中国土着の宗教を総論する。教団道教の成立と経典、道士の修行と儀礼、不老不死を求めた錬丹、そして日本の陰陽道への影響までを扱う。日本の庚申講との関係にも触れる。
天井から自分を見下ろしたという証言は無数にある。古今の神秘思想が語ってきた体外離脱の位置づけ、モンロー研究所などが整えた誘導技法の手順、臨死体験との重なり、そして脳科学側の説明までを並べる。危ないと言われる場面の扱いも示す。
シベリアからアマゾン、そして恐山まで、驚くほど似た光景が繰り返されてきた。太鼓と歌によるトランスの入り方、召命と病の意味、精霊と交渉する技法、そして日本の巫女とイタコの位置づけまでを並べる。観光化した儀礼との違いも示す。
国際的スター俳優が晩年に注ぎ込んだのが霊界の研究と啓蒙だった。映画大霊界の製作と興行、説いた霊界の構造と死後の段階、霊界通信ブームとの関係、そして本人の真剣さと批判の両方を並べて追う。霊界三部作の内容と興行成績も添える。
実業家から宗教家になった高橋信次が語った霊言と教義を整理する。心の発見と呼ばれた著作の内容、生前の講演で行われた霊示、急逝後の後継争いと分派、そして後の新宗教へ与えた影響までを順に見ていく。現在の各団体の位置も整理する。
前世と守護霊を語りかけられ涙する、あの番組の光景はなぜ受け入れられたのか。江原啓之の経歴と語りの型、番組の構成と視聴のされ方、批判と検証の中身、そしてブームが引いた後に残ったものを追う。番組終了後の活動と出版の動きも追う。
もとは一つだった魂が二人に分かれているという考えが、どこから来て何を約束するのか。サイレント期間やランナーとチェイサーといった段階説の中身、依存や高額セッションに転びやすい構造までを冷静に並べる。離れる判断の目安にも触れる。
起きたことが全部どこかに記録されているという考えは、神智学のアーカーシャ概念から始まった。ブラヴァツキーとシュタイナー、エドガー・ケイシーのリーディング、そして現代の読み方講座までの道筋を追う。読めると称する講座の実態にも触れる。
日本でいちばん数の多い神社が何を祀っているのか。伏見稲荷の創建から宇迦之御魂神と狐の結びつき、商家が広めた勧請の仕組み、油揚げと初午の作法、そして祟ると恐れられてきた理由までを順に追いかける。勧請した稲荷の返し方にも触れる。
自分以外の誰かに自分の口を使って喋らせる、という技法の系譜。十九世紀の心霊主義と自動書記、ケイシーの睡眠中の口述、セスやラムサの流行、そして実際に行われる手順と危うさまでを順に並べていく。降ろした内容をどう検証するかも示す。
大地そのものを母と呼ぶアンデスの信仰と、供物の包みを捧げるデスパチョの全史を追う。八月に儀礼が集まる理由、包みに入れる供物の一つ一つの意味、唱え言と焚き方、そして観光化と商業化の現在まで。日本で敬意を保って行う形も示す。
地球生まれではないと語る自己認識は、一九七〇年代の児童観から始まった。インディゴからクリスタル、レインボーへ広がる区分、プレアデスやシリウスという出身地の由来、救いになる面と閉じていく面を見る。診断に頼りすぎる危うさも書く。
写真がまだ得体の知れない機械の産物だった時代、余計なものが写る恐怖は本物だった。中岡俊哉の投稿募集が作った型、二重露光やレンズ内反射という正体、そしてデジタル化とともに消えていく経緯を追う。今も残る投稿文化の行方にも触れる。
南インドの寒村の少年が世界数百万人を動かす存在になるまで。手のひらから灰を出す物議、無料の巨大病院と水道事業という実績、手品との指摘や告発の数々、そして死後に残った組織と資産までを並べて追う。信者が語る恩恵の証言にも触れる。
鉱山局の有能な役人が、ある日を境に天使と会話しはじめ死ぬまでやめなかった。それまでの科学者としての業績、霊界日記と天界と地獄の内容、後世のブレイクやカントらへの影響までを順を追って見ていく。霊界日記のどこから読むかも示す。
霊媒でも超能力者でもなく、バージニア大学医学部の精神科主任教授が集めた記録の話。生まれ変わりを語る子供の証言の取り方、母斑と傷の対応という主張、批判の中身と方法論の限界までを冷静に並べていく。追試が進まない理由にも触れる。
白装束も数珠もない普通の主婦が、送られてきた古い写真に手を触れて三秒で語り出す。それだけで昭和末から平成初めのテレビを占領した霊能者、宜保愛子。その語りの型と人気を支えた構造、超能力批判との衝突、訴訟や海外ロケの騒動まで、順を追って見て
初七日から四十九日まで、七日ごとの法要はもともと裁判の期日だった。死出の山と三途の川を越え、秦広王から閻魔王まで十王の審理を順に受ける道筋、その正体である本地仏を並べた十三仏の体系、そして三十三回忌まで延ばした日本独自の死後観を、最初か
死者の耳元で四十九日間読み続ける、恐ろしく実務的な案内書の中身を追う。埋蔵経として見つかったという伝説、バルドを渡る道筋、ユングとリアリーによる読み替え、そして現代のホスピスでの使われ方まで。日本語訳ごとの違いにも触れる。
兵庫県の六甲山系、金鳥山の中腹。戦後四年目の山中に、一人の男が小屋を建て、地面に電極を打ち込んでいた。男の名は楢崎皐月。電気技術者であり、自称するところの物理学者である。彼が測っていたのは大地の電位だった。地面に差し込んだ電極の間に生じ
手のひらに、ある朝いきなり穴が開く。血が出る。医者が診ても原因が分からない。傷はふさがらないくせに、化膿もしない。しかも位置が、なぜかキリストが十字架にかけられたときの傷とぴったり同じ。これが聖痕、スティグマータだ。八百年ぶん記録が残っ
一八四八年の春、ニューヨーク州西部の名もない集落で、数回の乾いた音が鳴った。その音が、その後百八十年近くにわたって西洋世界の死生観を揺さぶり続けることになる。近代スピリチュアリズムと呼ばれる巨大な運動は、教義書からも預言者からも始まらな
近所を歩いていて、用水路が折れる角に苔だらけの石が立っていた。高さは腰ほど。正面の下のほうに猿が三匹ならんでいて、まんなかの一匹が口をふさいでいる。しゃがんで見た。その上には腕を六本もった仏が彫ってある。
散歩の途中、畑の角に頭の丸い石が立っているのに気づいて、軍手で苔をこすってみた。出てきたのは「廿三夜」の三文字。横には小さく「講中十八人」と彫ってあった。
2014年5月生まれで、現在小学5年生の少年がいる。自分は太平洋戦争末期の特別攻撃隊員だった――そんな前世の記憶を語る子として、2025年にテレビ番組で取り上げられた。後に書籍化もされ、大きな反響を呼んだ。少年は2歳の頃から戦闘機に異常
北の空に、ほとんど動かない星がひとつある。まわりの星は一晩かけてぐるぐる回っていくのに、その星だけは同じところに居座っている。これを見て「あれが天の中心だ」「あそこに世界の主がいる」と考えた人たちがいた。中国ではこれを北辰と呼び、日本で
高知県の東の奥、徳島県との県境に近い山の中に、香美市物部町という場所がある。2006年3月1日までは、香美郡物部村と呼ばれていた土地だ。ここに、いまも生きている民間信仰がある。それが「いざなぎ流」。読み方は「いざなぎりゅう」。名前だけ聞
東京都内には、タロットや手相を看板に掲げる占い師が何軒も集まる一角がある。その一角にある占いサロン「占い蓮」が主催する「祈祷坐禅会」に、漫画家・コラムニストの辛酸なめ子氏が参加し、その体験をレポートしている。辛酸なめ子氏は、宗教やスピリ
日本のUFO事例でいちばん名の通っているのが「甲府事件」だ。起きたのは1975年2月23日の夕方、場所は山梨県甲府市だった。正直、筋だけ聞くと子ども向けの怪談に近い。甲府市立山城小学校の2年生で、いとこ同士の男子児童が二人いた。二人は帰
明治二十年、井上円了が『妖怪玄談』を出した。流行中のこっくりを正面から調べた本だ。円了によると、伊豆の下田の近くでアメリカの帆船が壊れ、長く土地に残った乗組員が村の人にこの遊びを教えたという。西洋で流行っていたテーブルターニングのこと。
能の「葵上」では、照日の巫女が梓弓を鳴らして六条御息所の怨霊を呼び出す。唱えるのは「天清浄地清浄、内外清浄六根清浄」だった。室町の観客にとって、弓の音で霊を呼ぶ女は説明のいらない存在だったらしい。弓一張で足りた。弓の弦を鳴らして魔を退け
オシラサマは、桑の木の棒に顔を彫るか描くかして、布を何枚もかぶせた神さまだ。長さはおよそ一尺、三十センチほど。男女、あるいは馬と娘の二体で一対になっていて、家の神、蚕の神、目の神として東北の家々で祀られてきた。岩手県立博物館は、頭まです
稲荷山の中腹には、神の名を彫った石がびっしり並ぶ場所がある。白菊大神、白龍大神、末広大神。前には小さな朱の鳥居が差され、鉄の燭台はろうそくの煤で黒い。伏見稲荷大社は、信者が自分の信仰で表した神名を刻んで納めた石を「お塚」と呼ぶ。その数は
焙烙という素焼きの皿に、白っぽい苧殻を折って積む。十三日の夕方にそこへ火を入れて先祖を迎え、十六日に同じ場所でもう一度焚いて送り出す。盆の段取りを骨だけにすると、この二つの火のあいだに棚を組み、供え物を替え、最後に全部を片付ける流れにな
寛文六年に出た浅井了意の仮名草子『伽婢子』の巻十三に、「怪を話ば怪至」という短い一話がある。読みは「くわいをかたればくわいいたる」。了意はその頭で、怪しい話を百集めて語れば必ず怪しい事が起こると断ってから、百物語のやり方を書き留めた。今
千葉県市川市中山の遠壽院で、二〇二六年二月十日の朝六時二十分に瑞門が開いた。百日の荒行を終えた僧が六時三十八分に門を出て、五十分には表堂で参詣人への法楽加持が始まっている。木剣に数珠を重ね、法華経の文を唱えながら打ち鳴らす加持だ。これを
福島県の檜枝岐村には、疳の虫を起こした子の手のひらに「田」の字を一、二度描く作法が伝わっていた。昭和三十九年の『福島県史』民俗編に載る記録だ。描きながら口の中で「あるだけのむしをはらいたまえ、あぶらうんけんそわか」と唱え、最後に掌へ息を
寛弘五年の九月、藤原道長の土御門殿で中宮彰子のお産が迫ったとき、屋敷の中は物の怪を移す祈りの陣地になった。紫式部の日記が、その部屋割りを書き留めている。南に僧正や僧都が並び、東には内裏から来た女房が集まった。物の怪を移された人たちは西側
施餓鬼棚は、本堂の奥ではなく外縁や山門の脇に出る。四隅に笹竹、中央に三界万霊の位牌。祀る者のいない霊や、餓鬼道で飢えている霊に飯と水を施して送り返すための棚だ。在家はここで施す側に回る。施餓鬼のもとは、唐の不空が訳した『仏説救抜焔口餓鬼
京都の地主神社には、おかげ明神の祠の脇に杉の神木が一本立っている。神社の案内では、この木肌に丑の刻参りの釘の跡が無数に残り、いまは「いのり杉」と呼んで一願成就の木として見せていた。穴を塞がずに、祈りの木として扱ってきたわけだ。見つけた側
源氏物語の夕顔の巻に、荒れた院で灯が消えた夜の場面がある。光源氏は「太刀を引き抜きて、うち置きたまひて」、それから右近を起こした。人を呼ぶより先に刃を身のそばへ置いたわけだ。大鏡でも、藤原忠平が紫宸殿の暗がりで鬼に鞘の先をつかまれ、太刀
秩父の三峯神社で御眷属を借りると、白木の箱に納めた御札を渡される。蓋には三つから六つほどの小さな穴があり、中のお犬様が息をするための穴だと言われてきた。中身は紙の札。それでも箱は、生き物を運ぶ作りになっている。借りる相手は、三峯の神の使
大阪の四天王寺の大黒堂は、甲子の日ごとに甲子会を営み、加持をした黒豆を七粒ずつ授けている。黒豆と大黒天と甲子。家で甲子待をするときの供え物と、そのまま重なる顔ぶれだ。甲子待は、干支の甲子にあたる日の夜に大黒天を祀り、子の刻まで起きている
奈良の信貴山朝護孫子寺は、聖徳太子がこの山で毘沙門天を感得したのが寅の年、寅の日、寅の刻だったと伝えている。縁日は毎月一日と三日、それに寅の日。寅の縁日にお参りするとご利益を授かる、と寺ははっきり書いていた。短い一文だった。京都の鞍馬寺
京都の百萬遍知恩寺では、毎月十五日の午後、大殿の法要に続けて大念珠が回される。集まった人が一本の数珠を手に取り、南無阿弥陀仏と唱えながら隣へ送っていく。寺の案内では、その念珠は五百四十顆としている。知恩寺の大念珠繰りに入るなら、日取りは
伊勢の町では、夏でも玄関にしめ縄が下がっている。真ん中の木札には「蘇民将来子孫家門」と墨で書いてあって、暮れに新しいものへ掛け替えるだけで一年中外さない。旅のスサノオを泊めた蘇民将来の子孫なら疫病を免れる、という話から来た札だ。門口を縄
切麻はきりぬさと読む。ぬさは麻の古い呼び名で、神職が左右に振る大麻も同じ字を当てる。紙と麻を細かく刻んで撒けば、振る代わりに散らして祓えるわけだ。麻を刻む発想は大祓詞にも出てくる。天つ菅麻を本刈り断ち末刈り切りて、八針に取り裂きて。あま
地結の真言は、キリキリという音から始まる。オン キリキリ バザラバジリ ホラ マンダ マンダ ウン ハッタ。栃木の萬福寺が公開している長澤弘隆師の理趣経法の真言ノートには、この句に「三返」と添えてあった。真言密教の結界は、床と四方と上と
河内長野市流谷の八幡神社では、一月六日の朝早くに氏子が新わらを抱えて集まってくる。昼までに太縄を綯い、榊を結んだ細縄を十二本こしらえて、神社の前の流谷川へ掛け渡した。村の境を縄でふさぐ、勧請縄かけの一日だ。疫病や災いは道や川を伝ってやっ
国立国会図書館の暦の解説には、天赦日を「百神が天に会合し、天が万物を許す日」と書いた一行がある。暦の下のほうに刷られた吉凶で、昔から下段と呼ばれてきた注だ。明治の改暦で官の暦から消されたのに、手帳やカレンダーには今も刷られている。消えな
京都の二条城の南に、神泉苑という東寺真言宗の寺がある。池のほとりの小さな社が恵方社で、祀られているのは歳徳神。一年の福徳を受け持つ神だ。この祠は大晦日の夜に人の手で回されて、翌年の恵方へ向きを改める。境内の絵馬から、明治二十二年にはもう
鎌倉の佐助ヶ谷の奥、岩のトンネルの先に銭洗弁財天宇賀福神社がある。社の伝えでは、巳の年にあたる文治元年、一一八五年の巳の月の巳の日に、源頼朝の夢へ宇賀福神が立った。西北の谷に湧く清水で神仏を供養せよというお告げで、頼朝はその泉を探し当て
十一月の酉の日の夜、浅草の鷲神社の前は、大きな熊手を頭の上に掲げて歩く人で埋まる。正月から春にかけては、各地の寺の境内に赤いだるまが山と積まれる。どちらも買って終わりにはならない。値切り方、飾る向き、目を入れる順、一年たったあとの返し先
明治の半ばの夏、アメリカの天文家パーシヴァル・ローエルが木曽の御嶽に登った。山の上で白衣の講中が神を人に降ろすのを見て、それを本に書き残している。英語で書かれた御座の記録としてはいちばん古い部類らしい。御嶽は昔、七十五日か百日の重い精進
大正五年、いまの弘前市にあたる大浦村鼻和の工藤むらという女の人が、毎日水ごりをとって八幡宮へ日参りを始めた。これが三年三か月続いた。瑞穂教赤倉山神社が出している由緒書きに、そう記されている。大正八年の十月、赤倉の神が枕元に立ってお告げを
成田山新勝寺の大本堂では、朝の五時半か六時に最初の護摩が焚かれる。太鼓が鳴り、僧が炉に護摩木をくべて、不動明王の前で火が高く上がる。寺の案内では、平安の頃から千年以上続く密教の修法で、炎で心の迷いや穢れを清める祈りだと説明していた。火は
一月九日の深夜十二時、西宮神社では境内の門がすべて閉じられる。神社の開門神事の解説によると、もとは町の家々も門松を逆さにして戸を固く閉め、明かりを消して夜明けを待った。これが忌籠、居籠とも書く神事だ。夜が明ける午前六時、大太鼓を合図に表
伏見稲荷大社の案内には、稲荷大神が稲荷山の三ケ峰に初めて鎮座したのが和銅四年二月の初午の日だった、と書いてある。初午大祭は、その日をしのぶ祭りだ。二月の最初の午の日に稲荷を祭る習いは、ここから全国へ広がった。辞典類を見ると、旧暦の二月初
京都の古い町家で、おくどさんの脇の壁を見上げると、縦長の札が一枚貼ってある。上に「阿多古祀符」、その下に大きく「火迺要慎」。読みは「ひのようじん」。愛宕山の上に鎮まる愛宕神社の火伏せの札で、京都では家の台所から料亭の厨房まで、火を使う場
東京の小石川に、源覚寺という浄土宗の寺がある。境内の閻魔堂には鎌倉期の作という閻魔像が座っていて、右の目のところが割れて黄色く濁っている。宝暦のころ、眼を患った老婆がこの閻魔に二十一日の願を掛け、毎日通って拝んだそうだ。寺の縁起によると
山口県下関市に、石鎚本教吉見教会という教会がある。教会長の加藤法泰氏は、四国の石鎚山の上空でたびたび見られてきた光について、独自の見方を語ってきた人だ。修行は四十年、石鎚への登拝は三百回を超えたという。オカルト誌のウェブ版で紹介されたと
