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チャネリングの全史、霊媒と降霊会から宇宙存在との交信まで

チャネリングって何をやってることになっているのか

チャネリングの定義は、意外とはっきりしている。「チャネルとなる人間の通常の精神に由来しない源泉から、情報が伝達されること」。これが比較的よく引かれる言い回しだ。もっとざっくばらんに言うと、自分以外の誰かに、自分の口や手を使って喋らせることだ。相手は高次の霊的存在だったり、神だったり、宇宙人だったり、死者だったり、天使だったりする。

自分のハイアーセルフだというパターンもある。大事なのは、この定義が「自分以外の誰か」という前提を含んでいることだ。ここが全部の論点になる。実際に別の存在がいるのか、それとも本人の意識の一部が別人格として現れているだけなのか。心理学は後者を取る。

信じている側は前者を取る。この対立は百五十年前から何も変わっていない。この記事では、チャネリングという行為がどこから来て、どう変化して、日本にどう入ってきたのかを順番に追う。やり方も具体的に書くし、体験談も入れる。そして、この手の話につきものの懐疑論と心理学的説明も、ちゃんと並べる。

「チャネル」という語と、一九八〇年代という起点

チャネリングの語源は英語の channel だ。名詞では水路、海峡、通信路。動詞にすれば「水路を開く」「一定の方向に向ける」。つまり、自分がパイプになるというイメージだ。中身を作るのではなく、通すだけ。

この比喩の選び方には、実は強い意図がある。だから同じことをやっても、チャネリングと呼ぶと受動的でニュートラルな響きになる。この語が広まったのは一九八〇年代。ニューエイジ思想の支持者が頻繁に使いはじめて定着した。これはなかなか重要なポイントで、それ以前は同じことを「霊媒」「ミディアムシップ」と呼んでいたからだ。

で、なぜ別の名前になったのか。一つには、霊媒という言葉についたイメージの問題がある。十九世紀から二十世紀初頭にかけての降霊会ブームでは、トリックの暴露が山ほど出た。暗い部屋でテーブルが浮き、エクトプラズムと呼ばれる白い物質が口から出てくる。これらの相当部分が奇術の手法だと判明していった。

霊媒という語には、このインチキな見世物小屋の匂いがしみついてしまった。チャネリングは、そこから切り離された新しい包装だったのだ。暗黒の部屋も、テーブルの浮上も、物理的な奇跡もいらない。明るい部屋で、マイクを持って、ステージの上でやる。伝えるのは亡くなった祖母の伝言ではなく、宇宙の真理や人生の指針だ。

商品としてのグレードが一段上がったとも言える。もう一つ、八十年代という時代の空気も大きい。パソコンと通信の時代が始まっていた。チャンネル、チューナー、周波数、レセプター。この手の比喩がすんなり受け入れられる土壌ができていた。

前史その1・一八四八年、フォックス姉妹のラップ音

この分野の全ての出発点は、一八四八年三月三十一日、ニューヨーク州ハイズビルの小さな家だ。フォックス家の姉妹、マーガレット十一歳とケイト九歳の寝室で、木を叩くような小さな音が鳴りはじめた。二人はその音と交信を試みる。方法はごく単純で、質問に対して対応する回数だけ音を鳴らす。はいなら一回、いいえなら二回。

噂はあっという間に広がり、近所の人間が集まってきた。アルファベットを使ったより複雑な交信方法が編み出される。その結果として「五年前にこの家でチャールズ・ロズマという行商人が殺された」という証言が得られたとされる。地下室を掘ったら骨片が出てきたという話もついているが、当初から信ぴょう性は疑問視されていた。この事件から、近代心霊主義が爆発する。

アメリカとイギリスを中心に、数十年にわたって降霊会が大流行した。当時の知識人の巻き込まれ方もすごい。化学者ウィリアム・クルックスや、シャーロック・ホームズの生みの親であるコナン・ドイルが真剣にコミットしている。あの合理主義の化身を生んだ人が、心霊主義の伝道者になっていたというのは、何度思い返しても面白い事実だ。そして、この話にはオチがある。

一八八八年十月、マーガレット本人が新聞上で告白した。あの音の正体は、足首や膝の関節を鳴らしていたものだった。最初はリンゴを落とす音で母親を驚かせて面白がっていたのだ。そのうち足の関節を鳴らす技術を覚えた。悪戯が大きくなりすぎて告白できなくなった。

姉のリーアから金銭面で圧力があったのだ。そういう内容だ。ただし、この告白も終点ではない。約一年半後にマーガレットは告白を撤回し、死ぬまであれは本物だったと主張し続けた。告白したときは金に困っていたとも、アルコールに苦しんでいたとも言われる。

どちらの証言を信じるかで景色が変わり、この分野の史料は、だいたいこういう風にできている。

前史その2・降霊会の黄金時代と、暴かれた手口

降霊会のフォーマットは完成度が高かった。暗い部屋。丸テーブルを囲んで手をつなぐ参加者、中心に霊媒。キャビネットと呼ばれる幕で仕切られたスペースに霊媒が入る形式もあった。

やがてトランペットが鳴る、テーブルが傾く、霊媒の口から別人の声が出る。この時代の霊媒たちの技術は、後に手品師や調査者によってかなり徹底的に解剖された。テーブルを傾けるのは足や膝。トランペットは伸縮する棒。エクトプラズムはモスリンやチーズクロスを飲み込んでおいて吐き戻したもの。

仕込みの協力者を参加者に混ぜておく。事前に参加者の身上を調べておく。だが、ここで大事なのは、全部がイカサマだったわけでもないということだ。霊媒の中には、本人が本気で信じていたケースが相当数ある。トランス状態に入って別人格が出てくるという現象自体は、イカサマやトリックなしでも発生する。

これは後で心理学のところで詳しく書く。二十世紀に入ると、降霊会ブームは二回大きな山を迎える。一回目が第一次世界大戦後。二回目が第二次世界大戦後。理由は単純で、大量の若い死者が出たからだ。

死に目に会えなかった遺族が、最後の一言を求めて降霊会に集まった。このパターンは、この分野の需要がどこから来るのかをいちばんはっきり示している。失われた人ともう一度話したい。これ以上に強い動機はなかなかない。

日本の前史――神がかり、帰神法、審神者、こっくりさん

日本には、西洋からチャネリングが入ってくる遠く前から、同じことをやる伝統があった。一番古層にあるのが神がかりだ。神が人に乗り移って語る。古事記や日本書紀にもその形式は出てくるし、各地の神社神事や巫女の伝統にも残っている。東北のイタコや沖縄のユタも、役割としては重なる部分が多い。

だが、近代日本でこの技法を体系化したのは、なんといっても大本だ。出口なおが自動書記によって膨大な『お筆先』を残し、それを基に『大本神諭』が編まれた。なおは識字能力が高くなかったとされる。この「本人には書けないはずのものが書かれた」という構図が、信仰の根拠になっている。そして出口王仁三郎。

この人が、日本のこの分野でいちばん重要な仕事をしていると思う。帰神法という、神を降ろす手順を体系化したことだ。しかもそこに審神者という役割を置いた。審神者は何をするか。降りてきた存在に尋問する。

お前は誰だ。どこから来た。何の目的で来た。そして、邪なものだと判断されれば追い返す。つまり、降りてきたものを無条件に信じない。

検閲をかける。これはものすごく重要な発想だ。現代のチャネリングには、この審神者に相当する機能が、制度としてはほとんど存在しない。降りてきた存在が名乗った名前を、そのまま受け入れる。大本の体系のほうが、この点に関してははるかに試行錯誤を積んでいる。

神がかりをやる危うさを、実例をもって知っていたからだろう。もう一つ、庶民的な層にはこっくりさんがあり、明治期に流行し、学校で何度も禁止令が出た。十円玉に指を乗せて、勝手に動く。この「勝手に動く」という体験は、実はチャネリングの核心を理解する上で非常に重要なのだが、これも後でやる。

ジェーン・ロバーツと「セス」――現代チャネリングの原点

現代型チャネリングの出発点として、ほぼ全員が名前を挙げるのがジェーン・ロバーツだ。一九二九年生まれ、一九八四年没。アメリカの詩人・作家だった。発端は一九六三年の末。彼女と夫のロバート・バッツは、超感覚についての本を書く取材として、ウィジャボードを試していた。

十二月二日、ボードから一貫したメッセージが出はじめる。名乗ったのがセスだった。しばらくすると、ロバーツはボードを使わなくてもメッセージが頭の中で聞こえるようになった。やがてボードを捨て、トランス状態で口述するスタイルに変わったのだ。夫のバッツがそれを筆記する。

このセッションは彼女が死ぬ一九八四年まで、二十年以上続いた。セスは自分を「もはや物質に焦点を合わせていないエネルギー人格体」と名乗った。地上での輪廻転生を完了していて、隣接する存在の層から話していると。大事なのは、セスの語った内容の質だ。これがちょっと異様に体系的だった。

中核にあるのは「意識が物質を創造する」「人は自分の信念と期待によって自分の現実を作っている」という命題だ。「力の点は現在にある」という言い回しも有名。一九七〇年に『セス・マテリアル』、一九七二年に『セスは語る』を出す。これらが後のニューエイジ思想の引き寄せの法則系の直接の祖先になっている。ロバーツについては、懐疑論側の評価も均衡が取れている。

心理学者ジェームズ・アルコックは「超自然的な介在を想定する必要はほとんどない」と述べている。別の研究者は「詐欺や潜在記憶で説明するのは非常にありそうにない」と結論している。つまり、嘘をついていたのではないけれど、超自然も必要ない。この中間の場所に何があるのか。それがこのテーマの一番面白いところだ。

ラムサ、奇跡のコース、神との対話

セスの後に、アメリカでチャネリングは一つの産業になった。三人だけ押さえておく。一人目がジュディス・ゼブラ・ナイト。一九四六年生まれ。アトランティスの戦士ラムサと交信していると主張した。

トランスに入ってラムサとして語るスタイルで、声も口調も変わる。商業的には史上最も成功したチャネラーの一人とされている。ワシントン州に拠点を構え、セミナーに世界中から人が集まった。ハリウッドの有名人の顧客も多く、話題性は抜群だった。一方で、内部の実態をめぐっては元メンバーから厳しい証言も出ている。

二人目がヘレン・シュークマン。コロンビア大学の心理学者だった人で、本人は無神論者を自任していた。ところがある日から内面の声が聞こえはじめ、七年かけて膨大なテキストを書き取った。それが『奇跡のコース』だ。キリスト教的な語彙を使いながら、一元論的な形而上学を展開する内容で、世界中に学習グループがある。

彼女自身がこのテキストに生涯アンビバレントだったという逸話は、この分野の人間的な複雑さをよく表している。三人目がニール・ドナルド・ウォルシュ。『神との対話』の著者だ。人生に行き詰まって神に向けて怒りの手紙を書いていたら、手が勝手に返事を書きはじめたという起源譚がある。九十年代以降、日本でも長く売れ続けている。

この三人に共通するのは、内容が十分に深いことだ。実際に読むと、安っぽい占いとは全然違う。哲学としての一貫性があるし、読み応えがあり、これは二つの可能性を示唆する。本当に高次の知性が語っているのか、あるいは人間の意識の普段使わない部分に、とんでもない編集能力が眠っているのか。

僕は後者の方が、むしろ人間にとって面白い結論だと思う。

バシャールとダリル・アンカ――日本で一番売れた宇宙存在

日本でのチャネリングを語るなら、この人を外すわけにはいかない。ダリル・アンカ。一九五一年生まれのアメリカ人で、本業は映画の特殊効果の仕事をしていた。彼の話によれば、一九七三年にロサンゼルスでUFOを目撃する。それをきっかけにチャネリングができるようになったという。

交信相手の名はバシャール。オリオン座方面、地球から五百光年離れた惑星エササニの存在で、複数の意識が合わさった存在だとされる。バシャールはアラビア語で「指揮官」「使者」を意味する語で、アンカのアラブ系の背景に由来すると説明されている。さらにアンカは、自分がバシャールの過去世にあたるとも言っている。日本には一九八七年に初来日。

同年に最初の日本語の本が出て、そこから延々とシリーズが続いている。日本の精神世界・ニューソート系の棚では、ロングセラー中のロングセラーだ。講演の映像作品も国内のレーベルから出ており、バシャールの教えの中核は、一言で言えば「ワクワク」だ。自分が一番ワクワクすることを、期待なしで、全力でやる。

それが真の自分を表現する波動だとされる。このメッセージが日本でここまで受けた理由は、かなりはっきりしていると思う。八十年代後半から九十年代の日本は、会社と学校にひたすら適応することが不成文の前提だった。そこに「自分がワクワクすることだけをやれ」というメッセージが、宇宙存在という反論不可能な権威の口から提示された。強い。

自己啓発本の一種として見れば、非常によくできたフォーマットだった。

日本への流入と精神世界ブーム

日本に現代型チャネリングが入ってきたのは、だいたい一九八〇年代後半だ。引き金になったのが、シャーリー・マクレーンの存在だ。ハリウッドの大女優が、自分のスピリチュアル体験を綴った自伝を出し、それが世界的なベストセラーになった。日本でも翻訳が出て、チャネリングや前世といった語彙が一気に一般化した。並行して、書店に「精神世界」の棚ができたのだ。

これが大きい。神智学、シュタイナー、エドガー・ケイシー、セス、バシャール、ヨガ、魔術、UFO。バラバラの起源を持つものが、同じ棚に並べられたことで、実際に一つのジャンルになってしまった。海外ではもう少し別々に扱われていたものが、日本では最初から混ぜて入ってきた。この混ざり方は、今の日本のスピリチュアル界隈の雑食さの原型になっている。

日本のチャネラーも内外から登場した。ウィリアム・レーネンのような在日のチャネラーも人気を集めた。作家の吉本ばなながチャネラーとの対談本を出すなど、サブカルチャーと文芸の境界にも侵入していったのだ。二〇〇〇年代に入ると、ブログとメルマガで個人チャネラーが一気に増えたのだ。出版社を通さなくても発信できるようになったからである。

そして二〇一〇年代以降のSNSと動画の時代で、参入障壁は事実上ゼロになった。

今やインスタのストーリーで毎日「今日のメッセージ」を流す人がいくらでもいる。

流派と様式の分類――トランス型、意識明晰型、自動書記、ライトランゲージ

一口にチャネリングといっても、やり方はかなり違う。主な型を一つずつ見ていく。一つ目が完全トランス型。チャネラーの意識が引っ込み、別の人格が完全に表に出る。本人は後で何を言ったか覚えていない。

エドガー・ケイシーがこの型だし、ラムサもこれに近い。見た目のインパクトは一番強いが、本人の負担も大きい。体調を崩すチャネラーが多いのはこの型だと言われ、二つ目が意識明晰型。現代の主流はこちらだ。

本人の意識はあるままで、イメージや言葉が浮かんでくるのをそのまま伝える。本人も自分が何を言っているか分かっており、安全性が高いとされ、初心者向けの講座はほぼこちらを教える。と同時に、「これ自分が考えてるだけじゃないの」という疑問が一番出やすいのもこの型だ。三つ目が自動書記。

手が勝手に動いて文字を書く。出口なおの『お筆先』がこれだし、ウォルシュの『神との対話』もこの形式だ。タイピングでやる人もおり、手を動かすという身体行為が介在することで、意識のコントロールが外れやすい。四つ目がリーディング型。

タロットやオラクルカードを使いながら、そこにチャネリングを重ねる。今の日本の占い市場では、このハイブリッドが圧倒的に多い。五つ目がライトランゲージ。人間の言語ではない音を発するやり方で、歌のようにも聞こえる。意味は後から訳すのでもいいし、訳さなくてもいいとされる。

キリスト教の一部の伝統にある異言と形式的によく似ている。実際、異言は言語学的に分析されていて、話者の母語の音韻体系の範囲内に収まることが知られている。未知の言語ではなく、自分の知っている音の組み換えなんだよな。六つ目が、いわゆるハイアーセルフ系。外部の存在ではなく、自分の高次の部分につながるという枠組み。

これは実は、安全性の面では一番マシなやり方だと思う。出てきた内容の責任が自分に戻ってくるからだ。外部の神が言ったことにすると、検証も修正もできなくなる。

実際のやり方――準備から終わり方まで

日本語圏で流通している手順を、公約数的にまとめる。まず環境から。邪魔が入らない部屋。スマホは電源オフか機内モード、照明は蛍光灯の白い光を避けて間接照明か電球色。

時間帯は早朝、四時から七時あたり、もしくは就寝前がいいとされる。脳波が自然に落ちている帯だからだという説明がつく。アロマや静かな音楽を使う人も多い。専用ノートを一冊用意するといい。体調のルールも共通している。

寝不足の日はやらず、酒を飲んだあとはやらない。体調不良の日もやらず、強い悲しみや怒りの真っ最中はやらない。この最後の一つは実に重要で、情緒が崩れているときのチャネリングは、自分の不安を増幅して返してくるだけになりやすい。

手順はだいたい五段階。十五分で一周する型が初心者向けによく紹介されており、一番目がグラウンディング、二分。足の裏を床につけて、そこから根が伸びて地面の奥につながっていくイメージだ。これをやらないと終わったあとに地に足がつかなくなる、というのが定番の説明だ。

二番目がプロテクション、二分。光のバリアで自分を包む。「自分は光と愛のエネルギーに守られている」と宣言し、この工程を入れる流派は多い。大本の審神者と発想は似ていて、何でも入れるわけじゃないという意思表示だ。

三番目が意図の設定、一分。質問を一つから三つ、先に紙に書いておく。だれにつながるのかも明確にし、この工程を飛ばすと、だらだらとした内容のないイメージが流れるだけになる。四番目が呼吸と受信、五分。

ボックス呼吸――四カウント吸って、四カウント止めて、四カウント吐く――を五回から十回。そのあとは何もせず、来るものを待つ。受け取り方は四タイプに分けて説明されるのが多い。映像で見える視覚型、言葉が聞こえる聴覚型、体の感覚でくる体感型、いきなり答えを知っている直観型。

どれが優れているということはないとされ、五番目が記録とクロージング、三分。受け取ったものをノートに書く。整えなくていい、断片のままでいい。そのあとで感謝を伝えて、接続を切る宣言をして、目を開ける。

手足を動かす。水を飲む。何か食べる。この「食べる」は意外と重要で、白飯二三粒でもいいから口に入れると、日常の感覚が戻ると言われている。やめどきの基準も書いておく。

セッションのあとに何日も頭がボーっとし、自分ではない声がセッション外でも聞こえるようになる。その声が自分や他人を責める、指示する、急かせる。やらないと不安でいられず、現実の人間関係がどんどん細る。

このうちどれかが出たら、完全にやめる。休むではなく、やめる。そして、日常生活に支障が出ているなら、スピリチュアルの専門家ではなく医療機関に相談してほしい。これは本当に真面目に書いている。この記事は医療の代わりにはならないし、法律やお金の判断をチャネリングで決めるのもやめたほうがいい。

体験談を三つ、匿名で

一つ目。五十代の女性、亡くなった夫のメッセージを受け取りたくてチャネリングのセッションを受けたケース。夫は悪性の病で半年で亡くなり、最後の一ヶ月はもはや会話ができなかった。彼女にはどうしても言いたいことが一つあった。チャネラーは、夫の名前も病名も聞かないままセッションを始めたという。

伝えられた内容は拍子抜けにありふれている。「心配しなくていい」「ありがとうと伝えたい」といったものだった。彼女は後でこう語っており、何一つ、他の人には言えないようなことは出てこなかった。だから、あれが本当に夫だったとは思っていない。

でも、あの一時間で自分は壊れずに済んだと思う。

自分は証拠が欲しかったんじゃなくて、声に出して別れを言う場所が欲しかったんだと。二つ目。三十代の男性、自分でチャネリングを練習して、一度崩れかけたケース。転職に失敗して家にこもっていた時期に、ネットの情報を基に毎日二回やりはじめた。一ヶ月で声が聞こえるようになったという。

最初は優しい声だった。ところが二ヶ月目に入ると、声の内容が変わった。「お前は選ばれた存在だ」と言いはじめ、同時に「周りの人間は波動が低いから離れろ」と言うようになったのだ。彼は実際に何人かの友人の連絡を無視した。目が覚めたのは、姉に「何を言ってるの、反抗期の中学生みたいだね」と笑われたときだったという。

その一言で、自分の中の何かが自分に都合のいいことを喋っていただけだと気づいた。彼は一年すっぱりやめた。今は週一だけ、ノートに書く形式で続けている。自分を持ち上げる内容が出たらその日はやめる、というルールを作ったそうだ。三つ目。

四十代の女性、チャネラーを名乗って小さく活動していたが、自分でやめたケース。講座を受けて、友人相手にセッションをしはじめ、口コミで一年ほどは順調だった。やめた理由は、あるクライアントの一件だった。その人は子供の進路をチャネリングで決めようとしていたのだ。彼女は断った。

するとその人は別のチャネラーのところへ行って、そちらでははっきりした回答をもらってきた。この一件で、彼女は自分のやっていることの射程の長さが怖くなったという。自分は含みのある表現しかしないけれど、受け取る側は勝手に断定に変換する。しかもこちらが断っても、市場には断定してくれる人が山ほどいる。彼女は今、セッションはやめて、自分用のノートを書くだけに戻している。

SNSと界隈の反応、そして内部批判

今の日本でチャネリングは、完全にSNSのコンテンツフォーマットの一つになっている。インスタとXのストーリーでは、毎日「今日降りてきたメッセージ」が流れる。YouTubeとTikTokでは、タロットと組み合わせた選択式チャネリングが量産されている。「気になるカードを選んでください」形式だと、一本で三つ四つの回答を並べられるので、誰かの状況には必ず当たる。

バーナム効果をプラットフォーム側が自動化しているようなものだ。掲示板と知恵袋の反応は定番で、「チャネリングと自分の想像の区別がつきません」という質問が定期的に立つ。これに対する界隈内の定番の回答は「区別しようと思わないこと」だ。なかなか巧妙で、この回答は検証の意思を先回りで折ってしまう。同時に、実際に初心者が一番つまずくところでもあるので、完全にインチキとも言い切れない。

内部批判は、実はかなり鋭い。代表的なものを三つ挙げる。一つ目が、名乗りのインフレ問題だ。この十年で、名乗る存在のグレードがどんどん上がっている。指導霊から大天使へ、大天使から銀河連盟へ、銀河連盟から創造主へ。

このインフレを、界隈の内側から冷たく見ている人は相当数おり、二つ目が、審神者不在の問題だ。降りてきた存在が名乗った名前をそのまま信じるというのは、伝統的な神がかりの作法からすれば相当に手抜きだ。これを指摘する神道・古神道系の人は総じて多い。三つ目が、販売との結合だ。

チャネリングの内容が、都合よく高額商材の購入を促すものになっているケース。「高次の存在からのメッセージ」として否定的・脅迫的な内容を伝え、不安を増幅させてから売る。この手口はネット上の注意喚起記事で何度も指摘されており、これはもはや宗教の問題ではなく、消費者問題だ。実害が出ているなら、消費生活センターなどの公的な窓口に相談する道がある。

懐疑論のほう――イデオモーター、解離、作話、コールドリーディング

さて、冷たい側の説明を丁寧に並べる。このテーマ、実は心理学の材料としてめちゃくちゃ面白い。まずイデオモーター効果。自分では動かしていないつもりなのに、無意識に筋肉が動いてしまう現象だ。こっくりさんも、ウィジャボードも、ダウジングロッドも、これで説明される。

大事なのは、本人には本当に「自分では動かしていない」と感じられることだ。嘘をついているのではなく、人間の自己帰属感――自分がやったという感覚――は、意外なほど簡単に外れる。ジェーン・ロバーツがウィジャボードから始めているのは、この意味で実に示唆的だ。次に解離というメカニズム。

人間の意識は一枚岩ではなく、一定の条件下で分離し、催眠、瞑想、単調な反復、感覚遮断、強いストレス。こういう条件で、普段一つにまとまっている自己感覚がバラける。心理学はチャネリングを「人格分離」として説明し、交信相手はチャネルの無意識の一部だとする。これは病気だという意味ではない。

健康な人でも起きる。とはいえ、もともと解離傾向が強い人や、精神的に不安定な時期の人がこれを繰り返すのは、本当にリスクがある。三つ目が作話。人間の脳は、意味の空白を埋めるために自動的に物語を作る。分離脳の古典的な実験では、右脳に与えた指示で行動した患者が、その理由を知らないはずの左脳で平然ともっともらしく説明する。

本人には嘘をついている自覚がない。チャネリングのセッションは、外界からの入力を限りなく落として内的なイメージを優位にする作業だ。だから、作話が最も起きやすい条件が揃っており、四つ目がコールドリーディング。相手の外見、服装、年齢、声の調子、相槌の打ち方から、情報を引き出して提示する技法。

専門家の整理によれば、多くの人に当てはまる命題を先に出して反応を見、反応した方向に絞り込んでいく、という基本形がある。悪意なくやっている人も多い。人間は普通に会話するだけで膨大な情報を拾っているので、それが「降りてきた」と感じられるのは自然なことだ。五つ目がバーナム効果。

一九四八年に心理学者バートラム・フォアがやった実験が有名だ。学生全員に同じ性格診断文を配ったところ、平均で非常に高い「当たっている」評価が返ってきた。チャネリングで降りてくる内容は、この効果が働きやすい抽象度を持っていることが多い。六つ目に、懐疑論者ジェームズ・ランディの介入。彼は一九八八年に、オーストラリアで役者にニセのチャネラーを演じさせる仕掛けを実行した。

フィリピンの少年を使って、古代の存在と交信しているという触れ込みでメディアに売り込んだ。従来のチャネラーと同じくらい真剣に取り上げられ、大きな話題になったところでネタばらしをした。意図はチャネラー個人の攻撃ではなく、検証をしないメディアへの警鐘だった。さらに、霊媒能力を自認する人を統制された条件でテストした実験は何度も行われている。

二〇〇五年にイギリス心理学会で報告されたものを含め、能力の存在を確認した例は報告されていない。百年以上の検証の結果は、なかなか一貫している。

なぜ人は「別の存在に語らせる」のか

ここが一番面白い問いだと思っている。なぜ人は、自分の考えを自分の考えとして言わず、別の誰かに言わせるのか。一つ目の理由は、責任の回避だ。自分で言えば自分の責任になり、高次の存在が言ったことにすれば、誰も反論できないし、自分も傷つかない。

これは率直に言って、チャネリングの一番危うい使われ方だ。二つ目は、検閲の解除だ。人間は自分の頭の中で、確実に自主規制をかけている。こんなこと思っちゃいけない、こんなこと言ったらダメな人間だと思われる。ところが「これは私じゃない」という建て付けを入れた途端、この規制が外れる。

普段言えないことが出てくる。このメカニズムは、実は創作の現場でもやたら使われており、作家が「キャラが勝手に動いた」と言うやつだ。やっていることの構造は、チャネリングと驚くほど似ており、三つ目は、自己対話の形式化だ。

人は自分と対話するのが本当に下手で、「どうしたらいいと思う」と自分に聞いても、既知の情報がループするだけで何も出てこない。ところが、対話の形式にすると違う回路が開く。これはカウンセリングで使われる空椅子の技法と同じ原理だ。目の前の椅子に誰かが座っていると想定して話しかけ、役を交代して自分で答える。これで本人も驚くようなことが出てくる。

臨床の現場で実際に使われている手法なのだから、同じことをやっているチャネリングが何かを引き出すのは当然ともいえる。四つ目は、孤独だ。話を聞いてくれる相手がおらず、この問題は、この十年で強まりこそすれ弱まっていない。自分の内側に、自分を全面的に肯定してくれる声を作る。

これは、とても合理的なサバイバル手段だ。ただし、この声が現実の人間関係を追いやりはじめたら、サバイバル手段が自分を食いはじめている。二つ目の体験談の男性がぶつかったのは、まさにこの境界だった。五つ目は、もっと単純に、面白いからだ。自分の口から、自分が知らないはずのことが出てくる。

この体験は、一度味わうと忘れられない。人間の意識は自分で思っているほど一枚岩ではなくて、中には自分の知らない部屋がいくつもある。その事実を直接体験する手続きとして、これはなかなか優秀なんだよな。

全体を見返して、もう一回大きな絵を描いておきたい。この百五十年を一本の線で見てみると、チャネリングの歴史は、「降りてくる相手の遷移史」として読むとすごく分かりやすい。一八四八年のハイズビルで降りてきたのは、五年前に殺された行商人だった。ごく近所の、名前のある死者だ。十九世紀後半の降霊会でも、主役は九割方死者だった。

亡くなった家族、戦死した息子。ところが二十世紀に入ると、降りてくる相手の住所がどんどん遠くなる。神智学のマスターたちはヒマラヤの奥に住んでいることになった。セスは隣接する別の次元におり、ラムサは三万年前のアトランティス。

バシャールは五百光年先の惑星。今のSNSでは、銀河連盟や創造主まで降りてくる。なぜ遠くなるのか。答えははっきりしていて、近いと検証されるからだ。隣の家のじいさんの霊なら、遺族が「そんなこと言う人じゃない」と反論できる。

五百光年先の惑星の存在には、反論しようがなく、遠くなればなるほど、反証されない。これは奇跡の場所が時代とともに人間の調査能力の外側へ退き続けるという、よく知られたパターンの一例だ。降霊会の物理現象――テーブルが浮く、エクトプラズムが出る――は写真に撮れるから検証され、死んだ。現代のチャネリングは物理現象を伴わない。

だから反証されず、この進化は、だれかが計画したものではないだろう。反証されないものだけが生き残ったという、自然選択の結果なんだよな。もう一つ、内容の側の遷移も面白い。初期の降霊会で降ってきたのは、ごく私的な情報だった。

どこに帳面を隠したとか、もっと優しくすればよかったとか。ところがセス以降、降りてくる内容は形而上学になった。意識とは何か、現実とは何か、時間とは何か。この転換には、宗教が弱体化した社会で人が何を求めているかが出ている。死者との交信を求めていた人々は、やがて世界観を求めはじめた。

教会も寺も提供しなくなったものを、チャネリングのテキストが供給した。『セスは語る』も『奇跡のコース』も、実質的には新しい経典として機能している。作者が人間ではないとされる点で、古い経典とまったく同じ建て付けを持っているのが、けっこう味わい深い。そして、今後の話を一つだけしておきたい。

ここ数年で、対話型AIを使って「亡くなった人と話す」サービスや、自分のハイアーセルフを演じさせる使い方が、静かに広がっている。仕組みだけ見れば、これはチャネリングの完全な外部化だ。自分の中の別人格に喋らせる代わりに、外部の装置に喋らせる。受け取る側の体験は、驚くほど似ていると思う。自分が知らないはずのことを、自分以外の声が語りはじめる。

それを聞いて泣く人がいる。この現象を目の前にして、「だからチャネリングも全部インチキだったんだ」と言うこともできる。逆に「人間はもともと、自分の外側の声を必要とする生き物なんだ」と言うこともできる。僕は後者に寄りたい。最後に、実践している人に向けて一つだけ。

チャネリングをやるなら、大本の審神者の発想を思い出してほしい。

降りてきたものを、名前だけで信じない。内容で判断する。あなたを特別だと持ち上げるもの、他人を見下すことを求めるもの、人間関係を断てと言うもの、急がせるもの、金を使わせようとするもの。この五つのどれかに当てはまったら、相手が大天使を名乗ろうが創造主を名乗ろうが、退けていい。そして、本当に役に立つメッセージは、だいたい拍子抜けに地味だ。

寝ろとか、水を飲めとか、あの人に連絡しろとか。壮大な宇宙の真理よりも、そういう地味な声のほうが、信用するに値することが多い。五十代女性のケースで伝えられたのが「心配しなくていい」だけだったのは、もしかすると一番誠実な形だったのかもしれない。

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