兵庫県の六甲山系、金鳥山の中腹。戦後四年目の山中に、一人の男が小屋を建て、地面に電極を打ち込んでいた。
男の名は楢崎皐月。電気技術者であり、自称するところの物理学者である。彼が測っていたのは大地の電位だった。地面に差し込んだ電極の間に生じる微小な電位差を計測し、その分布を地図に落としていく。
作業は十数日では終わらない。伝えられるところでは、彼は六十四日間にわたってこの山中に籠もった。
食料は麦と味噌。電気はない。夜はランプの下でノートをつける。周囲には人家の灯りもなく、聞こえるのは風と鳥だけだ。そして、楢崎の測定機器は作動中、低い唸りを発していた。
この唸りが、日本のオカルト史を大きく曲げることになる。
- 猟師が苦情を言いに来た
- 大学ノートに写された渦巻き
- 学問の世界で育った人ではない
- 雷を捉えようとして、兄が死んだ
- 満洲で、人造石油と製鉄所を見た
- 土地が鉄を変える、という確信
- 満洲の道教寺院で会った老師
- アシア族という記憶
- 敗戦で、すべてを失って帰国した
- 山中に六十四日、という執念
- カタカムナ神社は、どこにも記録がない
- 保久良神社という候補地
- アシアトウアンと、蘆屋道満
- 原本も写本も、消えている
- 円と十字と点、たった三つの部品
- 五十音図を知っている人間が設計すると、こうなる
- 一首ごとに、宇宙が生まれて閉じる
- 渦の中心に置かれる、ヤタノカガミ
- フトマニと、ミクマリ
- 一つの文明を運営するための、全カタログ
- 冒頭で、自分の来歴を名乗る文献
- 四十八音が、一度ずつ全部出てくる
- ヒフミヨイ、マワリテメクル
- カタ、カム、ナという三層
- アマとマリ、そして潜象物理学
- 直観物理という営み
- 静電三法という実践
- ただ一人、わかってくれた女性
- 三十四年かけて出した、十六号
- 超古代史ブームが、外へ連れ出した
- 神代文字は、学界で完全に否定されている
- 上代特殊仮名遣という壁
- 五十音図は、意外と新しい
- 遺物が、ひとつもない
- 支持者の側にも、論理はある
- 二〇一〇年代、第二の波が来た
- 唱えるカタカムナ、書くカタカムナ
- 健康商法と土地商法への注意
- 祖父の書棚から出てきた冊子
- 研修で、山に連れて行かれた
- 母が家じゅうに貼ったシール
- 同じ対象を扱いながら、会話しない三つの界隈
- 五つの要素の掛け算でできた吸引力
- なぜ怖いのか
- 古代の文献ではなく、昭和の思想として読む
- 学界が承認しないなら、超古代文明が承認する
- 真書は過去の事実を、偽書は現在の欲望を伝える
- 検証の放棄ではなく、検証の完了
- 健康の領域に入った瞬間、話が変わる
- 平十字という、完璧な空白
- 誰もが、山中に一人でいる楢崎皐月である
猟師が苦情を言いに来た
ある日、山中に一人の男が現れた。猟師である。名を平十字という。ひらとうじ、あるいはひらとじとも読まれる。
彼は楢崎に苦情を言った。あなたの機械が唸るせいで、獣が寄りつかない。狩りにならないのだ、と。
楢崎はこれを聞いて、すぐに機器を止め、撤去したとされる。自分の研究よりも、その山で生きている人間の生業を優先させたのだ。平十字はこれに強く感心した。そして、お礼に何かを見せたいと言い出す。
彼が語ったところによれば、彼の父は「カタカムナ神社」の宮司を務めていた。その神社のご神体は、見たことのない文字で書かれた巻物である。家宝として伝えられてきたが、自分には読めない。あなたなら何かわかるかもしれない。
楢崎はその巻物を見せられ、書写の許可を得た。これがカタカムナ文献の発見譚である。そしてこの一件を除いて、この文献の存在を裏付ける史料はこの世に一つもない。
大学ノートに写された渦巻き
楢崎は大学ノートに、その文字を写し取ったと伝えられる。巻物は一本ではなく複数あり、平十字はそれを小分けに持ち込んだとされる。写しては返し、また次を借りる。
この作業に何日かかったのかについては証言が一定しない。数日であったとする記述もあれば、二十日余りを要したとする記述もある。
写し取られたものは、平仮名でも漢字でもなかった。円と直線を組み合わせた幾何学的な図形が、中心から外へ向かって渦を巻いて並んでいた。一字一字が独立しているところもあれば、二つ三つが重なって一つの字になっているところもある。
楢崎は後年、この文字の解読に五年を要したと語っている。別の証言では二十年とも言っている。この差は「文字の音価を割り出したまで」と「内容の意味を体系化するまで」の違いだと支持者は説明する。
学問の世界で育った人ではない
ここで、発見者の人生を見ておく必要がある。カタカムナという体系は、どこからどこまでもこの人物の人生の反映だからだ。
楢崎皐月は一八九九年に生まれ、一九七四年に死んだ。出生地には混乱があり、山口県で生まれながら書類上は北海道小樽出生となっているとされる。この出自のあいまいさ自体が、後の伝説化の土壌になった。
彼は実務の人である。学問の世界で培われた人ではない。兵役を経て電気系の学校で学び、二十代で特殊絶縁油を開発して事業化した。
つまり彼は、自分の手で物を作り、それを売って金に換えた経験を持つ技術者だった。この「実物で検証する」感覚と、同時に「学会の手続きを経ない」体質は、生涯を通じて彼の行動を規定している。
雷を捉えようとして、兄が死んだ
楢崎の伝記で必ず語られるのが、兄とともに行った雷の研究だ。自然界の最大の放電現象を直接捉えようとしたこの実験の途中で、兄は死んだと伝えられる。
このエピソードが事実であれば、楢崎のその後の執念は理解しやすい。彼は一貫して「大地と大気の間を流れる電気」に執着し続けた。雷、土壌の電位、植物の周囲の静電場。
彼の理論の中心には、常に一つの直感が据えられている。地面と空の間には、人間には見えない巨大な電気的な構造がある、というものだ。
満洲で、人造石油と製鉄所を見た
戦争が彼を大陸へ送った。彼は亜炭を原料とする人造石油の精製研究に従事し、これが軍に高く評価される。
やがて満洲の大規模な研究施設の長に据えられ、製鉄に関わる技術職として現場を見ることになった。当時の日本にとって鉄は命綱であり、彼の仕事は国家的な重要性を帯びていた。
ここで彼は、後にすべてを決定する一つの観察を行う。
土地が鉄を変える、という確信
同じ原料、同じ燃料、同じ熱量を使っても、製鉄の出来不出来は場所によって違う。楢崎はそう確信した。
さらに、良い鉄が出る製鉄所の周囲では植物が旺盛であり、悪い鉄しか出ない場所では植物が痩せていることに気づいたとされる。
この相関を、彼は「大地の電位の高低」で説明しようとした。電位の高い土地では植物も人も家畜もよく育ち、鉄もよく焼ける。この仮説がやがて、彼の最も有名な概念の対へと結晶していく。生育に適した土地と、そうでない土地の区別だ。
ここで肝心なのは、この発想がカタカムナ発見の前にすでに形成されていたという事実である。楢崎は、自分の仮説を先に持っていた。そして後から、その仮説を裏付ける古文献を手に入れることになる。
満洲の道教寺院で会った老師
一九四四年ごろ、楢崎は満洲の道教寺院で一人の老師に会ったと語っている。名は蘆有三。
この人物は楢崎に向かって、上古代の日本にはアシア族という非常に優れた民がいて、高度な文明を持っていたと説いたという。さらに蘆有三は、その文明が「八鏡化美津文字」という文字を持っていたと語ったとされる。この文字は万物の理を知るものである、と。
後に六甲山中で平十字の巻物を見たとき、楢崎が深く衝撃を受けたのは、この予告を覚えていたからだと説明される。
だがここには面倒な問題がある。蘆有三なる人物の実在を示す史料は、楢崎の語り以外にない。そしてこの会見談は、カタカムナ文献の発見を「偶然の遭遇」から「予言されていた必然」へと格上げする機能を果たしている。物語の構造としては、あまりにも都合がいい。
アシア族という記憶
楢崎が描いたアシア族の像は鮮明だ。
約二万年前から日本列島に暮らし、鉄を作り、稲を育て、医学と哲学を持ち、文字を持っていた優れた種族。彼らはやがて天孫族との戦いに敗れ、九州方面へ散った。最後の頭領の名をアシアトウアンという。その城は金鳥山の近くにあった。
この物語は、日本の超古代史ものの典型的な型を踏んでいる。公式の神話に描かれない先住の民がいて、彼らは高度な文明を持っていたが、征服され、歴史から抹消された。そういう型だ。
敗戦直後の日本で、この型の物語が非常に強い需要を持っていたことは、後で見るとおりである。
敗戦で、すべてを失って帰国した
楢崎は敗戦によってすべてを失って帰国する。技術者としての地位も、研究施設も、数年間のデータも。
帰国後の彼を支えたのは、製薬企業家であり出版人でもあった星一の援助だったとされる。この支援を受けて彼は重畳波研究所を設立し、植物の生育と電気の関係を調べ直すことになった。
戦後の食糧難のなかで、収量を上げる技術は切実に求められていた。彼の植物波農法は一九五〇年から実地指導が始まったとされ、一定の支持者を得る。彼はオカルトの人ではなく、あくまで実用技術の人として自己を認識していた。
山中に六十四日、という執念
一九四七年から一九五〇年にかけて、楢崎は日本各地を回って大地電位を測ったと伝えられる。神社、古墳、古い集落、長寿者の多い村、逆に病人の多い集落。彼はそのすべてに電極を差したという。
この作業は膨大な手間と費用を伴う。戦後の物資不足のなか、山中で六十四日も野営するというのは相当な覚悟だ。
この執念の強さを見れば、彼が単なる詐欺師だったという説明は取りにくい。楢崎は自分の仮説を本気で信じていたと見るのが自然である。問題は、本気で信じていることと、それが正しいことは別だという点にある。
カタカムナ神社は、どこにも記録がない
さて、ここからがこの件の最大の難所になる。カタカムナ神社なる神社は、どこにも存在の記録がない。神社の台帳にも、地図にも、村の記録にも、その名は見当たらない。
平十字についても同様だ。楢崎の弟子筋の回想には断片的な記述が残っている。平十字は金鳥山の狐塚の神主兼猟師だったとか、楢崎が彼のために慰労会を開いたとか、弟子たちに彼の存在を他言しないよう指示していたとか。
だが、同時代の地元住民で平十字を知っていた人物は、今日に至るまで一人も見つかっていない。
これは重大な問題だ。千年前の人物の実在を確かめるのは難しい。だがこれは戦後の話である。電話もあれば戸籍もあり、写真もある時代だ。
その時代の人間が、地元に一人の目撃者も残さずに消えている。支持者もこの点については困惑を隠さない。
保久良神社という候補地
カタカムナ神社の正体としてしばしば名前の挙がるのが、保久良神社である。金鳥山の中腹、神戸市東灘区本山町に鎮座する。
この神社は実在する。そして、非常に古い。境内内外に多数の磐座群があり、古代祭祀の場であったと考えられている。石器時代から弥生時代後期に至る遺物が出土しており、重要文化財に指定された銅戈、弥生土器、石斧、石剣、玻璃製の勾玉などが確認されている。
主祭神は椎根津彦命とされる。神武東征の際、明石海峡に現れて軍勢を先導したと伝えられる海人系の神だ。
社頭の灯明台には「灘の一つ火」と呼ばれる神火が常夜灯として灯されてきた。日本武尊が帰途に航路を見失ったとき、この火を目印に帰り着いたという伝承があり、長らく航海者の信仰を集めている。
つまり保久良神社は、カタカムナとは無関係に、それ自体で十分に古い。弥生の神祭りの場であることは考古学的に裏付けられている。だが、この神社の史料のどこにも、カタカムナの名は現れない。保久良神社をカタカムナ神社の後身だとする説は、あくまで後世の推定だ。現在、この神社にはカタカムナの聖地として参拝者が訪れるが、神社側がそう名乗っているわけではない。
アシアトウアンと、蘆屋道満
ウタヒの冒頭近くに現れるとされる「アシアトウアン」という名は、この伝承のなかで特異な位置を占める。アシア族最後の頭領の名であり、カタカムナの神を祭った人物とされる。
この名は、陰陽師安倍晴明のライバルとして伝説に登場する蘆屋道満と重ねられることが多い。蘆屋は現在の兵庫県芦屋市一帯を指す地名であり、金鳥山からは目と鼻の先になる。
セーマンドーマンと呼ばれる五芒星と格子の周辺を巻き込んで、アシア族はサンカや温羅や土蜘蛛といった「服従しなかった民」の系譜に接続された。そうやって巨大な裏日本史のネットワークが編まれていく。
学術的に見れば、これらの接続はすべて音の類似と地名の重なりに依拠するものであり、証拠はない。だがこの接続の快感こそが、カタカムナを単なる古文献から、日本史全体を読み替える鍵へと押し上げた。
原本も写本も、消えている
この件の決定的な問題は、物がないことだ。
原本の巻物は行方不明である。平十字が持ち去ったとも、その後の行方は誰も知らないとも言われる。写真は一枚もない。さらに、楢崎が大学ノートに写し取ったとされる写本も、弟子の代に火事で失われたという話がある。
つまり現在流通している「カタカムナウタヒ八十首」のテキストは、楢崎とその後継者が発表した印刷物に基づく。その印刷物を検証するための一次史料は存在しない。
これは、あらゆる古文献研究の基礎を欠く状態である。写本がない。学会に認められた写本もない。第三者が見た記録もない。あるのは楢崎の証言だけだ。
円と十字と点、たった三つの部品
さて、実際にどんな文字なのか。カタカムナ文字、別名を八鏡文字という。
基本要素は驚くほど少ない。円、その円を分割する直線、そして小さな点。この三種の部品の組み合わせだけで、四十八の音が表現される。
基本設計はこうだ。まず母音を表す大きな円があり、その内部に子音を表す小さな図形が配置される。母音は円の中心と外周の関係で示され、子音は線分の角度と本数で示される。
だから、ある音を表す文字を見れば、その音がどの母音系列に属し、どの子音系列に属するかが、形そのものから読み取れる。表音文字でありながら、音韻表の座標をそのまま図形化した設計になっている。
五十音図を知っている人間が設計すると、こうなる
この点は、支持者にとっては最大の魅力であり、批判者にとっては最大の弱点だ。
支持者は言う。文字の形が音の性質を表しているのだから、これは単なる記号ではなく「形霊」であり、宇宙の理を写した図なのだ、と。
批判者は言う。音韻を座標として整理した文字体系というのは、まさに五十音図という近世の産物を知っている人間が設計するとこうなる、と。
なお、この文字体系にはさらに、数字の一から十を表す符号と、後で触れる三種の特別な図象符が含まれる。現在に至るまで、この文字は国際的な文字コード規格に収録されていない。
一首ごとに、宇宙が生まれて閉じる
カタカムナ文献の最大の視覚的特徴は、文字が縦にも横にも並ばず、渦を巻いて配置されていることだ。
中心に置かれた図象符から始まり、そこから外へ向かって螺旋状に文字が並ぶ。読み手は中心から外へ、時計回りに視線を移動させる。
一首を読み終えると、視線は最も外側に到達している。次の首はまた別の渦の中心から始まる。すなわち、一首ごとに宇宙が生まれ、広がり、閉じる。この形式そのものが「発生と展開」という思想を表現しているのだ、と支持者は説明する。
批判的な立場からは、この渦巻き書式こそが偽作の痕跡だという指摘がなされる。実用の書記体系は、書きやすさと読みやすさに向かって収斂する。渦巻きは書くのが難しく、途中で行を間違えやすく、長文には全く向かない。実用のために生まれた文字が渦巻きになることは、まずない。逆に、神秘性を演出するために設計された文字であれば、渦巻きは最適解になる。
渦の中心に置かれる、ヤタノカガミ
渦の中心には、三種類の特別な図形のいずれかが置かれる。第一がヤタノカガミだ。
その名のとおり八という数を核とする図形で、円の内部が八分割され、そこにさらに曲線と直線が組み合わされている。
楢崎の解釈によれば、これは「飽和安定と永久保存の理」を表す。自然界のあらゆる現象は八という数によって規制されている。回転と循環、相互の綜合、相反するものの対称的補完、そして再生的な循環。これら八つの原理が一つの図に畳み込まれている、というのである。
支持者はしばしば、この八分割の構造を現代物理学の八隅則と結びつけて語る。原子の最外殻に八個の電子が入ると安定するという化学の規則だ。太古の日本人がすでにこの原理を図として把握していた、という主張になる。
批判的に言えば、これは典型的な後知恵の当てはめである。八という数は世界中の宗教と神話で好まれる数であり、そこに現代科学の八を見出すのは容易すぎる。だが同時に、楢崎が化学の知識を持つ技術者であったことを思えば、彼が誠実に「図と自分の知識の一致」に驚いた可能性も否定できない。
フトマニと、ミクマリ
第二がフトマニである。名は古代の卜占の語に由来する。図としては、正方形と三角形と円が入れ子になった構造を持つ。
楢崎の解釈では、これは「二つの状態が一つの球に統合されたもの」を表す。目に見えない潜象の世界と、目に見える現象の世界。この二つが接する境界層があり、それを「アマナ」と呼ぶ。フトマニ図はそのアマナを図示したものだとされる。
図の各部にも意味が割り当てられている。正方形の四辺は現象界の四つの物理を、三角形は天と現象とアマナの三者関係を表す。そして曲線と直線を合わせた八本の辺は、ヤタノカガミと同じ八の飽和原理を表す。
第三がミクマリだ。名は「水配り」あるいは「三隅」に通じるとされ、分岐と配分の理を表すとされる。潜象から現象へ向けて、力がどのように分配され、どのように個別の存在として分かれていくかを図示したもの、という位置づけになる。
この三つの図象符は、それぞれ異なる首の中心に配置され、その首がどの位相の話をしているかを示す標識として機能する。ヤタノカガミの首は安定と保存を、フトマニの首は潜象と現象の関係を、ミクマリの首は分化と展開を語っている、という読み方だ。
一つの文明を運営するための、全カタログ
カタカムナ文献の本文は、八十首のウタヒからなる。ウタヒとは謡であり、歌である。各首は五音と七音を基調とする日本語のリズムを持ち、声に出して読めるようになっている。
内容とされるものは驚くほど広い。製鉄の方法が書かれている。稲作の技術。石器と木器の製作法も入る。
機織り。医学。経済活動に哲学。
そして土地の良し悪しの見分け方まで並ぶ。要するに、一つの文明を運営するために必要な知識の全カタログだ。
そして、その全体を貫くのが、日本神話に登場する神々の名である。ウタヒには、記紀に現れる神名がそのまま歌詞として織り込まれている。
支持者はこれを「記紀神話の神名は、もともとカタカムナの物理概念を表す用語だった」と解釈する。すなわち、神々は擬人化された物理法則である、というのだ。
冒頭で、自分の来歴を名乗る文献
第一首は、この文献の自己紹介にあたる。「カタカムナ ヒビキ マノスヘシ アシアトウアン ウツシマツル カタカムナ ウタヒ」。
訳せば、カタカムナの響きの理を、アシアトウアンが写し奉ったカタカムナのウタヒ、といったところになる。
すなわち冒頭で、この文献は自分が誰によって記されたかを名乗っている。アシアトウアンが写した、と。
これは古文献としては極めて整った形式であり、同時に、極めて疑わしい形式でもある。真正の古文献が冒頭で完璧に自己の来歴を名乗る例は、実のところそう多くない。むしろ来歴を名乗りたがるのは、来歴を疑われる立場にある文書のほうだ。
四十八音が、一度ずつ全部出てくる
支持者がもっとも強調するのが、第五首と第六首の構造である。この二首を合わせると、日本語の四十八音が、一音も重複せずに、すべて一度ずつ現れる。
つまりこれは、いろは歌や天地の詞と同じ「全音使用歌」なのだ。いろは歌は平安中期以降の成立とされ、四十七音を一度ずつ使う。天地の詞はそれより古く、四十八音である。カタカムナの第五首と第六首は、この天地の詞と同じ音数体系を持つ。
支持者はここに、カタカムナの時代にすでに日本語の四十八音が確立していた証拠を見る。さらに、五と六に分かれている理由についても解釈が加えられる。五は「イ」、六は「マ」であり、合わせて「イマ」。今この瞬間に、全四十八音の言霊が内包されているのだ、と。
批判者はまったく逆に読む。全音使用歌が作れるということは、その文献の作者が「日本語の音の全リスト」を知っていたということだ。そして、そのリストが四十八音で確定するのは、五十音図の成立以降、すなわちかなり後の時代である。全音使用歌の存在は、古さの証拠ではなく、新しさの証拠になりうる。
ヒフミヨイ、マワリテメクル
第七首は、数詞の歌だ。「ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ」。ヒフミヨイは一二三四五、ムナヤコトは六七八九十にあたる。
「マワリテメクル」、回りて巡る。数が単純に並ぶのではなく、循環すると宣言している。
楢崎の解釈では、この首は宇宙の生成の十段階を示す。ヒは原初の統一、フは二つに分かれる膨張と収縮、ミは隠れた潜勢力、ヨは四相の現象界、イは電磁と時間の次元。以下、十まで続いて、最後に統合へ戻る。
この第七首は、現在もっとも広く唱えられているカタカムナのウタヒである。短く、リズムがよく、意味を知らなくても口に出しやすい。現代のカタカムナ実践のほとんどが、事実上この一首を中心に回っている。
カタ、カム、ナという三層
思想の骨格は、名前そのものに刻まれている。カタカムナという語は、カタ、カム、ナの三つに分解される。
カタは、目に見えるもの。形を持ち、測定でき、現象として現れているもの。すなわち物質世界だ。
カムは、目に見えないもの。形を持たず、測定できず、現象の背後にあるもの。潜象世界である。
そしてナは、その両者を統合する核になる。カタとカムは分離した二つの世界ではなく、ナにおいて一つに溶け合っている。
この三層構造は、東洋思想における体用論や、色即是空の構図と重なる。実際、カタカムナの語彙体系は、仏教用語も神道用語も直接には使わないにもかかわらず、その骨格は日本人にとってきわめて馴染みやすい。この馴染みやすさが、受容の速さを支えている。
アマとマリ、そして潜象物理学
より細かい術語も整備されている。アマは全体としての場、遍在する根源だ。マリはそこから分化した個別の粒である。アマからマリが生じ、マリがアマへ還る。この往還が生命現象の実体だとされる。
そして、潜象と現象の境界にあるのがアマナだ。アマナは、まだ現象になっていないが、もう完全な潜象でもない、いわば臨界の状態を指す。楢崎はこれを「発生の物理」と呼び、現代物理学が扱えない領域だと主張した。
後継者たちはこの体系を「潜象物理学」と名づけている。現代科学が現象しか扱えないのに対し、カタカムナは潜象を扱う。だから両者は矛盾せず、後者が前者を包含する。そういう論理構成になっている。
直観物理という営み
楢崎自身は、自分の営みを「直観物理」と呼んだ。彼は『「直感」一号』を著し、一九六八年には『古事記の解読法』を刊行している。
直観物理の主張はこうだ。近代科学は現象を分割し、測定し、数式化する。それは有効だが、対象を殺してしまう。生命は分割された瞬間に生命ではなくなる。
だから生命を扱うには、分割せずに全体を直観的に把握する方法が要る。カタカムナの図象符と四十八音は、その全体把握の道具なのだ、と。
この主張は、二十世紀後半の全体論的自然観の流行と非常に相性がよかった。要素還元主義への批判、東洋思想への回帰、生命論的な世界観。楢崎は独学の技術者として、時代がやがて求めることになる語彙を、先回りして用意していたことになる。
静電三法という実践
楢崎の理論の実践版が『静電三法』だ。植物波農法、物質変性法、人体波健康法の三部からなる。
植物波農法は、土壌の電位状態を整えることで作物の生育を促すという農法である。物質変性法は、電位環境によって物質の性質そのものが変わるという主張。人体波健康法は、それを人体に応用したものだ。
このうち農法の分野には、実際に取り組んだ農家が存在し、体験報告も残っている。
ただし、それらの報告は対照実験を伴わない個別事例であり、効果の科学的検証としては成立していない。土壌改良の実践には、電位とは無関係に有効な要素が多数含まれる。有機物の投入、通気性の改善、微生物環境の変化。だから仮に成果が出たとしても、それが電位によるものだと特定することはできない。
ただ一人、わかってくれた女性
楢崎は後継者を探していた。彼の理論は難解であり、しかも学会の外にある。理解者は多くなかった。
一九六九年の講演会に、一人の女性が参加した。宇野多美恵、一九一七年生まれ。楢崎は彼女について「ただ一人わかってくれた」と語ったと伝えられる。以後四年間、彼は彼女に直接指導を行い、正統な継承者として認可した。この認可を、後継組織は「印可」という仏教的な語で呼んでいる。
楢崎は一九七四年に世を去る。享年七十五。彼の死後、カタカムナの体系を維持し、拡張し、公にし続けたのは宇野だった。この継承がなければ、カタカムナは一技術者の私的な妄想として、そのまま忘れられていた可能性が高い。
三十四年かけて出した、十六号
宇野は一九七〇年から二〇〇四年にかけて、『相似象学会誌』を刊行した。全十六号。三十四年間である。
「相似象」とは、森羅万象に共通して現れる同じ形、という意味の造語だ。渦巻き、螺旋、分岐、循環。ミクロからマクロまで、自然界には同型の構造が繰り返し現れる。カタカムナはその同型性を記述する体系だ、というのが基本テーゼになる。
この学会誌は、一般書店ではほとんど流通せず、会員頒布に近い形で読まれた。ゆえに部数は少なく、古書市場では高値がつく。
この「入手困難な原典」という条件が、後の受容においてきわめて大きな役割を果たすことになった。原典が容易に手に入らないため、多くの人は二次三次の解説を通してカタカムナに触れる。そして解説は解説者ごとに異なる。
宇野は二〇〇六年に没した。彼女は「すべて本に書いてある」という言葉を遺したと伝えられる。師から弟子への口伝ではなく、各自が原典と向き合って直観的に理解せよ、という姿勢だ。この遺言が、結果として解釈の分裂を制度的に許容することになる。
超古代史ブームが、外へ連れ出した
カタカムナが狭い研究会の外へ出たのは、一九七〇年代から八〇年代にかけての超古代史ブームによってである。
この時期、日本の出版界では古史古伝が大量に紹介された。竹内文書、宮下文書、九鬼文書、東日流外三郡誌。そして神代文字。
これらを横断的に紹介する著作を精力的に発表した書き手のなかで、カタカムナに大きく紙幅を割いたのが佐治芳彦だった。彼の一連の著作によって、カタカムナは「日本にはこんな超古代文明があった」という物語の一角として、一般読者の視界に入る。
この時期の受容には、明確な時代背景がある。高度成長の終わり、公害、オイルショック。近代科学と経済成長への信頼が揺らぎ、それに代わる知の枠組みが求められていた。「西洋近代科学を超える古代日本の知恵」という物語は、この空隙にぴたりと嵌まったわけだ。
神代文字は、学界で完全に否定されている
ここから、批判の側の議論を整理する。
まず前提として、日本の国語学において、漢字伝来以前の日本固有の文字、いわゆる神代文字の存在は完全に否定されている。これは少数意見ではなく、学界の確立した通説だ。日本語の書記は漢字の受容から始まり、仮名の出現は九世紀から十世紀にかけてとされる。
神代文字を巡る論争は江戸期から続く。平田篤胤は阿比留文字を真正のものとして擁護し、伴信友はこれを批判した。近代に入ると、金沢庄三郎が「表音文字が象形の段階を経ずにいきなり出現するのは不自然である」と指摘し、山田孝雄が体系的な否定論を展開した。山田の議論以降、神代文字が学術的に検討されることは事実上なくなっている。
カタカムナについては、原田実らが「太古文明に仮託して創作されたものである可能性が高い」と指摘している。また森克明は、文献が出現した経緯そのものが不可解であること、そして楢崎の解読が正しいかどうかの公的な検証が一切行われていないことを問題としている。
上代特殊仮名遣という壁
神代文字批判のなかで、もっとも技術的で、もっとも致命的とされるのが、上代特殊仮名遣の問題だ。
奈良時代以前の日本語には、後の時代には失われた音韻の区別が存在した。キ、ヒ、ミ、ケ、ヘ、メ、コ、ソ、ト、ノ、モ、ヨ、ロなどの音に、甲類と乙類という二つの系列があり、万葉仮名では厳密に書き分けられている。この区別は平安時代には失われた。
この事実が発見されたのは近代の国語学によってであり、江戸期の神代文字作者たちはこれを知らなかった。したがって、彼らが作った神代文字は、この区別を反映していない。吉沢義則がこの点を神代文字否定の根拠としたのは、まさにこの論理による。
カタカムナも例外ではない。四十八音の体系は、上代特殊仮名遣の区別を持たない。もしカタカムナが本当に上古代の日本語を記した文字であるなら、甲類乙類の書き分けがなければならない。それがないということは、この文字体系が、上代特殊仮名遣が失われた後の日本語音韻を前提に作られたことを示す。さらに、ア行のエとヤ行のエの区別も欠いている。
五十音図は、意外と新しい
もう一つの壁が、四十八音という枠組みそのものだ。
五十音図は、古来から存在する日本語の自然な整理ではない。それは平安期に、インド由来の悉曇学と、中国由来の反切という二つの音韻学的技術が結合して生まれた。しかも当初は、外国語の音を処理するための道具として作られている。これが日本語自身の音韻を表す表として認識されるようになるのは、江戸中期以降のことだ。
つまり「日本語の音は四十八ある」という認識自体が、かなり新しい。上古代の日本人が、自分たちの言語の音を四十八個の枠として自覚していた可能性は極めて低い。
カタカムナが四十八音を単位とし、その各音に固有の意味を割り当てる体系であるということは、五十音図的な音韻意識の成立後にしか成り立たない発想である。
遺物が、ひとつもない
そして最後に、最も単純で、最も強い批判がある。物がない。
もしカタカムナ文明が実在し、製鉄を行い、稲作を営み、医学と哲学を持ち、文字を用いていたなら、その痕跡はどこかに残るはずだ。遺跡、遺構、土器に刻まれた文字、金属器の銘、木簡、石碑。何でもいい。
だが、楢崎が書写したとされる文献以外に、この文字が使われた形跡は日本列島のどこからも出ていない。
これは決定的に重い。文字というものは、使えば必ず残る。何万人かの人間が何百年か使った文字が、ただの一片も出土しないということは、通常はありえない。
支持者の側にも、論理はある
これに対し、支持者の側にも論理はある。両論を併記するため、その主張も整理しておきたい。
第一に、痕跡がないのは意図的に消されたからだ、という主張。アシア族は天孫族に敗れ、その文明は封印された。勝者は敗者の記録を消す。だから残っていないのは当然である、と。
第二に、記録媒体の問題。カタカムナは主として木や布や皮に記されたのであり、日本の高温多湿な気候ではそれらは残らない。金石文が残らないのは、そもそも金石に刻む文化ではなかったからだ、と。
第三に、検証の非対称性。学界はカタカムナを検証していないのであって、検証したうえで否定したのではない。検証していないものを偽と断定するのは、科学的態度ではない、と。
第四に、実効性による正当化。理論の来歴がどうであれ、そこに書かれた内容が有用であれば、それでいい。四十八音の思念体系は言葉の理解を深めるし、ウタヒを唱えれば心が落ち着く。実践が機能しているのだから、成立史の議論とは切り離せる、と。
このうち第四点は、実のところ最も強い論拠だ。なぜなら、これは検証を要求しない領域へ議論を移動させているからである。同時に、後で触れる商法の問題も、まさにこの点から生じる。
二〇一〇年代、第二の波が来た
二〇一〇年代以降、カタカムナは第二の波を迎えた。今度は超古代史ではなく、健康と自己啓発の文脈である。
牽引したのは、四十八音のそれぞれに固有の「思念」を割り当てる解読体系だった。たとえばアは感じる、始まり。イは伝わる、命。ウは生まれる、内。
エは開く、選ぶ。オは奥、重い。
こうした一音ごとの意味を組み合わせることで、任意の日本語の単語を「本来の意味」へ分解できるとされる。名前を分解して性格を診断する、いわゆるカタカムナ姓名判断も、この体系から派生した。
さらに、医師や治療家の立場からカタカムナを紹介する著者が現れたことで、受容の層が大きく広がる。医療従事者が語ることによる権威付けは、この分野において決定的な効果を持つ。書籍は多数刊行され、そこにグッズが付随した。カタカムナ文字を印刷した図形、シール、カード、下敷き。
唱えるカタカムナ、書くカタカムナ
現在もっとも普及している実践は、ごく単純だ。
ウタヒの第五首、第六首、第七首を、声に出して繰り返し唱える。回数は三回、七回、あるいは十回といった指定がなされる。朝の起床時、あるいは就寝前。
もう一つが、書く実践である。カタカムナ文字で自分の名前や願いを書き、身につける、あるいは部屋に貼る。あるいは印刷された図象を、痛む場所に当てる。
これらの実践それ自体は、費用がかからず、危険もない。声に出して規則的な音を反復する行為には、呼吸を整え、注意を一点に集める効果がある。それは瞑想や念仏や祝詞と同じ生理的基盤を持つ。心が落ち着いたという体験報告が多いのは、むしろ当然だ。
問題は、その落ち着きを何に帰属させるかであり、そして、その帰属を根拠にいくら支払うかである。
健康商法と土地商法への注意
ここで明確に注意を促しておきたい。
第一に、健康に関して。カタカムナ文字を印刷したグッズ、図形、シール、あるいは特定の水や装置が、病を治す、痛みを取る、電磁波の害を消す、といった主張には、科学的な裏付けがない。
高額なグッズを勧められた場合、あるいは「これを使えば通院や服薬をやめられる」といった話が出た場合は、直ちに距離を取ってほしい。本稿は医療的助言を一切与えるものではない。症状があるなら医療機関を受診すること。既存の治療を自己判断で中断することは、絶対に避けなければならない。
第二に、土地に関して。楢崎の理論から派生した土地の良し悪しの判定は、しばしば不動産と結びつけて商業化されてきた。「この土地は良い」「この土地は悪い」という判定に金銭を払うこと、あるいはその判定を根拠に高額の土地改良工事を発注することには、慎重であるべきだ。土地の購入や工事の発注は、法的にも経済的にも重大な決定になる。本稿は不動産や投資に関するいかなる判断も代替しない。
第三に、講座や資格に関して。段階的に上位講座へ誘導し、そのたびに数十万円規模の受講料を求める構造が生じることがある。認定資格を取れば人に教えて収入が得られる、という勧誘が伴う場合は、その収益構造が誰の負担で成り立っているかを冷静に見るべきである。
祖父の書棚から出てきた冊子
ここからは体験談を三つ紹介したい。
「祖父が亡くなったのが二〇一九年で、遺品整理をしていたときのことです。祖父は町工場をやっていた人で、本なんて読まない人だと思っていました。ところが押し入れの奥から、包装紙にくるまれた冊子の束が出てきた。相似象学会誌、と表紙にある。全部で九冊。
正直、何のことかまるでわからなかった。渦巻きの図と、見たこともない記号と、細かい文字がびっしり。ところどころに祖父の書き込みがある。赤鉛筆で線が引いてあって、余白に読めない字で何か書いてある。
その中に、一枚だけメモが挟まっていました。祖父の字で、こう書いてあった。昭和四十九年七月、先生逝去、と。日付だけです。あとは何も書いていない。
調べてみたら、その月にこの理論を作った人が亡くなっていた。祖父は会ったこともなかったと思います。ただの読者だった。それでも、亡くなった日を記録していたんです。
祖父は無口な人で、家族に自分の考えを話すことは一度もありませんでした。工場をやりながら、夜、あの押し入れの冊子を読んでいたんだと思うと、なんだかたまらない気持ちになった。内容が本当かどうかは、私にはわからない。ただ、あの人が四十年以上、誰にも言わずに何かを信じていたということだけが、事実として残っている」
研修で、山に連れて行かれた
「勤めていた会社が、社員研修を外部の講師に委託していた時期がありました。二〇一〇年代の前半です。ある年、その研修が神戸で行われることになって、二日目の朝、バスで山のふもとまで運ばれました。
登り始めたのは午前六時前でした。まだ暗い。参加者は三十人ほど。講師が先頭を歩いて、途中で立ち止まっては、この場所は電位が高い、深呼吸しなさい、と言う。
私たちは全員で立ち止まって深呼吸する。それを何度も繰り返しながら登りました。
頂上近くに神社がありました。石がごろごろしていて、それが全部祭祀の跡なんだと説明される。そこで全員に渦巻きの図が印刷された紙が配られ、書いてある言葉を声に出して唱えます。ヒフミヨイ、マワリテメクル、と。
三十人が声を合わせると、思っていた以上に響くんです。朝の山で、鳥の声しかしないところに、三十人の声が返ってくる。
正直に言うと、あのとき私は泣きました。理由はいまだにわかりません。疲れていたし、寝不足だったし、夜明けの空がきれいだった。それだけかもしれない。
会社に戻って、上司にどうだったと聞かれて、良かったです、としか言えなかった。そのあと講師の会社から、続きの講座の案内が個人宛に届くようになりました。三日間で二十八万円と書いてある。私は行っていません。あの朝のことは今も大事な記憶ですが、それに値段が付いた瞬間に、何かが終わった気がしたんです」
母が家じゅうに貼ったシール
「母が体調を崩したのは、六年ほど前です。原因のはっきりしない不調で、あちこちの病院に行っても、これといった診断が付かなかった。そういうときに、知人からカタカムナのことを聞いてきました。
最初はシールです。渦巻きの模様が印刷された小さなシールで、痛むところに貼るんだそうです。母は肩と腰に貼っていました。一枚あたり数百円だったと思います。それだけなら、まあいいかと思っていた。
ところが半年ほどして、家じゅうに紙が貼られるようになりました。冷蔵庫、電子レンジ、テレビ、寝室の壁、それから玄関。電磁波を中和するんだと言っていました。父が怒って剥がすと、母は泣きました。
決定的だったのは、母が処方薬を飲まなくなったことです。これがあれば要らない、と言い出した。私が病院に連れて行って、先生から直接、飲まないと危ないですと言ってもらって、ようやく再開してくれました。あのときは本当に怖かったんです。
いま母は落ち着いています。シールはまだ何枚か貼ってあるけれど、薬もちゃんと飲んでいる。この件で私が学んだのは、こういうものが人を掴むのは、その人が困っているときだということです。母を責める気にはなれない。
あのとき母は、どこの病院でも原因がわからないと言われ続けて、限界だった。誰かが原因を教えてくれるなら、それが何であれ、すがりたかったんだと思います。
だから私は、この手の話を頭から馬鹿にする人が苦手です。ただ、薬をやめさせようとするものだけは、絶対に許せない」
同じ対象を扱いながら、会話しない三つの界隈
日本語圏のインターネットにおいて、カタカムナは奇妙な位置を占めている。
オカルト系の掲示板では、超古代史ブームの遺産として、竹内文書や東日流外三郡誌と並べて語られることが多い。そこでの主流の評価は「昭和の名作偽書」であり、真贋よりも、その作られ方の巧みさを鑑賞するという態度が支配的だ。渦巻き書式のアイデアの良さ、四十八音を座標化した設計の美しさ、そして発見譚の完成度。偽書として優れている、という褒め方がなされる。
一方、スピリチュアル系のSNSでは、真贋の議論はほとんど行われない。そこで流通しているのは実践であり、体験であり、「唱えたら気分がよくなった」という報告である。この二つの界隈は、同じ対象を扱いながら、ほとんど会話をしない。
そしてその中間に、言語学や国語学に関心を持つ層による、比較的冷静な検証の蓄積がある。上代特殊仮名遣の指摘、五十音図の成立年代の指摘、そして「そもそも平十字を知る人が一人も見つからない」という調査報告。これらは丁寧に積み上げられているが、実践者の層にはほとんど届いていない。
五つの要素の掛け算でできた吸引力
カタカムナの吸引力は、いくつかの要素の掛け算でできている。
第一に、視覚的な完成度だ。渦を巻く円と直線の図形は、単純に美しい。意味がわからなくても、見て「何かある」と感じさせる。これは大きな条件になる。
第二に、参入の容易さ。学ぶのに古文の知識も、外国語も要らない。日本語の音がわかれば、今日から始められる。しかも唱えるのは無料だ。
第三に、自己言及の快感である。四十八音の思念表を手に入れると、あらゆる日本語の単語を分解して「本来の意味」を読み解けるようになる。自分の名前、地名、好きな言葉。この解読作業には中毒性がある。パズルとしてよくできているのだ。
第四に、権威の反転。学界が認めないという事実は、この体系においては欠点ではなく、むしろ真実性の証明になる。封印された知恵だから公式には認められない、という物語が最初から組み込まれている。
第五に、そして最も強力なのが、日本語という自分の言語が、宇宙の構造そのものを写した特別な言語である、という主張だ。これは民族的自尊心と個人的な承認欲求を同時に満たす。自分が毎日使っている言葉が、実は宇宙の設計図だった。この物語の強さは、否定しがたい。
なぜ怖いのか
そして最後に、この話の怖さについて考えたい。
怖さの第一は、消失にある。原本がない。写本もない。神社もない。
平十字もいない。写真もない。目撃者もいない。あるのは、一人の男が山中で見たという証言だけである。
この徹底した空白は、単純に不気味だ。何かがあったのなら、何かが残るはずである。何も残っていないということは、最初から何もなかったか、あるいは、何かが徹底的に消されたか、そのどちらかしかない。どちらであっても怖い。
怖さの第二は、独りであることに由来する。楢崎皐月は、二十年以上をかけて、誰にも検証されない体系を一人で組み上げた。仮にそれが誤りだったとして、それを彼に告げる者は誰もいなかった。彼は自分の外側に、自分を止める仕組みを持っていない。
この状況は、程度の差こそあれ、誰にでも起こりうる。信じたい仮説を持ち、それを支持する証拠だけを集め、反証してくれる他者を持たないとき、人はどこまで行ってしまうのか。
怖さの第三は、私たち自身に向く。四十八音の思念表を渡されると、たいていの人は自分の名前を分解してみたくなる。そして、分解された結果が自分の性格と合っているように感じる。
この「感じてしまう」という現象こそが、この話のもっとも恐ろしい部分だ。私たちの認知は、意味のないものに意味を見出すように配線されている。カタカムナは、その配線に対してあまりに精密に作られている。誰が作ったにせよ、その人は人間の心の仕組みを、驚くほどよく理解していた。
古代の文献ではなく、昭和の思想として読む
一九四九年に六甲山中で始まったこの物語は、現在までおよそ七十七年続いている。最後に、この七十七年が何であったのかを総括しておきたい。
まず確認したいのは、カタカムナが「古代の文献」としてではなく「昭和の思想」として読まれるべきだという点である。
いっさいの古代性を取り払って、これを一九四〇年代後半から七〇年代にかけての日本で生まれた一つの世界観として読んでみる。すると、実はきわめて整合的な像が浮かび上がる。
満洲で製鉄と人造石油に従事し、国家の総力戦を技術で支えようとした男が、敗戦によってそのすべてを失う。学歴の裏づけを持たない独学の技術者であり、学界に居場所はない。帰国した日本では食糧が足りず、土地は荒れている。
彼は自分がずっと信じてきたことを、なんとかして体系化しようとする。大地と大気のあいだに流れる目に見えない電気が、鉄の質も、作物の実りも、人の健康も決めている、という信念だ。だが、それを承認してくれる制度は存在しない。
そのとき、山中で一巻の巻物が現れる。そこには、自分の仮説がそっくりそのまま、しかも二万年前の日本人の言葉で書かれていた。これほど完璧な承認があるだろうか。
学界が承認しないなら、超古代文明が承認する
学界が承認してくれないなら、超古代文明が承認してくれる。この構図こそが、カタカムナという体系の本質的な駆動力である。
だからこの文献の内容が、製鉄と農業と医学と土地の良し悪しに集中しているのは偶然ではない。それは楢崎皐月が生涯を賭けて考え続けた問題のリストそのものだ。
次に、偽書という言葉の使い方について、慎重に整理しておきたい。
学界の立場は明確であり、この文献は偽書として扱われている。上代特殊仮名遣を反映しないこと。四十八音という枠組みが五十音図の成立以降の音韻意識を前提とすること。渦巻き書式が実用の書記体系としては不自然であること。
そして何より、遺跡からも遺物からもこの文字が一片も出ていないこと。これらは個別に見ても重く、合わせればほぼ決定的である。
真書は過去の事実を、偽書は現在の欲望を伝える
だが、偽書という語には二つの意味がある。
一つは「古いと偽って作られた新しい文書」という書誌学的な判定。もう一つは「読む価値のない捏造」という価値判断だ。
前者としてカタカムナが偽書であることは、ほぼ議論の余地がない。しかし後者としてはどうか。
世界の偽書史を振り返れば、偽書はしばしば、その時代が何を欲していたかを、真書よりも雄弁に語る。真書は過去の事実を伝えるが、偽書は現在の欲望を伝える。
カタカムナが伝えているのは、敗戦後の日本が、失った自信をどこに求めようとしたかという記録である。その意味で、この文献は上古代の資料としては無価値だが、昭和史の資料としては一級品だ。ここは支持者と批判者が握手できる、数少ない地点かもしれない。
検証の放棄ではなく、検証の完了
支持者側の主張についても、公平に評価しておく必要がある。
彼らの論拠のうち、「学界は検証していないのであって、検証したうえで否定したのではない」という指摘は、部分的に正しい。実際、この文献に対して国語学者が正面から論文を書いた例は多くない。
ただし、それは怠慢ではなく、優先順位の問題だ。上代特殊仮名遣を反映していないという一点が判明した時点で、その文書が上古代の日本語を記したものでないことは論理的に確定する。確定した命題に、それ以上の資源を投じる理由はない。これは検証の放棄ではなく、検証の完了である。
もう一つ、「実践が機能しているのだから成立史とは切り離せる」という論拠についても、一定の妥当性はある。ウタヒを唱えて気分が落ち着くという体験は、おそらく本物だ。規則的な音節を反復し、呼吸を整え、注意を一点に集める行為には、生理的な効果がある。それは念仏でも、祝詞でも、真言でも、マントラでも、あるいは単純な数息観でも同じように起きる。
問題は、その効果を「カタカムナ固有の力」に帰属させた瞬間に、比較の道が閉ざされることだ。効果があるなら、無料の呼吸法でも同じ効果があるはずだ、という当然の比較検討が行われなくなる。そしてその隙間に、価格が発生する。
健康の領域に入った瞬間、話が変わる
この体系がいま置かれている危険な位置についても述べておきたい。
二〇一〇年代以降のカタカムナ受容は、超古代史から健康と自己啓発へと重心を移した。この移動には、はっきりした帰結がある。
超古代史の議論は、真偽を争うだけであれば誰も傷つかない。竹内文書が偽書であっても、誰の健康も損なわれない。だが健康の領域に入った瞬間、話は変わる。図形を貼れば痛みが取れる、電磁波が中和される、という主張は、それを信じた人が医療を遠ざける可能性を生む。
そして、この領域には金銭が流入する。シール、カード、装置、水、そして段階的な認定講座。
先に紹介した三つめの体験談は、その典型的な経路を示している。原因不明の不調に苦しむ人が、原因を説明してくれる体系に出会い、やがて処方薬を手放す。ここで批判されるべきは、その人ではない。批判されるべきは、医療の代替になると示唆する売り手のほうだ。
あらためて明記しておく。本稿は医療、法律、投資に関するいかなる判断も代替しない。症状があるなら医療機関を受診し、処方された治療を自己判断で中断してはならない。土地や不動産に関する重大な決定を、この種の判定に基づいて行ってはならない。
平十字という、完璧な空白
それでもなお、この物語が持つ魅力について正直に書いておきたい。
私が個人的にもっとも心を動かされるのは、平十字という人物の不在である。彼は一度だけ現れて、山中で見知らぬ技術者に巻物を差し出し、そして跡形もなく消えた。地元に彼を知る者はいない。写真もない。墓所も知られていない。
この空白は、おそらく偽書の作者が意図的に作ったものではない。むしろ、彼が実在したにせよ架空だったにせよ、この空白があまりに完璧に「異界からの使者」の型を満たしてしまっているという事実こそが不気味なのだ。
日本の説話には、山中で出会った異人が主人公に何かを渡し、そのまま消えるという型が無数にある。山人、木こり、猟師、山姥、天狗。境界に住む者が、里の者に知識を渡す。平十字は、その型にあまりに正確に嵌まっている。
彼が実在したとして、なぜ彼は自分の家の宝を、初対面の技術者に渡したのか。機械を止めてくれた礼にしては、代償が大きすぎる。この不釣り合いこそが、この物語をただの捏造以上のものにしている。
誰もが、山中に一人でいる楢崎皐月である
最後に、この件から引き出せる、より一般的な教訓を記しておきたい。
カタカムナが私たちに突きつけているのは、「一人で真理に到達することはできない」という残酷な事実である。
楢崎皐月は誠実だったと私は思う。彼は自分の仮説を本気で信じ、私財と時間を注ぎ込み、山中で六十四日を過ごした。詐欺師なら、そこまではしない。
だが、彼には反証してくれる他者がいなかった。彼の周囲には、彼を理解する弟子はいても、彼を止める同僚はいなかった。
学界という制度が果たしている本質的な機能は、権威の付与ではなく、この「止める役」の供給である。査読者は、著者が見たくない反証を突きつけるために存在する。制度の外にいた楢崎は、その役を誰からも与えられなかった。そして二十年以上、彼は誰にも止められないまま、体系を精緻に育て続けた。
この構図は、彼だけの問題ではない。情報が個人化し、誰もが自分の信じたい説だけを集められるようになった現在、私たちはみな、程度の差はあれ、山中に一人でいる楢崎皐月である。
渦巻きの図が美しく見えるとき、それを美しいと感じている自分の認知そのものを、誰かに点検してもらう仕組みを、私たちは持っているだろうか。カタカムナ文献が現代に投げかけている最大の問いは、たぶんそれだ。
