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大黒天の甲子待のやり方 甲子日の出し方、二股大根と豆の供え方、真言、子の刻まで起きる夜と札の返納

鼠が大国主を救った話と甲子の縁日

大阪の四天王寺の大黒堂は、甲子の日ごとに甲子会を営み、加持をした黒豆を七粒ずつ授けている。黒豆と大黒天と甲子。家で甲子待をするときの供え物と、そのまま重なる顔ぶれだ。甲子待は、干支の甲子にあたる日の夜に大黒天を祀り、子の刻まで起きている行事になる。室町時代の京都ではもう行われていて、公家の日記にも出てくると辞典は書いていた。

甲子の日が大黒天の縁日になった筋道は、古事記の鼠の話にある。根の国で野に火を放たれた大国主に、鼠が穴のありかを教えて命を救った。大黒と大国はどちらもダイコクと読めるので、二つの神は重ねて拝まれ、鼠はその使いに回った。十干の頭の甲と、鼠を指す十二支の頭の子がそろう日。それが甲子だ。

岩手県の滝沢市が公開している村誌には、村の甲子講の次第が短く載っている。講員は甲子の日の午後から集まり、甲子を礼拝してから子の刻の午前一時まで起きていた。大豆、黒豆、二股大根を食膳に供えて酒宴を開き、会場は講員の家の持ち回りにする。これだけ。短い記録だけど、家でやる甲子待の骨組みはほぼここに入っている。

暦で二〇二六年と二〇二七年の甲子の日を拾う

甲子の日は六十日に一度めぐってくる。十干の十と十二支の十二を一日ずつずらして組むと、甲と子がふたたび同じ日にそろうまで六十日かかるからだ。一年は三百六十五日なので、甲子は年に六回。年初の五日以内、閏年なら六日以内に最初の甲子が来た年だけ七回になる。令和六年がその年で、元日が甲子だった。

出し方は足し算で済む。甲子と分かっている日を一つ押さえ、そこへ六十日ずつ足していく。令和六年の元日を起点に数えると、令和八年、二〇二六年の最初の甲子は二月十九日の木曜と出た。続いて四月二十日の月曜、六月十九日の金曜、八月十八日の火曜。後半は十月十七日の土曜と、十二月十六日の水曜になる。

翌年の令和九年、二〇二七年は二月十四日の日曜が初甲子になる。そこから四月十五日の木曜、六月十四日の月曜、八月十三日の金曜、十月十二日の火曜、十二月十一日の土曜と続く。一年に六回だ。

手元の計算だけでは心配なので、寺の告知とも突き合わせた。岡山の最上稲荷が出している令和八年の甲子祭の日取りは、六回ともこの表と同じだった。四天王寺の甲子会も十月十七日と翌年の二月十四日に組んであり、数え違いは無い。

確かめる道具は二つある。干支の入った暦を一冊買うか、国立天文台の暦計算室のページで日付から干支を出すか。どちらでも、甲子と出た日から六十日先が次の甲子になる。一日ずれると全部ずれるので、起点の一日だけは二か所で確かめておくと安心だ。干支入りの暦は年末になると書店や神社の授与所に並ぶので、翌年の分を早めに求めておくと六回分がすぐ拾える。

旧暦十一月の甲子と初甲子に印をつける

六回の中でも、旧暦十一月の甲子と、年明け最初の初甲子を重く見る寺社がある。旧暦の月は新月の日から数えるので、国立天文台の朔の表で当たりをつけた。令和八年は十二月九日が朔で、冬至の十二月二十二日を含むこの月が旧暦の十一月になる。十二月十六日の甲子は、旧暦の十一月八日にあたった。

令和九年は十一月二十八日が朔だった。冬至の十二月二十二日もこの月に入るので、十二月十一日の甲子が旧暦十一月十四日になる。初甲子の二月十四日は、二月七日の朔から数えて旧暦正月の八日。京都の松ヶ崎大黒天の年の終わりの甲子大祭は、京都市の観光案内にも納め甲子祭の名で載っている。参るならこのあたりの日が狙い目かもしれない。

大黒天の像か札を一体そろえる

祀る本尊は、像か札か掛軸のどれか一つでいい。長野県安曇野市堀金の岩原の甲子講では、出雲から請けてきたと伝える大黒天の掛軸を当番の家に掛け、拝んでから飲食をした。掛軸でも十分。家に何もなければ、甲子の日に大黒天を祀る寺で授かってくるのが早い。

京都の松ヶ崎大黒天、妙円寺は、甲子大祭の日に御幣を出している。福寿会の会員でなければ一体千円と寺の案内にあった。岡山の最上稲荷は、甲子祭の祈祷を受けた人に特別札を授けている。四天王寺の大黒堂は、甲子の日でなくても甲子大黒天への祈祷を受け付けている。

仏具店で大黒天の像を求めて祀る家もある。寸法の決まりは見当たらなかったので、棚に収まる大きさで選べばいい。像を置くなら、背が棚の奥の壁に付くくらいまで下げ、正面が部屋の側へまっすぐ向くように据えると落ち着く。新しく迎えた像は、寺に開眼を頼む家もある。頼めるかどうかは近くの寺に聞いてみる。

台所に近い清らかな棚を選び、札を東か南へ向ける

大黒天は、もとは寺の台所に祀られた神だった。唐の僧の義浄は、インドの大寺では厨房の柱のそばに大黒神の像を置き、食事ごとに供え物をしていたと書き残した。その話を踏まえると、家でも台所まわりの棚に札を置くのがいちばん筋の通った選び方になる。

場所の決め方は、台所の神を祀る寺の案内が参考になる。宝塚の清荒神清澄寺は、荒神さまの札を家の台所の清らかな場所に、目の高さよりやや上で祀るよう案内していた。向きは東か南。北向きだけは避けたほうが良いという。

逆の案内もある。茨城の村松山虚空蔵堂は、商売繁盛の札について、立ち上がった目線より高い清浄な場所を選ぶよう書いていた。手洗いや台所、人の出入りが多い入口付近は避けるという。向きは同じく東向きか南向きで、南向きなら北の壁、東向きなら西の壁を背にして祀る。

大黒天だけの向きの決まりは、確かめた範囲では見つからなかった。台所に置くなら、コンロや流しの真上を外し、湯気と油のかからない棚の上を選ぶ。台所に場所が取れなければ、居間の棚の上でかまわない。目の高さに届く棚が無いなら、壁に小さな棚板を一枚渡し、そこを大黒天の場所と決めてしまえばいい。家具の上に置くなら、よく拭いて白い布を敷くと村松山虚空蔵堂の案内にあった。

壁に留めるなら、札の見えない裏に両面テープを付ける。画びょうで札に穴を開けるのは厳禁と、同じ案内は書いていた。寺の札と神社の札は重ねない。大黒天の札は寺の札なので、神棚に神社の札が並んでいる家なら、同じ棚に押し込まずに少し離れた別の場所へ立てる。

大豆と黒豆、二股大根を買いそろえる

供え物の芯は三つ。豆が二つ。大豆と黒豆、それに二股大根だ。滝沢の村誌も辞典も、この三品を挙げていた。

量を決めた記録は見当たらないので、豆は小皿に一盛りずつで足りる。大豆は炒り豆にしておくと、夜のうちにつまめて都合がいい。乾いた大豆をフライパンに広げ、弱火で転がしながら、皮にひびが入って香ばしくなるまで炒れば出来上がる。節分用の炒り豆で代えても困らない。

二股大根は、狙って買うとなかなか見つからない。岩手県立博物館の年中行事の聞き取りには、湯田町白木野の話が入っていた。形のいい二股大根はそうたくさん無いので、秋の大根掘りでいいものが出たら取っておいたという。十二月九日の大黒様の年取りに供えるためだ。種市町横手では、この日に二股大根を二本、必ず供えた。

畑のない家なら、十二月の甲子の前に八百屋へ頼んでおく手がある。十二月は東北の大黒様の年取りと重なるので、二股大根を探しやすい時期かもしれない。どうしても手に入らなければ、まっすぐの大根で代えることになる。代わりを決めた記録は無いので、家の略式と割り切ればいい。まあ、それで十分。

ほかに用意するのは、御神酒と水、洗米か炊いたご飯、蝋燭一本と線香。清荒神の家庭での祀り方も、毎朝ご飯、塩、水、酒を供え、蝋燭と線香に火を灯して拝むよう書いていた。器は小皿と湯呑みで間に合う。燭台が無ければ、耐熱の小皿に蝋燭を立てる。

日が暮れたら手を洗い、棚に供え物を並べる

甲子待の中身は夜なので、平日に当たっても仕事から帰ってからで間に合う。慌てなくていい。昼のうちに棚の埃を払い、棚の前に座る場所を空けておく。大根は泥を落として洗い、水気を拭いておく。これで夜の支度が早い。

日が暮れたら手を洗い、口をすすぐ。着替えまではいらない。札を棚の中央に立て、像なら正面を手前に向けて据える。掛軸なら棚の上の壁に掛ける。像も札も無い家は、ここで寺から受けてきた御幣や特別札を中央に立て、その夜の本尊にする。

並べ方の決まりも、寺の案内には見当たらなかったので、洗米かご飯、水、御神酒、豆の小皿を札の前に並べれば足りる。二股大根は棚の端に寝かせるか大きめの器に立てかけ、葉が灯明にかからないようにする。並べ終えたら一歩下がって眺め、札の正面が隠れていないか、葉が火に近すぎないかを確かめてから座る。

棚が狭ければ、棚の手前に小さな台を置き、そこへ豆と大根を下ろしてもいい。滝沢の講のように膳に並べる形なら、お盆に三品を載せて棚の前に置けば済む。見た目より、火の回りを空けておくほうが先だ。紙の札や掛軸の裾が蝋燭の上に来ないよう、火は札の真下を外して、左右どちらかの脇へ寄せて立てておく。

蝋燭と線香に火を灯して合掌する

支度がそろったら、蝋燭に火をつけ、その火で線香を一本つける。千葉県市川市の本光寺は、本堂の大黒天の参り方として、線香をつけて参拝すると案内していた。棚の前に正座し、背を伸ばして合掌、深く一礼する。

柏手は打たない。合掌だけ。大黒天は寺の天部なので、手は合わせるだけにする。清荒神は三拍手を打つよう書いていたが、あれは荒神さまの作法だ。大黒天で拍手を定めた寺の案内は見つからなかった。

オン・マカキャラヤ・ソワカを七遍唱える

大黒天の真言は、オン・マカキャラヤ・ソワカ。読みは、おん・まかきゃらや・そわか。横浜の孝道山も、大黒さまのご真言としてこの形を挙げ、お唱えしますと案内している。種子はマの一字だ。

意味はざっくり言うとこうなる。オンは真言の頭に置く帰依の言葉。マカキャラは梵語のマハーカーラを写した音で、大いなる黒き者、つまり大黒天そのもの。ヤは何々に、と呼びかける形で、ソワカは成就あれという結びだ。通すと、大いなる黒き尊に帰依します、願いが成りますように、という短い祈りになる。

回数を決めた大黒天の案内は、確かめた範囲では無かった。青森県深浦町の春光山円覚寺は、真言の回数に絶対の決まりは無いとしたうえで、三、七、二十一、百八回を目安に挙げていた。二十一回なら二、三分で唱え終わる長さだという。台所の神の例では、清荒神が荒神の真言を七反唱えるよう案内していた。

家の甲子待なら、宵に七遍、子の刻に入ってから二十一遍と分けると区切りがいい。数珠があれば左手に掛け、一遍ごとに玉を一つ送る。数珠が無ければ、七遍を三回と区切って一区切りごとに指を一本ずつ折っていくと、二十一遍でも数え違いが起きにくい。声は隣の部屋に届かないくらいで十分。一遍を一息で唱え、ソワカの後で軽く息を継ぐ。

マカキャラヤは早口だと崩れやすい。ま、か、きゃ、ら、やと五つの音を一つずつ置くつもりで口に出すと、数を重ねても形が乱れにくい。唱え終えたら、合掌のまま一礼する。願い事は、子の刻の拝みにとっておく。宵の拝みはここまで。

蝋燭を消して子の刻まで起きて待つ

宵の拝みが済んだら、ここからが甲子待の本体になる。子の刻まで起きていること。子の刻は夜十一時から午前一時までの二時間で、滝沢の講は午前一時まで起きていた。

蝋燭は、宵の拝みが済んだらいったん消しておく。夜十一時まで何時間も火を置いたまま目を離すのは危ない。子の刻に拝むときに、もう一度つければ済む話だ。火の番が先。

起きている間の過ごし方に、決まった所作は無い。滝沢の講は供えた膳で酒宴を開き、安曇野の岩原の講も拝んでから飲食をした。家族がいれば、炒り豆をつまみ、茶や酒を飲みながら話をすればいい。一人なら本を読んでいてもかまわない。

話の種に困ったら、この六十日の家計や仕事の出来事を振り返り、次の甲子までに片づけたいことを一つずつ挙げていけばいい。夜は長い。

翌朝早い日だと、午前一時まで起き通すのはきつい。子の刻に入る十一時を過ぎてから拝みを済ませ、そこで休めば、子の刻まで待った形にはなる。眠くなったら、立って茶を入れ直すくらいで十分だ。

十一時を回ったら二十一遍唱えて願いを述べる

十一時を回ったら、もう一度手を洗って棚の前に座る。蝋燭と線香に火を入れ、合掌して一礼。オン・マカキャラヤ・ソワカを二十一遍唱える。宵より長い。

唱え終えたら、合掌のまま願いを心の中で述べる。安曇野の岩原の講が願ったのは、五穀豊穣や良縁、それに富だった。今なら商いの繁盛、家内の無事、食べる物に困らないこと。欲張って並べず、一つか二つに絞っておくと、次の甲子に振り返りやすい。

願いは声には出さない。六十日後の甲子の夜に、同じ願いを続けるか替えるかをもう一度決め直せば、甲子待が暮らしの節目として回りはじめる。

火を消して一礼し、甲子待を閉じる

願いを述べたら、深く一礼する。これで拝みは終わり。蝋燭の火は口で吹かず、手であおぐか火消しをかぶせて消し、芯から煙が上がらなくなるまでその場で見届ける。線香は燃え尽きるのを待つか、香炉の灰に寝かせて消す。

火が落ちたのを確かめてから寝る。甲子待はこれで終わりだ。供え物は、棚にそのまま置いて朝を待てばいい。

お下がりの豆と大根を食べ切る

供え物を下げるのは翌朝でいい。起きたら手を洗い、棚の前で一礼してから、供え物を一つずつ台所へ下ろしていく。滝沢の講は、豆と大根を供えた膳でそのまま酒宴を開いていた。家でも、子の刻の拝みを済ませたあとなら、豆を先に下げてつまんでかまわない。

豆は家族で食べ切る。炒り豆はそのまま、黒豆は煮豆にするか、ご飯に炊き込む。煮豆なら、ひと晩水に浸してから弱火でやわらかく煮て、砂糖と醤油で味を含ませれば朝の膳にそのまま出せる。岩手の二戸市下斗米では、大黒様の年越しに豆ご飯や田楽豆腐など、豆料理を作ることになっていた。山形の庄内のお歳夜の膳も、黒豆ご飯、豆腐の田楽、黒豆なます、納豆汁と豆づくしだった。

大根は煮物か、なますか、味噌汁の具にする。どれでもいい。二股は皮がむきにくいので、股の分かれ目で切り分けてから扱う。葉は刻んで炒めれば無駄が出ない。御神酒は飲むか、煮物の鍋に回す。

傷んで食べられなくなった物だけ、白い紙に包んで、ほかのごみと分けて出す。水とご飯は、甲子の日に限らず毎朝替える。四天王寺で授かる加持の黒豆七粒は、食べ方の案内が寺の行事の頁に無かった。受けるときに寺で聞くのが確かだ。

何軒かで甲子講を組むなら宿を持ち回りにする

家族だけでなく、近所や親類と組んで甲子待をする手もある。滝沢の講は講員の家を交互に会場にし、安曇野の岩原では十二軒で講を組んで、大黒天の掛軸を当番の家に掛けていた。やり方はその形をなぞればいい。人数が増えても、拝みの中身は一軒でやるときと変わらない。

当番の家は、掛軸か札を掛ける場所と、人数分の膳を用意する。ほかの家が豆や大根、酒を一品ずつ持ち寄れば、一軒に負担が偏らずに済む。掛軸は講の持ち物にして、当番が替わるたびに次の家へ回していく。

拝みは当番の家の主が前に座り、皆で声をそろえて真言を唱える。数は宵と子の刻で分けるなど、家でやるときと同じ段取りで組めばいい。岩原の甲子講は、庚申講と同じく葬式の手伝いにも欠かせない組だったらしい。

京都の松ヶ崎大黒天で甲子大祭の祈祷を受ける

京都市左京区の妙円寺、松ヶ崎大黒天は、甲子の日ごとに甲子大祭を開く。前の晩の午後七時にご開帳祈祷があり、当日は朝九時から夕方四時まで祈祷が続く。甲子大祭の当日は予約がいらない。行けば受けられる。祈祷の順番を待つこともあるので、その時間も見込んで、午前のうちに山門をくぐるつもりで家を出ると落ち着いて拝める。

寺務所の受付は午前九時から午後四時半まで。祈祷は開運招福、商売繁盛、家内安全、身体健全などに分かれ、値段はお札の種類と中で上げるお経で変わると寺は書いていた。支払いは現金だけだった。

甲子の日以外に祈祷を頼むなら、問い合わせのフォームか電話で申し込み、予約の十分前に寺務所へ行く。受付を済ませると大黒堂へ案内され、祈祷は三十分ほど。終われば札を渡される。甲子大祭の日は御幣を受けられ、数に限りのある甲子大祭限定の御朱印も出る。

前の晩のご開帳祈祷に合わせるなら、午後七時の少し前に着くよう出かける。夜の境内は足元が見えにくい。足元を照らす小さな明かりがあると、石段や参道で慌てずに済むので持っていくと安心だ。前の晩は寺、甲子の当夜は家と、二晩に分けて大黒天を拝む形もとれる。

岡山の最上稲荷で申し込み、銭洗いまで受ける

岡山の最上稲荷は、甲子の日に三面大黒天甲子祭を開いている。令和八年十月十七日の回は、十一時から十一時半まで本殿で特別祈祷と法話があった。十一時半からは三面大黒天堂、別名の金運堂へ移って銭洗い参拝という流れだ。

参列は先着三十名で、申し込みは十月十二日必着と決まっていた。当日来られない人の祈祷は、人数の制限が無い。祈祷料は、特別札付きの祈祷か祈祷のみが三千円以上、お守りを足すと四千円以上。お守りは硬貨用と紙幣用に分かれていた。選べる。

銭洗いは、僧の案内で堂へ入って行う。三面大黒天の小槌とつながった特別な小槌を使い、清水で清めたお金に自分の手で祈願する作法だ。授かる品は特別札と福種銭。持ち物の指定は案内に無かったので、申し込みのときに聞いておく。当日行けない人も祈祷は申し込めるので、その場合の札や福種銭の受け取り方も、あわせて確かめておくと話が早い。

四天王寺と孝道山の甲子の日に合わせて参る

大阪の四天王寺は、大黒堂で甲子会を営む。令和八年十月十七日は午後二時から、令和九年二月十四日は午前十時半からと行事の暦に載っていた。本尊は大黒天、毘沙門天、弁財天の三つの霊験を持つ三面大黒天で、加持をした黒豆を七粒授ける。

横浜市神奈川区の孝道山は、甲子の日に大黒堂で宝蔵大黒尊天の甲子法要を営む。令和八年は十月十七日に組まれていた。祈願は法要の三十分前まで札所で受け付ける。災いを福に、苦しみを安穏に転ずることを願う法要だと寺は書いていた。法要の開始の時刻は行事の頁には出ていなかったので、出かける前の日に寺へ確かめておく。

どの寺でも、門で一礼し、手水で左手、右手、口の順に清めてから堂へ進む。賽銭を納め、合掌して真言を三遍か七遍唱える。祈祷料を包むなら白い封筒の表に御祈祷料と書き、裏に名前を添えて、申込用紙と一緒に受付へ出す。

授かった札は、鞄の上のほうへ入れて持ち帰る。その日のうちに家の棚へ納めれば、夜の甲子待の本尊にそのまま使える。昼に寺、夜に家。これで一日が一続きの行事になる。

授かった札を一年祀り、受けた寺へ返す

寺の札は、一年を目安に新しいものと替える。清荒神は年に一度札を替え、一年守ってもらった札や守りを納所へ納めてお礼参りをするよう案内していた。村松山虚空蔵堂も、受けて一年後の返納を目安にしている。

返す先は、受けた寺が原則。改めて寺へ出向き、礼を述べて納める。それだけ。

返す札を包む決まりは見当たらなかったが、裸で鞄に入れるのが気になるなら、白い紙か封筒に入れて持って行けばいい。遠方で行けなければ、ふだん参っている近くの寺で受けてもらえる場合がある。郵送で受け付けているかどうかは、受けた寺にまず確かめる。電話一本で済む。

最上稲荷の特別札も妙円寺の御幣も、一年たったら受けた寺へ返すつもりでいればいい。甲子の日に参って新しい札を受け、古い札を納めると区切りがつけやすい。御幣の飾り方は、授かるときに寺で聞いておく。

甲子と甲子のあいだは毎朝水とご飯を替える

甲子待は六十日に一度だけど、札を祀った棚はそのあいだも毎日の拝み場所になる。清荒神の家庭での祀り方は、毎朝ご飯、塩、水、酒を供え、蝋燭と線香を灯して拝むよう案内していた。朝ご飯を炊いたら、最初のひとすくいを小さな器に取って棚に上げる。

毎朝そこまで手が回らなければ、水だけ替えて合掌し、真言を三遍唱える形でもいい。下げたご飯は家族で食べ、塩は替えたら料理に回せば無駄が出ない。続けるなら軽いほうがいい。

甲子の日の昼は、何かを始めるのにも向くと言われてきた。十干と十二支がどちらも一番目にそろう日だからだ。孝道山も、甲子の日は物事の始まりの日として重んじられると書いている。新しい帳面をおろす、財布を替えるといった小さな始めごとをこの日に寄せておくと、次の甲子まで区切りよく暮らせるよね。

火を残して眠らず、札を北へ向けない

甲子待で避けたいことは多くない。蝋燭をつけたまま眠らない。札を北向きにしないよう、清荒神の案内は書いていた。寺の札と神社の札も重ねない。

途中で蝋燭が倒れたり、火が消えたりしたら、慌てずに火の始末を先にする。落ち着いたら手を洗い直し、蝋燭を立て直して、合掌してから真言を唱え直せば続きに戻れる。やり直しの作法を決めた寺の案内は見当たらなかったので、これも家の略式になる。

子の刻まで起きていられずに眠ってしまっても、罰を説いた記録は見当たらなかった。次の甲子は六十日後に来る。暦に次の日付を書き込み、豆と大根を買う日もそこから決めておく。

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