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恵方の出し方と歳徳棚の吊り方、恵方詣りと恵方巻、節分の片付けまで

大晦日の京都で祠の向きが変わる

京都の二条城の南に、神泉苑という東寺真言宗の寺がある。池のほとりの小さな社が恵方社で、祀られているのは歳徳神。一年の福徳を受け持つ神だ。この祠は大晦日の夜に人の手で回されて、翌年の恵方へ向きを改める。境内の絵馬から、明治二十二年にはもう社が建っていたことが分かっている。

歳徳神は陰陽道の暦注から出てきた方位神で、江戸の暦では最初の頁に姫神の姿で刷られていた。家々で正月に迎える年神と重なって、としとくさん、正月様とも呼ばれた。神のほうが年ごとに居場所を移すので、人は毎年その方角を確かめ直す。やることはそれだけ。

十干の組から恵方を出す

恵方は東北東、西南西、南南東、北北西の四つしかない。簡単な話。どれになるかは、その年の十干で決まる。甲と己の年は甲の方で東北東、乙と庚の年は庚の方で西南西になる。丙と辛の年は丙の方で南南東、丁と壬の年は壬の方で北北西だった。

戊と癸の年だけは扱いが違う。神泉苑の説明でも、この組は中央、つまり南方として扱われていた。それで丙の方の南南東を使う。

暦を開かなくても、西暦の下一桁で出せる。四と九なら東北東。〇と五なら西南西、二と七なら北北西で、残りの一、三、六、八は南南東になる。南南東だけ十年に四回回ってくるのはこのせいだった。

二〇二六年は丙午で南南東だった。次の正月、二〇二七年は丁未の年になる。丁の年だから壬の方、北北西やや北。これで決まりだ。

その先も同じ式で出る。二〇二八年の戊申と二〇三一年の辛亥は南南東、二〇二九年の己酉は東北東、二〇三〇年の庚戌は西南西になる。二〇三二年の壬子でまた北北西に戻ってくる。一度紙に書いて、歳徳棚の板と一緒にしまっておくと毎年の暮れが楽になる。

恵方の扇を度数で押さえる

甲、丙、庚、壬は、方位を二十四に割った二十四山の名前でもある。一山が十五度ずつ。北を零度にして時計回りに数えると、壬の方の真ん中は三百四十五度になる。

左右に七度半ずつ取った三百三十七度半から三百五十二度半まで、その細い扇が二〇二七年の恵方だ。真北でも北西でもないので、ここは取り違えないでほしい。ほかの年なら、甲の方が七十五度、丙の方が百六十五度、庚の方が二百五十五度を真ん中にした扇だった。

年の境目も決めておく。干支の年は立春で切り替わるという数え方が暦にはあったけれど、正月の棚は新しい年の神を迎える席だ。元日の時点で新しい恵方へ向けるのが普通だった。節分の巻き寿司も、その同じ恵方を使う。

部屋のなかで恵方の扇を測る

道具は方位磁石一つ。スマートフォンのコンパスでも足りる。歳徳棚を吊る予定の壁ぎわに立って測るのがいい。冷蔵庫やテレビのそばだと針が狂うから、家電から一歩離れて何度か測り直す。

数字がそろったら決めていい。測った数字は棚を吊ったあとでもう一度だけ確かめて、紙の矢印とずれていないかを見ておくと安心できる。

磁石の北は、地図の北から西へ少しずれている。日本だとおおむね五度から九度ほどで、北の土地ほど大きい。恵方の扇は十五度あるから、ずれを足しても扇に収まることが多い。気になる人は、狙う度数にその土地の偏りの分を足した数字へ磁石の針を合わせればいい。

二〇二七年の場合、磁石の表示で三百五十度から三百五十五度あたりが、北北西やや北の真ん中に近い。スマートフォンが真北表示になっているなら、三百四十五度をそのまま使えばいい。部屋の角に紙を一枚貼って、矢印を書いておくと暮れに迷わない。矢印は鉛筆で薄く。

暮れの二十八日に白木の板を吊る

歳徳棚は、ふだんの神棚とは別に正月のあいだだけ設ける臨時の棚だ。『日本大百科全書』の説明では、その年の恵方に向けて棚を吊り、注連縄を引き渡し、潔斎して物を供えて祀るとあった。天井から丸い棒で吊って、回して向きを変えられるように作った棚もあったという。

飯田市の紹介では、座敷の天井から縄で板を吊るし、オヤスと呼ぶ藁の器や注連縄で飾ってきた。オヤスは藁を筒状に編んだもので、ご飯や雑煮、赤飯、粥を入れて供えたそうだ。床の間をそのまま歳神棚にする家もあった。

愛媛の記録では、注連飾りと一緒に稲穂を添えて祀る家があった。大根や人参、蕪を注連飾りに吊り下げる風もあったらしい。農具の箕を棚に使うので、ミタナサンと呼んだ例まである。西日本には米俵や、米を盛った桶を祭壇にする形もあった。

今の家でやるなら、白木の板を一枚用意する。材は杉か檜。端材で構わないけれど、鏡餅と瓶子を並べても前の縁に注連縄を張る余裕が残るくらいの幅はほしい。寸法の古い決まりは見当たらなかった。

板の四隅に穴をあけて麻紐を通し、上で一つに束ねて天井のフックか長押の釘に掛ける。束ねたところに撚り戻しの金具をかませると、棚ごと回せる昔の形に近くなる。天井に何も付けられない家なら、背の高い家具の上に白い紙を敷いて棚の代わりにする。座った人の頭より上なら形は立つ。

吊る日は十二月二十八日が無難だ。二十九日は苦に通じるといって避ける家が多いし、三十一日は一夜飾りで嫌われる。どうしても遅れたら三十日に吊る。

棚の奥を恵方に合わせて止める

向きの合わせ方で迷う人は多い。「恵方に向けて吊る」とは、棚を恵方の側に置き、拝む人が恵方を向いて手を合わせる並びのことだ。棚の奥が恵方、手前に人が座る。

二〇二七年なら、部屋の北北西寄りの壁に棚を寄せ、手前の南南東側に座る場所を空ける。座って顔を上げたとき、正面の少し上に鏡餅が見える高さが扱いやすい。

回る棚なら、その位置で細い紐を一本壁の釘へ渡して、正月のあいだ動かないよう止めておく。これで神の席の骨組みはできた。

棚に注連縄を張って供え物を並べる

棚の前の縁に、紙垂を下げた細い注連縄を張る。玄関の飾りとは別の一本にしておく。紙垂は半紙を切って折り下げれば自分で作れる。四枚あれば足りる。

供え物の中心は米と鏡餅だ。飯田では白米を山盛りにした一升枡を上げ、田作りとみかんか柚子を添えてきたと市が書いていた。棚の真ん中に鏡餅を据えて、手前に米、左右に神酒の瓶子を一対置く。塩を小皿に、水を小さな器に入れて並べる。塩は粗塩。

年神の供え物は、米や餅のほかに搗栗、椎の実、干柿を上げる土地もあったと百科事典にある。昆布やするめ、干した魚を並べる家も多い。台所にある正月の品をそのまま棚へ上げる、くらいの感覚でいいらしい。

元日に雑煮を炊いたら、最初の一椀を小さな器に取り分けて棚に上げる家もあった。オヤスがあるならそこへ入れる。

灯明は電池式のろうそくで構わない。火は使わない。吊った板に本物の火を置くのは危ない。水は毎朝替えて、古い水は庭木の根元へ返す。

歳神札と恵方の札を受けて棚に納める

棚の中心に札を立てたいなら、暮れのうちに神社で歳神の札を受けておく。日本橋の福徳神社は、十二月十五日から大晦日まで、新年用の札を頒けると案内していた年がある。初穂料は千円。

その案内では、歳神札は十二月中旬から正月七日か十五日まで、歳神棚や恵方棚、神棚などの清浄な場所に祀るよう書いていた。同じ社の恵方招福札は、来年の恵方の場所へ祀る札だった。北北西の年なら、家の北北西の壁か棚に置く形になる。

歳神札と恵方の札では置き場所の考え方が違うので、受けるときに授与所で一言確かめておくと迷わない。

京都の神泉苑でも、歳徳神の祈祷札を寺務所で授けていて、郵送でも受けられると寺の案内にある。恵方廻しの晩に授かる新年の札は一体千二百円と紹介されていた。遠方の人は電話で郵送の段取りを聞くといい。届いた札は封を切らずに棚の前まで持っていき、白い紙の上に置いてから袋を開けるくらいの扱いで十分だ。

札を壁に貼るときは、画鋲を刺さない。糊かセロテープで留めるよう、神社の案内にも書いてあった。棚に立てる場合は、鏡餅の後ろ、いちばん奥の中央が座りがいい。

元日の朝に祓詞と略拝詞で拝む

歳徳神のためだけの決まった祝詞は、家庭の作法としては伝わっていない。社ごとの祭詞を勝手にこしらえるわけにもいかない。家でやるなら、神社本庁が家庭向けに示している祓詞と略拝詞を借りるのが確かだ。昔は年男が正月の祀りを取り仕切ったと百科事典にあった。

元日の朝、雑煮の前に家族で棚の前に並ぶ。服装は自由。二度深く礼をして、祓詞を低い声で読む。原文の前半は「掛けまくも畏き伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に」。続きが「禊ぎ祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等」だ。

後半は「諸々の禍事罪穢有らむをば、祓へ給ひ清め給へと白す事を」。最後を「聞こし食せと恐み恐みも白す」で結ぶ。声は張らなくていい。

読みは「かけまくもかしこき、いざなぎのおおかみ」。「つくしのひむかのたちばなのおどのあわぎはらに」。「みそぎはらえたまいしときに、なりませるはらえどのおおかみたち」と続く。

後半の読みは「もろもろのまがごとつみけがれあらむをば」「はらえたまいきよめたまえと、もうすことを」。結びは「きこしめせと、かしこみかしこみももうす」。慣れないうちは紙に書いて棚の脇に貼っておく。

ざっくりした意味はこうだ。伊邪那岐大神が阿波岐原で禊をされたときに生まれた祓戸の神々よ。災いや罪や穢れがあれば祓い清めてくださいと申し上げるのを、どうかお聞き届けください。

読み終えたら胸の高さで二度手を打ち、最後にもう一度深く礼をする。二拝二拍手一拝の形だ。願い事は声に出さず、胸のなかで一つだけ。

忙しい朝は略拝詞でもいい。原文は「祓へ給ひ清め給へ、神ながら守り給ひ幸へ給へ」。読みは「はらえたまい、きよめたまえ、かむながら、まもりたまい、さきわえたまえ」。祓い清め、神の御心のままに守り、幸いを授けてください、という意味になる。

自宅から恵方の扇を地図に引く

恵方詣りは、住まいから見て恵方にある寺社へ正月に参ることだ。南北朝の『師守記』の貞治二年の条に、もう恵方まいりの言葉が見えていた。江戸の町人はこれを元日の柱にしていた。行き先は家ごとに違う。

地図アプリで自宅に印を付けて、恵方の角度へ一本の線を引く。道具は定規一本。二〇二七年なら真北から西へ十五度振った線。その左右七度半ずつの扇に入る寺社を拾う。東京の都心からなら、二〇二七年の扇は板橋を抜けて埼玉の南部から中ほどへ細長く伸びていく形になった。

距離の決まりは見当たらなかった。歩いて行ける氏神の社が扇に入れば、それで十分だ。遠くの大きな寺社を選ぶなら、扇の中心線に近いほうを選んでおくと、地図の誤差を気にしなくて済む。扇に入る寺社が見つからないときは、線を少し先まで延ばして、休みの日に出かけられる距離のなかで探し直せばいい。

毎年同じ社へ参りたい人は、その社が恵方に入る地点までいったん出てから、社へ向かう手もある。方違えの考え方を借りた形で、平安の貴族が方角の神を避けるために一度よそへ泊まってから目的地へ向かった手を、正月の参り方に写したものになる。

恵方詣りの当日は松の内に参る

日取りは元日の朝がいちばんだけれど、松の内に入っていればいい。松の内は関東で七日まで、関西で十五日までという土地が多い。江戸の人も、恵方の寺社の縁日に合わせて日をずらして通っていたという研究がある。京、大坂、江戸には、節分の夜に恵方へ参る形もあったそうだ。

持ち物は小銭と初穂料。札を受けるなら、白い封筒か紅白の蝶結びののし袋の表に初穂料と書き、下に名前を書いて包む。授与所で金額が決まっている札なら、そのまま納めて構わない。

鳥居の前で一礼して、参道の端を歩く。手水舎では柄杓を右手に取って左手を清め、持ち替えて右手を清める。左の掌に水を受けて口をすすぎ、もう一度左手を流して、柄杓を立てて柄を洗ってから戻す。

本殿か本堂では普段どおりに拝む。神社なら二拝二拍手一拝、寺なら合掌して一礼だ。札を一体受けたら寄り道せずに帰り、歳徳棚か神棚に上げる。

一茶は「足の向く村を我らが恵方かな」と詠んだ。暦どおりでなくても、足の向いたところが恵方だという軽口だった。そこまで気楽でもいいのかもしれない。

神泉苑の恵方廻しに立ち会う

大晦日の神泉苑では、夜の十時半ごろに恵方社の前で祈祷が始まる。場所は池のほとり。般若心経が読まれたあと、祠が時計回りに静かに回されて、新しい恵方へ向きが改まる。向きが変わってから、もう一度読経があって終わる流れだと紹介されていた。二〇二六年の暮れには北北西へ回される年回りだ。

寺の案内は、年ごとに向きを変えるこの社を日本でただ一つのものだと説明していた。見学に料金はかからない。新年の札はその場で授かれる。回る祠を見届けてから、そのまま除夜の鐘へ向かう人もいるようだ。

夜の池端は冷えるので、厚手の上着は要る。終わる時刻は年によって前後するので、除夜の鐘へ回るつもりなら行き先の寺の撞き始めの時刻も先に調べておきたい。

七日から二十日のあいだに棚を下ろす

棚を下ろす日は土地で割れている。門松と一緒に七日に下ろす家、十一日の鏡開きで片付ける家、小正月の十五日を区切りにする家、二十日正月まで祀る家があった。飯田では十一日のお供え開きに各所の供え物を集めて、雑煮にして食べるという。

家に決まりがないなら、神社の案内どおり十五日の小正月を目安に下ろすと迷わない。百科事典は、松飾のある間は年神の祭りが続いているものとして説明していた。門松を片付ける日に棚も下ろす、と覚えておけば外れない。下ろす前に棚の前で略拝詞を一度唱え、礼をしてから手を付ける。

鏡開きの日は、関東なら一月十一日、関西なら十五日か二十日にする家が多かったと言われてきた。鏡餅は刃物で切らずに木槌で割る。切るは縁を切るに通じるので、開くと言い換えた。割った餅は汁粉か雑煮に入れて、家族で食べきる。かびが出ていたらそこだけ削り、残りは焼いてから汁に入れる。

米は炊いて食べ、神酒は料理に回す。捨てる物はない。塩と水は台所の流しへ流すか、庭の土へ返す。棚板は乾いた布で拭き、白い紙に包んで押し入れにしまう。翌年はその板を新しい恵方へ回して使う。

注連縄と札は下ろした足で白い紙に包み、どんど焼きの日まで玄関の脇へ置いておくと出し忘れない。うっかりは多い。

注連縄と札をどんど焼きへ出す

注連縄、紙垂、歳神の札は、どんど焼きで焼くか、近くの神社へ納める。小正月には取り外して、どんど焼きで燃やすか神社へ持っていくよう案内する神社もあった。飯田では十四日にほんやりと呼ぶ火祭りで正月飾りを焼いてきた。

西日本では、どんど焼きをとんどと呼ぶ土地が多い。これを歳徳と書く例もあったという話がある。

どんど焼きの火で焼いた餅を食べると一年病まないと言い伝える土地も多く、札を出すついでに餅を一つ持っていく家もある。

どんど焼きに出せない年は、白い紙に包んで塩をひとつまみ振り、可燃ごみに出す人もいる。神社の古札納め所で受けてもらえるかは社ごとに違うので、先に社務所へ電話で聞いておくと空振りしない。

恵方招福札のように恵方へ向けて祀った札は、一年祀ってから返す考え方もあるので、受けた社の案内に従うのがいちばん確かだ。

狭い部屋や賃貸で棚を設ける

天井にフックを付けられない部屋はいくらでもある。そういう家では、突っ張り棒を二本渡して板を載せるか、本棚や箪笥の天板に白い紙を敷いて棚の代わりにする。座った人の頭より上で、しかも恵方の側の壁に寄っていれば、席の形としては足りる。

どうしても恵方の側に高い場所が取れないなら、床の間や神棚の前を正月だけ年神の席とみなす。棚を作らなくなった土地も、床の間か神棚にお膳を供えて済ませてきた。その場合も、拝むときに自分の体が恵方を向くよう座る位置だけは合わせておく。

壁に札だけ貼る形もある。恵方の壁の目より高いところに歳神の札を糊かテープで留め、その下の台に鏡餅と米と水を置く。これなら一畳あれば組める。

家で太巻きを巻いて節分に備える

恵方巻は買ってきても構わないけれど、家で巻くなら前の晩に干し椎茸とかんぴょうを戻して甘辛く煮ておくと当日が楽だ。農林水産省の紹介では、米、厚焼き卵、きゅうり、三つ葉、穴子、干し椎茸、かんぴょう、海老、鰻の蒲焼、海苔を使っていた。七種にそろえるなら、この中から選べば形になる。

具は細めに切る。巻き簀に海苔を一枚置いて酢飯を薄く広げ、奥を少し空けて具を手前に並べる。手前から一気に巻いて、巻き終わりを下にしてしばらく置く。切らずに一本ずつラップで包んでおけば、食卓でそのまま配れる。

人数分を巻いたら、食べる前に恵方を測っておく。家族が同じ方角を向いて並べるよう、食卓の椅子を一度動かしておくと食べるときに慌てない。

節分の晩に恵方を向いて巻き寿司を一本食べる

節分の巻き寿司は、恵方の使い方としてはいちばん新しい。大阪の鮓組合は、江戸の末から明治の初めに船場で広まったと言われると紹介していた。花街の遊びから出たという説もあって、由来ははっきりしない。

大阪のすし屋の組合が丸かぶりを広告に刷ったのが昭和七年ごろ。全国のコンビニに並んだのは平成十年ごろだった。恵方巻という呼び名も、そのころに揃ったものだ。

作法として伝わるのは次の筋だ。その年の恵方を向く。

縁を切らないよう包丁を入れず、一本を丸ごと持つ。福が逃げないよう、食べ終えるまで口をきかない。願い事を胸のなかで念じながら、一本を食べきる。途中で口をきけないから、願い事は食べ始める前に一つに決めておき、家族にも同じように決めてもらう。

農林水産省の郷土料理の紹介もこの形で書いていた。具は七福神にあやかって七種にする太巻きが近年は主流らしい。厚焼き卵、きゅうり、かんぴょう、干し椎茸、穴子あたりがよく使われる。

子どもや年配の人には細巻きや短いものを用意して、無理に太いのを一本まるごと食べさせないほうがいい。喉に詰まらせたら元も子もない。

向く方角は、正月に歳徳棚を向けたのと同じ恵方でいい。巻き寿司の恵方が節分の翌日からの年のものだという点は、昔の年越しの感覚とも食い違わなかった。二〇二七年の節分なら北北西やや北。食卓の上でもコンパスで一度測ってから座る。念のため。

節分を年越しとして棚の残りを片付ける

干支の年は立春で切り替わる、という数え方が暦にはあった。三重県の県史の紹介でも、節分を年越しや豆年越しと呼び、節分までは旧年という感覚が各地にあったと書いていた。改暦で立春イコール新年という感覚が薄らいだ、とも触れている。

だから小正月を過ぎても棚を下ろしそびれた家は、節分を最後の区切りにするといい。豆まきの前に棚の前で略拝詞を一度唱えて礼をし、残っていた供え物を下げる。

棚板を拭いて包み、札と注連縄が残っていれば白い紙に包む。近くの神社の古札納め所へ持っていく。節分の日は豆まきの行事で開いている神社が多い。

豆まきの豆と巻き寿司は、そのあとでいい。棚を空けてから鬼を払う順にしておくと、正月の神を送ってから新しい年の厄を払う形になる。棚板は翌年の暮れまで押し入れで休ませる。年越しの晩に棚を空けておけば、立春の朝は何も残っていない座敷で新しい年を迎えられるので、区切りもつけやすい。

恵方を外したときと、やめておくこと

棚の向きを一年まちがえていたと気づいても、慌てることはない。まあ、よくある話。気づいたときに向きを直し、略拝詞を唱えて拝み直せば済む。恵方詣りの行き先が扇から外れていた場合も同じで、翌年から直せばいい。それだけ。

ふだんの神棚は恵方に向けない。神棚は南か東向きが基本で、年ごとに動かすものじゃない。恵方に合わせるのは正月の歳徳棚だけで、ここを取り違える人が案外多い。

九星で方位を見る流儀では、暗剣殺や五黄殺と重なる年は恵方でも避けるとする人もいる。そちらで引っ越しや旅立ちを決めている家は、その判断と突き合わせておくといい。

棚の神に供えた物を粗末に捨てるのも避けたいから、下げた物は家族で食べるか、食べられない物は庭や鉢植えの土へ返してやる。そこまでが正月の祀りになる。

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