- 和銅四年二月の初午に、稲荷山へ神が降りた
- 暦で二月一日の干支を見て、初午の日を出す
- 早い初午、二の午、旧暦の初午で日を合わせ直す
- 伏見稲荷の初午詣は、前日の巳の日から始まる
- 本殿で二拝二拍手一拝をし、しるしの杉を受ける
- 祈祷を頼むなら、本殿の左の受付で願いを書く
- 近くの稲荷社で初午に参るときの段取り
- 前の日までにそろえる物と数
- 初午の前に祠を掃き、幟を立てて支度する
- 米と酒と塩と水に、油揚げと赤飯を添えて供える
- しもつかれ、団子、小豆飯、土地の初午の供え物
- 毎朝の拝み方と、祓詞と略拝詞の唱え方
- 事務所の神棚に稲荷の札を並べるとき
- 祠の祭りの当日は、この順番で進める
- 神職を招いて祠の祭りをしてもらう段取り
- 祭りを休んだ年や、祠が荒れていたときの手当て
- 会社の稲荷は、伏見の講に入る手もある
- 初午の日に火を控える言い伝えと、やってはいけないこと
- 古い札としるしの杉を、次の初午の前に納める
和銅四年二月の初午に、稲荷山へ神が降りた
伏見稲荷大社の案内には、稲荷大神が稲荷山の三ケ峰に初めて鎮座したのが和銅四年二月の初午の日だった、と書いてある。初午大祭は、その日をしのぶ祭りだ。二月の最初の午の日に稲荷を祭る習いは、ここから全国へ広がった。
辞典類を見ると、旧暦の二月初午はちょうど田の仕事を始めるころに当たった。それで農の神としての稲荷と結びついた、という見方が出ている。関東では屋敷や村の稲荷の祠に幟を立て、油揚げや赤飯を供え、集まった人がそろって飲み食いしてきた。
家の庭の祠も、会社の屋上の社も、年に一度の大きな祭りはだいたいこの日になる。だから初午の日取りを出すところから話を始める。
暦で二月一日の干支を見て、初午の日を出す
初午は二月に入って最初の午の日。午の日は十二日ごとに回ってくる。なので二月一日から十二日までのどこかに、必ず一回目の午が来る。ここは外れない。
出し方は簡単。暦か干支入りのカレンダーで、二月一日の干支を見る。十二支の並びは子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥。一日の十二支から午まで数えて、その数だけ日を足せばいい。
令和九年で試す。二月一日は辛亥。亥の次の子から数えて七つ目が午なので、二月八日の戊午が初午になる。二の午はその十二日後の二月二十日だ。ちなみに令和八年は二月一日そのものが丙午で、一日が初午だった。
同じ数え方で先の年も出しておいた。令和十年は二月三日、令和十一年は二月九日、令和十二年は二月四日が初午になる。どの年も、二の午は十二日後に来る。
伏見稲荷大社の初午大祭も、この新暦二月の初午に合わせている。令和九年なら二月八日。前の日が巳の日、二日前が辰の日になる。この辰と巳の数え方も、あとで大社へ行くときに効いてくる。
手元に干支の出た暦が無いときは、神社で頒けている神宮暦や、書店で売っている暦のたぐいを一冊置いておくと楽だ。月ごとの午の日を丸で囲っておくと、毎月の参りにも使える。初午だけでなく月々の午の日も一目で分かるので、月参りの予定もついでに書き込んでおける。便利だ。
早い初午、二の午、旧暦の初午で日を合わせ直す
初午が月のはじめに来た年は、火事が多いという言い伝えが全国にあった。それを嫌って、祭りを二の午へ回した土地がある。二の午、三の午まで続けて祭ったところもあった。
旧暦の二月初午で祭る所も残る。愛知の豊川稲荷は年間行事の案内で、初午祭を旧暦二月の初午日としていた。新暦で見ると、だいたい三月のどこかになる。
辞典の項を引くと、奄美大島では四月の初午を祭り、十一月の初午を祭る土地もあった。家の祠をどの日に祭るかは、その家や講で代々決まっていることが多い。前の世代の手帳や、祠の中の古い札の日付を見れば、たいてい見当がつく。
会社の社で決まりが無いなら、新暦二月の初午に合わせておくのが一番迷わない。平日に当たって人が集まれないときは、同じ月の二の午へ寄せる。前へずらした例は、調べた範囲では見当たらなかった。後ろへ寄せるほうが無難だと思う。
伏見稲荷の初午詣は、前日の巳の日から始まる
大社の案内では、初午大祭は二月初午の日の午前八時から始まる。二日前の辰の日に、稲荷山の杉と椎の枝で作った青山飾りを本殿から摂末社まで飾って、この日を迎える。
初午の参りは福詣とも呼ばれてきた。前の日の巳の日から参る人で社頭がいっぱいになる、と大社自身が書いていたくらいだ。京の初春で一番の祭事とされてきた、とも案内にあった。
初午の日は祭典のあいだ本殿の前が込み合うので、拝むのは祭典が一段落してからにして、先に授与所へ回る人もいる。混雑を避けたいなら、巳の日の朝早くか、初午当日の祭典が始まる八時前に着くよう組むといい。大社は奈良線の稲荷駅の目の前で、京阪の伏見稲荷駅からも歩いてすぐだ。電車が楽。
大社のよくある質問では、福参りを二月初午の日に稲荷山へお参りすることだと説明していた。境内一円を、昔から人は山と呼んできた。本殿だけで帰る人もいれば、山の上まで上がる人もいる。
お山を回るつもりなら、歩きやすい靴で行く。革靴はきつい。千本鳥居から先は石段が続き、二月の朝は冷える。お塚の参り方は講や行者の作法がからむので、ここでは本殿と授与所までの段取りに絞る。
本殿で二拝二拍手一拝をし、しるしの杉を受ける
楼門をくぐる前に手水舎で手と口を清める。柄杓で左手、右手の順に水をかけ、左の手のひらに受けた水で口をすすぐ。柄杓を立てて柄に水を流し、元へ戻したら済みだ。
本殿の前に立ったら、賽銭を入れて鈴を鳴らす。そこからが拝礼だ。深く二回頭を下げ、胸の前で手を合わせて二回打つ。手を合わせたまま願いを心の中で述べ、終わりにもう一回頭を下げる。大社の祈祷の案内も、玉串拝礼を二拝二拍手一拝としていた。
拝んだあとは授与所へ。初午の日、社頭では「しるしの杉」が授与される。大社の案内では、商売繁昌と家内安全の御符、つまりしるしとして、古くから受ける習わしが盛んだった。
大社のよくある質問によると、神木は杉。境内に決まった一本の神木があるのとは違う、という答えだった。しるしの杉の値段、受けられる時間、持ち帰ってからの飾り方は、大社の公式の案内では確かめられなかった。受けるときに授与所で置き場所を聞いておくのが確実だ。聞けば教えてくれる。
家に神棚があれば、しるしの杉は神棚か、稲荷の祠のそばに納めるのが自然な流れになる。会社なら事務所の神棚だろう。受けた日のうちに納め、次の初午までそこに置いておく。
祈祷を頼むなら、本殿の左の受付で願いを書く
初午に会社や家として祈祷を受けるなら、本殿の左側にある祈祷受付へ行く。受付の用紙に住所、屋号や会社名、名前、願い事を書き、祈祷料を添えて申し込む。
大社の案内では、祈祷は午前八時半から午後四時半まで随時で、受付は四時ごろまでに済ませる決まりだった。正月の間や祭典の日は時間が変わる。初午当日は祭典があるので、時刻は前もって電話で確かめたほうがいい。
祈祷料は三千円から十万円まで、七つの段に分かれていた。神札や神楽がつくかどうかで額が変わる。願意は商売繁昌、家内安全、交通安全、厄除など十三ほど。会社の社に祀るなら商売繁昌、家の祠なら家内安全を選ぶ人が多いらしい。
包むときは紅白の蝶結びののし袋に「御初穂料」と書き、下に会社名か名前を入れる。受付でそのまま渡すなら、白い封筒で出す人もいる。
申し込んだら本殿へ上がり、神職に祈祷伝票を渡す。祝詞のあと玉串拝礼に呼ばれたら、玉串を受けて案に供え、二拝二拍手一拝。終わったら直会の神酒をいただき、撤下神饌引換証と引き換えにおさがりを受け取る。おさがりは持ち帰り、家族や社員で分けていただく。会社名で受けた神札は事務所の神棚に、家の名で受けた神札は家の神棚か祠に納めると、あとで取り違えずに済む。
近くの稲荷社で初午に参るときの段取り
京都まで行けない年は、近所の稲荷社の初午祭に参ればいい。氏神の境内にある稲荷の末社でも、初午には幟が立って祭典が行われることが多い。
日取りは社ごとにばらばら。聞くしかない。新暦の初午、二の午、旧暦の初午、日曜に寄せる所まである。一月の末に社務所へ電話し、初午祭の日と時刻、祈祷を受けられるかを聞いておく。
豊川稲荷のように寺の稲荷もある。こちらは神社でなく曹洞宗の寺なので、拍手は打たずに合掌して礼をする。毎月の縁日は二十二日と案内されていた。初午祭は、前に書いたとおり旧暦二月の初午日だ。
参ったら、その社の札を一体受けて帰る。境内の稲荷の末社には授与所が無いことも多いので、そのときは本社の社務所で、末社の稲荷の札があるかを尋ねてみるといい。無い社もあった。家の祠や会社の社の中に札が無いなら、その札を納めることになる。社の中が空のままというのは、まあ避けたいところだ。
前の日までにそろえる物と数
祠の祭りの前の日までに、要る物を一か所に集めておく。
幟は祠の左右に立てるなら二本要る。榊は左右の榊立てに一本ずつ立てるので、これも二本そろえる。酒を入れる瓶子が二本と、水と米と塩を盛る白い皿が三枚。これが器のひとそろいになる。
食べ物は、洗った米をひとつかみ、粗塩をひとつかみ、清酒を一本。初午の分として油揚げを一、二枚と、赤飯を一膳ぶん。しもつかれのような土地の料理を作る家は、それも小鉢に一杯。
神職を呼ぶ年は、ここに清酒をもう一本と、参る人の数だけの紙コップを足す。初穂料ののし袋も、前の晩のうちに書いておく。当日の朝は慌てる。
初午の前に祠を掃き、幟を立てて支度する
家や会社の祠の祭りは、前の日の支度でほぼ決まる。祠の屋根と周りの落ち葉を掃き、扉の前の台を固く絞った布で拭く。祠の中の札や神体には、ふだん手を触れない。
狐の像が左右に置いてあれば、像の埃も払う。欠けていたら、欠けたまま祭りを済ませて、あとで神社に相談して替えればいい。慌てて当日に取り替えなくていい。
関東では、初午に祠の前へ幟を立ててきた記録がある。「正一位稲荷大明神」と染めた赤い幟が定番で、神具店や稲荷社の授与所で手に入る。立てる場所は祠の左右か、入口の脇。竿は祠より高くなるよう、地面に挿すか台に立てる。
注連縄が古くなっていれば、この機会に張り替える。注連縄は神具店で祠の幅に合う長さの物を買い、古い縄は神社の古札納所か、どんど焼きの火に納めてもらうと始末に困らない。榊立てがあれば新しい榊を二本用意して、左右に立てる。神社本庁の神棚の案内は、榊は毎日水を替えてみずみずしく保つように、と勧めていた。祠でも同じだ。
米と酒と塩と水に、油揚げと赤飯を添えて供える
供え物の基本は、神棚と同じく米、塩、水、それに酒。神社本庁の案内では、中央に米、次に酒、塩、水の順に並べるのが原則で、場所に合わせて並べ替えてもいいとしていた。
祠の前の台が狭いなら、奥の列に酒の瓶子を二本、手前の列に左から水、米、塩の三枚の皿を置けば収まる。皿は白い土器か、白い小皿で十分。高価な物は要らない。米はひとつまみを山に盛り、塩も同じように盛る。
初午には、ここに油揚げと赤飯を足す。これが稲荷らしさだ。辞典の初午の項は、油揚げ、赤飯、団子を初午の供え物として挙げていた。油揚げは焼かず、そのまま一枚か二枚を皿にのせる。赤飯は茶碗に一膳ほどを盛る。
いなりずしを供える家もあるけど、ここは油揚げと赤飯が確かめられた線だ。養蚕をしていた長野、山梨、埼玉では、この日に繭玉を作って神々に供えた。家の祠に繭玉が残る土地なら、それに倣えばいい。
しもつかれ、団子、小豆飯、土地の初午の供え物
栃木を中心とした北関東では、しもつかれを作ってきた。塩鮭の頭、煎り大豆、鬼おろしでおろした大根と人参、酒粕を煮込んだ料理だ。郷土料理の辞典は、二月の初午に赤飯と一緒に稲荷神社へ供える行事食だと書いていた。
旧安蘇郡のあたりではスミツカリと呼び、同じように初午に作った。新潟の南魚沼の六日町では小豆飯と鰊、鳥取の日野郡では米の粉を供えたという記録もある。熊本の各地では初午に市が立ち、湯豆腐やいなりずしが売られた。
家の祠を継いだとき、何を供えてきたかが分からなければ、近所で同じ稲荷を祀っている家に聞くのが早い。分からないまま米と塩と水と酒、油揚げと赤飯で祭っても、筋は外れていない。
供えるのは祭りの朝。祭りが済んだら下げ、家族で分けて食べる。神社の祭りでも、撤饌のあとに直会で神酒をいただく。油揚げを祠の前に何日も置きっぱなしにすると、鳥や猫が荒らすので、その日のうちに下げてほしい。
毎朝の拝み方と、祓詞と略拝詞の唱え方
ふだんの日は、米と塩と水だけで足りる。酒は省ける。水は毎朝替え、米と塩は月の一日と十五日に替える家が多い。油揚げは初午と月の午の日だけにする、という祀り方もある。毎日油揚げを供えると傷んだ物が台に残りやすく、かえって祠の前を汚すので、日を決めて上げるほうが続けやすいはずだ。
朝、顔を洗ってから祠の前に立つ。水を替えて一礼し、二拝二拍手一拝で拝む。寺の稲荷として祀っているなら、拍手は打たず合掌で礼をする。
唱え言葉を入れるなら、神社で広く使われている祓詞と略拝詞が使える。祓詞の前半の原文は「掛けまくも畏き伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に、禊ぎ祓へ給ひし時に、生り坐せる祓戸の大神等」。後半は「諸々の禍事罪穢有らむをば、祓へ給ひ清め給へと白す事を聞こし食せと、恐み恐みも白す」と続く。
読みの前半は、かけまくもかしこき、いざなぎのおおかみ、つくしのひむかのたちばなのおどのあわぎはらに。そこから、みそぎはらえたまいしときに、なりませるはらえどのおおかみたち、と続ける。後半は、もろもろのまがごとつみけがれあらむをば、はらえたまいきよめたまえともうすことを、きこしめせと、かしこみかしこみももうす。
ざっくり言えば、禊ぎのときに生まれた祓いの神々に、災いや罪や穢れを祓い清めてくださいと願う言葉だ。二拝のあとに一回唱え、拍手へ続ける。
時間の無い朝は略拝詞でいい。原文は「祓へ給へ清め給へ、神ながら守り給へ幸へ給へ」。読みは、はらえたまえきよめたまえ、かむながらまもりたまえさきわえたまえ。祓い清め、神の御心のまま守り、幸いをお授けください、という意味になる。
これを三回唱える人が多い。短いので覚えやすい。朝の出がけに祠の前で一礼し、略拝詞を三回唱えて二拝二拍手一拝をするだけなら、一分もかからずに済む。
事務所の神棚に稲荷の札を並べるとき
会社によっては、屋上に社を建てず、事務所の神棚に稲荷の札を祀る。神社本庁の案内では、神棚は清らかで明るく、目線より高い所に設け、札の正面が南か東を向くようにするのが一般的だった。
三社造りの宮形なら、中央に伊勢の神宮大麻、向かって右に氏神の札、向かって左に崇敬する神社の札を納める。伏見や豊川の稲荷の札は、この左の扉に入る。
一社造りの宮形なら、札を重ねる。順番に気をつけたい。一番手前が神宮大麻、その後ろが氏神、さらに後ろが崇敬する神社。稲荷の札は一番奥。
神棚の供え物と拝み方は、祠と同じでいい。朝一番に出社した人が水を替え、二拝二拍手一拝をする。当番を決めて回すと、誰もやらない日ができにくい。神棚を新しく据えるなら、神田明神の出張祭典の種類にもある神棚祭を頼み、札を納めるところから神職にやってもらう形もある。
祠の祭りの当日は、この順番で進める
神職を呼ばずに家族や社員だけで祭る日も、順番は神社の祭りをなぞると迷わない。朝のうちに祠の前へ人が集まったら、代表の一人が前に立つ。家なら主、会社なら社長か総務の長だ。
最初に全員で一礼して、代表が祓詞を唱える。それから供え物を上げる。米、酒、塩、水は前日から置いてあってもいいけど、油揚げと赤飯とその土地の料理は、この場で並べる。
並べ終えたら、代表が二拝二拍手一拝。願いを心の中で述べ、ほかの人も後ろで同じように拝む。代表がもう一度一礼して、供え物を下げたら終わり。酒は小さな杯に注いで皆で一口ずついただき、赤飯と料理は昼に分けて食べる。
関東では、子どもたちが祠の前で太鼓を叩く初午もあった。学齢に達した子が初午に寺子屋へ入った、という土地もある。子どもがいる家なら、太鼓を一つ出して叩かせるのも古い形だ。
神職を招いて祠の祭りをしてもらう段取り
年に一度、または祠を建てた年や直した年は、神職に来てもらうと落ち着く。頼む先は、氏神の神社か、その稲荷の分霊を受けた本社だ。氏子区域でないと出張を受けない神社もあるので、電話で最初に住所を伝える。
東京の神田明神の出張祭典は、一週間前までの申し込みを勧めていて、同じ月に二つ以上の仮予約はできないとしていた。初穂料は当日納めで、祭壇と神饌と玉串をこちらで用意すれば五万円、神社が持ってくれば七万円。神職は二人で来る。額は神社によってかなり違うので、一つの例として見てほしい。
こちらで用意する物は、清酒を四合瓶か一升瓶で一本。神酒をいただくなら、紙コップを人数分。神職が着替える控えの部屋も一つ空けておく。
祭壇を自分たちで組むなら、どんな台と品が要るかを電話で聞き、前の日までに神具店でそろえておくと当日が楽になる。聞くのはただだ。神田明神の案内では、迎えの車は祭典の三十分前に神社へ回すことになっていた。
祭典は二十分ほどで済む。短い。神田明神の出張祭典は、開式の辞、修祓、降神で一拝、献饌、祝詞奏上、清祓と進む。そのあと玉串拝礼、撤饌、昇神で一拝、閉式の辞、神酒拝戴で、全部で十一段だった。施主が動くのは修祓で頭を下げるとき、降神と昇神の一拝、それに玉串拝礼くらい。
玉串拝礼では、神職から玉串を両手で受け、根元が手前になるよう右手で上から持つ。祠の前の案まで進んだら、時計回りに回して根元を神前へ向け、案に置く。二拝二拍手一拝をして下がる。会社なら社長、家なら主が先に上げ、あとは名前を呼ばれた順だ。
祭りを休んだ年や、祠が荒れていたときの手当て
喪中や急な用で初午に祭れなかった年は、二の午か三の午に回せばいい。二の午、三の午まで祭る土地があったのだから、ずらすこと自体は筋から外れていない。
何年も手入れされないまま祠を引き継いだときは、いきなり供え物を並べるより、先に神社へ相談する。清祓という形で、祠と周りを祓ってもらえる。神田明神の出張祭典の中にも、清祓の段がちゃんと入っていた。
中に何が祀られているか分からない祠もある。札が朽ちて文字が読めない、どこの稲荷から分けたか誰も知らない、という例だ。これも自分で開けて調べず、神職に来てもらってから見てもらう。何年も祭りが途切れていた祠でも、一度祓ってもらってから初午の祭りを始め直せば、その年から元どおりに祀っていける。正直、ここは自分で済ませたくなるところだ。
会社の稲荷は、伏見の講に入る手もある
社屋の屋上や敷地の稲荷を長く祀るなら、分霊を受けた本社とのつながりを保っておくと、毎年の札に困らない。伏見稲荷大社の場合、講員という形がある。
大社の講員加入の案内では、正講員が毎年二千円以上、特別講員が三千円以上、名誉講員が七千円以上の講費を納める。入ると講員証と一代守、撤下神饌が授与され、本庁の台帳に載る。毎日朝夕の二回、本殿で家内安全と生業繁栄が祈られる。
年末には新年から祀る特別神札が授与される、と案内にあった。講員大祭は毎年、体育の日にあたるスポーツの日の前々日と前日に行われる。参列すれば記念品と撤下神饌と稲荷暦をもらえ、行けなくても記念品と暦は届く。会社の社の札を毎年ここで替える、というやり方もできるわけだ。
初午の日に火を控える言い伝えと、やってはいけないこと
初午の日が早い年は火事が多い、という俗信が全国にあった。それで初午の日に火を使うのを控えた土地がある。茨城や福島では茶を飲まない、風呂を沸かさないといった形で残っていた。
津軽では屋根に水桶を上げたり水をまいたりした。鳥取の南東部では茶釜を洗って乾かしておいた、という記録もある。祠の前のろうそくを長く灯しっぱなしにしないのは、今の祀り方でも守っておきたい。
祠の中の札や神体を、自分で取り出して拭くのはやめる。これは守る。汚れが気になるなら、祭りのときに神職に頼めばいい。祠を移す、取り壊す、建て替えるときも同じで、神社に相談して、遷座の祭りや魂抜きにあたる祭りをしてもらってから手をつける。
狐は稲荷の使いで、大社の答えでは野山の狐とは別のもの。目に見えない眷属だという。狐の像に供え物を分けて置く必要はない。像そのものを拝むのとも違うので、拝むときは祠の扉の正面に立ち、狐の像には埃を払うくらいで向き合えば足りる。
古い札としるしの杉を、次の初午の前に納める
一年祀った札は、受けた神社の古札納所へ納めて焚き上げてもらう。家で燃やさない。神社本庁の案内では、大晦日から小正月の十五日までの左義長やどんど焼きで、正月飾りと一緒に古い札が焚かれてきた。
稲荷の札は、初午に受けて初午に替える家も多い。その場合は新しい札を受けに行くその足で、古い札を持っていけばいい。豊川稲荷では、古い札は納符堂に納めるよう案内していて、札とお守りとだるまのほかは入れないように、とあった。
しるしの杉も、翌年の初午に新しいものを受けるとき、大社へ持っていって納めるのが筋だ。遠くて行けないなら、近くの氏神の古札納所へ。受けた社がどこか分かるよう、紙に書いて一緒に包んでおく。近くの氏神に古札納所が見つからないときは、社務所に声をかけて、よその神社の札でも受けてもらえるかを確かめておく。断る社もある。
