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百物語の始め方と終わらせ方、青い紙の行灯と灯心百筋の用意から九十九話で止めて明けを待つまで

了意が書き残した四つの決まり

寛文六年に出た浅井了意の仮名草子『伽婢子』の巻十三に、「怪を話ば怪至」という短い一話がある。読みは「くわいをかたればくわいいたる」。了意はその頭で、怪しい話を百集めて語れば必ず怪しい事が起こると断ってから、百物語のやり方を書き留めた。今に残る百物語の手順のなかで、いちばん古くて具体的な記録がこれだった。

原文はこう。「百物語には法式あり。月暗き夜、行灯に火を点じ、其行灯は青き紙にてはりたて、百筋の灯心を点じ、一つの物語に、灯心一筋づつ引とりぬれば」。法式は「ほうしき」、引とりは「ひきとり」と読む。月の暗い夜に青い紙を張った行灯をともし、火皿に灯心を百筋入れて、一話ごとに一筋ずつ抜いていけ、という意味になる。

続けて了意は、座がだんだん暗くなり、青い紙の色が移ろって気味の悪い様子になると書いた。話の本筋では、臘月の初め、風が激しく雪の降る夜に、下京の五人が青い小袖を着てこの法式で語り始める。六十、七十話まで進んだところで窓の外に光が現れ、座の真ん中で白い塊になって天井に張りつき、畳へ落ちた。五人は気を失い、家の者に介抱されて目を覚ましたという。

決まりは四つだけだった。月の暗い夜、青い紙の行灯、灯心百筋、一話ごとに一筋。この四つを芯にして、後から足された型は出典を分けながら組み立てていく。

鏡と三間の型は出典を分けて覚えておく

事典やネットでよく見る百物語の作法は、了意の四つよりずっと細かい。新月の夜に三間続きの部屋を使い、並びは鉤の手がよいという。語る部屋と隣の間は灯を置かず、一番奥の間に灯心百筋の行灯と文机を据えて、机の上に鏡を置く。参加者は青い衣を着て、刀を差さずに入り、危ない物は部屋から出しておく。

語り終えた者は手探りで隣の間を抜け、奥で灯心を一本抜いて消し、鏡で自分の顔を見てから元の座に戻る。九十九話で止めて朝を待つ、という決まりもこの型とひとまとめにして語られることが多い。こうした細部は、よく『伽婢子』の作法として紹介されてきた。

本文を読むと話が違った。了意は、鏡を置けとも、三間を使えとも書いていない。鏡という字は、光の塊を鏡か鞠のようだとたとえた一か所に出てくるだけだった。刀を外せという指示も無いし、九十九話で止めろという文も無い。青い衣だけは、五人が青い小袖を着ていたという形で本文に出てくる。

刀については逆の記録もある。延宝五年の怪談集『宿直草』の百物語では、九十九話まで来たところで天井から大きな手が出た。座の一人が刀を抜き、その手を斬った。落ちていたのは三寸ばかりの蜘蛛の足だったらしい。魔よけに刀を飾る流儀もあったという話も伝わっていて、刀の扱いは座によって割れていた。

手順として言い切れるのは、了意の四つと、九十九話で止めて明けを待つ習いまで。鏡と三間と帯刀の決まりは、後から広まった型として分けて扱う。この先の段取りも、どちらの型に拠るかを書き添えておく。

月の暗い夜を選び、始まりの刻限を逆算する

日取りは「月暗き夜」が条件になる。暦で新月の日を探して、その前後の晩を選ぶといい。新月の当日と翌日の晩なら、月は日の入りとほぼ同じころに沈み、夜通し空に月の出ない時間が続く。

旧暦の月初めなら細い月は宵のうちに沈むので、夜半から明け方まで空に月が無い。旧暦で日取りを数えていた江戸の人にとって、月の暗い夜を選ぶのは暦の日付を見るだけで済む手軽な決まりだった。了意の話は臘月の初め、今の暦でいえば真冬の出来事だった。雪の夜。

季節の決まりは無い。夏の遊びという印象は、正直なところ明治の文士の怪談会や芝居の季節から来たものかもしれない。鴎外の短編「百物語」でも、会の誘いが来たのは川開きの前日で、夏の催しだった。押さえておくのは月の暗さだけでいい。

刻限は、終わり方をどちらに置くかで決まる。平凡社の世界大百科事典は、灯を百ともして一話ごとに消していく形を紹介した。丑三つごろに百の灯を皆消すと怪異が現れる、という言い伝えだった。九十九話で止めて明けを待つ型なら、九十九話目が明け方に届くように始める。

一話を五分で語っても、九十九話なら八時間を超える。灯心を抜く間や休みを足せば九時間ほど見ておきたい。冬至のころの夜は十四時間ほどある。だから日暮れすぐに始めると九十九話目は丑三つのあたりに来る。そこから明けまで、さらに四、五時間を座で過ごす計算になる。

語り手は五人前後、座に入らない番を一人置く

語り手の数に決まりは無い。『伽婢子』は五人、『諸国百物語』の序では信州諏訪の浪人を中心に三、四人の若侍が集まったことになっている。百話を五人で回せば一人二十話、十人なら十話。五人から十人くらいが、持ち話を無理なくそろえられる数になる。

座の中で役を三つ決めておく。これが肝。話の数を数える係、灯の番、順番を回す係。

数える係は手元の紙に一話ごとに正の字を一画ずつ書き足していく。九十九で止める型では、数のずれがいちばん困る。一つずれたら終わり。

座に加わらない見張りも一人置く。『伽婢子』の五人を介抱したのは、会に入っていなかった家の者だった。座の外にいた人。全員が座に入ると、何かあった時に明かりを持って外から入れる人がいなくなる。

見張りは別の部屋で起きていて、火の用心と戸締まりと、明けの声かけを受け持つ。会の間は座敷へ入らない。一度も。見張りの部屋にも懐中電灯を一つ置き、油切れや停電で座が真っ暗になった時はそれを持って襖を開けてもらう。明け方になっても座から声がかからなければ、見張りが襖を開けて様子を見る段取りにしておく。

持ち話を集めて題を紙に書き出す

語る中身は、了意の言う「人のいひ伝へし怖ろしき事、恠しき事」になる。土地の言い伝え、古い本で読んだ話、人から聞いた話。『諸国百物語』の序も、諸国の話を持ち寄って語った形を取っていた。

集まる前に、めいめいが持ち話の題だけを紙に書き出して幹事に渡す。一人あたり十話から二十話になるので、書き出しは会の一週間ほど前までに済ませておくと割り振りが楽になる。幹事は重なりを確かめ、同じ話が二度出ないように割り振っておく。同じ話が二度出ると一話として数えるかどうかでもめるし、座の空気も切れやすい。

了意は話の結びに、中国の古い言葉を引いていた。原文は「白日に人を談ずることなかれ。人を談ずれば害を生ず。昏夜に鬼を語ることなかれ。鬼を語れば怪いたる」。

読みは「はくじつにひとをだんずることなかれ、ひとをだんずればがいをしょうず」。後半は「こんやにおにをかたることなかれ、おにをかたればかいいたる」と読む。

意味は、昼に人のうわさをすれば害が生じ、夜に鬼を語れば怪しいものが来る、ということ。夜に鬼を語るのはこの会の目当てだから構わない。けれど、その場の誰かや身近な人を名指しした悪口を怪談に仕立てるのは、持ち話の段階で外しておく。

行灯一張りと灯心百筋、油と青い紙をそろえる

了意の型で要るのは、行灯が一張り、灯心が百筋、油、青い紙。行灯は木や竹の枠に和紙を張り、中に油を入れた火皿を置いて灯心に火をともす作りをしている。油は菜種油が上等で、魚の油は安いかわりに煙と臭いが強かった。

灯心は細い藺草の芯の、白くて軽い髄。仏具店で灯明用の灯心として今も売っている。辞書の用例には灯心を百二十筋束ねた例も出てくるので、筋を数でそろえる感覚は昔からあった。百筋は数え違えやすいから、十筋ずつ糸でゆるく束ねて十束にしておくと扱いやすい。

百筋を一度に火皿へ入れると、炎はふだんの灯明よりずっと大きくなる。火皿は深めの素焼きの皿を選び、行灯の真ん中に据えて、周りの紙から炎を十分に離す。行灯は、火皿に手を入れる口のある面を座のほうへ向けて置き、語り手が灯心を抜きやすいようにしておく。油差しを行灯の脇に置き、始めの一時間は灯の番が炎の丈を見て灯心の出しかたを整える。

青い紙は、薄い藍色の和紙がいい。紙が薄いほど、灯が細るにつれて色が移ろうのが目に見える。安永十年に出た鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』も、青行灯の図の添え書きで、昔から百物語をする者は青い紙で行灯を張ると書いていた。了意から百年あまりたっても、青い紙の決まりは生きていた。後の型を取るなら、顔が映る程度の手鏡か鏡台と、それを載せる文机を一つ足す。

一間なら行灯を囲み、三間なら鉤の手に割る

了意の型なら部屋は一つで足りる。下京の五人も、一つの座敷に集まっていた。部屋の真ん中に行灯を一つ置き、全員がそれを囲んで座る。語る順番は座った並びで時計回りに決め、途中で入れ替えない。

後の型なら、三間続きか二間続きの部屋を使う。手前の間に全員が座り、真ん中の間は灯を置かずに暗くしておく。一番奥の間に行灯と文机を据え、机の上に鏡を立てる。鉤の手の並びがよいとされるのは、手前の座から奥の灯がじかに見えないようにするためかもしれない。

どちらの型でも、語る部屋にほかの明かりは入れない。電灯を消し、雨戸か厚いカーテンで外の光を切る。月の暗い夜を選ぶのも、外から差す光を減らす意味があったのだと思う。

明治の座も同じ。鴎外の「百物語」では、庭に開けていた座敷に障子を立てさせ、客を一間に集めてから怪談を始めさせていた。狭くても一つの部屋に寄せる。これが昔からの運びだったわけだ。

始める前に火の元と刃物と足元を片づける

後の型の決まりでは、参加者は青い衣を着て、刀を差さずに入る。今なら、はさみや包丁のような刃物を部屋の外へ出しておくことにあたる。服は、青い小袖にならって青い上着を一枚羽織る程度で十分。五人がなぜ青い小袖をそろえたのか、了意の本文は理由を書いていなかった。

暗い中を手探りで歩くので、座布団、湯呑み、鞄のように足に引っかかる物は壁際へ寄せる。三間の型では、手前から奥の間まで歩く道筋を明るいうちに一度たどっておく。敷居の段差や柱の位置を、全員が体で覚えておくと転ばない。

見張りには、水を張った桶か消火器を行灯のある部屋のすぐ外に置いてもらう。火災警報器は切らない。念のため、窓の鍵の場所も確かめておく。灯の番は油と灯心の替えと火消し用の小皿を手元にそろえて、それから行灯に火を入れる。

百筋すべてに火を入れてから語り始める

了意の書き方では、百筋の灯心をまとめて点じてから語り始めていた。百筋全部だった。灯の番は油を火皿に満たし、灯心の束をほどいて火皿に並べ、先をそろえて縁から出す。火をつけたら炎が落ち着くまで少し待つ。慌てない。

火が落ち着いたら、見張りが部屋を出て襖を閉める。ここから先、座敷の出入りは決めた休みの時だけ。語り手は決めた並びで座り、灯の番は行灯のすぐ脇に座を取る。三間の型なら灯の番は奥の間に一人で詰めず、手前の座にいて、油を足す時だけ手探りで奥へ通う。

一話目は、幹事か座の年長者が受け持つとまとまりやすい。了意の話の五人も、夜が更けるのを待ってから語り始めていた。家の物音が静まってから一話目に入るほうが、灯の変わりようが分かりやすい。

一話語るごとに灯心を一筋引き取る

一話語り終えたら、語った本人が火皿から灯心を一筋抜く。了意の言う「引とり」がこの動き。抜いた灯心は火のついた先を火皿の縁で押さえて消し、脇に置いた小皿へ順に並べていく。急がない。小皿に並べておけば、数の係と話がずれた時も皿の上の本数を数え直して元へ戻せる。

後の型なら、語り終えた者が立ち上がり、暗い真ん中の間を手探りで抜ける。奥の間で灯心を一本抜いて消し、鏡に自分の顔を映してから、また手探りで元の座へ戻る。戻った者が座り直したのを見届けてから、次の語り手が口を開く。

灯心を抜いたら、数える係が正の字に一画足して、今の数を小声で読み上げる。語り手と数の係の両方が同じ数を口にしておくと、夜中にずれた時に気づきやすい。

一話の長さに決まりは無い。短い言い伝えでも一話は一話。長い話ばかりが続くと九十九話が明けに間に合わないので、幹事は時計を見ながら、短い話を持つ人に番を回していく。

休みと酒肴と座を立つ人の決め事

一晩の長丁場なので、休みの取り方を先に決めておく。『宿直草』の座でも、九十九話まで来たところで酒と肴を配っていた。座は酒宴を兼ねていた。区切りの数を二十話ごとなどと決めて、休みの間は灯心を一筋も減らさない。

手洗いなどで座を立つ人が出たら、語りをいったん止めて戻るのを待つ。灯心は語り終えた話の数だけ抜くものだから、待つ間は火皿に手をつけない。戻る人は灯の番に一声かけてから座る。

語りの途中で話に詰まった人は、次の人に番を送ってもいい。その場合も灯心は抜かず、話し終えた時だけ抜く。数と灯心の本数がいつも同じになるようにしておく。話を飛ばした人の番は後で回し、その人が語り終えた時に一筋抜けば、数も灯心も狂わずに九十九まで進められる。

語った話に誰かが一言添える型もあった。貞享三年の『古今百物語評判』では、京の六条にあった山岡元隣の家で一座が順に怪談を語り、元隣が一話ずつ理屈をつけて答えていた。座に物知りがいるなら、この運びを借りて一話ごとに短い評を入れてもいい。灯心は評が済んでから抜く。

九十九筋目を抜いたら語りを止める

九十九話目を語り終え、九十九筋目の灯心を抜いたら、そこで語りを止める。火皿に残るのは灯心が一筋。座は一晩でいちばん暗くなっている。

百話目は誰も語らない。残った一筋の火も消さない。日本国語大辞典は、最後の一本を消した時に妖怪が現れるとされた、と書いていた。

消さなければ、その時は来ない。百物語をした人たちは本当に怪異が出るのを恐れて九十九話でやめた、と伝えられている。延宝五年の『諸国百物語』が、百話目にわざわざ百物語をして富貴になった話を置いたのも、魔よけの意味だったと見る説がある。

丑三つに百の灯を消し切る型を取った座は、この習いと逆の道を行くことになる。了意の話でも、異変は百話を待たずに六十、七十話で起きていた。百は遠かった。百話目まで語るかどうかは、始める前に全員で決めておく。途中で変えない。

残る一筋を守って明けを待つ

九十九話で止めたら、そのまま座って夜明けを待つ。ここからが長い。冬なら四、五時間。灯の番は油が切れないように足し続け、一筋の灯を明けまで保つ。灯心が一筋だけになると炎は細くなるので、先を少しずつ送り出して火が絶えないように見守る。

明けを待つ間は、もう新しい話は語らない。小声の世間話くらいは構わないけれど、怪談は出さない。九十九で数を止めた意味が崩れてしまうから。

眠り込む人が出ても、灯の番と見張りだけは起きている。眠気は来る。座を離れたくなった人は、見張りに声をかけてから部屋を出る。一人で暗い廊下を歩かせない。見張りが付き添う。

『宿直草』の座は、九十九話で天井から出た手を斬った後、落ちた蜘蛛の足を百話の験だと受け取っていた。灯が一筋になった後に物音や気配があっても、座を立って追いかけない。見張りに声で知らせて、明けまでは座にとどまる。

雨戸の隙間が白んできたら、見張りが外から声をかける。それが合図。了意の話で五人を起こしたのも、外にいた家の者だった。明けの声は、座の外から入れるのが筋になる。

朝の光を入れてから最後の灯を消す

朝が来た。雨戸やカーテンを開けて、光を部屋に入れる。部屋のすみずみまで光が届いたのを皆で見届けてから、火皿に残った最後の一筋を消す。仏前の灯明にならって、息で吹かずに手であおぐか、火消しで押さえて消す家もある。

後の型で奥の間に鏡を置いたなら、灯を消した後に布で拭き、伏せるか袋に入れて元の場所へ戻す。鏡はそのまま出しっぱなしにしない。三間の襖は開け放ち、部屋の並びを会の前の形に戻す。外へ出しておいた刃物や道具も片づける。

灯心と青い紙と油の後始末

了意の本文にも『諸国百物語』にも、百物語の後始末の決まりは出てこない。江戸の本が書いた終わり方は、九十九話で止めて朝を待つ、まで。そこから先は書かれなかった。後始末は、火の用心と気持ちの区切りを兼ねた段取りとして組んでおく。

灯心は燃え残る。抜いた九十九筋の灯心と最後の一筋は、先が冷えたのを確かめて、ひとまとめに半紙で包む。火皿に残った油は古布か新聞紙に吸わせる。油を吸った布は丸めたまま置くと熱を持つことがあるから、水で湿らせて袋に入れてから捨てる。青い紙は行灯から剥がし、同じ紙を次の会に使い回さない。

包みと紙は、燃えさしが完全に冷えたのを確かめてから、住まいの決まりどおり可燃ごみに出す。灯心は藺草で紙も和紙なので、自治体の分け方では燃やすごみに入るのがふつうで、特別な出し方は要らない。気になるなら、近くの神社や寺のお焚き上げに持ち込む手もある。受けてもらえる品や納め料は社寺ごとに違うので、社務所や寺務所で先に聞いておく。

塩をまく、盛り塩をするという締め方は、今の怪談イベントや心霊番組でよく耳にする。けれど江戸の百物語本には出てこない。やるなら後から足した区切りの一つとして、部屋の四隅に少しずつ置いて翌朝に片づける程度にとどめる。

途中で妙な事が起きた時に止める運び

途中で妙な事が起きたと皆が感じたら、九十九話を待たずに語りを止めていい。数をそろえることより、引き返す所を守るほうが百物語の作法に沿っている。止めると決めたら灯心はもう抜かず、残った筋の数のまま灯を保つ。止めた時の数は数える係が紙に書き留め、明けに灯を消す前に皆でその数を確かめてから片づけに入る。

止めた後は電灯をつけず、九十九話で止めた時と同じように座って明けを待つ。怖くなって帰りたい人が出たら、見張りが明かりを持って迎えに入り、玄関まで送る。座に残る人の灯は消さない。

具合の悪くなった人が出た時は、話も灯も後回しにして電灯をつけ、手当てを先にする。『伽婢子』の五人を起こしたのも、明かりを持って入った家の者だった。見張りを置くのは、この時のためでもある。

区切りに略拝詞を唱えて座敷を返す

江戸の百物語本に、会の後で唱える祓いの詞は出てこない。それでも区切りをつけたいなら、神社で広く使われている略拝詞を唱える形がある。家に神棚があればその前で、無ければ氏神の社の方角を向いて唱える。

唱える詞は短い。原文は「祓へ給ひ清め給へ 神ながら守り給ひ幸へ給へ」。読みは「はらえたまい きよめたまえ かむながら まもりたまい さきわえたまえ」。お祓いください、お清めください、神の御心のままにお守りください、お恵みください、というほどの意味になる。

二拝してから略拝詞を唱え、二拍手一拝で終える。声は小さくていい。回数の決まりは無く、一度でいい。唱え終えたら、行灯と灯心の包みを部屋から運び出し、灯の番が最後に座敷を出て襖を閉める。見張りに一声かけて夜通しの番をねぎらえば、一夜の百物語はそこで終わる。

蝋燭や電池灯に置き換える段取り

油と灯心をそろえるのが難しい時は、蝋燭に置き換えるのが昔からの手。辞書の説明でも、蝋燭を百本立てる形と、行灯に灯心を百筋入れる形の二つが並んでいる。鴎外の「百物語」の座でも、ランプをやめてわざわざ燭台に蝋燭を立てていた。明治の話だった。

蝋燭の型では、燭台か金属の盆に百本を間を空けて立て、一話ごとに一本ずつ消す。蝋燭は太さで燃える時間が違うので、九時間もつものを選び、途中で燃え尽きた分は灯の番が同じ数だけ立て直す。百本の火がそろうと熱が強いので、盆の下に耐熱の板を敷き、カーテンや紙から十分に離す。数に不安があれば、十本を一組にして十組に分けて並べる。

火を使えない部屋なら、小さな電池式の灯りを百個並べて一つずつ切る。灯りの色を青にそろえると、青い紙の行灯の色合いに近づく。電池の灯りは一つずつの明るさが強いので、白い紙で覆って光をやわらげると、灯心の火が細っていく感じに少し近くなる。仕組みが変わっても、一話で一つ減らす、九十九で止める、最後の一つは明けまで残す、の三つは変えない。

片づけは火の型と同じ。順番も変わらない。朝の光を入れてから最後の一つを消し、燭台の蝋を掻き落として紙に包む。電池の灯りは電池を抜いてからしまう。

寺や神社に頼んで区切りをつける場合

会の後でどうしても気持ちが落ち着かない時は、自分で祓いの真似をするより、氏神の社で祈祷を受けるほうが筋が通る。社務所で申し込み、神職に事情を短く伝えて、祓いやお清めの祈祷をお願いする。日取りは社の都合に合わせ、予約の要る社もある。祈祷は会の翌日でなくてもよく、区切りがついていないと感じた時に社の都合のいい日を選べば足りる。

祈祷料の包み方も決まっている。祈祷料は初穂料として、のし袋か白い封筒に入れる。表書きは「御初穂料」、下に自分の名前。金額は社ごとに決まっているので、申し込みの電話で聞いておくといい。

当日は手水で手と口を清めてから社務所へ行き、案内に従って昇殿する。祈祷の後に授かったお札は神棚か目線より高い棚に祀り、一年ほどたったら同じ社の古札納め所へ返す。灯心の包みを一緒に納められるかどうかも、その時に聞いておけば手間が一度で済む。お焚き上げだけを頼む時は、包みに何の品かを書いた紙を添え、百物語で使った灯心だと受付で一言伝える。

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