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稲荷山のお塚参りと稲荷下げの頼み方、ろうそくの上げ方から授かった神名の祀り方まで

煤けた燭台と一万の石碑

稲荷山の中腹には、神の名を彫った石がびっしり並ぶ場所がある。白菊大神、白龍大神、末広大神。前には小さな朱の鳥居が差され、鉄の燭台はろうそくの煤で黒い。伏見稲荷大社は、信者が自分の信仰で表した神名を刻んで納めた石を「お塚」と呼ぶ。その数はいま一万を数えるという。

この石の前で、講の人たちは経を読み、行者はときに神を身に降ろしてきた。世界大百科事典の稲荷信仰の項によれば、民間の宗教者は稲荷神を守護神にまつり、稲荷下げ、稲荷降しと呼ぶ託宣をよく行う。狐を病や不幸の原因とみて、稲荷を祀り直すよう指導する例まで挙げている。

明治の新拝所から一万基まで

お塚は古い習俗に見えて、広まったのは明治からだ。神仏分離で堂を失った信者が山に拝所を作り始め、明治二年の『月番雑記』には早くも「新拝所」の語が出てくる。明治三十五年に境内へ戻った山で数えると、六百三十三基あった。

昭和七年の『御塚台帳』で二千二百五十四基。昭和四十一、二年の調べでは山全体で七千七百六十二基まで増えた。大正十二年からは新設が止められ、昭和三十七年に山林が返されたのを機に、再び建てられるようになったという。

山の茶店も同じ流れの中にいた。明治三十五年、神社は山内の茶店二十一軒に番号を付け、神蹟まわりの掃除を受け持たせた。宗教学の論考は、茶屋を宿坊や伊勢の御師に似た、信者の一団を山で迎える窓口だったと書いている。お塚参りの段取りは、いまも茶屋を軸に回る。

本殿で手水を使い、二拝二拍手一拝を体に入れる

お山は本殿から始める。手水は右手で柄杓を取って左手を清め、持ち替えて右手を清めた。もう一度右手に持ち替えて左の掌に水を受け、口をすすぐ。伏見稲荷の参拝案内が示していたのは、この順番だった。

本殿では鈴を鳴らし、賽銭は投げずに近くから静かに入れる。拝礼は二拝二拍手一拝。腰を九十度ほど折って二度深く頭を下げ、二度手を打ち、最後にもう一度頭を下げる。山の上の神蹟でも塚の前でも同じ形を繰り返すので、ここで一度ゆっくりなぞっておきたい。

祈祷を受けてから登るなら祈祷受付へ

祈祷を受けてから山へ入りたい人は、本殿の左側にある祈祷受付へ行く。申込用紙に住所、屋号、名前、願い事を書き、初穂料を添える。祈祷は八時半から十六時半まで随時で、受付は十六時ごろまでに済ませるよう大社は案内していた。正月や祭典の日は時間が変わる。

初穂料は小供三千円、中供五千円、大供一万円、本供二万円。その上に小神供三万円、中神供五万円、大神供十万円が並ぶ。本殿で祈祷を受けたら玉串を捧げて拝礼し、直会を受けて、神札と御供物を授かって終わる。願意の欄には商売繁昌、家内安全、厄除、心願成就などが載っていた。

授かった神札は、山を回るあいだ汚れない袋に入れておく。お塚参りを先に済ませて下山後に祈祷を受ける順でもいいけれど、十六時の締め切りを考えると、登る前のほうが慌てずに済む。山は一周二時間前後と見ておく案内が多い。

茶屋でろうそくを求め、供え物は持ち帰る前提でそろえる

お塚に上げるろうそくは、山の茶屋で求める。熊鷹社の前では、向かいの茶屋で和ろうそくを買い、社前の燭台にずらりと並べて供えるのが定番になった。眼力社の案内によると、山の茶店には年末になると年始の縁起物と一緒にろうそくが補われるらしい。山の灯りを支えているのは茶屋なわけだ。値は店で聞く。

火の扱いには線がある。大社の参拝者向けのお願いは、喫煙と火気の使用を禁止事項に挙げていた。塚のろうそくは、社や茶屋が据えた燭台に立てる形にとどめる。自前の火で線香の束を焚いたり、燭台のない場所に火を置いたりするのはやめておく。

供え物は洗米、塩、水、御神酒の小瓶あたりが基本になる。神棚の日供を米、塩、水の最少三品とする神社庁の説明と同じ考え方で、山でもそれで足りる。油揚げや卵を置く人もいるけれど、お供え物は持ち帰ってほしいという注意書きが山に出ていた。

持ち帰る前提なら、洗米と塩を入れる蓋付きの小さな器と、下げた物や燃えさしを入れる袋を一つずつ用意しておく。石段が延々と続くので、靴は歩き慣れたものを。滝に入る行者は白衣に着替えるが、お塚参りだけなら服の色は問われない。

千本鳥居から四ツ辻へ、回る向きを決める

本殿の奥から千本鳥居に入る。大社の説明では、鳥居の奉納は江戸時代の後期ごろから、願いが通る、通ったという祈願と感謝の証しとして広まった。抜けた先の奥社奉拝所はお山を遥拝する場所で、山まで登れない人はここで拝んで帰っていい。

熊鷹社、三ツ辻を過ぎて四ツ辻に出ると、道はそこで輪になる。見晴らしがいい。御膳谷の側へ進む時計回りと、三ノ峰から上がる逆回りがあり、どちらでも四ツ辻へ戻ってこられる。自分の家の神の塚が決まっているなら、その塚に近い側から入ればいい。

七神蹟は一ノ峰、二ノ峰、間ノ峰、三ノ峰、御劔社、御膳谷、荒神峰の七つ。山頂が一ノ峰。一ノ峰に末広大神、二ノ峰に青木大神、三ノ峰に白菊大神の親塚があり、どれも明治のうちに神社が場所を定めて建てたものだ。個人のお塚はその周りに寄り集まった。神蹟を順に拝めば、たいていの塚の前は通る。

時計回りなら、四ツ辻から大杉社、眼力社と進む。眼力社は先を見通す力を授ける神として商売人に好まれ、周りにもお塚が固まっている。御膳谷から奥へ下れば清滝、その先に薬力社と薬力の滝があり、上がると御劔社の神蹟と焼刃の水に出た。

一ノ峰で末広大神の親塚を拝み、二ノ峰、間ノ峰の荷田社、三ノ峰と下っていく。間ノ峰には奴袮鳥居という珍しい形の石の鳥居が立つ。荒神峰の田中社は、四ツ辻から三ツ辻へ下る途中の脇にある。これで七つ。

御膳谷奉拝所は三つの峰の谷合いにあたり、山の神々に神饌を供えてきた場所だった。いまも朝夕の日供が続いている。塚を一つずつ回る時間のない日は、正直ここで十分。ここで山全体に向けて拝礼して引き返す人もいる。

塚の前を掃いてからろうそくを立てる

目当ての塚の前でほかの講が拝んでいたら、終わるまで少し離れて待つ。空いたら落ち葉を払い、倒れた燃えさしを片付け、倒れた小鳥居があれば起こす。明治に茶店へ神蹟まわりの掃除が割り当てられたように、掃除は参りの一部として扱われてきた。

燭台の空いた釘にろうそくを差す。火が供え物や奉納の幟にかからない位置を選んでおく。火は最後まで見る。器に洗米と塩を盛り、水と御神酒を並べたら、一歩下がって姿勢を正し、炎が落ち着くのを待つ。

拝礼は本殿と同じ二拝二拍手一拝。続けて祓詞か略拝詞を唱え、経を読む人はそのあと般若心経や稲荷心経を重ねる。お塚の前にひざまずいて般若心経や稲荷心経を唱える人の姿は、伏見稲荷大社を説明する百科事典の記事にも書かれていた。

最後に石に刻まれた神名を声に出して呼び、願いを一つか二つに絞って申し上げる。願いは短く。終えたら一礼。塚を三つ四つ回るなら、掃除から一礼までを塚ごとに繰り返す。

祓詞と略拝詞を声に出す

祓詞は神職が祭の初めに読む言葉で、家の神棚の前でも使われる。前半の原文は「掛けまくも畏き伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に」。後半は「生り坐せる祓戸の大神等 諸々の禍事罪穢 有らむをば」と続いた。結びは「祓へ給ひ清め給へと 白す事を聞こし食せと 恐み恐みも白す」。

前半の読みは「かけまくもかしこき いざなぎのおおかみ」。続けて「つくしのひむかの たちばなのおどのあわぎはらに みそぎはらえたまいしときに」。後半は「なりませる はらえどのおおかみたち もろもろのまがごとつみけがれ あらむをば」。結びは「はらえたまいきよめたまえと もうすことを きこしめせと かしこみかしこみももうす」。

意味はざっくりこうなる。伊邪那岐が禊をしたときに生まれた祓戸の神々に、災いや罪や穢れがあれば祓い清めてください、と申し上げる言葉。塚の前の場を清める役目で読む。覚えるまでは紙を見ていい。

短く済ませたいなら略拝詞でいい。原文は「祓へ給ひ 清め給へ 神ながら 守り給ひ 幸へ給へ」。読みは「はらえたまい きよめたまえ かむながら まもりたまい さきわえたまえ」。祓い清めて、神の御心のままにお守りくださり、幸せをお与えください、という意味になる。

般若心経か稲荷心経を重ねる

稲荷心経は、神仏習合のころ伏見稲荷で祝詞とともによく唱えられた経だ。大社の神宮寺だった愛染寺の初代住持、天阿上人の『稲荷一流大事』に載ると伝わる。仏典の原典には無く、日本で作られた経になる。短い経だ。

冒頭は「本体真如住空理 寂静安楽無為者」。読みは「ほんたいしんにょじゅうくうり じゃくじょうあんらくむいしゃ」。続けて「鏡智慈悲利生故 運動去来名荒神」、読みは「きょうちじひりしょうこ うんどうこうらいみょうこうじん」となる。

本体は真如として空の理に住み、静かで安らかで何もなさない。それでも慈悲で人を利するために動き、行き来するので荒神と名づける。ざっくりそんな意味だ。

後半には般若心経と同じ「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」が入る。読みは「ギャテイギャテイ ハラギャテイ ハラソウギャテイ ボジソワカ」。結びに稲荷の真言「オンキリカクソワカ」を三度唱えて閉じた。

般若心経だけを読むなら、一巻を通してこの羯諦の句で結ぶ。往け往け、彼岸へ往け、悟りよ幸いあれ、というくらいの意味だ。講や行者によって一巻で終える所も、何巻も繰り返す所もある。

稲荷大神秘文を読むなら区切って唱える

稲荷の神前で読む文として、稲荷大神秘文も広く出回っている。ただ、大社の公開の案内でこの秘文を扱う記述は確かめられなかった。読むなら大社の定めた祝詞とは考えず、講や家で伝わってきた文として、その講や家の読み方に合わせるのが無難だ。

書き出しは「夫神は唯一にして御形なし 虚にして霊有り 天地開闢て此方 国常立尊を拝し奉れば」。読みは「それかみはゆいいつにしてみかたちなし きょにしてれいあり」。そのあと「あめつちひらけてこのかた くにとこたちのみことをはいしたてまつれば」と読む。

続きは「天に次玉 地に次玉 人に次玉 豊受の神の流れを 宇賀之御魂命と生出給ふ」。読みは「あめにつくたま つちにつくたま ひとにやどるたま」。後ろは「とようけのかみのながれを うかのみたまのみことと なりいでたまう」。

中ほどには「天狐地狐空狐赤狐白狐 稲荷の八霊 五狐の神の光の玉なれば 誰も信ずべし」の句がある。結びは「夜の守 日の守 大成哉 賢成哉 稲荷秘文 慎み白す」。伝本によって読みの揺れが大きい。

意味をざっくり言うと、姿の無い神が国常立尊から豊受の神の流れを経て宇賀之御魂命として現れ、天と地と人に宿る、という筋。狐たちをその光の玉として信じれば、家を昼も夜も守ってくださる、と結んでいる。

火を消し、供え物を下げて山を下りる

拝み終えたら、ろうそくは自分で消してから離れる。ここは譲れない。燃え尽きるのを待つ必要はない。

山には、参拝後は必ず蝋燭の火を消してくださいという掲示が出ていた。カラスが火の付いたろうそくをくわえて飛ぶ話は昔からある。平成二十五年の暮れには、大社近くのぼやをカラスの仕業と疑う報道も出た。

供え物は下げて持ち帰る。洗米はご飯に炊き込み、塩も捨てずに使うよう神社庁は家の日供について説明していて、山から下げた物も同じ扱いでいい。御神酒は家で頂く。

燃えさしも持ち帰る人が多い。お産場稲荷は四ツ辻から荒神峰へ向かう道の脇にあり、土を盛った塚の周りに月ごとの狐穴が十二掘られている。ここには、神前に残った短い燃えさしを持ち帰って家で灯すと、燃え尽きるまでに子が生まれるという言い伝えがあった。

山を下りたら本殿にもう一度お礼をして、お山は終わり。

神降ろしを頼む先を茶屋と講で探す

稲荷下げは、大社の窓口に頼むものとは別の筋にある。大社の講社の歩みをまとめた児玉権之助によると、講社の細則は支部を宗教の教会と同じ家に置くことを禁じていた。支部で加持祈祷をすることも厳禁だった。大社の講社の支部に神降ろしを頼んでも、筋が違うわけだ。

頼む先は、行者が自分で開いている教会や講の座になる。伏見のまわりでは、そうした行者がオダイさん、ダイサンと呼ばれてきた。神が乗る台、神の代わりに語る者、という呼び名だった。

入り口は茶屋。昭和十一年に講社の奈良支部を作った信者は、一ノ峰の茶店で休むのを常にしていた。その茶店の主の口利きで講社に加わったと記録にある。茶屋に通って顔を覚えてもらい、塚の世話を頼むうちに、講や行者の話が回ってくる流れだった。

頼むときは、家で祀ってきた神の名、屋敷稲荷や神棚の有無、縁のある塚の場所、尋ねたいことを先にまとめて伝える。行者への礼の額は座ごとに違い、公開された相場は確かめられなかった。そこは最初の相談で聞いておくしかない。

行者は座の前にお滝で身を清める

稲荷下げをする行者の多くは、塚の前に立つ前にお滝で水を浴びる。稲荷山のお滝は三十か所を超える。神社が昭和九年に清明舎と一緒に造った清明滝もある。茶店の主や熱心な信者が滝守として住み着き、世話を続けてきた滝もあった。

清明滝の奥は、滝行をする行者しか入れない。清滝は昭和五十二年に境外から境内へ編入された。お滝へ続く細い路地にもお塚がひしめき、滝と塚が一続きの行場になっている。水の音が近い。

頼む側が滝に入る決まりは無い。行場の奥へは踏み込まず、茶屋か行者本人に場の決まりを聞いてから近づく。中井シゲノも、自分の教会とは別に滝寺を行場に持ち、そこで月次祭を営んでいたそうだ。

行者の座で神を降ろす順番

昭和の大阪で教会を開いた女性行者、中井シゲノの座は、フランスの民族学者アンヌ・ブッシイが長く記録した。毎月二十三日の白竜大神の月次祭では、天御中主大神をはじめ八百万の神を降ろし、最後に自分の守護神を降ろした。大きな神から始めて、身近な守護神で締める順番だ。順番が要になる。

大阪府泉南郡田尻町の神徳講では、形がまた違う。講員は五十から六十軒で、二の午の日にイナリヨセを行った。七輪で釜を焚いて釜鳴りを起こし、釜が鳴り始めると、講員それぞれの祀る神がダイサンに順に降りてきた。

ダイサンは榊を手に持ち、般若心経を唱えて神の依り代になったと報告されている。道具は榊と経だけ。寒の時期には寒施行もあった。白飯や小豆飯のおにぎり、煮干し、刻んだ揚げをヘギに包んで供えて回る行事で、置く場所はダイサンに降りた狐が指示した。講員そろっての伏見のお塚参りは、もとは寒の時期で、のちに一月二十五日へ固定されている。

祭壇の組み方、唱え言葉や経典、行者になるまでの過程は、個々の行者の工夫や置かれた事情による部分が多い。ブッシイはそう書いていた。帰し方にも決まった一つの型は記録に見当たらない。座に招かれたら、行者の指図にそのまま従うことになる。

狐が憑いたと言われたときの行者の扱い

同じ中井シゲノの記録には、狐や狐がついた人への対応も残る。般若心経をあげ、病人の口から霊の名前を語らせた。その霊を何々大神と名づけ、守護神として祀らせた。

追い払って終わりにするのではなく、名を与えて祀る側に回す。向きが逆なわけだ。世界大百科事典が書く、病や不幸の原因を狐に求めて稲荷を祀り直させる指導と、同じ筋の手順になる。

名づけられた神名は、家の神棚へ納めたり、稲荷山の塚に刻んだりする先へつながった。山の北谷の茨谷と明心のお塚には、「何々家先祖霊神」「何々家合祖神霊」と刻んだ塚がある。昭和四十年の時点で十七も祀られていたそうだ。

授かった神名を神棚の社に納め、御霊シズメをする

新しい信者の家に出向くとき、中井シゲノはその家の守り神が降りてくるよう祈った。降りた神の名が分かると、家の主が何々大神という神名を神棚の「お社」に納め、御霊シズメを行った。座で聞いた神名は、その場で書き留めておくと後の段取りが楽になる。

神棚は清浄で、明るく静かな部屋の高い所に置く。向きは南か東、あるいは南東。北海道神社庁の問答は、階段の下や人が下を通る出入り口を避け、上が二階の台所や手洗いになる場所も避けるよう書いていた。上に部屋があるなら、宮形の上に「雲」「天」「空」と墨で書いて貼る。

三社造りなら、中央に伊勢の神宮大麻、向かって右に氏神、左に伏見稲荷など崇敬する社の神札を納める。一社造りなら、手前から神宮大麻、氏神、崇敬社の順に重ねた。行者の座で授かった神名は、この崇敬社の並びに加える形になる。

毎日の供え物は米、塩、水の三品。北海道神社庁は、そこへ榊の水を新しくして、ろうそくか燈籠の神燈を灯すよう書いていた。一日と十五日には御神酒や野菜、果物も供える。遠くて山へ通えない人向けに、眼力社はこう案内していた。毎月一日など決めた日に、家から伏見稲荷の方角へ手を合わせて礼を述べれば足りる、と。

講員の申込書を書き、講員大祭に出る

講に入るなら、伏見稲荷大社附属の講務本庁へ申し込む。加入申込書に郵便番号、住所、氏名、年齢、職業、講員の種別を書き、講費を添えて出す。払い方は現金封筒か郵便振替だった。

講費は正講員が年二千円以上、特別講員が三千円以上、名誉講員が七千円以上で、どれにするかは申込書の種別の欄に書く。講費は毎年納める。

加入すると講員証、一代守、撤下神饌が授けられる。以後は本殿で毎日朝夕二回、家内安全と生業繁栄が祈られた。講員大祭に参列すれば、記念品や撤下神饌、稲荷暦が渡される。

講員大祭は毎年、体育の日の前々日と前日に行うと案内されている。いまのスポーツの日にあたる。年末には新年から祀る特別神札が届き、機関紙『大伊奈利』も年四回送られてくる。昭和二年に講社が発足したときは、百名以上の講員をまとめれば支部を立てられる決まりだった。

お塚や鳥居を建てたいときの問い合わせ先

お塚の新設は、大正十二年から止められ、昭和三十七年から再び許されるようになった経緯がある。いまの受付の仕方、石の寸法、費用は、大社の公開の案内では確かめられなかった。建てたいなら、社務所か縁のある神蹟の茶店に相談し、場所、刻む神名、その後の世話を誰が見るかまで詰めていく。

鳥居の奉納は窓口がはっきりしている。社務所の管理課が受け、稲荷山の神蹟の各茶店でも取り扱う。社務所の受付は九時から十六時だった。

額は大きい。初穂料は五号が三十万円、六号が五十六万七千円から、七号が七十万二千円から。八号は百万円から、九号は百十七万五千円から、十号は百八十九万円からとなっていた。すでにある塚の掃除やろうそくの世話は、昔から向かいの茶屋が引き受けてきた。遠方に住むなら、世話を頼める茶屋を一軒決めておく。

しるしの杉と火焚串、古い札の納め方

二月の初午大祭は朝八時から。社頭では商売繁昌と家内安全の御符として「しるしの杉」が授けられる。祭の二日前の辰の日には、稲荷山の杉と椎の枝で作った青山飾りが本殿や摂末社に飾られた。

大社の問答によると、稲荷山に生える杉はすべて神の依る木で、しるしの杉とされる。平安のころには、熊野詣の行き帰りに杉の小枝をもらって体に付けていく人が多かった。永保元年の『為房卿記』には、藤原為房が杉の枝を笠に差して京へ入ったとある。千年近い習いだ。

十一月八日の火焚祭は十三時から。全国の崇敬者が納めた十数万本の火焚串を神苑の祭場で焚き上げ、参列者は大祓詞を奉唱して罪障消滅と万福招来を祈る。大祓詞を覚えたいなら、この日に声を合わせるのが近道かもしれない。

古い神札やお守りは授かった社へ返すのが筋で、伏見稲荷の物なら境内の納札所へ納める。本殿から権殿脇の石段を上がり、玉山稲荷社を左へ進んだ八島ヶ池のほとりで、歩いて三分ほど。費用はかからず、賽銭箱が置いてある。神札は一年ごとに新しくするのがいいと案内されていた。

山でやってはいけないことを先に覚える

大社が禁じているのは、喫煙と火気の使用、立入禁止の場所への無断の立ち入り、建物や鳥居や樹木を傷つけることだ。指定の場所以外での飲食、ペット連れ、商売目的の撮影もいけない。狭い参道で写真を撮って人の流れを止めるのも、禁止事項に入っていた。

塚の石や小鳥居を勝手に動かさない。他人の塚の供え物にも触らない。ろうそくを点けたまま離れない。供え物を置いていかない。この四つを守れば、山の決まりからはまず外れない。

お塚の前は、いまも誰かの家の神が祀られている場所だ。他人の塚の前で拝むときも、自分の塚と同じように掃いて、火を消して帰る。

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