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石鎚山の「次元の亀裂」――40年で300回登拝したUFO行者・加藤法泰が見た光の正体

下関の教会長が語る石鎚の光

山口県下関市に、石鎚本教吉見教会という教会がある。教会長の加藤法泰氏は、四国の石鎚山の上空でたびたび見られてきた光について、独自の見方を語ってきた人だ。修行は四十年、石鎚への登拝は三百回を超えたという。オカルト誌のウェブ版で紹介されたときの呼び名は「ユーフォー行者」だった。

家系の話は曾祖母の「ぬえ」までさかのぼるらしい。ぬえは人を助ける力を持った治療者だったと伝わる。父の古事氏は新聞社勤めだったが、ある夜、枕元に大きな人影が立って「海へ行け」と命じたという。古事氏は荒い海で修行を重ね、吉見教会を開いた。加藤氏も下関の冷たい海で寒中の禊をし、石鎚へ通い続けてきた。

登拝道の十界と次元の亀裂

加藤氏は出羽三山、とくに月山で修行を重ねるうちに、石鎚の登拝道そのものが仏教の「十界」の形になっていると気づいたと話している。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六道。その上に声聞、縁覚、菩薩、仏の四聖が続く。登る道の区間ごとに、この十段階が割り当てられるのだそうだ。

「次元の裂け目のようなものがあると感じた」。下関の近くの海、月山、石鎚山と、離れた場所で似た飛び方をする光を見てきたという。石鎚の上空で撮れた発光体も、「高次元の、意識を持つ生命体」ではないかと推し量っていた。話は役小角(えんのおづぬ)にまで広がり、伝承の五色の雲は宇宙船だったのではないか、という説まで口にしている。古代の偉人を宇宙人に結びつける「古代宇宙飛行士説」と、骨組みはよく似ていた。

千五百万年前の火山と地殻歪み説

石鎚山のおおもとは、およそ千五百万年前の火山活動でできたカルデラ地形だ。山体は硬い安山岩質の岩。火山の上空で光の目撃が集まる例は海外にもあり、メキシコのポポカテペトル山やインドネシアのムラピ山がよく引き合いに出された。

地質の側からは、岩に圧力がかかって光る「地震発光」や、地殻歪み説で説明されることもある。地殻歪み説は、カナダの神経科学者マイケル・パーシンジャーが一九七〇年代に唱えた。英語でいうテクトニック・ストレイン理論だ。岩の中の石英が圧電効果で刺激されて光が出て、同じ電磁場が人の側頭葉に働いて神秘体験を起こさせるかもしれない、という筋立てになる。

再現性や実際の地質との合い方は、学者の間で議論が続いていて、確かめられた説とまでは言えない。自然科学の仮説と、次元や高次の生命体という宗教の解釈。どっちか一方を「正解」と決めつけず、同じ現象への別々の説明の層として並べておけばいい。

天狗の山にユーフォーの言葉が入る

日本の山の信仰には、天狗や仙人、山中の「異形のもの」との遭遇話が昔からいくらでもある。近代に入ると、この古い語彙の上にユーフォーや宇宙人という言葉が重なる例が、各地の霊山に出てくるようになった。石鎚にも天狗の影はある。最高点の名が天狗岳で、各地の大天狗の名を連ねた天狗経には、石鎚山法起坊の名が見えるとされる。

加藤氏の話の出どころは、オカルト雑誌ムーのウェブ版に載った「石鎚山上空の『次元の亀裂』を感得!ユーフォー行者加藤法泰の神秘体験」という記事だ。英語圏の宗教ブログ媒体パテオスの、エグレゴアと記号の幽霊を論じた文章も参考に挙がっていた。エグレゴアは、大勢の思いが寄り集まって一つの存在のように振る舞うという、西洋の神秘思想の言葉になる。

斧を研ぐ老人と役小角の開山

石鎚神社の由緒では、山を開いたのは役小角で、飛鳥時代の六八五年とされる。六五七年とする伝えもあった。標高は千九百八十二メートル、西日本でいちばん高い山だ。役小角が供の法仙と瓶ヶ森の中腹で修行し、石土蔵王権現を感得して天河寺を開いた、という別の筋も伝わる。天長年間に光定という僧が権現を今の石鎚山へ移したらしい。

小角は山頂を拝もうと登ったものの、どうしても頂にたどり着けなかった。下りかけたところで、斧を研いで針にしようとする白髪の老人に出会う。その言葉に打たれて行に戻り、ついに山を開いた。老人こそ石鎚大神で、願いが成就した場所だから成就社。小角が振り返って「吾が願い成就せり」と拝んだ所に、いまも見返遥拝殿が建つ。

寂仙の生まれ変わりと空海の石峯

小角のあと信仰を形にしたのが、奈良時代の僧、寂仙(上仙)だ。石鎚の神を石鎚蔵王大権現と称えて山道を開き、常住社を建てた。いまの成就社のもとになった社だった。『日本霊異記』の下巻には、石鎚山で修行した禅師が、二十八年後に国王の子として生まれて名を神野とする、と言い残した話が載っているとされる。

寂仙が亡くなったのは天平宝字二年、七五八年とされる。その二十八年後に生まれたのが桓武天皇の皇子、神野親王、のちの嵯峨天皇だった。地元の神野郡では生まれ変わりと喜ばれたという。空海も若いころの『三教指帰』に、「石峯」で食を絶って苦しんだと書いた。この石峯を石鎚山と読むのが昔からの受け取り方で、六十番横峰寺の近くの星ヶ森からは、鳥居越しに山頂を拝めると聞く。

権現から石鎚毘古命、そして石鎚本教へ

六十番横峰寺と六十四番前神寺が常住社の別当寺になり、桓武天皇や文徳天皇、源頼朝、河野一族、豊臣家の信仰を集めたと由緒は伝える。桓武天皇が病の平癒のお礼に七堂伽藍を建てて勅願寺とし、金色院前神寺の名を与えた話もある。慶長十五年には豊臣秀頼が成就社を造営した。その社殿は明治二十二年の火事で焼け、今の社殿は昭和五十五年の火災のあと、昭和五十七年に建て直されたものだ。

明治の神仏分離で石鎚神社となり、祭神は石鎚毘古命(石土毘古命)。伊邪那岐命と伊邪那美命の二番目の御子にあたる。

山麓の本社(口之宮)、中腹の成就社(中宮)と土小屋遥拝殿、山頂の頂上社(奥宮)の四社で一つの神社だ。戦後、神仏混淆の歴史を生かすため、昭和二十一年五月十日に「石鎚教教派総本社」ができ、昭和二十四年に宗教法人「石鎚本教」へ改めた。吉見教会はこの石鎚本教の教会で、寺の側では前神寺が権現を祀り続けている。

験力は山で一度死んで生まれ直すことで得る

修験の「験」は、修行で身についた霊験の力のこと。険しい山に入るのは一度死ぬことにたとえられ、下りてきたときには生まれ直している。擬死再生だ。これを何度も重ねた行者が、加持祈祷や憑き物落としの場で力を発揮すると信じられてきた。四十年で三百回という数字は、その積み重ねの量なんだよね。

加藤氏が登拝道に十界を重ねるのも、この延長にある。麓から地獄、餓鬼と上がり、鎖を越えるごとに一段ずつ上の世界へ近づいて、頂上で仏の位に届く。一回の登拝に、死と再生と悟りの道のりを丸ごと詰め込む見立てで、筋はきれいに通る。

本社の禊場で水をかぶってから山へ向かう

石鎚神社が掲げる教えは三つある。海や河、滝に入って禊をし、心身の不浄を除く「修祓」。白衣をまとって鎖場に挑み、邪心を捨てて無我の境地を体験するのが「修行」だ。頂上に着いて神人合一の境地になり、心が鎮まる「鎮魂」。登拝は、この三つを順に踏む行として組まれている。

修祓の場は本社にある。西条市西田の本社境内には禊場があって、滝行ができ、更衣室も備わっている。元の禊場には神変大菩薩、つまり役行者の石像が鎮座していた。滝行を受けたいときは、日取りと作法を本社の社務所に問い合わせてから行くのが確かだ。ちなみに滝行の細かな次第は、公式の案内には載っていなかった。

教会や講に属していれば、禊の段取りは先達が決める。加藤氏の吉見教会のように、寒中に海で禊をしてから登る教会もある。

白い装束と登る前の支度

石鎚に拝みに登るなら、麓の本社から参るのが筋だ。西条の市街にある本社で道中の無事を祈ってから山に向かう。成就社側ならロープウェイで上がって二十分ほど歩いて成就社に参り、土小屋側なら遥拝殿で手を合わせてから歩き出す。

講の人たちの装束は白い行衣に鉢巻き、手甲に脚絆、地下足袋という姿が多く、お山開きの写真では山道が白一色になっていた。白には理由がある。死に装束にも通じる色で、山で一度死んで生まれ直すという修験の考えとつながる。

一般の人がそこまで揃えなくてもいい。ふつうの登山の服に、白い鉢巻きか白い手ぬぐいを一本足すだけでも気持ちは変わる。靴は滑りにくい登山靴、手袋は鎖を握るので欠かせない。雨具と防寒着も入れておく。山頂は夏でも冷える。

前の晩は酒を控え、できれば肉も避けて、風呂で体を洗っておく。精進潔斎のごく簡単な形だ。出発の朝に手と口をすすぎ、家に神棚があれば道中の無事を祈っておく。金剛杖を持つ人もいるけど、鎖場では邪魔になるので、背中に差せる短めのものが扱いやすい。

講の先達が法螺貝を吹くこともある。貝の音は山の神への合図で、仲間同士の合図でもあった。一般の人が持っていく物ではない。

本社の授与所で御祈祷を申し込む

御祈祷の受付は、本社の本殿横にある神札授与所だ。受付時間は毎日、朝八時半から夕方四時まで。ふだんの祈願は予約がいらない。祭典や結婚式が重なると待つことがあると神社は案内していた。

願いの種類は、家内安全、交通安全、入試合格、当病平癒、厄除け、商売繁盛、安産祈願、新車の清祓い、長寿祝いなど幅広い。受付の用紙に住所と名前、願い事を書いて、初穂料を納める。金額は公式の案内に載っていないので、受付で聞けばいい。のし袋に「御初穂料」と書き、下に名前を入れて持っていけば間違いはない。

遠くて行けない人は、ファックスかメール、または現金書留で申し込める。神職が住所と名前を読み上げて祝詞を奏上し、願いに合った御札と御守を送ってくれる仕組みだ。届いた御札は、家から石鎚を拝む節のやり方で祀ればいい。

成就社にも一年中職員が常駐していて、神事と登拝者の祈願を受け持っている。成就社で祈祷を受けたいときは、受付時間と初穂料を先に電話で確かめておくと当日迷わない。山へ登る前に受けるか、無事に下りたお礼として受けるかは、どちらでも構わなかった。

成就社から弥山までの拝み方

成就社では拝殿に参ったあと、見返遥拝殿から山頂を拝む。役小角が振り返って拝んだ場所だから、登る前にここで願いを一つだけ決めておくといい。二つも三つも欲張らず、はっきり一つ。欲張ると迷う。

そこから八丁坂を下って登り返し、試しの鎖、前社ヶ森、夜明峠と進む。夜明峠から先で山頂の岩壁が正面に見えてくる。一の鎖を越え、二の鎖の下で土小屋からの道と合流し、三の鎖を越えると弥山の頂上社だ。所要時間は成就社から二時間半から三時間、土小屋からなら二時間から二時間半ほどと神社の案内にあった。

道中、講の人たちは「ナンマイダー」「ナンマイダンボー」と唱えながら登る。すれ違うときは、下りの人が登りの人に「お上りさん」、登りの人が下りの人に「お下りさん」と声をかけ合う。神社も紹介している石鎚ならではの挨拶で、黙ってすれ違うより気持ちがいい。

頂上社に着いたら、まず息を整える。鳥居の前で一礼し、拝殿では二礼二拍手一礼。祈るときは名前と住所を心の中で告げ、成就社で決めた願いを一つだけ伝える。百科事典の石鎚神社の項には、二拝、二拍手、心中で祈願、二拍手、二拝という拝み方も載っていた。どちらで拝んでも失礼にはならない。

職員が常駐するのは五月一日から十一月三日まで。最高点の天狗岳は、弥山からさらに岩の稜線を伝った先にある。風の強い日や霧の日は、弥山で拝んで引き返す人も多かった。無理はしない。

四つの鎖の登り方と巻き道

鎖は四か所。神社の案内では、試しの鎖が六十七メートル、一の鎖が三十三メートル、二の鎖が六十五メートル、三の鎖が六十八メートルになる。足すと二百三十三メートル。試しの鎖は上りが四十八メートル、下りが十九メートルと分けて書く資料もある。

鎖に取りつく前に、鎖の根元で一礼する。行場に入る合図みたいなものだ。ここから先は行になる。両手と片足、または両足と片手の三か所を、いつも岩か鎖につけておく。鎖だけにぶら下がらず、足場を探して足で登る。

途中で足がすくんだら、無理に上を見ない。目の前の鎖の輪と、次に置く足場だけを見て、一つずつ手足を動かしていく。修験の行場としての鎖は、この一点に心を集める感覚を体に覚えさせる場でもある。

前の人との間は一人分以上空け、上から石が落ちてきたら大声で知らせ合うのが鎖場の決まりごとだった。落石がいちばん怖い。鎖の上で「ナンマイダー」と唱えると呼吸が整う、と言う人もいる。

どの鎖にも巻き道がついている。怖いと感じたら迷わずそっちを使えばいい。恥ずかしくもない。鎖を登らなかったから御利益が減るという話は、神社の案内のどこにも出てこない。雨で岩が濡れている日や、下りで鎖を使うのは避けたほうがいい。

頂上で唱える言葉

神前でいちばん手軽なのが略拝詞だ。原文は「祓へ給ひ 清め給へ 神ながら 守り給ひ 幸へ給へ」。読みは、はらえたまい、きよめたまえ、かむながら、まもりたまい、さきわえたまえ。けがれを祓い清めて、神の御心のままにお守りください、幸せをお授けください、というくらいの意味になる。短いけれど、これで足りる。

登りながらの言葉は、講の「ナンマイダー」のほかに、修験の山で広く唱えられる「懺悔懺悔、六根清浄」がある。読みは、さんげさんげ、ろっこんしょうじょう。目、耳、鼻、舌、身、意の六つが犯した過ちを悔い、清らかにしてください、という願いだった。鎖場の前や、足が止まりかけたときに唱えると拍子がつかみやすい。

寺の側から権現として拝みたいなら、前神寺に参って蔵王権現の真言を唱える手もある。「オン・バザラ・クシャ・アランジャ・ウン・ソワカ」。吉野の金峯山寺などで、蔵王権現の真言として唱えられてきた文句だ。金剛の力を持つ尊に帰依して守りを願う、と受け取っておけばいい。

頂上社の御内陣入で御神像にふれる

石鎚神社には、御神像拝戴という神事がある。玉持、鏡持、剣持の三体の御神像を直接体に受け、神人一体の中で御神徳をいただくものだ。全国の神社の中でも石鎚だけの特殊神事だと、神社自身が説明していた。

三体にはそれぞれ受け持ちがある。玉持は和魂で仁を表し、家内安全と病気平癒。鏡持は奇魂で智を表し、産業の振興と学業成就を守るそうだ。剣持は荒魂で勇を表し、交通安全と悪事を除くこと。願い事に合う像を心に置いて受ければいい。

頂上社が開いている五月一日から十一月三日の間は、申し出れば頂上社の社殿に奉斎された御神像にふれる「御内陣入」を受けられる。頂上社に着いたら、拝礼の前に社務所で御内陣入を受けたいと伝える。初穂料や待ち時間はその場で確かめよう。混む日は少し待つかもしれない。

山まで行けない人にも拝戴の日はある。元日は本社と成就社で、四月五日の桜まつりと十月五日の秋まつりでは本社の本殿前で、節分の星まつりのあとにも本社で行われる。お山開きの七月七日の夜七時には、成就社で拝戴の特殊神事があった。

お山開きの登山切符と肩のリボン

いちばん大きな祭りが、七月一日から十日までのお山開き大祭だ。昔から「お山市」とも呼ばれ、期間中は全国から数万人が登ってくる。六月三十日の朝七時半に本社で出御祭があり、三体の御神像は午後三時半ごろ成就社に着く。

七月一日は朝六時半に成就社で出御祭。七時から、信徒の背に負われた御神像が仁、智、勇の順に、十五分ごとに頂上社へ向けて出ていく。十時に初日祭が始まり、成就社では餅撒きがある。五日の朝十時に四社で中日祭、十日の朝十時に終了祭。十一時半に頂上社を出た御神像は午後二時以降に成就社へ着いて、十一日の昼十二時半に本社へ還った。

成就社から登る人は、受付で登山切符と赤いリボンを受け取り、リボンを左肩につける。神門で人数を確かめてもらい、お祓いを受けてから登り始める。二の鎖の鎖元では、赤いリボンの確認がある。成就社へ下りてきたら「現参課」で「現参の儀」を受ける決まりで、これは成就社だけの神事だった。

土小屋遥拝殿から登る人は、受付で登山切符と緑か青のリボンを受け取り、同じように左肩につける。団体なら代表者が鎖元まで登山切符を持っていく。期間中は登山保護料を納めるが、先達会符を持つ氏子は免除される。

混み合うのは初日と週末で、鎖場には列ができる。巻き道のほうが早く進むこともあるくらいだ。混雑が苦手なら、祭りの前後の週を選んで拝みに行く人もいる。

七月一日だけ残る女人の決まり

石鎚は長く女人禁制の山だった。お山開きの期間中はずっと女性が登れなかったが、時の流れとともに少しずつ開かれ、今は七月一日の一日だけになった。神社の案内では、女性の登拝は七月二日から成就社と土小屋遥拝殿で始まる。

緩められた日付を並べた資料もある。昭和二十一年七月六日に最初の解除、昭和三十九年七月三日にもう一度緩め、昭和五十七年七月二日から今の形になったという。

女性が七月一日に行くなら、成就社か土小屋遥拝殿で拝み、そこから山頂を遥拝して帰る。成就社なら見返遥拝殿が使える。登拝は二日以降に回せばいい。石鎚を信仰する女性の団体には石鎚敬神婦人会があり、全国に六十ほどの支部を持って年一回の総会と研修会を開いていた。

登拝三回で先達会符を申し込む

石鎚では、山に親しむ石鎚大神の子ども、つまり氏子のことを先達と呼ぶ。先達になると、その人だけの会符という木札を受ける。一生石鎚大神のお守りをいただく印とされ、発行は男女合わせて九万名余りにのぼった。

申し込めるのは、小学校を卒業していて、石鎚山に三回以上登った人。回数は自分で申告する。初穂料は五千円で、申込先は西条市西田の本社だ。お山開きの期間中に本社、成就社、土小屋遥拝殿で申請する、とする資料もあった。

会符を持って登れば、お山開きの登山保護料が免除になる。階級は十七あり、副取締から始まって元老大顧問まで上がる。名誉部長までは丸一年ごとに昇進でき、元老は満四十歳以上。笏は特別大監長以上、袈裟は元老以上で授かるとされる。会符は神棚か御札の隣に納め、登るたびに身につけて持っていく。

三十六王子社巡拝と星まつりに加わる

本社から頂上社へ登る道中には、三十六王子の小さな祠が祀られている。毎年十月下旬、信者が奉納した祈願札をこの三十六社すべてに納めて回るのが三十六王子社巡拝だ。三泊四日の行程で、今は五十人ほどに絞っている。

代参者は法螺貝と鈴の音に励まされながら、野山を歩いて渓を越える。王子社に着くたびに掃除をして幟旗を立て、供え物と祈願札を納める。加わりたい人や、祈願札だけ託したい人は、本社に申し込み方を問い合わせる。

冬の行は星まつりだ。冬至の日から節分まで、毎日朝夕に祈願が続く。申し込みはお世話人を通じた名簿の登録で、名前を書いた特別御神札が作られ、一年間持ち歩くよう勧められている。節分の日は十一時から節分祭と祈願納め祭があり、特別御神札は全国の申込者へ送られた。

登れない日に家から石鎚を拝む

石鎚まで行けない年でも、授かったお札があれば家から拝める。石鎚神社には成就社の見返遥拝殿と土小屋遥拝殿があって、どちらも離れた場所から山頂を拝むための社だ。遠くから拝むやり方そのものが、この山の信仰に組み込まれている。

朝、顔を洗って口をすすいだら神棚の水と塩と米を替え、お札の前に立って、石鎚の方角が分かればそちらへ体を向ける。声は小さくていい。二礼二拍手して略拝詞を唱え、心の中で住所と名前、願いを一つ伝えてから一礼で終える。

お山開きの七月一日と十日は、家でも遥拝する日にしておくと区切りがつく。頂上で大祭が始まる日と、終わる日だ。寒の水をかぶる禊まではしなくても、この二日だけ酒を断って早く寝る、という形なら続けやすい。

遥拝のあとで何か気になるものを感じたときも、山でのやり方と変わらない。一礼して出来事を書き留めておき、今度石鎚へ登ったときに、そのメモを持って成就社で話を聞いてもらえばいい。焦ることはない。

光や気配に出会ったときの受け止め方

高い山では、妙な光や気配の話が絶えない。加藤氏のように次元の裂け目と受け取る人もいれば、地殻の発光や疲れのせいと見る人もいる。どちらに寄るにしても、その場でやることはだいたい同じだ。昔からそうだった。

光を見ても追いかけない。登山道を外れて岩場へ近づくのがいちばん危ない。立ち止まって、時刻と方角、見えていた長さ、色と動き方を覚えておき、写真が撮れるなら撮る。書き留めるのは下りてからでいい。

写真に写った光の多くは、レンズの中で日の光や灯りが跳ね返ったものか、虫や水滴に光が当たったものだ。それを確かめたうえで、なお説明のつかないものが残るなら、それを大事に扱えばいい。先に自然の説明を当ててみて、外れたものだけを神仏の側へ回していく。この順番を守れば、見たものに振り回されずに済む。順番が肝心だ。

気配や声のようなものを感じたときは、その場で略拝詞を唱えて一礼し、先へ進む。山の神の領分に入らせてもらっている、という修験の考えに沿えば、怖がって騒ぐより挨拶して通り過ぎるほうが筋が通る。頭痛や吐き気、手足のしびれを伴うなら、霊より先に高さと疲れを疑って引き返したい。

下りたあとで気になるようなら、成就社か本社で御祈祷を受け、見たことを神職に話してみるといい。石鎚の神は厄除開運の神としても信仰されてきた。修験の世界では、山で見たものを師や先達に話し、何だったのかを一緒に確かめるのも修行のうちとされた。一人で抱えて意味づけを膨らませるより、ずっと落ち着く。

下山のあとで持ち帰らないもの

山の石や草木は持ち帰らない。霊山の石を持ち帰ると障りがあるという言い伝えは各地にあるし、石鎚は国定公園でもある。昔から守られてきた決まりだ。持ち帰っていいのは授かったお札とお守りくらいだ。

下りたその日のうちに、成就社か本社へ戻ってお礼参りをする人もいる。無事に下りられたことへの感謝の参拝で、願いを重ねる場とは違う。一礼して、心の中でお礼を伝えるだけでいい。それで十分だ。

家に着いたら玄関に入る前に肩と足元へ塩を少し振る人もいて、白い鉢巻きや行衣は洗って次の登拝までしまっておく。お札は神棚か目線より高い清潔な場所に、南向きか東向きで納める。神棚がない家なら、白い紙を敷いた棚の上に立てかけておくだけでも形になるし、それで失礼にあたることもない。

一年たったお札は、次に登ったときに成就社か本社へ返し、新しいものを受ける。本社では節分の朝十時半から古神札神納浄火祭があり、古い御神札の昇神を行ってから御本殿の御神火で焚き納めている。遠くて行けない年は、近所の神社の古札納め所に納めればいい。自宅で燃やしたりはしない。

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