河内長野市流谷の八幡神社では、一月六日の朝早くに氏子が新わらを抱えて集まってくる。昼までに太縄を綯い、榊を結んだ細縄を十二本こしらえて、神社の前の流谷川へ掛け渡した。村の境を縄でふさぐ、勧請縄かけの一日だ。
縄一本で村の内と外を分ける考え方
疫病や災いは道や川を伝ってやって来る。そう考えた村は、外から入る道の境に縄や草鞋を掛けて、形のうえで道を切った。民俗学ではこれを道切りと呼び、関東では辻切り、近畿では勧請縄や勧請吊りの名前が多い。
縄は車も人も止めない。それでも縄の下から先が村の内側だという線は、はっきり引かれる。毎年作り直すのが前提で、作る日そのものが村の行事になっていた。
勧請の字には、密教の灌頂幡から来た音だという説もある。近江の縄に樒や牛玉札が挟まるのは、そのお寺との縁の名残かもしれない。神と仏を分けずに境を守ってきた、昔の村のやり方だ。
張る日を決める 暮れの中旬から初午まで
日取りは村ごとにきっちり決まっている。動かさない。近江八幡市安土町の奥石神社は師走の中ごろに翌年の縄を作り、氏子総代と乙名と呼ばれる年長の人たちが手を動かした。年を越す前に張る型だ。
年が明けてからの村のほうが多い。河内長野の流谷は一月六日で、八幡さまを石清水八幡宮から迎えた日にちなむと伝わる。印西市の竜腹寺区は一月八日の朝、市川市の国府台は一月十七日と決めてきた。
明日香村では、稲渕の男綱が成人の日、栢森の女綱が一月十一日。もとは旧暦正月十一日で、初仕事の日に掛け替えていたらしい。笠置町飛鳥路の布目川の縄は一月初旬だった。
二月まで下がる村もある。船橋市中野木の辻切りは二月の初午に八坂神社へ集まり、印西市吉高の仲村地区は二月十七日の朝に張った。滋賀の湖東や湖南でも、一月から三月の初めにかけて掛け替える集落が並ぶ。
年に一度とは限らない。横浜市港北区の菊名や篠原では、一月、五月、九月の中旬と年に三度、大蛇の注連を張り直していた。日取りに迷ったら、その土地の氏神や自治会が守ってきた日にそのまま合わせる。これがいちばん確かだ。
秋の藁をとっておき、棒で叩いて柔らかくする
材料の芯は稲藁になる。印西の竜腹寺区では、前の秋から蓄えておいた稲を棒で叩いて柔らかくしてから綯った。叩かない藁は折れやすく、撚りがきれいにそろわない。ここは手を抜けない。
流谷では氏子がめいめい新わらを持ち寄る決まりで、国府台でも各自が家から藁を抱えてやって来た。材料を持ち寄ること自体が、村の一員として縄に手を貸す意味合いを帯びていた。
添える枝葉は土地で違う。流谷は榊、竜腹寺区は榊とヌルデと篠竹。近江では樒やカシ、榊がよく使われる。野洲市行畑の行事神社は、カシの枝を束ねて串刺しにした長い小縄を下げていた。
藁が手に入りにくくなった村も多い。長浜市高月町森本では、地元で藁がそろわなくなったことが悩みとして語られている。横浜市戸塚区の大わらじは、町の外の吉田町や栄区田谷の農家から藁を分けてもらうようになった。
丈夫さを補う工夫もある。明日香の稲渕では二十年ほど前から綱の芯にロープを入れ、陽物もワイヤで綱につなぐようになった。栢森の女綱も芯はロープだ。川の上で一年もたせるための知恵になる。藁だけの綱は、川風と雨にさらされて一年のうちに切れてしまうことがあったのだろう。
大縄の長さと太さは掛ける場所で決める
縄の寸法は、掛ける場所の幅で決まる。当然だ。竜腹寺区は太さ七から八センチ、長さおよそ十メートルの注連縄を三本作った。集落の入口ごとに一本ずつ張るためだ。
川をまたぐ村は長い。稲渕の男綱も栢森の女綱も、直径五センチほどで長さ七十メートル前後。笠置の飛鳥路は布目川に三十メートルほどの縄を渡した。高月町森本の縄は太さ二十センチ、長さ十八メートルほどあった。
綯う人数も村の規模しだい。稲渕では約五十戸の地区から男女三十人ほどが出て、午前中から旧神所橋の横の空き地で始め、午後二時半ごろに仕上げた。栢森は約二十五戸の地区から役員の男性十人ほどが出て、共同作業所で昼前から綯い始めたと伝えられている。
飛鳥路では各戸から一人ずつ天照御門神社の舞台に出てきて綯う。太い縄は一人では撚れない。数人がかりで藁束を撚り合わせ、そのまま引っ張って張りを出していく。
神事の縄は、普段の縄と逆の左撚りに綯うのが広く見られる習わしだ。両手のひらで藁束を撚りながら、二束か三束を反対向きに絡めていく。村によって右左の決まりが違うこともあるので、そこは古い縄を見て合わせるのが確実だ。
小縄を十二本、閏年は十三本下げる
大縄から垂らす小縄の数は、十二本の村が多い。流谷では榊を結わえた細縄を十二本作った。奥石神社は左右に六本ずつ、合わせて十二本。閏年はそこに一本足して十三本にする。
十二は一年の月の数で、閏月のある年に十三とする数え方になる。小縄は十二神を表すと説明する土地もある。一年の月ごとの守りを、縄の上に一本ずつ吊るしていく感覚だ。
十二にこだわらない社もある。野洲市の新川神社は小縄が十七本で、割竹の丸と十字を組んだ飾りを四つ下げた。大縄の上には御幣を立て、小縄は地面を擦るほど長い。参道を塞ぐ壁みたいに見える。
真ん中に下げる飾りはトリクグラズと呼ばれ、村ごとの顔がいちばん出るところだ。行事神社は割竹を格子に組み、中に丸を入れた形にしていた。小縄は結ぶ間隔をそろえ、左右が釣り合うように下げる。
川の綱は吊り方が違う。稲渕では一メートルほどの間隔で、緑の榊、白い御幣、藁の順に挟み込んでいった。長い綱に同じ並びを繰り返すので、仕上がると規則正しい模様になる。
真ん中に札を挟む 牛玉宝印と木札
縄の要は祈祷を受けた札になる。札が主役だ。竜腹寺区では、龍腹寺の牛王法印を刷った厄除けの護符をヌルデの枝に挟み、縄の中心に差した。榊の葉と篠竹、区内安穏と五穀豊穣と書いた札も同じように挟む。
近江の縄にも牛玉宝印の札や、読んだ経の巻数を記した板がよく挟まる。オコナイで刷る牛玉札は、苗代の水口に立てる分と家に持ち帰る分に分けられる。同じ札が村境の縄にも入り、家と田と境の三か所を一度に守る形になった。
伊賀の縄には、陰陽道の呪文とセーマン・ドーマンの印を書いた木札がつく。セーマンは五芒の星形、ドーマンは縦横の格子のような印だ。白井市富ヶ沢の辻切りも、印と文字を記した独特の木札を下げている。
札の中身は自分で書かず、寺社で受けたものを使う。菊名では大蛇の胴の中ほどに寺社の札を下げ、同じ札を村の各家にも配った。境と家の両方に同じ札が入ることで、内側全体がひとつの守りにくるまれる理屈だ。
吊り物を作る 陽物と陰物、草鞋、農具
吊り物は村によって顔つきががらりと変わる。稲渕の男綱には、藁で作った高さ約一・二メートル、直径約三十センチの円筒形の陽物をつけた。栢森の女綱には、長さ約六十センチ、直径三十センチの円錐形の陰物を下げる。
飛鳥路の縄には、御幣のほかに男女をかたどった藁のツクリモノが下がる。鍬や鋤のような農具や暮らしの道具も藁で小さく作って並べた。生きる力の強いものを境に並べると、弱いものや悪いものは寄りつけないという考え方らしい。
千葉の辻切りには別の顔がある。君津市香木原では一月二日、男たちが自治会館に集まって縄を作った。吊るすのは藁草履、草鞋、桟俵、藁苞、杉の葉を挿した徳利、それに注連を三つ。集落の入口三か所に張って、そのあとは宴会だ。
同じ君津の坂田は、二月上旬に組ごとに縄を一本ずつ作る。藁の房を三つと紙の幣を四つ下げて入口に据え、できあがったらみんなで食事を共にした。伊賀の縄には藁の草鞋や瓢箪が吊られている。
吊り物は上手に作らなくていい、という村まである。船橋市楠が山では、わざと貧相に作り、この村の者は大したことがないと悪いものに思わせるのだという話が伝わる。香木原にも、悪いものに入るのを諦めさせる吊り物だという言い伝えがある。
藁の大蛇に目と耳を入れて魂を入れる
縄を蛇の姿にする村では、頭の作りに手間をかける。国府台では藁を細かく編み上げて頭を作り、胴は木から吊るした藁を寄り合わせて長さ二メートルほどに仕上げた。これを四体。
四体なのは、町の東西南北の四隅に一体ずつ置くからだ。頭の編み方は細かく、慣れた人でないとなかなか形にならないらしい。作業は午前中にほぼ済み、年によっては十時過ぎにはもう出発の支度が整っていたという。
目玉は半紙に墨を塗って作る。中には前の年の大蛇をお焚き上げした灰を入れた。耳はビワの葉。首には白幡天神社の駒形の木札をつける。古い蛇の灰が新しい蛇の目になるわけで、一年が縄の中でつながっていく。
頭と胴を合わせたら、お神酒を飲ませて魂入れをする。例年は十一時ごろ。そのあと町の四隅の木に、頭を外へ向けて結びつけた。大蛇は翌年まで雨風にさらされながら、町の外をにらみ続ける。
中野木では東西の二組に分かれて一匹ずつ作り、仕上がると長さ五メートル半ほどになる。本殿の前でとぐろを巻かせて向かい合わせに据え、御神酒を飲ませた。直会のあと、東西それぞれ四、五人で大蛇を抱え、集落の南西と北東の道端の立木に巻きつけた。
菊名では、道の両側に竹の柱を二本立てて大蛇の頭と尻尾を結んだ。尻尾にはカシの木で作った剣をぶら下げる。張り終えると人々は年番の家に集まって、お祭りをした。
祈祷を受けてから掛け渡す
縄ができたら、張る前に神仏の前へ運ぶ。流谷では綯い上がった縄を神殿に運んで祈祷を受け、それから流谷川に架かる橋の上へ持っていった。榊をつけた十二本の細縄は、その橋の上で太縄に結びつけて仕上げる。
掛け方も細かく決まっている。川幅いっぱいの仕事だ。縄の一方の端を川の左岸、神社側の柿の立ち木に結わえつけた。もう一方は右岸の勧請杉と呼ばれる立ち木に結ぶ。縄に結んである補助縄を橋の上から引っ張り上げて、川の上へ張り渡した。
稲渕では綱を県道の上に架けながら、飛鳥川の流れの上に陽物が来るよう両岸の木に括る。午後三時過ぎから旧神所橋にしつらえた祭壇で儀式が始まった。飛鳥坐神社の宮司が祝詞を上げ、割竹の先にみかんを刺した供え物を欄干に並べ、最後は米、清酒、塩を川へ投げ落として終える。
栢森は仏式だ。ここが面白い。午後四時過ぎ、龍福寺の住職を先頭に、役員が陰物とみかんを青竹に串刺しにした供え物、綱を担いで川へ向かう。みかんは十六個を縦横に刺したものだった。福石と呼ばれる岩の前で読経したあと、川と県道をまたいで両岸の大木に綱を巻きつけた。
念仏で送る村もある。印西の吉高では百万遍の念仏講の中で、宗像神社の幣束を下げた輪飾りを村境の七か所に張った。観音堂では真言を唱えながら大数珠を繰る。横浜の新羽では、男たちが大蛇を作り、女たちが念仏を唱えて悪疫退散を祈った。
大草鞋を村境に掛ける段取り
草鞋を吊る道切りは、この村には大男がいるぞと外の悪いものを脅すためだと説明される。養父市の安井では一月三日、きれいな打ちわらを少しずつ持ち寄った男たち六、七人で大草履を作った。片方だけで幅約一メートル、長さ約一・三メートル。
作るのは片方だけ。理由は語られていない。ほかの人たちは、それぞれ小さな草履をこしらえた。豊岡市日高町の田ノ口では、一月の第二月曜の朝に氏子がお堂に集まり、約一・五メートルの大草鞋と大草履を作る。はしごを掛けて神木に奉納し、神事を行った。
山梨市牧丘町の隼では三月十五日、縦三・五メートル、横一・五メートルの大わらじを六時間ほどかけて編む。国道沿いの摩利支天の脇の桜の木に掛けた。願うのは無病息災と五穀豊穣。大仕事だ。
横浜市戸塚区下倉田の南谷戸では、全長三・五メートルの大わらじを三年ごとに作り替える。以前は四年ごとだったが、作り方を伝えるために間を詰めた。三月から準備を始めて四月の中ごろに仕上げ、入口のやぐらに吊るした。
作り替えのやり方が面白い。古いわらじの片方をほどき、もう片方を見本にしながら、鼻緒や細かな部材から順に一つずつ組み直していく。口伝えだけでは形がぶれるので、前の年の現物をそのまま手本にしたわけだ。
高知の宮谷では、旧暦二月二十八日の堂の口あけ祭りに集落総出で大わらじを編む。こちらはわざと半分作りかけのまま奉納し、仕上がったらどれほど大きいかと思わせる趣向だ。
流行り病の年に張る臨時の道切り
毎年の行事とは別に、何か起きたときだけ張る道切りもあった。横浜市港北区の大曽根では、昭和の初めごろまで、近くの村に疫病が出ると藁で大蛇を作り、村境の道端の木に巻きつけた。
臨時の縄は急ぎだ。藁で縄か蛇をこしらえ、寺社で受けた札を下げて、村の入口の木に巻きつける。新羽の注連引百万遍のように、張ったあと念仏や数珠繰りで村中が祈る形も残る。
幕末にコロリと呼ばれた病が流行った年にも、普段は張らない村まで慌てて境に縄を渡したという話が伝わっている。いつ来るか分からない災いに毎回慌てるより、年頭に張っておくほうが安心できた。定期の縄はそうして根づいたのかもしれない。
古い縄は外して焼くか流すか、重ねて朽ちさせる
役目を終えた縄の送り方も村の決まりに従う。菊名では、行事がすべて終わると大蛇を取り払い、鶴見川に流した。川へ流すのは、一年ぶんの悪いものを引き受けた縄を村の外へ出す意味合いが強い。
国府台では、古い大蛇をきちんとお焚き上げにして、一年ぶんの役目を終えたものとして火で送り出した。その灰は新しい大蛇の目玉に入る。無駄がない。燃やして終わりにせず、次の守りの中に戻していくやり方だ。
外さない村もある。縄を朽ちるにまかせ、翌年は新しい縄を古い縄の上へ重ねて吊るす。滋賀では一年で新しい縄に取り替える所が多いが、古い縄が何層も重なった参道も見られる。
正月飾りと一緒に、小正月のどんど焼きの火に入れる土地も多い。今は川に藁を流しにくくなったので、焼くか社に納めるかに落ち着いた村がほとんどだ。戸塚の大わらじのように、古い物を次を作る見本に使う例もあった。
縄の下を通るとき、見に行くとき
勧請縄は村の人にとって家の門口と同じ場所になる。縄や吊り物には触らない。これが一番。落ちた房が一本道にあっても拾わず、村の人の片づけに任せるのが礼儀だ。
見学するなら張る日の作業は邪魔にならない距離を保ち、脚立を立てたり枝をたぐったりして縄に近づきすぎないようにする。くぐるときに軽く頭を下げていく人もいる。写真を撮るのは構わないと思う。
古い縄を記念に持ち帰るのもやめておく。村にとっては送るべきものだ。よその村の入口や塀に、自分で作った縄を勝手に張るのも筋が違う。境を決めるのは、その内側に住む人たちの仕事になる。
村の行事に加わる、祈祷を頼む
縄作りに加わりたいなら、その集落の氏子や自治会の一員になるのが筋だ。飛鳥路のように各戸から一人が出る決まりの村では、新しく入った家もその年から呼ばれる。材料の藁は持ち寄りの村が多い。
自宅の玄関に注連縄を掛けたい場合は、氏神の神社で祈祷やお祓いを受けた注連縄や札を授かる手がある。初穂料は社の案内に従う。金額は社ごとにまちまちで、授与品の注連縄なら値段が決めてあることも多い。紅白の蝶結びののし袋に「初穂料」と書き、下に名前を入れて受付で渡す。
お祓いを頼むときは、社務所に日時を問い合わせ、縄や札を持参する。昇殿して祝詞を上げてもらい、終わったら縄と授与品を受け取って帰る。授かった札は、縄の中央に挟むか神棚に納める。
縄作りの日取りや集合場所は、自治会の回覧や神社の掲示で知らされることが多い。見学だけしたいなら、事前に自治会長か社務所へひと声かけておくと、作業の邪魔にならない場所を教えてもらえる。いきなり押しかけるのは避けたい。
玄関に小さな縄を写す 用意するもの
村の縄をそのまま家に持ち込むことはできないが、考え方だけなら玄関に写せる。家の入口を一つの境とみて、そこに縄を張り、吊り物を下げる。小さな勧請縄だ。
用意するのは細めの注連縄か、ひと握りの藁か麻紐。半紙を一、二枚。榊か樒の小枝を少し。神社で受けた御札が一枚あればそれも使う。ほかに塩と、清めた水を少し。
注連縄は神具店や正月の売り場で、長さ五十センチほどのものが手に入る。自分で綯いたければ、藁を一晩水に浸けて柔らかくし、棒で軽く叩いておく。藁が無ければ麻紐でも構わない。
掛ける時期は、年末の二十八日ごろが無難だ。二十九日は苦に通じるといって避ける家が多く、三十一日の一夜飾りも嫌われる。近江の村のように、年が明けてから張ってもいい。
綯って、房を下げて、扉の上に掛ける
作る日は、最初に手を洗って口をすすぐ。これは外せない。玄関を掃いてたたきを水拭きし、縄を掛ける場所の埃も払っておく。それだけで気分が変わる。正直、ここで半分は済んだようなものだ。
縄を自分で綯うなら、藁か紐を二束に分けて片方の端を縛る。手のひらで一束ずつよじりながら、二束を逆向きに撚り合わせていく。長さは扉の上の枠から枠まで、少したるむくらいにして、綯い終わりの端をしっかり縛る。
次は小縄。藁か紐を十センチほどに切って、十二本作る。閏年なら十三本。一本ずつ根元を縛って房にし、縄の左右に六本ずつ、間隔をそろえて結びつける。奥石神社の縄と同じ割り振りだ。
紙垂は半紙を縦長に切り、上から三か所、左右交互に切り込みを入れて折り下げる。稲妻のような形になれば正解。案外すぐ慣れる。縄の真ん中に紙垂か御札を挟み、榊か樒の小枝を撚り目に一、二本差し込む。
できあがった縄に清めた水を指先で三度振りかけ、塩をひとつまみ落とす。玄関の外に立ち、扉の上に縄を掛ける。太いほうを向かって右に置く社が多いが、出雲大社のように逆にする社もあるので、氏神の社殿の縄に合わせておけば迷わない。
マンションで扉の外に下げられないなら、扉の内側の枠に小さなフックを二つつけて渡す。穴を開けたくなければ靴箱の上に横長に置き、房を手前に垂らして中央に御札を立てかける。勝手口にも短い縄を一本張っておく。
掛けたあとに略拝詞を唱える
縄を掛けたら、玄関の外から縄に向かって二拝二拍手一拝をし、略拝詞を唱える。短いのですぐ覚えられる。三回繰り返す人も多い。声は小さくていい。
原文は「祓へ給へ 清め給へ 神ながら守り給へ 幸へ給へ」。読みは、はらえたまえ、きよめたまえ、かむながらまもりたまえ、さきわえたまえ。罪や穢れを祓い清め、神の御心のままにお守りください、幸せをお授けくださいというくらいの意味になる。
もう少しきちんとやりたいなら祓詞を唱える。書き出しは「掛けまくも畏き伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等」。読みは、かけまくもかしこき、いざなぎのおおかみ、つくしのひむかのたちばなのおどのあわぎはらに、と続く。
結びは「諸諸の禍事罪穢有らむをば 祓へ給ひ清め給へと白す事を 聞こし食せと 恐み恐みも白す」。あらゆる災いや罪穢れを祓い清めてくださいと申し上げるので、お聞き届けくださいという意味だ。唱え終えたら一礼して家に入る。
伊勢や志摩の家では、蘇民将来子孫家門と書いた木札をつけた注連縄を一年中玄関に掛けておく。村の勧請縄に札を挟むのと同じ発想だ。この札を受けられるなら、縄の中央に挟んでもいい。
一年たったら外して送る
玄関の縄は伊勢の家と同じで、正月が過ぎても一年掛けたままにしておく。途中で切れたり房が落ちたりしたら、そのときに作り直せばいい。雨で色が抜けても気にしなくていい。
新しい縄に替えるのは、翌年の暮れか、張ったときと同じころ。外した古い縄は半紙で包み、塩をひとつまみ振る。小正月のどんど焼きに持っていけるならそこで火に入れてもらい、近くに無ければ神社の古札納めに納める。
どちらも難しいときは、半紙に包んだまま塩を振り、ほかのごみと分けた袋に入れて出す。ありがとうございました、と一言添えてから手放す。
新しい縄を結ぶ前に、古い縄を外した手をいったん洗う。一年ぶんを引き受けたものと、これから一年を引き受けるものを、同じ手でそのまま混ぜないためだ。水で流したら、また十二本の房を数えながら結んでいく。
