- 指先から白い糸が出るという作法
- 虫切り、虫出し、蟲封の名でも受け付けを探す
- 予約の要否と受付時間を電話で確かめる
- 子の年齢と日取りを寺社の案内に合わせる
- 申し込みで伝えることと祈祷料の額
- 行けないときは代参か郵送で頼む
- 当日は子を抱いて本堂や拝殿に上がる
- 木剣で掌に呪文を受け、守りに虫を封じて釘を打つ
- 塩で手を揉み墨で書く古い型
- 祈祷のあとすぐ人形で体をなでて川へ流す
- 飲む護符は初水で二日に分ける
- 釘を打った札は寝室の高い所に祀り、石で打つ
- 虫切鎌を借りて頭や腹をなでる
- 家で掌に「鬼」や「田」を書いて三遍唱える
- 夜泣きには鶏の絵を描いて逆さに貼る
- 狐の文句を半紙に書いて行灯や枕に貼る
- 札の前で唱える言葉を宗旨で選ぶ
- 一年以内に願解きして札と守りを返す
- 七つの区切りで最後の札を納める
指先から白い糸が出るという作法
福島県の檜枝岐村には、疳の虫を起こした子の手のひらに「田」の字を一、二度描く作法が伝わっていた。昭和三十九年の『福島県史』民俗編に載る記録だ。描きながら口の中で「あるだけのむしをはらいたまえ、あぶらうんけんそわか」と唱え、最後に掌へ息を吹きかけた。すると白い煙か糸のようなものが、指先から抜けていくのが見えたという。
疳の虫は、夜泣きやかんしゃく、夕方のぐずりにつけた名前だった。千葉県市川市の本光寺も、体の中に本物の虫がいるのとは違うと案内で断っている。それでも祈祷は続いている。名前がつけば、封じる、切る、出すという手が打てたからだ。
同じ寺の案内には、昔は塩で手を洗い、墨で手のひらに呪文を書いて経を読む祈祷をしていたとある。指先から白い糸状のものが出るやり方だ。二十年ほど前に塩と墨の作用に科学的な説明がついたので、寺はそこで祈祷の形を変えた。糸を見せる手品が本体じゃない。子を仏神に預ける段取りのほうが本体だった。
虫切り、虫出し、蟲封の名でも受け付けを探す
呼び名はばらばら。新潟県上越市の常顕寺の案内がそれをよく表していて、虫封じを虫除け、虫切り、虫出しとも言うと書く。新宿の穴八幡宮は蟲封の字を使う。探すときはこの名前を全部試すと取りこぼしが少ない。
寺では日蓮宗の寺がよく受けている。市川の本光寺、上越の常顕寺、和歌山市の安楽寺はどれも日蓮宗だ。新宿の放生寺は本尊を融通虫封観世音と呼び、寺の秘法として手の上に虫切りを施す。愛知県稲沢市の西福院、通称せんき薬師は、弘法大師から伝わる秘伝の祈祷法だと案内している。栃木県日光市の等泉寺も、かんの虫封じのお加持を受けている。
神社なら、藤沢市の白旗神社、八王子市の子安神社、新宿の穴八幡宮、埼玉県の行田八幡神社が案内を出している。横浜市保土ケ谷区の神明社、静岡県磐田市の鎌田神明宮、島田市の大井神社にも申し込みの窓口がある。愛知県半田市の神前神社は毎年六月一日から八日までの特別祈願祭で受ける。茨城県の大洗磯前神社では、十一月十一日の有賀祭に合わせて虫切祈祷が行われる。
予約の要否と受付時間を電話で確かめる
いちばん差が出るのがここ。本光寺は個別祈願の当日予約を受けない。安楽寺はすべて予約制で、希望の日時を連絡してほしいとある。等泉寺も完全予約制。鎌田神明宮も事前の電話予約を頼んでいる。
行田八幡神社は祈願がすべて事前予約制で、受付は午前十時から正午と、午後一時から三時までと案内している。横浜の神明社はいつでも受けるものの、秘伝の守護札を作るのに時間がかかるから、電話で予約してから来てほしいという。電話一本で済む話だ。札を祈祷のたびに一枚ずつ調えている社もあるわけだ。
逆に予約なしで行ける所もある。白旗神社は毎日九時から十六時半まで受けていて、当日の申し込みも受ける。穴八幡宮は一年中、朝九時から夕方四時まで社務所で受け、予約は要らない。神前神社の祈願祭も、期間中の九時から十五時までは予約が要らない。
せんき薬師は受付が午前九時から十一時半、午後一時半から三時までで、火曜は休みでも行事日と祝日は受けている。大洗磯前神社の虫切祈祷は十一時から始まり、十時半ごろまでに社務所へ来るよう書いてある。時刻の決まった祭りの日は、遅れるとその年は受けられないかもしれない。
子の年齢と日取りを寺社の案内に合わせる
年齢の幅は寺社ごとに違う。本光寺は生後百日以上、満七歳以下の子を受け、白旗神社は七歳ぐらいまでの子を対象にしている。せんき薬師は首がすわったころから小学校に上がる前までが目安で、就学後でも構わないとしている。穴八幡宮はもっと広い。新生児から十五歳の元服までを蟲封の対象にする。
十五歳を過ぎた人は穴八幡宮では癖封じや病気封じとして受け、行田八幡神社も大人も小児も封じると案内する。上の子と下の子を一緒に頼むこともできて、等泉寺は人数ごとに額を決めている。
日取りにも寺社の決まりがある。本光寺は大安を勧め、毎月八日も吉日としている。横浜の神明社は七日、十七日、二十七日にお参りするとよりご利益があると案内する。子安神社の書き方は少し違う。夜泣きは二、三歳までに自然と落ち着くことが多いので、それを過ぎても続くときに祈願を勧めている。
本光寺の下限の生後百日は、ちょうど百日祝いの時期と重なる。祝いの日にまとめて頼めば、首がすわる前の赤ん坊を何度も連れ出さずに済むわけだ。せんき薬師の目安も現実的。首がすわってからなら、抱いて座るのもずっと楽になる。
申し込みで伝えることと祈祷料の額
申し込みでは、たいてい子の住所、名前、生年月日を聞かれる。行田八幡神社は祈願当日に祈願主の住所、名前、生年月日を聞くと書いている。穴八幡宮は、マンション名や建物名まで入れた住所、保護者の名前、子の名前、受付時点の満年齢を伝える。大井神社の事前入力の欄も、住所、赤ちゃんの氏名、生年月日、来社予定日だった。
額はまちまち。案内を見て決める。本光寺は形がいくつもあった。本堂で一組ずつ祈る個別祈願が紙札二万円、木札二万三千円。大安の土日、午後二時に何組かまとめて祈る合同祈願は紙札一万円、木札一万三千円だった。
来られない家向けの代理祈願は紙札五千円、木札八千円で、申込日を含めて六日以内の日は希望できない。住職が毎朝の読経で名前を読み上げる祈願は一日五百円で、十日間から頼める。こちらは札も守りも付かない。
行田八幡神社は令和八年五月一日に額を改めた。中式が一万円以上で一年祈願、大式が一万五千円以上で三年祈願、大々式が二万円以上で五年祈願。放生寺は五千円から、安楽寺は一回三千円。等泉寺は一人五千円、二人八千円、三人まで一万円で、あとは一人増えるごとに三千円を足す。神前神社の祈願祭は三千円で、一人増えるごとに二千円だった。
包むときは紅白蝶結びののし袋か白い封筒に入れ、表書きは寺なら御祈祷料か御布施、神社なら御初穂料にする。下に子の名前を書いておけば受付が早い。安楽寺は症状によって二回来てもらうことがあるとした。そういう寺では二回分を考えておくといい。
行けないときは代参か郵送で頼む
家から出られない事情もある。行田八幡神社は、代参のときは祈願主の衣類などを持ってくればお祓いを受けられるとしている。横浜の神明社も、本人が来られないなら肌着や衣服を持参してほしいという。子の体の代わりに、いつも着ている物を神前に出す形。
郵送で受ける寺社もある。行田八幡神社と子安神社は郵送祈祷の窓口を案内している。本光寺の代理祈願は、希望の日に住職が本堂で祈り、札と守りを後で受け取る仕組みだ。せんき薬師は疳の虫封じ守りを通販の分院で出していて、遠方の家でも守りだけは受けられる。これなら遠くても頼める。
等泉寺は出張にも応じていて、交通費と宿泊代は別だった。体の弱い子や、きょうだいが多くて動けない家には助かる話だ。どの形でも、住所と名前、生年月日は先に書き出して手元に置いておく。
当日は子を抱いて本堂や拝殿に上がる
服は普段着で足りる。掌に字を書く寺なら、袖をまくりやすい服が楽だ。子安神社は授乳室とおむつ替えの台があると案内していて、赤ん坊連れで行く前提の社だと分かる。祈祷料の袋と、代参なら子の衣類を忘れずに持つ。
本光寺の個別祈願は一組ずつ本堂で行い、両親に加えて祖父母も同席できる。三代で並ぶ家もあるだろう。受付を済ませたら、親が子を膝に抱いて本尊の前に座る。鎌田神明宮の祈祷は二十分から三十分ほどかかった。
せんき薬師は、小さな子が修法で何をされるのか分からず怖がることがあるので、親がそっと体を抱いてやってほしいと頼んでいる。泣いても無理に黙らせなくていい。僧や神職もそこは慣れている。
祈祷が終わったら札や守りを受け取り、親子そろってもう一度本尊か神前に手を合わせてから下がる。釘を打つ札を授かったなら、打ち方と置き場所をその場で聞いておく。持ち帰ってから迷わずに済む。
木剣で掌に呪文を受け、守りに虫を封じて釘を打つ
本光寺の祈祷で子を守るのは、子安鬼子母神、手児奈霊神、疱瘡神の三柱だと寺は案内している。鬼子母神は人の子を食らっていたのが、釈迦に諭されて子育ての神になった仏だ。頼もしい顔ぶれだ。
いまの作法は二本立て。ひとつは虫封木剣という木の剣で子の手のひらに呪文を書き、虫を退散させるやり方。墨は使わない。
もうひとつが虫封守。守りを子の体とみなして祈祷し、守りの中に虫を封じ込めて釘を打ち込む。子に釘を打つわけじゃない。身代わりの守りに打つ。常顕寺も札を浄書して釘を打ち込み、疳の虫を退散させる祈祷をすると案内している。
放生寺は手の上に寺の秘法の虫切りを施すと書く。安楽寺は、道具に塩と水と、なぜか金槌があるけれど、子に痛いことは全くしないので安心してほしいと添えている。金槌を何に使うのかまでは書かれていない。気になるなら予約の電話で聞けばいい。
神社の形はもっと静かだ。白旗神社は大麻と鈴で虫を祓い、そのあと虫が付かないよう祈願して札を授ける。子安神社は神職が祝詞を奏上して虫封じを祈り、最後に三柱の神と十種神宝の御守符を授けている。神前神社は祈祷のあと、境内の神井戸をのぞく井戸のぞき神事がある。
塩で手を揉み墨で書く古い型
本光寺が二十年ほど前にやめた型は、各地の記録に残っていた。乳児の手のひらに真言や梵字を書き、粗塩で手のひらを揉み洗いして、しばらく置く。すると指先から細かい糸状のものが出るのが見えるという。
世界大百科事典の虫封じの項には、手のひらに墨で「天水地水寒水」と三回書く呪文が載っている。書くと指先から白く細い虫が少しずつ出てきて、疳の虫がおさまると言った。日本大百科全書は、祭神の名や特定の文字を手のひらに書いて祈祷してもらう形を挙げている。
いまの寺社の案内で、この型をはっきり掲げている所は見当たらなかった。昔の型で頼みたいなら、手のひらに何を書くのか、塩や墨を使うのかを申し込みの電話で聞いておくと、当日に戸惑わない。
祈祷のあとすぐ人形で体をなでて川へ流す
鎌田神明宮の虫封じには、家へ持ち帰る宿題がある。授かるのはお守りとお札、それに人型の紙。祈祷のあとすぐにやってほしいと案内しているので、時間に余裕のある日に行くよう書いている。
やり方は簡単。子の服を脱がせる。人型を子の頭の上のほうから、ぐるぐると円を描くように体に沿わせ、なで終えたら袋に入れて川へ流す。
紙の人形に災いを移して水に流す、神社の大祓と同じ筋の作法で、袋に入れるのは紙がばらけずに流れていくようにだろう。川が近くにない家は、祈祷の日に社務所で流し方を聞いておくといい。
飲む護符は初水で二日に分ける
穴八幡宮の蟲封で授かるのは、飲む護符とお守だ。護符は受けた翌日と翌々日の二回に分け、家で朝一番に汲んだ初水で子に飲ませる。日にちまで決まっている。
乳幼児ならその初水を白湯にしたりミルクに混ぜたりしてもいいが、ミネラルウォーターは使わないよう書いてある。家の水道の朝一番の水、というところに意味があるのだろう。
お守は一年間、子のそばにあるよう身につけて過ごす。服の内ポケットか、かばんに付けておく形になる。紐付きの守りを首から下げると赤ん坊には危ないので、衣服に留めるほうが落ち着く。
身につける守りには古い形もある。昭和十年の『旅と伝説』によると、山梨県の金桜神社は蟲切鈴という土鈴を授けていた。子の腰につけておき、いつのまにか落ちたら虫が切れた印。虫が起きたときに鈴を地面に叩きつけて割ると虫が切れる、とも言った。いまも同じ形で授けているかは、社務所に尋ねてから行ったほうが確かだ。
釘を打った札は寝室の高い所に祀り、石で打つ
常顕寺の虫封じの札は寝室に祀る。夜泣きや癇癪がひどい晩には、札に打ち込んだ釘を石で打つ。封じた虫をもう一度押さえ込む、という形だ。親が自分で打てる。
打つ回数も強さも寺の案内には書かれていないので、授かるときに聞いておく。そこは寺任せ。
置き場所は白旗神社の案内が分かりやすく、家の中の目線より高い位置に、札の表を南か東へ向けて祀って日々お参りする。寝室なら、子の手が届かず、寝顔を見下ろせる壁際の高い所に札立てや小さな棚を付ける。
寺の札は仏壇の近くに、神社の札は神棚に、という分け方でも構わない。常顕寺のように寝室と指定がある札は、その指定を優先する。
虫切鎌を借りて頭や腹をなでる
札ではなく、鎌を使う地方もあった。世界大百科事典によると、長野県上水内郡の虫倉山観音は虫封じに霊験があるとされた。奉納してある虫切鎌を借りてきて、子の腹をなでさすって神棚に上げておく。治ったら倍にして返したという。律儀な話だ。
日本大百科全書にも同じ形が出てくる。虫封じに霊験のある神仏に虫切鎌を奉納して願を掛ける。社前にたくさん奉納されている中から一つを選び、子の頭、腹、背中をなで回すとよく効くと言った。
鎌田神明宮の十年後のお礼参りも、鎌に社を作って納める形だった。借りる、なでる、神棚に上げる、倍にして返す。この順番は覚えておいて損はない。
福島県郡山市の夜泣石も、体に触れさせる型だった。昭和五十一年の『会津の民俗』によると、親は赤ん坊をおぶって石まで来た。石の表に残る足跡のようなくぼみに小さな足をはめて、踏ませたという。そうすると夜泣きが治って丈夫に育つと言われた。
家で掌に「鬼」や「田」を書いて三遍唱える
寺社へ行くほどでもない夜は、家のまじないが使われた。兵庫県姫路市の飾東町では、昭和十年の『旅と伝説』に西谷勝也が報告した形がある。子の手のひらに墨で「鬼」の字を三度書き、その手を握らせる。握らせたまま「アブラウンケンソワカ」と三遍唱えた。
檜枝岐の形は「田」の字を一、二度描いて唱え、最後に掌へ息を吹く。姫路は握って閉じ込め、檜枝岐は息で外へ出した。向きは逆でも、唱える言葉はほぼ同じだった。
この言葉は大日如来の真言がなまった形だ。原文はオン・アビラウンケン・ソワカ。読みは、おん、あびらうんけん、そわか。アビラウンケンの五字は、地、水、火、風、空の五つを表す。大日如来に帰依して願いが成就するよう祈る言葉だと、ざっくり取っておけばいい。
家で試すなら、筆に墨を含ませて掌に字を書き、手を軽く握らせて三遍唱える。檜枝岐にならうなら、声に出さず口の中で唱えて、最後に息を吹く。青森県七戸町には、別当と呼ばれる世話役が茶碗の内側にまじないの字を書き、湯を注いで飲ませた記録もある。ただ字が何だったかは残っていないので、そこは真似しようがない。
書き終えたら、墨が口に入らないよう濡れた布で掌を拭く。赤ん坊はすぐ手を口へ持っていく。記録にあるのは墨と筆の形だ。
夜泣きには鶏の絵を描いて逆さに貼る
夜泣き封じでいちばん広く記録されているのは鶏の絵で、夜明けを告げる鳥に夜を早く終わらせてもらう願いだったらしい。愛媛県上島町では、昭和三十五年の郷土誌『あゆみ』に、鳥の絵を描いて逆さに貼っておくとよいとある。
置き方は土地で違った。同じ愛媛の西条市加茂では、昭和三十六年の記録に、鶏の絵を描いて布団の下に敷いて寝るとある。加茂には、鶏の絵を描いてコウジンサン、つまり台所の荒神に供えるという記録も並ぶ。青森県七戸町では枕元に鶏の絵を置いた。
鹿児島県の奄美大島は二段構えだった。夜泣きは魔物が赤ん坊をいじめるせい、という見立てだ。昭和八年の『旅と伝説』によると、まず枕元に刃物を置く。それでも泣きやまないときは、竈の後ろの壁板に鶏の絵を描いて貼った。
家でなぞるなら、半紙に墨で鶏を一羽描く。とさかと尾があれば鶏に見える。上下を逆にして子の寝る部屋の壁か台所の火の近くに貼るか、布団の下、頭のあたりに平らに敷く。刃物を枕元に置く形は、赤ん坊の手が届く所では危ないので、やるなら刃を鞘に収めて手の届かない高さに置く。
塩を使う家もある。昭和十四年の『民間伝承』によると、宮崎県諸塚村では、夜泣きは火が汚れたせいだとして、囲炉裏の四隅に塩をまいた。松山市沖の忽那諸島では、台所の荒神さまに塩を供えて祈ったという。
狐の文句を半紙に書いて行灯や枕に貼る
夜泣きを狐のしわざとみる土地では、文句を書いた紙を貼った。昭和六十一年の『奈良県史』民俗編によると、狐や鼬が赤ん坊を泣かせるので呪文を書く。「篠田の森の白狐、昼は泣くとも夜泣くな」と書いて行灯に貼る。「野中の狐、昼は泣くとも夜泣かず」と書いて枕に貼ることもあった。
読みは、しのだのもりのしろぎつね、ひるはなくともよなくな。のなかのきつね、ひるはなくともよなかず。昼は泣いてもいいから夜は泣くな、という頼み方で、そのまま意味が通る。
山形県には、大正十二年の雑誌『郷土趣味』に、夜泣きを野狐の祟りとみて、決まった歌を半紙に書き床柱の裏に貼る記録がある。効かなければ同じ歌を三度書いた。歌の全文はここでは確かめきれなかったので載せない。山形県飯豊町では、狐が尾を振るから夜泣きするとみてキツネナガシと呼んだ。拝んでもらった紙に歌を書いて子に貼るか、藁打ち石に縄を結んで家のまわりを引いて回った。
静岡県清水では、狐という字を決まった数だけ書いて梅の木の枝につけ、枕元に置いた。千葉県には、大津絵の鬼を夜泣きする子の枕元に逆さに掛けておくと泣きやむという言い伝えがある。大田南畝の随筆には、明鏡を掛けておくとよいという話も拾われていた。紙を貼るなら、行灯の代わりに枕元の照明の近くか枕の下にする。火の近くに紙を寄せないことは守りたい。
札の前で唱える言葉を宗旨で選ぶ
日蓮宗の寺で札を授かったなら、題目を唱える。原文は南無妙法蓮華経。読みは、なむみょうほうれんげきょう。法華経の教えに身も心もゆだねます、という意味だ。回数は授かった寺で聞いておく。
薬師如来の寺で授かった守りなら、薬師の真言が合う。原文はオン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ。読みは、おん、ころころ、せんだり、まとうぎ、そわか。病を除いてくださいと薬師に願う言葉として唱えられてきた。回数は授かった寺で聞いておくと迷わない。
神社の札なら略拝詞が短くて覚えやすい。原文は、祓へ給ひ清め給へ神ながら守り給ひ幸へ給へ。読みは、はらえたまい、きよめたまえ、かむながら、まもりたまい、さきわえたまえ。祓い清めて、神の御心のままに守り、幸いを与えてくださいという意味で、二礼二拍手のあとに唱えて一礼で終える。
一年以内に願解きして札と守りを返す
虫封じには終わらせ方がある。本光寺は、一年以内にお礼参りをして願解きするのが丁寧な作法だとしている。夜泣きが落ち着いたら、札と守りを持って同じ寺社へ行き、お礼を述べる。お礼参りの日取りまでは、どの寺社の案内にも細かく書かれていなかったので、落ち着いた頃合いを見て電話を入れればいい。
もっと丁寧にするなら、日本酒二升と二升餅を奉納すると本光寺は書く。二升は一升瓶二本。お礼参りに来られなくても、札と守りは寺へ返してほしいとあり、返したものはお焚き上げされる。授与品を寺に預けておくこともできる。
期間を先に決めている社もある。行田八幡神社は一年、三年、五年の祈願を選ぶ形で、その年限が、札を納めるか続けて頼むかを考える区切りになる。穴八幡宮のお守は一年間身につける。神前神社は、三年、三回続けるとよいと言われていると案内していた。
返し先は授かった寺社が筋。遠くて行けないなら、近くの神社の古札納め所に預ける手もあるけれど、寺の札まで神社に出すのは避けたい。寺の札は寺へ、神社の札は神社へ。
七つの区切りで最後の札を納める
昔は七つまでは神のうちと言った。本光寺の対象が満七歳以下、白旗神社が七歳ぐらいまでなのも、その区切りと重なる。七つを過ぎると、本光寺では虫封じの対象から外れる。
最後の札を納める日を七五三の七歳の参りに合わせるなら、授かった寺社と七五三の寺社が同じかを確かめておく。違う場合は、先に虫封じの寺社へ札を返してお礼を述べ、それから七五三に向かう順にすると筋が通る。七歳の納め方を決まった作法として書いた案内は、今回は見つからなかった。
区切りを長く取る社もある。鎌田神明宮は、子が健やかに育ったら十年後にお礼参りをしてほしいと頼んでいる。そのときは鎌を用意して社を作り、住所、氏名、生年月日を書いて納める。穴八幡宮の蟲封は十五歳の元服までが対象だ。
家で描いた鶏の絵や、狐の文句を書いた紙の始末は、記録には出てこない。夜泣きが止んだら、最後の札を返しに行くとき一緒に持っていき、受けてもらえるかを寺社で聞くのが無難だ。
