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こっくりさんの始め方と帰し方 竹と飯櫃の蓋、紙と十円玉の用意から後始末まで

下田の帆船から座敷へ入った遊び

明治二十年、井上円了が『妖怪玄談』を出した。流行中のこっくりを正面から調べた本だ。円了によると、伊豆の下田の近くでアメリカの帆船が壊れ、長く土地に残った乗組員が村の人にこの遊びを教えたという。西洋で流行っていたテーブルターニングのこと。

明治十八年の秋から翌年の春にかけて東海道筋で大流行し、そこから京阪や房総、奥州へ広がったと円了は書いている。蓋がこっくりこっくり傾くから「こっくり」。そこへ狐、狗、狸の字を当てて「狐狗狸」と書くようになった。

円了は雑誌で各地の報告を募り、届いた手紙を書き手の言葉のまま本に並べた。美濃、常陸、下総、肥後、肥前、宮城、東京、大阪と、送り主の土地がばらばらなのがありがたい。竹の寸法も唱える文句も、村ごとに細かく分かる。昭和の十円玉の形は、この竹と蓋の遊びが紙と硬貨に置き換わったものだ。

生竹三本を麻で縛って三つ又に立てる

明治のこっくりは、竹三本で足を作るところから始まった。長さは土地でばらばら。美濃の中野方村は生竹を一尺四寸五分に切り、伊豆での見聞でも青竹の一尺四寸五分を使っている。いまの寸法で四十四センチほどになる。

千葉の飯塚村と宮城の伊具郡は一尺二寸、大阪あたりは一尺五寸。三十六センチと四十五センチくらいだ。常陸の太田町は九寸三分か七寸三分と、二十二から二十八センチほどでぐっと短い。東京の日本橋からの報告では、二本を九寸、一本だけを九寸五分にして、わざと長さをずらしていた。

いちばん細かいのは肥後の益城郡だ。女竹三本を節込みのまま、鯨尺で一尺四寸四分に切った。鯨尺は着物を測る物差しで、これだと五十四センチを少し超える長さになる。上から全長の十分の三、下から十分の七のところを苧の紐で結び、紐の長さも同じ一尺四寸四分にそろえた。

縛るのはどこも麻で、左縒りを指定する土地が多かった。伊具郡は長さ三尺、つまり九十センチほどの左縒りの麻縄を七回半巻き、竪結びにしている。太田町は三本とも節を真ん中にそろえ、その節を麻で七巻き半。飯塚村は中央より少し下を七回り、日本橋は左縒りの麻糸で七巻きだった。

伊豆の見聞では、上から三、四寸のところを左縒りの麻縄で結んでいる。牛込や小石川のあたりでは、麻糸に女の髪の毛を三筋まぜ、その縄を七五三に結ったらしい。七という数と左縒りが、あちこちで重なっているのが目につく。

竹の長さも縛る位置も村ごとにちがうのは、手紙の書き手がそれぞれの土地で見たままを円了へ書き送ったからだ。寸法の正解は一つじゃない。手に入る竹で、三本の長さをそろえるのがまず基本。

縛ったら三本の足を開き、三つ又に立てる。これが蓋を載せる台だ。竹の中に札を入れる土地もあって、日本橋では白紙三枚に狐、狸、天狗と一字ずつ書いた。丸めて竹に一つずつ入れ、入れた口を下にして立てる。節を抜いた筒だからできる細工で、伊具郡も狐、天狗、狸と書いた札を竹に入れていた。

飯櫃の蓋か盆を伏せ、風呂敷を掛ける

足の上には平たい物を一枚伏せる。中野方村と伊豆は飯櫃の蓋、太田町は金輪の付いていない飯鉢の蓋だった。盆を使う土地も多い。肥後は盆を伏せ、伊具郡は塗り盆を載せている。どれも台所や座敷にある物ばかりで、卓の無い明治の家でもすぐにそろった。

蓋や盆に字を書く土地もあった。太田町は蓋の内側に狐狗狸の三字を書いている。常陸の土浦は盆の裏に指先で同じ三字を書き、風呂敷のような布を掛けて、火打ちで切り火をした。墨を使わず指でなぞるだけ。

布を掛ける形はわりと広く見られる。飯塚村は盆か蓋の上に布を加え、伊具郡も風呂敷で覆った。肥前の高島村の報告にも風呂敷が出てくるから、上に一枚掛けるのは珍しくなかったんだろう。

火で温める手順も残る。伊豆では、蓋をしばらく炉の火であぶってから使った。伊具郡は竹の口を火で温め、そこへ温めた塗り盆を載せている。肥後は茶碗に水と酒を盛り、二本の竹の下に置いた。供え物のようにも見える。

伊具郡の組み方は、竹の口と塗り盆の両方を火で温めてから重ねるので、支度だけでもそれなりに手間がかかった。温めた盆に風呂敷。そこへ女の子三人の左手。

三人が三方に座り、手をそっと載せる

座り方は三人が三方からが基本で、中野方村では三人が向かい合って座り、片手か両手で蓋を緩く押さえている。握るんじゃなく、載せるくらい。飯塚村も三人が三方から手を掛けた。

手や指の数を決める土地もあった。太田町は、蓋に載せる手を奇数にするのが決まり。肥後は三人がそれぞれ三本の指で盆を押さえ、伊具郡では女の子三人が風呂敷の上に左手を静かに載せている。

誰がやるかにもこだわりが見える。肥後では、コックリ様は女の子を好むといって童女を使うのがよいとした。高島村は問答の前に「汝はいずれの人を好むや」と尋ね、好まれた人の指を風呂敷の上に加えた。婦人や信じる人が一人加わると早く回る、という話も円了は書き留めている。

呼び役が一人で「御移り下され」と繰り返す

手を載せたら、一人が呼び役になる。伊豆の見聞では、蓋を囲む中の一人が導師になった。ほかの者は謹んで移ってくるのを待つ。唱える文句は土地で少しずつちがう。

中野方村の文句はこうだ。「狐狗狸様、狐狗狸様、御移り下され、御移り下され、さあさあ御移り、早く御移り下され」。読みは「こっくりさま、こっくりさま、おうつりくだされ、おうつりくだされ、さあさあおうつり、はやくおうつりくだされ」。この蓋へ移ってください、早く来てください、という呼びかけ。

太田町は「コックリ様、御寄りになりましたら、早く御回りを願います」と言った。読みは「こっくりさま、およりになりましたら、はやくおまわりをねがいます」。来たら回ってしるしを見せてください、という頼み方になる。伊豆の導師は「コックリ様、御移り下され、回りて下され」としきりに唱えた。

肥後の文句は「コックリ様、御たずね申したきことあれば、なにとぞ御出で下され」。読みは「こっくりさま、おたずねもうしたきことあれば、なにとぞおいでくだされ」。聞きたいことがあるので来てください、の意味だ。これを二十分から三十分言い続けると、三人の手のあたりに力が生じ、来たと感じたという。

埼玉からの報告は、呼び方がもっと改まっていた。「狐狗狸よ、狐狗狸よ、汝の座をここに設けたり。速やかに来たれ」。あなたの座をここに用意した、早く来い、という意味だ。続けて「すでに来たらば、その兆しとして盆を右方にめぐらせ」と頼んでいる。

大阪あたりでは、竹の足を撫でながら「おコックリ様、おコックリ様」と三べん唱えた。伊具郡は太鼓を打ったり唱歌を歌ったりして囃し立て、盆が回りだすのを待った。にぎやか。

文句の長さも言い回しもばらばらだが、来てほしいと頼み、来たらしるしを見せてもらうという中身はどの村も同じだった。呼ぶのは一人、待つのは残り全員。

答えの型を先に決めてから問う

蓋が動きだしたら問いに入るが、明治の問い方は、答え方を先に約束してから聞くのが決まりだった。中野方村は「御移りになりましたらば、なにとぞ甲某が方へ御傾き下され」と頼む。蓋はその人の方へ傾き、反対側の竹足が上がった。

数を聞くときは傾きや足の上がる回数を数え、中野方村では年を聞くとき、一傾を十年、端数は一傾を一年とした。埼玉の問答では「一歳を一足としてこの足をあげよ」と頼み、足が十回上がったとある。

はい、いいえで答えさせる問いは、竹の一本を指して「この足をあげよ」と言う。肥後は「甲ならば右の竹をあげよ、乙ならば左の竹をあげよ」と二択にしている。

回る向きで答えさせる形もあった。中野方村は好きなら左回り、太田町は十代なら右、二十代なら左と先に決めた。太田町ではそのあと「十一歳なるか」と一つずつ当てていき、当たれば動き、外れれば動かないと見ている。

場所選びの手がかりも一つある。天井のある座敷では、いくら囃しても回らない。伊具郡から届いた報告だ。妙な話。

埼玉の問答で見る、聞く順番

埼玉からの報告は、問いの並べ方がよく分かる。最初に聞くのは相手の正体。竹の一本を指して「汝、狐なれば、この足をあげよ」と聞き、上がらなければ狐ではないと見た。天狗も同じように外していき、猫かと聞いたところで足が一寸ほど上がったという。

しるしが小さいときははっきり示してもらうもので、「汝、この足を三寸ほどあげよ」と頼むと足が三寸上がった。答えがあいまいなまま次へ進まない、という手順だ。

正体の次は、どこから来たか。甲村なら、乙村なら、と一つずつ聞いて住む村を当てた。何をしに来たかも尋ねていて、遊びに来たかには動かず、物教えに来たかで足が上がっている。

本題はそのあとだ。ある家に火事などの災いがあるか、幸福があるか、とはいかいいえで聞いていった。どれにも動かず、「いまだ全く明らかならざるか」でようやく足が上がった。まだ決まっていない、という答えの取り方まで用意していたわけだ。

最後は年、翌日の天気、何の歌で踊るかと軽い問いが続き、相撲甚句で踊るかと聞くと足が上がった、とある。正体、出どころ、来た理由、本題、軽い問いの順で、帰りを尋ねる前に場をほぐしていた。

「御帰りになりませんかいなや」と帰りを尋ねる

終わりの形がいちばんはっきり残るのは、円了のもとへ届いた髪結いの話だ。身近なことをいくつか尋ねたあと、最後に「御帰りになりませんかいなや」と聞いた。お帰りになりませんか、というずいぶん柔らかい頼み方。

返事はなかった。しばらく間を置いてもう一度尋ねると、三本の足がそろって舞い上がり、盆をひっくり返して去った、とある。一度で帰らなければ、間を置いて重ねて頼む。明治の帰し方として記録に残ったのは、この二段だけだ。

決まった送りの文句は円了の本には出てこず、呼ぶ文句は村ごとにあったのに、帰す文句はその場の言葉で頼んでいた。

明治の形を通しでなぞる

ここまでの報告を、手を動かす順に並べ直しておく。竹は一尺二寸から一尺五寸ほどのものを三本そろえ、真ん中か少し上を左縒りの麻で七回か七回半巻いて縛る。札を入れるなら、狐、狸、天狗と一字ずつ書いた紙を丸めて筒に入れ、その口を下にして三つ又に立てる。

上に飯櫃の蓋か盆を伏せ、土地によっては風呂敷を一枚掛ける。三人が三方に座り、手か指を軽く載せたら、導師が一人で呼ぶ文句を繰り返す。ほかの者は黙って待つ。

蓋が傾くか回るかしたら、来たしるし。誰の方へ傾くか、どの足が上がるか、どちらへ回るかを先に決めてから、一つずつ問う。聞き終えたら「御帰りになりませんかいなや」のように帰りを尋ね、答えがなければ間を置いて重ねて頼む。

蓋が回る仕組みを円了はこう読んだ

円了は、答えを予期する心の働きを「予期意向」と名付けた。自分で気づかないまま筋肉が動くことは「不覚筋動」。この二つが重なって蓋が動く、というのが結論だった。知力に富んだ人や虚心平気な人の前では回らない、と円了は書いた。婦人や信じる人が加わると早く回る、という話もこの見立てと組になっている。

手順に当てはめると、答えの型を先に決めるのは、予期を一方へ向ける段取りに当たる。手を緩く載せるのは、小さな筋肉の動きが蓋へ伝わる形だ。昭和の十円玉も、この骨組みのまま小さくなった。

白い紙に鳥居と五十音を書く

昭和の形は、紙一枚と十円玉一枚で足りる。紙は白い紙。大きさはコピー用紙一枚ほどとする手引きが多く、黒と赤のサインペンがあれば描ける。

真ん中の上に鳥居を描く。赤で描くという話が多い。鳥居の左右に「はい」と「いいえ」を書き、その下に五十音、さらにその下に零から九までの数字を並べる。男か女かを答えさせるため、「男」「女」の字を書き足す形もある。

鳥居は紙の上の真ん中に一つだけ描き、十円玉を最初に置いて最後に戻す場所として、ほかの字から少し離しておく。入り口で出口。

並べ方には流儀があった。ひらがなを右から縦書きにし、数字を左から横書きにする、という手引きもある。どの形でも、硬貨が文字から文字へ動ける余白を残しておく。

移り変わりの途中の形として、割り箸を三本組んで小さな三本足のこまを作る「コンコンさま」も伝わっている。戦前、戦中からの古い形だったという。三本足という骨組みだけ、明治の竹から受け継いだ。

十円玉を鳥居に置いて人差し指を載せる

人数は二、三人。机を囲んで座る。一人でやらないのが昭和の決まりの筆頭だった。

十円玉を鳥居の上に置き、全員が人差し指を一本ずつ軽く載せる。硬貨は十円玉が多いが、五円玉を使う例もある。指に力を入れず、載せるだけ。明治の「緩くおさえ」と同じ手つきだ。

窓を開けておく、という話も伝わる。キューピットさんの手引きには、部屋の窓を開けて、紙の上の十円玉に指を置くとある。時刻は放課後や夕方の話が多い。ただ決まった刻限を書いた手引きは、調べた範囲では見当たらなかった。

「どうぞおいでください」と呼び、「はい」へ進んでもらう

指をそろえたら呼ぶ。よく知られた文句は「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。もしおいでになられましたら、『はい』へお進みください」。来てください、来たら「はい」へ動いてください、という二段の頼みだ。「どうぞお入りください」と言う形もある。

十円玉が「はい」へ動けば来たと見なす。動かなければ呼び直す。呼び役を一人にするか、全員で声をそろえるかは仲間しだいだった。明治の伊豆では呼ぶのは導師一人だったから、全員で声をそろえるのは昭和に入ってからの形なのかもしれない。

呼んで、来たらしるしを見せてもらう。この二段は、明治の「御寄りになりましたら、早く御回りを」とまるで同じ形。道具は変わっても、頼み方の順番は残ったわけだ。

一問ずつ尋ねて、そのたびに鳥居へ戻す

問いは一つずつ出す。答えは五十音を一字ずつ拾うか、はい、いいえで出て、数を聞けば数字の上へ動いていく。明治の足の数え方にくらべて、言葉で答えが出るぶん聞ける幅は広がった。

一問終わるごとに、十円玉を鳥居へ戻してもらう。毎回だ。出発点に戻ってから次を聞く、この往復が昭和の問い方の基本になる。

聞いてはいけないとされる問いもある。「あなたはだれですか」「名前を教えてください」「好きなものは何ですか」のように、相手の素性を尋ねる問いだ。相手に情が移ると心に隙ができて取り憑かれる、というのが理由。明治の埼玉の問答が、狐か天狗かと正体から聞いていったのとは正反対になっている。

「どうぞお戻りください」で鳥居へ帰す

聞き終えたら必ず帰ってもらい、そのときの文句は「こっくりさん、こっくりさん、どうぞお戻りください」。「鳥居のところまでお戻りください」「どうぞお帰りください」と言う形もある。

十円玉が鳥居まで戻るまで、指は離さない。戻ったら礼。「こっくりさん、ありがとうございました。お離れください」と、礼と別れを一続きに言う形もある。指を離すのはそのあとで、全員そろって。

明治の髪結いが一度で帰ってもらえなかったように、昭和の手引きでも鳥居に戻るまで何度か頼み直す場面は珍しくない。そこで焦って指を離すのが、いちばんの失敗とされた。

「いいえ」へ動いて帰らないとき

帰ってくださいと頼んだのに十円玉が「いいえ」へ行き、円を描き続けていつまでも鳥居へ戻らない。こういうとき伝わる対処は一つで、戻るまで頼み続けることだ。

慌てず、落ち着いてもう一度お願いする。謝りと礼を重ねて、納得してもらうまで繰り返す、と書く手引きもある。怒ったり、指を離して逃げたりはしない。ここが踏ん張りどころ。

途中で指を離したり、終わりの文句を忘れたりすると帰ってくれず、取り憑かれる。そういう言い伝えがあるから、どの手引きも最後まで頼み続けろと言う。明治の髪結いの話でも、一度目は返事がなく、間を置いて頼み直していた。

昭和の形を通しでなぞる

昭和の形も、順に並べるとこうなる。紙に鳥居、はい、いいえ、五十音、数字を書き、十円玉を鳥居の上に置く。二、三人で机を囲み、全員の人差し指を十円玉に軽く載せてから、声をそろえて呼ぶ。十円玉が「はい」へ動けば始まりで、そこから一問ずつ尋ねては鳥居へ戻してもらう。

聞き終えたら「どうぞお戻りください」と頼み、十円玉が鳥居に着くまで待つ。礼を言ってから、全員で指を離す。そのあと紙を破るか燃やし、十円玉は三日のうちに使って手放す。ここまでで、ひと続き。

途中で止まったら、そこから先を飛ばさない。帰らないなら頼み直し、帰ったら礼を言い、礼を言ったら片付ける。どこで止まっても、この順に戻って最後まで踏むのが昭和の手引きに共通する考え方だ。

紙は破って燃やし、十円玉は三日のうちに使う

終わったら使った物を手元に残さないのが決まりで、紙は四十八枚に細かくちぎって捨てる、というのがいちばんよく聞く形だ。四十八という数の出どころは、調べた範囲では分からなかった。

燃やす形もある。ろうそくの火で燃やして灰を川に流す、塩で清めてから燃やす、という話も聞かれる。細かく破ってからほかのごみに紛れさせる、と書く手引きもあった。紙も十円玉も持ち帰らない。

十円玉は三日以内に使ってしまう。自販機や店で使ってほかの人の手へ渡すか、募金箱に入れてしまう形もある。財布にしまったまま持ち歩いたり、記念に取っておいたりはしない。

途中で指を離さない、一人でやらない

禁忌はいくつも重なって伝わったが、いちばんきついのは、途中で十円玉から指を離すことだった。帰り道が切れて、呼んだものが戻れなくなる、あるいは憑かれると言われた。

一人でやらない。これも強く言われた。人が変わったようになる、というのが理由で、昭和の手引きではほぼ必ず出てくる。

途中でやめない。自分の指で十円玉を動かして答えを作らない。怯えたまま続けず、ふざけ半分でやらない。冷静に問う。どれも「最後まで帰し方を踏め」という一つの決まりに集まっている。

様子がおかしくなった子が出たとき

昭和の流行のさなかには、途中で倒れる子や、息が荒くなる子が出た。昭和四十九年の中学校の例では、居合わせた教師が倒れた生徒の頬を叩いて目を覚まさせている。専門誌『精神医学』にも、こっくりさんのあとに集団で具合を悪くした例の報告が載った。

円了の見立てをひっくり返すと、止める側の手がかりになる。落ち着いて疑ってかかる人の前では回らない、と円了は書いた。場に落ち着いた人が一人入るだけで、動きは止まりやすいということだ。手引きの多くは、そのうえで帰し方を最後まで踏み、紙と十円玉を片付けて区切るよう書いている。

キューピッドさんはハートと鉛筆一本で

名前を替えた派生でも、骨組みは同じだった。オカルト誌の連載が引く『キューピッドさんの秘密』のやり方では、白い紙に赤いペンか赤鉛筆で大きなハートを描く。鳥居も五十音も要らない。

二人が紙をはさんで向かい合って座り、右手の指を絡ませるようにして一本の鉛筆を握る。呼ぶ文句は「キューピッドさま、おいでください。いらっしゃいましたら、大きな輪を描いてください」。鉛筆が大きく円を描けば来たしるし。

問いの前には毎回「キューピッドさま、おたずねします」と付け、答えが出たら鉛筆をハートの真ん中へ戻してもらう。終わりは「キューピッドさま、ありがとうございました。どうぞお戻りください」と唱えた。

鉛筆がハートの真ん中でしばらく動かなくなったら、お戻りになった証拠だという。使った鉛筆と紙は、その日のうちに燃やすか捨てる。式の途中で手を離すのはここでもタブーだった。

エンゼルさん、星の王子さまの紙の違い

十円玉を使うキューピットさんもあって、そちらは五十音と数字にハート印を書いた紙で行う。関西で多かったエンゼルさんは十円玉を使い、英字を円く並べた紙で答えを拾ったという。鳥居の代わりにキューピッドの絵を描く、という形も伝わっている。

星の王子さまは、五十音を紙のふちに額縁みたいにぐるりと並べた。フラワーさんは花の絵を添え、ダニエルさんは空飛ぶ円盤の絵を描いて呼んだという話だ。狐を呼ぶのが怖いから、あるいは学校で禁止されたから名前を替えた、と言われている。

紙の図案と呼ぶ名前が替わるだけで、真ん中から出て真ん中へ戻す段取りは同じ。キューピッドさんの帰し方も、こっくりさんと同じ「どうぞお戻りください」だった。

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