十一月の酉の日の夜、浅草の鷲神社の前は、大きな熊手を頭の上に掲げて歩く人で埋まる。正月から春にかけては、各地の寺の境内に赤いだるまが山と積まれる。どちらも買って終わりにはならない。値切り方、飾る向き、目を入れる順、一年たったあとの返し先まで、決まった段取りがついて回る。
- 松に掛けた熊手と、浅間山の飢饉のあとの張り子
- 暦で酉の日を数え、授与所の熊手か露店の熊手かを決める
- 予算より低い額を言って、負けてもらった分はご祝儀で置く
- 手締めに加わり、熊手を正面に向けて高く掲げて帰る
- 入口に正面を向けて少し高く掛け、北向きだけは外す
- 翌年の酉の日に、古い熊手を納め所へ置いてから新しいのを受ける
- だるま市の日を選び、寺の目入れ所で開眼を受ける
- 家で目を入れるなら、向かって右の目から墨で丸く塗る
- 願いが叶ったら右目を入れ、寺に持ち込むなら吽の字を受ける
- 少林山で方位除の祈祷を頼むときの段取り
- 神棚の向かって左か、目線より高い棚に据える
- だるまが傷んだとき、熊手の飾りが落ちたとき
- 古いだるまは袋から出し、寺の供養受付へ預ける
- 招き猫は豪徳寺で受けたものなら、叶ったあと奉納所へ返す
- どんど焼きに出す前に、金具とビニールを外しておく
- 寺社へ返せない年に、家で紙と塩で送る
松に掛けた熊手と、浅間山の飢饉のあとの張り子
鷲神社の由緒では、日本武尊が東征の帰りに社前の松へ武具の熊手を掛けて、勝ち戦を祝ったことになっていた。その日が十一月の酉の日だったので、例祭がこの日に決まり、酉の市になったと神社は説明していた。熊手はもともと戦の道具だったわけだ。福をかき込む形に見立てられ、商売の縁起物になっていった。
だるまのほうは、群馬県高崎市の少林山達磨寺が縁起だるま発祥の寺を名乗っている。天明三年の浅間山の大噴火のあと、飢饉に苦しむ農民を救おうと、九代目の東嶽和尚が張り子の作り方を教えた。開山の心越禅師が描いた一筆達磨の絵をもとに木型を彫り、豊岡村の山縣友五郎が張り始めたと寺は書いていた。
赤いのは、達磨大師が赤い衣をかぶって坐禅した姿がもとだから。色で意味は変わらず、目を入れて願いを込めるところに意味が生まれる、というのが寺の答えだった。由来はこのくらいで足りる。
暦で酉の日を数え、授与所の熊手か露店の熊手かを決める
酉の市は十一月の酉の日ごとに立つ。日の干支は十二日で一巡りするので、十一月の中に酉の日が二回しか来ない年と三回来る年が出てくる。令和八年の浅草は七日と十九日の二回だった。三の酉まである年は火事が多いという言い回しもあるけど、鷲神社はどの酉に行っても御利益は同じだと答えていた。一の酉にこだわらなくていい。
目黒の大鳥神社のように、同じ日に市を立てる大鳥系の社は都内にいくつもある。目黒の市は、天保六年に下目黒の造り酒屋が浅草から熊手を取り寄せたのが始まりだった。熊手と一緒に、八つ頭という芋が縁起物として並んだ。日本武尊が八つの部族の頭目を平らげた手柄をかたどった芋で、出世の縁起として一緒に買って帰る人もいた。
最初に決めるのは、神社の授与所で熊手御守を受けるか、境内の熊手商から縁起熊手を買うか。熊手御守は「かっこめ」と呼ばれる小さな熊手で、鷲神社では酉の市の日にしか授けていない。授与所は酉の日の午前零時から開く。露店の縁起熊手のほうは、おかめの面、宝船、大判小判、米俵を竹の熊手に盛った飾り物で、夜更けまで店が開いている。
予算も先に決めておく。浅草の酉の市の案内では、売れ筋が一万円から五万円くらいで、小さな豆熊手なら千円ほど。初めから大きすぎるものは求めず、毎年少しずつ大きくしていくのが習わしだと書いてあった。初めてなら両手に収まる大きさから入れば、翌年から上げていく余地が残る。
持ち物は古い熊手と財布。家を出る前に、去年の熊手があれば外して持っていく。返すのと受けるのを同じ日にするのがいちばん手間がない。帰りの足も考えておく。
予算より低い額を言って、負けてもらった分はご祝儀で置く
境内に入ったら、すぐ買わずにひと回りする。露店は参道から境内の奥までびっしり並んでいる。入口近くの店で決めてしまうと、奥で気に入った熊手を見つけて悔しい思いをしやすい。店ごとに飾りの盛り方も口上も違うから、気になる店の見当をつけてから戻ってくる。同じ店で毎年買い続ける人も多く、店のほうも顔を覚えている。
値段を聞くのはそのあと。浅草の案内が勧める手は、予算より少ない額をこちらから言ってみること。熊手屋は、欲しいと思った熊手より小さい物を勧めてくるはずだ、とまで書いてあった。ここからが駆け引き。うまく話がまとまれば「まけた、まけた」の声が掛かるかもしれない。
昔の粋な買い方は、値切った分をご祝儀として店に置いてくるやり方だった。たとえば一万円の熊手を八千円まで負けてもらい、一万円札を出して、釣りの二千円は受け取らない。客はちょっとしたお大尽の気分を味わい、店はより儲かった気分になる、と案内は説明していた。値切りは値段を下げるための駆け引きというより、売り手と買い手で景気をつけ合う遊びに近い。
ご祝儀はあくまで慣習で、決まりではない。いまは店が値段をはっきり示すことも多いので、値切らずに言い値で買って、少し上乗せして置いていく人もいる。手持ちに余裕がなければ、値切った額そのままで払ってかまわない。そこで気まずくなる店はまずない。店も慣れたもの。
手締めに加わり、熊手を正面に向けて高く掲げて帰る
締めの合図は若い衆の声。売り買いが決まると手締めになる。手締めは商いが成り立ったしるしで、手終いとも言ったと鷲神社は書いていた。店の人が大勢で声をそろえ、「家内安全、商売繁盛」と唱えて手を打つ。買った本人もその輪に入って一緒に手を打つ。
締めの調子は店ごとに違い、あちこちの店から一晩じゅう拍子の音が聞こえてくる。どの店の締めが気に入るかで、翌年から通う店を決める常連もいるくらいで、隣の店の手締めを聞き比べるだけでも楽しい。
合図は店の若い衆が掛ける。手締めのあいだは、熊手を受け取った手を下ろして一緒に打てばいい。声を合わせるのが気恥ずかしくても手だけは打っておけば、店の人は十分に喜んでくれる。締め終わったら店の人に一礼して、熊手を受け取る。
持ち帰るときは、熊手の正面を前に向けて高く掲げて歩く。浅草の案内もそう書いていた。福をかき込みながら帰る形になるからで、飾りを下に向けたり、脇に抱えたりはしない。人ごみの中では、柄を立てて胸の前で持てば周りにも当たらない。
持ち帰る前に本殿へ参拝していなければ、ここで回る。順番に厳しい決まりはないけど、古い熊手を納めてから参拝し、それから新しい熊手を受けるという流れにしておけば迷わない。熊手御守を受けるなら、この参拝のあとで授与所に並ぶ。
授与所の熊手御守は、午前零時から深夜の二十四時まで一日じゅう授けていた。小さくて持ち帰りやすいので、露店の大きな熊手と両方受ける人も多い。こちらは寺社の授与品なので、家では神棚か仏壇に祀り、露店の熊手とは分けておく。翌年の酉の市で、縁起熊手と一緒に納め所へ返せばいい。一年分の熊手をまとめて抱えていくことになるので、大きな紙袋を一枚持っていくと両手がふさがらずに済む。
入口に正面を向けて少し高く掛け、北向きだけは外す
飾る場所は、浅草の案内に順番が書いてある。玄関なら、福を取り込みやすいように入口に正面を向けて、少し高いところに飾る。室内なら、熊手の正面を南、東、西のどれかに向けて、やはり少し高いところへ。正面を北に向けるのだけは避けたほうがいいとあった。
寺社で授かった熊手守りなら、神棚や仏壇がある家はそこへ祀ってもいい。熊手商の縁起熊手は大きいので、鴨居や壁の高い位置に掛けることが多い。迷ったら北以外、目線より上。
掛ける日にも目安があった。鷲神社は、新しく受けたお札や熊手を暮れの二十八日に神棚などへ祀るよう勧めていた。古い熊手と掛け替えるなら、持ち帰ったその日に掛けてもかまわない。酉の市は十一月なので、たいていはその晩のうちの掛け替えになる。
掛ける前に、場所を固く絞った布で拭いて乾かしておく。フックは柄の重さに負けないものを選び、石膏ボードの壁なら専用の留め具を二か所に打って柄を渡す。飾りの面が入口を向くように、上の端を少し前へ傾けて掛けると正面から見上げたときの顔がよく見える。人の頭より低いと、出入りのたびに肩が当たって飾りが落ちる。
神棚の近くに掛けたなら、朝に水を替えるついでに二礼二拍手一礼で拝む。唱えるなら略拝詞が短くて続けやすい。原文は「祓へ給へ 清め給へ 守り給へ 幸へ給へ」。読みは、はらえたまえ、きよめたまえ、まもりたまえ、さきわえたまえ。祓い清めて、守って、幸いを授けてください、という意味になる。
翌年の酉の日に、古い熊手を納め所へ置いてから新しいのを受ける
熊手は一年ごとに返して、新しいものを受けるのが習わし。一年きり。浅草の案内も、翌年には前年に買った熊手を納めに来るよう書いていた。酉の市の日には、酉の寺と呼ばれる長國寺と鷲神社の入口に熊手の納め所ができる。そこへ置けば、長國寺が納められた熊手をていねいに浄めてくれる。
出かける前に、掛けていた場所の前で一年のお礼を言う。一言でいい。外した熊手の取れかけた飾りは紙に包んで一緒に持っていく。ビニールの覆いが掛かっていれば外しておく。
納め所では熊手をそっと置いて一礼する。長居は無用。お焚き上げ料の案内が出ていれば従い、なければ気持ちの分を賽銭箱へ入れる。
そのあと本殿で参拝し、熊手屋のほうへ回る。前の年と同じ店で、去年より一回り大きいものを選ぶ人が多く、店のほうも去年の大きさを覚えていて先に出してくる。商売が振るわなかった年は、同じ大きさで据え置いてもかまわない。
酉の市に行けなかった年の返し方も案内にあった。最寄りの寺社で大晦日や初参りにお札のお焚き上げをしていれば、賽銭を添えてそこに納める。それも難しければ、分解して処分してほしいとのことだった。
だるま市の日を選び、寺の目入れ所で開眼を受ける
だるまは、寺のだるま市で受けて、その場で僧侶に開眼してもらうのがいちばん確かで、あとで迷うことも少ない。関東の主なだるま市は、年の初めに集まっている。拝島大師の初縁日は正月二日と三日で、江戸時代から続く全国でいちばん早いだるま市だと寺は書いていた。高崎の少林山の七草大祭は一月六日から七日にかけて夜通し開かれ、高幡不動尊の初不動は一月二十八日。
少林山の七草大祭は、令和八年は六日の朝九時から七日の夕方五時までだった。本堂前にだるまの店が並び、本堂では法要や安全祈願祭が営まれる。
高崎のだるまは顔でそれと分かる。眉が鶴、髭が亀で、鶴は千年、亀は万年にかけてある。腹や肩には家内安全や商売繁盛の金文字が入るので、願いに合う文字のものを選べばいい。夜は冷える。
調布の深大寺は三月三日と四日で、元三大師堂の前に「だるま目入れ所」が設けられる。深大寺のだるま市は日本三大だるま市の一つに数えられ、境内には大小三百余りのだるま店が並ぶと寺は書いていた。狙いは一体。受付は朝九時から夕方五時まで。予約は不要。
深大寺での流れはこうなる。境内の店でだるまを選んで買い、目入れ所の列に並ぶ。順番が来たら僧侶にだるまを渡す。僧侶が筆で、だるまの左目、こちらから見て向かって右側に、梵字の「ア」の字を書き入れてくれる。これが開眼で、始まりを表す阿の字。
目入れの志納金は決まっておらず、千円を納める人が多いという話が残っている。五百円の人もいる。並んでいるあいだに僧侶が水で清めてくれる、という参拝記も見かけた。書き入れてもらっただるまは、墨が乾くまで顔に触れないように持ち帰る。
家で目を入れるなら、向かって右の目から墨で丸く塗る
寺で開眼を受けないときは、家で目を入れる。少林山の答えは「向かいあって右側の目から書き入れます」。だるまの側から見れば左目で、深大寺が阿の字を入れる側と同じになる。願いが叶ったら残りの右目を入れて、両目をそろえる。
道具は墨と筆。それに半紙を一枚用意する。墨汁でも筆ペンでもかまわない。机に半紙を敷いてだるまを正面に置き、硯か小皿に墨を出しておく。
最初に手を洗い、口をすすぐ。目を入れるのは朝の明るいうちがやりやすく、墨の黒と目の白の境がはっきり見えるので、丸がゆがみにくい。願いを一つに絞って、声に出すか胸の中ではっきり言葉にする。三つも四つも込めると、どれが叶ったのか分からなくなるし、叶ったあとのお礼もぼやけてしまう。願いが決まったら、向かって右側の白い目の中に黒目を丸く塗る。
小さい点だと目つきが険しくなるので、白目の半分から三分の二くらいを埋める人が多い。筆は外側から内側へ回すように運ぶと、縁がきれいに出て目玉がくっきり丸く見える。はみ出すのが怖ければ、鉛筆でうすく丸を描いてからなぞればいい。塗り終えたら墨が乾くまで触らない。これで開眼。
裏や底に、願いごとと日付と名前を書いておく人もいる。少林山では名入れのだるまも頼めた。開眼した日付が分かれば、あとで返す日の目安にもなる。
願いが叶ったら右目を入れ、寺に持ち込むなら吽の字を受ける
叶ったら、入れたときと同じように手を洗い、だるまの右目、向かって左側に黒目を入れる。声に出してお礼を言う。これで両目がそろった。晴れ晴れした顔になる。
深大寺では、願いが叶っただるまを持っていくと、目入れ所で空いている右目に梵字の「ウン」の字を入れてくれる。吽は終わりを表す字で、阿で始めて吽で閉じる形になる。書いてもらったら、元三大師堂の前の納め処にそのまま納めて帰る流れだった。
目安は一年。片目のまま一年がたつこともある。片目のだるまを納めてかまわないとする店は多く、見守ってもらったお礼を言って返せば足りる。翌年も同じ願いを続けるなら、新しいだるまを受けてまた向かって右から入れ直す。
少林山で方位除の祈祷を頼むときの段取り
少林山は、だるまの寺であると同時に方位除の祈願寺として拝まれてきた。あらゆる方角からの悪星や災いを除く祈祷のこと。寺の案内には家運隆盛や社運隆盛、九星の年回りの方位除が並んでいた。新築や引越、改築、旅行、出張や留学に向けた方位除もあった。ほかに各種の祈願も受けている。
受付は朝九時から午後四時まで。七草大祭の二日間は参拝の人で境内が埋まるので、祈祷だけが目当てなら大祭を外した平日に行くほうが落ち着いて受けられる。当日に寺へ行って申し込むほか、事前の予約や、郵送での祈祷にも応じていた。祈祷料の額は種類で変わるので、申し込む前に寺へ確かめておく。電話でも聞ける。
当日は受付で申込書に名前と願意を書き、祈祷料を納めて本堂で待つ。大祭の日は受付が混むので、時間に余裕を持って着いておきたい。授かったお札は家に持ち帰り、だるまと同じく神棚か目線より高い棚に祀る。一年たったら、だるまと一緒に供養の受付へ返せば一度で済む。
神棚の向かって左か、目線より高い棚に据える
置き場所も少林山が答えていた。神棚があれば、神棚の向かって左側にお祀りする。神棚がない家では、皆を見守れるように目線より高い場所へ。棚の上やたんすの上を片づけて場所を作ればいい。
張り子のだるまは底が丸くて転がりやすいので、平らな板を一枚敷いて、ぐらつかないのを確かめてから据える。開眼した面を部屋の中へ向ければ、毎日目が合う。神棚の横に置くなら、神棚より頭が出ない大きさにすると並びが落ち着く。
だるまが傷んだとき、熊手の飾りが落ちたとき
張り子は湿気と衝撃に弱い。落としてへこんだり、目の墨がにじんだりすることがある。傷んだからといって、すぐに縁起が悪いと決めつけずに、そのまま祀って次に返す日に一緒に納めればいい。割れて紙がはがれたなら、破片を半紙に包んで本体に添えておく。
熊手も同じ扱い。飾りの小判や面が取れたら、捨てずに紙に包んで熊手の柄に結んでおく。翌年の酉の市で、熊手と一緒に納め所へ置いてくれば済む話だった。目入れで墨がはみ出したときは、乾いてから上に重ねて丸く整える。削ったり水で洗ったりはしない。
願いが途中で変わることもある。まあ、人の暮らしは一年で変わるものだ。そのときは今のだるまに見守ってもらったお礼を言って片目のまま返し、新しいだるまを受けて向かって右から入れ直す。一体のだるまに願いを足し書きするのはやめておく。
埃は乾いた柔らかい刷毛でなでる。月に一度くらい、神棚の掃除と同じ日に払っておくと、ついでの手間で済んで忘れにくい。水拭きは厳禁。直射日光で赤が褪せるので窓際は避け、湯気と油の上がる台所の上も紙が傷みやすい。
古いだるまは袋から出し、寺の供養受付へ預ける
返す先は授かった寺。役目を終えただるまは寺へ返す。少林山では、本堂と達磨堂の間に供養の受付があり、毎日九時から十七時まで預かってくれる。供養料に決まりはなく、守ってもらった感謝を法要料として納める形だった。
いちばん盛大な供養法要は一月十五日で、そのほか小さな法要を年に数回、不定期に営む。十二月のすす払いでは、本堂に納められただるまを一体残らず全部まとめて供養すると寺は書いていた。郵送で頼みたいときは、先に寺へ問い合わせてほしいとある。
持ち込みの約束は二つ。袋や箱は持ち帰る。受けるのは、だるまと御札と御守だけで、人形や正月飾りは受け付けていない。
前の晩に置いていた場所の前でお礼を言い、当日は紙袋で運んで、受付の前でだるまだけを出して預ける。袋は畳んで持って帰る。そのあと本堂で手を合わせ、新しいだるまを受けるならそこで受けていく。
東京の西新井大師も、だるまを受け付けている寺の一つだ。納札所は通常九時から十六時半までで、供養料は専用の賽銭箱へ入れ、袋や包装紙は持ち帰る。受けるのは御札、御守、だるま、熊手、破魔矢、しめ飾りなどで、だるま供養は毎年二月の節分の日に営まれる。熊手もここで返せるのは覚えておくと便利。正月には本堂前に特設の納め所が出ると寺は案内していた。
招き猫は豪徳寺で受けたものなら、叶ったあと奉納所へ返す
招き猫は別の記事で詳しく扱うので、ここでは返し方だけ。世田谷の豪徳寺では、寺で授かる招福猫児に込めた願いが叶ったら、寺へ奉納する人が多い。境内の奉納所には大小の白い猫が棚という棚にずらりと並んでいて、初めて見るとその数にちょっと驚く。
奉納の前に、置いていた場所でお礼を言い、乾いた布で埃を拭いておく。寺ではまず招福殿で手を合わせ、それから奉納所に猫を置いて一礼する。奉納所に置くのは寺で授かった招福猫児にとどめ、よその招き猫は持ち込まない。
どんど焼きに出す前に、金具とビニールを外しておく
小正月のどんど焼きは、正月飾りと一緒に古いお札や縁起物を焚く行事で、左義長とも呼ぶ。町内会や神社が受け持つことが多く、日取りは年明けの回覧や掲示で知らせる。十五日に焚く所が多い。
帯廣神社の案内を例に取ると、一月十五日の朝九時半ごろに点火して、午後三時ごろに火を消す。持ち込めるのはお札、お守り、破魔矢、しめ縄や正月飾りなど。ビニール、発泡スチロール、プラスチック、金属、ガラス、陶器の物は受けない。人形や寺の授与品、写真、カレンダーも持ち帰りの扱いだった。申し込みは要らず、火が入っているあいだか、その前後に社務所で受け付けていた。
熊手は竹と紙が中心でも、針金や金具、樹脂の小判が付いていることがある。持っていく前にそれを外し、竹と紙と布だけにしておく。だるまは張り子でも、底の重りに土や金属が入っていることがあるので、受けてもらえるか先に確かめる。神社のどんど焼きでは寺のだるまを断られる場合もあるから、寺で受けたものは寺へ返すのが筋になる。陶器の招き猫は燃えないので、どんど焼きには出さない。
当日は火が入る前に持ち込み、決められた場所へ置いて一礼する。どこに置けばいいか分からなければ、焚き場の近くにいる世話役に聞けば教えてくれた。焚き上げの火にあたったり、団子を焼いたりする地区もある。火の番は大人の役目。子どもは近づけない。
寺社へ返せない年に、家で紙と塩で送る
行けない年もある。どうしても返しに行けないときは、家で送る。天気のいい日の午前中に、白い半紙か無地の包装紙を一枚広げる。紙の上に塩をひとつまみ、左、右、左と振る。塩は台所の粗塩で十分。
その上に縁起物を置いて、一年のお礼を言う。声は小さくていい。
熊手なら略拝詞を一度唱える。
だるまなら、般若心経の結びの句を唱える人もいる。原文は「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」。読みは、ぎゃてい、ぎゃてい、はらぎゃてい、はらそうぎゃてい、ぼじそわか。往こう、彼岸へ往こう、悟りに幸いあれ、というくらいの意味だ。
唱え終えたら紙で包む。熊手は飾りを外し、竹と紙と金具に分けてそれぞれ包む。浅草の案内が言う分解して処分するというのは、ちょうどこの形のことで、竹は折って紙で巻いておけば袋も破れない。だるまは張り子なので、包めば可燃ごみに出せる自治体が多い。招き猫は割れ物なので新聞紙で二重に包み、自治体の決まった日に不燃ごみとして出す。
包みはほかのごみと別の袋に入れ、収集日の朝に出す。前の晩から外に置いておくと、カラスにつつかれて中身が散らばることもあるので、朝に出すほうが気が楽だ。出したら手を洗う。それで終わり。空いた棚は乾いた布で拭いて、次に迎える熊手やだるまのために場所をあけておく。
