地結の真言は、キリキリという音から始まる。オン キリキリ バザラバジリ ホラ マンダ マンダ ウン ハッタ。栃木の萬福寺が公開している長澤弘隆師の理趣経法の真言ノートには、この句に「三返」と添えてあった。
真言密教の結界は、床と四方と上と外の四重で道場を囲う。足元に杭を打ち、周りに垣を立て、上に網をかけ、外を炎で巻く。張る前には行者が自分を固める護身法があって、終わったら外側から順にほどく。どの段にも真言があって、唱える遍数まで決まっていた。
十八道の四つの囲いは前半と後半に分けて張る
十八道は、仏を道場へ招いて供養し、お帰りいただくまでを十八の印明に割り振った行法だった。真言宗の四度加行では最初に置かれ、密教の修法の基本形になっている。十八道で覚えた並びが、そのあと金剛界や胎蔵界、護摩の次第を学ぶときの土台として何度も出てくる。
十八の印は六つのまとまりに分かれる。護身法が五つ、結界法が二つ、道場を飾る荘厳法が二つ。本尊を迎える勧請法が三つ、迎えた本尊の周りを守る結護法が三つ、もてなしの供養法が三つある。足すと十八。数は合う。
名前で並べるとこうなる。護身法は浄三業、仏部、蓮華部、金剛部、被甲護身の五つ。結界法が地結と四方結で、荘厳法が道場観と大虚空蔵だった。勧請法は宝車輅、請車輅、迎請本尊の三つ、結護法が馬頭の辟除、虚空網、火院の三つ。供養法の三つは閼伽、華座、普供養で、ここで十八がそろう。
結界にあたるのは、結界法の地結と四方結、結護法の虚空網と火院の四段だった。あいだに道場観と勧請が挟まるので、囲いは二回に分けて張る。床と壁を先に作り、仏が着いてから天井と外側を足す流れ。
萬福寺の理趣経法ノートでも、段の数こそ違うものの、囲いを二回に分けて張る並びは同じ形をしていた。地結、四方結と進み、道場観、大虚空蔵、送車輅、請車輅、召請を経て、結界、虚空網、火院、大三昧耶、閼伽と続く。十八道より段は多いけど、床と壁、迎え、天井と外という骨組みは、次第が長くなってもそのまま変わらない。
ちなみに四段の真言はどれも三遍。ノートでは地結、四方結、虚空網、火院の四つに、そろって三返と書いてあった。三という数がどの段にも繰り返し出てくるのは、次第本を読み慣れないうちに覚えておくと楽かもしれない。
張る順は下、横、上、外。解く順はその逆。これだけ頭に入れておけば、次第本を開いたときに迷いにくい。どの段が床で、どの段が天井かを先に押さえておくと、真言の意味も入ってきやすいはずだ。
普礼と塗香を済ませてから護身法に入る
行者は壇の前で普礼をしてから礼盤に上がる。真言は「オン サラバタタギャタ ハンナマンナノウ キャロミ」。一切如来の御足に礼拝します、という意味だった。ここから座が始まる。
礼盤に座ったら、念珠を摺って置き、香を香炉に供えてから塗香に移る。慌てない。萬福寺のノートの次第では、普礼から塗香までの一続きが、護身法に入る前の行者の身支度として扱われていた。塗香は香の粉を手に塗り、印を結ぶ手を清める作法。
この後に三密観を挟んで、護身法の浄三業へ入る。理趣経法の次第だと、護身法のあとに加持香水と加持供物が続く。香水を加持して供物と場を清め、それから結界の段へ進む並びになる。
順番を入れ替えないこと。身を固める前に囲いを張ると、張る本人が無防備なまま外と向き合う形になる。次第がいつも護身法を頭に置くのは、この理屈からだった。
浄三業と三部三昧耶を三遍ずつ唱える
護身法は五段で、順番は浄三業、仏部三昧耶、蓮華部三昧耶、金剛部三昧耶、被甲護身と決まっている。身と口と心の三業を清め、仏、観音、金剛の三つの一族から守りを受け、最後に鎧を着る流れ。囲いを張る本人に隙があったら、内側に穴が開いているのと同じだからだ。護身法は十八道の外でも単独で使われ、読経の前や加持の前に結ぶ場面がいちばん多い。
浄三業の真言は「オン ソハハンバシュダ サラバタラマ ソハハンバシュド カン」。一切の法は本来清浄であり、私も本来清浄だ、と萬福寺のノートは訳していた。汚れを落とすというより、もともと清らかだと確かめ直す言葉。
仏部三昧耶は「オン タタギャトドハンバヤ ソワカ」で、如来部の諸尊の出生に成就あれ、という意味になる。蓮華部三昧耶は「オン ハンドボドハンバヤ ソワカ」、蓮華部の諸尊の出生に成就あれ。金剛部三昧耶は「オン バゾロドハンバヤ ソワカ」で、金剛部の諸尊の出生に成就あれ、だった。
天台宗の阿闍梨が書いた護身法の解説では、この四段をそれぞれ三回唱えるとしていた。浄三業では印を心に当てる、とも書いてある。読みは少し違っていて、蓮華部はハドマ、金剛部はバシロと表記していた。宗派や流派で音の写し方が揺れるので、自分が習う寺の次第本の読みに合わせればいい。
二つの読みを混ぜて唱えるのはやめておく。萬福寺のノートの読みで覚えたら最後までそれで通し、天台の寺で習ったら天台の読みで通す。途中で音が入れ替わると、どちらの次第にも合わなくなる。
被甲護身を五か所に当てて身支度を終える
五段目の被甲護身は、甲を被って身を護る段だ。真言は「オン バザラギニ ハラチハタヤ ソワカ」と唱える。萬福寺のノートの訳は、金剛のように堅固で諸魔を焼き尽くす火の燃える輝きに成就あれ、という趣旨だった。
天台の解説では、この印を額、右肩、左肩、心、喉の五か所に一回ずつ、順番を崩さずに当てていく。五か所を加持したら全身が金剛の鎧に包まれた、と観る。
各段の終わりには、頭の上で印を解く。同じ解説がそう念を押していた。組んだまま次の段へ流さず、一段ずつ区切ってほどくわけだ。ここは省かない。
護身法の印の組み方は、ここでは書かない。解説した阿闍梨自身が、これは解説であって伝授ではないと断っていたし、在家が印を組むには寺での伝授が要る。段取りは後ろの節にまとめてある。
被甲護身が済むと、護身法の五段は終わる。ここで行者の身支度が整った。十八道ではこの後に加持香水をして、いよいよ結界に入っていく。
地結で足元に金剛の杭を打つ
結界の一段目が地結だった。金剛橛とも呼び、橛は杭のこと。足元の地に金剛の杭を打ち込んで、下から障りが入らないようにする。杭は行者の座る場所だけでなく、壇と道場ぜんたいの地面を押さえるものとして観る。
真言は「オン キリキリ バザラバジリ ホラ マンダ マンダ ウン ハッタ」を三遍。萬福寺のノートは、地中の諸魔を縛りつけよ、という趣旨で訳していた。マンダ マンダの重ねが、縛れ縛れの響きになっている。
床から始める。理屈は単純だ。地の下に障りが潜んでいたら、横や上をいくら固めても、足元から入り込まれてしまうので意味が無い。家を基礎から打つのと同じで、真っ先に足元を押さえた。
印については、ノートに次第の文言が一行だけ載っていた。右の中指を左の頭指と中指のあいだに入れ、二本の小指と二本の頭指を合わせ、二本の大指を下へ向けて三返、という形。杭を下へ打ち込むから親指が下を向く。形の意味は分かりやすい。
四方結で杭を柱にして垣を巡らせる
足元が固まったら横に移る。四方結は金剛墻とも呼び、墻は垣根のことだった。地結で打った杭を柱にする。垣は目に見えないけど、行者の観想の中では道場の四方を隙間なく囲う堅い塀になっている。
真言は「オン サラサラ バザラハラキャラ ウン ハッタ」を三遍。ノートの訳は、諸魔を追い払いたまえ、金剛の堅固な墻よ。ハラキャラが垣や囲いを指す。
印は地結の形から二本の大指を立てて、墻の形のようにする、とノートにあった。杭を打った親指を今度は起こし、垣の板に見立てる。地結から四方結へは、指をひとつ動かすだけでつながる。杭が柱に変わる。
ここまでで結界法の二段は終わる。上はまだ空いている。そのまま天井を張らず、いったん本尊を迎えに行く。ここで囲いの作業はひと休みになって、行者の手は迎えの段取りへ移っていく。
道場観と車輅を挟んで本尊を迎える
四方結の後、行者は道場観に入る。目の前の壇の上に宮殿と本尊を心の中で組み立てていく段で、囲いの内側に仏の住まいを作る作業だった。
大虚空蔵で供養の品を道場いっぱいに満たしてから、車輅の段で本尊を迎えに行く順になっている。萬福寺のノートでは送車輅、請車輅、召請と三つ続いていた。七宝の車を送り出し、本尊に乗っていただき、道場へお招きする流れ。
この段の真言や観想の細部は、流派の次第本と口伝で変わるので、ここでは段の名前と順番だけを追っておく。十八道の次第でも、何を観て何回唱えるかは習う寺の本に従う。仏が道場に降りたところで、囲いの残り半分に取りかかる。
この順番には意味がある。天井と外側を先に閉じてしまうと、迎えた仏が入る口が無くなる。床と壁で場を区切っておき、仏を迎え入れてから上と外を閉じる。客を通してから玄関の戸を閉めるのと同じ段取りだった。
辟除で掃き出してから虚空網で上をふさぐ
本尊が着いたら、先に中を掃除する。十八道では馬頭観音の印明で残った障りを払う次第がよく知られ、辟除結界と呼ぶ。萬福寺の理趣経法ノートでは、ここに結界という段が入り、後の解界の並びに降三世の名が出ていた。
掃き出してから天井を張る。中にごみを閉じ込めないための順番だ。虚空網は金剛網とも呼び、道場の上空に金剛の網をかぶせる。盛り塩のように床に置く守りでは届かない上の方向を、この段がまるごと受け持つ形になる。
真言は「オン ビソホラタラキシャ バザラハンジャラ ウン ハッタ」を三遍。ノートの訳は、広く開いて護りたまえ、金剛の堅固な網よ。ハンジャラは籠や檻を指す言葉で、上から覆う網の形がそのまま名前になっている。
印は、二本の大指で二本の頭指の下の筋を捻る、とノートの次第の文言には一行だけ書いてあった。地結と四方結の形を土台に、指先で網の口を閉じるような形になる。床、壁ときて、ここで天井ができた。残るは外側だけ。
火院で囲いの外を炎で巻く
床、壁、天井がそろったら、外側を炎で包む。火院は金剛炎とも呼び、できあがった囲いの周りに火の輪を巡らせる段だった。内側の三重を外から包み込むので、囲いの中でいちばん大きな輪になる。
真言は「オン アサンマギニ ウン ハッタ」を三遍。短い句だ。ノートは、輪壇を諸魔から護る無比なる火焔よ、と訳していた。アサンマギニは、比べるもののない火、という呼びかけにあたる。
印については、二本の大指の腹を合わせてまっすぐ立てる、という一節だけが見える。そこから先の手の置き方は流派で違うので、ここでは書かない。囲いの外に炎が燃え立つ様子を観る、というところまでで十分だと思う。
火院で四重の囲いは形になる。床は地結、壁は四方結、天井は虚空網、外は火院。四つの真言を並べてみると、地結から火院まで、どれもウン ハッタで結ばれているのが分かる。障りを破り払う結びの句で、囲いの段に共通する締め方だった。
大三昧耶で閉じ、終わったら外から解く
火院の後、大三昧耶で囲い全体を締める。真言は「オン ショウギャレイ マカサンマエン ソワカ」。ノートの訳は、鎖の柵よ、大いなる輪壇よ、成就あれ。張った囲いに鍵をかける段だった。
印は二本の中指を立てて先を合わせ、二本の大指をそれぞれ頭指の根の下に付ける、と次第の文言にあった。ここまで済んで、閼伽、華座と本尊へのもてなしに入る。四重の囲いは、客を静かにもてなす部屋を作る下ごしらえだったわけだ。支度が長いのにも訳がある。
供養を終えたら、張った囲いをほどく。これを解界という。萬福寺のノートでは、大三昧耶、火院、網界、降三世、四方結、地結の順に解いていた。張った順のちょうど逆で、外から内へ、上から下へ戻っていく。
解界が済んだら撥遣で本尊にお帰りいただき、萬福寺のノートの並びでは、最後にもう一度三部と被甲の護身法を結ぶ。始めに固めた身を、終わりにも固め直して座を下りる。入りと出で同じ作法を挟む。張りっぱなしにしない、というのが密教の結界の決まりだった。
やってはいけないことも、ここまでの次第から見えてくる。囲いを張ったまま座を下りない。解く順を張る順と同じにしない。各段で印を解かずに次へ流さない。どれも次第本の並びを守れば自然に避けられる。
在家が護身法を授かるまでの段取り
護身法の印を在家が組むには、寺で伝授を受ける。独学で組むのは避けたほうがいい。ここは譲れない。密教では、伝授を受けずに印明を使うことや、受けていない人に教えることを越三昧耶と呼び、重い罪として戒めてきた。
実際の段取りの一例が、長泉寺という寺の住職の記録に残っていた。二〇二二年の十二月三日、平成二十六年十月の結縁灌頂を受けた人のうち、希望した十九名に護身法を伝授している。印可の作法を経てから伝授し、菩薩戒も授けた。受ける側は、授戒と灌頂と印可を済ませた人に限る、と住職ははっきり書いていた。
だから入口は、授戒と結縁灌頂になる。高野山なら、大師教会の授戒堂で阿闍梨から菩薩十善戒を受けられる。誰でも入れる。ガイド会社の案内では、授戒は九時から十六時までほぼ毎時あって、一回三十分、授戒料は一人千円だった。予約は金剛峯寺の公式の窓口か、観光協会が案内する予約先から入れる。
結縁灌頂は、壇上伽藍の金堂で春と秋の年二回。春が胎蔵界、秋が金剛界で、二〇二四年の金剛界は十月一日から三日、受付は八時から十六時ごろだった。入壇料は要るので、金剛峯寺に問い合わせて予約しておく。服装はふだん着でかまわないかどうかも、そのとき一緒に確かめておくと当日あわてずに済む。当日は曼荼羅に華を投じ、頭頂に智慧の水を注いでもらう。
そのあと、ふだん通っている真言の寺か、灌頂を受けた寺で、護身法の伝授をお願いできるか相談する。伝授をしている寺は多くない。探す手間はかかる。檀家になっている寺や、結縁灌頂を受けた寺の住職に、灌頂を受けた年と場所を伝えて相談するのが近道だろう。
伝授の日取りは寺が決める。長泉寺の例では、灌頂から八年ほどたってからの伝授だった。急いで受けるものではないし、受けたい理由を住職に話して、寺の予定に合わせて待つ。
伝授を受けたら読経の前後に結ぶ
伝授を受けた後の使いどころは、読経や修法の前後だ。毎回やる。コトバンクの辞典にも、読経、修法などに際し障りを除き行者の心身を守るもの、と載っていた。群馬の天明寺も、修法や読経の前後に行う印と真言だと説明していた。
家でやるなら、仏壇や本尊の前に座り、合掌して一礼してから始める。手を洗って口をすすぎ、灯明と線香を上げておくと、寺の座と同じ入り方に近づけられる。浄三業、仏部、蓮華部、金剛部の四段を三遍ずつ。被甲護身は額、右肩、左肩、心、喉の五か所に当てる。各段の終わりには頭の上で印を解く。
終えたら、そのまま読経に入る。般若心経でも光明真言でも、習った勤行次第を一座あげる。読経が済んだら、もう一度護身法を結んで座を下りる、というのが次第の形だった。
ここに地結や四方結を足すのは、伝授の範囲による。十八道の結界の印明は、得度して四度加行に入った僧が受けるものだった。伝授を受けていない段は、本に形が載っていても組まない。
天明寺では住職が護身法をやってみせる動画を公開していた。見て流れをつかむのはかまわない。ただ、動画で覚えた印を自分で組むのは伝授とは別の話になる。
伝授前の在家は勤行次第で一座を組む
伝授を受けていない在家は、印を組まない勤行次第で一座を組む。これで十分だ。四国で修行の案内に載っていた勤行次第の並びはこうだった。合掌礼拝、懺悔文、三帰、三竟、十善戒、発菩提心真言、三摩耶戒真言、開経偈、般若心経、十三仏真言、光明真言、弘法大師御宝号、祈願文、回向文、合掌礼拝。
用意する物は、数珠と線香と小さな器の水くらいで足りて、特別な道具を買いそろえる必要はどこにも無い。本尊の掛け軸かお札があればその前、無ければ仏壇の前でいい。座る前に部屋を掃いて、手を洗い、口をすすいでおく。
時間は朝がいい。夕方にもう一度座る家もある。毎日が難しければ、弘法大師の縁日の二十一日だけでも続ける、という人もいるらしい。
懺悔文の原文は「我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従身語意之所生 一切我今皆懺悔」。読みは、がしゃくしょぞう しょあくごう かいゆうむし とんじんち じゅうしんごいし しょしょう いっさいがこん かいさんげ。昔から作ってきた悪い行いを、今すべて悔います、という意味になる。
発菩提心真言は「オン ボウジシッタ ボダハダヤミ」で、悟りを求める心を起こします。三摩耶戒真言は「オン サンマヤ サトバン」で、仏と自分はもともと一つだという誓い。どちらも三遍だった。声に出して唱える。
光明真言は「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」を三遍。大日如来の光明がすべてを照らす、という大意。御宝号の「南無大師遍照金剛」も三遍唱える。
締めは回向文だ。原文は「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」で、読みは、がんにしくどく ふぎゅうおいっさい がとうよしゅじょう かいぐじょうぶつどう。この功徳を皆に及ぼし、ともに仏の道を成就できますように、という意味になる。最後に合掌礼拝して一座を終える。
供えた水は下げて、植木の根元か庭の土へ返す。水は毎朝替える。印を組まない分、囲いを張る作法にはならない。正直、在家が自分の手でできる守りはここまでで、それ以上は寺に頼むのが筋だと思う。
家の結界は寺の出張祈祷で頼む
家そのものを囲ってほしいなら、真言の寺に出張祈祷を頼む。行者が次第どおりに護身法と結界を張ってから祈ってくれる。自宅で印を組めない在家にとって、家ぜんたいを囲ってもらういちばん確かな頼み方がこれだ。地鎮、上棟、家祓い、解体や井戸埋めの清め払いまで、寺ごとに受けている祈願が違う。先に聞く。
申し込みは電話か寺の用紙で、祈願の種類、代表者の名前、住所、連絡先、要望を伝える。日取りは相談して決めるのがふつうだった。急ぎなら早めに電話する。群馬の天明寺はこの流れで受けている。
祈祷料は寺ごとに大きく違う。静岡の永宝寺は本堂での祈祷が五千円、出張が一万円、地鎮祭が二万円を目安に挙げていた。天明寺の出張祈願は十万円から三十万円に交通費が別。
金額は電話で聞いてから包む。白い封筒に「御祈祷料」と書いておく。表書きの下には、申し込んだ人の名前をフルネームで書き添えておけば、受付で取り違えられる心配も減る。当日は家を片付けて待つ。
授かったお札は、神棚か仏壇の近く、目線より高いところに、正面をこちらへ向けて立てて祀る。兵庫の清荒神清澄寺は、祈祷札は一年間の御利益なので、一年たったらお礼参りとして納札するよう案内していた。古いお札は授かった寺へ持っていき、納札所に返す。
遠方の寺で受けたお札なら、郵送での返納を受けているかどうか電話で聞いておく。近くの寺に納めるのは、授かった寺が認めている場合に限っておいたほうが無難だ。
遠くて出向けないなら、代理の申し込みや郵送を受ける寺もある。清荒神清澄寺は直接、代理、郵送のどれでも受け付け、祈祷料は三千円からだった。こちらは本人が堂に上がらず、翌日から名前を読み上げて祈ってもらう形になる。
戒律の線から、山を囲う七里結界へ
結界という言葉は、もともと戒律の側のものだった。インドの教団では、月二回の布薩という反省の集まりに僧がそろって出られるよう、集まる範囲を決めて線を引いた。人を中に集めるための区切りで、戒壇の範囲を決めるのにも同じ作法が使われる。
密教の結界は、同じ言葉でも向きが逆になる。外から障りが入らないように囲う作法で、唐で整ったものを空海が持ち帰った。指の印、口の真言、心の観想の三つをそろえて初めて囲いが立つ、と考えてきた。
この結界を、空海は山ひとつに張ったと伝わる。高野山を開くとき、東西南北と上下、七里の内の悪しき鬼神は結界の外へ出よ、と読み上げた啓白の文が『性霊集』に収められていた。七里結界という言葉はここから広まったらしい。のちには、ひどく嫌って人を寄せつけない、という意味の言い回しにもなった。今も辞書に載る。
まあ、規模は違っても段取りの芯は変わらない。先に身を固め、下から横、上、外と囲い、終わったら逆に解く。行者が壇の上で指先に打つ杭を、空海は山の縁に打ったと思えば分かりやすい。
