- 蓋に穴のあいた白木の箱と、一年きりの約束
- 山上の社務所へ上がる日取りと持ち物
- 手水を使い、二拝二拍手一拝の形を覚えておく
- 社務所で申込書を書き、拝殿で祈祷を受ける
- 御仮屋の前に箱を置いてお犬様を招く
- 寄り道せずに、その日のうちに家へ入れる
- 神棚を拭き、目線より高い所に箱ごと据える
- 昔は庭の小高い所に茅や藁で仮宮を建てた
- 米、塩、水を供えて二拝二拍手一拝で迎える
- 三枚の付札を玄関の戸口に糊で貼る
- 十日と十九日に洗米と酒を上げる
- 稲荷の札と並べず、穢れを近づけない
- 狐を追う役目と、安政のアメリカ狐
- 札の裏の日付から一年で、そろえて山へ返す
- 山へ行けない年は郵送で引き換える
- 講や町内で一疋を借りるときの段取り
- 御岳山でおいぬ様の札を毎年引き替える
- 宝登山で山犬様を一年借りる
蓋に穴のあいた白木の箱と、一年きりの約束
秩父の三峯神社で御眷属を借りると、白木の箱に納めた御札を渡される。蓋には三つから六つほどの小さな穴があり、中のお犬様が息をするための穴だと言われてきた。中身は紙の札。それでも箱は、生き物を運ぶ作りになっている。
借りる相手は、三峯の神の使いである狼、大口真神だ。社の説明では、日本武尊の道案内をした狼がその勇ましさと忠実さから使い神に定められ、あらゆるものを祓い清めて災いを除くという。期間は一年きりで、一年たったら山へ返して新しく借り直す。
札を広めたのは江戸中期に山へ入った僧、日光法印だった。享保十二年九月十三日の夜、庵室に座っていると狼の群れが境内を埋め、これを神託と受けとめて猪鹿除けと火盗除けの札を貸し出したと伝わる。貸した眷属は一疋、二疋と数え、文化十四年には四千疋、文政八年には五千疋を数えたという記録まであった。
この貸し借りの形が、手順の全部を決めている。借りた獣だから寄り道せずに連れ帰り、よそで燃やさず、期日までに持ち主の山へ返す。以下はその段取りを、申し込みの窓口から順に追ったものになる。
山上の社務所へ上がる日取りと持ち物
窓口は三峯神社の社務所で、受付は午前九時から午後四時まで。休みは無く、予約もいらない。年中無休の窓口。正月の時期だけは時間が変わるので、その年の案内を確かめてから出かけたい。
拝借料は五千円で、社の祈祷案内には諸難除、火防、盗賊除の三つの守護が書かれている。この額は令和六年四月一日に四千円から改められたものだ。初めての人は札を納める木箱を別に受け、その箱代を二千円と書いた参拝記が複数あった。箱は翌年からも使い回す。
拝借と別に家内安全などの祈祷も頼むなら、祈祷料は五千円、一万円、二万円、三万円、五万円以上の段階に分かれている。五万円以上には箱入りの御紋菓が付く。拝借だけなら、この祈祷料は要らない。
持って行くものは多くない。初穂料と、帰りに箱を水平に運べる手提げか風呂敷があれば足りる。現金はのし袋に入れて表書きを初穂料としてもいいし、申込書と一緒に窓口でそのまま納めてもかまわない。
山上は遠い。奥宮まで回るなら、本社から妙法ヶ岳の頂まで山道を一時間ほど見ておくといいらしい。泊まりがけなら境内に宿坊の興雲閣があり、夕方に着いて翌朝に拝殿と御仮屋を回る組み方もできる。
手水を使い、二拝二拍手一拝の形を覚えておく
拝殿へ上がる前に、手水舎で手と口を清める。柄杓を右手で取って水をくみ、左手に掛ける。持ち替えて右手を洗ったら、もう一度右手に持ち、左の手のひらに水を受けて口をすすぐ。
口をすすいだら、左手をもう一度流す。最後に柄杓を立てて残りの水で柄を洗い、元の場所へ伏せて戻す。一杯の水で全部済ませるのが手際のいい使い方だった。
二拝二拍手一拝は、この先の御仮屋でも家の神棚でも使う。背筋を伸ばして深く二回お辞儀をし、胸の高さで両手を合わせる。拍手はそのあと。右手の指先を少し下にずらし、肩幅ほどに開いて二回打つ。
指先をそろえ直して祈り、手を下ろしてからもう一度深く頭を下げる。これで一回分。祈祷の拝殿では神職の合図に合わせればいいので、形を覚えるのは家で拝むときのためだ。
社務所で申込書を書き、拝殿で祈祷を受ける
社務所の中に祈祷の申込書が置いてあるので、住所と氏名を書いて受付に出す。御眷属拝借と書き添えれば通じる。受付を済ませたら、呼ばれるまで待つ。十分ほどで案内された、と書いた参拝記があった。
拝殿に上がったら、神職の動きに合わせて頭を下げていればいい。祝詞は神職が奏上する。黙っていていい。参拝者が特別な文言を唱える場面は、まず無い。祈祷は十五分ほどだったと書いた参拝記もある。
授かるのは御眷属札と、添えて使う三枚の付札になる。社の案内に載る付札の名は、御祈祷神璽、火防之神璽、盗賊除神璽の三つ。御眷属札の裏には受けた日付が入っていて、これが一年後に返す日の目安になる。
札は箱に納めた形で渡される。付札も同じ箱に入っていたという記録がある。受け取ったら箱を傾けずに持ち、その足で御仮屋へ向かう。
御仮屋の前に箱を置いてお犬様を招く
御仮屋は本殿から歩いて五分ほど、大口真神を祀るお宮で、遠宮とも呼ぶ。社の説明では、お使いの神が深い山の中に身をひそめているので、ここを仮のお宮として祀っているという。周りには狼の石像がいくつも並ぶ。
着いたら、受けた箱を御仮屋の前に置いて手を合わせる。祈りながらお犬様を札に招き入れる、という回り方を勧める参拝記があった。二拝二拍手一拝で拝み、名前と住まい、何から家を守ってほしいかを短く伝えれば足りる。
社が定めた唱え言葉は見当たらない。文言は自由。祝詞めいた文句を自作して読み上げるより、自分の言葉で頼むほうが素直だ。拝み終えたら箱を持ち上げ、ここから先はお犬様を連れて歩いているつもりで動く。ここからが帰り道。
寄り道せずに、その日のうちに家へ入れる
江戸の頃に出回った心得書は、帰り道から決まりを置いていた。道中で泊まるなら、忌服の無い家を選べという一項がある。死の穢れがある家に、借りた眷属を入れないためだった。
家に着いてからの指示も具体的だった。帰り着いたらすぐ清浄な別火で炊き上げて供え、深夜に着いたなら洗米だけでも供えよ、と書いてある。炊き上げは飯を炊いて上げること。古札を燃やすお焚き上げとは別の話になる。
今の暮らしに移すなら、あちこち寄り回らずに帰り、家に入ったら箱を仮に高い所へ置く。手を洗ってから、皿に洗米を少し盛って前に供える。これで迎えの最初の膳になる。
車なら箱を座席の上に置き、床や足元には置かない。蓋の穴をふさがないように、上に荷物を重ねないでおく。穴の話を知っていると、この扱いは自然に出てくるはずだ。
神棚を拭き、目線より高い所に箱ごと据える
置き場所は、家の中で明るくきれいな、目線より高い所になる。神社本庁の案内も、神棚は清らかで明るく目線より高い所に設け、お神札の正面を南か東に向けるのが一般的だとしている。とはいえ家族が毎日拝める場所を選ぶほうを先に考えていい。
据える前に棚の物を全部下ろし、固く絞った布で拭く。前の年の札や古い供え物が残っていれば片づける。一年のあいだ動かさない前提で、場所を決めてから箱を上げる。箱の中の札の正面が南か東を向くように置き、蓋の穴の上には何も載せないでおく。神棚の上の段に物を積む家は、この一年だけでも片づけておきたい。
供え物の器は神具店でそろう。米と塩を盛る白い皿、水を入れる水玉、酒を入れる瓶子、榊を挿す榊立てが基本の顔ぶれだ。榊は両脇に立てるので一対。土器を使うなら、明治の心得書が洗米を土器に盛れと書いたのとそのまま重なる。
三社造の神棚なら、中央に神宮大麻、向かって右に氏神、左に崇敬する神社の札を納める。三峯の札はこの崇敬社の枠に入る。一社造なら神宮大麻を手前にし、その後ろに氏神、さらに後ろに崇敬社の札を重ねる形だ。
御眷属札は箱ごと受けるので、宮形の扉に入らないことが多い。その場合は宮形の脇、棚板の上に箱のまま据えればいい。蓋は上に。神棚が無い家なら、目線より高い棚か家具の天板を拭き清め、白い紙を敷いて置く。受けた人たちが残した記録も、だいたいこの形に落ち着いていた。
昔は庭の小高い所に茅や藁で仮宮を建てた
明治三十九年の『三峯山誌』に載る心得は、家の中ではなく外に宮を建てる前提で書かれた。自分の山林か庭の小高い所、あるいは鎮守の境内に、木材や茅、藁で仮宮を造れとある。そこへ勧請して注連縄を張り、御酒と洗米を土器に盛って供えるよう指示していた。
もう一つの心得書も、清浄な地に茅藁で奉殿をしつらえるよう求めた。庭に祠を置ける家なら、この形をなぞることもできる。注連縄は神具店で売っている小ぶりな物で足りる。
今の神棚は、この小屋を家の中へ移したものと思えばいい。神棚に小さな注連縄を張り、土器に洗米を盛る。そうすると明治の指示とほぼ同じ形になる。
米、塩、水を供えて二拝二拍手一拝で迎える
迎えた日の最初の拝礼は、手を洗い口をすすいでから始める。神社本庁の案内では、供え物は米、塩、水が基本で、できれば酒も上げる。並べ方は中央に米、次に酒、塩、水が伝統的な形だという。
棚の両脇に榊を立て、水は毎日替えてみずみずしさを保つ。整ったら二拝二拍手一拝で拝む。拝む前に祓詞を一度読むと、場が改まる。
祓詞の頭の原文は「掛けまくも畏き伊邪那岐大神」。読みは「かけまくもかしこき、いざなぎのおおかみ」で、言葉に出すのも畏れ多い伊邪那岐の大神さま、という呼びかけだ。三峯の祭神は伊弉諾尊と伊弉册尊なので、山の親神さまへ直に呼びかける形になる。
続く原文は「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に、禊ぎ祓へ給ひし時に、生り坐せる祓戸の大神等」。読みは「つくしのひむかのたちばなのおどのあわぎはらに、みそぎはらえたまいしときに、なりませるはらえどのおおかみたち」。日向の水辺で身をすすいだとき、そこに生まれた祓いの神々よ、という意味になる。
締めの原文は「諸々の禍事罪穢有らむをば、祓へ給ひ清め給へと白す事を聞こし召せと、恐み恐みも白す」。読みは「もろもろのまがごとつみけがれあらむをば、はらえたまいきよめたまえともうすことをきこしめせと、かしこみかしこみももうす」。災いや罪や穢れがあれば祓い清めてください、と願って結ぶ。
毎日の拝礼は略拝詞で足りる。原文は「祓へ給へ清め給へ神ながら守り給へ幸へ給へ」。読みは「はらえたまえ、きよめたまえ、かむながらまもりたまえ、さきわえたまえ」で、祓い清め、神の御心のままに守り幸いを授けてください、という意味だ。
三枚の付札を玄関の戸口に糊で貼る
付札は神棚ではなく、家の出入り口に貼る。玄関の外側、ドアの上の枠あたりが本来の場所だと同封の書き付けにあった、と書いた参拝記が複数あった。外に貼れない集合住宅なら、玄関の内側でかまわないとする記録もある。
並べ方は、向かって右から御祈祷神璽、火防之神璽、盗賊除神璽の順。向かって左から盗賊除、火防、御祈祷と書いた記録もあるけれど、左右を逆から数えただけだ。中身は同じ並び。受けた紙に指示があれば、そちらに従う。
貼る前に、戸口の上の枠を固く絞った布で拭いて乾かしておく。貼るときは札の裏に糊を塗る。画鋲を刺すのはやめておく。札そのものが神璽だから、穴をあけて留めるのは乱暴になる。
糊が乾くまで手のひらで軽く押さえておけばいい。紙に向いた糊を使えば、一年後にはがすときも札を傷めにくい。
火防の札だけは台所に貼ってもいい、と書いた参拝記もあった。貼る場所が取れないなら、付札を箱に入れたままでもいいと言われた、という記録もある。家の奥にお犬様、戸口に火防と盗賊除けの札という二重の囲いが、この札の張り方の芯になる。
十日と十九日に洗米と酒を上げる
山の上では、お犬様に食事を出す祭りがある。御仮屋に小豆を混ぜた赤飯を供える神事で、月に二回と紹介されている。明治の幸田露伴も登山の記録に、月々十九日に小豆飯と清酒を本社から八丁ほど離れた所へ供え置くと書きとめた。
家の側にも十九日の決まりがあった。江戸に流布した拝借の指南には、毎月十九日の晩にお日待ちをし、講中の一人が身を清めて供物を炊いて上げるよう求める項目がある。お日待ちは、夜更けまで身を慎んで神を待つ行事だ。
今の家で合わせるなら、毎月十日と十九日に洗米、酒、塩、水を上げる。受けた紙にこの二日が書いてあった、と記した参拝記があった。山で焚き上げの祭りがある日と重なるように組まれているらしい。
十九日に小豆を入れて炊いたご飯を小皿に盛り、酒を少し添えるのもいい。翌朝に下げて、家族でいただく。下げた供え物を捨てずにお下がりとして食べるのは、神棚の作法の基本どおりになる。
ふだんは毎朝、米と塩と水を上げて略拝詞で拝めば足りる。水を替えるついでに玄関の付札も見ておき、はがれかけていたら糊を足して押さえ直す。
稲荷の札と並べず、穢れを近づけない
心得書でいちばん目を引くのは、稲荷の社の近くには決して勧請するなという一項だ。稲荷の使いは狐で、お犬様は狐を追う側にいる。同じ棚に並べれば、番犬の前に獲物を置くようなものだった。
家に稲荷の小祠や札がある場合、距離の数字までは心得書に出てこない。別の部屋に分けるか、少なくとも同じ宮形や同じ棚には入れない。ここは避けておいたほうが気が楽だ。
心得書には、穢れのある者や女性を近づけるなという文言も並ぶ。女性を遠ざける項目は山の信仰に広く見られた時代の考え方で、今の社の祈祷案内にはそうした文言は無い。身内に不幸があったときは、忌明けまで神棚の前を半紙でふさいで拝礼を控える家が多い。
引っ越しでやむなく箱を移すときは、新しい場所を先に拭き清めてから運ぶ。札を汚したり箱を落としたりしたときの決まりは、社の案内にも参拝記にも見当たらなかった。気になるなら自分で判断せず、社務所に電話で尋ねるのがいちばん早い。
狐を追う役目と、安政のアメリカ狐
お犬様には、火防や盗賊除けのほかに憑き物を落とす役目も期待された。国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースには、人の腹に入りこんだ管狐をお犬様や山犬の皮で追い出したという愛知県の話が入っている。狐は犬を嫌う、という見立てだった。
その役目がいちばん表に出たのは、安政五年のコレラの流行だ。高橋敏が読み解いた伊豆の桑原村の名主の年代記によると、村人はこの病をアメリカ狐の仕業と受けとめた。狐なら狼で抑えればいい。村は武州三峯山へ参って眷属を借りてきた。
稲荷の近くに祀るなという心得も、この筋で読むと分かりやすい。借りたお犬様は、家の境目で狐のような入りこむものを追う番犬だった。結界の張り方として見るなら、戸口の付札が外の線、神棚の箱が家の芯にあたる。
札の裏の日付から一年で、そろえて山へ返す
借りたものは返す。約束は一年。心得書にも、拝借した月日までは置いてよいが、その日から遅れないよう返上せよと書かれていた。今の社の案内も一年の守護で要返納と明記している。
返す日の目安は、御眷属札の裏の日付から一年。付札は糊ごとそっとはがし、破れても残った分をまとめる。御眷属札と三枚の付札を元の袋にそろえ、箱ごと持って行く。
社務所では返納と新しい拝借を一度に頼む形になり、受けた人の間ではこれをお引き換えと呼ぶこともある。新しい札は去年の箱に納め直すので、二年目からは箱代がかからない。二年目からは札だけの交換。
御眷属札を近所の神社の古札納所に入れたり、正月のどんど焼きに出したりはしない。社の案内は返納を条件にしているし、お犬様は三峯の山の者だから戻る先は一つだ。続けるのをやめる年も、札だけは必ず三峯へ返しておく。
返しに上がる日の流れは、初めての年とほとんど同じだ。窓口で古い札一式を出し、申込書を書いて拝殿で祈祷を受ける。新しい札を去年の箱に納めたら御仮屋へ回り、一年守ってもらったお礼を伝えてから新しい一年を頼む。お礼と頼み事を、同じ場所で続けて済ませる形。
期日を過ぎそうなときは、黙って置き続けずに先に社務所へ電話を入れる。心得書が気にしていたのは、早すぎることより遅れることのほうだった。事情を伝えて、返し方の指示を受けておけば気がかりが残らない。
山へ行けない年は郵送で引き換える
社の祈祷案内には、参拝できない人のために郵送などによる御祈祷を受けている、とある。詳しいことは社務所へ電話で問い合わせるよう書かれている。送る前に、まず電話で今の手順を確かめるのが確実だ。
郵便で引き換えた人の記録では、四枚の札一式を元の袋に入れ、手紙を添えて送っていた。手紙には一年のお礼、今年の御眷属を送ってほしいという頼み、郵便番号と住所、氏名、電話番号を書く。送り方は追跡のできる郵便を選んだという。
代金は後払いで、新しい札に振込用紙が同封されていたと書かれていた。その記録では初穂料五千円に梱包郵送代の五百円、振込手数料が加わり、返送から三日ほどで新しい札が届いた。札を半紙で覆ってから梱包したという記録もある。
初めての拝借まで郵送で受けられるかどうかは、案内からは読み取れなかった。届いた札は、去年の札を据えていた場所へそのまま納める。玄関の付札も同じ順に貼り直し、十日と十九日の供えを続ければいい。
講や町内で一疋を借りるときの段取り
御眷属は一軒ごとに借りるものとは限らなかった。一疋で五十戸までを守るという効能書きも伝わる。五十戸分の番犬。村や町の講が代表を山へ送り、借りたお犬様を鎮守の境内などに祀って、土地ごと番をしてもらう形があった。
三峯山博物館の解説によれば、信州や甲州、関東の村々、江戸の町人までが講社を組んで山に登った。代参人は講の人数分の札を受けて帰る。毎月十九日の晩のお日待ちで身を清めて供物を炊くのも、講中の一人の役目と指南に書かれていた。
今の町内会や同じ信仰の仲間で借りるなら、この形がそのまま手本になる。代参人を決めて山へ上げ、借りた札は皆が拝める清浄な場所に据える。十日と十九日の供えを誰が受け持つかを、先に順番で決めておくといい。
御岳山の講は、毎年決まった時期に数人の代参人を選んで山へ上げていた。春にかしこまった服装の代参の一団が上がってくるのは、今も山の季節の風景だという。三峯で借りた講なら、一年たったら同じ代参人か次の番の者が札を返し、新しく借りて帰る。
御岳山でおいぬ様の札を毎年引き替える
青梅の武蔵御嶽神社も、大口真神をおいぬ様と呼んで祀る。社の説明では、日本武尊が道に迷ったとき白い狼が現れて軍を導き、天保の頃から魔除けと盗難除けの神として札が広まった。札のおいぬ様の目に三日月がかたどられているのは、日本三御嶽を雪月花にたとえ、武蔵御嶽を月にあてたからだという。
ここの形は拝借ではなく、毎年のお引き替えだ。社によると、御師が講の地域へ配札して回るとき、その家を守る大口真神の札を毎年新しく引き替えてきた。今は神社でも引き替えを受けていて、一年の守護を祈り、翌年にまた当社で引き替えてほしいと案内している。
祈祷の受付は午前九時から午後三時半頃までで、予約はいらない。団体は前もって予約を入れる。個人の祈祷料は三千円、五千円、一万円からと示されていて、来られない人は電話かファクスで相談するよう書かれていた。
講に入っている家なら、秋から冬に御師が山を下りて一軒ずつ札を配りに来る。春には講ごとに選んだ代参人が山に上がり、宿坊で直会をして泊まる。受けた札は神棚の崇敬社の位置に納め、一年たったら古い札を持って山へ上がり、新しい札と引き替える。
上がる年を選べるなら、卯年の式年祭に合わせる手もある。御嶽では十二年に一度、卯年に大口真神の式年祭がある。令和五年は四月十五日から五月二十一日まで、ふだん奥社にいる御神像を本殿へ遷して間近で拝めるようにした。次の卯年は令和十七年。その期間に引き替えに上がれば、札を受けるついでに御神像の前でも手を合わせられる。
宝登山で山犬様を一年借りる
長瀞の宝登山神社は、山火事に囲まれた日本武尊を山犬が助けたと伝え、火を止めた山として火止山の名が起こったとする。ここでも御眷属拝借祈願を受けている。社の案内は山犬様を一年間お借りし、家と家族を主人として仕え、邪気や怪しいものの兆しを察して除くと説明している。
初穂料は御眷属が三千円、正眷属が三千五百円。新しく申し込む人には、別に手数料五百円の神納を頼んでいる。御眷属神札には火防盗賊除の神札などが付き、社は必ず当社へ返納するよう書いている。
祈願の受付は四月から九月が午前八時半から午後四時半、十月から三月は午後四時までだ。毎月一日と十五日は午前九時から始まる。郵送申込の案内にも御眷属と正眷属の番号が載っていて、新年の郵送申込では申込書と初穂料、送料を現金書留で送る形になっていた。
受けた札の据え方は三峯と変わらない。神棚の崇敬社の位置に置き、付いてきた火防盗賊除の札の貼り場所は、受けたときの案内に従う。
一年たったら、三峯の札とは混ぜずに宝登山へ返す。借りた社ごとに、返す先を分けておくのが決まりになる。三峯の札は三峯へ、宝登山の札は宝登山へ。二社から借りる家なら、箱に社の名を書いた紙を添えておくと取り違えずに済む。
