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天赦日と一粒万倍日と大安の出し方 二〇二六年と二〇二七年の日取り、社寺での祈祷、財布の使い始めと種銭の作法

国立国会図書館の暦の解説には、天赦日を「百神が天に会合し、天が万物を許す日」と書いた一行がある。暦の下のほうに刷られた吉凶で、昔から下段と呼ばれてきた注だ。明治の改暦で官の暦から消されたのに、手帳やカレンダーには今も刷られている。消えなかった。

一粒万倍日は、一粒の籾が万倍の稲になるという仏典の言葉から名前をとった日だった。大安は六曜の一つで、こちらは旧暦の日付だけで決まるから、三つとも出どころが違えば出し方も違う。手帳の印を丸写しするより、自分で一度出してみると、重なりや凶日との当たり方がすっと分かる。

干支入りの暦と節入りの日付をそろえる

用意する物は二つで足りる。難しくない。日ごとの干支と旧暦の日付が載った暦を一冊、それに二十四節気のうち節にあたる十二の日付だ。書店の年末の棚に並ぶ高島暦や神宮暦のような冊子なら、両方とも載っている。

節は立春、啓蟄、清明、立夏、芒種、小暑、立秋、白露、寒露、立冬、大雪、小寒の十二になる。立春から啓蟄の前日までを正月、啓蟄から清明の前日までを二月と数えるのが節月で、暦注の多くはこの節月で動く。新暦の月とはずれるので、ここを取り違えると全部ずれる。

二〇二六年の節入りを天文計算で出すと、立春が二月四日、啓蟄が三月五日、清明が四月五日、立夏が五月五日だった。芒種は六月六日、小暑は七月七日、立秋は八月七日、白露は九月七日。寒露が十月八日、立冬が十一月七日、大雪が十二月七日になる。

二〇二七年は小寒が一月五日、立春が二月四日、啓蟄が三月六日、清明が四月五日、立夏が五月六日と出た。芒種は六月六日、小暑は七月七日、立秋は八月八日、白露は九月八日、寒露は十月八日、立冬は十一月八日、大雪は十二月七日だ。手帳の余白に、この十二の日付へ印をつけておくといい。赤で十分。

暦が無い日は六十日の足し算で干支を出す

干支の載っていない手帳しか無くても、干支の分かる日が一つあれば足りる。二〇二六年十月十七日が甲子だと覚えておけば、そこから六十日足した十二月十六日も甲子になる。さらに六十日足すと二〇二七年二月十四日で、これも甲子だ。

十二支だけなら十二日周期なので、もっと楽になる。指で足りる。十月十七日が子の日なら、十月十八日が丑、十九日が寅と一つずつ進む。十二日ごとに同じ十二支に戻るから、一粒万倍日や三隣亡の十二支はこれで拾える。

十干は十日周期で、甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸と回る。十月十七日が甲なら、十月二十一日は戊になる。天赦日の戊寅や戊申を探すときは、十干と十二支の両方が合う日を拾う。慣れないうちは、手で数えるより暦で確かめたほうが早いかもしれない。

旧暦の日付だけは、足し算で出せない。朔、つまり新月の日が旧暦の一日になり、月の満ち欠けで月の長さが二十九日か三十日に変わるからだ。大安と不成就日を出すときは、旧暦の載った暦か、国立天文台の暦要項のような公の表に頼る。

天赦日は季節の干支一つで拾う

天赦日の決まりは短い。立春から立夏の前日までは戊寅の日、立夏から立秋の前日までは甲午の日になる。立秋から立冬の前日までは戊申の日、立冬から立春の前日までは甲子の日。季節ごとに干支が一つ決まっているだけだ。覚えるのは四つ。

干支は六十日で一巡りして、季節はおよそ九十日ある。その干支が季節の中に一回来るか二回来るかで、天赦日は年に五回か六回になる。暦の日の干支欄を指でたどって、季節の干支を探せば終わり。五分もかからない。

二〇二六年の天赦日は三月五日、五月四日、五月二十日、七月十九日、十月一日、十二月十六日の六回だった。今日から数えて残るのは、十月一日の戊申と十二月十六日の甲子の二回になる。

二〇二七年は二月二十八日、四月二十九日、五月十五日、七月十四日、九月二十六日、十二月十一日の六回。二〇二七年の四月二十九日は祝日なので、勤めのある人でも社寺へ行きやすい。五月十五日と十二月十一日は土曜、二月二十八日と九月二十六日は日曜にあたる。二〇二七年は休みの日に当たる天赦日が多かった。

一粒万倍日は節月ごとの二つの十二支で拾う

一粒万倍日は、節月ごとに吉とする十二支が二つずつ決まっている。正月は丑と午、二月は寅と酉、三月は子と卯、四月は卯と辰の日だ。五月は巳と午、六月は酉と午、七月は子と未、八月は卯と申になる。

九月は酉と午、十月は酉と戌、十一月は亥と子、十二月は子と卯の日。この表を小さな紙に書き写して、暦に挟んでおくと早い。節月の欄と十二支の欄を二列に分けて書いておけば、日の十二支を見た瞬間に当たりか外れかが分かるようになる。

一か月に十二支は二周半ほど回るので、一粒万倍日は月に四日から六日くる。二〇二六年を数えると六十四日、二〇二七年は六十日あった。多いので、選ぶ余地はたっぷりある。焦らなくていい。

節の境目で当たり方が変わるのが、この表の癖だ。二〇二六年十月十一日は午の日で、寒露の十月八日を過ぎているから九月の節月に入っている。九月の節月は酉と午なので一粒万倍日になる。同じ午の日でも、寒露の前なら外れていた。

大安は旧暦の月と日を足して六で割る

大安は干支を見ない。旧暦だけ。旧暦の月と日を足して六で割り、余りが零なら大安、一なら赤口、二なら先勝、三なら友引、四なら先負、五なら仏滅になる。富山市科学博物館の六曜の解説も、この足し算の出し方を紹介していた。

同じ解説は、旧暦の各月の一日の六曜を並べている。正月と七月の朔日は先勝、二月と八月は友引、三月と九月は先負、四月と十月は仏滅、五月と十一月は大安、六月と十二月は赤口。そこから先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の順に一日ずつ進む。

旧暦の月が替わると順番が飛ぶので、大安は六日おきとは限らない。二〇二六年九月二十六日は旧暦の八月十六日で、足すと二十四、六で割り切れるから大安だった。十月一日は旧暦の八月二十一日で、足して二十九、余り五の仏滅になる。

大安は万事に吉とされ、時間帯の吉凶も無い日だ。一日中いい。数えると二〇二六年に六十一日、二〇二七年に六十日あった。ほぼ毎週。結婚式や入籍でまず見られるのがこの日で、社寺の祈祷の申し込みも大安の週末に寄りやすいらしい。

受死日、十死日、不成就日、三隣亡を重ねて消す

吉日を拾ったら、今度は凶日を重ねる。ここが肝心。受死日は別名を黒日といって、暦には黒い点で示されてきた大凶日だ。節月の正月が戌、二月が辰、三月が亥、四月が巳、五月が子、六月が午の日。七月が丑、八月が未、九月が寅、十月が申、十一月が卯、十二月が酉になる。

十死日は受死日に次ぐ凶日で、葬式にも凶とされた。受死日は葬式だけは差し支えないとされていたから、十死日のほうが使い道の無い日だったことになる。節月の正月、四月、七月、十月は酉の日、二月、五月、八月、十一月は巳の日、三月、六月、九月、十二月は丑の日。

三隣亡は建築の凶日で、家の棟上げや土起こし、基礎の工事を始めるのを忌む日とされてきた。節月の正月、四月、七月、十月は亥の日、二月、五月、八月、十一月は寅の日、三月、六月、九月、十二月は午の日になる。

不成就日だけは旧暦の日付で決まる。旧暦の正月と七月は三日、十一日、十九日、二十七日。二月と八月は二日から、三月と九月は一日から、四月と十月は四日から始まる。五月と十一月は五日から、六月と十二月は六日から、それぞれ八日おきに来る。

表どうしを突き合わせると、見逃せない癖が一つある。六月の節月の天赦日の甲午は、午の日なので受死日と三隣亡に必ずぶつかる。二〇二六年七月十九日も二〇二七年七月十四日も、手帳では最強の開運日扱いだった。けれど実は受死日と重なっていた。これは正直、表を重ねるまで気づきにくい。

二〇二六年秋から二〇二七年末の日取りを並べる

表を重ねて出した結果を並べておく。二〇二六年十月一日は天赦日で一粒万倍日、六曜は仏滅で、受死日も不成就日も当たらない。十二月十六日は天赦日、一粒万倍日、甲子の日が重なり、六曜は赤口だった。

大安と一粒万倍日が重なって凶日の無い日は、二〇二六年の残りだと九月二十六日、十二月十五日、十二月二十七日の三日。十月十一日と十一月四日は一粒万倍日なのに、不成就日と三隣亡が乗っている。十一月七日、十一月十九日、十二月一日は十死日が重なる。

二〇二七年の天赦日を見ると、二月二十八日は仏滅、四月二十九日と五月十五日は先勝で、どれも受死日と不成就日は外れている。九月二十六日は一粒万倍日と重なるものの、不成就日でもある。十二月十一日は天赦日、一粒万倍日、甲子の日の三つが重なり、凶日は乗っていない。

二〇二七年に大安と一粒万倍日が重なり、凶日の無い日は五日あった。三月七日、四月二十七日、五月十三日、六月五日、十二月二十二日だ。四月十五日、五月二十五日、十二月十日は不成就日、十月三十日は三隣亡が乗る。暦の刷りによって節入りの扱いが一日ずれることもあるので、手元の暦とも一度照らしておくと安心だ。

天赦日に始めることを一つ決めて書き留める

日取りが決まったら、その日に始めることを一つに絞る。欲張らない。産泰神社の神職の解説は、この日に向くことを具体的に挙げていた。財布の買い替え、開店や開業、転職の活動、結納や入籍、引っ越し、新しい習い事だ。人に感謝を伝えることも、そこに入っていた。

決めたことは、前の晩に紙へ書いておく。短くていい。日付と、始めることと、祈祷を受けるならその社寺の名前。祈祷の申込書にも同じ願意を書くので、ここで言葉を決めておくと受付で迷わない。

当日の朝は、神棚がある家なら水と米と塩を新しく替えて、二拝二拍手一拝で拝む。神棚が無ければ、顔を洗って身なりを整えるだけでいい。社寺へ出かけるのは、そのあとだ。

参る社寺を決めて祈祷の予約を入れる

日が決まったら、参る先を決める。氏神の神社でも、金運や商売で知られた社寺でもいい。天赦日と一粒万倍日は、どこの社寺でも祈祷の申し込みが集中しやすい日だ。山形の熊野大社は、この二つの日の祈祷と婚礼の予約がたいへん多いと案内していた。予約を受けている社寺なら、ひと月前には申し込んでおきたい。

申し込みは電話か社寺の予約フォームで、祈願の内容と人数と名前を伝える。願意は商売繁盛、家内安全、開運のように社寺の祈祷案内に並ぶ言葉から選ぶ。予約を取らない社寺なら、当日に授与所の横の受付で申込書を書く形になる。混む日は待つ。

初穂料は社寺ごとに決まっている。相場は無い。奈良の大神神社は五千円から受けていて、一月一日から二月六日までは六千円からになる。金額で授与品が変わる社も多いので、案内の表を先に見ておく。大神神社では二万円以上で御神楽が奉奏され、その受付は午後四時まで、冬は午後三時半までと決まっていた。

包み方は、群馬の産泰神社の神職が写真つきで説明している解説がいちばん細かかった。紅白の蝶結びの水引ののし袋を使い、上段に初穂料、下段に祈願を受ける本人の名前を書く。中袋の表には旧漢数字で金額、裏には住所と名前を書き、新しいお札を肖像が表の上に来る向きで入れて、中袋にのりはしない。

のし袋が無ければ、郵便番号の枠の無い白い封筒で代わりになる。当日は袱紗に包んで持っていき、受付で申込書と一緒に渡す。願い主が夫婦なら、夫の名前を中央に、妻の名前をその左に書くと同じ解説にあった。

当日の朝、手水から二拝二拍手一拝まで

当日は、新しい財布と種銭にする五円玉や五十円玉も、忘れずに鞄へ入れて持って出る。鳥居の前で一礼して、参道は真ん中を避けて歩く。真ん中は神様の通り道とされていて、端を歩くのが古くからの心得だと多くの神社が案内している。手水舎に来たら柄杓を右手で取り、水を汲んで左手にかける。左手に持ち替えて右手を洗い、もう一度右手に持ち替えて左の手のひらに水を受け、口をすすぐ。

口をすすいだら左手にもう一度水を流す。これで終わり。神社本庁の参拝の案内も、左手、右手、口、左手という同じ順で、一つずつ手の動きを分けて説明していた。柄杓を立てて柄に水を伝わせてから戻す、と教える社も多い。一杯の水で全部済ませるつもりで汲むと、ちょうどいい。

拝殿の前で賽銭を入れて鈴を鳴らし、腰を九十度に折る深い礼を二回する。両手を胸の高さで合わせ、右の指先を少し下へずらして肩幅に開き、二回手を打つ。指を揃えて願い事を心の中で述べ、最後にもう一度深く礼をする。

唱えるなら略拝詞がいい。原文は「祓へ給へ 清め給へ 神ながら守り給へ 幸へ給へ」。読みは、はらえたまえ、きよめたまえ、かむながらまもりたまえ、さきわえたまえ。罪や汚れを払い清め、神の御心のままに守り、幸せを授けてください、というくらいの意味だ。二拍手のあとに一回、小さな声で足りる。

昇殿して祈祷を受ける

祈祷の受付を済ませたら、名前を呼ばれるまで待合の部屋か休憩所で静かに待つ。大神神社では、ここでタスキを掛けて祈祷者休憩所に控える流れになっていた。名前を呼ばれたら、神職のあとについて拝殿へ上がる。座る場所は神職が案内してくれるので、指示どおりに着いて頭を下げて待つ。

大神神社の次第では、神職が祝詞を奏上し、そのあと「幸魂奇魂守給幸給」を三度唱えて、参拝者も一緒に唱える。読みは、さきみたまくしみたままもりたまえさきわえたまえ。神の和やかな御霊と不思議な力の御霊よ、守り幸せを授けたまえ、という意味だ。この文言は大神神社の祈祷で唱えるもので、よその神社では神職の案内に合わせる。

そのあと巫女が鈴で祓い、一万円以上の祈祷では参拝者が玉串を捧げて二礼二拍手一礼をする。玉串は神職から両手で受け取り、根元を自分に向けて持って神前へ進む。根元が神前を向くよう時計回りに回して案に置き、一歩下がって拝礼する。

終わると授与所で御神符とお下がりの品を受け取る。大神神社なら御神符とお下がりの御饌米だった。天赦日に受けた祈祷なら、授与品の袋に日付を書いておくと、あとで返納の時期が分かりやすい。

授かった札を祀り、一年たったら納める

御神符は、神棚があればそこへ納める。大神神社の案内は、明るくきれいな高い場所を選んで、北向きを避けて祀るようにと書いていた。神棚が無い家なら、目線より高い棚の上に白い紙を敷いて立てかける。

祀ったら、朝に一礼して二拍手するだけで十分だ。毎日でなくてもいい。榊と水と米と塩をそろえる家もあるけど、無理のない範囲でいい。ちなみに御神符の向きは、南か東を向けて置くのが一般の神棚の作法とされる。

一年たったら、札を受けた社寺か、遠ければ近くの神社の古札納所へ、お礼を言って納める。新しい天赦日や一粒万倍日にもう一度祈祷を受け、その足で古い札を返すと、段取りが一回で済む。楽だ。

新しい財布を吉日におろす

財布の使い始めには、一粒万倍日や天赦日がよく選ばれる。産泰神社の神職も、この日は財布を新しく買い替えたり使い始めたりするのによいとされる、と書いていた。店で先に買っておいて、使い始めの日だけを吉日に合わせるやり方でもかまわない。

前の晩に古い財布の中身を全部机の上に出す。全部だ。レシートや期限の切れた券はここで捨て、お札、硬貨、カードを分けて並べておく。種銭にする硬貨があれば、ほかのお金と混ざらないように別の小袋に入れて、財布の横に置いておく。

当日の朝、手を洗ってから新しい財布を開け、最初にお札を向きを揃えて入れる。次に硬貨、最後にカードの順で移し、種銭は小銭入れとは別の仕切りの奥に納める。祈祷を受けてから使い始めるなら、社寺の帰りにこの順で移せばいい。

一粒万倍日は借りたものが万倍に膨らむ日とされていて、産泰神社の解説も、お金や物を借りることを避けるよう書いていた。分割払いやツケで財布を買うなら、買う日を別の日にずらす人も多いらしい。

種銭を洗って財布の奥に納める

種銭を作るなら、社寺の銭洗いを使うのが手っ取り早い。東京の日本橋にある小網神社では、境内の銭洗いの井で、ざるに小銭を入れて水に浸し、振るように洗う。宮司は五円玉や五十円玉のような穴のあいた硬貨を勧めていた。

洗った硬貨の穴にひもを結んで印をつけておくと、財布に入れても清めたお金と見分けがつく。宮司の話では、清めたお金を一つ財布の中にとどめておくと、それが種銭になってお金を呼ぶという信仰があるそうだ。使わずに、財布を替えるたびに新しい財布へ移していく。ずっと一緒。

大阪の住吉大社には、種貸社でお種銭を授かる作法がある。お種銭は祈祷を受けた人だけに授与され、二〇二六年九月からの祈祷料は千五百円になった。社の案内では、これを商売などの元手に加えて資本の充実を祈るとされている。

住吉大社では毎月最初の辰の日を初辰と呼び、種貸社、楠珺社、浅澤社、大歳社の順に四社を参る。四年、四十八回で満願になる習わしだ。二〇二六年の残りの初辰は十月九日、十一月二日、十二月八日だった。

楠珺社では招福猫を毎月一体授かり、奇数月は左手を挙げた家内安全の猫、偶数月は右手を挙げた商売繁盛の猫になる。小猫を四十八体集めると中猫一体と交換でき、左右の大猫がそろうまで通うと二十四年かかる。気の長い話だ。楠珺社の祈祷料は二〇二六年九月から二千円、大歳社は千円で、小石の大歳守を授かる。

古い財布を天赦日の供養に出す

使い終えた財布は、中身を空にしてから手放す。東京の目黒にある五百羅漢寺は、天赦日に合わせてお財布供養をしている。二〇二六年は三月五日から十二月十六日までの天赦日六回すべてが供養の日だった。いずれも午前十一時から三十分ほどの法要になる。

供養の日に持っていくなら午前九時から十時半までに受付を済ませ、十一時から法要に加わる。別の日に持ち込むなら午前九時から午後四時半まで受け付けていて、郵送は現金書留に限っていた。供養料は財布一つにつき二千円だった。安くはない。

寺の案内は、中に何も入っていないのを確かめてから出すよう念を押している。カードの一枚、レシートの一枚まで抜く。希望すれば五百円の金運の御守りを頼めて、法要のあと一週間以内に送られてくる形だった。供養を終えた財布は社会福祉施設に送られ、材質ごとに分けて処分されるという。二〇二七年も同じ形で受けるかは、寺の告知で確かめたい。

近くに受ける社寺が無ければ、白い紙に包んで塩をひとつまみ振り、自治体の分別に従って出す人も多い。神社の古札納所は札や守りのための場所なので、財布を入れる前に社務所で聞いておく。

一粒万倍日に種を下ろす

一粒万倍日の名前は、もともと田畑から来ている。種まき、苗の植え付け、株分けは、この日の使い方として暦の解説にもそのまま挙がる日取りだ。家庭菜園やベランダのプランターでも同じ段取りでいい。

春の種まきに絞ると、清明から立夏の前日までの三月の節月は子と卯の日になる。立夏から芒種の前日までの四月の節月は卯と辰の日。二〇二七年なら四月六日、十八日、二十七日、三十日、五月十二日、十三日、二十四日あたりが当たる。四月十五日と五月二十五日は不成就日が乗るので外す。

種は前の晩に袋から出して、小皿に並べておく。粒の大きな豆や菜の種なら、ひと晩水に浸けておくと芽が出やすいので、その支度も前の晩のうちに済ませておく。当日の朝に土を湿らせ、指で浅い穴をあけて一粒ずつ落としていく。一粒をおろそかにしないのが、この日の名前に合ったやり方だろう。

余った種は袋の口を折って、冷暗所にしまう。捨てない。次の一粒万倍日まで取っておく。

重なった凶日と、この日にしないこと

吉日と凶日がぶつかったときの考え方は、はっきりした決まりが無い。産泰神社の神職は、一粒万倍日のような選日はもともと神社と直接の関係が無い、と書いていた。不成就日と重なっても過度に気にしないでいい。気になるなら別の吉日を選べばいい、という勧め方だった。

一粒万倍日は月に四日から六日、大安も月に五日ほど来るので、不成就日や十死日と重なった日は素直にずらせば済む。天赦日は年に数回しか無いので、多少の凶日には目をつぶるという人も多い。

二〇二六年三月五日の天赦日は大安で一粒万倍日だったのに、二月の節月の寅の日なので三隣亡にも当たっていた。家の工事でなければ、気にせず使った人も多かったらしい。とはいえ受死日だけは、天赦日と重なっても凶とする扱いが古い暦にあった。そこは見送る。

財布や契約のように何かを始める用事は凶日を避け、社寺に参って祈祷を受けるだけなら日の吉凶にこだわらない。家の工事の段取りをつけるなら、三隣亡に当たる寅や午や亥の日を節月で確かめる。

一粒万倍日には、借金や人から物を借りること、人の悪口やけんかを避けるとされた。悪いことまで万倍になる、という理屈だ。無駄遣いを控える人もいるけど、財布をおろす日にまとまった買い物をするのは、むしろ気分がいい。

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