- 寅の年、寅の日、寅の刻に現れたという二つの山
- 暦の干支から寅の日を拾い出す
- 信貴山へ行く日を決めて、祈祷の段取りを確かめる
- 仁王門で一礼し、手水をとって本堂へ上がる
- オン・ベイシラマンダヤ・ソワカを三返唱える
- 戒壇巡りの錠前に触れ、空鉢護法堂で一つだけ願う
- 信貴山で受けられる札と張り子の寅を選ぶ
- 初寅の夜明け前に本堂へ上がる
- 二月の寅まつりと結縁灌頂に申し込む
- 節分の鬼追式と十一月の火渡りに加わる
- 鞍馬寺の初寅は、叡山電車の終点から山を登る
- 近くの毘沙門天は、開帳のある寅の日を選ぶ
- 家の高い棚に札と御尊影を据える
- 水と灯明を供えて、寅の日の朝に真言を唱える
- 寅の日に行けなかった日と、札を傷めたとき
- 記録に残る寅の日の作法を暮らしに移す
- 納め寅と左義長で札を返す
寅の年、寅の日、寅の刻に現れたという二つの山
奈良の信貴山朝護孫子寺は、聖徳太子がこの山で毘沙門天を感得したのが寅の年、寅の日、寅の刻だったと伝えている。縁日は毎月一日と三日、それに寅の日。寅の縁日にお参りするとご利益を授かる、と寺ははっきり書いていた。短い一文だった。
京都の鞍馬寺にも同じ形の話がある。毘沙門天が鞍馬山に現れたのが寅の月、寅の日、寅の刻で、その縁で一月最初の寅の日に初寅大祭が営まれる。昔から初寅に参ると無量の大福を授かると言われてきた、と京都市の観光案内も紹介していた。
寅の日参りの芯は、結局この二つの寺の縁起に尽きる。辞書の初寅の項も、その年最初の寅の日に福徳を願って毘沙門天に参ること、と書く。虎が毘沙門天の使いとされるのも同じ縁起から来た。以下は、その寅の日をどう数え、どの寺で何をして、家で授かった物をどう祀って返すかの話になる。
暦の干支から寅の日を拾い出す
寅の日は、その日の干支の十二支が寅になる日だ。十二支は一日に一つずつ進むので、十二日に一度めぐってくる。一つ分かれば、あとは十二日ずつ足していけばいい。干支入りの暦があれば、日付の横の字を見るだけで済む。
手元の暦に干支が載っていなければ、基準の一日を覚えておく。二〇二六年の初寅は一月四日の戊寅で、信貴山の初寅大法要もこの日だった。そこから十二日後の一月十六日が二の寅、年の暮れの十二月三十日が納め寅に当たる。
この秋から先を並べておく。二〇二六年は九月二十五日、十月七日、十月十九日、十月三十一日。十一月は十二日と二十四日で、十二月は六日、十八日、三十日になる。二〇二七年の初寅は一月十一日の庚寅で、二の寅は一月二十三日だ。
信貴山は寺のサイトに寅の日の暦を載せていて、答え合わせはそちらでできる。自分で数えた日付は、出かける前に一度その暦と照らし、法要や行事が重なっていないかも一緒に見ておくと安心だ。一日ずれるだけで寅の日ではなくなる。要注意。
十干まで見ると、寅の日は甲寅、丙寅、戊寅、庚寅、壬寅の五つが順に回り、六十日で一巡する。二〇二六年の初寅が戊寅で、二〇二七年の初寅が庚寅だったのはこのためだ。どの寅でも縁日としての扱いは変わらない。数えるのは十二支だけで足りる。
信貴山へ行く日を決めて、祈祷の段取りを確かめる
信貴山の縁日は一日、三日、寅の日の三つある。月の頭に寅の日が重なると人出が増える。朝から混む。静かに拝みたいなら平日の寅の日、行事に加わりたいなら法要のある寅の日と、先に目的を決めておくと迷わない。
麓からは、王寺駅から出るバスで信貴大橋まで上がり、そこから歩いて仁王門へ向かうのがふつうの道筋になる。西の信貴山門の側から入ると、昭和六年に信者の寄進で架けられた朱塗りの開運橋を渡る。どちらから入っても、最初に拝むのは本堂の毘沙門天だ。順番はそこだけ。
祈祷を受けるなら、本堂か塔頭の寺で申し込む。寺の案内では受付が朝九時から午後四時まで。大般若の祈祷料は五千円、一万円、二万円の三段で、特別大般若は三万円から、御札だけなら三千円か二千円だった。願意は商売繁昌、家内安全、開運長久、心願成就、厄難消除のように寺が並べている中から、申込書で一つ選んで書き込む。
当日の流れは、受付で申込書を書いて祈祷料を納め、本堂の内陣で待つ。僧侶が祈祷を修したあとに参拝し、最後に御札を受け取って終わる。服装はふだん着で構わないが、できれば念珠を持ってきてほしい、と寺は案内していた。祈祷のときは本尊の近くで拝めるのも、この寺の決まりだ。ご本尊と同じようにお近くで参拝できる、と案内にはあった。
のし袋の決まりは、寺の案内には特に無かった。申込書と一緒に受付で納めれば足りる。包みたいなら白い封筒の表に御祈祷料と書き、下に名前を入れておけばいい。
仁王門で一礼し、手水をとって本堂へ上がる
仁王門の前で立ち止まり、一礼してからくぐる。帰りもここで振り返って一礼するので、行きと帰りで二回。境内には世界一福寅と呼ばれる大きな張り子の虎がいて、ここで足を止める人が多い。
本堂への石段の前で手水をとる。右手で柄杓を持って左手に水をかけ、柄杓を左手に持ち替えてから、右手にも同じように水をかけて清める。もう一度右手に持ち、左の手のひらに受けた水で口をすすいで、最後に柄杓を立てて柄に水を流す。口をつけるのは手のひらの水だけで、柄杓にはつけない。
本堂の前に着いたら、ろうそくと線香を上げる。火は備え付けの灯明から移し、線香は立てる場所が混んでいれば端のほうへ静かに差しておけばいい。塔頭の成福院の案内は、参拝の順を一礼、賽銭を納めて鰐口を鳴らす、静かに合掌して祈る、一礼、の四つに分けていた。塔頭のお堂向けの案内だったが、本堂の前でもこの順でやれば形は整う。願いごとは合掌したまま、名前と住所を心の中で添えて短く伝える。
本堂の内陣には、毘沙門天を真ん中に、左に禅膩師童子、右に吉祥天が並ぶ。三尊の形だ。外陣から拝むときも、正面の毘沙門天へ向けて合掌すればいい。
オン・ベイシラマンダヤ・ソワカを三返唱える
合掌したまま、毘沙門天の真言を唱える。原文はオン・ベイシラマンダヤ・ソワカ。成福院の案内も、本堂の毘沙門天王の真言としてこの形を挙げていた。寺によってはオン・バイシラ・マンダヤ・ソワカと音を当てることもある。
意味はざっくり、毘沙門天に帰依したてまつる、願いが成就しますように。オンは帰依や供養を表す冒頭の音で、ベイシラマンダヤは毘沙門天の元の名を写した音。ソワカは成就を願う結びになる。覚えるのは一行だけ。
回数の目安は成福院の案内にあった。融通殿の真言について、合掌の際に三返唱えましょう、と勧めていた。本堂でも三返を基本にすればいい。祈祷のときや家で落ち着いて拝むときは、七返や二十一返まで重ねる人もいる。
数珠があれば左手にかけて合掌する。無ければ素手で構わない。声は小さくていいけど、口の中でもごもご済ませず、自分の耳に届くくらいは出したい。唱え終えたら合掌を解き、一礼して本堂の前を離れる。
戒壇巡りの錠前に触れ、空鉢護法堂で一つだけ願う
本堂の下には戒壇巡りがある。入場料は二百円。真っ暗な回廊を手探りで進み、本堂の地下に納めた如意宝珠の錠前に触れると心願成就の利益がある、と寺は案内していた。錠前に触れたら、その場で願いを一つ念じる。暗いのが苦手な人や足元に不安のある人は、無理に入らず、本堂の前でもう一度真言を唱えて済ませてもいい。
戒壇巡りの入口では、福徳を招くかやの実が二百円で授与されていた。十二支守護本尊の八体仏の御守や干支守りもここにあるので、生まれ年の守り本尊の御守を探すなら、この入口がいちばん早い。
体力が残っていれば、本堂からさらに山道を上がって、山頂の空鉢護法堂まで登る。一願成就の霊験で知られる龍王の祠だ。一願というくらいなので、願いは一つに絞り、山道は険しいので歩きやすい靴で登ってほしい。下りたら仁王門で振り返り、もう一度一礼して山を出る。
空鉢護法堂は巳さんを祀るお堂で、五月三日の午前十一時に空鉢護法大祭があり、正月の初巳にも法要が営まれる。寅の日参りのついでに登るなら、ここでは願いを一つ唱えて手を合わせるだけでいい。途中の剱鎧護法堂は病気平癒と無病息災の祈願所で、九月三日に大祭がある。開山堂では四国八十八か所の本尊を拝むお砂踏みもできる。全部回ると半日がかり。
信貴山で受けられる札と張り子の寅を選ぶ
家に持ち帰る物は、本堂の授与所で選ぶ。寺の一覧を見ると、授与品はどれも御祈祷済みと書いてあった。値段も全部載っていた。家で拝む本尊にするなら、毘沙門天王の御尊影が三百円、金箔の御尊影が千円。手のひらに収まる本尊にぎり毘沙門天は七百円で、毘沙門天王カード御守は千三百円だった。
張り子の寅は大きさで三つあった。小寅が三千円、中寅が五千円、大寅が七千円。棚の奥行きと高さを先に測っておくと、持ち帰ってから大きすぎて置き場に困る、という失敗をしなくて済む。寅念珠は虎檀の五千円から、腕輪念珠は千五百円から出ていた。
家でお経まで上げたいなら、信貴山毘沙門天王勤行式の冊子が千円、訓読付きの般若心経が三百円で受けられる。寺が出している勤行の本なので、家で唱える文言はこの冊子に合わせるのがいちばん確かだ。
初寅の夜明け前に本堂へ上がる
年に何度か、寅の日の法要が寅の刻に寄せて組まれる。二〇二六年の初寅大法要は一月四日の午前四時から、二の寅大法要は一月十六日の午前五時半からだった。納め寅大法要だけは夕方で、十二月三十日の午後四時半から始まる。
七月三日の毘沙門天王御出現大祭は午前三時に始まり、百味の供物を上げて夜通し参る徹夜詣りになる。夜中に山へ上がるなら、塔頭の成福院、千手院、玉蔵院が宿坊を開いているので、前の晩から泊まるのが楽だ。宿坊や行事への参加は、余裕をもって寺務所に相談するよう成福院は書いていた。
初寅の未明は山の上がひどく冷える。上着と手袋は多めに持っていき、足元の冷えにも備えて厚手の靴下を一枚足しておく。法要の間は本堂の外陣に座って読経を聞き、声に合わせて合掌していればいい。焼香や内陣への案内があるかどうかは、当日の係の指示に従う。勝手に動かない。
二月の寅まつりと結縁灌頂に申し込む
寅の月にあたる二月、信貴山は寅まつりを開く。二〇二六年は二月二十一日と二十二日の二日間で、時間は朝九時から夕方五時までだった。土日だった。寅にちなんだ大きな祭りで、寅年生まれの人を募って法要に加わってもらう年もある。
加わりたいなら、年が明けたら早めに寺の募集案内を見ておく。定員があって、早く埋まる年もあるらしい。急ぐこと。期間中は車が混む。麓からバスで上がるほうが楽だ。
同じ二月の初めと、十月の後半には、毘沙門天結縁灌頂が営まれる。寺は密教の最高の儀式と紹介していた。結縁灌頂は、目隠しをして曼荼羅の上に華を投げ、落ちた先の仏と縁を結び、頭に水を注いでもらう流れが広く知られている。
申し込みの段取りや当日の服装、受付の時刻は、年ごとに寺へ確かめる。堂内で見聞きしたことは、よそで話さないよう言われる儀式でもある。写真も撮らない。
節分の鬼追式と十一月の火渡りに加わる
二月三日の夕方五時からは、節分大法要と星祭の法要、それに鬼追式がある。赤鬼と青鬼を毘沙門天王が退治する、と寺は案内していた。豆まきより一歩踏み込んだ形だった。寅の日ではないけど、毘沙門天の力で年の災いを払う行事なので、寅の日参りと組み合わせて日取りを組んでもいい。
十一月三日の午後二時からは、柴灯護摩供と火渡りの大祈願会だ。焚き終えた護摩の火の上を裸足で渡り、無病息災を祈る。渡るかどうかは当日の案内に従い、無理だと思えば見守って合掌するだけでいい。
鞍馬寺の初寅は、叡山電車の終点から山を登る
鞍馬寺の初寅大祭は一月最初の寅の日で、二〇二六年は一月四日だった。京都の町からは叡山電車で終点の鞍馬駅まで行き、駅を降りてすぐの仁王門で愛山費の五百円を納めてから山に入る。
本殿金堂までは、ケーブルに二分乗って十分歩くか、九十九折の参道を三十分ほど登る。正直、けっこうきつい。清少納言が近くて遠いものに数えた坂道だ。歩く人は途中の由岐神社にも手を合わせていく。
枕草子には、近うて遠きもの、くらまのつづらをりといふ道、と書かれている。距離は短いのに登ると遠い、という意味の一節だ。初寅の朝は参道が混み合うので、登りに時間を多めに見ておく。
本殿金堂の前では、狛犬の代わりに阿吽の虎が一対で控える。口を開けた虎と閉じた虎だ。金堂の正面に立ったら、信貴山と同じように一礼して賽銭を納め、合掌して毘沙門天の真言を三返唱える。鞍馬は、毘沙門天と千手観音と護法魔王尊の三つを一体の尊天として拝む、少し変わった形の寺だ。寺で唱え言葉を案内していれば、そちらに合わせるのが筋になる。
初寅の日には、魔除けのあうんの虎とお宝札が授与される。福を持ち帰る印だ。同じ京都の山科の毘沙門堂でも、初寅の前後三日間に大祭があり、護摩を焚いて福徳成就や商売繁盛を祈る。こちらは魔よけの寅の福笹を授けていて、一月中は受けられると案内していた。甘酒の接待は無いとも書いてあった。
近くの毘沙門天は、開帳のある寅の日を選ぶ
信貴山や鞍馬の山へ毎回通わなくても、近くの毘沙門天で足りる。十分だ。東京なら神楽坂の善國寺がそうだ。ここの毘沙門天は、ふだんは簾の奥に隠れていた。拝めるのは年に数日だけだった。
扉が開くのは正月の初寅と二の寅、それに五月と九月の初寅の日。二〇二六年の開帳日は一月四日、一月十六日、五月四日、九月一日で、時間は朝九時から午後四時ごろまでだった。開帳日には祈祷を受けられ、平成二十五年からは百年ぶりに百足ひめこばんを授けている。むかでも毘沙門天の使いとされる生き物だ。
開帳のない寅の日も、善國寺は金運招来日として限定の御朱印を出している。近所で毘沙門天を探すなら、毘沙門堂、多聞院、多聞寺という名前が目印になる。寅の日の法要の有無は、電話で聞くのが早い。
善國寺では毘沙門講という集まりもあって、毎月五日の午後二時から本堂でお経を習う。諸経費は月に千円で、お経のあとに法話があり、みなでお茶をいただいて終わる。一月と二月は日時が変わる。十月だけは午前十一時からお経を上げ、昼のあとで万灯の花飾りを作る、と寺は書いていた。家で唱える文言を寺で習っておきたい人には、こういう講がいちばん近道だ。
年の初めに祈祷を受けるなら、善國寺は元日の午前零時から新年の初祈祷を修していた。厄年の祈願は正月と二月を中心に、随時受け付けている。
家の高い棚に札と御尊影を据える
受けてきた札や御尊影は、家の中の明るくて静かな場所に祀る。立ったときの目線より高い棚の上がいい。表を南か東へ向けるので、北の壁か西の壁を背にする置き方になる。密教の寺の案内でも、護摩札は目の高さより上の明るく清潔な場所に、南か東を向けて祀るよう勧めるものが多い。
置く前に棚を固く絞った布で拭き、乾いてから白い紙か布を敷く。仏壇があるなら、先祖の位牌とは段を分けて祀る。
台所や手洗いのそば、人がしょっちゅう出入りする戸口の真上、エアコンの風がじかに当たる壁は避けておく。札が倒れるなら、裏の見えないところにテープを貼って留める。画鋲で札そのものに穴を開けるのはやめておく。
札や掛軸の上のほうに、見慣れない字が一つだけ大きく書かれていることがある。毘沙門天を表す種子のベイの字だ。天地を逆さにしないよう、この字が上に来る向きで立てる。
寅念珠を受けてきたなら、ふだんは札の前に置いておき、拝むときに左手にかける。腕輪念珠は身につけて出かけてよい物だ。外したら棚の上へ戻す。床にじかに置かないことだけ気をつける。
水と灯明を供えて、寅の日の朝に真言を唱える
供え物は、仏前に上げる香、花、灯明、水、飲食の五つにならう。毎日そろえなくていい。ふだんは小さな器に水を一杯。寅の日の朝だけ、ご飯か菓子を一つ足し、灯明と線香に火を入れる。毘沙門天は仏の側の尊なので、線香を上げても差し支えない。
朝は顔を洗い、口をすすいでから棚の前に立つ。一礼して合掌し、懺悔文を一度唱える。原文は我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋癡、従身語意之所生、一切我今皆懺悔。読みはがしゃくしょぞうしょあくごう、かいゆうむしとんじんち、じゅうしんごいししょしょう、いっさいがこんかいさんげ。昔から身と口と心で作ってきた悪い行いを、いますべて悔い改めます、という意味だ。
続けて、オン・ベイシラマンダヤ・ソワカを三返か七返唱える。数を重ねたいなら二十一返まで。願いごとは一つだけ、名前と住所を添えて短く伝える。信貴山の勤行式の冊子を受けてきたなら、この段はその次第どおりに進めればいい。
終わりに回向文を一度唱えて閉じる。原文は願以此功徳、普及於一切、我等与衆生、皆共成仏道。読みはがんにしくどく、ふぎゅうおいっさい、がとうよしゅじょう、かいぐじょうぶつどう。この功徳があまねく行き渡り、みなが共に仏の道を成し遂げますように、という結びだ。
一礼して合掌を解いたら、灯明を消す。これで一座終わり。供えたご飯や菓子は、傷む前のその日のうちに下げて、捨てずに家の人で分けていただくのがお下がりの扱いになる。水は翌朝に替え、古い水は庭木か流しへ流す。つけっぱなしの灯明を残して出かけるのは、いちばんやってはいけないことだ。
寅の日に行けなかった日と、札を傷めたとき
寅の日に都合がつかなかったら、次の寅の日を待てばいい。十二日後には必ず来る。焦らない。信貴山なら毎月の一日と三日も縁日なので、そちらに回す手もある。
家で真言の数を途中で忘れたら、最初から数え直さずに、区切りのいいところまで唱えて終える。数を正確に数えたいなら、念珠の珠を一つずつ繰りながら唱えればいい。音を寺ごとの違いで迷ったら、札を受けた寺で聞いた音に合わせる。
札を落として汚したり破ったりしたら、そのまま祀り続けず、受けた寺に相談して納め、新しい札を受け直す。慌てなくていい。張り子の寅がへこんだくらいなら、そのまま飾っていて構わない。寺へ持っていけないうちは、白い紙に包んで棚の上に置いておく。
やってはいけないことは多くない。札の包みを開けて中を見ない、灯明をつけたまま家を空けない、供えた物を何日も置きっぱなしにしない。三つ守れば十分だ。あとは続けるだけ。
記録に残る寅の日の作法を暮らしに移す
初寅の鞍馬詣は、室町の狂言にもう出てくる。狂言の鞍馬参では、主人と太郎冠者が鞍馬に夜通しこもり、多聞天からありの実、つまり梨を授かって帰る筋だった。なしが無しに通じるのを嫌った言い換えで、授かった物を福そのものとして持ち帰る形がここにある。歳時記の初寅の項にも、鞍馬詣、福寅、福掻、お福蜈蚣といった言葉が並んでいた。
宮城県角田市の福應寺毘沙門堂には、むかでを描いた養蚕の絵馬が二万三千点あまり残る。宮城県の文化財の解説によると、信者は毘沙門堂で絵馬を一枚借りて帰り、家に飾って蚕の無事を祈った。養蚕が済んだら新しく一枚を足し、二枚にして納めた。借りた福を倍にして返す作法だ。
角田市の説明では、絵馬を家に置いていたのは一年か二年ほどだった。明和五年、一七六八年の絵馬も残り、この絵馬の群れは国の重要有形民俗文化財になっている。燃やさずに寺へ戻す作法だったから、これだけの数が今に伝わった。願いがかなったら少し足して返す。家の祀りでも、この順は真似できる。
むかでは毘沙門天の使いだから殺さない、という伝えも京都をはじめ各地にあった。家に出たら叩かずに、火ばさみか箒で外へ出す。刺されると痛いので、素手ではつかまない。昔の家でも、そうして外へ逃がしていた。
寅は千里を行って千里を帰る、という言葉から、寅の日は出ていったものが戻る日と言われてきた。善國寺が寅の日を金運招来日と呼ぶのも、この読み方に沿っている。旅の出発やまとまった振り込みは寅の日に寄せる。戻ってきては困る婚礼は、昔から寅の日を避けた。
納め寅と左義長で札を返す
札は一年を目安に、受けた寺へ返す。信貴山なら年の暮れの納め寅がちょうどいい区切りで、古い札を納め、新しい札を受けて帰れば一年がつながる。願いがかなったときは、礼参りのつもりで賽銭を少し足し、受けた寺へ直接札を返しに行くのがいちばん気持ちよく区切れる。
信貴山では一月十四日の午後六時から左義長を営み、不要になったお札や注連縄を焚き上げていた。正月の札をまとめて返すなら、この日に持っていく手もある。二〇二六年もこの日取りだった。張り子の寅は壊れるまで飾っていて構わない。手放すときは札と一緒に寺へ納める。
遠くて寺へ行けないときは、近くの寺の古札納所に、よその寺の札も受けてもらえるか聞いてから納める。どうしても手立てが無ければ、白い紙に包んで塩をひとつまみ振り、ほかのごみと分けて出す。ここまでやって、ようやく一年の祀りが閉じる。
返しに行く日も、寅の日に合わせれば覚えやすい。納め寅に古い札を返して新しい札を受けてくれば、棚は一日も空かない。初寅に受け直すなら、それまでの十日あまりは棚を拭き清めて、白い紙を敷いたまま待てばいい。新しい札を立てたら、水を一杯供えて真言を三返唱え、一年の祀りをまた始める。
