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津軽のカミサマに拝んでもらう段取りと赤倉の行、相談の持ち物から授かった米と塩の扱いまで

鼻和の八幡さまへの日参りから、赤倉の拝み手が生まれた

大正五年、いまの弘前市にあたる大浦村鼻和の工藤むらという女の人が、毎日水ごりをとって八幡宮へ日参りを始めた。これが三年三か月続いた。瑞穂教赤倉山神社が出している由緒書きに、そう記されている。

大正八年の十月、赤倉の神が枕元に立ってお告げを授けた。そこから月に三度、赤倉へ登って行をするようになる。大正十一年には旧の一月二日から大石神社に籠り、一週間の行に入った。翌十二年に赤倉へ堂を建て、これがのちの瑞穂教赤倉山神社になる。昭和二十六年のことだ。

津軽ではこういう人をカミサマと呼んできた。古い言い方だとゴミソ。目の見える人が多く、師匠につかず、決まった道具も持たない。病や悩みで祈るうちに神が入り、その神を祀って相談を受ける。イタコとはまるで成り立ちが違う。

世界大百科事典は、ゴミソは太鼓を叩いて神仏を降ろし、霊感で判断を下すと書いている。戦後は教派神道から免許を受ける人が増えた、とも。赤倉の沢にいまも並ぶ二十八ほどの霊堂は、そうやって一人ずつ立ったカミサマの祀り場だ。ここから先は、頼む側と行う側のやり方を順に書いていく。

カミサマに頼むか、神職や寺の祈祷に頼むかを先に決める

津軽で「拝んでもらう」と言ったとき、行き先はざっくり三つある。個人のカミサマの家。カミサマが開いた教会や神社で、いまは神職が祈祷しているところ。カミサマと縁の深い真言宗の寺。

一つめの個人のカミサマは看板を出していない家が多く、しかも神は一代限りだから、本人が亡くなれば窓口も閉じてしまう。十年前に通った家が、いまも受けているとは限らない。確かめてから行く。

二つめの例が瑞穂教赤倉山神社だ。この神社は、いまはカミサマと呼ばれる人がいなくて、占いもしていないと自分で書いている。祈祷は神職が上げる。家内安全、病気平癒、災難消滅、厄難消除といった願いを受け、地鎮祭にも出向く。

祭神は薬乗山龍姫乃命、庚申神、山姫の神の三柱で、まとめて赤倉大権現と呼んでいる。薬乗山龍姫乃命は、開祖の工藤むらを親神様として祀った名だ。拝殿は大正十二年に建ち、昭和十六年に建て直された。

三つめが平川市八幡崎の赤倉山金剛寺。昭和二十五年に開かれた真言宗の寺で、本尊のほかに不動明王や弘法大師、赤倉大権現まで同じ堂に祀っている。赤倉の沢にも一代堂という堂を建てた寺だ。

開いたのは蒔田照正という僧で、五所川原の成田山大善院の八男に生まれた人だった。夢に白髪の老人が立ち、赤倉の地に堂を建てよと告げたのがきっかけだったという。昭和三十五年に卯年の一代さまを祀る一代堂を、昭和四十年に大師堂を建てた。本堂の完成は昭和五十五年。

昔の津軽では、神のことはカミサマ、供養は寺という具合に、この三つを家ごとに使い分けていた。選び方の目安はこうなる。原因を名指しで見立ててほしい、神の言葉を聞きたいなら個人のカミサマ。

お祓いと祈願をきちんと上げてほしいなら神社。先祖の供養と祈願をまとめて頼みたいなら、寺へ行けばいい。迷ったら、祓いと祈願を神社か寺で先に済ませる人も多い。

相談先を探し、電話で日を取る

個人のカミサマは、ネットで探してもまず出てこない。いちばん確かなのは、行ったことのある親戚や近所の年配の人に聞くことだ。弘前市の依頼で弘前大学が調べたことがある。岩木山麓の住民の六割強がカミサマを知っていて、三割弱が実際に行ったと答えた。

相談の中身も数字で出ていて、男は健康や病気がいちばん多く、女は家族と先祖、病気がほぼ並んでいた。女のほうが身近。四十代より上の女性に限ると、七割強がカミサマを知っていた。聞けば誰かしら知っている土地柄なんだ。

昔は相談ごとを抱えた人が、知り合いに連れられて初めて門をくぐった。紹介してもらったら、連れて行ってもらうのがいちばん角が立たない。一人で行くなら、紹介してくれた人の名前を最初に言う。昔は予約なしで朝から玄関に並ぶ家もあったらしいけれど、いまは電話で都合を聞いてから行くほうが無難だよね。

神社や寺は予約がはっきりしている。瑞穂教赤倉山神社は、祈祷の申し込みは前もって予約をと案内している。金剛寺は電話で申し込み、午前十時から一日一度のお勤めに合わせて、九時半ごろまでに着くよう書いている。

日取りは、自分の都合のほかに月次祭や大祭の日を避けるか、逆に狙うかで決める。瑞穂教赤倉山神社の月次祭は毎月二十九日だ。大祭の日は人が多い。個別にじっくり相談したいなら、何もない平日のほうが落ち着く。

名前と年、相談ごとを紙に書いて持っていく

当日いちばん役に立つのは、一枚のメモだ。自分の名前、生年月日、数え年、住所。家の障りを見てもらうなら家族全員の名前と年も並べる。亡くなった身内のことなら、戒名と亡くなった年を分かる範囲で書いておく。

相談ごとも一行ずつ書いておく。いつから、何が、どう続いているか。これが効く。祭壇の前に座ると言いたかったことが半分も出てこないものらしいけれど、メモがあれば託宣のあとの聞き返しにも困らない。

供え物は、米と塩とお神酒が基本になる。金剛寺は自宅へ出向いて祈祷するときの供え物として、塩、米、野菜、魚を挙げている。カミサマの家へ行くときも、米一升か、お神酒一本、季節の果物あたりを下げていけば外れない。

服は地味なものにする。白や紺、灰色のような落ち着いた色で十分だ。数珠を持っている人は持っていくと、カミサマが般若心経を上げるときに、いっしょに手を合わせやすい。

謝礼は気持ちで包み、目安のある所は目安に合わせる

謝礼でいちばん迷うのが金額だろう。ここは相手ごとにはっきり違う。瑞穂教赤倉山神社は、祈祷料は決まっていないので気持ちを包んでほしいと案内している。

金剛寺は目安を出している。本堂でのお勤めが三千円、五千円、一万円を目安に負担にならない範囲で。自宅への出張祈祷は三万円前後が目安、と書いている。数字があると助かる。迷わずに済む。

個人のカミサマは、たいてい「気持ちでいい」と言われるから、困ったら同じカミサマへ通っている人に相場を聞くのがいちばんだ。紹介してくれた人がいるなら、その人にこっそり聞けばいい。

包み方は、白い封筒か紅白の蝶結びの熨斗袋に新札を入れる。表書きは神社なら「御初穂料」か「御玉串料」、寺なら「御祈祷料」、個人のカミサマなら「御礼」で通る。下に自分の姓名をフルネームで書く。渡すのは、受付か、拝みが始まる前に祭壇の脇へ置くよう言われた場所。

祭壇の前での一回分、祓いから神の言葉が下りるまで

カミサマの家では、たいてい一間が祭壇の間になっている。正面に神棚を組み、赤倉大神の軸や不動明王の像、御幣、榊を並べる。順番が来たら祭壇の前に正座して、メモを見ながら名前と年、それに相談ごとをひととおり伝える。足は崩さない。

拝みの次第は、カミサマごとに違う。昭和四十二年に江田絹子が民俗学評論へ載せた「青森と秋田のゴミソ」には、いくつもの型が採られている。能代のカミサマは太鼓を叩いて神を呼び出し、ローソクの火の揺れ方を見て判断するやり方だった。

中津軽のカミサマは、祈祷して胸にサトリが来たものを伝えた。難しい相談のときだけ、サンゴで占う。この人は十年のあいだ板柳の高増大神に祈り続け、神が自分に来たと確信したそうだ。

よく見られる流れは、柏手を打って祓詞を上げ、般若心経や不動明王の真言を繰り返すというものだ。太鼓を打つ人もいれば、数珠を擦り鳴らす人もいる。相談する側は、そのあいだ手を合わせて黙って座っていればいい。いっしょに心経を唱えてかまわないかは、始まる前に聞いておく。

金剛寺のお勤めは次第がはっきりしている。寺らしい。前半が供養で、観音経を読んでから、参った人がそれぞれ先祖に焼香する。後半が祈願で、般若心経などを読んだあとに護摩を焚き、家内安全や健康の願いを火に託していく。寺の拝みと個人のカミサマの拝みは、ここまで形が違う。

しばらくすると、カミサマの声の調子が変わる。神が来た合図だ。体が小刻みに揺れたり、大きなあくびが続いたりする人もいて、そこから出る言葉が、神の側からの判断として相談者に向けられる。途中で問い返されたら、メモを見て落ち着いて答えればいい。

神の言葉を聞き、言いつけを書き留めて帰る

カミサマの見立ては、占いの口上とだいぶ感じが違う。原因と相手を名指しする。屋敷神の祠を放っておいた、井戸を断りなく埋めた、先祖の供養が足りない、という具合だ。そのうえで、帰ってから何をするかを言いつける。

この言いつけは、その場でメモに書き足しておく。何を、いつ、どこで、何回。家へ帰ると細かいところが抜けやすい。ここは手を抜かない。聞き漏らしたら、その場で聞き返してかまわない。

言いつけは大きく二つの筋に分かれた。昭和の津軽で多かったのは、この形だった。神の障りなら祀り直しで、祠の屋根を直し、新しい御幣を立て、お神酒と赤飯を供える。日取りはカミサマが決め、その日にはカミサマ自身が家まで出向いて、祠の前で拝んでいくこともあった。仏の障りなら、菩提寺で経をあげてもらい、墓を掃除するよう言われる。

死者の言葉そのものを聞きたいなら、そちらは口寄せをする巫者の領分になる。カミサマのほうから、別のところへ行くよう振り分けられることもある。言われたとおりに動けばいい。

拝みが済むと、祭壇から下ろしたお神酒や洗い米、お札を渡されることが多い。帰りはよそへ寄らずにまっすぐ帰れと言われることもあった。授かった物を途中で落とさないように、という理屈だそうだ。

家でも上げられる唱え言葉を、原文と読みで覚える

カミサマの唱え言葉は、祝詞とお経と真言が混ざっている。その中から原文がはっきりしていて、家の神棚の前でも上げられるものを挙げておく。祓詞は神社でお祓いの最初に読まれる短い祝詞だ。

原文は「掛けまくも畏き伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に、御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等」。続けて「諸々の禍事罪穢有らむをば、祓へ給ひ清め給へと白す事を聞こし召せと、恐み恐みも白す」。

読みは、かけまくもかしこき、いざなぎのおおかみ。つくしのひむかのたちばなのおどのあわぎはらに、みそぎはらえたまいしときに。なりませるはらえどのおおかみたち。後半は、もろもろのまがごとつみけがれあらんをば、はらえたまいきよめたまえと。もうすことをきこしめせと、かしこみかしこみももうす。

意味はこうだ。禊をした伊邪那岐の神から生まれた祓いの神々に、あらゆる災いや罪や穢れを祓い清めてほしいと願い出る。二礼二拍手のあとに一度読み、最後に二礼二拍手一礼で締める。

略拝詞はもっと短い。原文は「祓へ給へ、清め給へ、神ながら守り給へ、幸へ給へ」。読みは、はらえたまえ、きよめたまえ、かむながらまもりたまえ、さきわえたまえ。祓い清め、神の御心のままに守り、幸いを与えてください、という意味になる。三回繰り返す家が多い。

般若心経は全文を一巻上げるのが基本で、締めの句がよく知られている。原文は「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶」。読みはギャーテイ、ギャーテイ、ハーラーギャーテイ、ハラソウギャーテイ、ボージーソワカ。訳さずに唱える呪句で、行こう、彼岸へ皆で行こう、悟りよ幸いあれ、くらいの意味になる。

不動明王の真言は、拝みでは慈救咒がよく使われる。読みはノウマク、サンマンダ、バザラダン、センダ、マカロシャダ、ソワタヤ、ウン、タラタ、カン、マン。あまねく金剛の諸尊に帰依します、激しい大忿怒の尊よ、障りを打ち砕きたまえ、くらいの意味だ。三回か七回、二十一回と奇数で唱える人が多い。

ゴミソの行を記録どおりにたどる、水ごりと日参りと籠り

カミサマになる人の行は、人によってまるで違った。記録に残る型を並べると、だいたい三つの段がある。近くの神社への日参り、赤倉への登拝、それに堂での籠りだ。

工藤むらの場合は、毎日水ごりをとってから八幡宮へ日参りする行を、三年三か月続けている。お告げのあとは月に三度赤倉へ登り、旧の一月二日から大石神社に籠って一週間の行に入った。その前の大正十年の十二月にも、赤倉の神からまたお告げがあったと由緒書きは記していた。

江田絹子の報告には、よく似た筋の人も出てくる。弘前の女の人は大正の末、娘の病をきっかけにゴミソへ相談し、産土さまに三年三か月の願をかけた。そのうち成田の不動さまの霊感を受け、翌年の正月から赤倉の大石神社で三日の行を重ねて霊感を得た、とある。三年三か月という区切りが二人に共通しているのは面白い。

黒石の女の人の例はもっと厳しかった。十一歳から霊感を覚え、夫を亡くしてから山に入った。「物食うな」という声に従って断食もした、と記録にある。

神の指図で御神体を川に流したり、焼いたりもしている。そうやって最後に許しを得たという。こういう行は、神の声に従って本人だけが背負うものだった。

神が入るきっかけも、記録を読むと人それぞれだった。八戸の女の人は子に乳をやっている最中に気を失い、目を覚ますなりカミサマだと叫んだと採られている。それから口にすることがよく当たるようになり、相談の人が絶えなくなったらしい。

能代の女の人は、四人の子がいる家へ嫁いで自分も七人産み、暮らしに困り果てていた。そこへ毎夜のように鬼子母神が夢に立ち、教えを授けたのが始まりだった。そこから三十年ほど、太鼓とローソクで人の相談を見てきたと記録にある。

在家が真似できるのは、せいぜい日参りの略式までだ。朝に顔と手を洗い、近くの産土さまへ歩いて行って、二礼二拍手一礼で略拝詞を三回。願をかける期間を決めて、休まず通う。水ごりや断食、山籠りは、祀る神を持つ人が師やカミサマの指図のもとでやるもので、見よう見まねで手を出さないほうがいい。

赤倉へ登る日を選び、供え物と手拭いをそろえる

赤倉霊場は弘前市百沢字東岩木山にある。弘前駅から車で四十分ほど。弘南バスの鰺ヶ沢線なら四十五分ほどで赤倉神社登山口に着き、そこから歩いて一時間かかる。社務所も食事どころもない。

山開きや大祭の日には、津軽の各地から信者がカミサマに連れられて、この沢へ集まってきた。登る日は、霊場の行事に合わせる人が多い。迷ったら聞く。金剛寺は毎年六月の第三日曜日に、赤倉の修行道場で山開きの柴燈大護摩供、火生三昧を修している。瑞穂教赤倉山神社は五月一日が山開きの注連縄奉納祭で、夏季大祭が七月下旬、仏の供養が九月下旬、秋季大祭が十月下旬だ。

昔は信者がカミサマといっしょに霊堂へ籠り、夜を通して行をする姿が赤倉のあちこちで見られた。赤倉霊場崇敬会が、いまはその人影も少なくなったと書き残している。泊まりがけの籠りは、堂の主に招かれた人だけのものだった。

持ち物は、米と塩、お神酒、ローソク、線香、それに白い手拭いを何枚か。石仏に手拭いを巻く人が多く、着物を着せられた地蔵もある。服は白か地味な色で、足元は沢沿いの濡れた道でも滑らない靴にする。雨具と熊よけの鈴も欠かせない。

大石神社で手を合わせてから沢へ入り、堂の前で心経を上げる

入口近くの大石神社で最初に手を合わせる。これが順序。この社は江戸の初めに、藩が赤倉山の祈願所として勧請したと伝わる。二礼二拍手一礼で、祓詞か略拝詞を一度。

本殿の裏には千曳岩があり、ここから先を神域と区切る石だと言われてきた。前を通るときは軽く頭を下げていく。昔のカミサマたちも、ここで一度足を止めてから沢へ分け入っていった。

沢沿いの道には三十三観音の石仏が間をあけて立っている。一体ごとに手を合わせて進む人もいれば、要所の石仏の前でだけ立ち止まって拝んでいく人もいる。手拭いを掛けるなら、古いものを外さずにその上へ重ねる。

堂の前では、米と塩を供えて般若心経を一巻上げる。弘前市立博物館の講座資料にある東目屋の七カ所巡りでも、各社で米と塩を供えて般若心経を唱えている。津軽の霊場巡りではこれが基本の形らしい。種市の堂では、信者がいただく水の色や匂いが変わって吉凶を知らせる、という話も伝わっていた。水をいただくなら、堂の人に器と作法を聞く。

気をつけたいのは、二十八ほど並ぶ霊堂が、どれも個人や講の祀り場だという点。招かれていない堂に勝手に上がり込まないし、中で拝んでいる人がいたらカメラもスマートフォンも向けない。拝殿に草鞋がたくさん下がっている堂もあるけれど、奉納の決まりは堂ごとに違うから、真似するなら堂の人に聞いてからにする。

世話役に連れられて七カ所を巡り、最後に八幡宮で祓いを受ける

赤倉だけでなく、津軽のカミサマや信心深い世話役は、信者を連れて近在の社寺を一日で巡ることがあった。弘前市立博物館の歴史講座の資料に、その一例が載っている。旧東目屋村の平山で、二〇〇六年の四月七日に行われた七カ所巡りだ。

指導したのは地域の信仰熱心な女の人だ。一行はマイクロバスに乗り、午前中のうちに回った。順番も決まっている。

出発は地元の産土神の山の神。そこから清水観音の多賀神社、岩木山神社、求聞寺、橋雲寺の愛宕神社、弘前天満宮と回っていく。締めは弘前八幡宮で、ここでお祓いを受けた。願いは一年の家内安全と五穀豊穣になる。

各社でやることは同じだった。米と塩を供えて、般若心経を唱える。それだけ。供えた米はそのまま置いていかず、持ち帰って家の護符にしていた。

この巡りは、博物館の講座で実際に行われた例として、回った順番と供え物まで細かく紹介された。自分たちで真似るなら、この形がいちばん手堅い。行き先は、産土さまから始めて、最後はお祓いを受けられる神社にする。車一台で回れる数に絞り、米と塩は社の数だけ小袋に分けておくと手間がない。

授かった米と塩とお守りを、家でこう扱う

赤倉やカミサマのところで授かった物は、持ち帰ってからの扱いが肝心だ。七カ所巡りの記録では、供えた米を護符として持ち帰っていた。家で三回、五回、七回に分けて、飯を炊くときに混ぜたという。一度に使い切らないのがミソ。

同じ資料には、観音巡りで背負った笈摺を、亡くなったときに棺へ納めたという話も出てくる。巡りで身につけた物は、最後まで捨てずに取っておいたわけだ。

塩は、家に入るときに清めとして撒く。少しでいい。玄関の外で肩と足元に少しずつ振り、残りは台所の隅や家の四隅に置いて、数日したら水に流す家が多い。お神酒は神棚に一晩上げてから下ろし、家族で少しずつ分けて飲む。

お札は神棚へ。神棚がなければ、目線より高いところにある清潔な棚を選んで、白い紙を一枚敷いてから立てておけばいい。瑞穂教赤倉山神社は交通安全守や開運守を五百円前後、肌守を百円で授けている。肌守は身につけ、交通安全守は車に下げる。

一年たったら、お札とお守りは受けた神社や寺へ返す。遠ければ、近くの神社の古札納め所へ持っていけば引き取ってもらえる所が多い。カミサマから授かったものは、そのカミサマに返すのが筋だ。本人が亡くなっていたら、菩提寺か近くの神社でお焚き上げを頼む。

途中で止まったとき、うまくいかないときの手当て

赤倉の沢は、雨のあとでよく滑る。原生林の中の谷だから、日が傾くと足元が見えなくなるまでがあっという間で、帰りの時刻は早めに決めておく。無理はしない。天気が崩れたら、奥の堂まで行こうとせず、その場で手を合わせて引き返せばいい。途中で止めたからといって、障りがあるという話は聞かない。

熊にも気を配る。供えた食べ物は置きっぱなしにせず、拝んだあとで持ち帰るのが今の作法で、家に着いたら神棚に上げてから家族でいただく。

カミサマの言いつけどおりにしても、気がかりが晴れないこともある。そういうときに、あちこちのカミサマを次々に渡り歩くと、見立てがばらばらで余計に迷う。一人のカミサマに続けて通うか、神社や寺の祈祷に切り替えるか、どちらかに腰を据えたほうが落ち着く。

やってはいけないことも挙げておく。三つある。他人を名指しして悪いことが起きるよう頼まない。まともなカミサマは受けないし、受ける所へ近づかない。

拝んでもらったことを理由に、医者の薬や通院をやめない。高額な物を買わされそうになったら、その場で決めずに家族へ相談してから返事をする。即決はしない。

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